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2024年7月

2024年7月31日 (水)

音楽備忘録1811 過小評価で忘れられつつある人々㉖

本日紹介する人はかなりニッチなのをお断りした上で、米のSongwriter・Guitarist・SingerのLes Dudekだ。
杜撰大王が興味を持ったキッカケは、Duane没直後The Allman Brothers BandのアルバムでイカシたSlide Guitarを弾いてたからだった。

但しこの段階では特に注目して居らず、後にAOR路線へ移行して大当たりしたBoz Scaggsのアルバムでもその名を見掛けちょっち驚かされたんだ。
オールマンからボズのアルバムには3年が経過してるとは言え、田舎根性丸出しのからいきなりスマートで都会的なのへだからねえ。

そこから米南部スタイルを基本とし乍らももしやオールマイティタイプなのかと思って、次はソロ名義のアルバムを聴いてみたんだ。
したっけ予想通り柔軟なスタイルとなってたのに加え声質の癖は強目だがかなり歌えるし、何よりも自作曲のレベルが結構高かったんだ。

ソロ1作目(’76)のBassが全部あのChuck Raineyなのも当時は白人の若造にしては珍しかったが、1年後の2作目に
は何とあのTony WilliamsJeff PorcaroのTwin Drumsの曲も入ってるじゃあ~りませんか!!。

外野の感覚からするとあまりにも想定外な突飛な組合せなんで、暫くは目も耳も相当疑心暗鬼だったさね。
そりゃ確かに彼は既にオールマンズで経験はあったけどで、たまたま知人の付き合いでTonyの太鼓の音は今は無き新宿厚生年金会館で半分生のを聴いてたから間違いなさそうだし…。

後年はかなりメタルチックな要素が強まってるものの、相変らず結構Popで良質な歌物自作曲が入っててね。
Guitar自体の腕前は今の水準からすれば超絶って程じゃ無いが、Jeff Beck的な方向で色々斬新で挑戦的な事を演り続けてるよ。

又中々のテクニシャンなのに飽く迄曲ニーズ最優先な演奏で、Guitaristのソロアルバムの常識からすると緩急と抑制では一番かも知れないな。
そんな処から私感に過ぎないけど一般的には先ずGuitaristと書かれるのを、冒頭でSongwriterの方を先に記述する事にしたんだ。

令和の日本じゃほぼ無名に等しくなってるだろうし、元々こっちじゃ殆ど売れても無かったけどさ。
因みにオールマンズが一回こっきりになったのは何やら性格に難がとの噂も訊かれるが、その割に他のビッグネームとのコラボや参加が多かったのは恐らくこれが原因なんじゃないかな。

その意味で対極に位置したと思しきがJay Graydonで、確かに売り捲ったけど俺々主義の悪評も中々ですわ。
今となっては日本語Wikiには未記載なままだが、皆で分隔て無く作り上げたいチームではかつては共同作業者からは散々に愚痴られてたんだぜ。

わ兎も角若き頃から台頭した人ってどうしたって力が入るから、俺も含め大抵幾らかはそうなっちまう方が普通なんだ。
Les君だって何かしらはあったんだろうけど、その影響が最も「音には出てない人」として価値が高いと思ったんよ。

=つづく=

2024年7月30日 (火)

音楽備忘録1810 Rock時代の松田優作⑤

全く個人の想像でしかないんで異論あって当然と思って綴ってるが、彼のアクション映画や探偵物語で印象的だったHorn Sectionにも触れとこう。
西部劇とかチャンバラ時代劇なら兎も角、ダイナミックなアクションシーンには派手で豪勢なBrassは良く似合う。

だからアクションスターとしての松田優作で音楽ったら真っ先に思い浮かんでも納得で、それだけなら何処から眺めても王道だ。
が彼独自のとなると、特定する要素がとっても少ないんざます。

アクションシーンでのBrass常用の最初は、杜撰大王の記憶では米を中心としたスパイものじゃなかったかな。
小規模だとかガキ専用だったらもう他でもあったけど、充分な高級感とか大人味も求めたら当時の最適解は編成としてはJazz Big Bandの独壇場だ。

セリフが随時で出て来る劇伴に歌は邪魔になり勝ちなんで、可能ならインストで退屈せず様々な要素を込められるのが良いからね。
ほんでその手のは既にClassicのオケがあるにはあったが、米人にとっちゃそれにしちゃうと欧の時代劇臭がしちまう。(敢えて国際救助隊≒軍隊でサンダーバードでは伝統的軍楽隊っぽくしてた例外も…)

奇想天外なメカ(殆どは想像の産物だったが)も次々出て来る様な現代劇では、聴き馴染み過ぎたサウンドじゃ不似合いだしね。
実際宇宙ものの黎明期に今のSyntheは登場前だったからか、祖先のテルミンを使うのが常套手段だったりしたよ。(尤もかなり後年迄その変な音の正体を俺は知らなかったが💧)

Brassの使用の件に戻すと確かに良く使ってたんだけど、本命は楽器種じゃなく斬新で奇怪な編曲とか未登場の変態コード進行の方にあったんだ。
只そんなのを演り易いとなると単音楽器の集合体の方が断然有利で、尚且つ耳障りにならないフォルテを出せるのがBrassだっただけなんだ。

木管だって幾らでも強い音が出せるのもあるけど、そうするとヒステリックにもなっちゃうじゃん。
と持論の屁理屈を並べたが、それ故松田優作か例えばジャッキー・チェンかの区別はそこだけだったら殆どつけられねんですよ。

カンフーものったら音にも大抵は中華だしが入れられてるもんで、ブルース・リーの段階でビヴラートやベンドの掛かった4度和音が頻繁に付加されてたよね。
でSE(カンフー独特の奇声)とか以外は、主にノージャンルのフルオケ(Jazz Big Bandの延長系)やんか。

ってな事って一般の印象は全く否定なんかしないけど、意外な箇所に固有性を特定するのが潜んでたりするんすよ。
そしてこれは偶然かも知れないけど、Brassが近似でもBassが違うと時代が違って来る感じてね。(こう云うケースでBassがアコースティックかエレキかの影響はかなり大きい…んじゃないかな)

彼以前から多くあったのはBassがスマートで大人味、結果的に革ジャンとかよりピシっと決まったスーツの方がお似合いだ。
その辺りが主人公の年齢や立場にも繋がってて、音だけでも何か他のとは当時は一味違った新しさを感じたんだ。

-続く-

2024年7月29日 (月)

音楽備忘録1809 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➏

続きの前にマメ知識として前回プチ補遺から行っとくが、メディア自体の持ってる音質を大体誰もが享受可能になったのは大凡2000年代以降ざんす。
こればかりはデジタル普及の恩恵で、必ずしも最高じゃないがかつての様な不味いのが無くなったコンビニスイーツ普及みたいなもんだ。

さてそうなったらもう事前盛りは不要化した筈なんだが、今劣化本邦固有の弱点がコイツをほぼ全否定しちゃったんだよ。
を紐解くには日本固有の音響技師史があって、折角漕ぎ着けたグローバル化寸前で前より酷いガラパゴスへ。(´Д`)ハァ…

前回迄に1980年頃に一部で完全に海外に追いついたアーティストが居たのを綴ったが、それ等の多くが録音は海外で日本人音響技師で追付けた者は更に少数だったんだ。
しかもそんな人達は「プロ中のヲタ」と云った立場に居て、メジャー大手系に所属してるのなんか皆無どしたわ。

そうなると日本の悪習慣「出る杭は打たれる」が効果発揮しちまって、音クウォリティ的には全く馬鹿な話しだがレベルの低い方をスタンダードにしやがった。
でそんな本来ならプロレベルに不足のある連中が中心になると、数少ない自身の成功体験だけにしがみ付いてのぉ。

不要となった高域事前盛りを存置しちゃって、そうこうする内メジャー所属技師の大多数は軽度の難聴になってんじゃね。
正常でニュートラルな感覚では絶対おかしいのが、幾ら金儲けのタネでも何時も平気で許せるにはさ。

差し詰め熱湯風呂を言い湯加減だって感じてる様なもんで、もう少し規模の大きい業界だったら絶対誰かが異議を唱える処だよ。
がデジタル普及では最先進国だったもんだから、寧ろ相対的な規模は大巾に縮小してんだ。

今正規のプロ録音現場では2人居れば手に負えるが、かつてはもっと人が大勢じゃなきゃ全然現場は機能しなかったんだ。
それ故ウチみたいなほぼワンオペじゃ大変なばかりか、仕事の絶対数をちっとも増やせなかったんだから。

アナログオンリー時代との決定的な差は、日常のメンテや調整で御座居ましてね。
それ処か超重要な録音では新品のテープすら、品質が信用し切れんからお試しが必要でさ。

結果録音の全貌は概念だけに留まってても、何かに特化したアシスタントが多量に必要だったんだ。
結果Ⅱで各自の所持スキルは限定的でも、ゴール地点を間違える様な奴は先ず居なかったん。

のに対し今劣化本邦じゃスキルは大体全部持ってんのに、まあ何と枠外へシュートするアホの多い事か。
と同時に過去の個別スキル持ちが多かった頃は、担当分野以外は理屈より感性(聴こえた感じ)を優先するしか無かったんだ。

が却ってそれこそが適切で、聴者の大多数は理屈なんか知ったこっちゃないんだからね。
そこへ持って来て過去を知らない
聴き専の弱点が、与えられた物に対しての判定しか出来ない処だからねぇ。

=つづく=

2024年7月28日 (日)

音楽備忘録1808 楽器業界の行く末⑫

前回の流れを引き継ぎつつ今回は全体に纏わる話しで、過去には数度少し流行ったキットや組立式の件ざんす。
その都度直接のキッカケは違えど、共通するのは新品完成品が少し買い辛い状況があった気がする。

手前味噌体験ではRoland(BOSS)が立ち上げたキット専門ブランド、AMEDEKのお世話になった事がある。
電気屋観点では大したカスタマイズが出来た訳じゃ無かったけど、組立工賃分位低目の価格設定だったのと少しは選択の余地があった。

当時は今みたいな取敢えず全てが賄えるオールインワンタイプのEffectorはほぼ未登場なのもあり、貧には救いの選択肢のひとつだったよ。
って何で唐突にオール君なんて持出したかってば、実は量販品なら究極的には全部盛りの完成品の方が低廉に作れるのよ。

ユーザーにとっちゃ不要部分が付いて来るからその点コスパに無駄があるが、売る方にしてみりゃどれが欲しい人でも皆同じのを買ってくれる。
例えばPheserだけで月販1万台とかになるなら良いが、そこ迄売れないと作り手側は量産効果のご利益に幾らもあやかれないんだ。

そこで屁理屈で1台¥5,000で5台より1台¥2万するが、前者全部より-¥5,000だからお得でっせなんてね。
嘘じゃないけど購入者の個別ニーズや懐具合は半ば無視した発想で、自身に都合の良い方に持って行ってる訳だ。

まあ商売の原理としちゃもし欲しい奴が居りゃ、どんな法外価格も一応正当化されるんで罪にはならないんだけどさ。
けどこんなに皆が貧しくなって来っと、単価が購入判断の全てになるんだよねえ。

安全対策・公害対策等があるから高額になっても仕方無いとは言え、自動車メーカはこの不景気にあんな高いのばっか出しといて売行きがもへったくれもあったもんじゃねえ。
それと比べりゃ音楽産業は安全性の枷も少ないんだから、ホントはやろうと思えば小物を出すのは困難じゃないんだがねえ。

杜撰大王的見地としては楽器・音楽ツールとしてのデジタルの扱いに未だ慣れられず、ニーズが違う他分野の模倣に終始してる気がするな。
デジタル機器で最も身近なスマホ等は、過去比では飛躍的な低価格化が達成された。(最高値も更新してるが…)

極度にニーズが多くて↑が加われば爆発的量販も夢じゃないが、こっちはどんなにバズったって桁が全然小さくしかならんのよ。
かつて人件費が安かった頃は数千台程度でも量産効果が得られたか知らんが、量産効果の出る数量自体の桁が今は変容してるんだ。

つまりもっと多くないと当て嵌まらなくなって来てて、多くの製造業で高度成長期の量産→ボロ儲けの夢がとっくに覚めちまった事実を認めるしかないんだな。
とは言え社会構造が変化してたり、悪政もあって町工場・中小企業を世間が舐め切ってるから弊害が増えちまってる。

が個人でのネット販売等は昔には無かった方法だし、そっちはこれからが多分全盛期。
中国の経済的台頭で特に国の息が掛かってない連中は、評判は微妙だが殆どは↑の手で業績を伸ばしてる
んだから。

-続く-

2024年7月27日 (土)

音楽備忘録1807 過小評価で忘れられつつある人々㉕

前回から若干タネ切れ感が拭えぬも、ドンピシャを想い出す迄は近年知名度が低下危惧される人達に触れとこう。
今回はトップバッターとしてThe Yardbirdsを取上げるが、現時点では名と代表曲位はまだ埋もれてない。

のになしてってば、曲タイプや編曲の柔軟性の凄さについてはほぼ誰も語らなくなってっからだ。
彼等は正直言って万人ウケする様なヒットは少ないし、活動期間の短さメンバーチェンジの煩雑さからすればさして注視されなくても不思議は無い。

けれどRock系奏・作曲・編曲者等にとってはヒントの宝庫で、聴き専と評価が同じじゃ具合が悪いんだ。
オールマイティったらBeatlesの方が数段上だし、他にTho Whoやらなんやらと色んなのが居る。

がそ奴等は使用楽器や編成が何でもありなのが、The Yardbirdsと来たらSE(効果音)以外は殆どそのままの楽器・編成で熟してるのが稀有なんだ。
Bluesharpこそ頻繁に登場するにせよ、杜撰記憶にある限りじゃFor Your Loveの客演でしか鍵盤(しかもharpsichord)が出て来ないんだよ。

普通色々演ろうと思ったらこれは実に過酷で、特に今劣化本邦ではリズムパターン自体を冒険しないから尚難しい。
のは知らないか知っててもダサいとか古臭いとかカッコ悪いからかも知れんが、そうするかGuitarでClassicやJazz固有の奏法でも出来ないと埒が開かないよ。

っつう事って彼等は曲のベーシック箇所に於いて稀有な勇者で、ポピュラー系標榜者には殆どの人に好ましいサンプルなんすよ。
ベーシックってのは具体的にはリズムパターンやその変化とかリフで、メロや歌詞が優れたのとは違う良さがあるんだ。

後者は誰もが憧れはするものの時に才能と云う絶対動かせない要素に支配されるが、前者の方だったら誰にでも分隔て無く引用・応用が可能なのさ。
なんてさもしたり顔で語っててあんまり上手く利用出来てない杜撰君なんだけど、例え使え使わなくても知ってるだけで気が楽になるのは確かなんだ。

それともう1つ興味深いのが彼等ガチのBluesヲタの癖に、英テイストどっぷりで本国米っぽい奏法等が出て来ない処。
実際には黒人から絶大な影響を受けてるのに、如何にも当時の英青臭さしか殆ど感じられない。

コレ悪く云やコピーし損じだけど、異なる世界観のものを取り入れたい際にはその面でも参考になるんすよ。
中でも黒人Blues系カバー曲の仕上がり具合が見物で、彼等の手に掛かると黒っぽさが極小なんだ。

その結果確かに曲自体はカバーでしかないのに、露骨に英音楽になってるんだよ。
でベーシック箇所勇者の件へ戻ると、技術的に高度なのは一切使ってないのも応用するのに最適なのだ。

幾らシンプルでも不慣れだと少し時間は掛かるだろうが、それって一種のエゴなんだ。
例えば普通速の8分音符なら何でも平気と言っといて、その奏者の不慣れパターンだったら即座に演れんなんて外野からしたらおかしな話しやろ。

そう云う悲劇を減らすには誰でも少しは参考にする必要ありと考えてて、他のじゃ駄目ってんじゃないが彼等が一番楽な方なんすわ。
しかもなるべく初心な内に体現してみるのがお勧めで、運悪くベテランでもまだだったら早速コッソリチャレンジしてみた方が良いんじゃないかな。

=つづく=

2024年7月26日 (金)

音楽備忘録1806 Rock時代の松田優作④

さて彼のアルバムでの雰囲気醸成にエレキBass程際立ってはいなかったが、杜撰大王的には生Pianoの影響もある様に感じられる。
最多登場頻度としてはGuitar Band+αの構成なので、エレキGuitarやDrumの方が常時鳴ってた筈なんだけどね。

けれど他の標準的Guitar Band系と趣きを異にしてたのは、生ピの使われ方なんだ。
通常Rock系アンサンブルではバラードとか一部の以外は王道のエレキが主役に居座ってるから、鍵盤は伴奏の補強として用いるのが普通。

なのが曲リフへの参加が多いばかりか、Guitarと対等にソロパートが与えられたりしてるんだ。
そりゃあDeep PurpleみたいにGuitarと鍵盤の地位が拮抗してるとか、主役がPiano・Vocalだったりすりゃ’70年代のでもそう云うのはあったがね。

当時一等新しい音と言えばSyntheに違いなかったけど、ワイルド系で主役にするのは今だって少し難しい。
のに対しエレキのOverdriveサウンドが漸く一般に普及した頃な上、↑にもそのまんま利用可能だったからこそのHard系隆盛からMetal系の黎明だかんね。

Rock系で生ピが一般的に再脚光を浴びたのは私感じゃ’80年代後半に入ってからで、長らく続いたエレキ歪み音色に一部の人が飽きが来たからじゃないかな。
この様な時代背景からすれば彼のアルバムのは結構珍しい口で、ワイルド系なのにしょっちゅう生ピってなぁやはりBluesを根底に据えたからな気がするな。

大昔の米黒人って差別で貧だからショボいAmpなせいで、望むと望まざるとに無関係に割と早期からエレキは歪んでたよ。
けど実はそんなのは本当の底辺では無くて、楽器を自前で持てなかったのが最貧なんだよね。

でそんなケースでも比較的触れられるのってば、学校や教会に常設だった鍵盤しか選択肢が無いと。
それ故Disco全盛時ともなればほぼ解消してたけど、音楽ジャンルと楽器の関係が米黒人には無法地帯みたいなもんだった訳さ。

故にそんなに目立たないし普段全然意識はしてないが、生ピでBluesって人が結構その頃だと普通だったみたいなん。(綾戸智恵さんがその伝統を微かに伝えてるのかな)
でⅡで彼のアルバムのへ戻すと生ピでは更にRagtimeスタイルのが多目な印象で、ムード満点だが探偵物語のOPのは最初は何処から来てたかなんて全然分からなかった。(しかもご丁寧にもHonky Tonk調律で)


だが彼の出自と当時の今より苛烈だった差別を考えると、今の我々だと頭でしか理解不能なBluesの深い部分に恐らく共鳴するものがあったんだろうな。
米西海岸への短期留学(予定では短期じゃなかった)も、共感と確信の礎になったんだろうし。

その意味で下手ウマ歌唱でも説得力が妙にあったのは当然の成り行きで、音楽の技術的専門知識は未だしも文化や主張に対してはかなり深く理解してたんじゃないかな。
それが少なくとも感性で聴く人には、記憶に残ってしまう原因に違いないよ。

-続く-

2024年7月25日 (木)

音楽備忘録1805 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➎

失敗は成功の基じゃないが今は劣化本邦と化し歩調を共にしたJ-POPだって、先祖のニューミュージックと呼ばれてた頃はこんなに酷くは無かったんだ。
尤も私感では既に凋落の予感はあったんだが、その頃から徐々に音楽には馴染まない経済理論が侵入して来たんだよ。

取敢えずサウンド面の変遷から参るが、中低域を犠牲にしても高音忖度が始まったん。
当時音響的にはアナログオンリー末期だったのと相まって、再生機器の性能が一寸足りないとすぐに音が籠っちゃっててね。

その程度が今のデジタルと比べたら極端で、漸次高音質化してても実際の庶民聴取環境ではまだその恩恵に浴せてないケースが多かったんよ。
オーディオヲタ等で高級機を持ってる人と、大型ラジカセかそれに毛の生えた位のミニコンポを持ってる人じゃね。

実はラジカセでも少し良いのだと廉価盤ミニコンポよりスピーカが良かったんだが、カセットでは高価なハイグレードテープを使わんとそのせいでもう俺言いお籠りさん。(FMではお好みが何時掛かるか掛かんないか分からない)
片や廉価ミニコは折角レコードが掛けられても↑の通りスピーカをケチったせいで、是又結局お籠りさん。

具体的な割合はよくは分かんないけど、多分7:3位で多数派はメディア自体の持ってた真の音質では聴けてなかったんだ。
ほいでココからが重要なんだがその頃以前の録音では職人気質が強烈っつうか、実聴取環境より現場でのクウォリティ一択でさ。

技術レベル等の障害で中々理想の音には出来なかったんで、そっちに全振りされてたんすよ。
ので今聴けばその頃の方が高音質なんだが、当時はそれじゃ庶民は数年前の作品から音的進歩に全くあやかれない。

のでⅡで当時の実聴取「平均環境」に事前補填するのを企図し出し、「後で削れる前提」で高域の増し盛りが始まったん。
厳密には違うが当時の機器やメディア毎の差は主に高域だけで、中低域はどれでもそんなに酷くは劣化してなかったから。

故に最大公約数的に皆に同じ様に聴こえるのを狙うと、好環境にある人には聴く際削って貰うとして事前盛りしとく方を選んだんだ。
がこの時点で専門家の無知ってか特有感覚が災いして、メディアに「余計だったら削ってね」の但し書きを知る限りでは誰一人しなかったんだよ。

専門家にとっちゃ至極当然の環境適化調整も、素人は良く分からんから下手に弄って悪化させてもと思ってあんま積極的にはなれないのにさ。
又一方で一旦出した高域を控えるのはとても勇気の要るもんで、前の作品より籠った≒音質的に逆行と誤解されちゃ敵わんからね。

そんな処から勝てる可能性より絶対負けはしない方に気持ちが偏って、何時しか高音過多に皆が鈍感化してっちゃったんだよ。
極一部定評の揺ぎ無いレジェンド以外、誰もが間違った偏った方向へ歩み出しちゃったんだ。

=つづく=

2024年7月24日 (水)

音楽備忘録1804 楽器業界の行く末⑪

電子楽器の第3弾は杜撰流プチ提案として進めるが、きっと下らんだろうがとっても素朴な疑問ざます。
今劣化本邦の一般論だと恐らく無駄な考えとされるんだろうが、ちゃんとした成熟社会でたったら何らかの明快な回答が用意されてる筈なんだよ。

だばその1:ジョイスティックやホイールのバリエーションの少なさ、カスタマイズの殆どガン無視案件。
鍵盤しか演らない人は特に違和感は覚えないかもだが、エレキのアームの実情と照らし合わせるとやっぱ変。

Synchronizedタイプでは長さ・太さ・材質etc…実に様々なのがあり、各々が自身により好都合なのを選んで使うのは全然珍しくない。
これは感覚的なのもあるだろうがそれ以前に、人の体に無限の個性があるからの必然的な結果じゃないかな。

筋力は違うし手指や腕の長さも千差万別、それで尚筋力ひとつ取上げても肩・肘・手首・握力…各部の値とバランスが皆違う。
のでなるべく大勢が大まかに「同じ感覚扱える」を目指せば、トータルで同じになる様な方策は同然必要なんだ。

キーボーのジョイ君やホイさんはエレキアームよりゃ力からして大抵は軽いが、今のままじゃ誰もが絶妙なコントロールをしようとしたらさ。
合ってないが為に酷い苦労をしたり諦めたりしなきゃなんない奴を、少なからずわざわざ新たに生んじまうだよ。

にも拘わらずメカ素人には殆どカスタマイズの術が無いままで、尚且つお困りさん向けの情報もわざとか知らんがロクに流通しとらんがや。
拙く狭隘な杜撰知識の限りでは、今迄お便利アイデアグッズみたいなのすら記憶に皆無だ。

まあ確かに鍵盤自体のバリエーションがとても少ないんで、それを許せるのはM気質強目なのか知らんが。
けどこの手に不慣れなClassic系奏者が、比較的早期に馴染めるの位はあっても良い様な…。

その2:MIDIやUSBに頼り過ぎたインターフェイス
メーカ視点で利点の方が多かったからの結果ではあろうが、選択の自由度の点ではモジュラーSynthe当時から大きく後退したまんま。

ここで焦点を当ててるのはジョイ君・ホイさんの件で、現状の殆どの商品では「部分換装」を不可能に近くしてる罪。
理論上はレイテンシの少ないMIDIで可能となってっけど、絶妙な操作には0.001秒だってズレたら困るさね。

コレ舞台裏っつうか機器内部事情を暴露すりゃ、物凄く色んなタイプのコネクタなんて使われちゃおらんのや。
無論例外は常に存在するだろうが、部品も製品も売れ筋数社が巾を利かせてっから大体はそれのどれかだ。

処か内部コネクタにも流行みたいなのがあって、同時期の製品なら何処のでもアレみたいなケースが非常に多い。
って事ぁそのコネクタをPCマザボのスロットみたいに一応定めてやったりすりゃ、それだけで素人のカスタマイズの余地は生み出せるん。

因みに杜撰君は縁あってか元地本だからかKORG体験が多かったから、私的にはジョイスティックに慣れている。
だが同じメーカのばかりってのもあるだろうが、機器更新してもジョイ君だけ進化が感じられないんだ。

それとデジタル音源だと已む無き弱点ではあるが、階段感があって「間が無い」のがとっても不満なんだ。
なまじエレキのアームに慣れてるのも悪いんだろうけど、絶妙表現を付与したくて弄るのは俺だけじゃない筈。

少なくとも奏者には全く階段感が感知出来ない程度に、レゾリューション(効果段階数)を深く出来ないもんかねえ。
鍵盤ではそれ自体でチョーキングやVibratoは掛けられないし、ジョイ・ホイでしか直観的な加減は出来ねんだから。(人は原理的にはデジタル指令だが結果は大抵アナログ動作)

Syntheも登場時と比べたらヲタ専用から誰でもに激変してるんで、ある程度定型化するのは仕方無い。
が国産の国内販売がここ迄低迷したからには、邪道な付加機能で本体だけ強引に売ろうとしてもとうに限界を超えてるよ。

-続く-

2024年7月23日 (火)

音楽備忘録1803 過小評価で忘れられつつある人々㉔

ちょいと気紛れで本題からは逸脱気味か分らんが、さっき久しぶりにある人の作品を聴いてての感想をば。
ある人なんて振っといて毎度お馴染みPaul McCartneyでスマンが、超有名曲の陰に隠れた曲で名演の多いのにさ。

彼のフレージングが柔軟で秀逸なのは周知も周知だろうが、時代が下るにつれアルバム全体にしっかり耳を通す人は減ってるんじゃないかな。
っと思ったのはフェイバリットに挙げて乍ら、一体何処を参考にしたのかなんてのがやたら増えたからなんだ。

或は聴き方より情報収集の問題なのかもだが、wiki等で「読むだけ」だと洩れる処があるんだよ。
今回追吠えしたくなった直接の動機はAnother Dayって曲のBassフレーズで、バロックからの引用が語られるのは良いんだけどさ。

他のと違って単に引用しただけじゃ無い処こそがミソで、それも音色や楽器を代えただけでも無いのがね。
上記前者にはPsychedelic時代の鍵盤に多く、後者はHard Rock時代のGuitarに多かった。

のを具体的に示すとライン自体はバロックにあり勝ちなままなんだが、時々リズムをバウンスさせてるのが凄いんよ。
毎度でちゃんと調べないから定かじゃないが、彼より先に似た様なのがあったとしたら黒人系オンリーだろう。

それも恐らくもう少し短くシンプルだったらで、曲のサビの間ずうっとあんなにするのは今だって珍しいがな。
加えてバウンスのさせ方に一寸工夫があって、他ジャンルを含め他のは大体音階も一緒に動かしてたのを敢えて止めている。

一面でこれこそがRockの真髄で、リズムの面白味を強調すべく不要に音階へ注意が向くのを防ぐ技なんだ。
とか語ってて杜撰君だって今の今迄はロクに気に留めてなくて、恐らくそんな現象が世間への周知の障害になってるんだろうな。

こう云うのって理屈で聴いてたらきっと洩らさないんだろうけど、感性で聴いてないと代わりにアイデアの稀有さが分からなかったりするんだよ。
しかも感性頼みだと無意識で聴いててある日突然おやっとかなるんで、それを唯待ってるんじゃ非効率で参るんだけどね。

だが感性に磨きを掛けるって↑みたいな作業の蓄積と、自身内で各自独自の消化で昇華されないと得られんのどす。
これに有効な聴き方として①飽きたら一旦止める、②暫く経過して飽きた感情が薄れたらもう一度聴いてみるのがお勧めね。

或は評価を全然急がないってのも良策で、少なくとも自身内で満点になってない概知過去作にはその余地があるねん。
他人より先に見つけたらプチ自慢しても良いし、皆に知ってる?って投げかけても良いけどな。

でもそれで慢心しては損で、卑屈になる必要は全くねえが傲慢になったら終いですわ。
杜撰君の殆どのは幼児が親に自慢するみたいな心境を心がけてて、アホなのに気付いたから偉いでしょ程度にしてるんだ。(実際未だ隠し様が無いアホではあるが…😢)

-つづく-

2024年7月22日 (月)

音楽備忘録1802 Rock時代の松田優作③

んだば漸く本題たるサウンドの独自固有性に、具体的に斬り込んで行きやしょう。
杜撰君身勝手設定の彼のRock時代はそんなに長く無かったから、それだけでも自然と共通性は確かにあったんだろうけどさ。

チビクソガキ当時の杜撰君にとって第1はカッコ良さに惹かれたが、当時他ではあまり望めなかったのが大スケール感だ。
視覚的には細身な分余計に長身に映ったのは確かだが、それが俺の中で妙に増強されたのは音楽が原因なんだ。

松田優作で音楽ったらBrass入りのFunkってのは俺でもそう思うが、それだけなら他国の他番組でも類例は幾らでもあった。
太陽にほえろ!は彼のお陰でよりお気に入りにはなったけど、ショーケン時代から見てたしあれはやり石原裕次郎のものな感じでもある。

裕次郎に拮抗こそすれ凌駕する大物不在で惹き込まれたのは俺達の勲章が最初で、これの音楽はCountryテイストでHorn Sectionは殆ど出て来ないんだ。
にも拘らず印象普遍って事ぁ、どうやらそこに鍵があった訳じゃないらしい。

で俎上に上ったのは無駄にパワフルな指弾きされたエレキBassで、恐らくはDuck Dunn→Gordon Edwardsの系譜が源流なんだろうね。
エレキBassの音色で太さ・雄大さを最もアピール可能なのがそんな奏法で、時代追随性としては当時でももう少し古くなった手法だ。

そもそもCountryテイストにゴツイBassってのは一寸変な組合せで、これは間違い無く演奏したトランザムってグループのせいだ。
wikiを眺めるとカテゴライズは一応ロックバンドとしてあるが、「バンド名は米大陸横断鉄道に由来」との記述があるからつまりはCountryじゃなく和製亜流Southern Rockだった訳だ。

因みに初回放送当時杜撰君はまだ小坊だからBassを演るはおろか、Southern Rockの存在自体完全に未認識だったよ。
けれど既に当時時点でやけにBassの音色とフレーズが脳裏に焼き付いてて、イメージ設定の土台と化してたらしい。

彼のRock時代のアルバムではどんな楽器でも一度たりともひ弱なのは無かったが、Bassの逞しさが一寸でも不足するとどうもイメージに合わなくなるんだなぁ。
恐らく原因は彼の声質とのコンビネーションにあると見てて、幾ら繊細に歌ったって到底さだまさしみたいにゃ聴こえん代物だからね。

ので画的にも癖の強い共演者の方が向いてる気がするし、伴奏が良い子過ぎると何だか歌声だけ異質で浮いてる感じを受けるんだ。
特別強い声を上手くサポートするには真っ先に匹敵するBassが必要で、そうしないとアンサンブルの重心が頭でっかちになるだよ。

尚且つ歌手が色んな声色を使うとなると、可能な箇所では動き回ってないと是又フィットしない。
それをどの程度本人が分かってたかは不明だが、彼のNew Wave時代突入迄は実際最も不変な要素だ。

-続く-

2024年7月21日 (日)

音楽備忘録1801 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➍

杜撰大王個人としては今劣化本邦J-POPの自滅は誠に結構だが、この国の人や業界を考えるとそうも言ってられない。
そこで今日は随時頻吠え「音楽は比較芸術」の理念に則って、現状を大いに憂いてやんよ。

いきなり下品で済まんが男の最大派閥にとっちゃ、やはり女の胸は限度こそあれ少しでも大きい方がそそられる。
って何でこんなの持ち出すかったら、我欲は必ずしも表面化しないからだ。

第一印象のウケ狙いで何処もかしこも盛り文化全盛ではあるが、馬鹿の一つ覚えは当然何時迄も通用するもんじゃない。
目鼻立ちをクッキリ見せる・胸を盛る等はもうとっくに飽和状態に陥ってるとなると、次世代戦略を企てて実行するしかないんだよ。

それを上記例で考察するなら、本当に心底男共が濃い顔・デカパイを追求してるかなんだ。
これはオッサン世代か俺固有か分からんが、昭和の昔の同世代女子に貧乳が多かった(命取りの放言になるか💦)からなんだ。

迂闊に格好付けて胸のサイズ不問なんて言うと、全く圏外の洗濯板さんに声掛けられても困る。(そもそもは掛かる前提の発想が男尊女卑思想の重症厨二病なんだが…)
のである意味自衛策で他人に訊かれたら小さいより大きい方がと答えてただけで、胸囲や○カップで答えても全体のバランスで実際は好みから外れたりするしねえ。

中には実寸で求めてるのも居るんだろうけど、こっちの体格も含め現実は物凄く色んなパラメータに支配されとんのよ。
つまり強引に一言に纏めりゃ目・乳デカとなっても、そもそも各自が何を基準にしてるかとかかなり重要な情報が欠落してるんだ。

そして女性で体格が様々っても範囲に限度がある訳で、ある時間で切り取ると最も大柄で目乳デカの唯独り以上のは実在し得ない訳さね。
のが音楽如きとなるともっと狭隘で、音響機器やシステム上の最大音圧は厳密に決まってる。

アナログとか生演奏なら未だしもデジタル化以降絶対最大値は0dBのみで、+0.001dBですら存在が許されんのどす。
故に皆が一斉に0dBに張り付くと、少なくとも音量面では全ての独自性・個性が消失するんすよ。

いやそれだって音圧にはまだピークとアベレージ(平均)がある…のも、マキシマムコンプしちゃえば殆どチャラになるでがんす。
膨大な構成要素がある中で↑たったの1つでこんな有様じゃ、ガラパゴスな画一化は成されても差別化なんて夢の又夢。

っと相変らずのこき下ろし振りだが、何故こんなになっちまったのかの考察は欠かせない。
今でこそ壺の手先や金の亡者に成り下がったにしても、そこに至る原因は必ず何かあった筈だからね。

判明してみりゃ戦後すぐから自民の壺汚染は始まってたけど、アベシ以前は一応演説力なんかでも政権を奪取出来てたんだから。
軍国主義や敗戦のブランク等で後進国だったポピュラー音楽の方でも、1980年頃には一旦は海外に追付けてたんだぜ。

=つづく=

2024年7月20日 (土)

音楽備忘録1800 楽器業界の行く末⑩

電子楽器の続きで主にデジタルのの、アナログ出力部の件をもう少し掘っときまひょ。
現行一般流通部品の具合等様々な制約もあるんで、そう単純に批難ばかりはしてられないんだけどね。

先ず降り掛かってるのがHammond本家やEffectorレベルでのVOX等を除き、真空管って選択肢がとても困難な事だ。
決して過去の全てでは無いにしろ、作品として完成する迄に真空管を経由してる可能性は意外と高かった。

ガチの業務用録音関係機器って世間が想像する程新しいのは少なくって、物に依っちゃ恐ろしく古いのが平気で紛れ込んでんだ。
これ自体は過去に何度も書いたからそっちを読んで貰うとして、結果的にかなり時間軸でもハイブリッドになってたのが多いんだ。

杜撰大王は世代的に石が初めて主役になった最初の方だったから、真実を知る迄は少なくとも’70年代に入ってからの名作品はMicや電気楽器以外は全て最新の石で賄われてると思ってたよ。
それが音楽と音響の業界内部に参加して時間と経験が積もるにつれ、少なくとも自分の求める音の根源には球の存在があるのを悟らされた。

ほんでその発展形として同じ石でも集積素子とディスクリート構成の功罪が見えて来て、楽器の様に音響性能も然る事乍ら鮮度が重要な箇所には集積タイプはあまり合ってないのを思い知ったんだ。
毎回クドくて済まないがその原因は負帰還って回路方式で、音響的には有利でも音楽的には使う程鮮度面ではどうにも不利なのよ。

具体例としてエレキには未だにハイインピーダンスや球が残ってて、これって1950年代以前のスタンダードなんだぜ。
だから実際’60年代以降ローインピーダンスのPUや、石の回路も研究されてるし色々意欲的なのも沢山作られてんだ。

が結果がどうしても皆が抱く典型的なエレキサウンドにならなかったから、時代錯誤で非効率と分かってても球を重用したり残したりしてるんよ。
それと比べたら程度は大部軽いんだけど、楽器側に求められる鮮度を確保するにはディスクリート位が分水嶺なんすわ。

っつうのも録音・音響機器側では鮮度は高いに越した事ぁねえが、それ以外の部分が大巾に変容する方がもっと不味いかんね。
ので主流タイプではサウンドメイキングより何も弄らん方を重視せざるを得ず、例え幾ら加工して構わなくても基本は「出来上がった音」を録る方へ比重を置いてんだ。

で録音がまだアナログテープもデフォの頃迄は本件の悪影響が出難かったんだけど、今ではほぼ真逆だかんね。
前回述操作性に加え↑でもとんだ方向音痴ぶりばかりで、それが今日の国産Syntheラインナップにも伺えるん。

作曲家向けだのLive向けだのと位置付け乍らその実大差が無く、どちらも汎用性が高いと言えば聞こえは良いがハッキリ言って半端でんがな。
高級で限界の高いシーケンス機能が欲しきゃSyntheが多少背伸びした処で、所詮PCには敵わない。

飽く迄私感ではあるがそんならシーケンスはおまけ程度で良いから、即興性にもっと特化してくれると有難いんだ。
例えばEQじゃなく、全音色の特定帯域を一括で増減(量より質感等)可能なのとかさ。

-続く-

2024年7月19日 (金)

音楽備忘録1799 過小評価で忘れられつつある人々㉓

変って第3のパターンオリジナルとカバーの優劣を、論じる迄も無いものを取り上げて見ようか。
その多くはスタンダードナンバーとなって、今後もカバーバージョンが増加の可能性のある曲ざんす。

鉄板の定番ともなると最早カバーの意識が薄れ、最悪は絶好のネタを与えてくれた元祖への感謝すら忘れちまったりする。
そうなっちゃ困るけれど、一面でその位気楽に演れるのには一般的なカバーには無い長所もあるんだ。

曲や原作者をとても尊敬するは良いがそれ故過度の緊張をしたり、やたら遠慮が出たりしたら自由な独自の調理法が阻害される事もある。
扱いが上手く行ってるのの代表
としてTrain Kept a Rollin’で例示すると、Tiny Bradshawは1951年のJump Bluesとしてこの曲は初めて世に出ている。

その後Johnny Burnette and the Rock and Roll Trioの1956年のでRockabilly迄は来たが、その段階ではとても後年スタンダードとなる程と俺には思えなかった。
っつうのも既にグループ名にRock ’N’ Rollと入っては居るが、現代の広義のと当時のは別物なのだ。

それはまだ○○Rockと呼ばれるバリエーション等全く出揃って無かったからで、今の感覚だとRock固有のよりルーツの要素の方が多い様にも受け止められる。
のが1965年にThe Yardbirdsが欧米の分類ではPsychedelic Blues Rockとした処から俄然広範な親和性が出て来た。

尚且つそれを強化したのは奴等歌詞違いのStroll Onって別バージョンを出してて、個人的にはこっちの方がドストライクだねえ。
この時点で今でも通用するRockネタとなり、その内後者のはJimmy Pageが加わったからか既にHard Rockの兆しさえ見えていた。

基本的要素としてはそれで足りてたんだがその後Van Halen等の強烈な歪みも聴き慣れてると、↑バージョンは歪みの質や音色の相違から必ずしもHardとは認識されないかも知れない。(私感ではMetalの要素が希薄)
のを完全に定着させたのがAerosmithで、彼等のバージョンでHard Rockのスタンダードネタとしても充分使える証明が為された。

因みに杜撰君の少年期の身内界隈では夫々のBestが微妙に違ったりしてたんで、各バージョンから好きな箇所を取出して再構築したみたいな状況になってたよ。
又その時期にはVocal専業の人がたまたま不在だったんで、アドリブ用インストのたたき台として利用させて貰う事が多かった。

歌があると歌詞があり、普通はそれが全編終れば曲もそんなに長くは続け難い。(全く同じのを延々繰返すのは辛い)
が最初から無しにしちまえばその縛りから解放されるんで、誰かがバテるか完全に飽きる迄は続けられるメリットがあったん。

っと言っても意識してそうしてた訳でも無く、唯重症中二病患者が集ったらそんなになっちまっただけだけどね。
他の人が何処迄自由な素材として扱ってたかは知らないが、私的に楽しむ分には著作権に一切底触しないんだよ。

けれどネタ元が塩みたいに殆ど何にでも使えるのじゃないと、幾らさあご自由にと言われた処でそう簡単には使い回しみたいな真似は出来ないでしょ。
のでやはり目的次第で適性はある様で、必ずしも稀代の大ヒット作ばかりがこの手のに適合するとは限らないのが特異な点じゃないかな。

=つづく=

2024年7月18日 (木)

音楽備忘録1798 Rock時代の松田優作②

ブログに書く必然性でも無いとちゃんと調べないのは、杜撰大王毎度の悪癖だがやはりの感慨は一層強化されただよん。
大元は彼固有では無く多分時代の影響が大きかったんだろうが、当時のスター俳優は今からすれば随分音楽にも真剣に取り組む者が多かったよ。

っつうか更にその発端は昔のエンタメ現場にありそうで、国内TVも黎明期から暫くは芝居も音もそれ以外全てが基本的に全部リアルタイムの「生」でしか出来なかったん。
それ+国内Bigband Jazzの衰退と共にミュージシャンに余剰が発生した為、経歴的に音楽家出身の役者やタレントが当時は珍しくも何ともなかったんだ。

それでいて「常時生で完遂可能な人」となるとグッと絞られたからか、案外業界の世間は狭かったのだ。
そんな処から結構同じチームで色々賄うケースが増え、その上彼は初期の頃から音楽と役者の二刀流の仲間が多かったらしい。

その一端としてデビュー前の文学座研究生の同期にあの阿川泰子女史が居た程で、余談だが女史の方はとっくにJazz歌手だったのに何故か芝居に手を出したが役者デビュー後割とすぐに挫折ってる。💦
わ兎も角そんなだから自身のアルバム当初からかなりイニシアチブを取ってたみたいだけど、最初の2作はゴージャスだが音的内容としては凡庸と言わざるを得ない。

一面で今のJ-POPと似てて歌詞とコンセプトはかなり凝ってるんだが、ヲタ氏にゃ悪いが音の印象と彼のキャラクターが今一バラバラな感じ。
私感と念押しした上で改善の兆しの見えたのが3作目TOUCHで、この前年から始まった映画金狼シリーズからSHŌGUNのメンバーと出逢って何か感じる処でもあったのかな。

そしてRock路線では完結編とでも言うべき4作目HARDEST DAYで、当時アクションスターだったイメージと音楽がガッチリシンクロした。
この2作と同時進行の名作探偵物語とヨコハマBJブルースにはトータルでの独自の世界観が明確に打ち出されてて、特に探偵物語は彼が親しい仲間だけを集めて本音でやりたい放題をした代物だ。

その後私的には残念乍ら1作だけNew Waveに挑戦した後、再度言葉に頼ったReggaeへ行っちまって2度と帰って来ないでやんの。
まあ役者としてアクションだけじゃってのと同じく音楽もRock系だけじゃと思ったんだろうけど、我儘リスナーとしてはそっち系ならもっと似合う人が居るのを知ってたからねえ。

処で所詮歌は役者業が多忙なのもあってか下手ウマタイプだったが、それだけにしちゃ妙にシャウトは上手いしSoulがこもってたんだ。
不確実情報だが一説に依れば役者デビュー以前に横浜のLive House界隈で彼は歌ってたらしく、その時に4作目で一緒に演ったクリエイションと親交が始まったそうだ。

これは後付け妄想の伝説かも知れないが、火のない所に煙は立たずで以前から歌ならBlues系だったのかねえ。
もしそうだったとしたら、何となく合点が行くわいな。

=続く=

2024年7月17日 (水)

音楽備忘録1797 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➌

より良い音楽を普段聴きしてないと感性の鈍る恐れがあるのは事実で、持論としては聴取許容水準とか究極判定に影響が強い様なんだ。
売れる儲かる事に関しちゃ全く運が無かったとの自覚がある反面、本当に幸運な出逢いだったが自然と水準が維持される様な音楽人生に杜撰大王はなったらしい。

って物の本質が分かっても殆ど生活には活かせないんだからその点で価値が無いが、元が全く偶然なだけに今更無理して迄変える気にはなれねんだ。
まあこれは人夫々なんでどんな道を誰が歩もうと構わないが、今の主流では簡単に楽しみが見つかる反面心の底から楽しめるのが無くなるのは確かなんじゃないかな。

そうして大して楽しめなくなって行くと音楽自体の興味が薄れ、終いにゃ自分で持ってた玩具を1つ失う様な事になっちゃうんだ。
自然と他へ興味が移って死ぬ迄に戻る暇が無かったなら、あまり損しないかも知れんがね。

とは言え唯指を咥えて立派な老害に成り下がるのもしゃくだったから、加齢を実感し始めた当初は杜撰君でもそれなりの葛藤はあったのよ。
もし近年J-POPに良い処が皆無だったらどうって事ぁねえが、少しでもあったらそれを逃したくないし分からず屋にもなりたくないしさ。

で取敢えず好みを度外視して耳を傾けてみると、歌詞の文学的な面では昔のより格段に優れてると思ったし一部のアイデアは秀逸だと感じられたよ。
けれど音響的にも格段にレベルが上がってる筈なのに、どうにも音がつまらなくて残念で聴き続けられないんだよ。

高音質って本来俺の好物なのに、ショボくても昔の方のが色褪せないのには確固たる理由がある。
のが奏者の音色へのパーソナリティの反映と機械だけじゃ出せそうにない処で、それに対し今劣化本邦のJ-POPの音には言うなればアイデンティティの欠損があるんだ。

誰が演っても明確な違いが見いだせないと同時に、曲個別への最適化の詰めが全然甘いんだよ。
もしかしたら視覚と歌詞の個性を強調したくてわざと音の個性を殺してるのも居るか知らんが、文学に疎い俺でも長く生きて来ると興味深い言い回し等にはそれなりの蓄積がある。

そのデータベースからすれば音楽に縛られてない方が秀逸なのが多かったしで、要はPopsの歌詞如きで直木賞作家とかに対抗するなんてどだい無理があるんじゃね。
寧ろ歌詞の現実的な敵としては短いエッセイとかコピーライトの方と感じてて、文章の不足分を音で補填出来てるのじゃないとねえ。

控え目に言ったとしてもこんなに今音楽業界全体が低調な時に、わざわざ文系オンリー向けにするのは利口じゃない。
って言うと今流行のサウンドにすると音で幾らも何も出来ないから…、と感じたなら今流行のサウンドに致命的欠陥があったのを真摯に認めるしかないんだよ。

既に5~10年前の時点で平均高音圧化は飽和しちまってんのに、幾ら何でも変える勇気が無さ過ぎなんじゃない?。
一部ヲタが余興で打込みの土俵で、人力で対抗を挑戦するだけなら良いんだがね。

-続-

2024年7月16日 (火)

音楽備忘録1796 楽器業界の行く末⑨

続いてはかつては日本が大得意だった筈の電子楽器と参るが、こっちは折角築いた牙城をここ10年で放棄同然にした件ざんす。
駄目になったってったって現況ではまだ、VOCALOID関係ではリードを保っちゃいるけどさ。

だが使用開始時点で既にプロになってた人達には、↑はあんまり受容れられてねんじゃねっと。
杜撰君自身も音色その他の癖が障害となり、興味は大昔から大いにあったが未だ選外なんだ。

毎度の私感に過ぎんがSynthe関係だと、YAMAHA DX-7が出て暫くの間位が国産のピークだった気がするんだ。
音的な進化はサンプリングの俺言い不始末で停滞を招き、その後軽量化や価格低下は良かったがシーケンス機能に全振りした挙句↑の頃の気楽に買えない価格に戻しやがってけつからに。

まあ少し考えてみりゃSyntheの制御部を高度化させると、それはもうPCとほぼ一緒になるからそれでってのは分からんくも無いんだけどな。
けどそこはやっぱ餅は餅屋、ノートPCをステージに持込んじまった方が上等でんがな。

中身は半分以上共通になったとしても、もっと生演奏に特化させなきゃちっとも便利じゃねえっつうの。
チト大袈裟に言やある意味でヲタの生態を舐めて誤認したとも思え、引き籠りに縁遠いオッサン達で勝手に想像したからなんじゃないのかな。

そうしてグズグズしてる内に業務用スタンダードは、スッカリClavia Nordシリーズに持って行かれやんの。
あぁ情けないったら情けない、ジョイスティック・リボンコントローラ・ブレスコントローラ…等々折角有効なのを開発したのに醸成を放棄したってか。

それと他楽器以上に技術上の制約からより高音質化を狙えば、何処の誰が作ろうと似たり寄ったりな音色になるのは仕方無いんだけどね。
しかしかかぁし、音楽で利用する以上は音色にだってなるべく独自性が必要なんすよ。

少なくとももっと明確な独自サウンドを作れる必要があり、特定の奏者なら手に負える欠点は大歓迎にしなきゃさ。
杜撰君自身理想としては広帯域で明瞭でいて柔らかく…なんて無理な夢に近付きたいと願っちゃいるが、特定の楽曲や特定のアンサンブル内でそんな風に聴こえりゃ良いだけなんだ。

寧ろ楽器単体で幾ら良い音色にした処で、周りから妨害(誰かさんの異常時以外悪意は無い)を常に加味しとかなきゃしゃーねーえんだ。
そのカギを握ってるのが意外にも出力のアナログ回路とAD/DA(デジタルの場合)の出来栄えで、従兄所持のYAMAHA DX-7とかなり後の世代のV50を比較すると俺言い「作り込みの差」が感じられた。(DXの方が上等)

但し生耳で明確だった差が、今のデジタル録音では殆ど分からなくなったがね。
とは言え生耳でこれ位違うと、生演奏のアンサンブル内では聴き取り易さに影響必至だ。

で作り込み等と表現してるのは使用半導体は恐らく後者の方が進化してるのに、それが活かし切れてないか選択が不適切なんだろう。
今時デジタル物はデジタル部へ心血を注ぐのが正道っても、結局人耳に聴こえる様にする箇所の最後はまだアナログだから何とも勿体無いよねえ。

-続く-

2024年7月15日 (月)

音楽備忘録1795 過小評価で忘れられつつある人々㉒

飽く迄私感だが前回は隠れたオリジナルの方が良かったを取上げたが、続いて今日はオリジナルをカバーが凌駕してるかものを提示してみませう。
その手のには幾つか共通の懸案事項があると思うんで、先ずはそれからだうぞ。

1.時代色が強過ぎた
特定ジャンルとかアンサンブルスタイルが流行ってるとその時代ではその要素が中和されるが、他の時期に聴くと曲自体よりそっちばっか耳に目立って敬遠される可能性がある。
要するに巷で流れる多くがMamboだったら普通なんで大して気にならなかったのが、今劣化本邦で突然アイドルが演ったりしたら良くも悪くも目立つでしょっと。

加えて時代次第で音楽の一番興味の湧く箇所が異なったりしてて、今劣邦だと皆やたら歌詞に偏っててインスト物だとロクに相手にもして貰えんかったり。
或は強弱の落差が広大な録音になってっと通勤・通学時とかにインナーイヤーで極小音量では聴き辛いから、低頻度になる内何時しか忘れちまうとかさ。

2.相手を選ばず評価を得るには何かが少し不足してた
職業作曲家で仕事を一切選ばない人とかは別として、音楽スタイルその他に皆好き嫌いを持ってるのは普通で自然な事。
忌避した場合は1.の方に該当するが、興味が持てなくてちゃんとは耳を傾けないケースがこっちに価する。

例えばBassがタコなせいでどうしてもそっちが気になって、メロその他を聴こうにも邪魔で仕方無いとかさ。
或は曲のポテンシャルが実は評価に足りてても、それをアンサンブルや奏力のせいで充分発揮出来てなかったとかね。

これ要するにしっかり火を通さんとイカン料理を生焼けでお客に出しちゃう様なもんで、原作者が素材に対する興味が強過ぎた場合等に起こり易い。
昔のFrench PopsにFrancoise HardyのComment te dire adieu?っつうのがあるが、これは新たな編曲の他歌詞が改作されたもの。

その付加価値の追加如何で幼少時の杜撰君にとっちゃ、ハートを射抜かれるか否かの差が出たんだ。
これが1と2の両方に該当してる思しき凡例で、2だけの方のは稀代のメロディメーカNeil Sedakaに2曲想い出される。

のがLove Will Keep Us TogetheとLonely Night(Angel Face)で、Neil Sedaka自体は概知だったが、Captain & Tennilleのカバー登場迄はノーチェックだったよ。
どちらももし仏語・英語に堪能だったらどうか分からんが、俺には少々大袈裟でも曲想や歌詞を体現した編曲がカバーでなされなきゃピンと来なかったな。

今劣化本邦では寧ろこれの逆現象が起きてそうで、現代人の気を惹くワードの1つも入ってないと埋もれてそうだね。
歌詞を尊重するのは悪かないが紛いなりにもPopsですからねえ、どれもが「BGM付きの朗読」みたいになるのはどうかと思うのさ。

それじゃあ文系の人には良くても理系の奴には聴くな同然だし、だいいち言葉だけで表現し切れるなら音なんて無くてもエエやんか。
歌があって歌詞で訴えられるからって音楽なら、寧ろ音だけでも表現出来なきゃ嘘なんじゃないのの上記は1つの典型でんがな

-つづく-

2024年7月14日 (日)

音楽備忘録1794 Rock時代の松田優作①

証拠皆無なタイトルな上完全な憶測で語ろうとするのは無謀だが、イメージ作りとしての音楽の効果について考えて欲しくてぶち上げましてん。
ある程度意図してたのか全くの偶然かさえ知らないんだけど、少なくとも杜撰大王には絶大な効果と影響があったでがんす。

近年はTV地上波のドラマなんかじゃ内容との関連性が、これでもかって位シカトされちゃってるのもあるけどさ。
かつてTV・映画・ビデオ~DVD黎明期位迄は画質・音質に多くを望めなかったのもあってか、作品に使われる音楽は「内容」に皆かなり神経を尖らせてたん。

中でも微妙な心理や素早いアクションシーンなんかでそれは顕著で、折角役者が頑張ってもそれが全部映像には記録出来なかったからねえ。
ので例えささやかであったとしても、音楽や効果音等でアシストしなきゃどうにもならなかったんだ。

その中には実音とはかなり違うにも拘らず今では一般認識となったのもあり、拳銃の発射音等が典型ですわ。
因みに杜撰君は実銃のは訊いた事が無いけど一寸パワフルな火薬発火式モデルガンを小学高学年時に持ってたから、ありゃ嘘だったのかは比較的早く知りはしたんだけどさ。(ドギュゥン:×・パン若しくはパ:○)

昔の画にはモノホンでも著しく劣化した音よりゃマシとも思えたんで、珍しく!?ツッコミを入れる気にはならなかったよ。
さて又してもかなり側道に入ったが、効果音には一家言あるので敢えてそのまま続けよう。

典型と思しきは柳行李(やなぎごうり:竹等で編んだ直方体の被せ蓋の容器)と大豆か小豆ででっち上げた「波の音」で、先ず当時の収音レベルでは偽物の方が格段に近かったんだ。
が今でも忘れちゃならないのが収録現場での周辺雑音で、完全に人里離れた浜辺でさえ虫や動物等の声を完全排除するのが超困難だ。

観客が現場に居て主人公だったら毎度お馴染み「人耳の弁別能」で、自動ノイズキャンセリングが発動してくれっけどそうは行かないからねえ。
雑音除去だけなら今はAIデジタルプロセスで退治出来る様にはなったが、ハイこのタイミングでザッパーンなんてのがやっぱりとっても難しい。

のがそれに加えて超絶職人+↑偽物だとセリフの箇所だけ人力加減で波の音を少し抑えるなんてのも可能で、このレベルになると今のどんな高性能な機器を使うよりまだ不自然感が出ないで済むんだ。
その根底には人の記憶の印象と現実にはギャップがあるからで、こっちが大巾に変わらない限り偽物の方が本物っぽいって現象は駆逐出来んのだす。

お後が宜しい処で松田優作の映像作品には他の共演者の人的関係から、太陽にほえろ!の時点(井上堯之バンド:録音時はPYG名義)でそれっぽいのが使われてはいた。
んがこの時点での役者個人名義でのレコードは半アイドル扱いだったからかこっちからしたら、全然不似合なショボい歌謡曲みたいなので本人としても黒歴史だったのか今では中々ググっても出て来やしない。

のが次作の主演の俺達の勲章で、どうやら何かキッカケを掴んだらしいんだ。
って飽く迄邪推だけど、以降暫くは彼のアクション物に関係する音楽全部に共通する特徴が続いてるんだよ。

-続く-

2024年7月13日 (土)

音楽備忘録1793 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➋

この件は今迄にも再三言及したけれど、まだ語れてない部分を中心に進めてま。
っつう訳で根底原因は重複してても、別にもある副作用を掘り進めたいどす。

だば早速前回の続きを続けるが、バランスの不適切には無限のリスクがあるんだなぁ。
単純に強調したいのが引っ込んで隠し味が前面になんてもあるが、それより最近とみに深刻と思しきが演奏内容なのだ。

例えばDrumのゴーストノート、厳密にはどんなにハードコンプしたりしても音色に差が残る筈。
なんだがそのあまり大きくは無い差が認知出来るのは周りが煩くない場合限定で、やっと聴き取れる位になると鳴らしたか鳴らしてないか位しかよく
分からなくなってまう。

そう云う事が普段から頻繁に起きる様になると、心理的にホントは最適解だったのに効果が弱体化させられるヤツは段々使わなくなるのさ。
恐らくそうこうした結果が「伴奏のつまらなさ」になってるみたいで、画一化を誇るならもう打込みの方が気楽に聴けるんすよ。

俺だけか知らんが単調でも機械のならそう云う機種なのかもで済んじゃったりするのが、つい人が演ってると次はどんなの仕掛けて来るのかと期待して裏切られた気分にさ。
コレ見方次第じゃ老害と思われても仕方無いが、不幸にして面白いのもあったのを知らない側にホントは罪があるんだよ。

ので若害もあるんだと吠えたい処だが、真の原因は若者にそんなのを充分知らせ与えなかった俺言い中害のせいだ。
又も変語を編み出してるが、現役バリバリで社会の現場を牛耳ってるのは圧倒的に中年だからね。

この壺由来の分断工作が功名なのは、対比し易く正反対な老と若をターゲットにして悪目立ちさせた事。
引退寸前の年寄りが我儘言い出したら当座は表面上こそ従ったフリするだろうけど、引退した途端に後は野となれ山となれだ。

未成年が幾ら騒ぎ出したって決定権を持ってないから、これも表面上なだめてやり過ごすのも可能。
でその裏で実際に社会を動かしてるのは中害なんだが、お勤めご苦労さんなんだからつべこべ言うなってな。

ほいで更に中害が厄介なのが世代差が老と比べりゃ極大では無い処で、二枚舌で夫々を相手にした時に表面上だけ理解は出来るなんてほざきやがる。
とちょいと横道エキサイトしちまったがどうしても演りたい事があったなら、本来は中害の誤指示になんか従っちゃいけなかったんだよ。

こないだ論争になった「セクシー田中さん」の件にしても、根源は論理的優先順位に抗う矛盾があるんだよ。
例えどんなチンケなのだろうとストーリーが無きゃ脚本は書けず、出発点を無くせば到底終点になんか到底辿り着けないのにね。

音楽でもメロが無きゃせいぜい唯吠えるだけ、歌詞が無きゃスキャットにするので精一杯だ。
だからどんなに横柄な年寄りだろうとクソ生意気な若造だろうと元来「不可侵領域」で、中害が横槍を入れて良いのは提言止まりなんだよ。

=続=

2024年7月12日 (金)

音楽備忘録1792 楽器業界の行く末⑧

今度はGuitar・Bass等に比べ一小個人では製作困難な、Drumに焦点を当てて行こう。
国産楽器としてはPiano系の次に、世界での実績に一応の結果を残しては居るんだがね。

販売って点では確実にシェアを獲得したが、音に関して杜撰大王的には未だ歴史では海外に劣るしどうも感心しない。
’70年代で技術的にはほぼ追い付き、販量や知名度では’80年代に確立は出来たんだけどさ。

元々好み的にフェイバリットじゃなかったにしても、今になってみると○○サウンドの印象がとっても薄くて幾らも残ってないんだ。
そこでどうしてそんな事になったか考えてみると、音に兆しのあった頃は技術的稚拙が折角それが解消したら実用になる個性や独自性が損なわれた様なんだよ。

その証拠となるのが今は従兄宅へ出戻った、’70年代中期頃のPearlの最廉価モデルのセットだ。
過去述の通り従兄のファーストセットで彼が次へ移行した際譲受した物で、当初は活動拠点が従兄宅だけだったのがウチにも拡大したんで宅へ持込んだんだ。

その頃俺は殆ど叩けなく叩かなかったから2代目の感触はまだよく分からなかったが、録音に残った結果に依れば初代の方が従兄には名演が多かったんだ。
サイズが俺の好みでは初代20inch・2代目22inchだから、それからしたら従兄にだってジャンル的に後者の方が合った筈なんだけどね。

2代目はTAMAのImperial Star初期モデルで、折角標準サイズになったのに私的にはローエンドと中低域の拡充が得られなかったんだ。
その点を除けば歴代TAMAの中では音色が最も柔らかい口で、汎用性では秀でてるかも知れないんだけどさ。

かつては柔らかさが売りだったPearl、レンジが狭目なのと併せ埋もれ易くなったのを嫌ったか何時しかカチンコチンに。
TAMAとYAMAHAは元々硬質路線だったが、未だSONORやDWみたいな音色独自性を確立出来ず。

っと散々な評価になるのも作品録音の結果比較があるからで、かつてには「アッ○○だ」と分かるのがそこそこあったからなんだ。
楽器のみならず録音では録り方や機器の流行の影響も少なくないが、1980年前後の作品ではそれと分かる典型的なサウンドになってるのがあったのよ。

Toto等でのJeff Porcaro(Pearl)・Jeff Beck等でのSimon Phillips(TAMA)、YAMAHAのSteve Goddは業界様仕様で普通のとは違うから微妙だけどさ。
でもYAMAHA業界様仕様にしたってその後に比肩する様なのは出現してない訳で、要は音色を「八方美人」の方向へばかり進めたのが原因なんじゃないかな。

拙ブログでは随時頻吠えの如く、何とか「手に負える欠点は容認」する勇気がねえ。
唯ひたすらに欠点・弱点の駆逐を追求すれば、何れは長所・独自性・個性を阻害するのは目に見えとん。

更にクドく吠えるが幾ら欠点が許容範囲内に収まっても、非生活必需品にはどうしても買いたくなる魅力の方が先に必要ずら。
既に楽器や音楽を演ってる人ばかりじゃなく、あまりにも音に惚れちゃったから今から買って叩いてみようって位じゃないとね。

だってその位を目指さないと「楽器主導で音楽人口を増やす」≒更なる量販は、目指せないやんか。
過去の海外ブランドって↑の意味も含めて、市場拡大をしてたんだよ。

-続く-

2024年7月11日 (木)

音楽備忘録1791 過小評価で忘れられつつある人々㉑

ほんだら毎度恒例で話しの流れから、「曲のバージョン」を今回からのテーマに定め進めてこう。
ネタはそこそこあるんだが思い出すのに時間が掛かりそうだから、最初は杜撰大王にとっての最新情報から行っときま。

今回の生贄は曲より数年先に話題になった映画にインスパイアされたヤツで、珍しく原題と邦題が完全同一の「愛のコリーダ」ざんす。
この曲の件を知るのが遅くなったのは杜撰大王ならではでもあろうが、盛大にヒットしたカバーと当時時点で少なくとも日本じゃほぼ売れなかったオリジナルと公開タイムラグが短かった(約1年)のもあったに違い無い。

曲を作り弾いて出したのはChaz Jankelっつう人だそうで、つい最近迄アタシャてっきりQuincy Jones自身の作かそれ用に作ったのだと思ってましたわ。
先ずタイムラグの件は↑の御仁名義では処女作且つ本国であまり話題になってなかったらしく、そうなると当時日本の発売元は予算を掛けて迄宣伝しなかったからねえ。

今よりゃ一部で活況を呈してたっても所詮洋楽のマーケットは小規模で、今ならBeatles好きの爺婆も居て何の不思議も無いが当時は基本的に一部若年層向けだったし。
するってぇと仮に何かのキッカケで浮上し出しても、ネットとか無いから浸透してくのにやたら時間が掛かったんだよ。

のでもしかしたら例えば関西とか一部ローカルでは知られた存在だったとしても1年以下じゃこっち迄届かんし、一方でQuincy Jonesのは出た途端に毎日ラジオからガンガン流れてたからさ。
更に次の件が最大原因の気がするんだが、当該曲はガチのDiscoナンバーなんで黒人が演ってそうだったん。

ってかさっき調べる迄原版のは別人でも黒人だろうと思ってたのに殆どが白人で、しかも分かる限りでは作詞とTrumpet以外皆英国人だったからおったまげーだわさ。
確かに考えてもみりゃ米とか黒かぶれの英人ってもっと昔から居はしたんだけど、Bassのスラップはせいぜいプルの方だけばかりだったさね。

それが当該曲ではサムピング主体で、尚且つLarry Grahamばりのごっついオールドスタイルなんだよ。
海溝迄掘り下げて考察すれば真実の意外パターンも少しはあったんだけど、白さ英らしさが微塵も無いと来たもんだ。

さて文句無しのレジェンドで巷ウケでは圧勝のQuincyだが、当該曲のオリジナルを聴いちまうとそっちの方が少なくとも俺には完勝だったんだ。
私感としてQuincyはIronsideの頃は勢いも良かったんだが、その後はどんどん大人しくなったってぇか小奇麗なだけになってった感じがしてねえ。

これ大元のネタが阿部定事件な上映画は一応ポルノだったんだから、本当は止められない衝動感みたいなのに欠けてたらおかしかったんだ。
日仏合作名義で折角ノーモザイクで撮ったのに、こっちじゃ一大騒動を経て大量に修正とカットされて公開されたいわく付きの代物でごぜーましてなぁ。

そうしてみるとバージョン違いが「愛の」は日本語だからQuincyのは差し詰め映画の処理後版、Chaz Jankelのがスケベオヤジには一択の原版って位の差がありましてん。
政治的意図も疑う程の商業上の都合があったか知らんが、このままじゃ
2次元の女でしかイケない坊やばかり生みそうで恐。

=つづく=

2024年7月10日 (水)

音楽備忘録1790 杜撰流不景気対策⓮

従兄だけ何時も生贄になって貰うのも流石に気が引けて来たんで、1回間が空いたが杜撰大王のこの方面での失敗も晒とこう。
珍しく躊躇してたのは種類があらゆる分野に及んでるのと、それでいて時期的には若かりし頃程集中してたからなんだ。

今ようやっと思い出したのが齢15での「最初のエレキBass」で、体格と趣味性からヴァイオリンBassの最安の真っ赤な偽物をそそくさと買っちまった。
このタイプは元々小型のセミアコなのでAmpのアシスト不足だと低音が足りなくなるが、それにしてもどうにもBassらしい音が出せなかったねえ。

購入から半年位でBass Boosterを追加購入してみたんだが、ローエンドは元が全然出てないから少し肥満化しただけでオワコンですわ。
結局2年と持たず学友に転売して、高校時代迄の失敗購入は全数そんな方法で処分しただよ。

無知で未体験な処からしたら必ずしも失敗認定は出来ないんだけど、音楽的に成長したら玩具としてでも練習用としてでも全く役立たなくなったのが従兄より致命的だったん。
セミアコってばエレキGuitarの方でも同じ失敗をしちゃってて、こっちはネックとボディのジョイント位置でアカンくなった。

当該器はGretsch Country Gentleman、のGrecoのコピーモデルで出来栄えは結構良かったんだ。
がなまじ忠実にコピーされてたのが災いして、一般的な335タイプみたいなハイポジションアクセスが不能だったのよ。

ボディがセミアコにしちゃ厚い上、流石に15フレットで結合となりゃこれぞホンマの「手が回らん」でんがな。
俺がJazz系なら良かったが、一番やりたいのがRockでそれじゃどうにも無理でやんした。

因みに最初からジャンルは厭わない主義だったけど、それだからこそ応用・転用の利かない楽器は自分には不向きだったんだな。
Beatlesに強烈に感化されてたにしても、もう少し汎用性を考えられてたらどうなってたのかな。

実際Bass弐号機の偽リッケンは今でこそモノホン借用中だからずっとほったらかしてるが、未だに手放しては居ない。
その後偽Gretschと偽リッケン等の後、幸運にもヘッド折れ修理品だがGibson SGを格安で入手出来たのが色んな懸案での転機なったみたい。

新らしい方でVan Halen自作のゼブラ君位の迄のは、本物と偽物で一番の違いは私体験では「守備範囲」。
音質・音色・各種奏法対応力等々、限界はあるにしても実用領域が大部違ったんだ。

逆に偽物でも概述偽リッケンみたいにローエンドでも出来の良いのだと、価格程の差は無いのもあった。
それからするともし偽物で凌ぐなら本物入手の時点で第1の楽器は人生が終るんで、代用品はなるべく安く上げとくのが資金貯蓄にも繋がって良い。

好景気だったら失敗も勉強代とか呑気に言ってられるかも知れんが、やはり無駄な投資をなるべく少なくするのが倹約の鉄則ですわ。
強いて例外があるとすりゃ貰い物だが、それとてメンテ費用はゼロにはならないかんね。

=おわり=

2024年7月 9日 (火)

音楽備忘録1789 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➊

杜撰大王の今劣化本邦J-POP嫌いはガチだけど、一般世間に向けては滅多に理解は得られないんで普段は齢だからと煙に巻いている。
けれどもしあなたが聴く耳を持ってくれるなら、確たる原因があるのだ。

その中から今回は「無駄な苛烈サウンド」を取上げるが、恐らくその原因に打込みがあるんじゃないかな。
1に生演奏に対し圧倒的に不利なのが生のみが持つ熱量で、それがあると並の音色でも逞しく聴こえたりする。

2に必ずしも全員ではないが打込み手にはリアルの合奏体験が無いか不十分なせいで、皆で合わせると個別単体でひ弱でもその弱点を消せる事があるのを知らない。(残念乍ら現況の音源では音色面で生リアルに再現・追従困難)
ってそんな人を卑下する気は微塵も無いが、体験の学びが少ないからにはもっと知識で補わないのがイカンのよ。

打込みのみで有効な技を安易に生リアルに導入したか、はたまた妙な対抗意識を持ったか。
知らんけど録音での収音方法の不適切も加わって、不毛な無い物ねだりに陥っとん。

ここで「足りてる音楽」って仮説を設定してみれば、好みや才能以前に何か要素不足があったら不味くなるんだ。
又この不足には余剰も含まれてて、足りないと困るからって肥大化させると新たな欠点を生んじゃうんだけどな。

わ一旦置いといてもっと幾らでも盛上げたい心情こそ分かるが、闇雲に平均音圧上げに走り出したら終りの無い闘争に没入しちまうんだよ。
更に諸懸案の中からミスマッチについてひとくさり、今時はミスマッチにすら市民権が与えられる様になった事自体は悪くない。

例として大型ダンプのタイヤを履かせた軽トラを、生贄にして考察してみよう。
先ず可能かどうかについては逆だったら普通は無理で、軽のタイヤでは大型車の重量に耐えられず破裂しちまう。

そりゃ異常にタイヤ本数を増やせば別だけど、ノーマル時と容姿が変わるから明らかに摩改造したのがバレてまう。
のがタイヤヘヴィーだったら傍目にはせいぜい車軸を延長した程度と映るから、改造と名乗る程の改造はしないで済むかの様な印象かも知れない。

もし走らせないならそれで持つだろうけど、車軸を延長するとサスペンションに掛かる応力が増加しちまうんだわ。
ので外見は収まり切らないホイールハウス外へタイヤを追いやっただけに見えても、実際はサス強化ばかりか大径化で変化する回転数対策でギア比も弄る等改造箇所は多岐に渡ってるんだ。

それと近似でアンサンブルは飽く迄集合体なんで、何処か1箇所だけ僅かに変えるにも常に全体のバランスを取り直さなきゃなんないんすよ。
バランスっつうと皆音量や強弱はすぐ意識するだろうが、下手すると音色の方が大問題なんだわさ。

ってのは音響的に歪みを許す程大抵は音量の性質が変化して、ピークの突出が減り平均音圧が高くなってくん。
歪まさぬ音色のを録る時点からコンプで潰せば寄せられはするけど、迂闊に先に掛け過ぎたらダイナミックレンジが過狭隘になって特に生楽器は個性が損なわれてまう。

又昔の歌謡曲等の様に主役の歌だけが大きくて構わんなら良いが、バランスの小さくないダイナミックレンジレスの伴奏とするには歌の強弱も犠牲になっちまう。
お客に聴き易い歌い方してるとピークこそ太鼓等みたいにゃならんが、表情豊かにしようとすると曲調次第じゃ平均音圧のダイナミックレンジはかなり広大になってるんだよん。

そいつを否定した時点でもう名歌手と呼ばれる可能性が失せ、もし生歌唱より窮屈に録れちゃってたら大損害でっせ。
幾ら毒舌な杜撰君でも、歌が下手だから誤魔化しでそんな風にしたとはあまり思いたくないな。

-続-

2024年7月 8日 (月)

音楽備忘録1788 楽器業界の行く末⑦

待避線から本線へ戻ってまた走り出すが、今度は概述以外の弱小や個人ビルダーの当時の状況だ。
個人ビルダーにニッチブランド等も含めると、この時期(’70年代中盤)には今やプレミアム化した様なのもあった。

何等かの新開発があった点で先ずは
ESP(Navigator)が思い浮かぶが、私的にそれはFlickerってSynchronizedタイプ発展形のアームだ。
このタイプのアームで軸回転(蝶番)を採用したのは恐らく世界初で、当時の類型では最も操作力が軽く可変巾が飛躍的に大きかった。

んが残念な事に登場当初からプレミアム価格だったんで、俺は買えなかったし世間への浸透を妨げちまった。
商売の都合も分からなくもないけど、充分な名声・定評を得る前にあんなにボッちゃアカンがね。

初期型にはFloyd Roseみたいな弦の固定機能とか、音程微調整機能みたいなのは一切付いて無かったんだから。
是又私的にはシンプルで好ましかったけど、どう考えたって前者の方が少なくとも材料費は安くなる筈なんだよ。

価格設定さえ適切なら有効な選択肢になり得たし、かなりのシェアが期待出来たと思うんだがね。
尤もこの辺が一般的量産とは異なる悲哀で、内部事情は分からんがそう簡単に値下げ出来ない処だ。

続いては奇抜なデザインで印象深い、
Moon Sault(ボディが三日月形)の春日等だ。
ニッチ市場では好評だったが、これも当時日本のご多聞に洩れず重量過大が仇だった。

横倒しにした三日月形にも拘らず座って弾いても無問題で、この辺はSteinberger同様良く考えられていた。
んが米のS君に対し箱庭文化の日本の方が重いってな大矛盾で、俺には未だに理解不能だ。

他の殆どのは軽量化を売りとしてるのに、どうして楽器だけ重さを気にしなかったのか何とも不可解だ。
不可解と言えば当時の流行もあったにせよ、弦長(スケール)やネックの太さ巾広さも大いに疑問の残る処だ。

身長の割にかなり手足は大きい杜撰大王だが、西欧人の平均と比べれば明らかに小さい。
体格もやたら骨太でゴリマッチョな方だから、重さ耐性も体躯の割には平気な方だ。

そんな輩でも当時の日本のエレキの標準値に厳しさを覚えた位で、これなら何とか行けると見つかったのが皆米製とは俺の口より皮肉タップリでんがな。
又電気的な方でも色々Effectorを内蔵させたのとか、この時期の末期にはGuitar Syntheも世界初登場させてはいたんだけどね。

既にアフターALEMBIC辺りが原理段階開発のひと段落後だから、全世界的には停滞期に入ってた不利はあったけどさ。
そう云うオプションレベルで幾ら捏ね繰り回しても、基本的な裸のサウンドに新規の独自性は与えらんない。

ユーザー開拓も技師発掘も、全ては新しい価値観提示が発端として必要なんじゃないかな。
それ故学歴不問で3度の飯より好きな奴なんかを採用してかんと、新価値提示から定着する迄の言わば空走時間を持ち堪えらんないんだよ。

-続く-

2024年7月 7日 (日)

音楽備忘録1787 過小評価で忘れられつつある人々⑳

さて前回の自説!?の補強を兼ねて、さしものJeff PorcaroとSteve Lukatherでも楽曲に対して最適人選では無かったかもを提示しよう。
先に断っとくけど趣味嗜好が千差万別なのは先刻承知で、彼等の参加バージョンの方を好んだからって何も問題は無いからね。

正直杜撰大王が直ぐに思い出せるのだってたった1曲しか無いし、当時の米国でのウケを狙えば的外れじゃなかったのかも知れない。
が初めて聴いた直後のインパクトっつうか心の高揚で、別バージョンとの温度差が凄かったんだ。

の曲はChar氏のアルバムU.S.J.収録のSmokeyで、今で言うセルフカバー第1弾ってな処だ。
そんでこれの何処が見劣りしたのかったらRockテイストが薄くなり過ぎてた処で、飽く迄独断と偏見だがChar氏の最大の特徴が損なわれてると感じたんだ。

杜撰君の認識で氏はジャンルに対し万能だが、それでいて全くRockじゃ無くならない処が稀有なんだよ。
似てる人が居なくも無いものの例えばJeff Beckも聴き込めば同類だが、ファーストインプレッションではとうとう向うへ行っちまったかと思わせる処があった。

又氏はかなり早期からLatin要素をふんだんに盛り込んでたが、それでいて当時としては特に珍しく殆どAORやSantanaみたいにはなってなかったんだ。
因みに流行りからは寧ろ一寸なってくれた方が好都合で、当時殆どの皆は何かしらでサウンドが少しでも大人っぽくなればと思ってたんだ。

個人的には↑まだ老け込みたくは無いと思ってたが、杜撰君にしても今とは真逆で早く大人になりたいとは思ってたっけ。
わ兎も角↑には落ち着きとか普通のより整ってる利点はあるが、若さとか勢いの点ではストレートなRockに明らかに劣ってたんだけどな。

それと有名無名に拘らず個別楽曲では、作者本人のとかオリジナルバージョンの方が最終的にBestなのが多かったりするよ。
個人の想い出・思い入れ等の関係で他人に強要するもんじゃないが、コンセプトやスピリットに関しちゃ原理的にカバーは不利だ。

故に初回じゃないので最低でも拮抗させるには、編曲か演奏等何かで明らかな+αが必要なんじゃないかな。
オリジナルのSmokyヒットしたのかってば否で、当時の世間一般にはアルバムからシングルカットした
気絶する程悩ましいが歌謡Rock路線でブレイクしてた。

因みに杜撰君がChar氏を知ってその実力を認識したのは次のアルバムので、是又シングルの闘牛士からだったよ。
もしラジオで頻繁に掛かってたなら早々に喰い付いただろうが、掛かるのはほぼシングルだけだったからクソガキが知るには厳しかった。

縁が生じたのは高校に入った直後で、学園祭BandでJohnny,Louis & Charを演りたがった仲間が居たんだわ。
因みにⅡで普通は学園祭って秋にあるもんだが行った学校の歴史とかの都合で、ウチでは4月末だったと言ったら分かる人には出身校がきっと分かっちゃうね。

-つづく-

2024年7月 6日 (土)

音楽備忘録1786 杜撰流不景気対策⓭

今劣化本邦では頓珍漢な著作権法もあってか、過度のオリジナル依存が横行しとるみたいだ。
それに依る私感での最大の欠点は「音」で、どうやら音の知識不足→色んなのをちゃんと聴くのが足りない様なんだ。

人と歌う・奏でる・作る楽しさは何物にも代えがたいが、本来それを円滑に進めるには個人の力量が必要なんすよ。
良く知らない同士だと即座の感動こそ難しい反面、それは嫌だ・駄目だ等ハッキリ否定する場面は少なくなる。

大した事の無い物でも大きな誤りが無きゃ、ロクにウケないだけで済むからまだ良いがね。
攻めた和声・進行等とギリでアウトは紙一重か、場合に依っては許せる時と許せない時が出て来るんだ。

最近従兄はAfter Beatの件で色々語ってるが、杜撰君は旧来からのRock好きだからどうせ一辺倒になるなら裏が強拍の方が好きだ。
わさて置きどっちでも取敢えず曲にマッチしてりゃ良いが、最悪なのは全部・或はパート単位でミスマッチを起こしてるヤツだ。

全く音楽ツールを持ってなきゃ先ずは何か入手するしかないが、そこから先は色々実践してみるのが良い。
とは言え何の指標も持たず闇雲に試す中から、良いのを集めるんじゃ果てしないし最悪は何も生めないかも知れない。

でこの自分なりの指標を作るには、随時で色んなのを聴き続けてく必要があるんだ。
その効能は知識の充実も勿論だがもっと重要なのがあって、自身の感覚を自覚したり磨いたりに必須なんざます。

人の感性には流動的な部分があって昨日は地味と感じたのが、一晩寝て起きて聴いてみたら派手だとかね。
体調・気分・環境次第で違って聴こえるのは優柔不断とかとは限らず、随時頻吠え「音楽は比較芸術」だからなのさ。

自分のリソース割合が演ると大体同等の聴くをしてないと、ライバルの存在を知るのが遅れたり最悪はパクリになって苦労が水の泡になるねん。
ネット接続デバイスを持ってたら簡単に音声検索こそ出来るが、パクリに底触しなくても明らかな紛い物判定迄はまだ出来ない。

なのでトリビュートやパロディのつもりだったら良いが、新規独自のつもりでそんな風に思われる可能性のへ頑張っちゃってもねえ。
まあそんでもスタイル定着前だったら修正可能かも知れんが、大体に於いてやっちまったが発覚するのは漸く完成した位のケースが多いのよ。

一意専心してると課題に対してはベストだけど、それ以外に対しては鈍感になってたりするじゃん。
のが一応出来上がると肩の力が抜け、初めて視野が広がり出して気付くってな。

万一方向性の誤りが発覚したら、音楽ツールの刷新が必須になるかも分からん。
そうなっては唯でさえ逼迫した予算がより圧迫され…、そんな行き詰まりを避けるには先に少しは考えとくしかないって訳っすよ。

まあⅡで人間って簡単に飽きる生き物で、ついすぐに新しいものを求めちゃうんだけどね。
でも探せば買えば全部手に入るもんじゃなく、例えば前回聴いてから1年のブランク後に聴くなんてのも効果があるんだ。

=つづく=

2024年7月 5日 (金)

音楽備忘録1785 肉体的グルーヴ考 番外編

グルーヴ獲得について杜撰大王の強力推奨は音ファーストに相違ないが、僅か乍ら例外の可能性もあるのでそれもこの際掘っとこう。
何事も客観的に公平に分析出来てればこそ、安心して好みに向けてまっしぐらにもなれるからね。

さてグルーヴ自体が基本音楽由来の概念なんで音楽家サイドから論じたが、稀には舞踊等を通じて会得する者も居ないとは限らない。
但しどんな天才だろうと↑が成立するには、最低限「ダンサーとして必要な音楽知識と感覚」は身に付いてなきゃなんないんだ。

個人的に今劣化本邦現況のミュージカルを忌避してるのはこれが原因で、芝居や演技を音楽よりかなり重視してるのしか殆ど無いからなんよ。
ミュージカルであっても殆ど踊りや演技を伴わない歌唱シーンだったら、音楽だけの歌手とその間はほぼ同じになるよね。

にも拘わらず旧態依然で誰でも大体共通な歌唱法と、ロクに役者個人の個性を活かしてないパフォーマンスばっか。
そんなで音楽にしか興味の無い奴も取り込もうだなんて厚かましい…、本来なら芝居だけ音楽だけ舞踊だけよりか多様な観客を虜に出来る可能性を持ってるのにさ。

っと愚痴はたいがいに私的には音楽理解への浅さや不足が原因とみてて、凡庸なダンサーも又しかりなんすよ。
仕事で過去に劇バンを演った時の事、指揮は休みで役者と伴奏の俺の1対1でタイミングを合わせるシーンがあってさ。

音楽を分かってる奴は4つ以内の前振りしてやるとバッチリなのが、感覚的に不理解な奴だとせーのの方がまだマシだったん。
別にえばる訳じゃねえが「音楽の付いてるシーン」は、歌わなくてもそれが一応ガイド(物差し)になってるんだよ。

そのお陰で個人の持つタイミングの異なる集団でも、1つに合わさって歌ったり踊ったりが可能化してるってのに。
テキトーな勘だけで雑に合わせてるのが紛れ込んでると、カッチリ合う筈のがどうもバラけていけねえ。

って事って音楽付きシーンに出演するならカウント程度は、楽に正確に拾えないといけないもんなんだ。
緊張マックスでも勘だけで表面的には着いて行けるからイカンのか、自分からは学ぼうとしないけしからんのが居るがね。

翻ってって事ぁダンス向上の為に音楽家に負けない位音楽を習得してるダンサーだったら、踊りを通じてグルーヴを理解しマスター出来る可能性もあるんすよ。
尤も自身の立場が舞踏家が本業なだけでプロセスとしては、ココに限ればきっと音楽家に遜色の無い修行を経てるから実現してるんだ。

となりゃ体質的に器楽演奏が合わないだけで音楽には興味もあるし、そこそこ詳しくなれてたりするダンサーには唯一の獲得手段たり得るかも知れない。
但し上述の如くダンサーだから音楽家とは違ったって構わない、なんて思ったらもう駄目だ。

実はこれが中々克服困難だからお薦めしてなくて、例えば文化部の人は運動部の人より息が上がる辛さの耐性が低かったりするっしょ。
何処迄一時的に苦しくなっても平気なもんなのか、普段の体験が無いだけにそりゃあおっかねえと思っても当然だからね。

-終り-

2024年7月 4日 (木)

音楽備忘録1784 楽器業界の行く末⑥

ほんだら一寸寄り道で国産の金属関係のリライアビリティだが、確実に安定したのは私感では2000年代に入ってからだ。
時期的には分野次第で前後もあっただろうが、傾向としては20世紀中のには隠れたっつうか目立たない弱点があった感じ。

加工精度は既にお釣りが来るレベルに到達してたが、材質も然る事乍らどうも俺言い鋳物(ダイキャスト)神話に憑りつかれてたのがいけなかったらしい。
日本って古くから鋳造技術は秀でてて昔埼玉の川口で有名な如く、町工場レベルでその域に達してた。

只Guitarのペグみたいに小型で色んなベクトルの応力が掛かるのに迄、全てそうしたのは杜撰君としちゃ浅はかだったと言わざるを得ない。
確かに変形耐性はブリキ細工様のプレス鋼板なんかより高いし、緩み・ガタを生じ難く見た目にも高級感がある。

だが逝く時ゃブリキ細工のより一気に破断したりひび割れし、それが交換以外の修理方策を否定してるのよ。
本来の金属の利点に僅かな変形なら、運が良きゃ押し戻せるってのがあったんだがね。

↑が入手性や代替え等が簡単じゃないのではかなり重要で、楽器部品は近所のDIY店なんかじゃ手に入らんやろ。
加えて相対的に人件費の安かった下請けに作らせてたからコスパが良かっただけで、当時の日本固有の特殊条件下でなかったら同価格なら内実はチープになる訳よ。

等と吠えつつ杜撰大王が明確に悟らされたのは2010年以降だから、偉そうに語れる身分じゃ御座んせんが…。
最初に疑念を抱いたのはドラムハードウェアで、それはPearlのアルミダイキャスト製のパイプ3本を連結させるヤツだった。(こっちは’90年代の事)

こいつは見るからに薄くて弱そうな気がしてて、アルミは鉄の大凡3倍位肉厚にしないと強度に劣るのは電車の車体で知ってたんだけどね。
国産メーカがどんどんダイキャスト化させてったのに対し老舗のLudwigやGretschは20年位遅れてて、プレス鋼板主体のは当時画像では旧態依然で弱っちく見えたよ。

処がずっと後年になって自身で持てて使ってみると、鋼板でも意外に厚みがあってかなり丈夫だったんだよ。
とは言えそれ以前に従兄所持の中古Ludwig LM402のプレスリム変形とかがあったからイメージはショボかったんだが、その時点では巧くやれば治せる可能性があるなんて全然考えてなかったんだ。

適材適所ではあるにしてもエレキみたいにぶら下げて弾くのがデフォの場合、強度・精度以上に重量増加は大問題っすよ。
それを当時は今以上に小柄だった国でやるってんだから、何かを忘れてたか暴挙としか思えませんわ。

一過性だったら良かったがスッカリそんな路線で固めちまったもんだから、今になって行き詰って困ってるんじゃないかな。
何れにしても確実性を重視し過ぎて、職人・達人の感性より理論で作り過ぎてたんだよ。

バブル到来で本物へ皆が手が届く様になったり、崩壊後に中韓等が価格破壊で追い越すとは夢にも思わなかったんだろうけどさ。
やはり商品寿命が尽きない代名詞を何か1つはぶち上げて、それから量販だの経営拡大・合理化等へ進めば良かったんだ。

-続く-

2024年7月 3日 (水)

音楽備忘録1783 過小評価で忘れられつつある人々⑲

ってな事って前回後部ではバスドラの鳴らし場所で語ったが、こう云う一面で盲点になるのは留まる処を知らずなんだ。
他のどのパートにもあるが脇役になる程情報が少なく、そもそも誰なのかに迄及んでるんだ。

それを実体験から披露すると、Jeff PorcaroとSteve Lukatherが大人気だった当時の参加諸作品だ。
以前から定評はあったが1980年頃には全く内外問わず引っ張りだことなってて、高騰してくギャラのせいか運悪く先約があったかで招請が叶わぬケースが続出してたんだ。

そんな際先ずは同郷LAでの彼等の友人に望みを託すのもあったけど、大多数は関係性が薄いか全く無い別人に真似て貰って凌いだりしてたん。
中でも特に参加・不参加の影響が出易かったのが、本人達が参加した前後のアルバムだ。

彼等風の路線で大好評を得てると、意図が無い限り下手にサウンドを変えたくないし変えらんない。
その結果所謂「紛い物」が続出し、杜撰君ばかりかかなり詳しい者でも騙されたり(正確には誤認でしかないが)してたんよ。

後になって判明してみりゃ確かに本物とは少し違うし、本物である事の良さの点では到底及んで無かったんだけどさ。
んが個別曲に対しては紛い物でもよりフィットしてるのがそこそこあって、結果的に本物達へのレジェンド化に全く意図せず貢献しちゃってるのもあったんだ。

如何に彼等だろうと異常な多忙スケジュールでは、曲やアーティストの理解に時間が足りない場合も当然あっただろう。
となれば本体Totoとか以前から懇意で結成にも助力してくれた、BOZ SCAGGSのみたいな完成度に必ず到達出来たかどうかは分からんよ。

勿論彼等の事だから、どんな苦境でだって流石な部分を見せはしただろうけどね。
に対し雇われ影武者君には余裕が持て易かっただろうし、雇い側にしても偽物だからこそ出来栄えにはより一層注意を払い状況次第じゃ期限の方を延ばしてたかも知れない。

尤もこう云うのは人生一度切りみたいな状況だったりするから、柳の下の2匹目の泥鰌は先ず居なくて単発が多かったんだろうけどな。
だからこそ非効率だし語られずに過ぎたりするんだろうが、時にはそんなのが唯一の手掛かりになるかも知れねんだ。

誤認自体は恥と思った方が良いに違いないが、彼等のだったら何でも最高と思う追っかけみたいな人以外は恥だけで終らせたら勿体ない。
追っかけじゃねえって事ぁ幾ら好きでもきっと100%じゃないし、自身で演る時ゃ少ない嫌い或は苦手を除いて他のも何かも少しは加えたいだろう。

それこそがオリジナリティの夜明けってなもんで、紛い物でも好サンプルになるケースがあるんだ。
わざわざ探すと見つかり難いけど、音楽にはこんな埋蔵プチお宝もあるのよねえ。

=つづく=

2024年7月 2日 (火)

音楽備忘録1782 杜撰流不景気対策⓬

自分にも失敗歴があるのに惜しげも無く従兄を生贄にするとは杜撰だが、こっちはマルチ歴が長い為にその経緯は複雑怪奇で記憶にも自信が持てなく例として相応しくなかったんだ
その上一般と違うと思われるのが、杜撰大王は目算が無けりゃ買いもしないスタイルなんだよ。

幾らバブルとは無縁でも僻み根性以外では、周囲が平和で余裕があった恩恵は少しはあったさね。
その中で一番大きかったのが借用で、楽器研究に専念出来たなら研究費として扱えたんだけどね。

俺の場合研究は飽く迄自身のサウンドの為でしかないから、全数自分で所持してじっくり試すなんて夢のまた夢なんだ。
ので借用の他に通販が主流になる以前は、あちこちの楽器屋へ出向いての試奏もやたらとやってたよ。

その体験で今にも通じるメリットとして、自分以外が奏でてどうなるかってのがあった。
どんな天才ですら完成前は出来ない奏法・楽器はあるもんで、ましてや凡人には到底くまなく試すなんて非現実的だ。

実際未だFluteでは音が出せないままで、その他に直接触れる機会が訪れてない楽器だって結構ある。
人にも依ろうが学生時代が終ると近年は唯で借りるのが困難になったし、楽器店へ出向いても達人と遭遇する機会も減っちまった。

かと言って有力候補なら未だしも、得体の知れない物へリースの費用を掛けるのも…と中々ねえ。
残った頼みの綱はネット上の達人の動画だが、私的には完成作品の中での使用状況の方が有用かと思うな。

近年はかつてとは比べ物にならない程、録音作品等のクレジットが充実したからね。
寧ろ場合に依っちゃ映像と実際使ったのは違うのもままあるから、ちゃんと読まないと危ない位だ。

昔から画と音が違うケースは幾らでもあったが、その動機には多少の変化があるかも知れない。
今は音楽でもなまじ「画付き」が多いんで惑わされ易いが、音の問題は音自体で解決するのがやっぱ基本だと思うんだよ。

そりゃあ現物に触れる機会は多い程良いけど、情報分析・収集能力に難があったら必ずしも全数把握が出来る訳じゃないのよね。
かなり古い例になるがStratoのハーフトーン、元々はPU切替SWは5ポジションじゃなく3つしか無かった。

ので意図的に中間で止めるかその状態を試してみないと、最悪このGuitarじゃ出ないわと勘違いする場合もあったんだ。
限られた時間での試奏で全部を漏らさず試すのって案外難しく、予め綿密に脳内シミュレーションしといても何か忘れたりするねん。

そんなのを極小化するには時間制限の無いのが良く、原点のもう一回試聴してみるの音源が手持ちだったら発見の可能性は未来永劫続くんざます。
貧は何かと辛いけどこう云った面では有利に働き
、仕方無く何回も聴いてる内に意外な発見があったりするん。

=つづく=

2024年7月 1日 (月)

音楽備忘録1781 肉体的グルーヴ考⓮

早速間髪入れずに、ゆっくりテンポで間欠動作での欠点の件行っときま。
安定した間欠を取るにはリズムに添わす必要があるが、大抵はリズムをわざと倍の細かさと仮定するんじゃないかな。

タイトさが要ったり、8Beatに感じられてもホントは16だったらそれで良いんだけどさ。
もっとおおらか(大きい)ノリ(グルーヴ)が必要だったら、それじゃ細々余計な緻密感が出ちゃうからアカンのや。

だからそんな状況ではパワーは極普通以下で良くても、視覚的には妙に大袈裟な動作を許容するしかないん。
これが「奏でない」純粋なダンスだったら、そんな不似合or不格好な真似せんでも済むんだがね。

俺言い「奏でる制約」は一般人が思ってるより結構面倒で、奏者にしか分からなかったりするから厄介なのよ。
その根底には体験からすると速度とパワーの関係があって、特にDrumみたいに大柄な楽器だと世間想定とのズレ巾が大き目になってるんだ。

何を隠そう杜撰大王自身がかつては思いっきり勘違いしてて😓、少なくとも「程度」ってのを全然分かって無かったんだ。
楽器の中でも西洋由来のって、その大多数は基本設計が極端な位「速度反応型」になっててねえ。

にも拘わらず白人連中はオーバーアクションで大袈裟なアピールするのが主流だもんだから、こっちはついそれに騙されちゃっててな。
ってか大袈裟の理由を学べば、奴等は騙す気なんて毛頭無いのが分かるんだけどね。

要するに地域的に広大→人口密度低目→人と人との距離が遠目となりゃ、ゼスチャー1つにしてもこっちより明確じゃないと分かり難くなるやろ。
せやさかいオーバーアクションの根源理由は表現じゃなくて、言わば単なる遠距離対応だったんすよ。

それを知らないこっちのアホなディレクターとかがもっとアクションは大胆にとか指示しちまって、何の疑問も持たずにそうかそうせんと売れんのか伝わらんのか…ってアホかいな。
挙句の果てにお客の視線ゼロだったらチマチマ奏でて、当て振りの場合は1曲ギリで持つ位大袈裟に…ってワシャ呆れてモノも言われへんがな。

誰がどう語って様とも↑な誤認は論外だが、グルーヴとは音で他人を乗せるものと分かっただけでは根本解決には至らない。
当初は完全に映えを捨て、求める音で判断してかんと。

だがしかし案ずる無かれ本当にグルーヴを獲得出来てたら、視覚だけではぎこちない動作も音の強力なアシストが付くと様になって来るんだわ。
最終的には音楽を知らないor無興味な人には奇異に映っても、「乗れてる人」にはその動きがかいま見えるだけで鳴ってない音が聴こえた様なファンタジーすら起きるん。

でその音(ノリ)をスッカリ気に入った後には、それを醸し出す動作すら憧れの対象になって来たりするんよ。
それからするとグルーヴに関する映えに問題を抱えてるとしたら、音(ノリ)の方にこそ重大な難点があるからなんだな。

=終り=

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