音楽備忘録1705 心理的グルーヴ考➋
今劣化本邦は何でもマニュアルに従え余計な事を勝手にすんなだが、殊グルーヴに関しちゃそんなの全く通用しねえ。
何故ならある程度傾向や法則性はあっても、グルーヴにはマニュアルなんて存在しないからだ。
以前述だがSteve GaddやBONZOでお馴染み太鼓のオカズ「タッタラコトン」、打込みで正確なリズムにすると本家みたいなキレが全然出せねんだ。
これは物理的(時隔)正確さと音楽的正確さが不一致だからで、音程の方でも平均律と純正律があるのと同様だ。
私感ではあるがかつて日本のDrummer正確さではかなり平均が低く、元はと言えばそのせいでClick過依存に陥ってるのかな。
これは昭和時代の事だけど、ウチの従兄は早期からタッタラコトンのキレが良かったからさ。
まだ本当には上手じゃなかった(スンズレイ)のに、ティーンの頃からかなりオファーが多かったんだ。
当時のアマの半分は手順・音源違いとかしてても平気で信じてたし、それは分かってても本家とは全く異なるニュアンスしか出せないのが残りの4割位。
つまりコンテストで何かしら入賞する位の連中じゃないと、それと分かる様な叩き方が出来てなかったんだ。
まあ今みたいにネットなんか無かったから、仕方無いっちゃ仕方無い現象だったんだろうけど。
ほいで結局↑の過半数が是正されぬ内に、Click信者だから正確って訳の分かんねぇ変な宗教信者みたいなのが蔓延しやんの。
確かにタッタラコトンの筈がオンポーロロロンみたいになってた奴等にとっちゃ、タータタトトンと聴こえてもその方がマシだったがね。
だけどなぁ↑フレーズの神髄は絶妙なタイミングで、それが非成立だったら殆ど意味の無いオカズなんすよ。
なので要するにこのオカズ自体を練習するのには、メトロノームやClickに過依存しちゃいけねんだわさ。
許容範囲はこのオカズ箇所の前後でテンポが変わってないかとか、小節の全長が不用意に変動してないか止まりなん。
具体的にはピポポポ・タッタラコトンポ・ピポポポ・ピ…、ってな聴き方とか意識じゃないとねえ。
最終的に達人領域に到達出来るとグルーヴとClickの両立は可能だが、その手前迄はグルーヴは非Clickで練習しないとどんどん遠のくんや。
だから最初の内は又ズレただの何だのと、すこぶる評判は悪いでっせ。
でもそれに負けずに「いい感じ」を徹底追及し乍ら、徐々に物理的安定度を高めて行くんだよ。
これグルーヴを得点とすればズレは失点で、ミスの有無を取るか魅力の強度を取るかみたいな話しなんだ。
正確性だけなら昔の電話のベル何かでも持ってて、しかしそれは所謂音楽的なものではない。
嗜好品の音楽には先に魅力が必須で、その上で杜撰大王みたいにミスだらけで魅力半減なんかしない方がマシなのさ。😓
つまりⅡで当初はミスより魅力的かだけに気持ちが向いてないと、中々近付けないんすわ。
現代に於いてはこの心理は最早アブノーマル且つ亜流と言え、他の多くの色々ではそんなんしてたらどうにも通用しなくなってっからねえ。
-つづく-
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