音楽備忘録1773 肉体的グルーヴ考⓬
もっと気持ち良いノリをリズムをの追及心が足りなきゃオワコンだが、それを最終的に具現化してくれるのは奏者自身の肉体だ。
これで当初重要なのが体裁・映えより音で、両立させるのは音の後なのだ。
完成形では音と見た目は強力にリンクしてるし、その姿も表現したい音に対しては大体最適になるんだけどさ。
只「良い音が付いてて格好良く見える」ってぇのは、場合に依っちゃ音に依る絶大な釣り効果みたいなのもあるねん。
今劣化本邦では踊り(アクション)が妙に偏重されてて、先に見た目を整えようとする輩が横行しとる様だがね。
杜撰大王に言わせればそんなの音でグルーヴは出せませんと公言してるってなもんで、先にノレてなきゃ永遠に音自体には貢献してくれんのどす。
さてこの件で皆に再考して欲しいのが、過去達人達に居た所謂「踊り」は伴わないで極上グルーヴを紡いでた事例だ。
彼等の体の動きは俺言い「映え踊り」と比べると少々ぎこちなさがあったり、典型的な格好良いのとは少し異なる。
それで過去に疎い今劣化本邦では勘違いの元となってる様だが、本人にとっては全く無理なんかしてないし自然にそんなになってしまったもんなんだ。
確かに「奏でる作業」を抜きにしたらとても最善の動きじゃないが、それこそが踊れれば良いだけとは大違いなんすよ。
踊らされる人つまりお客さんと違って、奏者は「躍らせる音」を提供せなならんやろ。
理想としては奏者も含めそれでは皆さんご一緒にと行けりゃ尚良いが、こっち(奏者)は必要な作業が1つ多い。
その立場でもし優先しなきゃなんないとしたら、少なくとも休符時以外は「音の方」なんだよね。
そりゃ万に1つも踊りが超絶に上手きゃロクでもない音でも乗せられるかも知れんが、幾ら派手なパフォーマンスしたって「乗れない音」では今一お客はんは盛り上がれんの。
ダンサーじゃない大多数の聴衆が踊るにはその動機が必須で、それが心理的高揚とかなんすわ。
その高揚を導くのが乗れる音で、その気になれて無いのに煽られたって面倒がられるのが関の山。
因みに今だと演奏より踊りが上手な人もそこそこ居るんだろうけど、普段他人の曲で踊る時とは状況が違っとりゃあす。
その音源が劣悪だったら未だしも大抵は失点はしてないが、自らが出してる酷い音のタイミング分の損失があるからねえ。
踊りでそれを帳消しにしてお釣りが出るレベルに持ってけんと、お客はんには例えば良さげな踊りっぽいが何だかよくは分からんみたいな状態になってる訳だ。
百歩譲って踊りに自信があるなら下手な演奏を加えるのは無粋で、何の為にわざわざ無理して奏でてんのってな。😵
まあ今の流行じゃ視覚的映えが第一だし、ライバルが皆踊ってたりするとこっちもやんなきゃって強迫観念めいたのが湧いたりするだろうけどさ。
被せて効果があるのは同じ位の力量があったらで、それよか各自が自分達の最大の売りにもっと着目して磨くべきなんじゃないかな。
ひいてはそれがオリジナリティにも繋がるんだし。
=続く=
« 音楽備忘録1772 楽器業界の行く末③ | トップページ | 音楽備忘録1774 杜撰流不景気対策➓ »
コメント