音楽備忘録1765 肉体的グルーヴ考➓
多少脈動感は残ってもなるべく滑らかにならなきゃ駄目…、なんてまたぞろ揺り戻しみたいな事吠える杜撰大王。
その心は電気モータとかじゃないけど、生身のグルーヴはロボットダンスとちゃうからだ。
最初の比喩SLで考えてみると良く分かり、牽引力にムラがあってもずっとガクガクし乍ら走ったりしてないでしょ。
寧ろ昔電車が抵抗制御だった頃の加速中に、制御段数が少な目だとクックックッと注意するとかなり僅かだがショックがあったんだ。
SLの速度調節メカは全てバルブとかレバーでアナクロで曖昧だが、調整に段階は無かった。(つまり無段変速)
のが昔電車は少なくとも低速の内はハッキリ○△段と決まってたから、その間の加減が欲しくなっても無理だったんよ。
因みに鉄ヲタ布教側面からは○は直列・並列・界磁等で、△は数字が入る。
要はモータと電気回路の接続方法を変えたり、抵抗器を何個挿入するかを選べるだけだったん。(界磁はコイルタップと同等)
そう云や宅で未だ常用中の60年物の扇風機が2速しか選べなくて、低速だと一寸弱っちいが高速だと喧しくてどっちにするかで何時も悩まされてる…のはどうでも良いか。
無段階調節がお得意な今全盛のインバータならいざ知らず、昔の電気を伴う機械は折角どアナログの癖に人間より微調整は苦手で。
機械にしても反応のタイムラグがあったから、よっぽどその性質に熟達しないと中々制御し切れなかった。
人体でだって訓練が要るのは一緒なんだが今よりゃ程度差があったのと、曖昧な代わり感性を反映するのも不可じゃないんすよ。
但しそれには条件もあって、前述の如く心臓の鼓動と極端に乖離した速度域では難しくなる。
のわ感覚の段階で分析し切れなくなってるからで、やたら高速だとカウントするだけで精一杯でタイミング調整の余裕なんて消滅する。
だけどそれで良いのだ、実速が限定されるのを補うべくしてグルーヴがあるんだから。
音楽を聴く≒体感であるから、体感が遅きゃ幾ら実速が速くったってスピード感はにゃー。
全球160㎞超が放れてもその内慣れられちゃうが、70㎞の次にいきなり140㎞と倍速になったら中々感覚が追い付けない。
打者だったらそれで打ち辛くなるがリスナーは別に打ち返せる必要はなく、速さだけ感じられれば良い。
そのテンポやリズムでの緩急技の1つにグルーヴはあり、タイミングをリニアから意図的微妙に早めたり遅めたりして得てるんだ。
但しⅡで小節単位のテンポが変わったのが分かる程とか、曲全体の長さが明らかに変わるのはグルーヴでは無く楽譜にそれ用の記号・固有単語とかあるよね。
これは主にClassic時代迄に用いられた手法で時に大袈裟に聴こえたり、気楽に耳で音を追えなくなったりする弱点があった。
わ兎も角野球の「打てそうで打てない」に価するのがグルーヴで、テンポの早さだけで勢いを感じる程のはグルーヴとは別物なんだ。
-続く=
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