音楽備忘録1708 音楽に於けるテクニックの意味⑦
今回は内容の内コード進行に絞って進めるが、その前にメロの方が大事なのは念押ししとこう。
従兄等の私感に依りゃどうも今劣化本邦作には、無意味にコードだけ一寸凝ったのが多いそうなんでね。
但し杜撰大王としてはメロだけ作れりゃ良しとは考えてなく、それは歌や主旋律がお休みとなる箇所があるからだ。
とは言え凡庸なメロに従い凡庸なコードにならざるを得ない曲で、メロの影響が無いからって合わないのを差し挟むのは愚の骨頂だけどね。
だがそんな事をしれっとやらかす奴が居るって事ぁ、逆をやっちまう可能性だって同じ位考えられるんじゃないかな。
ほんでそんな曲の作りになってると、間奏等ももっとオモロくせいったって限界が低くならぁな。
尚且つこれが大きく響きそうなのがインストで、更に主旋律の登場率の低い曲ですよ。
歌や歌詞があればワードを目玉に据えて乗り切るのも可能だが、どっちも無い箇所では伴奏自体にある程度興味を湧かせられんと間が持たんがな。
もしや従兄にインスト作が少ないのはそのせいか分からんが、コード以外で間を持たせられるとしたら俗称裏メロだね。
杜撰大王の場合はメロ楽器も伴奏楽器も演ってる関係から、裏メロ程度なら無尽蔵に浮かぶんだけどさ。
日本ではソリストとサポータが割と分離気味なんで、裏メロ王は若干登場し難い背景がある気がするよ。
更にその裏には伴奏軽視の風潮があり折角機会が訪れても、充分目立てるだけ好きには演れないなら何もしないみたいな…。
この点に限っちゃ昔の演歌系なんかは高得点で、演歌嫌いの俺でさえかなり色々頂いたんだけどな。
わ兎も角オーケストラ系のイントロやキメ等ではほぼコードだけで成り立ってるのも少なくなく、それは器楽演奏での面白味からは欠かすとえらいこっちゃで。
私体験ではかつてのTVや映画音楽にそれは多く、毎度古くてスマンが鬼警部アイアンサイドのテーマで解説してくよ。
知名度の高いイントロ「ちゃっちゃらっ・ちゃちゃっ・ちゃー」はメロとしても良く出来てるが、それだけだったら特段奇抜さを有してるとは言い難い。
このメロに付く和声(ハモリorコード)が奇々怪々だからこそ、あんな風に聴こえてるんだよ。
作者Quincy Jonesはピアノで作ったか分からんが、実演時殆どの奏者はフルコードなんか出す必要が無い。
しハモりを1つづつ追加してったら、変態コードになってたやも知れぬ。
のでメロの積算からでもコードからでもどっちのアプローチでも構わんが、結果的に必要な際あんな状態が作れたら良いんだよ。
変態コードと奇抜進行から裏メロを編み出すのはとても高等ではあるが、誰かさんみたく和声のセンスがあってメロの才能に恵まれん奴にはそんな経路しか残ってねんだ。
只高等とは言っても俺言い自動法則があり、勝手に裏メロみたいに聴こえる位じゃないといけないけど。
=続=
« 音楽備忘録1707 日常生活と音楽活動⑫ | トップページ | 音楽備忘録1709 心理的グルーヴ考➌ »
コメント