音楽備忘録1687 日常生活と音楽活動⑦
人間誰しも自身が未体験だと、最初はもっと没頭出来たらとかしたいと思うもんだ。
杜撰大王も40代位迄は常々そう思ってたんだが、それには普段高頻度で接する周囲の人を同好者で固めたい。
処がある程度の段階迄それが実現すると、閉塞社会の弊害が多方面に及んだんだ。
深慮すればどんなに近しくて似てても色んな相違はあるんだが、99箇所同意で1つだけ食い違った際気持ち的な処理で失敗し易くなるねん。
心情的にどうしてそこだけ分かんないのと、あれもこれもと一致箇所が積み重なってくとまさかと油断するでもないんだけどさ。
一種の警戒心が不要になるにつれ、想定外耐性が知らん間に弱まってるんだろうね。
これって権力が長く続くと腐敗するどっかの壺下僕とは程度はかなり違うにせよ、慣れに依る感覚の偏りを常人は完全には避けられない。
つまりヲタ集団は専門に関しては充実するんだけど、それ以外はどんどん明後日の方向へズレてったり平均的一般人の感覚から遠ざかってっちまうん。
↑の後者ヲタ氏自身が望んでないならその分は平気でも、世間の事や他人の気持ちに疎くなり過ぎるのが不味いんだ。
普通が分からん≒特別が何かにも鈍くなる訳で、要するに何等かの裸の王様へまっしぐらになってんの。
で結局過去に杜撰ヲタ帝国みたいな状態になってぬか喜びしたのもつかの間、様々な対立が起きたりしてあっさり崩壊しただよ。
この現象で音楽界で良く語られるのが、スーパーグループは短命に終り易いなんてのだ。
これはどんな小さな関係にも潜んでて、人間じゃなくてもAアプリを入れたらBアプリがバッティングして入れらんないとかあるじゃん。
そんな状況から脱出するのに傲慢だった俺の場合、自身が凄腕になれればなれた程相対的に他人が凡人に見えて来るって発想だった。(※単純に相手を見下すのとは違いまっせ、念の為)
いや実際は極一部を除きゃ全くそんなになんかなれてないんだが、少なくともすぐに相手に通じなくても仕方無いかと動じ難くなれるじゃないすか。
何せ分からなくて当然ってのが、心の片隅に常駐してんだからね。
のを一気に拡大解釈すれば新たな寂しさ等は少し生んじまうが、周りは全て凡人で自分だけミクロ天才って状況にも価値があるかもと分かる。
日常生活って心理的にどんなに孤独でほぼ引き籠りな一人暮らしでも、現実には何か小規模なチームみたいになってないとにっちもさっちも行かんのどす。
無人島に独りで暮らしてるんなら未だしも、想定外のインフラ故障時とかには修理屋位呼ぶでしょ。
それがエアコンなら無理に我慢したとしても、水道が止まらなくなって何処かで噴水状態にでもなったらもうどうしようもないじゃん。
-つづく-
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