音楽備忘録1666 今時真空管の得失➋
では早速例外でおじゃるが、それは大元がテープで録音された作品だ。
録音での劣化・欠損を露骨に逆算して録られたのは別として、当時の多くのは希望よりディテールの欠損が多かったからね。
ので単純思考だと昔のソース程ハイスペック機で再生すると高音質化するが、それは少しでも再生時に劣化すると細部がもう不足するからよ。
対して近年の特に国内産のソースでは過剰な盛りもしてあるから、杜撰大王的には却ってショボいので聴いた方が好印象なのが多かった。😵
歌の1番とせいぜいサビを聴くだけなら第一印象は結構良いんだが、先に進むにつれ音質的やり過ぎがとっても鼻に付いて来てさ。
まるで最低の再生環境に最適化したみたいで、いざ買ってみたらガッカリの典型コースでんがな。
となりゃ1つは買っても以後は無料のYoutube等で賄おうとするのも当然で、アーティスト自身はそれなりに頑張ってるのに本気で売り続ける気迫が全く感じられんわ。
この件とリンクしてるかは不明だが今頃になって若い世代にカセットやレコード、一部では球に興味が湧くのも自然かも知れんね。
わ兎も角そう云う偏狂サイドストーリーが無いと仮定すれば、一時期は石(ディスクリート)全盛期には球と良い勝負になってた時もあったんだ。
それは電子部品の素性をオーディオ的に向上させるのに注力し、敢えて回路構成は極力シンプルで行こうとした頃な。
具体的にこれを私体験したのだと、ジャンク部品で作ったヘッドホンAmpにそんなのがあった。
まだ宅にネット環境が整う前オープンリールのヘッドAmpが故障し、当時は回路図入手・メーカ修理が不可だったんでバラしたんだ。
その残骸をヘッドホンAmp自作時に使った処、外見・評判とも平凡なあるトランジスターにはオーディオ的に好ましい音質を持ってたのが初めて露見されたのよ。
職業・趣味柄ある程度は部品の名器は知ってたがそれ等には一切該当してなく、どうやら隠れたお宝だったらしい。
只それも制作と予算レス事情から必要最低限の回路構成を選択しての話しで、元の回路ではそんな素振りは露とも感じられなかったん。
でその他にも石にも良いのはそこそこあったんだが、物理性能を追求するあまり回路を複雑にしたせいで折角の個性を台無しにしてるのばかりとなっちまってね。
石回路の複雑化にはもう1つ重大な理由があって、手間は掛かっても廉価な部品でまあまあの物理スペックが得られちゃったからなんだ。
石って専有面積も消費電力も球より圧倒的に少なくて済むんで、多少回路を複雑にした処で最低限球回路より大きく大飯喰らいになる心配は無い。
勿論コストもだから商売的にそっちへ行っちゃったが、物理スペックを完全排除した音楽性能にはかなりマイナスに作用したんだ。
のでもし手持ちに名ディスクリート部品があったなら、高名な伝説のシンプル回路なんかを組んでみると結構行けるで。
-つづく-
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