音楽備忘録1613 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➋
反省会だの刑事コロンボだのと強引な正当化をして、恒例の前回補遺や。
基本的に拙ブログは筆者の境遇から、持ち金は低く志や知識だけ高い人向けに綴っとりゃあす。
けれどお金があれば大抵は時間や自由は少な目になったりするんで、決して境遇の違う人を無視しては居らんのどす。
Ludwig全盛時に他にもGretsch・Slingerland・Premier等、その少し後には日本の3大ブランドやSONOR等もプロに使われてまった。
当時は庶民にゃ縁遠い乍ら↑も少しは体験してて、それなりには知ってるつもりだす。
しかしLudwigでも3ply Reinforcementならと書いたつもりで、設計時期の影響がこの件では結構大きいんだ。
’70年代中盤頃迄は□□向きとしてても主に組合せだけで、同じ口径なら全く同じのが多かったんだ。
のが口径や一部の胴深さのバリエーションより段々細分化してって、口径や組合せより物自体が違うのになってったんだ。
結果オールラウンドタイプを標榜してても、昔のよりは対応範囲が狭まってしまったんだ。
この傾向は楽器の価格・サイズとも関係がある様で、小さく安いのだったら曲毎にとっかえひっかえも簡単に出来るからね。
だきんども幾ら金と時間があったって、たった1つの楽器に音色の守備範囲がどの位あるのかは釈然としなくなるリスクがあったんだ。
その煽りを喰らったのが庶民で、同じ金満でも仕事の道具と趣味との格差が拡大しちゃったんすよ。
その訳は知識や体験の相違と、プロの仕事場が徐々に非公開が増えたからですわ。
他の項でも記した如く自宅での基本練習や録音では伝統的なので普段はやっといて、人前では最新の契約したのだけを使うっつうのがプロだったらままあるやんか。
特にPAが現在程成長してなかった当時なら、そのものズバリを使った処でどうせ音が変っちゃうしさ。
それでか来日する外タレ(これも死語け?…)は’80年代に入ると使い分けがデフォになって来て、更にはレンタル物の利用率が高くなって今に至ってる。
又特に国が違う場所では限定契約等もあるせいか、普段常用してる楽器が益々分かり難くなってるん。
更には日本人が割と外国語の会話を苦手としてるんで本人に訊けなかったり、音楽雑誌はスポンサー事情から訊いてても記事にする段階で不都合な真実はCutしたりとか…。
結果Ⅱで海外誌も読むとか本国語のサイトをあたってみないと、今劣化本邦内だけで流通してる情報だけでは真実はほぼ見えなくなっちゃったんだよ。
では杜撰君が決して得意でも抵抗感が低くもないそんなのにどうして辿り着いたかってば、そこにしか上がって無い様なたまたまニッチなのに興味を持っちゃったからなんだ。
幸か不幸か俺的には好みので少なくとも昔は日常レベルだったのに、日本じゃヲタのブログにすら登場しないのがやたら多かって。
稀にオッあったと喜んだら従兄のだったとか、しまいにゃ自分で過去に書いてて忘れたのだったりしてさ。😓
もしかしたら年寄りには常識過ぎて書くに値せず若者は全く知らなくて興味すら湧かぬと、丁度境界域なのかも知れないけどね。
そんな領域のだって本物に触れられさえすりゃ、百聞は一見に如かずでんがな。
=つづく=
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