音楽備忘録1771 過小評価で忘れられつつある人々⑯
純粋な前回の続きとなるが、先ずは歴史背景の重要性について少し考えて貰おう。
例えば高速道路の時速100㎞走行、昭和40年頃と今じゃ殆ど別物なんだ。
現行モデルなら特殊用途に特化でもしてなきゃ軽でも出せないのは先ず無いが、当時は格上のファミリーカークラスでも際どいのがあったん。
そうでなくてもとても現代レベルの巡航とは程遠く、騒音・振動もとより安定性が歴然と劣ってたから出すのにかなり勇気が要ったんだ。
時速100㎞ったらその頃と今の新幹線の最高速のほぼ差で、 要するに比べる基準の他範囲迄全然違ったん。
それを加味すると今だと大した事無くなったClaptonの速弾きは、今以上に他の人と差があった事となる。
JazzやCountryでなら少し上回るのも既にあったが、単なる速度以上にRockの速弾きって定義すら定まって無かったんだからね。
これがどう云う意味かったら速弾き自体は出来ても、従前のJazz・Country等のとは明らかな違いが出せなかったら存在意義不足になり兼ねないんだ。
折角速く弾いてもそれでは他人にRockのと思われなかったり、音楽的効能も無くなるから新流行もしなくなる。
それじゃあ困るから速弾きと同時かそれ以上に、先ず使い所のアイデアが必須なんざます。
こうしたら絶対面白い→ほら見た事かの成立が先決で、変な話し物理的速度は必ずしもNo.1じゃなくても構わないんだ。
実際Van Halenの超速タッピングはエレキGuitarとしては当時絶句ものだったけど、ChopinのPiano曲とかで大昔から聴けた速度を凌駕する程じゃないでっせ。(フレーズも含め)
彼はPianoを習ってたからこそ、音的に(つまり聴者の耳が追従可能)実現性大いにありと思えたんだろうけどね。
無論最低限は実際弾けないと個人単独では提示出来ないが、それ位アイデアや概念の言わば「発明」がルネッサンスなんすよ。
となると現状からの距離感等が大きく響き、歪んでるのに美しいとか演奏内容が全て分かるとかが鍵だったん。
何しろエレキの意図的歪ませはFuzzから始まったんで、畳掛けて弾けば当初は混沌を表現するのにしか役立たなかったんだ。(何なのか分からんが何か凄そう程度)
もっと具体的に言やオモロイけどバッチイ感じで、1回聴いただけじゃほぼ同業者じゃないとちんぷんかんぷんでのぉ。
私的にはジミヘンの段階ではその域に留まってて(出現順では逆だが)、Fuzz利用で常時Claptonと同程度の明快度になったのはErnie Isley以降じゃないかな。
因みにジミヘンはワンランク上の奏力とアイデアがあったから何とかなってただけで、それも凄いけど少なくとも当時の素人や一見さんが楽に聴けた代物とはとても言えなかったで。
無論単に奏者力量としてはジミヘンの方が一枚上手と思ってるけど、それより彼は歌唱力・作編曲力等が過小評価されてるよ。
目立ったのはFuzzやアーミングだが、真に凄かったのはFuzz非依存の伴奏なんかじゃないかな。
Little Wingでは音色自体も大変美麗だが、普段よりかなり控え目な演奏で事足りたのはそもそも作曲・編曲レベルの恩恵なんだよね。
=つづく=
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