音楽備忘録1630 行き過ぎた自作自演➌
自作自演の理想的良さはオリジナリティの高さだが、それを実現するには多彩な努力と才能が必要だ。
この点が運良く満たされてればカバーは前回後者理由でしか要らなくなりそうだが、自身の奏力や知見UPにはやはり少しは必要なのだ。
これの顕著になるのは例えば既存のスタイルから飛躍する時等で、特に自身の演奏で曲を作るのがデフォの人はね。
既に弾けるので作る事がどうしたって多くなるんで、色んな意味で苦手なのの練習には殆どならない。
天才でさえそんななんだから仲間の力を合わせても何等かの弱点があれば、やはり外の世界との比較で切磋琢磨せん事にゃ埒が明かないよ。
そんな際身勝手な練習をするより、カバーの方が高効率なんだ。
無論基礎力に著しい不足があったら、そこだけは地味でつまらない基礎練で克服しなきゃなんないけどさ。
してそんなのはコピーすりゃ良いって意見もあるだろうし、間違いでは無いんだけどね。
けど応用面等で「唯のコピー」は、少し不親切な処があるからなんだ。
ってのはもっとシンプルなのでも曲には間に合う場合のあるのが、その時点ではハッキリとは分からないからだ。
それがカバーつまり最低限は曲が分りゃ良いとなれば、早い段階で簡略化可能な箇所は判明しちまう。
これはオリジナリティ構築にも役立ち、奏者次第で重要視したり省く箇所が大抵は違うだろうからね。
それも個人でなら兎も角アンサンブルになると、誰かの苦手を補うのに別の誰かが頑張ったりとかのニーズが出て来るじゃん。
それは時に結構難題となったりもするが、今度はアンサンブルのオリジナリティ構築に貢献してくれる。
要は独自性を追及する者にとってこそ、カバーって急がば回れ案件なんすよ。
演奏も技術習得にはコピーの方が効果的だけど、それ以外にはカバーの方が短時間で多くを学べるん。
コピー冒頭でテクで躓くとそれに釣られて他要素も停滞するのを、カバーだったらテクを保留・先送りに出来る訳。
だから個人的に最低限必要な演奏技術だけ先にマスターしたら、以降はカバーの方に軸足を置いた方が進化が早まるんだ。
これが大昔は誰かとじゃなきゃ合奏不可だったから自然とそうなってたが、バーチャルアンサンブルが簡単になった今だと意識してないとそうなり難くなってんのよ。
又ジャムセッションの衰退は特に楽譜を重用しないジャンルでは深刻で、ってか所謂ノリってそもそも譜面には反映されてないしねえ。
符割のシンプルなの程ノリがどうなのかの重要性は高まる傾向にあるが、それを感覚的に学ぶのが機械じゃ酷く大変だ。
杜撰大王は以前「擬似バンド」なるのの勧めをしたが、それだって豊富な体験を経てどうすりゃ良さげなのかが分かってるからなんだ。
=つづく=
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