音楽備忘録1503 Rockは反体制について①
暫く前に従兄のX(旧Twitter)で紹介されていた、現在は高校の音楽の教科書にロックヒストリーの樹形図が載ってるのを知った。
残念乍ら一部分類に誤りは見られたが、杜撰大王世代からしたら正に隔世の感であった。
だが市民権を認められて喜んでばかり居られなかったのは、文化的背景の説明がとっても薄弱だったからなんだ。
昔から少なくとも第2次大戦後の日本は何かとスペック偏重な処があったが、登場の必然性とか最も重要な部分に触れて無いんじゃ何も意味ねえんだよ。
物事へ内容から入るのと形から入るのの2種類あって、単純にどっちかを否定したり優劣を付けるもんじゃないけどさ。
只形から入るのがデフォな地域や民族性なら、その弱点特に教育の場では最大限の注意を払っとくべきなんじゃないかな。
もし学びの深度が浅い処で止まったら、登場必然性等は全くちんぷんかんぷんのままで終っちゃうもの。
そしたら例えばKISSの恐カッコ良いのとか、今だとゲームやアメリカンコミックスだけからの引用と誤信しそうだ。
等と偉そうに語りつつ俺自身当初は何も知らず分かってなかったが、でも唯者では無いその容姿・音等の雰囲気から何となく察してはいたんだよ。
勿論芸能界の代物には暗そうでホントは能天気に明るいとか、そう云うのはあるだろうけどね。
けど迫真の演技が真の説得力を得るには、何かしらの原体験みたいなのが必ずあった筈なんだ。
殆どはハッピーな人生でも、一度位もう死ぬかと本当に窮した事があったとかさ。
で実際には差別で虐げられてた黒人とか、白人でも貧困層や理不尽に晒され続けてたとかそんな連中から始まってたんだ。
黒人(主に米)は被差別や理不尽に対しBluesやSoulとしてその叫びを上げてたが、白人で社会から落ちこぼれた奴等にはそれに相当するのがまだ無かったんだ。
全く酷い目に遭わされてた黒人からすりゃそんなの序の口だったかも知れんが、共感者が殆ど居ない点では白人被差別者の方が救いが無かったかも知れない。
そんな中黒人差別を否定する白人被差別者と黒人との間で理解と共感が進み、Rockが一大潮流となったってのが深層だろう。
そんなだから少なくとも白人被差別者は反体制派だったのは、必然且つ大袈裟に言や踏み絵同然だったんだよ。
つまり手っ取り早く言や当時の白人は反体制派じゃなかったら、Rockなんて演るはおろか聴きたいとも思わなかったに違いないんだ。
これは当時夢はあったが全貧民だった日本でも似た様なもんで、外からは計り知れずとも何等かのハンデを抱えてる者を中心に飛び付いたのさ。
社会からの落ちこぼれ等≒反体制者とならざるを得ないから、平和な一般庶民今で言うリア充な奴等なんて当分の間は相手にもしなかったんだ。
それが証拠にRockだって登場時は得体の知れない新興ものだったにしても、現に日本の教科書で取り上げられる迄に約70年も掛ってるやんけ。
それもそうなった理由には一切触れず誤りを内包したスペックの羅列だけでさ、不都合な真実が皆無だったらこんな記述にはならんって。
+つづく+
« 音楽備忘録1502 デジタル音楽録音でのレイテンシ謎➑ | トップページ | 音楽備忘録1504 低知名度アーティスト⑭ »
「文化・芸術」カテゴリの記事
「音楽」カテゴリの記事
「奏法」カテゴリの記事
« 音楽備忘録1502 デジタル音楽録音でのレイテンシ謎➑ | トップページ | 音楽備忘録1504 低知名度アーティスト⑭ »
コメント