音楽備忘録1689 Guitarカッティングの重要性Ⅱ➎
今ではCharヲタと呼ばれても平気になったが、世間主流派のヲタとは興味を持った経緯がだいぶ違った杜撰君。
普通は容姿や速弾き等から入ってただろうが、俺はカッティングの上質さにやられたんだ。
日本でも1970年代中盤迄は伴奏センスのイカした奴が散見されたが、’80年代に入ったらそんな奴が居なくなったんだ。
ここでのセンスってテクより曲に対して効果的かどうかで、自作曲なら勿論の事カバーでだって本当はこれが良否の根幹なんなんだけどなぁ。
確かに奏者としての平均テクレベルはこの時期に一気に上がったんだけど、音楽的には寧ろ劣化してっちゃったんだ。
恐らく周囲に負けじとテク自体を優先したから、曲に対して最適な選択かどうかが疎かになってったんだよ。
もっと正直に毒を吐けば所詮は欧米の追従から昇華出来なかったって処で、そこで音的オリジナリティを失って以降は歌詞の独自性へ向かっちまった。
その結果優れた歌詞が出たのは喜ばしいが、俺みたいな文学的興味が乏しい奴はまるで差別された気分だわさ。
わ兎も角Char氏で最初に「おっ」となったのは、歌謡曲時代の闘牛士のイントロカッティングだ。
この手のではThe Doobie BrothersのLong Train Runnin’ 等が既にあったが、私的にはそれ以上に聴こえたんだ。
具体的にはスライドイン・ハンマリングオン等かなり色んなてく小技が使われてるんだが、唯のコード弾きでここ迄多彩な表現をしてるのにノックアウトされたんだ。
1つ1つのテクレベルとしては難度低目も、実際「あの感じ」を出そうとすると下手な速弾きなんかより格段に難しかってん。
大袈裟に言や「何の為のテクか」を具現化した典型とも看做せ、どの部分にもかなり精度が要求される代物ですぜ。
俺的カッティング研究期は徐々に指が回りだしたんでその後小休止が長く続いたが、今度は作・編曲都合から再発掘が再開。
元から変態コードには目が無い口ではあったものの、過去に掘り切れなかったのへ漸く分析時間も取れてさ。
昔から独特な雰囲気が気に入ってたSun Goddess-Ramsey Lewis(with Earth Wind & Fire)等の他に、Char氏ソロアルバム3枚目と同タイトルのThrillって曲が俄かに浮上して来た。
彼の場合常に何かと独自アイデアをブッ込んで来るから、以前は半ば流してたんだけどさ。
コードに付加されてるテンションノートを繋げると、一寸した裏メロになってましてん。
要約するとRockらしさを全く損なわず導入出来るJazz的コードってなもんで、本当に曲の骨格を形成してるから押えるのにとっても難儀なテンションノートがほんの僅かも省けないんだ。
音楽的見地からすればこっちは和声だから、殆どのどんなそろ単音弾きよりもっと高度なんだよ。
杜撰大王がこんなのの方を速弾きより優先して苦心の末マスターしたのは、上述の如く作・編曲に大きく影響して来るからだ。
鼻歌思い付きをパーフェクト再現(つまり初期イメージを完全に残しときたい)するには、こんなのが必須になるからさ。
=続く=
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