音楽備忘録1665 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅲ➍
ラテンもシャンソンもその筋の年配者を除くと、今劣化本邦の大衆には恐ろしい位無縁となった。
その上酷過ぎるのがマスゴミの超偏向提供で、世界的に鉄板のナンバーすら滅多に掛けやしない。
そう云やと想い出したからの冒頭余談だが、軍備増強が喫緊の課題とかほざいてる割にゃ軍艦マーチは全然掛からないな。
ってホンマに戦前の軍国主義に回帰されちゃ堪らんが、スタンダードを流さずして若年者の音楽的育成はあり得ない。
全然聴けねんじゃ好き嫌いも不明ってもんで、良し悪し以前に世界の広さを誤認させてるがね。
等とブツクサ言ってもすぐに相手は変りそうにないんで、取敢えず↑2つで有名人の有名な曲から聴いてみなはれ。
但し杜撰大王としては、あまり新しいのは参考には不向きと考えている。
ここでの推奨対象は基本ポピュラー系の範疇にあるんで、他ジャンルの影響を受け過ぎたり取入れ率が高いと本道がボヤケるのよ。
すると例えば同じコードから移るのにRockなら○のところシャンソンなら□・ラテンなら△と処理するのが王道だったのに、段々それが出難くなってんだよ。
夫々の本職現役の立場からすりゃ、全く以前のと同じじゃ存在意義が示せないけどな。
だから誰も悪かないんだが、鉄板メソッドを知るのには究極は創始者の方が良いんだ。
んがそれだと必ずしも親和性が高いとは限らないんで、初心者には少し難解で厳しかったりする。
ので結局は第一期ブームが到来した全盛時のが最適で、ひとしきりそれ等を聴き終ってから次はルーツへってのがお勧めだす。
尤も俺でさえ身近に感じられるものがどうしても自然と耳に入り易く、今でこそ結構な齢になったからその分昔のが平気で聴ける様になったがね。
そんな俺言い「個人バイアス」は普通は掛って当然のものたからこそ、意識だけは上記みたいに念じてないと何時の間にか何処か遠くへ行っちまうのさ。
それで面白いと感じなくても少しは聴かないと勉強にならんが、全く興味が芽生えない様だったらきっとアナタの感性にはフィットしてないんだ。
そうすっと例えコード進行のネタ漁りのつもりでも、きっと適した収穫はあまり得られないんじゃないかな。
好きから順に当ってく方が表面上は高効率だけど、自分にとって全く駄目なのはアレとコレ程度は先に知ってた方が迷走しなくて済むんよ。
選好みせずの請負い作曲家を目指すなら何でもひたすら吸収だが、下手にそれをやり過ぎれば没個性寄りになっちまう。
かと言って既存のだけが好みと拘れば、究極的には何も自分要素を添加出来なくなる。
本来個性は自然と育まれるものではあるが、完全な俺言い「自分語」のままだと先ず他人には上手く伝わんない。
そんな俺言いⅡで「個性の翻訳」をするのには、やはりある程度世間を知らないと難しいんだ。
杜撰大王は少なくとも若い頃はそれが苦手で、自らのみならず周囲にもかなり負担を掛けちまっただよ。
稀にはどうにも相容れないって人的組合せもあるけど、殆どの場合は誤解で仲違いになるから勿体無い。
もう1つ尽くづく思ったのが、昔ネットの無かった時の苦労だ。
カバー曲で準備期間僅少・音源不所持のせいで学園祭で力を発揮出来なかった事があったが、どんなにわかでも前夜に「あっ、そっちへ行ってたのか」と知れたら雲泥の差だったんだけどなぁって。
-続-
« 音楽備忘録1664 杜撰大王が過去モノに拘る訳⑤ | トップページ | 音楽備忘録1666 今時真空管の得失➋ »
コメント