音楽備忘録1667 日常生活と音楽活動②
音楽活動で実演を伴うのなんかには一種のストイックさも必要だが、杜撰大王的にはセンシティブになり過ぎは感心しない。
美学的には一点集中は素晴らしいし、美談も生まれ易いからとても魅力的。
だが何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」で、視野狭窄に陥り易く見落とし見逃しが生じちまうんだ。
ずっと昔最も信頼してた仲間が絶望して自死したんだが、どうやら夢の世界にのめり込み過ぎて現実とのギャップにやられたらしいんだ。
チョイと奇特な言い回しになるが、↑は夢の見方が下手なのがいけなかったん。
悪い意味で現実主義になると夢を見難くなり、創作の世界ではそうなったら終いだ。
が夢だけを見てても或は現実を無視してはリンク不能となるんで、人次第で程度差はあるにせよ自身内部では併存を維持しないとね。
俺は音楽家って立地条件の悪い個人商店みたいなの思ってて、因みにこの論法だと駅前大規模量販店はアイドルやスターだな。
後者は音楽性やそのレベルはだって高いに越した事ぁねえが、大衆は人自体に興味を持ってる≒生活必需品に近いと。
ので歌わなくても踊らなくてもひと目見たいとか、会いたいとかのニーズもある。
のが前者は気に入った作品を出した時だけ強い興味を持たれ、大した活動をしてないとヲタ以外にはほっとかれるもんだ。
で良かった後に数曲以上パットしたのが出ないと見限られ始めたりするが、交互に佳作を出してたりすると一応次のリリースを待っててくれたりする。
故に殆ど客が来ない店でもなるべく何時もやってる姿を見せといたら、正月三が日とかで他の何処もが閉まってる時に来店してくれるかも知れない。
とるなると瞬発力のインパクトだって少しは要るが、それより継続やポテンシャルの安定が大切なんざます。
この先が二手に分かれててアマチュアだったら調子の悪い時は休むが得策も、プロだったら底の時にこそどう凌ぐかが重要なんすよ。
って自分だって昔は大して打てないのにホームランだけ狙うバッターみたいに、良い時良い状態ばかりを狙ってたんだけどさ。
今になって振り返れば気持ちはイケイケでも、実際には苦境の時もそこそこあったんだよね。
一時期は↑を強引に押し切ってたのを悔やんでたが、完全に止まっちまうともっと悪いんだよ。
アマと違って顧客から曲数分のお代を頂いてる訳だから、何より演り切らないのが罪になるねん。
それって無理やりトイレを我慢しろとか、赤ん坊に泣き止めってのと内容的には殆ど一緒。
又コンディショニングの面で生活はかなり大事で、飲まず食わずでも弾きたいなんてのは気持ちだけで現実にはあり得ないんだ。
睡眠や疾病に関しても不治のケースは例外としても、続ける為には最低限のケアを怠っちゃねえ。
=続々=
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