音楽備忘録1467 代用出来るか否か➓
さて代用ったら今時はボーカロイドに言及しとかなきゃだが、杜撰大王的には肉声の代用にはまだ役不足だと思っとりゃあす。
容認派・拒絶派等まだまだ賛否両論あろうが、ボーカロイドの存在自体には全く罪は無いので御座居。
各個人事情で思い通りに事を運べないケースが多々あり、打込みにしてもそうだが選択肢の1つとして助力になってるのはとても良い事だ。
だが使用者・利用者の「魂胆」ってのが大問題で、払える出費をケチろうとしたり安易に楽しようとか流行に乗ろうとしてる奴等が最低なのだ。
必ずしも良い言葉じゃないが、要するに音楽ツールの1つだからバカと鋏は使い様と同じなんすよ。
必ずしもじゃないけど基本音楽は「心の表現」だと思うんで、作者の心理の影響から逃れるのは至難なんざます。
だから他の作業の道具同等かそれ以上に、どんな気持ちで扱ったかが露骨に結果に出ちゃうんだ。
それが古い生楽器等と違い殆ど自己主張をしないんで、余計に上記だけがクローズアップされる。
さながら音楽版「嘘発見器」の側面も持つと考えてて、少なくとも音楽に対してだけは聖人君主並じゃないとボロが出るんじゃないかな。
健常者である程度の腕前に到達すると出来る喜びが当初より薄れたりするもんで、悪慣れで油断や感謝が不足しがちになるのは一面で仕方無い。
それでもリアル楽器だったら即座に音に出るので「おっとっと危ねえ」と気付かされるが、直接的な反映に乏しい処がバーチャルの恐い点だ。
しかも根源的には誤操作をしても音が破綻する迄行かないから、実害が確認されないのだ。
ってもわざわざ創作した音楽が毒にも薬にもならぬのでは、既に作る意味を逸失してるんだがね。
良い(と思い込んでる)アイデアに酔いしれてたりすると、ハッキリ駄目が出て来んときっと行ける筈と心理バイアスが掛ったりしちまうんだ。
では心の一部に別人格や冷静さを持てば…ってのは半分は正しいが、目一杯気持ちが盛り上がってたからこそ書ける曲なんてのもあるんだよなぁ。
因みに別項で取り上げた「ノリ」なんつうのは、実際に奏者本人が一定以上ノレて(≒興奮)ないと醸し出せんですから。
結局対象が唯の絵でもモノホン生裸体と同様にハアハア出来ないとで、この場合は変態趣味では無く無機質な機械でも別の理由でそうなれるのが要るんすわ。
具体的筆頭としては病で声帯を失った人とか、絶対的ニーズが生じたケースが確実な安全圏じゃないすかね。
私感で最も思うのはボカロ利用での王道作品がまだ無い点で、コレ曲より編曲とか奏法の面でね。
確かにボカロで打込みだから可能なのにも面白味はあるんだけど、機械じゃなきゃ全く演れないのだと生派には受け入れられない。
一般大衆を相手にするなら機械特有技はやってもチラ見せ程度に留めといて、道具の種類不問の編曲力で勝負しないと厳しいですぜ。
それが曲に興味が強く編曲に弱い人だと、実演不要なだけに気付くのが遅れる様だ。
=つづく=
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