音楽備忘録1596 適切な帯域制限の苦悩④
前回と似た形態で徐々にエレキGuitarへと進めてくが、マイルド音色はBassの特権ってよりゃ元祖はJazzのエレキGuitarだ。
杜撰大王にJazz Guitar音色ニーズは今の処は僅少だが、ギターのToneツマミをゼロにして録ってみると…。
生耳では一応それらしい音色になってたのに、なんだか録ると露骨に籠ってたんだわさ。
その原因は恐らくRock・ポピュラー系用On Micのままだったからで、前回述の周辺共鳴成分を拾い損ねたからに違いない。
その当時はまだOffでマトモに拾えるMicが手元に無かったから試せなかったが、サンプルにした音源の方ではやはりこんな極度の籠り感は無かったさね。
因みにアナログ録音・メディアでのHigh落ちって確かに天井だって少し低くはなってたけど、デジタルでバッサリ削ったみたいに完全に高域がお留守になってた訳じゃないんだよ。
常時有効帯域だとデジタルの方がワイドも稀に出る微かな超低域や超高域は、デジタルみたいにフォーマットで遮断はされてないからねえ。
要するに楽器自体からは発せられて無い周波数帯域でも、一般空間で鳴らすとほぼ可聴帯域全般の何某かの音が追加されてんですよ。
尤もその量は大抵大半は容易に気付けない程微量であったり、楽器の出す音との関係性不明なのだったりするけどね。
だがあると無いのの差は、雰囲気や存在感では歴然とした相違をもたらす場合が少なくないんよ。
独自比喩をするなら耳を手で塞いでるから籠るのと、元から出て無いから籠って聴こえるのの差とか。
これの真の理由は正に閉塞感そのもので、鬱陶しいから服を脱ぎたい!?なんてのと同じだ。
結局最終的には楽器以外の音を、何処迄雑音と見做すか不可欠な背景音と解釈するかなのかねえ。
只私感としては高域の無い音色には、豊富なのと同じ考え方をしては駄目なんじゃないかと思う。
つまり高域があって(聴こえて)構わない音色ならその量を加減するだけでも良いが、楽器からのがあってはいけない音色のでは他の方法での調整が必要なのではってね。
まあ気楽に考えりゃ録音やメディアがそれだけ高音質化した故の、贅沢な悩みなのかも知れない。
最近Youtubeで所謂トラック抜き出し動画のを聴くと、アンサンブル内ではマスクされるが単独だと聴こえる程度に高域を残してるのがあった。
んが僅かだが高域の有無が中域の質みたいなのに影響を及ぼしてる様で、音色次第じゃ楽器自体から漏れる高域が悪さをしてる感じなんだよなぁ。
前回述の如くウッディになる筈のが、何処となく金属感が出ちゃってんの。
この辺はかつてのFlat弦の効能と同様、そろそろ処理の仕方に進化があって然るべきなんじゃないかな。
アコースティックGuitar・Bassでは高域完全排除は不可だし、Synthe等ではフィルタでカットすりゃ物次第じゃ閉塞感が凄い。
どちらにもなってなかったのがエレキの特権の1つなのを思い出すと、固有音色の1つが今のままじゃあ封印されちゃってるんだよ。
=つづく=
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