音楽備忘録1420 適切な音楽の評価方法⑰
この項最後は誤判断について綴らせて貰うが、当方は杜撰大王なんで自慢じゃ無いが間違いの宝庫だから何でもあるぞ。
って自分で言ってて少し悲しいが、誤判断にも許せるのと許せないのがあんねん。
っつうか後で挽回可能とか微笑ましい・気持ちは分かる類いのと、無責任とか偽広告紛いの一寸悪質なのとかに別れんだ。
その中で問題度が高そうなのを幾つか絞ってくと、調査の杜撰さの為に知らずに酷い頓珍漢な断定をするってのが先ずある。
私的には特に近年になる程酷いと感じるのが、過去作を無視して断定する奴な。
過去作に無興味な人にとっちゃ知った処で気持ちは変わらんのかも知れんけど、過去作が無かったら今日のも未来のも存在し得んのどす。
そう云う意識を常に少しは持っとくのもリスペクトの内で、俺は承認欲求が強い程他人の良い処は例え無興味・好きじゃなくても認めるべきだと思うでえ。
人には大なり小なり「贔屓」の心理が自然と湧くもんで、無意識な場合が多いだけに自らの偏寄に気付き難い。
冷徹な判定には邪魔だからそれを殺せば…は一理はあるが、好き嫌いを封殺すると道連れに感性の鈍化させる恐れがある。
ので「凄く好きだけどきっと大した事ねえわ」とか「下らんと感じるが完成度には一寸嫉妬」とか、嗜好を温存したまま分別出来ると良いよねえ。
お次は結果としては言語道断な所謂「盲信」で、一定期間以上自己催眠や自己洗脳状態が続くと無理が通れば道理が引っ込むに陥ってるヤツ。
これには当然外圧に依る洗脳だってあるが、個人内で完結してるとより気付け難いからねえ。
そしてコイツには近似でもっと緩やかな感性・思考硬直化っつうのがあって、その成れの果てのに所謂老害の1パターンが含まれてたりする。
営業上誰かの太鼓持ちの立場にあれば、当初は内心気付いててもひたすら推したりしてても仕方無い。
だがずっと2つの顔を維持して使い分けるのは楽じゃないんで、人次第じゃメンタル自己防衛本能が発動して不都合な真実を抹消させたりするんだわ。
その後周囲の境遇がもっと劣悪だったりすると、これ位の妥協で済むならマシと抹消したの自体を記憶からも消去。
今劣化本邦ではこれが最も多くあのジャニー氏の没後数年経って、やっと批判にも人権が認められ始める始末だ。
私的にその実態は性犯罪と爆売りしたのの評価割合だと考えてるが、最初から容認と否認の両意見があって当然だった筈なんだ。
少なくとも非公式な否定派位は居て当然なのに、本家が頑なに否定するのは仕方無いがそれを鵜呑みにして疑念すら持たないってのがなぁ。
それじゃあ人間なのにポンコツAIと一緒で、判断力を放棄してんだから何も正常な判定なんか出来なくなってるんだ。
音楽はあまねく自由なので歌詞だけ聴こうと何しようと構わんが、そんなんで知ったつもりになられるのだけは願い下げだ。
この国では少数派でも、音にしか興味の無い人にも居場所を与えろや。
>一旦幕<
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