音楽備忘録1586 サチュレーションの話し➒
けふはサチュレーションに期待出来る事と出来ない事、をテーマに綴りまする。
これを考える際最初にすべきは、Mic若しくは録音機に入る前にどれだけ好みの音を創れるかだ。
例えばStereo Chorus等でMic収音したくても、Ampが2台無ければ最低でもMicの後にEffectorを挿入しないとならない。
しかしペダルワウで絶妙な操縦が可能なら、必然的に所謂「掛け録り」が要求される。
この様にサチュレーションには不適でも他の事情や制約から、サチュレーションには不都合な状況になってしまう事もある。
だからこそ可能な限り録り後サチュレーションをなるべく不要にしとくのが望ましく、ガチガチに硬い音色のAmpで演っといて後で何とかしようなんて虫の良い話しは苦しい。
又何かの事情でハードサチュレーションのニーズが生じたとして、無理すれば人工的になったりオーディオ的音質を相当損ねる可能性が大きい。
リミッタ以上にサチュレーションは自然音に近付く以外は音色改変が忌避事項で、この自然音とは生身の人間が一般的な環境で聴ける音の事。
故に少しでも自然に近付ける(感覚的には元に戻す)なら、サチュレーションは期待出来るってか現況他に有効な手立ては無い。
只そんな掛けたのが分からない程良い様なのには、大胆な効果を付与出来ない弱点がある。
サチュレーションって元は仕方無く必然的になってた現象で、昔はそんな風な作用があるとは殆ど誰も思って無かったですよ。
のはサチュレーション抜きのリニアな音を当時聴けなかったのもあろうが、生耳と大差無いから「何もされて無い」と思っちゃったのが大きいんじゃないかなぁ。
要するにテープで落ちる分その前の段階では既に行き過ぎてたからこそ、やっと生耳で聴こえてたのが大体そのまま録れたと思ったって訳だ。
テープ部のサチュレーション(テープコンプ)が厳しくなった以上、俺言い「前段階の行き過ぎ」是正が先決なのだ。
ちょっち面倒でも全体一括処理を元々何段階かに渡った複合結果だったのを踏まえ諦めると、その代りに新たな利点が出て来るん。
のはⅡでパート毎に必要サチュレーション量に差があるのを、最適手法で個別処理可能になる事さ。
電気楽器等は球で整流管仕様のAmpとか歪ませ時だったら、サチュレーション必要量はミニマム或は使わなくても平気だ。
に対し生楽器のOn Mic収音では楽器設計意図に反するのもあって、多目のサチュレーションを施さないと↑等とバランスさせるのが困難だ。
ワンポイントMicでの一発同時録りでは不可能だが、元から多重録音の利点の1つなんだよね。
ので宅例でエレキGuitarには殆ど現代ダイナミックMic収音なのが、アコギだと球コンデンサになってるよ。
現状アコギへの球コンプは不精してまだ未実施だが、多分最終的には掛ける事になりそうだ。
って従兄の太鼓録りが滞ってるんでロクに考えもせずそのまま録っちゃってたけど、掛け録りしとかんと余計なAD/DA変換の回数が増えちゃうんだったっけ。😓
-つづく-
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