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2024年5月

2024年5月31日 (金)

音楽備忘録1750 杜撰流不景気対策➍

今の不景気はちっとも自然現象じゃないから、知ってても最適配分が不可能になった人も居るかも知れない。
そこで今回は究極の選択を迫られた、そんなケースについて考察してみよう。

杜撰大王ってずっと貧は続いてるけど最下層とは言えず、ここ30年位は主に家庭内格差のせいで苦境にあるだけだ。
真に瀕してたら拙ブログすら毎日なんて書けない筈で、しかし心理的には↑はなまじ比較が容易いが為に実際より厳しいんだけどねえ


わ兎も角流石にここ数年は機材価格の高騰で、従前以上に充実はおろか更新も停滞を余儀なくされている。
本職がBassの癖にメインBassすら借り物ってのはいい加減でもう何とかしたいけど、得意の中古すら高騰したお陰で手をこまねいている。

万一貸主から返還要求をされたら待った無しの覚悟は出来てるが、それ迄はとある理由から厚かましくも引っ張れるだけ引っ張るつもりでいる。
のは至極単純な理由で、借用品でも1本はあって0じゃないからだ。

恐ろしくも20年以上借用継続中なんで、明らかに各所の消耗は隠せない。
が後数年で大々的なリペアを要する様な状態では無いんで、今の状況が続けば更新は見送るつもりだ。

とは言え興味と有事勃発の不安は常にあるから中古市場の監視は続けてて、しかしこっちの条件を満たす出物に遭遇しないからアクションは起こしてねんだ。
ってのからすれば理想は一旦置いといても絶対的な不足があれば買うが、そうでなけりゃ我慢出来るだけ我慢を続けるって事なんすよ。

只「不足の定義」が問題で、贅沢を言い出しゃキリが無いってか人次第で随分判断は別れそうだ。
自分のメインパートの楽器は少しでも好みの良い音をあらゆる条件下で出す為に、一般的にはあまり所持本数はケチらないよね。

けど財政逼迫の最中に年に数度しか使わないの迄となると、果たして単なるコスパの他メンテ費用はどうなんかいなっとな。
又楽器もなるべく美しくありたいとは思うが、遠慮無に弾き捲るとお飾りみたいな外観は先ず保てんですよ。

離れて晴れ舞台のを写真に撮ればボロが出なくても、直に手に取ってみると新品もものの1年も使や細かい傷位は必ず入ってる。
これ等案件は持ち主の願望としては正統なものだけど、真の必然性としては厳しいがエゴでしかないんだ。

ましてや聴くだけしか興味の無い観客には知った事かで、音楽自体への貢献度としては従と言わざるを得ないっしょ。
ので失礼を承知で言わせて貰えば音楽を演ってる「フリ」とか趣味の人はご勝手に、音自体を何とかしたい人は心を鬼にして熟慮・再考してちょ。

但し趣味でもブランド志向で持ってる自慢をしたきゃそれだけは妥協出来んが、防音室は持てなくたって構わない。
或は見た目一択なら近年は安くても美しい色・形・仕上がりのがあるから、無名の音は全然大した事無いのでも構わない。

取敢えずは自身の目的を明確化して、自分なりの優先順位を決めるのが先決じゃないかな。
非常時になって初めてその人の本質が露呈するが如く、己を知るのに限っちゃ環境・状況は厳しい程却って良いのさ。

=つづく=

2024年5月30日 (木)

音楽備忘録1749 肉体的グルーヴ考➏

ここ迄良い意味で意志を持って体を駆使する意義を語って来たが、その先はどうするかが今日のお題だ。
今度は打って変わってフォーム(姿勢)でおじゃるが、これにだってスピリットは大きく影響があるねん。

初期の打開策としては本家の模倣で、この段階で真似る
のは主に楽器と人体の位置関係だ。
んだばDrumから参るが歴の古いグルーヴには、半ば俺言い旧標準の椅子高さが出発点になるん。

その傾向としては現代の主流より椅子は高めだが近目となってて、それに依って手脚のストロークに多少違いが生じてしまうからだ。
太鼓が高く遠いと上から遠回りに叩かねばならず、細かいタイミング制御の精度が落ちる。

かと言ってそのまま近付けば今度は
手脚の可動可能範囲が狭くなり過ぎ、パワーは勿論おおらかなグルーヴは醸し出し難くなる。
セッティングの制約があるから必ずしも理想通りとは行かないだろうが、何かと打面が肘より高いと副作用が大きくなるん。

速い小技は近い程楽だけど、脱力状態(必要最低限の無意識に近い力)で安定して刻むにはねえ。
パワーの為では無くタイミングを図るのに、適度な振り上げ距離が取れると良いんだよ。

地面に垂直に立てられた撓る棒が揺れる時って、振り巾の大きい時は周期が長目で小さくなってく程周期が短くなるじゃん。
因みにグルーヴを習得するには他要素は一旦置いといて、求めるタイミングを先にマスターせなアカンよ。

無論充分タイミングをマスター後は理想に向かって、パワーやスピードだって求めて良いけどね。
鍵盤の場合もDrum程じゃないけど、やっぱり多少なりとも影響はあるよ。

距離関係もだがそれより胴体の緊張状態が問題で、グルーヴタイプに合わない姿勢だと良い感じが得られない。
但し特定時を除き背を一杯に丸めたり反り返らせては、万一反対方向に調整したい際不可になるから背骨に反対方向への一定のマージンは必要でっせ。

次にストラップで吊り下げる楽器では特定のを除き、高過ぎても低過ぎてもグルーヴ習得には障害になる。
ここで厄介なのが体格・体系の個人差で、胴・手・脚の長さとバランスは正に千差万別だ。

なのでZEP時代のJimmy Pageみたいなのが欲しいからって、何も考えずGuitarを下げたらさ。
音やグルーヴ抜きで姿だけ真似たいなら構わんけど、腕の長さや胴体の厚みとか良く照らし合わせんと。

尚且つこれはかなりグルーヴ的にも特殊なタイプで、わざと大雑把・軽薄でいて浮足立った感じを求めてたらしくてさ。
ZEP以外の時期・メンツのではあそこ迄下げてもいなきゃノリももっとタイトで、歴戦のスタジオミュージシャン出身なのが納得出来る感じのばかりだった。

俺はそれが暫くは分からなくて勝手に低く見ちゃってたんだけど、「抑えきれぬ衝動・欲望」みたいなのを表現するのには絶好の手段の1つだわさ。
裏付けとしては通常ストラップで低く出来ないアコギ(座って抱えて弾く)だと、ZEP時代のでもカッチリしてたから疑問の向きは聴いてみそ。

エレキGuitarの高さだけでこんなに変われますの一例で、他でも色々工夫はしてるだろうが映え以外に音的にも必然性がちゃんとあったのさ。
①グルーヴ習得②そこから意図的に変えるのは超人レベルに到達してないと無理っぽいんで、先ずはしっかり①段階を目指して頂きませう。

-続く=

2024年5月29日 (水)

音楽備忘録1748 音楽に於けるテクニックの意味⑰

ここ迄続けたBassパートの話しは一応今回で締め次へと進めるが、歌物ポピュラー系では一番曲に対する影響が大きいと考えてるからなんだ。
Guitar・Drum・Keyboardだってちっともどうでもよかないが、歌のバックで演れる事に違いがあるのさ。

それが伺える例示曲としてWingsのSilly Love Songで説明すると、歌バックで特徴的な仕事をしてるのはBassリフ(パターン)だけだ。
だからBassが偉い…ってんじゃなく、気持ち良いリズムを維持するには太鼓は余計な真似はしない方が良い。

GuitarやKeyboardはコード(和声)の確定がプチフレーズより優先されるし、下手をすると歌から聴者の集中を奪ってしまう。
そして複数の音を鳴らすのが要求され続ける中で、単音でも構わないのはBassだけ。

寧ろBassが無神経に和音なんか鳴らしたら、爽やかな曲がむさ苦しくなっちまうかも知れない。
その代わり単音であるならどうするかは割と自由で、だからこそお暇な伴奏でもBassだけは居眠りなんかしてらんないんだ。

傍目には難しい事をしてるでも無いし、これと云って特別な事をしてる様にも見えないんだけどさ。
だから作曲法としてのBass・Vocalも薦めたんだが、アコギの弾き語りでも作れるならそれでも良いんだよ。

けど過半数の曲では歌より伴奏の方が先に始まるんで、Bassパート(リフやパターン)を先に作る位の方が上手く行くんじゃないのかな。
その意味でVocalistがメロを作る場合でも、鼻歌とかでも良いから↑にしないとその手の曲は生まれ難いかも知れないよ。

長補遺を終えて続いてはDrumの問題だが、概述の如く歌バックの普通の箇所で手に許されるのはゴーストノート程度が限度ですよ。
Bassが自由に振舞っても事故り難いのは、単音の他に音域が歌から離れ気味なのも大きい。

同じ様に太鼓でも通常手で扱うのは音域が歌と被ったりするから、気兼ねなく弄れるのはバスドラなんだ。
一方Keyboardの最大の武器は所謂「白玉」で、一々弾き直す事無く望んだだけ音を伸ばせる。

これの利点はBand系アンサンブルでは他のでは不可能な芸当なのと、リズムに影響を与えないで済む処。
Guitar等で余韻不足で弾き加えるとなると、その刻みを曲リズムに合わせなくてはならない。

押えさえすればOKで楽な白玉、でも侮れない部分があるのだ。
多くの奏者は割と安易に演っちゃってるけど、長く鳴り続けるって事ぁそのハーモニーを聴者に良く知られちゃう。

ので曲やその場面に最適な和声を選ぶのは、決して簡単じゃないし甘く見ちゃイカンのよ。
調が目立って芳しくない様なら3度を抜くべきだったり、逆にBassがルート以外を沢山辿る様なのだったらルートをしっかりフォローしとくとかさ。

上出Silly Love Songで控え目にコードを司ってるのがPianoなのは、ルート音とコードを常時同時に鳴らせるのもあったんじゃないかな。
Guitarだと「出せるルートの最低音」が、コードフォーム等の都合で鳴らしたいのが鳴らせない時があるからねえ。

=続=

2024年5月28日 (火)

音楽備忘録1747 過小評価で忘れられつつある人々⑩

グループのBassist第3弾は過去重複して来るが、主に活躍がグループ内外両方に及んでた人達おば。
その様な達人だと固有の現象が起こるもんで、過去にグループで有名だったのに後の独立後に惹かれて知るケースだ。

と言うとそらオッサンが齢だからで今まだ若けりゃ…、ってそうでもないんだなあ。
確かにリアルタイム世代の方が後追いにはなり難いが、全世界の全新作を個人でくまなくチェック出来るのかよってね。

たまたま運とタイミングが悪きゃ何等の洩らし逃しは、酷く簡単に起きてるもんなんだ。
その際今で云や複数のチャンネルを持ってたりすると引っ掛かる確率が上がり、ネットの無い時代のも含めれば活躍の場が複数以上だとって事になるんだ。

但しここでは失礼乍らガクトみたいに、グループより圧倒的に個人が有名なのは除くよ。
そういう分類だと今に至ってはDonald Duck Dunnは選外で、杜撰大王にとってはMG’sの名声も同等なんだけどさ。

あのグループは少なくとも日本では売れ線の王道ではなかったんで、Al Jackson Jr.の早すぎた逝去の影響は小さくない。
D氏は単独参加でだってノリへかなり貢献はしてるけど、やっぱり相棒のA君が居ないと本来のグルーヴは出し切れてない感じ。

私的にその典型と思しきがEric ClaptonのアルバムMoney And Cigarettes(’83)で、周囲がD氏に追従し切れてないが為に少々浮き気味に聴こえてねえ。
本来曲に対してはD氏のタイミングの方がより良く合ってるんだが、或はアンサンブル全員が顔を合わせて録ってなかったのかも知れないな。

そう云う余計な詮索をせずに聴けるのったら、Kate Bush初期作品のBassだ。
恥ずかし乍らBassistの正体を把握したのはかなり後年になってからで、当時ギリギリ少年だった身にはあの声と容姿と曲 に瞬殺されてた故勘弁でごわす。

尤も後でそれがDavid Patonと知ってみりゃ、名前はおぼろげでもPilot(一寸前迄在籍したBand)の曲はずっと前から知ってた体たらくで。(但し当時名前は曲もBandもノーチェック😵)
しかも趣味性全開でスマンが使用楽器もまだRickenbackerのまま、音色も録音の進化で向上した程度でグループ在籍時と違わぬプレイでさ。

因みに当時日本でのKate Bush人気はほぼ声と容姿だったから、音楽内容だけの評価だと日本じゃ今一マイナーなPilotとどっこいどっこいだと思うんだけどどうだろう。
↑と直接関係あるか分かんないが私的にはKBさんその後奇特路線に行き過ぎと感じてて、少なくともサウンド面での興味は後年の作品になる程どんどん薄れて行ってま。

色々挑戦してった勇気には敬服するが、全替えしちまったら作品内で何が新しいか比べる基準が無くなってもうた。
所詮持論に過ぎんが歌だけ良い人には独唱を願うってなもんで、入ってる音は大体全部聴こえてまう体質には全体がどうしても気になっちゃうのさ。

強いて屁理屈捏ねるなら、だって何処か1つだけ優れてりゃ構わないんなら全然もっと沢山あるやんか。
もしそれだけが正解なら何で今でもBassに魅せられるのか、楽器は全て趣味にでもして歌だけ頑張ればどうにかなる…とは限らないじゃない。

=つづく=

2024年5月27日 (月)

音楽備忘録1746 杜撰流不景気対策➌

必要な物を買うのは当たり前しかもなるべく早く手にしたい、誰だってそう思うだろうしそれだけなら間違ってない。
でも本当に「必要に足りてるか」が問題で、惜しいのを買っちまったら早期の買い直しがやって来ちゃうんだ。

っと言いつつ毎度の杜撰ぶりから失敗も少なくねえんだが、単用途だけの想定でミスると潰しが利かんくて困るん。
既に使用体験が一定を超えてれば大巾な想定外は起こり難いが、1〜数回程度の体験じゃ中々そいつの全貌が
把握し切れないのもあるんだ。

先ずは打者の選球眼の如く選択スキルに磨きを掛けるのが一番だが、打者よりゃ遥かにマシでも打率10割になんてこっち分野でだって到底望めねんだ。
その際役立つのが複数用途想定で、寧ろ3つ以上の用途に叶いそうじゃなきゃ買うのを保留にするって手もあるんだ。

例えばMicで汎用だったら何処かに適合する可能性が残るが、専用ので外したら売って買い替えるしかない。
そうなると資産自体が僅かでも目減りするのが必定で、そのせいで次の候補の選択肢に新たな制限が生じる。

んだけど人間心理の事情でついこれ位安いなら、万一ドブに捨てる事になってもなんて思っちゃって誘惑に負けたりすんのよね。
その際助力になる発想が↑で、例えコスパは少し劣っても何かの足しになるかざます。

要するに基本は一発ドデカイのを狙う迄は一緒だが、三振はせず最悪でも犠牲フライにしようってね。
面白いもんで少し謙虚になれると、判断の確率は上がるし思考が柔軟になるんすよ。

丁度この「気分は高揚させつつも何処かに冷静さを残す」のって、元々盛り上がる音楽を演るには必須なスキルなんだよね。
手前味噌の一例として球コンデンサMic購入の経緯を晒せば、幾ら球好きでもそのコストにはかなり逡巡したんだ。

何しろ同一ブランド比で、石なら半分以下の価格で同等品が出てたからさ。
けど候補1を石にして駄目で少し高額の候補2の石に買い替えて、それでもアカンかったら結局…ってなるやんか。

しかも耐音圧では石の最高のと球のでは10dB以上の差があって、過去述の如く専用電源から高圧供給を受けられる球に対してどうしたって石のは不利なんすよ。(現在耐圧50V以上で適したFETがディスコンになって久しい)
流石に自称爆音自慢でもそこ迄必要そうじゃないんだけど、万一ヘッドマージン不足が何処かで出たらそれには使えなくなる。

因みに現代での球コンデンサのニーズって非爆音の生楽器や歌唱が多いが、¥1万を割込むなら未だしもそれでデカい音には使えないとなるとコスパ・汎用性が悪過ぎるぜよ。
例えば¥2万で歌やアコギにしか使えないのだとRockのDrumは当然無理だとしても、最悪は剛腕が弾くGrand Pianoなんかも駄目かも知んない。

尤も宅みたいに録音Studioもやってたりすると絶対数が要るんで、そっちも考えなきゃなんないから理想通りには中々行かなかったけどな。
ので先ずは必要最低限の本数を揃えるしかなかったが、取敢えず耐音圧が理由で用途制限が掛かるのだけは回避したよ。

実際には音色や周波数帯域の都合で全部汎用でも無いんだけど、一応どんな想定外な楽器を持込まれても困る心配はそれで無くなせたよ。
こんなのは元来不景気対策では無いんだが、今迄は考慮してなくて苦境迎えたんだったら誰にでも必要となって来るんだ。

=つづく=

2024年5月26日 (日)

音楽備忘録1745 肉体的グルーヴ考➎

グルーヴって捉え様に依っちゃ臭かったりするんだと晒した処で、それが肉体とどう関係してるかざます。
生身の肉体って機械とは対極に近い位置にもあるから、体質次第じゃかなり癖強で臭かったりするんだ。(体臭じゃないよ)

杜撰大王自身剥き出しの自分の個性を初めて思い知った時ゃ、えーこんなにダセーのかよって暫くは呆然自失になっただよ。
その頃はまだ感覚と実出音にギャップがあったんだが、それにしてもひでぇ困ったもんだってさ。

その後機械等との同期に慣れても、傾向自体はちっとも変わらんかってな。
けれど変な癖強でも音楽的理想のタイミングとしては、この変態タイミングの方がどうにも正解としか思えなかったんだ。

癖を殺せば確実に無難にはなるが、あのフレーズこのオカズとかがピッタリとは決まらなくなるん。
個性って使い方次第で毒にも薬にもなるもんで、特効薬が欲しかったら癖は取敢えず容認するべきなんよ。

望むと望まざろうとその様な存在を認める処からスタートせんと、その先になんか行ける訳ゃねえっての。
この段階でのコレは機械不所持の物であり、感覚的に微妙なタイミング差での表情変化を掴む糸口なんすよ。

機械不在の大昔の人か、或は現代でも拒否してる人だったらそんな注意は要らんかも知れんがね。
そんな連中はオリジナリティは堅持出来てる代わり、ポピュラー系の一定リズムの続く楽曲では妙なギクシャク感が拭えないよ。

その典型がClassic系のナルシスソリスト等で、やたらと上手い癖にBeatのレベルだけ低くて違和感ありありなんだ。
唯そこから追加で勉強しようと思わん奴も居るのは、合わないジャンルは演らなくしちまえば大怪我はしないで済むからね。

わ兎にも角にも微細なタイミングとなると感覚としてしかほぼ体感不可なんで、脳内だけで理解するのは無理がある。
ここも含め色々語られてるのはどれも事後分析なのと、視覚に一切惑わされず音だけで違いが分かる様になるのが先決だ。

唯何となく捉えようとすれば視覚誘導が避けられず、例えばドレッドヘアにしてかっぺっぽく演りゃReggaeになると思ってたらそりゃ完全な幻想だ。
前回綴った通りその筋の大家は演じてるだけで、風貌とは裏腹に商魂逞しいは大の新し物好きだったぜ。

ので誰にも見えない録音等では、ちっとも何時ものスタイルをしないで奏でてたかも知れんよ。
だいいちその容姿にしたって流行って以降は誰もがReggaeのオッサンと認識しちまうんで、今度は音のイメージに視覚がかなり引っ張られてる可能性すらあるぞ。

確かに実力不足(グルーヴ)の段階でそれらしく演れってオファーが来ちゃったら、その場は雰囲気で凌ぐしかねえけどな。😵
自身が持ってる天然グルーヴはそれ迄の体験等に依って醸成されてるんで、その意味ではReggaeな毎日を過ごしてみたりするのは悪くないがね。

-続く-

2024年5月25日 (土)

音楽備忘録1744 音楽に於けるテクニックの意味⑯

拙ブログではお馴染み前回補遺からで、何処をどう思っての例示かから行ってみよう。
併せてガチのRock好きにしてはFusionテイストが強いのに、何故受け入れに抵抗が無かったのかもね。

実はその原因を近年になる迄は把握し切れてなかったんだが、Fusion形態のでもRock技で演ってるのだったら平気だと気付いてん。
Classic・Jazz由来ので構成されてるのと何が違うってば、それは形態的に留まらない内容的なBluesフレイバーがするかどうかだ。

Bluesは性に合ってて好きでも非ヲタを自認してるんだが、それはゴリゴリのだとリズムが俺には物足りなかったからだ。
けれどそれ以外はGuitarやHammondの奏法も含めしっくり来てて、どうやらそんな要素の無いのだと興味が向かないらしい。

それがLarry CarltonはYesでLee RitenourはNoに現れてる様で、私感では技術や知識を優先するか感性や表現を優先するかの如くに感じてるんだ。(勿論後者のは飽く迄感性の為の技術と知識なんだが)
実際には多分必ずしもそうとは限らないんだろうけど、杜撰君にはそんな風に聴こえててさ。

その関連か分からんがBassパートではそんなに色んな事を盛込めないだけに、フレーズの一寸した工夫の影響が大きいんだよ。
Jan Hammer達みたいなの以外だとJoystickは、比較的お約束箇所みたいなのでしか使われない。

のを彼はニュアンス拡張或は明示の方で多く用いてて、そのせいで音源自体は無機質なSyntheに奏者固有の人格みたいなのが付与されてるんだ。(奏者固有の癖)
いやガチのテクノとかだったら機械的な方が好ましい位だが、それしか出来ないと「普通のポピュラー曲」では使えなくなっちゃうじゃん。

日本でなら近年は失念されがちな富田勲なんかも、あれだけ昔から演れたのは機械度の高い楽器でも生楽器等と渡り合えるだけの表現巾があったからなんだよ。
何しろSynthe黎明期にはボカロはおろかテクノさえまだ無く、電気楽器でさえ今みたいな市民権なんか得られてなかったんだから。

この面で今劣化本邦みたいにボカロが珍しく無くなったのは罪なもんで、機械でも楽器として使う際のコツみたいなのが希薄化した気がするんだよ。
この事ってPianoならそうでもないけど、パーカッションとかにはそれらしく奏でないと全然それと聴こえないのが未だそこそこあるんですわ。(音色より奏法に固有性がある)

皮肉なもんでロクでもない使い方をすると大凡楽器とは思えない音がする様なの程、適切に扱えると表現力MAXだったりするもんで。
Syntheやドラムマシンで言えば音色のプリセットとマニュアルの差みたいなもんで、何でも自由には本当の意味での自己責任が必ず付いて来るとな。

=続=

2024年5月24日 (金)

音楽備忘録1743 過小評価で忘れられつつある人々⑨

グループのBassist第2弾は、杜撰大王のセンサーに引っ掛かった人の網羅と行こう。
所詮私感なんで異論も出るだろうけど、少なくとも自身のBass演奏には多大な貢献があるんだ。

当初から誰と明確に分かってて参考にしたのはご存知Paul McCartneyだが、Bassを気に入ってグループ名や奏者名・担当パートを調べて知った人の方が俺は圧倒的多数なんざます。
ので曲だけお気に入りの方々は未だにその先は掘ってなくて、ライトな聴き専の人達と殆ど一緒のままなんだ。

と言いつつ名演が1曲だけだったりすると、放置プレイしてるのもあるんだけどね。
わさて置き取敢えず兼業の他の方が高名で、今劣化本邦の世間一般ではBassistとしての評価洩れしてるのから参るぞなもし。

自分史最古では調査や結果判明はかなり後年と遅れたが、Bee GeesのMaurice Gibbざんす。
時期的にはアイドルコーラス期より後で、Saturday Night Feverの頃迄のRickenbackerを使用した物だ。

ってオイオイいきなりニッチ趣味かよかも知れないが、R君以外の使用時は実際かなり演奏内容も違ったんだよ。
恐らく歌が裏声が多く曲も甘ちゃんな中で唯の甘味とは差別化したくて、音色都合でR君を使ってたからなんじゃないかな。

だからか最有名なSaturday Night FeverではFender系使用な上、曲には良く合ってるけど独自性は少し成り下がっちまってる。
私的に↑の対極と思しきはRun To Meって曲で、Flat弦でのアタック音が妙に目立ってる。

因みにAnita BakerのSweet Loveがそうである様に、歌物伴奏でのBassはフレーズより音色とアンサンブルバランスの影響が大きいんだ。
歌に注聴しててバックで明確に認識可能なのは異なる音域の、低音ならブーンな響きだけとかになるでしょ。

当該曲は本国ではBassも名演の評価があるが、今劣化本邦では特にテクを要する様なのじゃないからか無視され気味だね。
んが真のレジェンドは少し聴いただけで違いが分かるってもんで、音色や何気無い箇所の出来栄えにこそ最大差があるんだよ。

処が↑を重々承知しててもエゴや見栄がすぐに邪魔して来て、Bassしか演ってないのが多いとついつい余計な真似をしがちなんだ。
曲やアンサンブルに悪影響の無い範囲で演出したつもりでも、なまじ腕が有り余ってると最適解から逸脱してたりしててな。

それ故理論的には不利な筈の兼業の方が、歌物の比較的シンプルな伴奏では却って好結果をもたらすケースが案外多いんですわ。
ド下手でも不要でもMicが立ってなくても、口ずさみ乍ら奏でてる奴が居るのはこの対策でもあったりするん。

でその手の過半は編曲はおろか作曲にも関与してるのが多く、それだけBassパートって曲やアンサンブルから独立するのが困難って事った。
もしBee Geesに彼が不在だったら曲もBassも何も、Hard目なのが好きな人には到底聴けない代物になってたかもね。

-つづく-

2024年5月23日 (木)

音楽備忘録1742 杜撰流不景気対策➋

世情に拘らず経費圧縮には無駄な出費をしないのが鉄板だが、何を無駄と考えるのかは変動するのだ。
あまりに保守的になっては必要な変革が遅れたりするし、かと言って流行を追い過ぎても想定より早期終息すると無駄になる。

これの解消には手持ちで流行に乗る知恵がものを言い、そもそも流行の発端をどうやって作ったかを考察してみると良いんだ。
流行後であればそれ用が色々売られる様になるが、誰か1番乗りした時点では○○用なんてまだ未出なんすよ。

ので殆どの場合始祖は使い方の工夫で編み出してて、ツールが新しいから出来た訳じゃねえんだ

因みにボーカロイドに関して、今では恐らく忘れられた情報を参考に披露しませう。

電子技術的には音声合成半導体が出発点となってて、杜撰大王がそのテクを最初に知ったのは1980年代中頃でPC師匠からだった。
当時師匠はまだ俺が逃げた代わりに紹介した音響の会社に在籍してて、業界内速報でYAMAHAでそんなのが出来上がったってのだった。

それから制御部や価格等で難儀してたのか次が聞えたのは2000年代になってからで、名称が単なる音声合成LSIからPCソフトのボーカロイドに変わってたんだ。
それでも当時試聴してこんな不自然じゃ使えるかよと感じたから、所謂ボカロPが台頭する迄杜撰君内ではずっとお蔵入り情報になってたんだ。

新技術の使い熟しには早期新機器の導入が有利ではあるけど、音楽での実用上は必ずしも成功する保証の無いギャンブルでもあるんだ。
だから趣味として失敗しても学費だと思えるなら良いけど、必須ツールが揃わぬ内にホイホイと触手を伸ばすのはどっちらけなんすわ。

俺の場合音楽を趣味としたPC師匠とコンビを組んでたのは幸運で、師匠の方にしても実用性は俺の状況からと相互に知己を得てたんだ。
何でも直接自身で試せないと気の済まない性分にはこれは厳しいが、全数を賄おうとするのは一面で無理がある。

楽器パート事情にしても当初自身ではGuitar・Bassだけ専門で、鍵盤や太鼓等他のは「パートの違う親しい人」から知恵その他を導入してたんだ。
ロクに弾けなかった鍵盤や叩けなかった太鼓等、仮に所持してたってその時点では充分には試せないやんか。

とは言え周囲の誰かが先に購入すりゃ、羨んだりと葛藤は今も常にあるがね。
でも誘惑に弱過ぎるといけないのは何でも同じで、只音楽関係固有のでは難聴とか腱鞘炎とか被害が他のに比べりゃ軽いんだけどさ。

が少なくとも確実に懐には影響してて、それが赤貧ででもないと自覚し辛いだけなんだよ。
初心の内は何が必要か間違えて、杜撰君なんかロスは多い方だったかも知れない。

ミスは悔しいが仕方無い授業料と諦めて、その後に似た様な失敗をしないのが肝心でっせ。
けど芸術関係は気分に左右され易く、如何に別観点を醸成して行けるかが案外簡単じゃないんだよなぁ。

=つづく=

2024年5月22日 (水)

音楽備忘録1741 肉体的グルーヴ考➍

今回は個性の強いグルーヴの実例行っちゃうが、多分現代一般に想像されるのとはだいぶ違うんじゃないかな。
主流になるのは良い塩梅のだけど、典型のとなると一部はドン引きする位濃厚な癖があるんだ。

杜撰大王が最初にグルーヴの種類として認識したのはReggaeで、そのずっと前から日本の伝統的なのにだって固有のグルーヴはあったんだけどね。
古典って万国共通なのか一定Beatの継続がほぼ無く、表現の都合でリズムを幾らでも平気で捻じ曲げちゃうから圏外判定してたんだ。

でReggaeは一応一定が続いてるらしいんだが、味わいと来たら↑の民謡等にも負けない位田舎臭かってん。
それが普及し出した1970年代って斬新さが渇望されると同時に、所謂レイドバックって正反対の流れも流行った時期でさ。(真の発祥は1950年代末、但し未普及)

レイドバックのそれ迄のノスタルジーとかとの違いは、現代訳するなら「キモカッコ良い」の走りですわ。
要するに一周回ったらキモい・ダサい・臭いにも、独特な格好良さを内包してるのに皆が気付き出したんだ。

でⅡでReggae自体はホントは新様式だったんだけど、やたらと味は古臭かって。
典型例としてBob Marley & The Wailersを引合いにすれば、味は古くても当時最新の機材や技術をしれっと駆使しててのう。

その端的例として宅の防音ドアにずっと貼りっ放しの’70年代末のポスターでは、彼は当時最新のYAMAHA SGをぶら下げSONYのMicに向かって歌ってる。
前者は高中正義等当時のFusionブームでの鉄板アイテムだし、後者だって新人アイドル歌手なんかがこぞって使ってた代物だで。

そんなので固めてても誰より味が古臭いのが稀有で、音色の加減も然る事乍らノリ(リズム)のせいでそんな風に聴かせてたんだ。
因みに日本でReggaeが市民権を得たのはこの頃で、ポピュラーに都合の良い一部を取出して皆がこぞってごっこったのは’80年代になってから。

でⅢでその対極にあったのがYMOので、実は当時はまだ人力演奏率が格段に高かったが如何にも機械が演った様な感じにしてあった

今バーチャルってばリアルのを機械とかで真似るもんだが、当時は機械だけじゃ全然無理で人間がロボットを演じてたんよ。

尤もこの演技は古くから映画や芝居にはあって、神仏や妖怪・幽霊・宇宙人等一応架空の存在では用いられてたんだ。
わ今日の本題じゃないからたいがいにしとくとして、それ位リズムタイミングやリズム表現には底知れぬ力のあるのが表に出た訳っすよ。

でⅣでそこ迄強烈に○○臭を漂わせると、他の要素はマスクされるん。
つまり使い方の妙で悪臭(おっつ失礼)も芳香となる訳で、グルーヴ単体は必ずしも格好良い物なんかじゃねんですよ。

かつてソリッドなRockを標榜しとき乍ら、もう古臭くなったSwingしか出来てないのなんかもあったでよ。
それすら今では時代を特定する特徴として、ヲタが喜ぶ様な変な市民権を得てるけどな。

=続く=

2024年5月21日 (火)

音楽備忘録1740 音楽に於けるテクニックの意味⑮

っつう事って今回はSynthe Bassでの名演や、記憶に残ってるものについて綴ってこう。
尚カテゴリにずっとパソコン・インターネットを加えてるのは、例に依って打込みでも前回述要素を欠かせないと考えてるからだ。

恒例の冒頭寄り道談で、打込みでリアルに近づけるにはリズムタイミングも含め「手加減要素」を盛込むのが最適。
概述の如く打込みの真価は「弾けない人が音楽を演れる」で、それがSynthe BassではJoystick等で付与した変化じゃないかな。

そんなシミュレートの中でSynthe Bassは最もハードルの低いのの1つなんで、それ位は挑戦しないと勿体無いですぜ。
因みに更なる余談として今日のデジタル録音だと、録る時弾いてJoystick利用効果は録ってからなんて分割も可能になってんだよ。

過去実例として山下達郎がエレキGuitarでペダルワウを思ったように踏めなくて、録った後に手で操縦したなんてのがありましたで。
さて本題へ進むとして近年のから昔のへと、時系列逆順で例示して行きまひょか。

こんなんするのは杜撰君が現代に疎いのも無かないが、奏者を特定する必要が殆ど感じられないからだ。
1990年位から一部Rapで異常な重低音のリズム隊が聴かれる様になったが、Rap自体にゃ興味は湧かなかったのにこれには未だ少しばかり魅力を感じてる。

のはそれ以前では聴けるのが稀だったからで、仮に録音では可能でも一般再生時にロクに再現出来なかったからだ。
杜撰君はどうやら生来の重低音ヲタだったらしく、音楽としては破綻しても音として暴力的な迄の重低音にずっと恋い焦がれてん。

でRapのシンプルでミニマムなアンサンブルなら、多少乱暴者が居ても他を侵食しないしさ。
但しそれも電子楽器・オーディオの実用再生帯域が拡大あって成立するもんで、アナログSyntheで演ったにしてもEQや配布メディアはデジタルじゃないと困難な音だ。

因みにアナログレコードで仮にそんな深溝を掘っといたとしても、大抵はカートリッジ(針)かPreampがキャパオーバーして盛大に歪んじまっただろう。
普段古いのばかり好む様に見えても、本当に新しい音だったらオッサンも直ちに喰い付くのだ。

只惜しむらくも↑の音色ではフレーズの自由度にかなり制限が掛かるんで、やるとしてもローエンド以外は肥満な音色にならないのじゃないと汎用にはならない。
ほんで汎用性の担保されたのとなるとグッと遡り、印象深いのはJeff BeckのアルバムThere & BackでのJan Hammerに依るYou Never Knowでのだ。

Jan HammerってばSyntheでGuitar系フレーズを連発した開祖的存在だが、それとは別でBassパートらしいのを演れたのはDrummerでもあったからなのかな。
元々編曲家でもあったから知識はあったにせよ、Bassistマインドをくすぐる様なのは知識だけじゃ難しい。

-続-

2024年5月20日 (月)

音楽備忘録1739 過小評価で忘れられつつある人々⑧

今日は杜撰大王の立場ならではで、視点を変えて「グループのBassist」で御座居。
Bassだけで単独で有名なのも沢山居るが、何故かグループ内に居たり歌等と兼業だと正当評価されてないのが多いんだよねえ。

先ず第1として美味しい音色への拘りだが、一般聴者にとっちゃバカテクより遥かに分かり易いかんね。
私的にその対極に座してるのがJaco Pastoriusで、職人に徹して演奏内容だけに命を懸けるのも立派だとは思うけどさ。

Synthe Bassが登場する迄「持続可能な芳醇な低音」は、Hammondの脚鍵かエレキBass位しか出せなかったんだ。
その少なくともかつては最大の特徴をおざなりに扱うのは、最低でも勿体無いと俺は思うんだ。

尤もBassist本人にばかり瑕疵があるとは限らず、エンジニアやプロデューサがヘボだとか編曲に欠陥のあるケースも少なくないがね。
けどリリース許可の一端は握ってる訳だからねえ、面倒な奴と思われるのを気にしてばかり居てもなぁ。

因みに原因所在の見分け方の1つとして、Liveや次作との差の有無がある。
っと言っても近年は盛り全盛なんで本人の意思に無関係に、やたらヘヴィーな音色へ変身させられたりもあるけどな。😵

第2としては音色次第で演奏内容の変わる可能性で、人って満足してたら余計な事はしなくなるっつうかもう出来なくなったりするっしょ。
完成作品では美味しい音色なのに今一聴き取りが悪いとか不要な真似してるって場合、ショボい音色で演って後から増し盛りしたのが疑われる。

第3に歌手兼業は相対的には専業より不利な面が多いが、不要な真似をし難い点は見逃すべきじゃおまへんで。
って禍を転じて福と為すの典型か知らんが、どっちでも良きゃわざわざ苦労しようとは思わんのが人情ってっもんでっしゃろ。

コレ裏を返せば多少無理してでも必須と思や躊躇なく弾き捲る訳で、遊びつつも本当に無駄な音は一切出さないのに繋がるん。
ではボチボチ具体例を提示してくが良い方は大勢居るんで、私感に過ぎないが敢えて残念組から行っとこうか。

グループの方針転換とかメンバーチェンジ、後は脱退等に依って以前比では独自性等が鳴りを潜めて凡庸に変身しちまった連中だ。
杜撰君にとっての筆頭はChicagoのPeter Ceteraで、独立後の方が一般にはヒットしたし本人の意思的にはフィットしたスタイルだそうだ。

がSaturday in the Parkで聴けた様な本職スタジオマンも真っ青、それでいて独特且つ自由な遊びもふんだんななんてのは一体何処へだわさ。
強いて言うなら半分Jazzだったのが、王道売れ線Popsになっただけなのか分からんがね。

-つづく-

2024年5月19日 (日)

音楽備忘録1738 杜撰流不景気対策➊

資金難は俺みたいな貧程大打撃には違いないが、世界から遅れをとって30年ともなると金満氏にだって影響が避けられてないんだよ。
ってな事って長年に蓄積された、ノウハウみたいなのを紹介する趣旨でありんす。

但し健康を害する様では医療費その他の増加を招くし、音が露骨に劣化すりゃその分上がりが減っちまう。
ので唯単にケチりゃ良いってもんじゃなく、長期トータルコストって概念が必要なんだ。

最新半導体のデジタル機器は今や完全回避等論外だが、進化・変貌の早さと短寿命若しくは少し古くなると途端に修理不可になるのは忘れちゃ駄目よ。
その上1980年代と違って海外依存率が飛躍的に高まってるから、だらしない円安是正が進まぬ内はとってもコスパが悪いんだ。

とは言え今や出来ればPC・最低でもスマホの力を借りないと、作品アップロードやSNSでの告知もままならない。
だが基本的なデジタル音響規格に原理的革新が訪れない内は、やれハイレゾだ何だと言った処で飛躍的な音質向上は期待すべきじゃない。

それに対し完全打込み以外は微量でも残存する旧来のアナログ箇所等は、より当分は大変革の見込みは薄い。
って事ぁそれだけ機器寿命(ここでは壊れなかったら使用に堪えるかの意)は長い訳で、この部分への投資は一時的なのとは違う考え方をするのが相応しいんじゃないかな。

又楽器等を使うとメンテや弦・皮等を含む消耗の問題が必ず付いて回るが、対処の仕方次第で末はかなり色々な差が生じる。
比較的入手性の良い物なら多少外しても被害が軽いが、本来なら10年以上交換不要な箇所だとダメージは快適性と費用対効果のダブルで打ちのめされる。

ので杜撰君今では弦や皮等の消耗品は殆どスピキン用ビータ以外は、最廉価品かそれに次ぐ程度のに何時の間にかなってもうた。
無論あまりに粗悪品だとGuitar系のフレットや、太鼓胴のエッジの消耗を早めたりするからご法度だけどね。

過去体験では確かに良い弦・皮のご利益は捨て難かったが、酷く劣化すると多くは最廉価の新品とどっこいどっこい位迄性能低下する。
使用頻度が低く消耗し難い使い方なら未だしも、遠慮なくガンガン演れば如何に負荷の掛らぬ奏で方をしようと相応の劣化は避けられない。

↑の奏法の件は後で纏めて綴るとして、心理的に惜しい物程状態が悪化しても使用を引き延ばす傾向があるよね。
加えて消耗品だと品質が若干劣るのが多くて、儲け率が低きゃメーカだってコストカットに邁進するのは当然だ。

ならばと最高級グレードを選択した処で、価格に見合うだけ信頼性が上がる事は滅多に無い。
無論限度のあるのは言わずもがなだが、最も困窮させられるのは予備の欠乏でんがな。

無い袖は振れぬ同様、無い弦は弾けんし無い皮は叩けないからね。
処がそんな時に限って奏力向上期だったり、新規アイデアを試す意欲が最高潮だったりすんのよ。

それを単なる巡り合わせとして済ます人も居ようが、客観分析すればある傾向のあるケースの方が多いんだ。
練習等が熱を帯びてて自身の感覚では普段通りのつもりでも、消耗品のそれこそ消耗が大抵は増加してるんだよ。

一般論としては気分より状況を優先すべきかも知れないけど、殊芸術方面の修練には気分の影響は絶大なものがある。
場合に依っちゃ気分が乗れないで無理に続けてると、思わぬ悪癖が付く事だってあるんだよ。

=つづく=

2024年5月18日 (土)

音楽備忘録1737 肉体的グルーヴ考➌

今日は体が動いてるからグルーヴがあるに違いないの嘘から参るが、しなやかに動いてたら必ず良いグルーヴになってるとは限らんのだ。
見掛けで騙されてくれる人が一定数居るから厄介で、しかし真のグルーヴとは心の中の物なんだよ。

紛い物ケース1
体自体のうねりは良さげでも、よく観察すると音と不一致なヤツ
紛い物ケース2
一見体が微動だにしない風なので、大してグルーヴが無いと浅はか断定してるヤツ

と代表的な処じゃ2つありこれ等の誤認は、聴者側が音より視覚で判断するからだ。
そんな劣化客は当座は騙されてくれるが、それも至近に比較対象が無かったらの話し。

もし直前・直後にオリジナルメンバーのIsleysに
でも出て来て演られた日にゃ、一聴歴然の差がサルにだって分かるってもんだ。
まあグルーヴの感知の仕方については他で綴るとして、体質次第では他人にとっても分かり難い人も居るんざます。

詳細に観察すれば微妙な動きがあるんだが、全タイプの半数は音>体の動きなんすよ。
グルーヴに自己陶酔してくのは悪か無いし必要でもあるんだけど、他人にグルーヴが足りない(自己満足に陥ってる)事だってままあるんだ。

これベテラン程要注意で、何時からかグルーヴは薄まってるのに見落とす事が非常に多い。
やはり一定期間毎にグルーヴマスターと並べて音で比較してないと、人の感覚なんざ自分の都合の良い方に簡単に傾倒してくもんですわ。

因みに杜撰大王は人一倍グルーヴには拘ってるが、それでも↑を暫くサボってると少なくとも切れ味は低下するよ。
要するに板前の包丁と似てて、少しでも違和感があった研いでみなアカン訳やね。

それで変わんなかったら気のせいで、その手間は直接的には無効だが随時確認は取れるんだ。
あっ但し求めるだけのグルーヴが未達だったら、ひたすら感覚を研ぎ続けなきゃ駄目でっせ。

故に単純な肉体の柔軟性ってより、必要時必要なだけ無造作に体を動かせるかって事なんすわ。
勿論現在アナタの体が持つグルーヴに満足出来なかったら、訓練で変えて行くのはアリだけどね。

けれど体質由来のがその奏者にとって最高に得意な事実は動かせないんで、それは基準点として守って行くべきなんじゃないかな。
土台が不安定ではその上に構築した物だって砂上の楼閣の如く、定着(固定)させる事は出来ねんですよ。

その意味で今劣化本邦の多くは動くは良いが、ちょっち見当外れなのが多いんだよなぁ。
それでもせめて現況が死守出来りゃ良いんだが、このまま進んだらもうグルーヴってのが正体不明になっちまうよ。

次回はグルーヴのダサい・臭いと体裁が良いってのを書くが、どんなグルーヴにも紙一重の欠点ってのがあるんざます。
無味乾燥も無理やりグルーヴの一種と捉えられん事はねえが、そんなのは人が育んだグルーヴじゃないんだけど…。

=続く-

2024年5月17日 (金)

音楽備忘録1736 音楽に於けるテクニックの意味⑭

Synthe Bass今も時々普通に使われてるが、過去の名演みたいなのは影を潜めて久しい。
のは残念だが、恐らくはアナログSyntheをあまり使わないせいなんじゃないかな。(ここではデジタルバーチャルは一応除外)

決してデジタルを否定はしないが、音色の美麗さだけじゃBassパートにはなり切れんのどす。
小難し気なディテールより骨格的流れが・複雑さよりシンプルでもそそられるのが望まれるのも、全ては音域の低さからであろう。

処が面白い事にシンプルなラインになる程表現面の比重は重くなるもんで、僅かな強弱や音の長さの違いが俄然影響して来んの。(鍵盤タッチレスポンスに依る強弱とは少し別物)
その意味では最も鼻歌に近い存在とも看做せ、「○○な感じ」等はこの部分に左右されるん。

それ故適切なタイミングや音色変化等も厳し目に要求され、それには音源の変化巾が大きいの程向いている。
音楽自体には万能な生PianoもBassパートには不向きと思ってて、低域のファンダメンタルに対して倍音が多すぎるのもある。

が杜撰大王としてはそれより、音量と音色がリンクし過ぎてるのがアウトなんだ。
Classic等と違いホピュラー系では非リスニング環境下での聴取想定が必須なんで、マイルドにしたからって音量が激減しちゃあ都合が悪い。

この面で純粋な生楽器は用途が限定され、電気楽器以上の対応力が相応しいんだ。
なのでFolkも初期はウッドベースだったのが、エレキが主流になってったのにも流行以外に理由があったんだ。(但し一般向けポピュラーの場合)

さて音量(強弱)と音色を別に操縦するには、普段殆どので便利なタッチレスポンスは却って邪魔となる事が多い。
それ故ⅡでSynthe Bassの名演にはデジタルより、アナログの方が多くなるのは半ば必然かも知れない。

私体験でデジタルSyntheでBassパートを演った際、可能ならタッチレスポンスを敢えて殆ど殺してJoystick(又はWheel)での手加減をメインで使った事しか思い出せない。
更にはCrescendo・Decrescendoも折角のタッチレスポンスを使わず、無意識に出力ボリウムツマミで演ったりしてたよ。

コレ杜撰大王の場合はアナログ時代の習慣が出ただけなんだろうが、可能だから・楽だからって何時も何でも利用するのが最適・正解とは思えないんだ。
機能は有効活用出来るなら喜び勇んで使うけど、不要なら思い切って不使用とする勇気が今の時代に慣れてるとどうなのかな?。

超久々の鶏玉子話しだが音色はデジタルのも欲しくても、操縦面ではタッチレスポンスはあまりBassパートにゃ向いてねんじゃ…。
鍵盤指令でBassパートを鳴らすなら大抵は片手だけで足りるのが、他楽器より有利な箇所なんすよ。

管では口が弦では開放弦以外弦では両手が塞がり、鍵盤Bassでは必要とあらば古のマウスコントローラだって使えるのに勿体ねえ。
何て思うのは俺だけかな、知らんけど。

≣続≣

2024年5月16日 (木)

音楽備忘録1735 過小評価で忘れられつつある人々⑦

続いてはAl Greenの勃興期にAl Jackson Jr.が作曲に迄携わってた繋がりで、Booker T. & The MG’sを取上げよう。
但し今回の狙いは、多重録音等が恐らく最少だった例としてね。

ハッキリ言って多分今時の厚みのあるアンサンブルを聴き慣れた耳には、少なくとも暫くはスカスカでお寂しやと感じる人が後を絶たないだろう。
尚且つ昔の隙間のあるのに慣れてる人でさえ歌物曲から歌を省いただけにも近いから、悪くないのは分かっても物足りなさを覚えるかも知れない。

実際ウチの従兄にその現象が一時期出てて、同じ曲の歌入りバージョン(つまり彼等がバックを務めてた
)を大抵は先に聴いちゃってたからね。
処でミニマム編曲と言えば弾き語りとか独奏が思い浮かぶだろうが、競合する存在の無い点では難度最高では無いんだ。

3〜4パート以上あって各々が自由な際の方が案外熟考しないとユニゾンが多くなってたり、逆に夫々が何時も違ってるせいでグループの色が曖昧になったりさ。
でそんな時普通は前者だったら異質な何かをオーバーダブしたり、後者の場合はユニゾン若しくはそれに準ずるのを加えて調整する。

音色の脆弱性や基本パターンの増強でもオーバーダブを使えると、録音時の編曲は飛躍的に楽になる。
んがそんなのに悪慣れするとLive時に困ったり、最悪は重ねないと存在感の希薄な音色とか演奏の悪癖が付いたりもするんだ。

そんな面で最も変化・変容の少ないのが彼等で、注目すべきは曲調の巾の広大さだ。
初期BeatlesやAl Greenでは歌のコーラスだけは少し贅沢に奢ってたから、伴奏は必要最低限に近くてもまだ間が持った。

そのVocalパートを根こそぎ削いでシンプルってのは、確かに奏でるだけなら簡単だけどさ。(実際には1音の比重が重くなるから究極的には最難関)
又殆どがインストなのにソロパートも少な目で、飽きさせないとなると尋常じゃねんですよ。

これを実現するには映えテクは排除して音楽的に意味の深い、独自のとか小技は目立たぬ様にしかししれっと要所には効かさなくてはならない。
それを一番多く演ってるのがDrumのAl Jackson Jr.で、Ringo同様聴いた感じではちっとも難しそうじゃないんだけどさ。

実際に挑戦してみると寧ろ必要最低限にシンプル化してるが為に、却ってタイミングを取り辛くて高難度なんだ。
わ兎も角ほぼ失念されてるのが唯聴くには「一寸お寂し」で、これは用途目的もあって意図的にそんな調合にしてたんだ。

それはダンスミュージックっても他のと違って、全くダンススキルの無いズブの素人を躍らそうとしてたんよ。
現にYoutubeに当時のゴーゴーのハコバン状況で盛り上がってるのがあって、ソロになってからのMichael Jacksonみたいに特定の振りをすべきみたいな決め事は一切不問のヤツでね。

って実際はMichaelも必ずしも指定なんてして無かったんだけど、Thrillerだとやっぱ皆でゾンビダンスした方が共有感に勝るじゃん。
けどその振りを知らんとか出来ない人は参加し辛くなる面があって、夫々が思いのままに体を揺らす自由は減ってるんだよなぁ。

わ兎も角Ⅱでつまりはオカズの提供だけに留めて、主食は自由に選べる余白をわざと残した音楽なのさ。
なので最低でも心の中では踊り乍ら聴いてるつもりで居ないと、そりゃ物足りなく感じるだろうよ。

-つづく-

2024年5月15日 (水)

音楽備忘録1734 今時真空管の得失⓳

やっとこどっこいで結びを迎えるが、是迄書いた様に音楽や録音用途では現況だと球の方が「バスレが少ない」んだ。
とは言え石の廉価帯のと比べたら球の方が高価にはなるが、杜撰大王又の名を貧王でも薦められるのは超高額品じゃおまへん。

無論夢は金に糸目は付けず伝説級のアレやソレが欲しいけど、石のだってそのクラスのになると殆どが云十万はする。
ので一部のラッキー金満君には好きにして貰うとして、少なくとも中古なら¥10万を切るのをターゲットにして話しとん。

多分概述先日修理した従兄死蔵のBEHRINGERのMic Pre、Zoom R-24と比べたらかなりマシな音だったけどさ。
内部部品は当時レベルでも汎用品で、それだからこそカスタムICの完全互換品が手持ちにあって直せたんだ。

英語のフォーラムによるその実別名を与えられただけのだそうで、2chある内実際壊れてない方のと比べて何の僅かな差も無かったよ。
まあ今じゃ旧態化して中古市場じゃ大巾な値崩れしてっけど、そんなのじゃないと修理に窮する事が多いん。

ここ数年来従兄宅でヨレた機器の修理が延々続いてんだが、従兄の懐事情もあるにせよどれもメーカ修理は終わっちまってん。
有名無名等の差もあるにせよこれがFenderの球Ampとかだったら、何処ででも大体直してくれるのにさ。

デジタル機器であればスタンドアローンのでも進化が著しいんで刷新必須だから良いかも知れんが、唯のPre Ampやコンプ・リミッタみたいに大して進化してないのだったら継続使用が規定路線じゃん。
それが部品がディスコンだのメーカ終了だので躓いてその度買換えてたら、10年以上のスパンで俯瞰すると最善でコスパどっこいか多くの場合悪くなるんよ。

常に新しい物に挑戦ってのも勉強になるし格好良いけど、それでは習熟っつう武器が殆ど使えんくなるだよ。
微妙なさじ加減は何処の世界でも一朝一夕には得られず、一般的には経験値が上がる程有利になるじゃない。

なので音楽でも作る関係のになると、最低でもユーザーの習熟が終わってからが本当の寿命期間なんすわ。
つまり見掛けは音響機器の姿をしてても、楽器と近い考え方をしといた方が相応しいんだ。

でそう来ると次に考えとくべきは、壊れなかったら何時頃まで実用に堪え得るかで御座居。
そこで世間の様子も伺うと、デジタルが普及した後の方が手に入る球機器が増えてるんだ。

俺の場合デジタルを普段使うのは経済的理由のみだが、そうでなくてもデジタル録音機や汎用PCに球は入ってないよね。
わざわざ買うなら異質な物が優先になるのは当然で、尚且つ未だ音楽には球のみが持つ音色を必要とする場面がある証拠。

で結局前出Zoom R-24みたいなのを最初は買うしかない現況だと、その次の何処かの段階で何れ欲しくなるのは異質な存在つまり球等になるんじゃないかなぁ。
ならばなるべく早い段階から球に着目した方が、色んな面でお得になるんじゃって話しどした。

-終わり-

2024年5月14日 (火)

音楽備忘録1733 肉体的グルーヴ考➋

柔軟体操サボっててからの続き、やった方が確実に色々に良いけどね。
グルーヴ目的では現状次第では必須と迄行かないケースも多々で、けれど大抵ある程度のしなやかさは必要だ。

グルーヴを視覚置換するとダンスになるが、唯の踊りでもなきゃ特別凄い踊りでもないん。
振付け見栄え・力・速度等への意識は必要最小限度で構わない代わり、なるべく疲れ知らずで延々やれる様なヤツだ。

グルーヴでの踊りと音楽の関係はココではお馴染み鶏卵話しで、どっちが先でも同時進行でもエエのんや。
現時点で非音楽家なら音の調子の良さに乗せられて、踊りと思えない様な変な動きでも音に合ってりゃ何か楽しい。

逆に伴奏者だったらキャストが踊り出したのを盛り上げるのに、それに合った音を奏でてやるとかさ。
この時どっちも理屈で考えてたら大抵は間に合わないし、そのフィーリングをダイレクトに反映させるには最初は変な決め事があったら邪魔でしかない。

それには先ず体の姿勢が問題で、負荷が高い程体の何処かの緊張度≒筋肉に力が入った状態になるから都合が悪い。
但し外見がどうかより、本人にとって自然体に近くなってるかだで。

これで要注意なのがドラムの椅子高さ等で、弦や鍵盤と違って両足が空中に浮く瞬間があるからなぁ。
単純に座り疲れたからって任意のタイミングで座り直す訳にも行かないし、中腰になるとか立ち上がる(逆に何処かに軽く腰掛ける)とかリズムの流れの安定を考えたら途中で下手には動けない。

又体をガチガチに固めてるのは論外だが、さりとて無駄に体を動かすのもマイナスになる事の方が多いんだ。
特に近年は映えを気にして格好良いアクションをしようとしてるけど、見た目を先行させるとねえ。

達人のアクションが映えるのって音やパーソナリティにガッチリ嵌ってるからで、動画の音を消して今ならAIで別人に置き換えてみろっての。
多分過半数は奇怪で意味不明で、滑稽な動きに見えるから。

更に要点となるのが良いグルーヴが既に出せてるかどうかで、ノリが悪いからそれにピッタリ合った動きをしたら可笑しく見えてんじゃねっとね。
全てはより良いグルーヴの為なんで、その意味ではひたすら音先行でやってかんとアカンのよ。

強いて例外があるとすりゃダンスの方が既に入賞レベルの人で、その場合は楽器に慣れられれば踊りの時のノリが音でも何れは出せる様になるけどな。
それでってんでもねえが近年の映え踊りの為のダンス、杜撰君は音楽でやるのは大反対だ。

音を全く出さないなら良いが、普通音楽の舞台で正規メンバーで舞台に上がるメンツにそんな奴は居らん。
バックコーラス程度にしろ「何か音を出す」為に、舞台上に居るんだからさ。

でそれだからこそ非演奏者の踊りとは、一味も二味も異なる振りとかになって独自性が生まれるんだよ。
極端な場合音無しだと恥ずかしさしか無いヤツが、あら不思議音が付いたら正反対になるのすらあるんだ。

それこそがグルーヴが可視化されてる一例で、個性的なグルーヴになってる程個性的な振りになったりもするさね。
体を柔軟に使えててもそっち方向に行ってないと、きっと何処かしらが不自然なグルーヴになってんじゃない。

-続く=

2024年5月13日 (月)

音楽備忘録1732 音楽に於けるテクニックの意味⑬

今日は前2回を踏まえ、Bassパートとはに迫ってみよう。
音楽的には様々なのがあるも、現状ポピュラー系のはコントラバスのピチカート奏法とエレキBassで開発されたのが主軸であろう。

っと言ってもTubaやHammondからのパクりネタも少なくなく、しかしそれ等の中でも弦で再現可能なのが普及している。
Classicオケの時代のはbowingが多用されたんで、ルートフォローかせいぜいサヴメロ的なのに終始している。(無論例外の存在は何時もある)

尤も低音域でそれより音数の多いのはCelloが担ってて、この点はエレキBassに至っても比較的高い音域が使われている。
それより更に前の時代で人を選ばずとなると、能動的なフレーズはほぼ鍵盤でしか演れなかった。

で鍵盤の左手Bassはシンプル目な編曲ならそこそこ頑張れるが、色々盛り込みたくなるとBassパートだけに専念してはいられなくなる。
恐らくこの辺りのせいでBassったら弦のが主流になったんだろうが、本来は楽器種とBassパートは全く別物なのだ。

非低音域楽器で演ると音域的に少し高くなっちまうが、例えばBeatlesのTwo of Us等の具体例がある。
ので弦バスやSynthe Bassを使わなくても充分フレーズが作れるんなら良いんだが、如何せんネタ元事情で今日に於いては多分少し難儀しちゃうんじゃないな。

それと歌物Pops・Rockらしく聴こえるのとなるとエレキBassのが圧倒的多数派なんで、これはDrumに関しても似た様なもんだ。
実は「ズツタツズツタツ」と演れなんて絶対的なルールなんか全く無いのに、「普通に聴こえたい」が為に未だ踏襲してるのが多いっしょ。

過去達人や名作にバスドラとSnareが逆になったのが
そこそこあって、杜撰大王なんかはそんなのの方に在り来たりなのより魅力を感じてんだけどさ。
そうして普通に聴こえる様にするのは結構難度が高いのもあって、腕利きが散発的に演るだけで広く浸透はしなかったんだろうね。

結局これ等から「Bassパートってどんなん?」を習得するのに、今はエレキBassを弄ってみちまった方が手っ取り早いんよ。
他楽器vsエレキBassでの最大の相違は、一言で言や「頭を使うかどうか」でやんす。

実際には全く頭不使用だとつまんないのしか出来なかったりするけど、「Bassパートに聴こえない」って事ぁ滅多に起きんのどす。
恐らくその原因はかつてFender RhodesからBass用のが出てたが如く、音域が限定されてて和音が音的に鳴らし辛いの等が却って良かったんだよ。

≅続≅

2024年5月12日 (日)

音楽備忘録1731 過小評価で忘れられつつある人々⑥

オヤビンのAl Greenが作曲にGuitarを多く用いてたからか知らんが、ベーシックはGuitar Bandの形態でちっとも珍しくは無かった。
がそこへほぼ常時加えられてたパートにとても特徴があって、鍵盤の他擦弦属も金管属もとこれだけだったらほぼオールスターキャストだ。

が予算事情の絡みか何だか常識からすればその数が不足気味なのと、殆どのに残響付加がされてないのが珍妙なんだ。
○○アンサンブルには本数も不足してる上Echo等での嵩増しが無いんだから、音色はチープになるは奏者には過酷だわで…。

けれどアンサンブルを原点から考察すると音楽的対応力については、どんなにサウンドがリッチだろうと「存在しない楽器」があるよりゃあった方がマシなんだ。
その頃デジタルはおろかアナログでも今みたいに汎用性の高いSyntheは無く…、要するにトータルコストで機械主体より人力の方が色々好都合だったんだ。

実は勝手に貧仲間との思ってる杜撰君昔からこの手法を試してはみてるんだが、本家は生演奏だった巨大な壁に阻まれててね。
せめて歌以外を全部バーチャルにすれば未だしも、音響的高音質より遥かにリアルの表現力etcの影響が甚大だったんだ。

その最たるのがムードで、今となってはあんなLo-Fiで良い雰囲気を醸し出せてたのはこれが原因なんすよ。
この点随時頻吠えの様に楽器や音響の進化方向が、音楽に対しては誤りとか無能な方へ進みやがってるんだ。

更にはその原因は金勘定には長けてても、音楽に疎い奴が開発に携わる様に変わったのがアカン。
わ兎も角特定時期にしか可能じゃなかった方法って事ぁ、超絶な裏技に属するモノだったのかも知れないね。

けれど制作・録音現場に付いて回る制約って今も不変なんで、少なくともヒントの1つとして記憶しとかない手は無いんじゃねえですかねえ。
あのBeatlesでさえ同門の中では厚待遇だったとは言え、全盛期のシナトラとかと比べたら業界的には滅茶苦茶冷遇されてたんだから。

それ以上にまだ売れてない者が上昇のキッカケを掴むには必須で、機材の高音質化の上で呑気に胡坐をかいてる場合じゃないんじゃね。
今劣化本邦では確かに業界もリスナーも最低に近いけど(失礼だが真実を正直に吐露しないよりゃマシ!?)、もう暫くの間だったら「腐っても鯛」が通用しそう。

現にかつてと比べたら人気の衰えた野球でも、大谷翔平だけはマスゴミから持ち上げられっ放しじゃんか。(数多の失政等のマスキングにも大いに利用されてはいるが💦)
そういった突破力には先ず強力な志や意志がモノを言うが、本当に必要なのは「突破力に繋がる知恵」なんじゃないかな。

それこそもう昭和じゃないんだから、気合や根性だけでどうにかなるもんでもないさ。
だいいちその昭和史も冷静に事後検証してみりゃ表層は根性でも、舞台裏には鉄壁な理論的裏付けが実際はあったんすよ。

只昔の職人気質では隠すべきとしてたのと、頭で理解出来ても実践に移す方がもっと大変だったからだ。
基本的には実現困難な知識は伝えぬ方が親切とするか、無理でも全容を明かす方が親切とするか考え方が違う程度でしかないん。

-つづく-

2024年5月11日 (土)

音楽備忘録1730 今時真空管の得失⓲

最新ローノイズ機器を使っても思った程クリアにならない場合があるのは、音源に何回も掛けたりすると起こりうる現象なのだ。
それ以前にデジタル録音がデフォになった今は、アナログ音源の収音時のノイズが最も大きくなっている。

この場合電気楽器なら楽器Ampからローノイズな程良いが、音色事情等でそう簡単に飛躍的なローノイズ化は出来ない事が少なくない。
となれば次の経由地のMic自体や、Mic Preのローノイズ化が最初の課題となる。

んだがここでも一考すべきがあって、幾らローノイズでも不要ピークを拾い過ぎる様だと後で劣化する公算が高いんだ。
何故ならそれだけハードにコンプしなきゃなんなくなると、音源と一緒にノイズも下駄を履かせられちゃうからさ。

特に今流行りの平均音圧を上げたくて掛けるんだと、モロにレベルを上げる為の叩き潰しだかんね。
デジタル処理ならリアル機みたいにそれ自体の静的雑音こそ追加されないけど、ソースに含まれてる雑音はやっぱり増幅されちゃうよ。

なので仮にローノイズ石Preで2:1のコンプの2度掛け必須だと、1回で済む球Preがあったらそれが倍以下の雑音レベルならその方が静かになるねん。
俺はミックスの最終段階で調整したい口なんで今迄は滅多にやらなかったけど、掛け録りが可能でコンプにMic Preの付いてるのだったらそれだけで賄うのが最も低雑音になる。

尤もアナログ入力回路以外は殆どデジタル化されたか可能になったから、昔と比べりゃルーティング(信号経路)の心配はかなり減った。
但し以前述のデジタル機器のアナログ部分の問題と、上記の2度掛けみたいなのはデジタルになったからって完全に解決した訳じゃ無いのよ。

お試し時等なら幾らでもどうとでも出来る、デジタルはホントに便利になったんだけどさ。
再出重複になるが95%がデジタルで5%だけアナログの機器で、その5%だけの為に最適な電源電圧を供給してるのは幾らも無いでんがな。

技術面では可能でもそれするとコスト・サイズはどっちも跳ね上がり、商業的にも購買意欲的にも微妙になっちまう。
この際だからこの件で未出の箇所を掘っとくと、昇圧だけなら今は便利なICを噛ましてやりゃそれだけで行ける。

が昇圧ICの出力電流の「質」が難ありで、微小信号を大胆に増幅するとなるとその弱点が露骨に影響するん。
この事だけでも正規電圧駆動の球が入ってるのだと楽になり、プチ以前述コンデンサMicでもヘッドアンプには現況球の方がかなり有利なのな。

今作られてる石系半導体はほぼ「オーディオ以外向け」となってて、デッドストックの古典石は音色は申し分無いが性能的には旧態依然と部品事情が癌なんだよ。
因みに現行品でオーディオにも使えますなんてメーカがうたってたりしてて嘘ではないんだが、一部のオペアンプ以外はその実飽く迄2次流用の位置付けなん。

で↑の様なので素晴らしいのになると、お値段も桁違いにすんばらしい事になっとりましてなぁ。
そこそこの球だってそれなりの値段はするけど、それ処じゃないのなんて杜撰大王は全然買えないッスよ。

-もひとつだけつづく-

2024年5月10日 (金)

音楽備忘録1729 肉体的グルーヴ考➊

肉体は生まれ持った俺言い「地速度」にもグルーヴが少しは左右されるが、若きゃ心理面と比べれば訓練でかなり克服出来る。
問題は加齢等に依る速度低下だが、絶対的最高速より主に反応鈍化に翻弄される。

杜撰大王自身は幸いまだ顕著には感じられてないものの、条件反射みたいな前フリゼロの反応は確実に落ちてる筈だ。
それより痛感してるのは体力(スタミナ)の方で、日増しに無理が利かなくなってるよ。

ここでの無理とはモータで言う連続定格ではなく時間限定の最大定格の方で、無理の無い範囲の持続性(パワー)なら寧ろ漸増傾向が感じられてる。
要するに演り方が不完全なままだと昔よりか駄目で、要領を得られてるのはその分負担が軽減してる様だ。

でキレについてはやはり絶対最高速の影響が少しはあるだろうが、グルーヴには殆ど限界高速みたいなのは出て来ないから扱さえ間違わなきゃ殆ど維持出来る筈。
なんだがどうも英や日ではベテランのグルーヴ劣化が顕著な感じで、この現象を親友の聴き専ヲタ氏は衰えが早目と称していた。

加齢で劣化するのは力や速度ばかりではなく、柔軟性だの可動域の縮小等もあるけどさ。
でも器楽演奏の90何%じゃ荒川静香嬢のイナバウアーみたいなのなんて出て来ねんだから、受動感覚的な勢いがそれでそんなに落ちる訳ゃねえんだ。

それからして最も怪しいのは「気持ち」の問題で、それ故杜撰大王としては心理状態に不足のある内は肉体面を探ってもあんま意味無いと考えてんだよ。
勿論体の衰えが及ぼす気力の萎えは相当なもんがあるだろうけど、普通に近所へ徒歩で買い物に行って帰って来れる位なら「気の持ち様」如何で補えるんじゃないかな。

そこで両方に効果が期待出来るのが「齢を忘れる」事で、失敗したら年寄りの冷や水になるリスクはあるけどな。😵
でも気持ちだけの段階だったら異常高血圧等の持病がある人以外は、せいぜい傍目に年甲斐が無いと映る程度で済むんだよ。

それも嫌だったとして当座は誰も居ない時に試せば無害な訳で、それすらままならないとしたら自身内に余計な枷が存在してる証拠や。
又無理やり気持ちを奮い立たせた場合心は草臥れるだけで済むが、肉体の方はそうは問屋が卸さない。

↑状態だと杜撰君と正反対の人ですら大抵は何処かに力みが生じてて、唯でさえ弱ってる体の何処かを壊すって重大なリスクがおま。
だいいちそれで悪癖が付いちまったら、べらぼうに疲れなきゃグルーヴが出せなくなるから二重に大損だ。

と言いつつ個人差はあるだろうが齢取る程脱力状態ってのが、案外全く意識しないで居ると難しい感じがする。
もっと高齢になって露骨に筋力低下したらどうか分からんが、興奮した幼児が肉離れしたなんて話しはとんと訊かんって。

恐らく特定環境下の人を除けば筋力より柔軟性の方が先に劣化してると思われ、本人無自覚でも自身のパワーで体を壊してるケースが圧倒的に多いん。
と言いつつⅡで杜撰君柔軟体操は必須と分かってても、面倒で殆どサボりっ放しなんだが…。

-続く-

2024年5月 9日 (木)

音楽備忘録1728 音楽に於けるテクニックの意味⑫

ここ数回は何か強引なBass勧誘みたいになってたけど、それも裏を返せばBandスタイルに拘らなきゃ自由って事なんすよ。
なのにポピュラー系で弦以外のBassが今一浸透しないのは、使い方に不備があるからなんじゃないかな。

って事って今回はSynthe Bassを中心に語ってくが、本来は管だろうと鍵盤だろうと適切な使い方さえ出来ればBassパートの音源は何でも構わないんだ。
処がポピュラー系で生楽器を完全排除が厳しいからか、実際には整合性の都合で現在迄の電子楽器じゃ一寸使い難かったのかな。

私感に過ぎないが楽器を生から電子迄使い倒そうとすると、中間の電気楽器はどちらに対しても整合可能なんだ。
何しろ半生・半電子な訳だからね、とは言え生の管とか鍵盤にももう少し頑張って欲しいのが本音ですわ。

それが中々上手く進まないのは、恐らく奏者人口事情もあるんじゃないかな。
どうしたって分母が大きい程、珍しいとか新規用途の開発が進み易いかんね。

それとSynthe Bass(鍵盤)で停滞してる内に、電子楽器が打込みに軸足が動いちゃったのがなぁ。
随時頻吠えで杜撰大王はHammond奏法をもっと重視すべきと思ってて、Piano系以外の音源のにはそっちが合ってんですわ。

音源吹鳴が生動作のならそこを手加減するのが良いけど、そうじゃないのにタッチレスポンスで賄おうって発想が愚劣なんだよ。
上で「生と電子を繋ぐのは電気楽器」と提言したが、その中には強弱表現をエクスプレッションペダル等に任せたのが結構あるじゃんか。

あまり一般的じゃないがクラビでもし強弱付けたくても、リアルで弦をほぼ一定に引っ掻いてるからねえ。
今ではかなり失念されてるけど、アナログSyntheだって初期の頃はそこそこペダルボリウムを使ってたんだよ。

或は追付く様なら随時手でツマミで調整するのが当たり前で、音色次第で平気で音量も増減したからねえ。
これは電気・電子楽器では極普通・当然の操作だったんだけど、Guitar系では段々とEffectorの「踏み替え」に移行。

両手が殆ど演奏時に塞がるってのに、初期設計で一寸それを漏らしたのかも。
尤もエレキ開発全盛期はJazz Bigbandのそれと重なってたから、休符時間が長かったのは否めない。

これ等実情からエクスプレッションペダルと云う発想は廃れ気味で、打込みに至っては尚更だ。
だが指揮者の観点からしたら死活問題並で、ここを改善させない限りは現状の停滞は続くだろう。

その点Hammondやエレクトーンが少し弾ける人には、即戦力なんじゃないかな。
そこ迄しなくても過去にはThe Doorsを筆頭に、エレキBassの居ないBandは結構あったんだ。

只Bass専業の鍵盤奏者は俺知りでは皆無で、ここから変えて行かんと色々制約が多くて難しいかも知れないな。
もしかして鍵盤奏者の奴等、Bassistを低く見てるんならヤダなあ。

=続=

2024年5月 8日 (水)

音楽備忘録1727 過小評価で忘れられつつある人々⑤

今回は再度Al GreenとHi-Recordsを取上げるが、今では恐らくRock系には不似合いなガチのSoulと思われるだろう。
だがリアルタイム体験者としてみれば、当時は白好きHard好きや女子供にも最も馴染み易かったんだ。

概述の如く杜撰君は恥知らずの単細胞だったのもあって、より一層一々何処の国のどんな民族のかなんて気にもしてなきゃ殆ど分からないままでな。
ひたすら何かが面白いとか乗れる曲を、ラジオ点けっ放しで探してたんだ。

そこへBeatlesを始めとした王道のより先に引っ掛かった内の1つで、その原因は先ずムードが洒落てるのと一々各部が他のと違って独特だったからだ。
これも概述再出になるが強いて似てるったらTVで最初のルパン三世の位で、同じレーベルのSyl Johnsonとかがラジオで掛からなかったから他に似てるのが無かったんだ。

ちょっち余談になるが今では大定番・王道のルパンの方も、当時の国内世相に対して先進的過ぎたか一般受けはあまり良くなかったんだ。
だから既存の物じゃないのに渇望してた俺みたいな一部では大絶賛だったんだが、後から考えてみりゃかなりニッチっつうかヲタ領域だったんだろうな。

そして作る側・評価する側共々そんな真似が平気出来た裏には、実績の殆ど無い新参者って共通事項があったんだ。
前者は後から調べると一種の苦肉の策の果てだったらしく、後者はベテランみたいにスタンダード曲を知らないしね。

彼等の作品は最先端のHi-Fiに当時の俺には聴こえてたけど、ずっと後年に事後検証すると真逆だったのには少々ガッカリ感はあったよ。
けどそれなら何故そう感じてたのかってば、ムードと云う世界観では高度に完成の域にあったからだ。

因みにそれを図る手段として最低音質のと最高音質の機器で聴き比べるっつうのがあって、好感の原因が音質なのか音色なのかがそれでハッキリするんだ。
ってクソガキ当時はロクなので聴けなくて、齢とってからは好きなのをなるべく高音質で聴こうとしたら気づいちゃったってだけなんだけどな。😓

しかしそんなボロいので良い感じを出すのって、音響に頼らず音楽性だけでムード満点にしてた訳だよね。
これは幾ら高音質になろうと本来は必須の要素で、音楽のお仕事の本質と言っても過言じゃないだよ。

実際この要素抜きにしても杜撰君には好みのタイプだけど、誰にでも分かって欲しいのは本質だけ。
たまたま典型例としてAl Greenが最適解だっただけで、ましてや黒人だからとかSoulだからなんてのはどうでもエエねん。

ルパンの方も斬新な痛快さを狙ってて、斬新な痛快→Funkyな音を求めた結果引用に至ったんじゃないかな。
どっちも殆どコネも無く低予算な中での苦闘では一緒、殆ど概手持ちのアイテムだけで何とか料理しなきゃなんなかった。

その影響は例えば当時のスター歌手やTV番組ではスタンダードだった、Bigband編成なんてのは無理な相談だ。
かと言って特定スタイル専用の編成になっては、守備範囲が狭過ぎて困る。

それで上手に乗り切ったのもあるにはあったが、斬新さを出すにはやっぱり少し足りない。
さあどうしたか、は次回へ。

-つづく-

2024年5月 7日 (火)

音楽備忘録1726 今時真空管の得失⓱

この項も終盤を迎えるに際し、「今だからこそ球」のメリットを綴っとこう。
その筆頭は録音のデジタル化で、音を作る必要の無い箇所で変容される心配をしなくて良くなった処。

オールアナログ録音の体験値が一定以上無いと実感が湧かないかもだが、兎に角オーアナの昔はノイズ低減に皆躍起になって腐心してたのよ。
本音では音色的にAを使いたくても、そうしちまうとノイジーになるから仕方なくBで行くなんて葛藤も含めてさ。

それから配布メディアがCD(つまりデジタル)へ移行期にも、○○サウンドみたいな絶対的定評があったの以外は皆が翻弄され迷走気味になったんだ。
きっと購買者はデジタルになったんだからと大きな期待もしてるだろうから、アナログ時代のとはなるべく明確な差を持たせようなんて思ってね。

本来デジタル化の意義は変容の縮小なので、アナログ時代より弄る必要は減る筈だったんだけどさ。
デジタル録音黎明期にオールデジタルはほぼ不可能(Mixer卓が遅れてた)だったりしたし、CD出現当時の国内販売価格がレコードより¥500高い設定でな。

現場としちゃ売行きが落ちたら敵わんから、何とか「値上がりしただけの事はある音」になる様迫られてた訳さ。
ほんで辛うじて健全だったメジャーにそっちへ振られると、ウチみたいなウルトラマイナーでカセットでのリリースでも全く前と変わらんってんじゃ厳しくなった。

でも機材はほぼオーアナ時代のまま、せいぜいデジリバを導入出来たら御の字ってな状態。
となると必然的に以前にも増してノイズ退治とか、歪み低減に躍起になるしかなかったんだ。

これでもウチは極限迄抵抗した方で、他所様の殆どでは折角持ってた球機器やヴィンテージ系石機器を惜しげもなく手放したりしてたよ。
私的に最も惜しい失敗と思ったのはリアルの鉄板Reverbで、場所塞ぎとかメンテ事情があったのは分かるけどね。

俺等は最早奇特ヲタかも知れんが、今頃になってわざわざ「階段バーブ」なんてのをやり出してるケースもあるでよ。
これの採用が可能化したのも、アナログ当時より録音音質が上がった事実は外せねんだ。

デジタル率の高くなった今だから天然より明瞭な不自然さが問題化した訳で、オーアナ時代のそれも貧じゃバネ使おうとチャンバ使おうと最終段階では違いが分かったかどうかですがな。
何しろ音源も残響音も唯の1回録るだけで、盛大に劣化・変容するんだもの。

ので今ならよっぽとノイジーな機器じゃない限り、少なくとも試してみる位の余裕がやっと出て来たん。
試て聴いてみてノイズレベルが許容範囲内だったら、今はそこから殆ど劣化しなくなったから使える様になってるんだよ。

機器選択の本道たる「好みに従って選ぶ」が漸くほぼ無条件で可能化した訳で、過去みたいな選び方をするのはもう古くなってましてん。
最新機器の方が低ノイズってのも確かに「単体ではそう」なんだが、実使用時は必ずしも維持出来ずそれを次回に。

-つづくぅ-

2024年5月 6日 (月)

音楽備忘録1725 心理的グルーヴ考➐

心理面は今回で一旦〆て次回からは肉体関係を綴るが、肉体に宿る心理である故全く別に考えるのは妥当じゃないだろう。
しかし条件反射的なの以外は、心で何か思ったのが初動の根底にあるには違いないのよ。

普通ドラム教室等で生徒から問われれば、最初は肉体のメカニズム等から教えるのが多い。
無論気持ち面での悩みを持ち掛けられればそっちを答えるけど、生徒が意志自体は持ってる前提で教えを進めちゃうんだ。(心は見えないが体は見えてるから教えるに際し大きな間違いのしようがない)

それ自体は間違いではないものの心理態勢が充分整ってないと、教えた肉体メカニズムは有効に機能してくれないん。
処が打込み普及以前の昔のグルーヴ習得者からすると、心理面はそんなに問題になってなかったんだ。

昭和以前は精神論がまだ大手を振って罷り通ってたもんだから、そっちは良いがメカニズム面をロクに分かってなきゃ教えても貰えなかったし。
のを後に各自や仲間と研究し、やっとで習得したからつい重視しちまうん。

かと言って平成以降だと生まれた時点で既に打込みはあるはメソッド化が進んでたわで、感覚面が不十分な人が多い。
本来なら中間層の人を通じて伝承すべき物だったんだけど、分断化・2極化等で両立してる人が少ないのが現状ですわ。

尤もグルーヴ(ノリ)自体にも流行り廃りはあるし、時代環境とのマッチング度だってあるわな。
それも加味してやはりリアルタイムで体験してないと、俺言い「ノリの純度」とか典型度は少し劣ったとしても仕方無いとは思うよ。

只それさえも意図的にバーチャルタイムトリップしちまえば、殆ど差を無くせる可能性がおま。
一般常識で未だ現役の世代って、時間的に戦前(第二次世界大戦)の実態に詳しい人はもうほぼ居ない。

にも拘らずガチのDixieland Jazzのノリを、演れる人が皆無になんかなってないでしょ。
建築の世界では復元も一般的で、それが音楽でだけ不可能って事ぁねえですぜ。

但し時代を経る事で当たり前が珍しいのに変わってたりするから、かなり多角的に攻めなきゃなんなくなってるんだ。
ポピュラー系では現状生演奏での復元案件は遅々として進んで居らず、良し悪しは別として研究が怠られてる節がある。

それが今普段なら陳腐化した奏法・楽器類等の不徹底・不備と相まって、障害にもなっている。
これ等具体面での正解を探すのにも、思想・思考経路つまり心理の影響は少なくない。

脳内構築の段階で何か重大な忘れ物をしてると、後になる程そのズレは拡大するからねえ。
但しⅡでこの件で関係してる復元は全部ではなく、一応グルーヴ(ノリ)と関連の有る箇所限定だ。

だから本番で迄所謂トリビュートスタイルで演る必要はないが、真実を体感するのに舞台裏で一度位は正式になぞってみた方が良かろう。
そんな風にした・なった原動力として、マインドに直に触れるのは半ば必須なんじゃないかな。

=終るが続く!?=

2024年5月 5日 (日)

音楽備忘録1724 音楽に於けるテクニックの意味⑪

あ さて前回BassとVocalでの作曲を推奨したが、Bassが弾けないとか持ってない人はどうすんのって話しをば。
鍵盤が弾けるならSynthe Bass、Guitarが弾けるなら取敢えずはEffectorでオクターヴ下げてやりゃ一応代用可だ。

それも無理なら昔は鼻歌を捏ね繰り回して何とか…、今はもう打込んじゃえば良い。
が、それだと少なくともGuitar Band向けの曲を作るには色々余計な!?手間を掛けなきゃなんないんだ。

音色・音域も然る事乍ら、音程の距離が問題でんねん。
要約すると弾き辛いor弾けないフレーズが、弦Bassにはあるからなんだよ。

更に掘るなら弾けはするんだが、作った時点でのニュアンスの再現性にも結構問題があるんだ。
過去体験では従兄作のSynthe Bassを変換したら、元のにふんだんにあったFunkyさがかなり弱っちゃったのがさ。

ずっと後年になってオートワウを自作したんでそれで試してみたんだけど、ついでにデジタルマルチEffectorでもね。
処がやっぱり物足りない音しか出せなくて、もし次の機会が来る様なら原型通りアナログSyntheを直々に弾こうと思ってるんだ。

なので人次第で選択肢は変わるだろうけど、ド下手でも全然構わないからBassを使った方が何かと後が楽なんだ。
知識として弦Bassの音の問題を学ぼうとするだけでも、現物に触れずに行くのは大変でっせ。

それだと1音1音毎に頭使って、検証しなきゃなんないもの。
かと言って元々弾けない奴にゃハードル高いじゃん、ってそりゃあなた誰にでも楽に弾ける楽器を使わないからだよ。

この目的ではフレーズを作れりゃ良いだけで、必ずしも本番でアンタが弾く訳じゃない。
ので弦長や音色をかなり大胆に妥協しても、思ったフレーズがなぞれりゃよろしいがな。

どうせ挑戦するなら長く使えるのをと考えるなら、当座は極細の弦を選ぶだけでもかなり違う。
Bassパートが弦じゃなくても構わないなら、こんな手間は要らないんだけどさ。

小編成で人数より種類違いの楽器を多く持込むのは一苦労で、運搬だけじゃなしにセッティングの手間だって倍以上になる。(5回に1回程度は杜撰君そんな憂!?に遭う)
尚且つPA屋にとっちゃ興味深いけど色々大変で、それもあるから奏者側だってバランスの良い音を提供するのに不利になっちまう。

因みにPaul McCartneyがバイオリンベースを選んだのも、寸前迄Guitar担当だったのと少しは関係アリと睨んでんだ。
既に連続してLiveの予定が入ってた中で、急遽パートチェンジを強いられたんだらさ。

交換弦の価格と入手性だけ気を付けりゃ、なるべく小型で廉価なのを探すだけ。
けど↑の如く維持面等で一寸問題があるから、激好きな人以外はバイオリンベース自体はお薦めしないよ。

-続-

2024年5月 4日 (土)

音楽備忘録1723 過小評価で忘れられつつある人々④

今日は昔の杜撰君の好みに反して、今更で英のQueenについてひとくさりおば。
近年映画のヒットで再度脚光は浴びたんだけど、当時の認識とはかなり異なる点が多かったんだ。

それがどう影響するかったら、虚像と実像みたいに経緯や成り立ちを誤認する恐れ大なのよ。
のをⅠ登場時の評価・Ⅱリアルタイムでの代表曲に大別して、本当はこうだったについてボヤかせとくれ。

その心は演ってる人には登頂ルートを間違えるとか、聴き専の人ならアルバム買ったら想定外なんてのを予防したいからだ。
んで正直週一で賛美歌を歌ってる様な人じゃないとあの特徴的コーラスの模倣は困難等、欧州や英の歴史・宗教等がネタ元になってるのがとても多い。(恐らく本人達自身は宗教意識は低いが根付た習慣等から)

それは録り方を含めサウンドにも相当強めに及んでるんで、オリジナリティでは最高峰級だが世間が慣れてくれる迄は散々な評価だったんだ。
何せ欧州貴族みたいないで立ちでいて、Lead Vocalが何処からどう見たって典型的なオカマのインド人だったんだからねえ。

加えてハードなのに妙に美しいハーモニーと、当時としては奇特で理解困難なスタイルだったんだ。
その様はまるで日本のヲタ文化のはしりと言っても良い位で、その証拠ってんでもねえが世間への普及は当時の日本の腐女子(当時そんな呼称は未出だったが)にウケた処が発端だったんだ。

今では随分と崇高なレジェンド扱いになったもんだが、そもそもはキモ格好良い程度だったんよ。
その認識差が最も影響してると思われるのが代表曲で、芸術点は高くても当初は今より「普通っぽい曲」の方が万人にはウケてたん。

現在なら誰もが迷わずBohemian RhapsodyやWe Are The Champion等を挙げるだろうが、単純に良い曲としてKeep Yourself AliveやTie Your Mother Down等の方が当初は受容れられてたんだ。

オリジナリティの点で前者は最早不動の存在だが、Bandとしての力量を測り易いのは普通な感じの曲の方なんだよ。
他のBandでも演られてそうな曲にこそ、それでの差異に実力が現れる訳だからさ。

恐らく高評価でも後継者が未だ現れないのはこの辺のせいで、世間が勝手に想像してるより奴等には普通の側面だってちゃんとあったんだよ。
土台がガチのHard Rock Bandで出て来てたのに、それを忘れちゃ話しが始まらんのだよ。

確かに文化的には↑のオリジナリティの価値は大変高いが、そこに「至れた経路」を誤認してはねえ。
っつうのもRockへClassicからの引用にあたり、その前がどんなスタイルだったかの影響が結構あるからなんすわ。

一例としてBach系の引用でDoorsとPurpleで比べると、前者の方がよりバロックテイストが強く残存してるでしょ。
それでいて後者にDoorsみたいな神経質っぽさが前面に出ないで済んでるのは、多分土台がHardだったからなんよ。

同様にOperaでもWhoは単に戯曲的なだけだが、Queenではもっとロマンチック色が強い。
もし一部ヴィジュアル系やアイドル系みたいな引用をすると、一歩間違えりゃ軟弱になったり軽薄さが溢れるんとちゃうか。

-つづく-

2024年5月 3日 (金)

音楽備忘録1722 今時真空管の得失⓰

球は石に対し実態は音色優性・雑音はどっこいどっこいなのを暴露して来たが、明らかな劣勢箇所もあるから現況はこんなになったんだ。
つう事って今回は欠点・弱点を網羅してくんで、あなたの環境でどの位引っ掛かるかみてみそ。

のっけから是又の過去述、球信教の杜撰大王ですらカーオーディオの球化の予定は今ん処無い。
幾ら魅力的でも基本条件が合わなきゃ普通は他のにするもんで、裏を返すと条件的にさして不利じゃなくても今は使ってない箇所も少なくないんだ。

この際明示しとくと①消費電力・発熱量多目、②耐震性低目、③サイズ大き目、④高温になるが故の注意点となる。
但し上記は同一回路で素子だけ変えた場合で、どんな事案でもそのまま額面通りには適用されない。

ほぼ石系一択となるのはポータブル性重視の類で、①は電池の持ちに②は雑音発生源に③は携行性に直結する。
この内②については実際振動には弱いものの過去には「電池管」なるのもあって、非稼働時の耐震性はそこそこあった。

球だって機器外箱を一寸位ぶつけた位なら直ちに壊れたりしなんかせんが、振動も音として律儀に拾っちゃうのが仇。
今はほぼ絶滅したが石系でも初期の金属筒の所謂カンタイプは、内部モールドがされてなかったから球と似たり寄ったりだったんだ。

それが石の構造的特徴を生かし隙間へ樹脂等を充填する事で、揺すられて音が出る事は無くなったん。
って事は部品の取付けてある基盤等に衝撃があると、最新構造の石系だって僅かには反応するんざます。

最近は集積度が上がったんで一部にしか見られなくなったが、それ故ポータブル用途のは各部品を外部から樹脂等を充填して固定してあるのの方が昔は多かってん。
球は温度変化が大きいので過去の材料ではそれが不可能だったが、この点は素子より組付けの方が主犯ざます。

翻って非ポータブルでも石系なら極小化出来る様なのは、特別の理由が無い限りわざわざ球を使うメリットは無い。
で又裏を返すと中規模以上で電源に電灯線を要す機器となると、過半数は球の方が本当は優勢になって来るねん。

では過半数に入らないのはってば、回路構成の複雑化必須の類のだ。
或は1つ1つは超単純でも膨大な物量を要すデジタル回路では、特にデジタル演算部については今更球はあり得ない。

石が無かった当時のコンピュータは、それ故ビル1棟丸毎要すのなんかがあった。💦
まあそもそも現代での球ニーズは音色が主軸なんだから、直接音に関わらないデジタル演算領域で使いたくなんかならんだろうがね。

それより何より重要なのは球をシミュレートするのに、例え安価で小型でも膨大な量を使う石系の存在意義だ。
ヴィンテージ認定されてる石系の多くは、今のより素材に拘り格段にシンプルに作られていた。

今でも思想さえ受け継げば良いんだが、それに必要な肝心のディスクリート石系名部品の殆どがディスコンになっちまった。
結果例え法外な高コストを許しても製造からの経年等で長持ちする保証が無いし、基幹部品が壊れたら再入手が絶望的なのよ。

これは高額機器のユーザーには大問題で、まるでテスラのEVみたいと言ったら怒られるかな。
でも資金が限られてる一般庶民には、不慮のバッテリー交換に新車本体価格並みの修理費なんか出せるかよっての。

-つづくか-

2024年5月 2日 (木)

音楽備忘録1721 心理的グルーヴ考➏

さて前回「18禁」だなんて随分と遠回りさせたが、グルーヴってそんな生理的欲求の1つの結果と考えてるからなんだ。
現実社会には様々な制約がありそれを守ってかないとマトモに暮らせないが、そんな制限の掛かった自由じゃグルーヴ生成には全然足りねんだ。

色んな相違はあっても誰にでもある性衝動、下手に全肯定すると犯罪に発展する危惧だってある。
もしそうなったら大変だから一般的主流はなるべく無難に穏便にと扱うが、本当はありのままを弄らず絶対暴走しない理性の方をもっと育まなきゃイカンのよ。

細心の注意を払って見せない・触れない様にしてても、大人非感知の領域で目に入っちまうかも知れない。
何せ子供の好奇心たるや、底無しなんだからね。

だからって性急に18禁を撤廃すべきなんて思わんが、極力見えてしまっても大丈夫な教育を必死に施すべきなんだ。
(だからってわざわざ見せ付けたりするのは論外だが)
その難易度たるや、恐らく想像を絶する程高いだろうけどさ。

それに比べると音楽だったら、失敗しても大したリスクもねえんだから簡単な筈なんだけどね。
残念乍ら今劣化本邦の野球みたいに「命取られる訳じゃなし」みたいな、適切な格言すら存在しないのが恨めしい。

その結果完全に自由な筈の純粋趣味者でさえ変な余計な心理的しがらみが、無意識下で働いちまってる可能性大なんざます。
悲しいかな自然体のつもりでそんなでは、到底グルーヴなんてもんにゃ縁薄なんすよ。

日本古典の「えらやっちゃ」の歌詞に踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損々ってのがあったんだけどねえ。
コレ現代的な表現にすれば普段と一線を画して、ダンスクレイジーのトランス状態に入れないとと言ってるんだ。

現実に今は↑が下手なのが7割以上となってるか知らんが、民族性で苦手意識を持ったりするのは愚で御座居。
ホントにグルーヴが苦手だったらトランス状態になれても乗れない訳で、多分大多数の者は「改善すべき場所」の時点で間違えちゃってんだよ。

加えてそもそもトランス状態自体をよく知らんかったら、音楽のじゃなくても構わないから何かで先ず体感してみませう。(但し悪いお薬とか酒の飲み過ぎはアカンしちゃうで)
ほんでこれ既に体験済な方が恐らく多いんだけど、それと気付けてない人が又多そう。

私的にはその背景に偏差値至上主義や教育の瑕疵もあると思ってて、感覚と理論のリンクを殆ど勉強させてないやん
けっと。
テンポや小節内の割振りは著しく変にはなってなくて、物理リニアより人間様には美味しいリズムがグルーヴでっせ。

誰でも感覚だけだとトランス状態に入る前の人には↑がヘンテコになり、理論だけだと無味乾燥にならざるを得ない。
感覚と理論のリンクを何某かの形で自分内に構築出来ないと、少なくとも自身が意図したグルーヴは出せないんだよ。

=つづく=

2024年5月 1日 (水)

音楽備忘録1720 音楽に於けるテクニックの意味⑩

最近担当パートは最早無固定に近くなってるが、元々の本職はBass・Vocalだったから前回の話しを出したんだ。
っつう事でそのまま続けるが、メロやコードへの無意識下での学びの他にもメリットがあったと感じてるんだ。

それが伝統典型的Rockで必須なリフ関連で、特に歌が入ってもリフが続く様な曲だ。
尚且つこれがシンプルポップスでもとても重要な鍵を握ってて、それには幾つかの明確な理由があるねん。

ここで断りを入れとくけど、決して今の主題のメロ・コード関係からちっとも脇道なんかにゃ入ってないからね。
前回迄述の如くコードの難易度を、曲より楽器で簡単にするには最速の近道かも知れないからだ。

トリオじゃなくてもBandで4人編成程度だと、先ずドラムに1人取られるから残り3人しか居ない。
仮にBassにはルートの使命を厳しく負わせたとすると、残り2人で伴奏と裏メロ等の手分けをするしか方法がない。

この時GuitarとKeyboardだったら幾らかマシだが、Guitar×2だったらどの曲もずっとそれを続けるしかなくなる。
その内の1人がたまたまVan Halenみたいに多彩に演れる奴だったら未だしも、普通は滅多にそこ迄行けやしないよね。

だいいち極限られたメンツでしか再現不能な曲になったりすると、ポピュラーとしてさあ皆さんご一緒になんてのが結構厳しくなる。
したっけどうすんだべってば、普通の箇所で「減らせるだけ減らしとく作戦」が救いになるん。

そんな曲を「なるべく自然な感じ」で生み出すには、敢えて沢山の音は出せない状況に作者を置けば良いんだわ。
しかも演奏力:凡庸・特に弾き語りは上手くない方が好都合で、って又オッサン変な事言ってるな。

でもこれも↑の万能Guitarist不在と似た様なもんで、ローテクな中からオモロイのを見つけ出すには最善なんすよ。
ここ迄の説明だとGuitarても大差無いと思うかもだが、音域と音色バリエーションも含めるとかなり違うんだなぁ。

要は作曲法に一部ミニマル・ミュージックを取り込んだ様なもんで、リフ認定に疑問の余地はあるがStonesのSatisfactionみたいなのを作りたいならさ。
本家はFuzzに触発されてかも知れんが、Keith Richardsって結構初期からBassも弾けたのは事実で御座居ま。(当該曲で担当)

少なくともBassの意識が僅かでも心に占めてないと、あの手の曲を作るのは大変なんじゃないかな。
手前味噌身内体験例だとメロディ楽器でしかリフを作らない人のは、何処となく複雑っつうか決定力に欠ける印象があるよ。

わ兎も角弾くのは比較的簡単でもなまじ酷くシンプルなのしか演れないから、聴こえた感じより遥かに作るのは大変なのよ。
その最たるのがルート音が鳴る頻度で、これを多目にすりゃ歌の音程取るのは楽になるがね。

けれどそればっかじゃ似た様な狭い範囲のしか生み出せず、たまにしかルート音に来ないのに楽に歌えるライン(リフ)を見つけるのこそがこの方法の真骨頂なんだ。
これは編曲観点でも自由なBassにも繋がってて、曲のキーやコードを暗示されるフレーズは至高の1つでもあるんじゃないかな

≣続≣

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