音楽備忘録1799 過小評価で忘れられつつある人々㉓
変って第3のパターンオリジナルとカバーの優劣を、論じる迄も無いものを取り上げて見ようか。
その多くはスタンダードナンバーとなって、今後もカバーバージョンが増加の可能性のある曲ざんす。
鉄板の定番ともなると最早カバーの意識が薄れ、最悪は絶好のネタを与えてくれた元祖への感謝すら忘れちまったりする。
そうなっちゃ困るけれど、一面でその位気楽に演れるのには一般的なカバーには無い長所もあるんだ。
曲や原作者をとても尊敬するは良いがそれ故過度の緊張をしたり、やたら遠慮が出たりしたら自由な独自の調理法が阻害される事もある。
扱いが上手く行ってるのの代表としてTrain Kept a Rollin’で例示すると、Tiny Bradshawは1951年のJump Bluesとしてこの曲は初めて世に出ている。
その後Johnny Burnette and the Rock and Roll Trioの1956年のでRockabilly迄は来たが、その段階ではとても後年スタンダードとなる程と俺には思えなかった。
っつうのも既にグループ名にRock ’N’ Rollと入っては居るが、現代の広義のと当時のは別物なのだ。
それはまだ○○Rockと呼ばれるバリエーション等全く出揃って無かったからで、今の感覚だとRock固有のよりルーツの要素の方が多い様にも受け止められる。
のが1965年にThe Yardbirdsが欧米の分類ではPsychedelic Blues Rockとした処から俄然広範な親和性が出て来た。
尚且つそれを強化したのは奴等歌詞違いのStroll Onって別バージョンを出してて、個人的にはこっちの方がドストライクだねえ。
この時点で今でも通用するRockネタとなり、その内後者のはJimmy Pageが加わったからか既にHard Rockの兆しさえ見えていた。
基本的要素としてはそれで足りてたんだがその後Van Halen等の強烈な歪みも聴き慣れてると、↑バージョンは歪みの質や音色の相違から必ずしもHardとは認識されないかも知れない。(私感ではMetalの要素が希薄)
のを完全に定着させたのがAerosmithで、彼等のバージョンでHard Rockのスタンダードネタとしても充分使える証明が為された。
因みに杜撰君の少年期の身内界隈では夫々のBestが微妙に違ったりしてたんで、各バージョンから好きな箇所を取出して再構築したみたいな状況になってたよ。
又その時期にはVocal専業の人がたまたま不在だったんで、アドリブ用インストのたたき台として利用させて貰う事が多かった。
歌があると歌詞があり、普通はそれが全編終れば曲もそんなに長くは続け難い。(全く同じのを延々繰返すのは辛い)
が最初から無しにしちまえばその縛りから解放されるんで、誰かがバテるか完全に飽きる迄は続けられるメリットがあったん。
っと言っても意識してそうしてた訳でも無く、唯重症中二病患者が集ったらそんなになっちまっただけだけどね。
他の人が何処迄自由な素材として扱ってたかは知らないが、私的に楽しむ分には著作権に一切底触しないんだよ。
けれどネタ元が塩みたいに殆ど何にでも使えるのじゃないと、幾らさあご自由にと言われた処でそう簡単には使い回しみたいな真似は出来ないでしょ。
のでやはり目的次第で適性はある様で、必ずしも稀代の大ヒット作ばかりがこの手のに適合するとは限らないのが特異な点じゃないかな。
=つづく=
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