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2024年7月11日 (木)

音楽備忘録1791 過小評価で忘れられつつある人々㉑

ほんだら毎度恒例で話しの流れから、「曲のバージョン」を今回からのテーマに定め進めてこう。
ネタはそこそこあるんだが思い出すのに時間が掛かりそうだから、最初は杜撰大王にとっての最新情報から行っときま。

今回の生贄は曲より数年先に話題になった映画にインスパイアされたヤツで、珍しく原題と邦題が完全同一の「愛のコリーダ」ざんす。
この曲の件を知るのが遅くなったのは杜撰大王ならではでもあろうが、盛大にヒットしたカバーと当時時点で少なくとも日本じゃほぼ売れなかったオリジナルと公開タイムラグが短かった(約1年)のもあったに違い無い。

曲を作り弾いて出したのはChaz Jankelっつう人だそうで、つい最近迄アタシャてっきりQuincy Jones自身の作かそれ用に作ったのだと思ってましたわ。
先ずタイムラグの件は↑の御仁名義では処女作且つ本国であまり話題になってなかったらしく、そうなると当時日本の発売元は予算を掛けて迄宣伝しなかったからねえ。

今よりゃ一部で活況を呈してたっても所詮洋楽のマーケットは小規模で、今ならBeatles好きの爺婆も居て何の不思議も無いが当時は基本的に一部若年層向けだったし。
するってぇと仮に何かのキッカケで浮上し出しても、ネットとか無いから浸透してくのにやたら時間が掛かったんだよ。

のでもしかしたら例えば関西とか一部ローカルでは知られた存在だったとしても1年以下じゃこっち迄届かんし、一方でQuincy Jonesのは出た途端に毎日ラジオからガンガン流れてたからさ。
更に次の件が最大原因の気がするんだが、当該曲はガチのDiscoナンバーなんで黒人が演ってそうだったん。

ってかさっき調べる迄原版のは別人でも黒人だろうと思ってたのに殆どが白人で、しかも分かる限りでは作詞とTrumpet以外皆英国人だったからおったまげーだわさ。
確かに考えてもみりゃ米とか黒かぶれの英人ってもっと昔から居はしたんだけど、Bassのスラップはせいぜいプルの方だけばかりだったさね。

それが当該曲ではサムピング主体で、尚且つLarry Grahamばりのごっついオールドスタイルなんだよ。
海溝迄掘り下げて考察すれば真実の意外パターンも少しはあったんだけど、白さ英らしさが微塵も無いと来たもんだ。

さて文句無しのレジェンドで巷ウケでは圧勝のQuincyだが、当該曲のオリジナルを聴いちまうとそっちの方が少なくとも俺には完勝だったんだ。
私感としてQuincyはIronsideの頃は勢いも良かったんだが、その後はどんどん大人しくなったってぇか小奇麗なだけになってった感じがしてねえ。

これ大元のネタが阿部定事件な上映画は一応ポルノだったんだから、本当は止められない衝動感みたいなのに欠けてたらおかしかったんだ。
日仏合作名義で折角ノーモザイクで撮ったのに、こっちじゃ一大騒動を経て大量に修正とカットされて公開されたいわく付きの代物でごぜーましてなぁ。

そうしてみるとバージョン違いが「愛の」は日本語だからQuincyのは差し詰め映画の処理後版、Chaz Jankelのがスケベオヤジには一択の原版って位の差がありましてん。
政治的意図も疑う程の商業上の都合があったか知らんが、このままじゃ
2次元の女でしかイケない坊やばかり生みそうで恐。

=つづく=

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