音楽備忘録1605 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅰ➏
3つ程杜撰大王にとってのサウンドショックが出たんで、この際だからもう少し世間にはパーソナル観点のも追記しちまおう。
ここからのは今聴けば欠点も少なくないんだが、当時は何処迄行けるもんなのかの絶好のサンプルになったんだ。
1.石川豹一ショック
我々の内輪で曲のレベルの重要性を痛感させられたのが今は亡きこの人で、その曲に関しては未だ全く評価が揺らいでいない。
先ずそれに大きな衝撃を受け、皆が一斉にこぞって自作に励む様になっただよ。
しかしここで取り上げたのはそこじゃなく、全てが脂ぎった独自の音色と奏法なんざます。
当初はテクレベル低、チンケなモノラルラジカセに依る強引な多重録音だったんで音質は最悪。
にも拘らず編曲のセンスと個性豊かな演奏で、そんなでもとても魅力に溢れてたのよ。
残念乍ら完全に模倣を卒業する処まで行き着いてなかったが、一応売れ線の日本語Rockスタイルでね。
その様な歌主体のだと伴奏が凝り過ぎてても仕方無いケースが多く、パターンチョイスと個性の方が大事なんだ。
当時若干16歳位で既に一応完成の域に到達してて、俺を始め周りの皆はお尻に火が着く処か全焼でんがな。
2.畠山修一のハコバン用自作曲デモ
前者と共にこの人も従兄の学校に居た人で、金子マリの従兄にして前歴がCharの弟子って強者だ。
それじゃあさぞかし芸能界への憧れからお近付きになった…と思われそうだが、その頃まだ反抗期収まらぬガキの俺等はそれで仲良くなったんじゃねえんだ。
当時の高校生では段トツな演奏力があったのと、気さく身軽でとっても良い奴だったからだ。
但し高校時代は一緒に演る縁には恵まれなく、卒業後にある日ハコバンの仕事を従兄と共に誘われてね。
その際の自作曲と候補曲のテープで、自作のの演奏と音色に度肝を抜かれたんだ。
今聴けば粗もありゃ強引なLine録りの欠点もモロにあったんだが、当時としては「これまるでプロの音と演奏じゃん」って衝撃があったん。
その頃のガキアマには垂涎物のTASCAM 144(カセット4トラックマルチレコーダ)を使って、少ないストンプで音世界のイメージは完璧でさ。
結局後で検証すれば演奏がしっかりしてたのが主因なんだが、正規プロとはまだハッキリ格差のあった我々には望みの光が差した感じだったよ。
これ等出来事は何れも遠い昭和の昔の話しなんで、道具依存度が今より全然低かったのもあるがね。
けれど打込みでない以上やはり人間力の差は最も大きく、特に書き残しときたいのが「目の付け処の差」なんだ。
念願のプロになれても腕一番になれるのは各パートで世界で唯1人、って事ぁそれ以外のプロはテクだけじゃ誰も喰ってけてねえんだ。
しかし1.の中で記した如く、俺言い実用楽曲ではテクは頻繁には利用出来ない。
結局普段の大多数曲ではフィット性とか、一瞬の音色の魅力がモノを言うんですわ。
その意味で今日紹介した2人は、既にプロのやり方が出来てた訳。
-続-
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