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2024年1月

2024年1月31日 (水)

音楽備忘録1629 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➎

けふは前回の「特化型は臨時で」の、真意を説明しときませう。
これは自ら楽器を弄れる程度に依って、その範囲はかなり変わって来るんだ。

大まかな処だとハンダ付けスキルの有無や、木工スキル次第でね。
先ず前者があれば例えばPUやポット類の交換等が可能で、後者があれば加工前に戻せる程度なら色々細工が出来る。

そんなの持ち合わせてないってんなら、弦高を変えるとかそんなのだ。
因みに以前既に述べたと思うが弦高も本来は設計値に含まれてて、正確無比な音程に拘ればウルトラローにする場合は最低でもナット溝も少し深くしなきゃなんない。

んが標準的弦高で設計されてると前述の通り、普通より摩耗に強いフレットは音色事情等であまり使われてないんだ。
ので休養君のは強く弾き過ぎてたのもあるが、ナットを元のより低くしたのも災いしてたんだ。

将来標準にほぼゼロコストで復帰させる可能性が少しでもあったら、完璧なウルローにはならないがナットは交換可能でも下げないどいた方が安全なのだ。
それと同様例えばPUのザグリを少し深くする程度だったらあまり全体への影響は無いが、Singleが付いてた所へ占有面積が倍になる普通のハムバッカーを載せる為にザグったりするのは微妙なんだ。

因みにⅡでVan Halenが若い頃魔改造したエレキも、公表してないだけで失敗作があったかも知れない。
本人談で6割方成功したIbanez Destroyer改めShark guitarでは、魔改前の方が音は良かったと語ってた。

だが当時の米で決して凄い廉価品では無かったが、本家GibsonのExplorerみたいに高かった訳じゃない。
つまりビンテージとかだったらおいそれとは魔改せず、100%は成功しなかったからって同じのの完全体を追加購入したでもない。

傍からは大胆なだけと思われそうでも、闇雲に自分仕様になんかしてなかった訳だ。
では例外があるとすればどんなケースかってば、大昔杜撰大王が中古購入したFender Mustangみたいなのだ。

買う時点で既に木部は原型復元が不可能な状態になってて、且つオリジナルパーツもストック(付属品として一緒に売られる)されて無かった。
当時の俺の目的は「マトモで本物のSingle Coil」なだけで、アームはあった方が良いが人気のせいで高値なStratoは圏外だった。

それを販売時点で1個だけしか付いてなかったBill Lawrence PUをせめて2つにしてとやってる内に、何時しか実質ほぼNavigatorのChar ModelⅡみたいになっちまったんだ。
木部を除く原型復元は物理的・技術的には不可能な程じゃ無かったが、コスパの悪い割に不評なMustang用Fender Single Coilを買える様な資金も無かったのさ。

故に極端例ではあまり嬉しくない貰い物をしたとかそんなのだったら、幾らでも大胆な魔改造をしても損にはならないよ。
尤も偶然から少しでも得を得ようとすれば、大失敗は出来ないけどね。

それもこれも本物の完成度や絶妙なバランスを隅々まで知ってないと、休養君みたいに一寸勿体無い事を仕出かしたりするんだ。
因みにⅢで恐らく彼は全然知らなかった訳じゃ無いが、意外と早期に復元したくなるなんて当時は思いもしなかったんだろうな。

-続々-

2024年1月30日 (火)

音楽備忘録1628 適切な帯域制限の苦悩⑫

さて数多くの記事で杜撰大王が「生耳聴き」に拘るのは、何処迄行けるかの指標として重要だからだ。
帯域制限についても関係性がとっても深く、硬さを許さなきゃ明瞭度が確保出来ない等と云う重大な誤解を招くのと同じなのだ。

是迄再三吠えて来た如くオーディオ的にだけ高音質なのは、アンサンブル内で同じ振舞いをするのが僅少なんだ。
けれどパート別で録る最初のは、その時点でアンサンブル内で鳴らす事が出来ない。

結果単体聴き評価をすると、高音質な感じがしたの程どうしたって良さそうに思えちまう。
この意識を圧倒的に覆せるとしたら、名人が眼前で奏でる「生耳聴き」が最有力なんだ。

理想は既にメディア等で沢山聴いた事のある人のだが、そうでなくても何処かで録音に使ってたっぽい音色なら構わない。
最初は唯々おースゲエと来て、次に過半は帯域制限が掛ってるなんて感じられない音だろう。

特殊音色以外では達人はバランスにも充分配慮してるから、殆どのに実際は掛っててもそれが気に留まらないんだ。
のわそうしとかんとアンサンブル内での明瞭度や立ち位置がフラフラ変動したりして、不都合が生じちまうからだ。

でそんなのが記憶にしっかり刻み込まれてると、高域過多になってたら「あの時のと違う」と即座に判断が付くんすよ。
ってもその段階じゃ何が異質にした犯人かはまだ釈然としないかも知れんが、何かを変えなきゃ近付けないのだけはもう分かるって寸法さ。

ド下手な人の生音でも音色に偏りがあんま無きゃ生耳と録ったのの比較は可能だが、どうすれば好みの音色がなるべく色んなアンサンブル内で通用するのかはあまり知らないケースが多い。
その一方で確実な指標が自分内でたった1度でも得られてたら、仮にその後は全く機会に恵まれなくてもそこそこ行けちゃうんだ。

これが俺言い「音色に於ける三つ子の魂百まで」で、親だと双子の区別が何時でも付けられる様なもんだわさ。
基準の原典になる訳だからなるべく至高なの程向いてるが、それより重要なのは最低限の機材で出されてたかどうかだ。

真の一流ならある程度の楽器と球Ampさえあれば、業務の実用に堪え得る音色が出せるんだ。
又老害臭が漂っちまうが古老程アテになるのは、今みたいな高性能なマルチEffector・Preamp・ストンプが無かった時代を生き抜いて来たからだ。

昭和の内プロも扱う録音スタジオなら、1台はFender Twin Reverbかそれに相当するAmpが必ず用意されていた。
だが令和の今では多種・多様な機材がある代わり、立地条件等のせいで球Ampの無い所もある。

そんな所でばかり仕事をしてる人では、なかりの売れっ子でも楽器本体とAmpのみの音創りに精通してない可能性があるんよ。
この先は新項を設けてそっちで続けるが、ツールやアイテムだけで音色の全てが作られてる訳じゃないんだ。

=Fin=

2024年1月29日 (月)

音楽備忘録1627 Carol Kayeショック➌

さてAmpeg B-15NとSの続きだが、最大の欠点ともなり得るのはBassの高音弦が細目・薄目の音色になる処か。
尤もBassらしい低音を充分得るには↑は避けにくく、それはアンサンブル内でのバランスとして聴いてみると良く分かるんだ。

最大出力が30と60W・スピーカは15inch一発なんで大規模Liveには不向きだが、比較的コンパクトなのがレコーディング向きの最大理由って訳じゃねんだ。
主流派のベーアンは何でも太目に出すのが最適ではあるがそんなステージに合うAmpで困るのが、デッド目なスタジオでの録音時なんだ。

ライブな音場程低音が響かないんで、録ってみると高音弦が悪目立ちするんすよ。
昔の欧米のステージは低音がやたらと響いたりするんで、そこでだけ丁度良い按配になってるとね。

又ひと口に低音重視っつっても色々あって、必ずしも大バランスばかりが欲しいとは限らないんだ。
最大の懸案は小さ目バランスでもローがちゃんと聴こえるかで、それ故パーソナルオーディオにはラウドネスやバスブースト機能が搭載されてるべ。

因みに業務用PA系のにはそんなのホントに皆無で、寧ろ何か付加機能があるとしたら減らす方のLow Cut Filterでっせ。
Bassが最低限のバランスになっても低音が聴こえるかどうかは、アンサンブル全体に対し甚大な影響が御座居ま。

Carol Kaye先生も俺と同じくGuitarが先で、そもそも’50年代はBebop JazzでプロになったGuitaristだったん。
それが’63年に急遽トラでBassに触れた際、アンサンブルの骨格を支配出来るって理由でBassメインに転向したそうだ。

この最初から音楽の全体像を意識してたのは大変重要なポイントで、その結果の一部がプレべなのにリッケンに近い音色となった模様なんだ。
今はベーアンの音創り巾が拡大したんであまり困らなくなったが、オッサンの若い頃はまだプレべタイプを持ってってショボイAmpしか無かったら充分な低音は諦めるしかなかったよ。

因みにⅡでEQストンプ挿入等で補填可能なのは1にスピーカ2に出力段が対応してた場合限定で
、当時の廉価品の殆どは底突きを起こしたり忽ち歪んだりして期待薄だったよ。(俺はBass歴初期にベースブースタを持ってた)
結局コレに懲りたのとチビに大柄は不似合にて、それ以降持ち替え不可な状況では俺はFenderタイプのは避ける様になったんだ。

又ⅡでCarol先生全盛時も欧系ではアンサンブルの重心が低かったが、米ではワイドレンジ且つ湿っぽいのはあまり歓迎されてなかったからね。
因みにⅢで当時のシックな欧州サウンドはムード満点だったが、分析耳で聴くと高域がとても控え目な感じになってるだけでローエンドなんて幾らも入ってないから聴いてみそ。

半分は偶然かも知れんがCarol Kaye先生の音色って、Flat弦+プチミュート以外は他の昔の人のより今の状況に直接導入可能なんすよ。
それも含めて今に続くBassの音色やフレージングの原型を、初めて作った人と言えるんじゃないかな。

んっまそんな事より兎に角躍動的で痛快だから、とっくに誰が真似したって不思議じゃなかったんだけどねえ。
今劣化本邦じゃ高評価して参考にしてる人が少なきゃ、特に躍動感の部分で足元に及ぶ人さえほぼ居ないのは悲しいな。

=おわり=

2024年1月28日 (日)

音楽備忘録1626 行き過ぎた自作自演➋

だば続いては何時もの様に具体例へ進めてくが、カバーの趣旨は主に2つに大別される。
1つは限られた良い曲の補填と遺産の有効利用で、もう1つは親和性対策とでも言っとこう。

前者で大成功したのったら何たってGeorge HarrisonのGot My Mind Set on Youがその嚆矢じゃないかな。
オリジナルとカバーの評価差が、超絶対照的だったからね。

洋楽愛好者でこの曲が売れて以降に生まれた人は大勢耳にした事があるだろうが、それより上の世代は確かめる迄カバーだとは思いもしなかったんだ。
極一握りの黒人音楽ヲタ以外、本当は昔からあっても誰も聴いてなかったからね。

杜撰大王なんでその後はほっぱらかしてたんだけど、この執筆に際しちょいとWikiってみたんだ。
それに依るとオリジナル公開は1962年で、結果的に1987年迄長い眠りが続いた。

又George先生談では最初からこの曲は良かったが、アルバムの他曲は全く駄目だったそうだ。
兎に角オリジナルは全然ウケなかったらしく、チャート情報等も全く記載されてない。

そんなのが幾ら大御所有名人が取上げたにしても、米Billboardで1位・全英シングルチャートで2位だからねえ。
余りにも極端な落差なんでYoutubeで探して聴いてみると、オリジナルのJames Ray(作曲者はRudy Clark)全体の感じはそんなに変わらないものの当時流行のラテン(カリプソ)風にし過ぎたのがいけなかったか。

一方後者はスタンダード曲を取上げるのが中心で、新参自作者にとっちゃこれを抜きにすると全部誰も今迄「聴いた事が無い曲」になるですよ。
現代はYoutubeやSpotifyがあるから、音源完成→即公開が可能になってるけどさ。

昔はレコードは未だしもCDなんかだって「焼く時間」が必要だし、今でもスケジュール次第じゃLiveで演る方が先になったりする。
そんな時何かしら「掴みはOK」の有無の差は大きく、スポーツの準備運動みたいなもんだ。

ストレッチレスでいきなりガッと動いて肉離れするよりゃこっちのはマシだが、聴者が「充分に聴く気持ち」にならないまま終える事になっちまったりゃする。
それ以上に重要なのが演奏力に長けてる場合で、聴者に力量を明確に示すには知ってる曲や誰かが演ってたのと同じ曲のほうが分り易い。

これで俺に印象深いのはVan Halenがカバーした、The KinksのYou Really Got Meかな。
何しろ聴き慣れたブリティッシュ・インヴェイジョンを代表する1曲が、斬新なHard Rock(或はMetal)に化けてたんだからねえ。

Aerosmithが演ったThe YardbirdsのTrainKept A Rollin’だったら、比較的関係性が濃いしセッションネタとしても有名だからまだ想像が容易かったんだけどさ。
只どっちもデビュー期に取り上げてたのが共通で、大抵は曲よりサウンドやテクの方が短時間で分かるからだよ。

その他にも演者のリスペクト対象を具体的に示すとか、興味の範囲を示すのにも効果があるんだ。
更には今の特に日本では減少著しい即席のセッション(ギグ・ジャム)、普段から演ってる共通曲が多い程参加機会や参加時間を増やせるのさ。

=つづく=

2024年1月27日 (土)

音楽備忘録1625 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➍

最早時代遅れな感じもする古典主流機を、何故執拗に杜撰大王は基準とするのかご説明。
Mic・スピーカ・真空管等では、様々な不利を承知で音色ニーズから使われたりするよね。

でも普通のRock系の人にMetal登場前のを勧めるなんて、何も考えなかったらミスマッチだ。
だが一般論でジャンル特化させた楽器には、埋もれた欠点が凄く沢山あるんだよん。

実例としてウチの休養君のGuitarをリペアした時の話しで、過去には弦高をどれもウルトラローアクションにしてた様だ。
これは激歪ませで超HiGainだと、触れただけでもうドカァンと鳴るからねえ。

わざわざ普通の弦高にしといて強く弾く意義が希薄になるんで、速度と高難度フレーズに忖度して弦高ウルローにする習慣みたいなのがかつてあったん。
しかし休養君出自がFolkだからかそんなのでも思いっ切り強く弾いちまってて、したっけナット近傍のフレットの弦の下だけが摩耗して掘れちゃってたんだ。

そうなってれば王道は全フレット交換で、元のフレットがハッキリ分かってて手に入るなら掘れてるのだけ交換だ。
がこんな貧民と平気で組んでくれる人は向うも貧で、一番掘れが酷かった1本はリペア保留になったんだ。

さてこの件持ち主が全く気付かなかった訳でもないらしく、しかし少しでもハードボイルドにしたくてそうなってしまったらしいんだ。
Metal系ってばスピードもだが、本来なら何より劇的なパワーが求められるよね。

それで太鼓なんか大規模セットになってったが、超高速を可能化する為にトリガーなんて邪道に走りやがった。
そうなって来っとパワーはダイレクトに反映されなくなるが、些細なミスで非力化する心配は無くせる。

んで結局は固有の醍醐味が減ったんで衰退してったが、ほぼ男だけがやってたから大変な事態にはならなかったんだ。
ってのはもし女が一気に乗り込んで来たら、細かいスピードや正確さじゃ野郎なんてとても敵わないじゃん。

と考えてみると力やストロークの要らない楽器は女性には大きな武器になるが、屈強が売りの男性程不利になってくんだよ。
因みに拙ブログでは断りなき際は性別不問としてるんで、男女共用とすればかなり昔に初めて一旦定まった標準値位のが妥当な線なんすよ。

基準楽器は各方面に対して中立なのが良いのと併せて、こんな事情も裏にあるだよ。
Stanley Clarke位の長身になると、初めてウッドBassをGuitarみたいに自在に掻き鳴らせる。

俺みたいなチビにとっちゃ羨ましいを通り越して憎らしくもあるが、そんな楽器が現存してたから皆が堪能出来たんだよな。
BONZOやEric Mooreの太鼓にしてもそうで、常人が鳴らし切れる楽器しか無かったらそんな楽しみは無かったさ。

「楽過ぎる楽器」にはこんな負の側面もあるんで、少なくともそんなのを基準にしちゃうのは考えものなんだ。
本番を想定した練習にはMetal系なら弦高ウルローの方が相応しいが、普段の練習までそのままでしていてはウルローのご利益は薄れるし普通のが弾き難くなる。

ので標準型の他に特化型を持つなら良いが、特化型は「臨時措置」留めとくのがお勧めなのだ。
偏りや悪癖は長く続けてると、最悪は戻し切れないか戻すのが物凄く大変でっせ。

-続-

2024年1月26日 (金)

音楽備忘録1624 適切な帯域制限の苦悩⑪

このテーマには「生耳との違い」は欠かせねんで、それに纏わるプチ余談をば
たかがポピュラー音楽で一々本物がどうのとかより
、別に面白きゃ何だって良いと思ってて…。

とまあ相変らずのシーソー論法になってるが、生耳と一定以上違う音になって構わないなら今はね。
でもそれなら生が一番とは限らず、打込みを始めとしたもっと楽で低雑音で高安定なのが今は他に幾らでもおま。

妙に昔からの楽器で無理する裏に、併用する人が少ないせいがあるんじゃないかな。
例えばローピッチが苦手なSnareしか持って無かったとして、俺だったら打込みでそれが可能だったらそんなのをやってみたい。

過去実績としてなら12弦Guitarを持ってなくて、デジタルピッチシフターでそれっぽく演出したのがあった。
未だ持ててはいないがこちとらベテラン、過去に幾度も借りたりして現物がどんなかはそこそこ知ってる。

勿論全くの偶然で新音を発見する事もあろうが、何時か何処かでそれっぽいのを聴いたのが蘇るってのが最多なパターンなんすよ。
これは作曲や編曲でもありがちでだから個人個性消化不良のまま出て来ると、全く意図・意識して無かったのに盗作に引っ掛かるなんてのがあるんだ。

本件で判断基準にすべきは2つ、生耳の記憶と選択や方法論の適性ですがな。
例えばⅡで去年に至ってもBeatlesとStonesが新作を出せたのって、元々曲作りも録音も何でもアリにしといたのも一因じゃないのかな。

常にパート・メンツ固定とかせーのの一発録りしかしない連中だったら、オリジナルメンバーが1人欠けたらお終いだ。
全員健全な当時から4人居るのにあの曲は独りだけで録ったとか、Jumpin’ Jack FlashのBassはKeith Richardsが弾いてたとかがあったからねえ。

それと同じくどのGuitarで演るか一発通し録りかバラ録りかに留まらず、今なら打込みか切り貼りか…と大袈裟に言や桁違い選択肢は増えてるん。
この点ポピュラー系の鍵盤奏者は生ピからSynthe程度の巾は日常的に要求されるからマシも、Guitar・Bass・Drum等の多くはまるで人種差別全盛期並に石頭なんじゃね?。

只それなら主に意識だけの問題だから解消出来る可能性がそこそこあるが、「生耳」ってのの実体験が今はかなり難しくなっちまった。
名人のPAを通してない音を聴ける機会が、ホンマろくすっぽあらへんのや。

これが足りないと前回の従兄みたいにリアルの方が不安になるのも仕方無い現象で、今時盛られてた方がそりゃ良さげに思えちまうもんね。
けれど録っただけでそうなってるのって、整形に失敗してもう元へ戻せなくなったのと同義なんだ。

しかも「生耳」が本当に必要なのは子供や初心者なんだけど、業界内部に属してある程度の地位にでも上らんと触れるのがほぼ無理になってるやん。
更に厄介なのは一瞬で何か感じて反応する奴ばっかとは限らず、1ヶ月毎日聴かされたらやっとなんて人も居るじゃん。

のでせめてものお慰みで耳が健全だったら、生耳と録音したのの差には敏感にならなきゃ。
良し悪しには目もくれずコレで録られると、○が×になって△が□したみたいに聴こえるんだってね。

=つづく=

2024年1月25日 (木)

音楽備忘録1623 Carol Kayeショック➋

続いてもしかしたら居るかも知れないヲタ向けも含め、Carol Kayeの奏法と内容の分析ざます。
表層的特徴としてはピック弾きとJazz知見に依る自在なフレーズが挙げられるが、彼女達のが王道も現況のピック弾きとは一寸違ってる。

今はピックの当て方や角度等は殆どGuitarと同じ様だが、ホントはそれじゃあ基音が不足気味になるんすよ。
これは杜撰大王はマルチだから力説させて貰うが、弦振幅自体が違ってるからなんだ。

私感覚ではGuitarの場合状況次第では少し擦り付ける様な方が好結果の場合があって、特に高音弦では却ってそうせんと基音の「通り」が悪化するんだ。
どうやら電磁Pickupに対し弦が理想より細い為みたいで、例えフレットを盛大にぶってもその方が良い感じ。

のがBassでは弦の振動数が少ないからか、極力フレットとの接触を避けないとたちまち振幅がスポイルされちゃう。
ので基音を最高に温存しようとか充分な低域量を堅持しようと思うと、弦はなるべく「横向き」に揺すらなきゃなんないんだ。

全盛期の彼女Flat弦で前寄りを弾いてるからってのもあったが、それよりも弦を揺さぶる方向の方であんな音色が出てたんすよ。
但しそれだけじゃFender Precisionだけで可能な低域量しか得られず、RickenbackerやGibson等のローエンドには遠く及べない。

概述Fenderのは「高域は楽器本体で低域はAmpで稼ぐ設計」だが、設計理念を打ち立てた当時の状況からか低域の底の方はあまり配慮されてない。
要は例え楽器とAmpで出せたって、録音でも再生でも当時のMicやスピーカの平均的性能のお陰でまだ世間一般が非対応だったのよね。

只その代り作った音が別物に聴こえる様な事が起き難く、それは今でも店舗等でBGMとしての簡易再生でも変質し難い利点がある。
がJazzから来た皆さんウッドBassの低音に慣れてたからか、中高音は良いからもっと低音が欲しいと思ってた節があるねん。

その証拠にJames Jamersonを筆頭にAmpのセッティングが、Bassはフルで後は適宣って人が多かったで。
だからこそチョイ後発のR君やG君では、楽器自体からもっとローを出せる設計にしたんだろうさ。

それがハズレじゃないと分かってからAmpの方での進化が始まり、低音拡充黎明期ではAmpegが業務用対応一番乗りだったのよ。
それが有名なB-15Nと少し後に出た
Sで、色々と初めてのだったからか限界領域に達するとウーハの底突きなんかを起こしやがる代物で…。

だがそんなな程ウーハのダンピングが低いからこそ、音量控え目な時でも充分なローエンドが得られたんだ。
今の感覚じゃ底突きなんておっかねえし音色だって微妙だが、Amp電子回路部だけで歪んでブッ潰されるよりは低音の質がマシだったんだ。

=つづく=

2024年1月24日 (水)

音楽備忘録1622 行き過ぎた自作自演➊

タイトルからして自身の行動と反してるかの如くだが、カバーを甘く見てるとロクな事は無いのだ。
近年の今劣化本邦では壺直結の著作権法のせいで、セミプロ以下の者がカバーをとても演り難くしてる。

何故一々壺だの何だの絡めてるかってば、芸術的観点からしたら大きなマイナスにしかならないからだ。
では誰得なのかったら「予定通り儲けたい悪商」で、本当に良い音楽を世間で目立ち難くすれば仕方無くある程度は買ってくれるだろうって稚拙な作戦なんだ。

政界でも与党や存在安定野党の腐敗があんなに酷く進んだのは、民衆に「見える」対抗馬を隠蔽して正当な競争を回避したからだ。
病院が100あったら誰も行かない様な酷いヤブでも、島に唯一の病院だったら仕方無く頼る式であるぞなもし。

そんな真似したら地盤沈下するのは目に見えてるが、中でも深刻なのは音楽水準の退化を招く件だ。
ヒット≒売れる・儲かるのにはタイミングも重要で、幾ら良い曲でも条件が揃わないとそこ迄売れない。

だからって世相ばかりを追い求めてては、面白い解釈や新しい考え方を提示するのが難しくなるんだ。
結局商業目的オンリー以外の音楽家はある程度は逆算もするが、良い物を作っといてウケたらラッキーって長い待ち時間に堪えられなきゃ仕方ねえの。

他分野でも努力が報われるとは限らない、要領の良さこそ全てなんて勘違いしてるのが増えてるが…。
有効な努力っつうのは機会が訪れた際に力をフルあわ良くばそれ以上に発揮させる準備で、どんな美人に言い寄られても受ける気が無い人だけに不要なものなんだ。

まあ現実的にはブスな人の友達の美人を紹介して貰おうと思っても、似た者同士で集ってたりし易いからそんなの宝くじ並の低確率になるけどさ。
でも大抵はこっちが全盛時のキムタクかそれ以上なんて事ぁ滅多にねえんだから、凡人が正攻法で攻めた処で獲得率は↑より更に各段に低いざます。

その代り生鮮食品とかと違ってこっちのには賞味期限があまり存在しないんで、水準超越さえ心掛けて作っとくとある日突然爆売れの可能性を残せるんだ。
又演奏する側にとっては曲の不作時期に過去の発掘で水準を維持可能って手があって、っつうか演奏だけの人って必ず常時「過去作」しか演れないんすよ。

何しろ自身で曲作ってないんだから、誰かのが出来上がってからじゃないと演れないやんか。
ならば曲さえ作れりゃ良いのかったら、編曲や演奏もかなり結果を左右する。

極端な話し音痴が歌えばメロは分からず、リズム音痴が叩きゃ何拍目なのか表か裏かサッパリ分からなくなる。
少なくとも曲を「分かり難くする」のは必定で、苦労して作った曲は分かり易い上出来ればなるべく素敵に聴こえて欲しい。

良い曲なのに当らなかったのって当然タイミングもあるけど、編曲や演奏に何らかの難のあったケースも多いんだ。
その内例えば当時Rockが無かったが為に複雑なJazzアレンジをするしかなかったのなんかは、今だったらカップラーメン並に簡単に料理出来る可能性があるよね。

そうしてもし今の曲の平均水準より遥かに高かったらどうするの、それでもカバーは絶対演らねえのかってな。
作曲者にとっても今と異なるアプローチから生まれたのって、かなり勉強になると思うんだけどねえ。

=つづぐ=

2024年1月23日 (火)

音楽備忘録1621 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➌

今時ブランド信奉(但し一部に限る)なんて如何にも時代遅れ感があるが、’70年代以前に作られたのだったらそれ相当のアドバンテージが実際あったんだ。
ので現況に少々そぐわないのを承知で晒してんだが、その人のその時点なりに最低限のルーツは抑えといた方がエエねん。

これに関し杜撰大王の場合は例の100年Snareに触れる迄は、’40年代以前の楽器実態への興味は殆ど無かったんだ。
演りたい中心がRockなんで、流石にその登場より10年以上古いのだとフィットしないだろうと思っててさ。

実際Jazz向きのフルアコエレキでは、カッタウェイが無いとかネックジョイントが浅過ぎたりするからね。
だからって全くニーズや欲しさが無い訳じゃないんだが、最低所有本数で色んなのを演りたいと考えると厳しいのよ。

俺の場合GuitarだとSingle Coilとハムバッカーは両方必要で、先ずその分だけでボディタイプバリエーションに制約が生じる。
つまりホントはソリッド・セミアコ・フルアコと揃えときたいが、それだとエレキだけで6本にもなっちまう。

それでもGuitarがエレキしか要らなかったらまだ少しは望みがあったが、アコギの方でフォークとガットが↑のPUタイプ違いみたいに無いと困る。
その上本職はBassで更にはDrum etc.となると、いやマルチな分もとより専任の人より機材が嵩むのは覚悟はしてんだけどね。

貧なりに今に至る間にはそれなりの迷いも経て、半自動的or半強制的に基本指針が決定しちゃったんだ。
かつて中古の格安品でも本物に手が届かなった頃は、偽物格安品で種類が充実してた時期もあったんだ。

がそれで千載一遇チャンスの本番に臨めるかと考えた際、楽器を信用し切れなくてね。
特に杜撰大王の一味!?では割と録音機会とニーズが多目でもあったんで、なるべく「偽物の音」は残さない方が良いと感じたんだ。

俺言い「偽物の音」とは時には本物10に対し偽物8位の差しかないんだけど、その僅かな差で万一作品評価が下がったりしたらね。
自分のなら未だしも他人の作品でそうなったら後悔先に立たずになるし、何かアイツだと今一だから次は他のヤツに頼むかなんて起きそうじゃん。

そして最低限の体制が確立した上で駄目だったら、本気で自らの無力さに立ち向かうしかなくなるじゃん。
杜撰大王は残念王だったり失敗王でもあるから力説するが、一番途方に暮れるのは敗因が不明瞭なヤツなんだ。

問題箇所が分からんと幾ら惜しみ無く努力するつもりでも、しばしば暖簾に腕押しになったりするっしょ。
上記みたいな究極の場面になると、普段は大した事無い案件が肥大化する事もある訳さ。

又別視点から技師の立場的には偽物でドヤ顔されても、処理に苦慮させられる事も少なくなかった。
例えばBassでのリッケンタイプでは本物なら多少歪んでも音程感が潰れないのが、偽物で俺言い「偽度」が高くなる程ブッ潰れちまう。

その際に奏者に自覚が足りなくて平気で歪ませられたら、後からじゃ殆ど補填する手がねえんだわ。
又別面では本物を熟知してればこそ偽物も上手く使い熟せるってもんで、かつてRitchie BlackmoreがLive破壊用には日本製の安物を使っても露骨にはバレなかった例が。

-続々々々-

2024年1月22日 (月)

音楽備忘録1620 適切な帯域制限の苦悩⑩

本項の〆にあたり世間多数派の心情から、敢えて駄々を捏ねてみようか。
実は杜撰大王もつい最近迄は、帯域制限を施すのにハッキリ決心がついてはいなかったんだ。

オーディオ的魅力はそれだけでも美麗だが、時代性だの過去作との差別化等の必要性だってあるもんね。
けれど昨日迄の従兄宅でのある魔改造で、そんな矮小な欲なんてフッ飛んじまったん。

端緒は従兄概所持の1U Mic Preを代用USBインタフェイスに繋いだら、規格は+4dBで合ってる筈なのに盛大にレベルオーバーになったってヤツでさ。
最小コストでレベルを合せるのに直列に抵抗器をキャノンプラグ内へ忍ばせたんだけど、事前想定計算値では全然足りなくて。

2週間後の仕切り直しでどうにか形を付けたんだが、その試聴をしてて従兄がインタフェイス直入れに比べTomのアタックが足りないとかこんなに柔らかい音に録れて大丈夫かと心配し出したんだ。
尤も生耳に聴こえるDrumは施工後の音の方が断然近いし、Tomにしても胴鳴りや低音の膨らみではやはり施工後の方が良くなってたけどね。

そこで発見したのが「アタック音の長さの違い」で、現代的な明瞭でピーキーなアタックってその時間が凄く短いと。
短いから結構大きくても比較的他パートの邪魔にならないのは良いんだが、何のアタック音かは奏者自身じゃないと分かり難くなってたんだ。

生存確認とか出社確認だけならこれは中々有効だが、生きてても瀕死とか出社してても居眠りしてるかどうかは分からんって感じなのよ。
その上ここで着目すべきはアンサンブル内で実効性があるかどうかで、Tomを鳴らす根源ニーズって何かドンドンボコボコしたのが欲しかったからでしょ。

これが先に得られないなら幾らアタックが聴き取れたって、Tomにした意味が薄れるやんか。
実際検聴耳で聴くには判別し易い程楽になるが、唯音楽や曲を聴いてる人に必要なのはそっちじゃない。

結局何時になっても音程が分り易い点で中域が最重要だし、ある程度以上中高域がずっと含まれてたらなら劇的な場面転換に効果的なのは低域なんだ。
これ等「中低域のアタック音」ってな音波の原理から、高域のアタックよりゃ目立たんしその時間が長めになるん。

ある意味現代の高域豊富な音創りって高音質化におんぶにだっこで、瞬間音と持続音の2択忖度に偏ってんじゃないかなぁ。
楽器や音程次第でアタック音の長さだって、本当は無限に種類があるのにさ。

因みに従兄のTomはノーミュートでアタックを強調する様な皮を張って無いんで、少なくともその分パルシブなアタック音は出なくなってるんだ。
だからどう考えたってJeff PorcaroがCSドットを叩いたみたいなアタックは出ない筈で、それに近くなってたら録音過程の何処かで改変されてたんすよ今迄の方がね。

とは言え日常的に「真実の音」に触れられてないと、人間の感覚は簡単に偏ってるのへも引っ張られるもんで。
太鼓は太鼓でもなまじ生のに沢山接してる分、録った音の割合は低くなるからねえ。

とは言えⅡで例の100年Snareが予想外に未だ従兄の手元に留まってるんで、俺からしたら一寸お間抜けな感じも…。
しかし有無を言わさぬ比較対象としては、↑のTomがもし
手元にあったりしたら間違いのない処だよね。

=つづく=

2024年1月21日 (日)

音楽備忘録1619 Carol Kayeショック➊

又もや出ました杜撰大王の真骨頂、その筋でそこそこ前から高名になったCarol Kaye。
何時もの様に音は散々浴びて乍ら、ついこないだ迄全く知らなかったっつう…。

キッカケはレジェンドDrummerたるPaul Humphreyの作品を探してて、とある人のブログでJoe PassがFunkってるアルバムが提示されててそこに入ってたんだ。
その時点ではCarol Kayeは全く把握してなく、好きなオッサンが2人でFunkだったらもしかイケるかも程度で聴いてみたんだ。

幸運な事に当りが出てくれたが、目的の2人以上に炸裂してる人が居てさ。
それがエレキBassで且つJazzでは異例のピック弾きなのに、違和感無いどころか絶品でねえ。

従兄が君に似てるなんて言うもんだから、暫く経ってからちゃんと調べてみたんだよ。
したっけ念の為に少し彼女のプロフィールを紹介しとくと、1935年生まれの米女性で「ピック弾きエレキBass」の始祖の1人らしい。

それが’60年代LAのThe Wrecking Crew(スタジオ録音職人集団)主要メンバーだったんで、異常な程あちこちで弾いてたんだ。
The Beach BoysやThe Monkeesにも携わったてたが、どっちかったら黒人Funk系のにより多く参加してたと。

これが当時は録音メンバークレジット不記載がデフォだったのと併せ、話しを複雑にしてた様だ。
だって黒人でしょFunkでしょ、なのにピック弾きだなんてイメージからしたら亜流じゃないすか。

って実は過去の聴取体験ではそこそこそんなのもあったんだけど、全曲一々どんな奏法で演られてるかなんて杜撰大王がチェックする筈ないじゃん。
でなくてもBassist以外は全体の雰囲気の方を優先して聴いてるのが普通だし
、黒系では御大James Jamersonが何たって超有名だしね。

なので皆Jamersonが演ったと思い込んでて、実際はCarol Kayeが弾いてたのがそこそこあるそうだ。
となるとBooker T. & the M.G.’sの面々のと同等がそれ以上に俺はヘビーリスナーで、全く知らずに絶大な影響を必ず受けてたんだよなぁ。

ほいで何が大衝撃だったかってば、人間以外のキャラがかなり被ってた
んだよぉ。
当時彼女は殆どがFender Precision Bassだったんだが、弦・ブリッジ微ミュート・Ampのせいで限りなくリッケンに近い音になっててのぉ。

Atlanta Rhythm Sectionの初期にPaul Goddardので近似例はあったが、途中で彼はプレべからリッケンに持ち替えて生涯そのままだったからねえ。
それがCarol Kayeと来たら今はIbanezなんか使ってて、音色も昔のとは俺比ではだいぶ違ってる。

この辺は女性ならではで男性の恋愛記憶は追記だが、女性のそれは「上書き」(つまり過去のは消去!)だからなんだろうか?。
何れにしても演奏方法も音色もとってもアブノーマルな組合せだったのが、不勉強な俺みたいなのに情報が届くのが遅れたんだろう。(人のせいにするなっ💢ってか…)

=つづく=

2024年1月20日 (土)

音楽備忘録1618 サチュレーションの話し⓯

一通りは出し尽くした感があるんで、新発見がある迄この話しはお休みにしよう。
に際し現段階で要約してみるが、実は2つの柱があったのが重要じゃないかな。

数ヶ月前迄の俺も含めサチュレーションったらPeak成分を刈るのばかり考えてたが、もしPeakを出さなかったら不要な訳っすよ。
現実的にはバランスの問題でPeakゼロに収音なんて先ず無理だけど、特定意図の無い限り盛大にPeakを出して拾っといてガンガンに潰すのは割りが悪いさね。

で今日はBeatlesを例に話しを進めてくが、奴等が頻用したとされるリミッタFairchild 660,670についてだ。
名機の名に嘘偽りは無いものの、例えば超現代的な楽器に掛けたらどうなるんだろうってさ。

デジタルはおろか石の高性能機に対し、球の増幅率の低さからすると期待する程の音には多分出来ねんだ。
確かにトランス等のお陰もあって柔らかくはなるだろうが、恐らくリミッティング量がかなり不足すると思うんよ。

そうなる原因にテープコンプの影響も無視は出来んが、冷静に順を追って考えてみとくんなはれ。
今より遥かにナローダイナミックレンジなテープへそんなの送ったら、その時点で曲全体にDistortion掛けたみたいになる筈やで。

にも拘わらず奴等のはそんなになってないのは球のリミッタやMixer卓だけじゃなく、楽器自体の出音も違ってないと厳しいで。
ほいで太鼓はたまたま似た様なのがウチにあるが、その使用実感に少し変な特徴があるんだ。

上手く操れると現代標準のよりかなりデカい音が出る癖に、アンサンブル内で案外目立ち難いっつうか明解な明瞭度が無い。
ここで要注意なのがほぼ極限状態での話しなんで、明確な明瞭度なんてったってハッキリ認知可能なのは現代Drumsetだってアタック音程度なんだ。

歪ませたエレキなんかと比べたら、元々生太鼓は極端な減衰音だしねえ。
唯奏者にはそう聴こえても、「奏でないで聴く」と印象はガラっと変わるんだ。

演ってる方はある程度何の音か知ってるから一瞬でも聴こえりゃ鳴ったと認識するが、門外漢にはある程度以上「継続して鳴る」んじゃないと良く分からなかったりするやろ。
大体余程の達人じゃないと超短時間での音程把握とか全然無理だし、短過ぎる音ってな言うなれば音楽には劣等生なんだわさ。

で戻って具体的Peakの抑制策としては、Micを音源から遠ざけるのが1の手段だ。
↑の様に今よりPeakの出難い楽器+遠目のMicが先ずあっての、名機リミッタの本領を発揮だったんだろうってな。

それが事情で不可能なら、何回も何回にも分けて少しづつ潰して行くしかないっすよ。
因みにそれは杜撰大王が忌嫌い卑下する無理くりコンプと近似で、高加工度になる程「損失」は多いし原音の劣化も多いだよ。

歪み上等とか高圧縮でむさ苦しくなって平気なら未だしも、それなら別にサチュレーションじゃ無くても良い事になるがね。
のでMicに入る迄のマイルド化も併せてやらんと、サチュレーションには本来の意味が出て来ないらしいんだ。

-わをん-

2024年1月19日 (金)

音楽備忘録1617 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➋

杜撰大王には才能がある…、ってもやり続けてる内に主に他人から言われただけなのが実態で御座居。
それもかなり歴を重ねてからそうかもと思える様になったのとか、もしかしたら未だにおだての受け売りをしてるのもあるやも知れず。

ってな具合にもう生れてからより死期の方が多分近いっつうのに、自身の事ですら未明なのが少なくないんだ。
その中でこのテーマに関わるのは、飽く迄俺の場合だが50を過ぎてやっと気付け出したヤツだ。

つまりそれ迄は貧都合でお古を使い続けてただけで、本当の処はハッキリとは分かってなかったんよ。
それで思うのが少し個性的な楽器を常用してた点で、もっと標準的なので捏ね繰り回してたら少し気付きが早く訪れてたかも知れない処。

エレキGuitarでSingle Coilなら魔改Mustangじゃなくテレキャスやストラト、ハムバッカーならSGじゃなくLes Paulか335だったらさ。
どれも短期なら借りた事はあったが、その間に自分が気紛れで思い付きそうなのを全部試すのは無理ってもんだ。

でも1つだけ恵まれてたとしたら、上記のどれも本家のに触れられた事かな。
当然偽物や他のにもベテランなんで沢山触れて来たけど、FenderやGibsonのブランド自体の個性は何となく掴めたんだ。

歴の浅い人や若い世代には半ば神話紛いかも知れないけど、その主因はブランド力の失墜にある。
要するに見かけは立派・前のよりか高機能にはしてても、昔よりテキトーなのも大部作る様になっちゃったから。

しかしそれに釣られて、こっちの基礎知識を曲げる必要なんて全く無いんだよ。
迂闊にそんな事すりゃ益々堕落した本家共が図に乗って…とは限らんが、ユーザーの目が甘くなればあちらは商売だから当然隙位は突いて来るさね。

これに関し昔より遥かに厄介になったのが、本家の凋落と後に続く分家等との差が縮小した事だ。
杜撰大王が始めた頃は幼稚なオモチャみたいなのが、まだ名のあるデパートに出店してた是又名のある楽器店でも平気で売られてたんだ。

その結果未体験無知識の俺は見事にバッタもんを掴まされちまったが、一寸凝視すりゃド素人でも即座に分かる位見た目からして全くの違いがあったんだ。
騙された方としてはちっともいい気はしないものの、取敢えず何か「エレキGuitarみたいな物」が欲しかっただけだったからね。

要するにヤクザと銀行マンの差があらゆる点で歴然としてたみたいなもんだったんだが、今はこれ位投資すれば大丈夫だろうなんてのがアッサリ裏切られちゃう様に変わってるんだ。
例えばかつては本家の利点だった弾き易さにしても、真価を発揮するのは本当に厳しい場面での弾き易さなんだ。

パッと触れただけだったら今はもっと好感触のが増えてて、けれど本番での最難関箇所でロクに助力にならなかったりしちゃうんだよ。
上級者が狡猾で実践的な試奏でもしてみないと、そんなのは中々ハッキリとは出てくれない。

勿論用途や目的次第で特定のにだけもっと良いのが今はあったりするが、そんなのを基準にしちまうと特定ジャンル専用の奏者にしかなれなくなる。
処がズブの素人に演ってる楽器を訊かれてエレキって答えれば、その人達は専門外でも簡単なのだったら当然弾けると思っちまう。

それへホントに例えばMetal以外出来ないんだと正直に吐露しても、「Guitarが弾けるのにケチって他のは演ってくれない」なんて思い込まれるよ。
時にはそんな一般社会の認識っつうのも意味大アリで、ジャンルや奏法より楽器種の方が先にあるんですよ。

-続々々-

2024年1月18日 (木)

音楽備忘録1616 適切な帯域制限の苦悩⑨

お次は打込み音源での帯域制限だが、現在の全体的な状況は知りまへん。😅
とは何ともまあ毎度の杜撰ぶりで、そんなら記事になんかするなよってね。

最適ライターじゃないのは間違いないんだけど、少ない体験からでも1つハッキリしてる事があったんだ。
通常の打込みではアナログチックな加工はほぼされないんで、打込み後に施し難い加工等に神経が配られてるらしい。

例えばここ数回で
記したハイインピーダンス特有の共振現象、そういうのはPCではローインピだから一旦外へ取出したって得るのが困難だ。
それと同じくスピーカ収音が通常は無用なんで、それに依る天然劣化や帯域制限もサンプリング後には望めない。

故に一部を除くと過半数のは、何らかの帯域制限が既に掛ってるんすよ。
聴いた感じ如何にもなのは多くないけど、実際全部が無添加純正のLine収音に聴こえるのなんて滅多に無いやん。

汎用性に考慮した際リアルのでもこれが好例で、制限不要なのがあるとしたら一部音色のAmp使用時に「入る前」だけなんじゃないかな。
その楽器Ampは当然スピーカ付きので、電気楽器Ampのスピーカはそれだけ重要なフィルタの役目を果たしてんの。

最近はBass用で2Wayエンクロージャも普通になってるが、殆どので「高域の出し方」がオーディオ用のとはかなり異なってる。
オーディオでは極力可聴帯域の上限迄フラットに鳴る様腐心してるが、楽器用では下用ユニットの「少し上」を盛るのが任務となってるん。

PAスピーカでも重視してる高域はオーディオ用のより少し低く、これには能率忖度と指向性の問題が絡んでいる。
音波には高周波になる程拡散性が落ちる性質があり、中低域の指向性を意図的に狭くでもしない限り同一には出来ないんだ。

そんなので生演奏の音源と併鳴させるには、ハウリングマージンを確保しなきゃなんない。
この為に単一指向性Micが生み出され、周波数特性に劣ってもそうしとかんとLiveが成立しないんだ。

でLiveを成立させるには爆音だとMicだけじゃ足りず、スピーカや楽器(電気・電子)の方でも協調してかないとね。
喫茶店やレストラン等で控え目音量でなら、技術的には50年程前に無指向性スピーカはとっくに登場してたよ。

昭和生まれだったら過半数の人が目にした事のある、天井から下げられたあの黒い球状のですよ。
と色々な事情から電気・電子楽器が無指向性だと不便な方が多くなり、一時そんなのも少しは出たけど普及しなかったんだ。

それより指向性の影響を強く受けない程度に高域を抑え、っつうか昔そんなに出せなかったのをそのままでも良いやとなって今に続いてるんよ。
それ故Line収音されてるのって、聴取環境の変化にはとても脆弱なの知ってた?。

インナーイヤーとかスピーカの正規リスニングポジションで聴ければ良いけど、指向軸から外れたらオーディオ的高域は途端に聴こえなくなるんだぜ。
結果素晴らしくHi-Fiでも聴取環境が厳しく限定されるんで、主流派はこんな面からも制限済みのが選ばれるんだ。

=つづく=

2024年1月17日 (水)

音楽備忘録1615 最近日本歌手のピッチが悪化した主因(推測)Ⅱ

さて前回の話しにはもう1つ特異点があり、上手かったベテラン程そのピッチが気になった処。
これが又インナーイヤータイプ主犯説をアシストしてて、杜撰大王が再度吠えてる理由なのだ。

前述の如く昔のプロ程「現場聴こえ」を重視してて、ロクなPAも無い場合はこれが安定して聴こえるほぼ唯一の方法だった。
今のお客は「Liveレコーディング」にも喜ぶだろうが、昔のお客は皆が自宅にレコードプレーヤがあった訳じゃなかと。

普段は凶悪音質のラジオ・TVで我慢を強いられ、Liveで聴けるのがちゃんとした音ではほぼ全てだったりしたの。
そんな環境に最適化して来たベテランが、耳に聴こえたのと違うピッチを出すのはとっても困難なんじゃね?。

若い世代みたいに殆ど何時もインナーイヤーだったら、爆音録音時は聴こえたのの半音下で歌うなんてのに慣れてるかも知れんがね。
尤も発声や声量等基礎力が致命的不足なのが多いんで、対インナーイヤータイプ微調整が利いてもあんまり意味が無いんだけどな。😠

過去記事の如くハイパー指揮者Herbert von Karajanみたいにあらゆる環境・条件下での演奏機会があれば、その都度独自の調整を普段から考えとくだろうけどさ。
又インナーイヤー使うって事ぁ、コロガシ(フロアモニタ)は少なくとも歌唱には不使用なケースが多いんじゃないかな。

となればそこそこ慣れてるモニタの方での聴こえ調整も反故になってて、トドメが大御所に物言われへん&若手口パク組よりゃまだマシってのがな。
プロとしてはどんなのだろうと責任は持つべきだが、コロガシで歌いたいと申し出ても却下されてるとしたらさ。

真の責任の所在は歌手でも無く音響技師でも無く、そりゃ1にディレクター2にプロデューサが悪いわ。
奴等の本職は視聴率や予算なんかじゃなく、本来はアーティストのパフォーマンスを最大限に引き出す事じゃね?。

タカ派の意見では多分ここが欠落し易いから、真の諸悪の根源への追及をもっと手厳しくしないとね。
処で盆暮れ正月とか災害に一見無関係に綴ってるけど、ついこないだの能登半島地震やウクライナ侵略・ガザ侵攻をどうでも良いとは決して思ってないよ。

もし読者に関係者が居て言及しても構わないとハッキリしてたなら、お悔やみの一言位は添える用意がある。
しかしこっちからは相手は殆ど全てが不明なんで、敢えて何時も通りを提供する事にしている。

そうで無くても俺如きが幾ら憂いても殆ど無力なんで、物の正確な原因を突き止める事で僅か乍らでも社会貢献を狙ってるんだ。
昔からユダヤとパレスチナの紛争は絶えないが、恥ずかし乍らこないだ漸く根源理由を知ってね。

そもそもは一回ユダヤが滅ぼされた後、英の二枚舌に両方が騙されたのが発端なんだってな。
現ロシアも元は殆どウクライナ人が作ったそうで、どっちも戦う必要が無かった筈の者同士が争ってるなんて。

この関係では横槍を入れた欧米の責任が一番重く、そこを根底から直さないと真の解決はきっと難しい。
Rock系の音楽では称賛に価するがそんな部分では最低だと考えてて、もし唯の欧米称賛主義と勘違いされたら流石に心外だ。

この様に大元は単純な原因でも後でとても複雑化するケースは幾らでもあり、一旦個別案件と総合は分けて検証した方が良いんじゃないかな。
ピッチ悪化はどうやら皆に責任があるみたいだが、先ずは「直接音に関係してない立場」の責任をもっと糾弾しましょうよ。

=終わり=

2024年1月16日 (火)

音楽備忘録1614 サチュレーションの話し⓯

今日は前回の話しの中で、アナログを好きな癖に卑下した訳をば記しとこう。
それは選択肢にアナログしか無かった時代に、今以上に貧ならでの辛酸を舐めさせられた事があったからだ。

比較対象として現代PCのサウンドレベルを提示すると、酷い音に聴こえる99%はスピーカのせいでPC自体じゃおまへん。
疑問のある人はCD等に焼くか、USBで外部オーディオ機器に吸い出してみなはれ。

確かにフォーマットが低レベルのだと怪しくなるが、何回も聴いてる内に劣化してったり雑音が増加する事ぁねえから。
Win 10以降の俺言い「勝手にリミッタ」等は論外だが、それでも格安カセットテレコ程には落ち込まない。

寧ろ差があるのは最高峰の方で、意外と知ってる人が減ってってるよ。
得意!?の置換比喩をすればPCはトヨタ・カローラ、最良も最低も同じ車のグレード違いって感じ。

とすると昔のアナログ方は最安は軽から果てはロールスロイスの最上級グレードといった体で、多少の例外があっても見事な迄の「沙汰は金次第」でしたで。
個人的に好印象しか無い球機器ですら近似傾向で、お手頃価格帯の球機器は今の方が格段に使えるよ。

それもあって今が買い時だと叫んで…は兎も角、貧だと3輪車にすらありつけん様な格差があったんだ。
特に問題なのは得意の節約術の中古が、テープ等メディアに適用出来なかったからだ。

これも概述の如く高規格プロ現場でのリユース品が限界で、一般中古では多重録音みたいに録るのに何度も再生させるとドロップアウトとか出ちまうかんね。
何しろ正規専用品種でもハズレを引いたら、一寸「ん?」位は起きてたし。

今実際にサチュレーションやナチュラルさ柔らかさで有利と断言出来るのも、問題無い箇所ではデジタルがあるからなのだ。
Beatles連中みたいに無尽蔵に予算を掛けられない限りは、徹頭徹尾アナログと云う訳には行かない。

彼等のですらアナログメディアの配布が無いヤツは、一般聴者が聴く時点ではデジタルが入ってるしね。
ほいで俺みたく早期からアナログの弱点を熟知してて大雑把な奴は、端っから信用なんかして無かったから良いけどさ。

従兄なんかは酷く懲りた様で、オールアナログに戻る気は先ず無いってよ。
アナログの最弱点は何たって手間や手入れで、サボるとすぐに音質に響くんだ。

日常的に録音の仕事に従事しててすら休みに同じ事するのは面倒になるのに、杜撰大王メソッドでは最低再生10回毎程度は掃除位しないとあからさまな劣化が出るんだから。
まるで蒸気機関車の乗務員の様で、こっちは煤まみれにこそならないものの普通は助手類が居ないから精神的負荷は上回ってるかも知れない。

結局現況で要サチュレーション・雰囲気の不要変容等さえ無かったら、一般用途にはデジタルの方が圧倒的に有利なんだけどねえ。
只現行デジタルのシステムはアナログ懲り懲り君達が作ったからか、一寸物理スペックの方に重きを置きすぎてるんじゃないかな。

=つづく=

2024年1月15日 (月)

音楽備忘録1613 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➋

反省会だの刑事コロンボだのと強引な正当化をして、恒例の前回補遺や。
基本的に拙ブログは筆者の境遇から、持ち金は低く志や知識だけ高い人向けに綴っとりゃあす。

けれどお金があれば大抵は時間や自由は少な目になったりするんで、決して境遇の違う人を無視しては居らんのどす。
Ludwig全盛時に他にもGretsch・Slingerland・Premier等、その少し後には日本の3大ブランドやSONOR等もプロに使われてまった。

当時は庶民にゃ縁遠い乍ら↑も少しは体験してて、それなりには知ってるつもりだす。
しかしLudwigでも3ply Reinforcementならと書いたつもりで、設計時期の影響がこの件では結構大きいんだ。

’70年代中盤頃迄は□□向きとしてても主に組合せだけで、同じ口径なら全く同じのが多かったんだ。
のが口径や一部の胴深さのバリエーションより段々細分化してって、口径や組合せより物自体が違うのになってったんだ。

結果オールラウンドタイプを標榜してても、昔のよりは対応範囲が狭まってしまったんだ。
この傾向は楽器の価格・サイズとも関係がある様で、小さく安いのだったら曲毎にとっかえひっかえも簡単に出来るからね。

だきんども幾ら金と時間があったって、たった1つの楽器に音色の守備範囲がどの位あるのかは釈然としなくなるリスクがあったんだ。
その煽りを喰らったのが庶民で、同じ金満でも仕事の道具と趣味との格差が拡大しちゃったんすよ。

その訳は知識や体験の相違と、プロの仕事場が徐々に非公開が増えたからですわ。
他の項でも記した如く自宅での基本練習や録音では伝統的なので普段はやっといて、人前では最新の契約したのだけを使うっつうのがプロだったらままあるやんか。

特にPAが現在程成長してなかった当時なら、そのものズバリを使った処でどうせ音が変っちゃうしさ。
それでか来日する外タレ(これも死語け?…)は’80年代に入ると使い分けがデフォになって来て、更にはレンタル物の利用率が高くなって今に至ってる。

又特に国が違う場所では限定契約等もあるせいか、普段常用してる楽器が益々分かり難くなってるん。
更には日本人が割と外国語の会話を苦手としてるんで本人に訊けなかったり、音楽雑誌はスポンサー事情から訊いてても記事にする段階で不都合な真実はCutしたりとか…。

結果Ⅱで海外誌も読むとか本国語のサイトをあたってみないと、今劣化本邦内だけで流通してる情報だけでは真実はほぼ見えなくなっちゃったんだよ。
では杜撰君が決して得意でも抵抗感が低くもないそんなのにどうして辿り着いたかってば、そこにしか上がって無い様なたまたまニッチなのに興味を持っちゃったからなんだ。

幸か不幸か俺的には好みので少なくとも昔は日常レベルだったのに、日本じゃヲタのブログにすら登場しないのがやたら多かって。
稀にオッあったと喜んだら従兄のだったとか、しまいにゃ自分で過去に書いてて忘れたのだったりしてさ。😓

もしかしたら年寄りには常識過ぎて書くに値せず若者は全く知らなくて興味すら湧かぬと、丁度境界域なのかも知れないけどね。
そんな領域のだって本物に触れられさえすりゃ、百聞は一見に如かずでんがな。

=つづく=

2024年1月14日 (日)

音楽備忘録1612 適切な帯域制限の苦悩⑧

今日は予告通りエレキLine収音での帯域制限についてだが、現在俺でも録音事情からBass・エレピはLine収音がデフォとなっている。
実際Guitarのスーパークリーン以外は、Guitarが一番問題になる。

但しBass・エレピも必ず自作球Preを通してて、尚且つリッチクリーン以上の歪ませ(実態はほぼサチュレーション)を付加している。
Bassはスピーカ収音での周囲雑音が枷に、エレピではRodesの天然ステレオトレモロ等がどうせ使えないからの選択だ。

どちらさんでも絶不景気&狭い日本じゃご多聞に漏れずと思うが、基本理念を堅持するだけでも大きな差が多分出るだよ。
Line収音Bassのは普段帯域制限を掛けてて、必要時にだけ外せる様に作ってある。

エレピの方では機種事情(Columbia EP-6C:半バッタもん!?)から本家程ハイが伸びて無いんで、Line収音しても幾らも変わらないんで帯域制限を掛けて無い。
のわ異常に出力インピが高いからで、過去にBufferを自作して内蔵させたが止めちまった。

’80年代一時期エレピもLine収音のが新規サウンドとしてあったんで、試しに少しそれへ寄せてみたのよ。
更にはそれをサンプリングして等と進め、格段にローノイズにはなったしそれなりの音色にはなったんだけどさ。

過去述の如く綺麗になったは良いが、どんどん伴奏には不向きな音色になってっちゃったんだ。
伴奏に不向きで構わんならデジタルSyntheので近似な音色もあるしで、リアルエレピじゃないと無理なニュアンスの方へ回帰したっつう次第。

因みにローインピ当時の宅エレピ、それらしい音色ではあったが全然ハイの拡張には効能が無かった。
過去名作で聴いたヤツはテープ録音に依る劣化があったり、不要高域をカットしてあったから宅魔改のときっと似てたんだ。

そもそも本家の専用Ampからの生耳聴きでは、断然高域が煌びやかで豊富なんだよね。(少なくともアナログ録音のは確実に削れて劣化してる)
さてBassの方の現状はと言うと、本音ではもう少し高域を奢ってやりたい。

んがフレット接触雑音を退治しようとすると、Line収音ではAmpスピーカ収音より高域限界を少し低く設定しとかないと芳しくないんだ。
オーディオ的高域が実用圏外の楽器用フルレンジやウーハを通すと、仮に音圧はそのままでも音波が型崩れを起こしたりするせいであまり音としては聴こえなくなってんのよ。

本来なら非リニアなこんなのも、楽器としての都合では意外と役立ってるんす。
具体的には金属同士で出てるのが、恰も木同士にすり替わった様な感じにさ。

コレかつてあったオールアルミネックのとかだったらどうか分からんが、大抵フレットは木版か樹脂版に埋め込まれてるっしょ。
Round弦の金属響きは半ばマストアイテムだけど、そんなの以外であんまり金属っぽい音がするとGuitar系らしくない感じになっちゃうんだ。(ビブラホンやクラビじゃねえんだから…)

=つづく=

2024年1月13日 (土)

音楽備忘録1611 最近日本歌手のピッチが悪化した主因(推測)

緊急のつもりにしてはかなり遅いが、今回は紅白でのベテラン歌手のピッチが悪化した件おば。
従兄等は「プロの矜持を捨てた」だの謙虚さが等と物騒な私見を発してたが、杜撰大王はそれ以前の問題が大きいと睨んでるのだ。

言うなれば本件タカ派の彼らでもチラリとモニタの良否を漏らしてたが、過去述の如くインナーイヤモニが最も疑わしいのだ。
大舞台では大音量が苦手な人でもある程度大きくしなきゃならず、先ずこれだけでも概述「爆音でピッチが異なって聴こえる現象」の起きてる可能性がある。

これのメカニズムは気圧が一定以上に上がるからで、それは鼓膜の面積・ストロークをモニタの振動版・ストロークが上回るからなのだ。
従前より突如高気圧になると両者の振幅に規制が掛かるが、その結果振幅数(周波数)が影響を受けるん。

これは比較的狭隘で低音が響く部屋等で…故に昔は比較的頻繁に起きてて、古い録音でエレキBassの4弦のピッチだけが「録ったのを非爆音で聴く」と微妙に低目で気持ち悪いのなんかが結構あったで。
これも以前述の如く今なら注意不足でしかないが、「現場耳ではそれでジャストピッチ」だったからそのままにしてたんだ。

戻って加えてインナーイヤータイプでは完全密閉型ヘッドホンかそれ以上の気密性があるのと、耳とモニタのある空間がヘッドホンより極度いや究極に狭隘だとも言っていい。
この組合せ条件下になればエアークッション効果は僅少になり、ってエアー…ってのは空気の柔軟性で緩和効果がある↔音波がリニアに伝播し難くなるって事な。

これ所謂ドップラー効果と根幹は一緒で、あちらは速度のせいで音波の波長に影響が出たケースだ。
何れの場合も音は鳴らしてる空気環境の影響を受けるもんで、目に見えなくても超指向性スピーカの直進性も暴風の前では全く脆弱になっちまうもんなんだ。

参考に↑も紐解いとくと強風下だったら直進する筈の音も、風の行き先の方へ流される。
又戻って空間空気容積が少なくなる程どんな傾向が出るのってば、飽和点を超えた際のピッチ変動がより大きくなるんだ。

更にその現象が先鋭化するので、一定音量迄は正規のピッチだったのが突如変動した様に聴こえるん。
っとインナーイヤータイプには独特な注意点が実はあるんだが、映え優先でそんなのにはロクに留意もせず使用決定をしてるんだろう。

インナー使っても極端に観客が近く爆音で鳴らせば僅かな漏れも感知可能かも知れないけど、ある程度離れてれば距離減衰で全く聴き取れなくなる。
のでお客に全く知られず「内緒の情報」を提供出来るし、歌手が大きく移動してもPA氏も何もしなくて済むから楽。

だがそれもこれもピッチ問題が無かったらの話しで、そう人間様の思った通りにゃ都合良くなんか行かんのですよ。
強いて例外があるとすりゃ「歌わないDrummer」とか位で、リズムしか聴かんならピッチが変わったって人畜無害だ。😵

=終わろうとしたがもう一回=

2024年1月12日 (金)

音楽備忘録1610 サチュレーションの話し⓮

今回は前回述の②へフォーカスしてみるが、楽器等の音がピーキーじゃ無かったらサチュレーションなんてお呼びじゃないのよね。
それにしても何とも皮肉だよなあ、Hi-Fiになるにつれサチュレーションが必要になるんてさ。

これってオーディオと楽器の関係に瑕疵があったんだと思うんだが、一寸オーディオに楽器が忖度し過ぎちゃってたのかな。
或は現況充分有能なサチュレーションが出来ない癖に、楽器に更なるHi-Fiを求めたのが無責任だったか。

その原因は俺だって最近迄あまり気付けなかったから他人の事は言えねえが、音響と楽器ではHi-Fiの定義みたいなのが実は異なってたって実態だ。
それには概述アンサンブル内に入れて聴かんと明瞭化しないっつうのがあって、通常楽器開発の初期段階では異種比較なんて滅多にしてらんないからねえ。

先ず単体の印象から始めてその次は同族との比較、それで行けそうとなって最後にだからさあ。
単体で使えそうにない音色だと、まさかそんなのがアンサンブル内に入れたら豹変するとは思えんし。

仮にそんなのがあったとしても幸運な偶然でしかないから、確率がとっても低い。
大昔みたいに納期がそんなにシビアじゃなきゃ未だしも、今時のビジネスでは厳格になっちまったし。

しかし本来は納期厳守こそが、楽器にとっちゃ諸悪の根源になってるんざます。
そこで皆さんに熟慮願いたいのが、輸血用の血液等とは正反対の使命がある処。

ニーズ自体に時限があったらそりゃ厳守しなきゃ無効化するが、従前を凌駕する音色が持てなきゃ楽器はどんなに早くったって全く存在価値がねえんすよ。
その凌駕する音色ってのは単体で優れるのみならず、アンサンブル内でってのが必帯なのよね。

従兄曰く今思うとDrumでは「Mic乗りがどうのこうのと言われ出した頃から方向性がおかしくなった」そうで、激しく同意すると共に某社のレコーディングカスタムってのの記憶がピンストライプヘッドと共に蘇った。
当時最新且つ最善と言われてたそれ等に対し、個人的には幾ら聴いてもピンと来なかってな。

ずっと後になって氷解したのは、当時プロレベルの録音をするとどうなるかをまだ知らなかったからだろう。
俺言い「極端な反サチュレーション性質」を楽器に奢っとかんと、録った後にサチュレーション以外の要素が全然足りなくなってたんだわ。

それが証拠にあんなに一世を風靡した名機の筈が、ノスタルジー以外で特に若者には見向きもされなくなってるやん。
要は時代の寵児だったが知らん間にニーズが正反対になったから、フィットする場面が大巾に減ったのよ。

そう云や若者中心に静かなブームのLPレコードやカセット、当初はあんなボロなのの何処がエエねんとしか思えなかったっけ。
けど若く鋭敏な感性は、雰囲気差の片鱗をどうにかキャッチしたらしい。

杜撰大王的にはアナログは全盛時よりかなり機器性能等が低下してるんで、デジタルのノイズフリーに慣れ切った耳では知るのは難しいかもと思ってたんだけどね。
何時の世にも雰囲気重視の人は居る様で、あり付け難くなってるだけに感度が上がってたのも助力になったのかな。

どうやら初心を忘れたオッサン共は読み違えてた模様で、その楽器への波及の方はもっと遅れてるらしい。
俺みたいに未だ経済的に成立してなきゃ音の違和感にも拘っとくが、商売が順調に行ってたら何か変と思っても反対へ振るのはとっても勇気が要るからねえ。

-つづく-

2024年1月11日 (木)

音楽備忘録1609 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➊

今回からパートⅡとして過去重複もあるが、楽器にフォーカスして行きま。
実際に常用するかは好み次第だが、その前に本当の守備範囲がどれ位か知っとくのがお勧めなのだ。

宅のDrumsetはLudwig 3ply Reinforcement付きになって以来、
更新が途絶えて久しい。
のわ好みより当時最安だった結果ではあるが、上記の守備範囲がとっても広かったってのが真相ざます。

っと言ってもミュートも何もしなきゃ唯懐かしの音がするだけだが、裏を返せば自由に料理出来るって事なんだ。
ので買っただけで各人に最適な音色なんて出ないし、それ相当の悪戦苦闘を経ないとこれやがなには到達してくれへん。

だが例えばMetalに最適化された最近のセットを持ってて、急にPopsとかJazzなんかが演りたくなったらお取替え必至だ。
しかしですぜ旦那、Metalだって黎明期にはそんなの無かった中でそれらしい音色をこしらえてたんだよねえ。

それ処か生Pianoに至っては外装や付加機能の差は多少あれど、基本的には○○ジャンル用なんて未だ存在してないよ。
欲張りな杜撰大王にとっちゃ予め用意されてるより、気紛れで思い立った音色を出せるのが良かったかな。

オマージュする時以外は↑の通り、オリジナリティに欠けると幾ら良い音色でも途端に興味が失せちゃってね。
かつてドラムマシンが主軸の時代にも、各音源のピッチやアタック・ディケイとか全部独自に弄って使ってたよ。

それだってどんな機種を使ったかはバレバレなんだが、プリセットのままじゃ無理なニュアンスがあったんだ。
その際の不満がリアル楽器の音色にも反映してるのは明白で、言うなれば杜撰大王式音色の逆輸入みたいなもんかね。

只それがある程度試せるのも創作可能な音色範囲が広かったからで、音色が限定されるセットしか持ってなかったらどうなってたか分からない。
加えて各ジャンルやスタイルの黎明期に、殆どの皆がコレで何とかしてたのを既に知ってたのも大きい。

例えば日本では黒いYAMAHAの印象が強烈なSteve GaddやPearlのJeff Porcaro、残ってる作品の大多数で使ってた訳じゃないんだ。
特に初期の名演作では後から調べてみると、Ludwig等の使用例が多かった。

寧ろ太鼓よりゃ印象の薄い金物の方が、どうやら前者はK Zildjian・後者はずっとPaisteで一貫してた様だ。
まあ考えてもみりゃ金物の方が音色調整は断然出来ない訳で、何時もほぼPearlだったのは知る人ぞ知るPaul Humphreyの方だったりする。

音色の秘訣前者は叩き方もだがチューニングやヘッド選択、後者は叩き方を真似た方が普通は近付けられるんじゃないかな。
っと少し脇道へ逸れたんで戻ると余程自身の音色が固定化する迄は、俺言い「守備範囲の広い楽器」の方が何かと無難ですよ。

って杜撰大王が無難だなんて何とも不似合だろうが、肉体と違って音楽での成長は何時で終りかハッキリ分かる人は居ないでしょ。
それもこれも自身で試してそこそこ何でも行ける体験をしてからじゃないと、知る事が出来なかったんだ。

-続々-

2024年1月10日 (水)

音楽備忘録1608 適切な帯域制限の苦悩⑦

又もや今更だが、杜撰大王がエレキの帯域制限を考える様になった訳おば。
そう語るからには近年迄は眼中に無く、ひたすらHi-Fi化やワイドレンジ化を目指してたんだ。

尤もかつてそれに至ったのは、恐らく何時も不充分な音質に悩まされてたからだと思うん。
録音がデジタルになる迄、録ると音質が必ず落ちてたからさ。(特にローエンド・ハイエンドはほぼ削れて消失!!)

只今振り返ると一面では楽だったと考えられ、少なくとも減らすとか削る方は全然頭に無くても何とかなっちゃってたんだよなぁ。
これは音楽録音のクウォリティが低くなり過ぎてて、実は特殊な状況だったのかも知れない。

音楽的に公正な状況であれば、最適化には盛る他に削るも必ず付いて回ってた筈なんだ。
市販車でレースに出るならカーステ位は外して軽量化するし、でなくても長距離行程で燃費が気になるなら不要なカー用品等は一旦降ろしといたりするべ。

万が一の万が一迄備えりゃ全部積みする人も居るかも知れないけど、それで増えたガソリン代を何時も払えるならJAFを気楽に呼べるよね。
外の世界を眺めれば何でも程々が主流なのが当り前で、録音業界がかつて特殊環境に置かれてたのに先ず気付いた方が良いだろう。

正直ずっとHi-Fi化・ワイドレンジ化を目指して来た身にはかなり勇気が要るが、良い意味での差別化には削る選択肢を常に持ってないとねえ。
又別面では音響に明るい者特有のエゴにも注意が必要で、音楽内容を聴かなきゃワイドレンジの方が音が良さげに聴こえるよなあ。

実際過去に無かったワイドレンジにしての成功例もあるんだけど、それってちっとも汎用じゃ無いんすよ。
昨今の今劣化本邦を中心とする明瞭度や高音圧の不毛競争と一緒で、如何にワイドレンジと言えど可聴帯域の限界は殆ど広げらんないっしょ。

つまりどれもが可聴帯域に到達すると、そこからは伸ばす余地がもう無くなる。
昔はそこかしこで必然的に削れてばかりいたが、中にはそのお陰で無頓着でも平気だった部分があったという訳。

だから音楽やアンサンブルに於いて如何に必要最低限のレンジ巾で上手くやるかが鍵になるが、更にこの上手くの鍵はナローに感じさせないのが肝なのだ。
エレキでも基本形のAmpで鳴らした音は、高域は可聴限界より全然低くしか出せて無い。

しかし一般にはそう云う楽器って認識があるから、それ位の帯域が確保出来てれば通常は問題無いんだ。
何々近頃はLine収音の音も市民権を得てるって?、それは間違いないけどねえ。

録音作品でならホントに誰でも聴けるけど、録る前の音だったらどうかな。
ポピュラー系生PianoのOn Micサウンド同様、大抵は最低PAを通したのじゃないと聴けない。

ので少なくともAmp出しのよりは限定的なんで、典型サウンドを1つだけ挙げるとしたらそんなの入らないんよ。
次回エレキのLine収音自体は深掘りしてみるけど、Feedback奏法等が自在にならない限りこっちをデフォにするのは厳しいですぜ。

=つづく=

2024年1月 9日 (火)

音楽備忘録1607 古典楽器の恐るべき隠れた実力⑥

杜撰大王にとって今時点でのビンテージは、長い事続けてれば稀にある幸運な出会いって感じ。
なので1923年製Ludwig AllBrass Snareに関する話は、今回で幕にします。

上述の状況なんで果たして次が何時になるか、これで打ち止めになってしまうかは皆目検討もつかんどす。
けれど丸100年前の楽器から、まさか最新と思える音がしたのは青天の霹靂でごんした。

これでも人生の過半をこっち方面の業界で、広目に渡り歩いて来てまっからねえ。
正直言って「これさえあれば」とは思ったものの、とてもじゃないがそんな大金用立て出来んがな。

ってかそもそも持ち主が売るなんて話しも全然出てないし、ビンテージなら他のも同じ傾向を持ってるとは限らないしね。
只ねこう云うのの存在を知らずに今流行ってるだけで、どうだいこれが最新のサウンドよなんて語ってたらお間抜けだわさ。

この面で日本が苦しいのは先の大戦で色々供出させられたのと、苛烈を極める空襲で焼き尽くされたのが痛い。
俺はたまたま親父が年配だったんで、兵役当時の実状を少しは訊けたってか訊かされたけどさ。

近年Youtubeで来日してた外国人が当時撮像したのなんかを見る迄は、昔から結構何でもあったのが今一信じられなかったよ。
欧州でも空襲はあったんだが日本程丸焼きにされた訳ではないし、洋楽の楽器だと向うは本国だから思いも拠らぬ所に平気で転がってたりがあるんだ。

だから残念だけど進んで歴史を学ぼうとしないと、特に色々なののルーツに遭遇する機会がこっちには無い。
俺自身はすっとドマイナーにしても、途中でそれなりには超有名人や大物との接触が少しはあったんだ。

けど今回みたいな楽器には縁遠いまま過ぎて、還暦過ぎてやっとだからねえ。
でバズ(プッシュ)ロールが「やたらに楽」と書いたが、その度合いも半端無かった。

多分どんな初心者が下手を打っても、ロールに聴こえるだろうって位でな。
過去述「足首でならほぼ誰にも簡単に踏めるSpeedking」じゃないが、こう迄違うと奏法習得や成長過程に大差を生むんじゃないかな。

果てはミュートの仕方からヘッド選択に至る迄、ほぼ全面的な影響が避けられんですぜ。
一寸ローピッチにしてあっただけのへ、一番弱いリングミュートを乗っけただけで俺の理想のサウンドがそこにあったんだ。

普段手持ちの中古402では打面ヘッドがアンバサダーのままでは苦しいし、400等の浅胴(本来は標準)になっても又物足りなくなって更に色々捏ね繰り回して妥協の産物がやっと手に入る。
と云う様な少々アウトローなサウンド趣味の奴が、一発で黙らされるんだからこりゃ堪らんわ。

ほんで↑みたいな高加工を施すと、大抵は弱点が大増強されたり新たなのが増えたりするんすよ。
アンサンブルニーズの都合上サウンドは譲れない→変な欠点が増える→奏法にも何時の間にか偏りが…。

結果決して得意じゃないロールでも、バズは割と得意なのになるべく避ける方向に。
せめて子供や初心者には、幾らなんでももう少し「素直な素性」の楽器に触れさせてあげたいね。

それから「Snareにも中低域は必要」な件、Beatlesの赤盤・青盤(2023リマスター)を聴いてて思う処が出て来た。
ドラム以外の他パートが中域中心の昔なら他とあまり被らんので、Off目収音と相まって高域優先・ノーミュートでも問題無い。

だが現行標準の源となった彼等でも中期以降はそうじゃなくなって、新鮮味だけでなく収音方法が変ればアンサンブルバランス的にも高域過多や余韻過剰は他を阻害するんだ。
周囲パートの1例としてエレキのトレブリー音色、’70年代迄は一部例外を除きLine収音が無かったから今聴くと唯低音の量が極端に少ないだけだったんだよ。

=終た=

2024年1月 8日 (月)

音楽備忘録1606 サチュレーションの話し⓭

この段階でサチュレーション案件の要点を纏めといてみると、結局はどのステップでも不要なPeakを出さぬのが最善なのだ。
のは1度でドカンと処理しようっつうのが不向きだからで、一括に拘るならサチュレーションでは無く色が付いてもコンプ・リミッタの方が向いてるとな。

それで時に足枷になるとしたら俺言いサウンドの「現代的な躍動感」で、反応の素早さの魅力は確かに捨て難い処だ。
そこで敢えてこの方面の究極を考察してくと、過去述のレイテンシ案件や負帰還増幅回路のデメリットが決して見過ごせないんよ。

今の多数派は屁理屈洗脳でここを勘違いさせられてて、放って置いたら今より先には進めねんですよ。
その訳は
 ①空気中に存在してる音の速度と電子回路の速度
 ②多重録音時のタイミング
 ③楽器自体の現況への対応
等があるんで御座居。

①は空気中での音波の速度が、光や電子の最高速と比べたら全然遅いっつうのが根底にある。
遅延は積算されてくので全く遅れないのが理想ではあるが、多重録音時以外は音波が原型を保持出来てるかの方が問題なんだ。

この面で最悪なのが負帰還増幅回路の音に対する振舞で、総合物理性能としては利用した方が明かに有利だ。
んが如何に電子部品が高速化しようと「1度回路を通った終端」から入口へ再び戻んで、構造原理的な遅延は必ず伴ってまう。

この回路方式は波形を出口で入口のと違ってたら修正する仕組みなんだが、無遅延のと遅延加味されたのを比較して修正を与えるしかない。
すると出口と修正用信号にだけ遅延があるせいで、かなり僅かとは言えズレが生じてんですよ。

負帰還アリの方が全体像は原音に近くなっても、アタック音等のマクロ箇所は立派に改変を加えちゃってんの。
聴感的には↑が不要に硬くしたりキツくする作用があって、それはサチュレーション概念にとってもマイナスなんざます。(Peak成分の増加は硬化・刺激増加となって現れるケースあり)

ほいで球でだってオーディオ用途では古くから頻用されてるものの、石の方が大抵は複雑な回路となってるからその経路が遠大化しとん。
音色的に球の方が柔らかいんで誤解が多いが、素子速度としてはそんなに遅くは無いんすよ。

確かに方形波のオシロ映像では石の方が角は切り立ってるけど、音楽では素の方形波がそのまま使われるなんて極レア。
その差異よりか経路長大化の影響の方が大きくて、主に「雰囲気」を改変してくれちゃうねん。

②に関しては言わずもがなここでは長さ防止で語らんが、タイミングの取り辛さ→緊張→リラックス時より力んだり慌てる箇所が増加する公算が高い。
すると望んでも無かった「痛い音色」を出す頻度が上がり、サチュレーションに対して仕事量を増やしちまうんだ。

③については前回述100年物Snareショックみたいに、サチュレーションが少しでも意識にあるなら「臭いにおいは源から絶たなきゃ駄目」ってのがあったのを思い出しとくれよ。
ったって若い世代ににそんな記憶は無いだろうが、言い得て妙なそんなTV CMが昔あったんだ。

-つづく-

2024年1月 7日 (日)

音楽備忘録1605 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅰ➏

3つ程杜撰大王にとってのサウンドショックが出たんで、この際だからもう少し世間にはパーソナル観点のも追記しちまおう。
ここからのは今聴けば欠点も少なくないんだが、当時は何処迄行けるもんなのかの絶好のサンプルになったんだ。

1.石川豹一ショック
我々の内輪で曲のレベルの重要性を痛感させられたのが今は亡きこの人で、その曲に関しては未だ全く評価が揺らいでいない。
先ずそれに大きな衝撃を受け、皆が一斉にこぞって自作に励む様になっただよ。

しかしここで取り上げたのはそこじゃなく、全てが脂ぎった独自の音色と奏法なんざます。
当初はテクレベル低、チンケなモノラルラジカセに依る強引な多重録音だったんで音質は最悪。

にも拘らず編曲のセンスと個性豊かな演奏で、そんなでもとても魅力に溢れてたのよ。
残念乍ら完全に模倣を卒業する処まで行き着いてなかったが、一応売れ線の日本語Rockスタイルでね。

その様な歌主体のだと伴奏が凝り過ぎてても仕方無いケースが多く、パターンチョイスと個性の方が大事なんだ。
当時若干16歳位で既に一応完成の域に到達してて、俺を始め周りの皆はお尻に火が着く処か全焼でんがな。

2.畠山修一のハコバン用自作曲デモ
前者と共にこの人も従兄の学校に居た人で、金子マリの従兄にして前歴がCharの弟子って強者だ。
それじゃあさぞかし芸能界への憧れからお近付きになった…と思われそうだが、その頃まだ反抗期収まらぬガキの俺等はそれで仲良くなったんじゃねえんだ。

当時の高校生では段トツな演奏力があったのと、気さく身軽でとっても良い奴だったからだ。
但し高校時代は一緒に演る縁には恵まれなく、卒業後にある日ハコバンの仕事を従兄と共に誘われてね。

その際の自作曲と候補曲のテープで、自作のの演奏と音色に度肝を抜かれたんだ。
今聴けば粗もありゃ強引なLine録りの欠点もモロにあったんだが、当時としては「これまるでプロの音と演奏じゃん」って衝撃があったん。

その頃のガキアマには垂涎物のTASCAM 144(カセット4トラックマルチレコーダ)を使って、少ないストンプで音世界のイメージは完璧でさ。
結局後で検証すれば演奏がしっかりしてたのが主因なんだが、正規プロとはまだハッキリ格差のあった我々には望みの光が差した感じだったよ。

これ等出来事は何れも遠い昭和の昔の話しなんで、道具依存度が今より全然低かったのもあるがね。
けれど打込みでない以上やはり人間力の差は最も大きく、特に書き残しときたいのが「目の付け処の差」なんだ。

念願のプロになれても腕一番になれるのは各パートで世界で唯1人、って事ぁそれ以外のプロはテクだけじゃ誰も喰ってけてねえんだ。
しかし1.の中で記した如く、俺言い実用楽曲ではテクは頻繁には利用出来ない。

結局普段の大多数曲ではフィット性とか、一瞬の音色の魅力がモノを言うんですわ。
その意味で今日紹介した2人は、既にプロのやり方が出来
てた訳。

-続-

2024年1月 6日 (土)

音楽備忘録1604 適切な帯域制限の苦悩⑥

今劣化本邦人はホントに非科学的になったよなぁ、これじゃまるでガキ時代イキってた時の俺みたいだ。😅
ハイ前回述の「非合理」って実は表層的なもんで、深掘りすると実は科学的なご利益があったりするんざます。

削ってから増やすが本当に理論通り作用してたら無駄のみだが、エレキはハイインピーダンス接続の場合それだけにはなってないのだ。
のわLCR共振現象ってのが、本体Toneツマミがどの位置でも起きてるんだす。

音響的には本来迷惑でしかないが、ハイインピで最低限の部品しか使えないと避けられない現象なんだ。
で何が迷惑って音がツマミ通りに変化してくれなくなったり、余計な癖が付加されちゃったりするの。

これに対する最初の不満は例えば超高域だけ削って高域は残したいのに、高域迄何時も道連れにして削れちまうなんてのだ。
ならばとエレキ本体内のコンデンサ値を換装すれば、少しはニーズに近付けたが今度は効きが悪くなって困ったとかね。(電気的には共振のQが鈍化:付加される癖は弱まるが同時に効果が浅くなる…)

のわⅡで部品定数を変えると「共振の状態」も変わるからで、しかしこの変態性格はエレキらしい音にも密接な関係にあったんだ。
のわⅢでこの共振ってのにはその周波数だけ音が大きくなる性質があり、所謂カットオフ周波数付近で起きている。

具体的には超高域を絞るとそのすぐ下の、残した高域の一番高い箇所だけ盛られるんだ。
この性質が籠った音色にしても全体としてのバランスを極端には変えない事に貢献してて、そのお陰で籠らせても耳を手で塞いだ様な感じにはならないで済んでるんですよ。

但しこの珍奇現象エレキ本体では盛んに起きてるが、Ampでは厳密には最低セミアクティブ回路となるので帰還と併せないとそんなに顕著になってくんない。
結果楽器本体のToneツマミは本来の意味からはズレがあるも、Ampのとは異なる作用もしてたんだ。

個人的にはToneツマミ以外の理由からハイインピーダンスに拘りを持ったが、↑の「すぐ下だけ山が出来る」はAmp類の魔改造等で大いに活用させて頂いてま。
とは言え現代のデジタルでならかなりシミュレートでも近付ける様になってるものの、何処で山が出来たか何処で削れたか迄は元が不鮮明なだけに中々困難なんだ。

そりゃ地道に微細に測定でもしてきゃある程度は数値化出来るが、今日はこんな音色で行きたいとなってからやたら手間暇が掛るんじゃねえ。
それやってる内に好みが気分で変動しちゃったりして、何処かのプロDrummerみたいに遅々として録りが進まなくなったりすらぁね。

って毎度の如く奏者自体を批難してんじゃなくて、方法論が適切じゃないと指摘してるんすよ。
リアル楽器固有の利点として直感的操縦が可能なのって物凄く大事だし、打込みも可能化した今はもっとそれが増してると思うんだよね。

こんな考え方や価値観の置き方が、杜撰大王が唱えてる楽器音響学でしてね。
一般音響理論を音楽にそのまま持ち込むのは、大変危険な部分があるんですよ。

=つづく=

2024年1月 5日 (金)

音楽備忘録1603 古典楽器の恐るべき隠れた実力➄

ニーズから考えりゃデジタルはおろか録音もPAも無かった時代のは、音が今より良かったとしても驚くには値しない。
とは言えその後の様々な技術の進展の恩恵には浴せてないから、まさかここ迄とはのショックは半端無かった。

引き続き100君のサウンドだが、思いの外中低域も芳醇だったのの内容が又大きい。
深さたかだか5inch程度では普通チューニングは高目になり易く、そうしとかないと鳴り自体が悪くなりがち。

のが2回目の訪問時従兄がローピッチに変えてて、そしたら今で殆どお目に掛った事が無い程ローがガッツリ出てたんすよ。
例えるならHi-RecordsのCongaをバックビートで同時に鳴らして、TomみたいなSnareに聴こえる風にしたみたいにね。

実は過去に個人趣味から↑を、Snareだけで何とかならんかと色々試してみててさ。
口径は14なら13inch Tomより大きいから、ピッチは近似な処迄下げられる筈。

で確かに下げようと思えば無理じゃなかったものの、当り前だが設計意図に反するから殆ど鳴りゃしなくなった。
要するに「共鳴ポイント」から逸脱したらしく、そのせいかスナッピーの反応迄極端に悪化した。

その様は恰も「胴を無くした感じ」で、その結果からやはり普通のSnare単体では無理と思ってたんだ。
したっけ長年腐心して追い求めてたフィーリングを、こんな処でアッサリクリアしてる奴が居たじゃありませんか。

因みにSnareの「中低域の重要性・必要性」を訴えとくが、近年は表面的な高音質化の煽りを受けて高域ばかりに耳が行っとる様ですな。
確かに響線はSnareだけの特徴だが、アンサンブル内でそれが際立つのはバズロール等の時だけなんよ。

ほいで私的にはディキシーランド等で印象深い高域の余韻って、混み合ったアンサンブルや歌物では邪魔なだけの存在になったりすんねん。
例に依ってパート単体聴きではそれが心地良くても、その時は主役が他に居ないからなんだな。

少なくとも俺好みのアンサンブルでは折角て出ても、邪魔&ほぼ無効化しててさ。
それで長年「足りるだけの中低域」が拾える様に腐心を続けてるんだが、元の出音が致命的に不足してるとどうにもこうにも…。

因みにⅡで一般的に良いSnareの音をタン・パン等と称すが、高域が目立っても中低域レスではそう云う音にはならないよ。
ほれCymbalだったらシャン・チン・ツとかって呼称になるべ、世間の皆さん忘れ過ぎでんがな。

更にはこの面でバスドラとSnareには、ピッチを大して下げなくても下がちゃんと付いて来るのが望ましいん。
現行のポピュラー系では↑2点がリズムの要を握ってるんで、周囲にどんな音がどんなバランスで来ても存在感を損なわない為にはさ。

因みにⅢで音量バランスのみで目立たせるってな無粋で、それだとかつての歌物みたいに歌対伴奏が2:1なんてのが無理になる。
今ではドラムが大きくて困る場面はかなり少なくなったが、そんでも太鼓の音色不備のせいで他のパートが割を食うのは勘弁でんがな。

=つづく=

2024年1月 4日 (木)

音楽備忘録1602 サチュレーションの話し⓬

概述の如く生楽器へのサチュレーションが一番大変な癖に、一番必要だからどうも質が悪い。
では何段にも施して劣化に目を瞑るかサチュレーション自体を大妥協するかしか無いかったら、一寸頭を使えばそこそこ併存させられるのだ。

物理性能にも聴感上も石と球に多少の相違はあるのもも、実用状況下ではその差が過半数ではかなり縮まるん。
コンデンサMicでファンタム非依存・専用電源のある場合、ノイズ低下には電圧を高く設定すると良い。

がそれで実利があるのはほぼ球だけで、石系(半導体)は低電圧駆動は得意・耐圧低目なので電源独立のメリットが少ないんだ。
今世間の人が知ってる「球の方がノイジー」ってのは、正規電圧で駆動して無いのが殆どなのよ。

コンデンサMicで耐音圧や感度を上げたいと電源電圧UPがたまたま最有効で、要するに球の方が今でも相性が良い訳さ。
因みに石の方が好相性になるのは「エレクトレット」コンデンサタイプで、小型が最優先ではこっちの完勝だ。

続いてPreampについては物理性能面では明らかに石が勝るが、これもサチュレーション不要ならの限定付きなんだ。
球に依らないシミュレーション機器なら追加しても確かに静的ノイズは増えないが、歪み≒ノイズと解釈すれば完敗だ。

ま私感でノイズ面では石球案件より、Micのダイナミックタイプかコンデンサタイプかの方が遥かに気になるがね。
アクティブ回路(電源必須の電子回路)を1つ余計に経由させりゃ、絶対そのノイズが追加されっから。

してここからが本日のメインで、如何にサチュレーションが必要でも何段も追加すりゃノイズや劣化では明らかに不利になる。
ので一種の逆転発想で、必ず通る経路のになるべくサチュレーション効果のあるのを持って来りゃどうよってな。

そもそも俺言い「ナチュラルサチュレーション」が掛っちまってた時代って、多分誰もサチュレーションを掛けてやろうなんて思ってなかったじゃん。
それ処かある一味(Beatles)を除けば概念すら存在せずで、そんなのを調べてくと温故知新になるのだ。

恐らくBeatlesの残党辺りが散々色々使い倒した挙句、大凡原点に戻ったのは顧客ニーズだって無か無いが↑が主因なんじゃないかな。
思いっ切り脱線余談になるが、従兄宅で預かり100年物のSnareを試奏したくだりおば。

そいつはLudwigのBlackbeautyの原典になったので、完全オールブラス製で胴に入った彫り物以外は全く高級感の無い代物でな。
にも拘らず①音がバカデカい(今迄体験して来たどれよか数段)②どんなチューニングにも完全対応③バズロールがやたら下手でも出来ちまう程操縦が楽で簡単だった。

で極め付けはふとした契機で俺が叩いてるのを従兄気付いた、何処で聴いても奏者に聴こえてるのと全く同じ音色だった事だ。
詳細は別項に綴るとして本件と密接な関係があるのは、音量のPeakと平均の差が現代的なのより各段に少なそうな処だ。

今の処まだ裏は取れて無いが、楽器がそんなだったらサチュレーションなんて不要かも知れないんだよ。
となるとやはりサチュレーション案件って、録音側の機材だけじゃ無しに両面から考えて行かんと…。

-つづく-

2024年1月 3日 (水)

音楽備忘録1601 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅰ➎

ここ迄強行に主張するからにはれっきとした理由があり、一様に参考にはならないかも知れないが杜撰大王の実体験を生贄として捧げとこう。
そのお陰で良くも悪くも人生の半分以上が影響を受け、今迄ずっと続いてるんだ。

杜撰君の場合ほぼ殆どが幸運な偶然でしかなかったが、本物と偽物の一番の違いは色々な箇所での「程度」だね。
最大の特徴は最新のどんな良い録音・PAより、生の方が数段良い音らしい事。

1.前田憲男氏の生Grand Piano(YAMAHA C5クラス:当時は時期的に恐らくG5)
従兄の高校に↑の息子がたまたま居て(後から知った)、親しくなった関係からちょくちょく彼の家へ訪問してたんだ。
約束の時間に行ったっけ何かの事情で本人がまだ帰宅してなくて、その上家族も皆外出中で親父さん(前田憲男)が部屋に入れてくれたんだ。

その時たまたまPianoの練習中で、弾いても良いかと訊かれたんで是非どうぞと。
当時は玄関に面したリビングにGrandが鎮座してたから、即席のサロンコンサートみたいな失神ものの状況に…。

ひとしきり弾き終わったら「どうだった?」なんて訊かれちゃって、最高以外言葉が見つからなかったわ。
でその時の演奏と音色に匹敵するのには未だお目に掛った事がなく、それプラスYAMAHAってブランドには2つの顔があるのを知っただよ。

知ったってもその時点ではもしや程度だったんだけど、後に関係者選別品は普通のとは全く違うのがあると分かったんだ。
何れにしても調律を始めとしたコンディションの影響が生楽器は電気・電子のより格段に大きいのと、それを上級者が操る程更に別世界が展開するのだと。

2.永井允男氏の楽器売り場でのプチ試奏(当時仕様のドノーマルFender)
何時もの様に道玄坂にあったYAMAHA渋谷店に行ったら、そんな場面に遭遇しちゃったんだ。
失礼乍らそんなに知名度のある人じゃないが、たまたま当時近所に住んでたから一目で気付けたよ。

GuitarはStratocasterでAmpはそれを直結のTwin Reverbだったが、ちょいとトエェと演たらそれだけでもう殆どほぼEric Claptonのあの音が…。
ちょっちヲタるが当時’80年代前半のFenderじゃ、普通はそういう音色はもう出せなくなってたんだよ。

ってのは途中で設計理念が変更され、無歪み最大出力の向上だけに特化してたからね。
これには少し苦い過去があって普通出力管が6L6×4なら100W程度は無理無く出せるのに、初期Fenderのは80Wしか無かったから135W迄絞り出してったんだ。

尤も外野目線では時期が遅れ過ぎで、もうその頃には歪み音色の方が重視され出してたんだけどね。
何れにしてもそんな組合せで眼前で実際そう云う音が鳴り響いてて、楽器は大事だけど腕(機材の使い方も)の方がもっと音色に影響するのかぁと痛感されられまし。

3.大菅保師匠のSax(オマケ)
かつてはJazz BigBandのブルーコーツに在籍してた様だが、もう当時はプロ奏者は廃業してたんだけどさ。
2~3日毎に短時間吹くその音色、特に離れた別の部屋(借りてた所)で聴こえるのが別物級だったん。

勿論眼前で聴いたって確かに流石はプロの音だったんだが、壁を挟んで漏れ聴こえたのの響きや明瞭度の高さが特に凄かったんだ。
このお三方に共通してるのが所謂「ガチのプロの音」なんだろうが、一言で言ったら「聴くのがとっても楽」なんだ。

不明瞭な箇所が1つも無いにも関らず、過刺激・過硬等は一切無し。
その根源は丁寧にしっかり演奏してたのが原因で、これは後に日に日に痛感されられる事になったんだけどね。

-続-

2024年1月 2日 (火)

音楽備忘録1600 適切な帯域制限の苦悩➄

例に依ってコアヲタとも微細な重箱の隅つつきと思われ兼ねないが、杜撰大王としては唯勝手に指図されたくないだけなのだ。
誰だって知らずに「この中からだけ選べ」なんて状況は、音楽環境としては不健全なんざます。

わさて置き現況で確実な解消策が見つかって無いから苦悩なんて題を付けてるが、特定状況下でなら抜け道は少しあるんだ。
Guitarの場合歪んでて良いなら、本体の高域は足りるだけカットしといて歪み成分は高域に一切制限を掛けないってのがね。

この手法は初期からずっとある物で、しかし音響的観点からはノイズ特性としてはとっても不利なやり方なんだ。
楽器本体のToneツマミは絞っといてる癖に、Ampでは高域を大量増幅したりするって、恰も「無い物」増やそうとしてる訳だからね。

音響的は全く非合理で現実的には雑音だけが増幅され、それ故俺は普段楽器本体のToneツマミは常時全開だ。
だが本体でのとAmpのでは、性質も内容も少し異なってるんすわ。

今迄俺が大抵↑で賄えてたのは、歪み成分が悪目立ちしない音色が割と好きだからだ。
Amp歪ませでAmpで高域に制限を掛ければ、必然的に歪み成分の高い方も削られるからね。

と同時に高周波ノイズにも巻き添えを喰らわせてやれるんだが、歪みのみの音色や質感なんかが分り難くなる欠点があるんだ。
Bassでは当初ほぼ無自覚なまま活用され出して、無歪みドノーマル時とは少し違う音色を堪能されてたね。

俺Bassは飛躍的音質向上の全盛期に遭遇する世代だったのもあって、これを最近迄は封印しちゃってたんだけどさ。
大昔の皆も俺も多くの者が「望まない歪み」と格闘されられる有様で、特に日本じゃAmpは長らくGuitar優先度高が長く続いてたし。

けど高音質化が落着いて暫く経ってみると、非合理でも独特な慣習にも捨て難い気がして来たんだ。
一寸詭弁だが非合理だからこそほぼ他では使われて無い方法で、そんなのもエレキサウンドの独自性の一部を担ってるんだ。

でToneツマミゼロ時は当然全開時よりAmpのTrebleツマミの効きは矮小化するが、全く効かなくなってはいねんだ。
事足りるかどうかは別として、本体ゼロの時こそこの違いが結構大きくてな。

中域の一番上の方はこれでしか増減が出来ず、ここへ意図的Peakを作れると如何にもな籠り感から少しは解放されるのよ。
コイツでRock系で参考にすればと思うのが、Cream時代のEric Claptonだ。

俺も当初はアホだったんで唯闇雲に高域カットしてウーマントーンだなんて喜んでたが、本家のは本体かAmpの何れかはゼロになんてしてなかったんだって。
音色の第一印象ではとてもそうは聴こえなかったんだけど、良く考えりゃだったらJazz専用Ampには調整可能なTrebleツマミは付いて無かった筈だしょ。

=つづく=

2024年1月 1日 (月)

音楽備忘録1599 古典楽器の恐るべき隠れた実力➄

実験後日談の2回目は総合結果で、Snareだけならきっと100君を嫌がる人は居ないだろう。
けれど従兄概所持常用セットとの、相性に考慮点が残った。

好みもあるんで言い切りはよしとくが、俺としては全部が100君みたいだったら最高なのにと感じた。
のと同時に↑組合せだと、恐らくバランスを取るのに苦労するだろうとね。

従兄セットは現代的設計のでバカみたいに良く鳴るが、Chad君より少し大人しいが近似な性質だ。
具体的には明瞭度最優先且つその中でもアタック音優先と、現代的潮流には合致してるんだけどさ。

ドラムサウンドをアンサンブル内で、点では無く線とか面積を有する図形みたいに扱おうとするとな。
アベレージ音量とPeakの落差が大き目だから、Reverbとか「楽器以外の力」を借りないと難しい。

のが100君と来たらPeakの悪目立ち以外は、最初から素の状態で全部持ってるんだ。
又悪目立ちなんてこっちは平然と断言してるのは、ユーザー音創りの一部を阻害してるからなんだよ。

一通りの要素が出てたなら、後はニーズに応じて盛ったり削ったりすれば良い。
但し通常のDrumset録音では分離度等の都合から、完全に事後個別音響処理を施すのは未だ困難だ。

いやいやSnareだけコンプやReverbの深いMixって良くあるじゃんってか?、あるにはあるけど他の楽器の分もそこそこ道連れにしちゃってんのよ。
だったら何故そんながそんなに気にならないかったら、大多数に「セットの楽器」って意識があるからさ。

完全な分離度を得る目的で、各楽器を一々時分割して個別に拾ったとしよう。
これそもそもコンビネーションフレーズとかでタイミングを取るのに絶望的な苦労を強いられるだろうが、敢えてそれも克服したとしよう。

で念願の音が拾えてるのに、多分大抵は物足りなさや塊感に著しく欠ける結果になると思うよ。
ちゃんとリアルタイムで人が鳴らしたのに、殆どドラムマシンみたいな無味乾燥さを携えてね。

その原因は単体聴きではしばしば思考漏れしてる、共鳴要素が抜けてるからですわ。
っと今回の件ではそこ迄は行かないけど、アタック音だけを忖度するとアンサンブルが賑々しい場合もうDecay音すら全然聴こえなくなる。

するとその箇所だけなら昔の容量の小さいサンプラーで鳴らしたのに限りなく近くなって、杜撰大王だけが「おっコイツ俺より貧乏だな」とほくそ笑んじまうぞ。😵
確かに生存確認だけならハッキリ突出アタックはうってつけだが、それじゃあ音楽じゃなくてサイレンとかと同じで良いのかって話しだわさ。

わ大袈裟にしても、少なくとも隠し味で鳴らすのは無理になっちゃうねえ。
でⅡで杜撰大王の推測では当初は機械太鼓に負けじと、リアルだってこの位は出るんだぞってのを見せたかったんだろう。

のが段々初期の目的を忘れてどんどんエスカレートした結果、聴くも無残な状況が主流になっちゃったんじゃないかなあ。
上手くミュートしてやりゃ、どんなのだってアタックだけ目立たせるのはとっても簡単なのにさ。

=つづく=

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