音楽備忘録1711 過小評価で忘れられつつある人々①
過去達人の発掘は何度目かだが、本シリーズではより評価の難しさのせいで半ば歴史の狭間に埋没しそうなのにスポットを浴びせてやろう。
今回初めは1960年代末から当時チャート常連になった、米のThree Dog Nightざます。
先ずこの1970年前後って少し特殊な時期でして、Beatlesの解散が多方面に渡って色んな影響を及ぼしたんだ。
シングル曲のチャートなら↑残党のソロ作が続いてたが、アルバムチャートでは4分割した訳だからね。
それで解散前迄はそこそこ良い線行ってたのに埋没気味だった連中が、Best10圏内に一気に浮上して来たんだよ。
尤も曲単位では名作はポツリポツリと評価されてたんだが、アーティストとしての知名度は実績の割に低いままだったん。
それは兎も角Three Dog Nightって色んな箇所で風変りで、俺が素直に受容れられたのは当時まだ子供だったからかも知んない。
奴等基本はRock系コーラスグループなんだが曲の扱いが非常に特殊で、外部の内容に比してまだ売れてない曲を積極的に発掘して作ってたんだ。
これがBeatlesでスッカリ流行てっ主流化したSelf Contained式じゃないのが仇になって、日本では不等低評価が続いてるらしい。
実際他所の職人の手を一切借りずに完成させる価値は揺るがないけど、一般聴者にもっと大切なのは聴いて良いかどうかだけなんだよなぁ。
ほいで今劣化本邦みたいに洋楽低偏差値状況に陥れば小林克也氏みたいな先生の存在は絶大で、世界を知りもしないで箱庭の中だけで凄いとか言ってるって外から見たらホンマアホやで。
勿論全部自前の価値を低く見てる訳でも無いし、そうしなきゃ得られないオリジナリティに人一倍興味は強い。
だから杜撰君自身も普段は全自前で熟してるんだが、そう演り続けてみるとSelf Containedって万能じゃないし固有の弱点があったのさ。
作者・演者が固定される故の狭さっつうのがあり、それが特に曲の多様性なんかにはかなりマイナス作用するんですわ。
悪い意味での俺が俺がになっちまうと、より優れた曲でも自前じゃないからと軽視する様な傾向に陥ったりね。
どんな天才だろうと今の時点に限定すりゃ、一番良い曲が自身のとは限らないのにさ。
のでPopsの王道的視野に立つなら、誰のだろうと構わんから一今番良い曲を求める方がホントは自然且つ素直な行為なんだよ。
少なくとも変な色が付いてない無垢な聴者ならそうなってる筈で、そういう人を相手にしたいなら手段なんて選ぶべきじゃないんだ。
実際その結果杜撰君の子供心には、Three Dog Nightの佳曲が多く記憶に残ってるんだ。
尤もあまりにもタイプの異なるのが多かったから、アレもコレも奴等のだったのかと思い知ったのはかなり後年になってからだったんだけどね。
=つづく=
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