音楽備忘録1664 杜撰大王が過去モノに拘る訳⑤
今回は過去作の誤認とリマスターの致命的欠陥を主軸にお送りするが、そもそもリマスターでの不始末は本来は立派な著作権侵害の一形態でんがな。
過去に低音質が原因での音色不備を感じたとしても、安易に勝手に想像して改変しちゃヤベエんだ。
今の感覚でどう聴こえようと、モノ次第じゃ俺言い「逆算調整」が施されてるのも少なくないからだ。
その中で私的に最も深刻なのが前回後部で例示した様な、安易で一様な「高域忖度」だ。
少し良く考えりゃ昔程「再生機会での」高域損失は甚大な筈で、それを踏まえててもあんなに低域豊富にしてたんだってな。
そんでその動機として考えられるのがその当時に至って、漸く芳醇な低域が得られる様になったのもあったんじゃね?。
因みにここで杜撰大王が昔と称してるのは1950年代末〜1970年代末頃迄ので、LPステレオレコード登場後メディア主役の時代だ。
それ以降はCDを始めデジタルが主流になるし、それ以前はレコードでもEP未満だったりSP盤の方が主流かなって分類ね。
ほんで汎用オーディオの開発発展は戦前から既に始まっては居たんだが、主に米を除いては世間に普及する前に大戦でそれ処では無くなってたからさ。
実際には東西冷戦や一部地域での紛争は今も絶え間ないものの、一応世界の人々の多くが戦争はもうこりごり平和が一番となった時期と重なってんの。
ので技術的側面の他に雰囲気や味に以前にも増して拘った時期とも看做せ、それは理屈より実際聴くと面白いとか心地良いサウンドにも通じてんだ。
もっと後の時代でデジリバとかドラムマシン・サンプリング等が流行ったのと同じで、過去に不可能だったのから中心に流行るのは自然現象だわさ。
でその様な少なくとも明確な意図のある可能性がある作品は、低域及び各パート間のバランスは極力変えない様にするのが最低限のお約束な筈なんだけとねえ。
死人に口無しで文句言われないと思ったか、作品の魅力を台無しにする様な真似しやがってけつからに。💢
これが更に罪深いのが後世の者へ誤解を与える事で、普通はリマスター盤の方が高音質だなんて言われればそっちに誰でも飛びつくわな。
するってぇと何だよ変なのが聴こえた暁にゃこの昔のは大した事ねえわとなり、もうこの段階でオリジナルミックスを試聴する意欲も萎えるとな。
お馴染み黒思考をすればわざと旧作はバッタもんを掴ませて、本当は不出来な現行新作を買わせる作戦かってな。
わ兎も角こんな状況が横行してると、オリジナルミックスを先に耳にしてない大多数は誤解させられてる公算が高いんだよ。
要は多方面に渡り音響的にそこそこ高音質でも「音楽的には酷い低音質」のが今は紛れ込んでるんで、リマスターや新作はそんなの不可能だった時代のより悪いが信頼性が低いんだ。
つまり還暦オジサンにとっちゃ、昔のみたいに安心して聴けないのだよ。
-つづく-
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