音楽備忘録1783 過小評価で忘れられつつある人々⑲
ってな事って前回後部ではバスドラの鳴らし場所で語ったが、こう云う一面で盲点になるのは留まる処を知らずなんだ。
他のどのパートにもあるが脇役になる程情報が少なく、そもそも誰なのかに迄及んでるんだ。
それを実体験から披露すると、Jeff PorcaroとSteve Lukatherが大人気だった当時の参加諸作品だ。
以前から定評はあったが1980年頃には全く内外問わず引っ張りだことなってて、高騰してくギャラのせいか運悪く先約があったかで招請が叶わぬケースが続出してたんだ。
そんな際先ずは同郷LAでの彼等の友人に望みを託すのもあったけど、大多数は関係性が薄いか全く無い別人に真似て貰って凌いだりしてたん。
中でも特に参加・不参加の影響が出易かったのが、本人達が参加した前後のアルバムだ。
彼等風の路線で大好評を得てると、意図が無い限り下手にサウンドを変えたくないし変えらんない。
その結果所謂「紛い物」が続出し、杜撰君ばかりかかなり詳しい者でも騙されたり(正確には誤認でしかないが)してたんよ。
後になって判明してみりゃ確かに本物とは少し違うし、本物である事の良さの点では到底及んで無かったんだけどさ。
んが個別曲に対しては紛い物でもよりフィットしてるのがそこそこあって、結果的に本物達へのレジェンド化に全く意図せず貢献しちゃってるのもあったんだ。
如何に彼等だろうと異常な多忙スケジュールでは、曲やアーティストの理解に時間が足りない場合も当然あっただろう。
となれば本体Totoとか以前から懇意で結成にも助力してくれた、BOZ SCAGGSのみたいな完成度に必ず到達出来たかどうかは分からんよ。
勿論彼等の事だから、どんな苦境でだって流石な部分を見せはしただろうけどね。
に対し雇われ影武者君には余裕が持て易かっただろうし、雇い側にしても偽物だからこそ出来栄えにはより一層注意を払い状況次第じゃ期限の方を延ばしてたかも知れない。
尤もこう云うのは人生一度切りみたいな状況だったりするから、柳の下の2匹目の泥鰌は先ず居なくて単発が多かったんだろうけどな。
だからこそ非効率だし語られずに過ぎたりするんだろうが、時にはそんなのが唯一の手掛かりになるかも知れねんだ。
誤認自体は恥と思った方が良いに違いないが、彼等のだったら何でも最高と思う追っかけみたいな人以外は恥だけで終らせたら勿体ない。
追っかけじゃねえって事ぁ幾ら好きでもきっと100%じゃないし、自身で演る時ゃ少ない嫌い或は苦手を除いて他のも何かも少しは加えたいだろう。
それこそがオリジナリティの夜明けってなもんで、紛い物でも好サンプルになるケースがあるんだ。
わざわざ探すと見つかり難いけど、音楽にはこんな埋蔵プチお宝もあるのよねえ。
=つづく=
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