音楽備忘録1786 杜撰流不景気対策⓭
今劣化本邦では頓珍漢な著作権法もあってか、過度のオリジナル依存が横行しとるみたいだ。
それに依る私感での最大の欠点は「音」で、どうやら音の知識不足→色んなのをちゃんと聴くのが足りない様なんだ。
人と歌う・奏でる・作る楽しさは何物にも代えがたいが、本来それを円滑に進めるには個人の力量が必要なんすよ。
良く知らない同士だと即座の感動こそ難しい反面、それは嫌だ・駄目だ等ハッキリ否定する場面は少なくなる。
大した事の無い物でも大きな誤りが無きゃ、ロクにウケないだけで済むからまだ良いがね。
攻めた和声・進行等とギリでアウトは紙一重か、場合に依っては許せる時と許せない時が出て来るんだ。
最近従兄はAfter Beatの件で色々語ってるが、杜撰君は旧来からのRock好きだからどうせ一辺倒になるなら裏が強拍の方が好きだ。
わさて置きどっちでも取敢えず曲にマッチしてりゃ良いが、最悪なのは全部・或はパート単位でミスマッチを起こしてるヤツだ。
全く音楽ツールを持ってなきゃ先ずは何か入手するしかないが、そこから先は色々実践してみるのが良い。
とは言え何の指標も持たず闇雲に試す中から、良いのを集めるんじゃ果てしないし最悪は何も生めないかも知れない。
でこの自分なりの指標を作るには、随時で色んなのを聴き続けてく必要があるんだ。
その効能は知識の充実も勿論だがもっと重要なのがあって、自身の感覚を自覚したり磨いたりに必須なんざます。
人の感性には流動的な部分があって昨日は地味と感じたのが、一晩寝て起きて聴いてみたら派手だとかね。
体調・気分・環境次第で違って聴こえるのは優柔不断とかとは限らず、随時頻吠え「音楽は比較芸術」だからなのさ。
自分のリソース割合が演ると大体同等の聴くをしてないと、ライバルの存在を知るのが遅れたり最悪はパクリになって苦労が水の泡になるねん。
ネット接続デバイスを持ってたら簡単に音声検索こそ出来るが、パクリに底触しなくても明らかな紛い物判定迄はまだ出来ない。
なのでトリビュートやパロディのつもりだったら良いが、新規独自のつもりでそんな風に思われる可能性のへ頑張っちゃってもねえ。
まあそんでもスタイル定着前だったら修正可能かも知れんが、大体に於いてやっちまったが発覚するのは漸く完成した位のケースが多いのよ。
一意専心してると課題に対してはベストだけど、それ以外に対しては鈍感になってたりするじゃん。
のが一応出来上がると肩の力が抜け、初めて視野が広がり出して気付くってな。
万一方向性の誤りが発覚したら、音楽ツールの刷新が必須になるかも分からん。
そうなっては唯でさえ逼迫した予算がより圧迫され…、そんな行き詰まりを避けるには先に少しは考えとくしかないって訳っすよ。
まあⅡで人間って簡単に飽きる生き物で、ついすぐに新しいものを求めちゃうんだけどね。
でも探せば買えば全部手に入るもんじゃなく、例えば前回聴いてから1年のブランク後に聴くなんてのも効果があるんだ。
=つづく=
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