音楽備忘録1636 杜撰大王が過去モノに拘る訳②
どうせ杜撰大王の事だからこの件でも心臓強く図々しく…も少しはあるが、決して歴女とかじゃないが今に始まったんじゃないんだ。
自分内では音楽みたいに人生途中から興味が出たのと、最初からヲタだった鉄道では追及の仕方に違いがあったん。
鉄道は文字通り当時最新のに惹かれて、過去モノはそれ等の網羅がひと段落した後と至って普通の進捗を遂げた。
鉄道に限らずメカや乗り物全般に対してそんなだったのに、ある条件の差が音楽にはあったんだ。
鉄道→殆どのは公共交通だと昔は博物館等極限られてたから、過去モノは国鉄の有名なのの一部を除いて現物を拝むのすら不可能だった。
写真にしてもネットが無かったから、今みたいに個人が趣味で撮っといたのの公開なんて極めて少なかった。
乗り物で最大の実感が得られるのは試乗だが、そんなの更に限られてたしさ。
ので風貌と伝説だけで途端に興味が湧くの以外、そもそも興味の対象となり難かったんだ。
処が音楽作品だと当時は昔のも平然と普通にラジオで流れてたんで、その面ではずっと現役継続同然だったのよ。
中には聴いただけで古そうなのもあったが、当初はこっちも詳しくないから良く分からない。
尚且つなまじ英語がロクに分からないのに洋楽に惹かれたんで、当時日本が欧米より遅れてたのと相まって時系列が半ば無効化してたん。
なので自分内では不明な新旧は他所に、単純に興味が湧くか好みかだけでマイリストが形成されてったんだ。
その結果まだ最新ジャンルではあったがRockが自分向きなのと、Rockの勃興期のが興味の対象として定着。
例えばChuck Berryに関し俺の世代は普通はBeatlesやStonesのカバーから入るが、俺はラジオから直で始まってるんだ。
当時ガキの確実にありつける良い洋楽ったら家族にヲタでも居ない限り、FEN(AFN)ほぼ一択でさ。
あとはせいぜいTVの輸入番組程度で、これも時系列を無効化させるのに一役買ってたさね。
これ等の環境が自分では得したと考えてて、お陰で新旧不問で純粋に面白さで選別可能になったと自負してんの。
そして俺の場合自分に最もインパクトを覚えたのが、たまたま1955年頃のから1980年位のだったって。
故に今でこそ「古い」って意識もあるけど、昔のだから評価してるって訳じゃ全然ねえんだ。
流石に近年は新規への興味が少しは衰えてるだろうが、本質的には女性と一緒で!?何でも若いのが大好物なままでっせ。😖
ついでだから女性に対する興味の本音を曝露しとくと、かつて若い時分には齢と共に変化すると思ってたんだけどね。
少なくとも俺の場合齢を重ねる程若さの価値が高まって、昔なら圏外だったコでも若いだけで興味を持つ様に変化してるよ。(でも小児性愛とかでは御座んせん、念の為)
但し理性も分別も弁えてるつもりなんで、余程金満に恵まれでもしない限りパパ活すらする気にはならないがね。
だが音楽作品だったらメディアのデジタル化以降、それ自体の劣化や老化とは無縁だ。
生身の人間だと加齢でしわやたるみが避けられんが、元から「聴くだけしか出来ない」相手で一切老けないんだからさ。
結果個人にとっての真の新旧って、本当は聴いた事の有無とか順番とかなんじゃないのかな。
-つづく-
« 音楽備忘録1635 Paul HumphreyというDrummer② | トップページ | 音楽備忘録1637 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➐ »
「文化・芸術」カテゴリの記事
「音楽」カテゴリの記事
「Ludwig Speedking」カテゴリの記事
- 音楽備忘録1842 打倒閉塞感➐(2024.09.01)
- 音楽備忘録1824 楽器業界の行く末⑯(2024.08.14)
- 音楽備忘録1652 従兄記事に勝手に便乗➍(2024.02.23)
- 音楽備忘録1648 従兄記事に勝手に便乗➌(2024.02.19)
- 音楽備忘録1644 従兄記事に勝手に便乗➋(2024.02.15)
「ドラム」カテゴリの記事
「ギター」カテゴリの記事
「ベース」カテゴリの記事
「鍵盤」カテゴリの記事
「真空管」カテゴリの記事
- 音楽備忘録1929 ’70年代Rockの浦島太郎➑(2024.11.27)
「録音」カテゴリの記事
「Mic」カテゴリの記事
「スピーカ」カテゴリの記事
- 音楽備忘録1913 ’70年代Rockの浦島太郎➍(2024.11.11)
- 音楽備忘録1909 ’70年代Rockの浦島太郎➌(2024.11.07)
- 音楽備忘録1940 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑤(2024.12.08)
- 音楽備忘録1898 エレキBassのCreamyな音色の魅力➐(2024.10.27)
« 音楽備忘録1635 Paul HumphreyというDrummer② | トップページ | 音楽備忘録1637 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➐ »
コメント