音楽備忘録1663 日常生活と音楽活動①
拙ブログでは珍し系になるが、お題の通りの問題を考察してみっべっと。
今天災や不況も然る事乍らこんな愚政に晒されては、殆どの人が理想とは程遠い境遇にありそうだ。
これはリア充を自認してる者にも当て嵌まり壺の一味を除けば、かつてならロールスロイスを乗り回せる程度の身分でもノーマルベンツ位で我慢させられてんじゃね。
世間全体が重税と愚策で余裕が乏しいから、幾ら金があっても国内に真にゴージャスに遊べる場すら殆ど無くなったぞ。
ので日本の一般社会では今嗜好品の音楽をやろうとすると、まあ何と逆風の強い事。
でも杜撰大王みたいなパーマネントチープ😢だと、苦しさの種類こそ時代毎に違いはあるが昔から綱渡りなのは変化無しだ。
他人の目には結構な幸運を持ってた様に伺えるかもだし、実際にラッキーがゼロとは思ってない。
けれど貧だからこその長期計画を粛々と続けた結果、自分にとっての最低限の環境が得られたのも又事実なんだ。
そうして来て今一番思うのが、「普通の生活をしてる中で音楽も熟してく」なんすよ。
誰だって特化した環境下ならポテンシャル以上が発揮出来そうだが、仕事の現場では色々と理想とは正反対の条件を課される場合が多い。
こないだの漫画原作者の絶望死はⅠに発注者Ⅱに脚本家等の関係者が犯人と思ってるが、シビアにみると誰が悪かろうと死んじまったら未来永劫訂正すら出来なくなるんだよ。
持って生まれた性格次第では昔ビートたけしがやったような殴り込みなんて無理だろうけど、諦めたら結局地獄発注者の思う壺で終わっちまう。
ので心の芯ではガッツリでも、対外的には少し肩の力を抜いて客観視してみるのが大事なんだ。
いや実際若い時分理不尽には常に強烈に腹を立ててたし、アホみたいに全力で抵抗してみた事もあったんだがね。
上記例みたいな無茶振りしてくる奴って、そもそも保身かその場凌ぎか泡銭程度を浅はかにしか考えてねえんだ。
だから幾らこっちが真剣勝負の格闘技と考えてたって、不遜なあっちは暇潰しのゲーム程度と埋まらない温度差があるねん。
これは一般職の人とマトモなクリエイタの間にも似た様なのがあり、絶妙な説明をして漸く気持ちを少しは理解される程度でな。
つまり分かって貰えないモノって前提が、続けてくにはどうにも必要なんすよ。
杜撰大王の場合はそれを自分の子供を持って育ててく迄良く分からなかったけど、例え独り身で家族が居なくても恐らく何処かの段階で気付けなきゃ不味い。
大昔のスター神話みたいに絶世の美女は本当にトイレにも行かなくて済むなら別も、現実は通常1日に最低1回程度は催す様じゃなきゃそりゃ何かの病気じゃん。(便秘含む)
或は自意識では3日間徹夜したつもりでも、録画しといたらほんの数分眠りに落ちてたやも知れない。
量や種類の多少とか人次第で色々はあるだろうけど、何等かの制約は残念乍ら永久に付いて回って来ちまうもんなん。
=続=
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