音楽備忘録1660 杜撰大王が過去モノに拘る訳④
さて過去作を嫌がるにも色々理由はあって、音質が嫌とか音色が嫌な人も居よう。
現に杜撰大王だって何か今迄聴いたのと異なる点が無きゃ、音色は全く参考になんかしてねんだ。
音質なんてもっとで意図的ノスタルジー演出でもするんじゃなきゃ、昔みたいなLo-Fiにするなんてとっても困難だからねえ。
だから良い処取りで新旧のハイブリッドを狙ってて、そう簡単には成功はしないけどさ。
大昔作でムード満点で味わい深いのなんかにゃ感銘こそ受けるが、部分的例えば歌のサビだけAMラジオ音質(過去に結構使われてた)に似せる程度で関の山。
ほんじゃあ場合に依っちゃ段違いな音質差があるのに、何で杜撰大王は平気で新しいのと同じ様に聴けるのか。
ってば今ではかなり低頻度にはなったものの、全然良くない音質のを耳にする事もあるからだ。
例えば隣室や隣家から洩れ聴こえて来たのに俄然興味をそそられたが、その時ラジオ・TV・Web等ではやってないし曲名も人名も全く不明。
となれば取敢えずその場で聴ける限りを、終わる迄聞耳を立てて粘っとくしかない。
利口且つスマホを持ってたら、可能なら録っといて知人等に訊いて回るかも知れないが。
それすら久々出「人耳の弁別能」があるせいで、折角録っといても周囲雑音の方が大きくなってて聴かせた人達から叱られるかも知れないよ。
加えて過去から現在に至る迄高音質だと音色や内容が残念、音色や内容が良いと音質今一なんて思いを散々させられて来まつた。
この手の拘りを完璧に実音化したいならそもそも他人頼みが間違ってて、音源から再生装置の全てに至る迄自ら新理論・新発明等手掛けない事には見込が無いと悟らされましてん。
けどそんな思い・願いが音響技術者のエネルギーになったり、音楽部分なら音楽家としての目標になったりしてるからなぁ。
これとは別に目から鱗だったのが、当時最高音質だったのも時間が経つとそうじゃなくなる処。
それでも出逢った頃と同じ様な感動が残ってたのって、音質より音色に惹かれてたからだと思うんだ。
至近過去述例ではJazz GuitarのJoe Passが、何とFunkに挑戦してるアルバム(Better Days)があるのを知ってね。
中でもSlick Catって曲にマイブームなんで、こないだ従兄宅PAの代用ウーハ増設後のテストに使おうとしたのよ。
事前にデータを送っといたんだけどそれはすぐには掛けられないっつうんでYoutubeので掛けてみたっけ、最初はリマスターの方でオリジナルとは全然違ってテストになりゃしない。
なしてってば高域忖度で低音がごっそり削られちゃってて、雰囲気・楽器間バランスは目茶目茶・何より低音域の試験に適したソースとして選んだんだから。
ほいで良く見てみたらもう1つ同曲があって、もしやと思ったらそっちがオリジナルミックスのだった。
早速そっちを掛けたら正に段違いで試験結果も良さげだったから、間髪を入れず本来の目的「BassがPAから聴こえて生で叩けるか」を2人して演っただよ。
これはリマスターした奴がド阿呆だっただけだろうが、期せずして音質より音色やバランスが大事なのの証明になったわさ。
=つづく=
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