音楽備忘録1423 ノリを育む方法⓴
ノリの話しにしては大小だの挙句は観客がなんて随分な大風呂敷だが、なまじ感覚の問題なだけに文化的背景も多大な影響があるのだ。
現代ではダンスBandでも過去みたいな大スケールのノリはすっかり影を潜め、良く言やずっと洗練されたがせせこましいのしか居なくなって久しい。
音楽の楽しみ方が大昔のLive中心から、スマホで個人が普段になったからだわよ。
静かな電車内で独りで妙にエキサイトしてたら今時は通報もので、何せ周囲に迷惑が掛かって無かったら何聴いてるかは分ねんだから。
只私的にはいい加減で次のフェーズへ移行すべき時期と考えてて、個人で聴く機会が激増したからこそビッグスケールグルーヴも再興すべきだとね。
つまり「音に依るバーチャルイメージ」で、誰かと一緒に聴いてる感覚を提供してはってさ。
ってこれってゲーム音楽等の世界では既に浸透してて、しかし純粋な生演奏は内容との整合性もあって稀な様だ。
だいいち生でもデジタル楽器で代用してたり、Click常用じゃあわざわざ予算掛けても効果の程が知れてるもんなぁ。
そんな現況を無視しても困難化してるのが、実行には奏者にある程度実体験が必要な処なのだ。
年寄だったら大昔を想い出せば少しは糸口もあろうが、例え他人にあまり迷惑を掛けなくても成人式のフィーバー(おっと死語出た:集団興奮状態!?)すら許さないご時世だもの。
コレ若者で踊りやイベントに興味が薄く、でも音楽のグルーヴにだけ興味がある人にはかなり過酷ですがな。
大昔の俺が正にこのタイプでしかし当時は今以上に、何某かの祭り等盛り上げて欲しい場面でだけお呼びの掛かる事が多かった。
こっちとしては弾きたいだけでも大抵は興味薄の観客を、折角なら少しは盛り上げたくなって。
相手に目の前に居られると、無視する訳にも行かないからね。
変な発想だが「望まぬ出場機会」ってのも、こう云う案件だと奏者にとっちゃ結構貴重な体験なんですよ。
そんなのが実はポピュラー系の基本で、例え特定ヲタ対象にしたって少しでも分り易い方が良いに決まってるさ。
少し脱線するが当時リアルタイムで聴いたプログレは難解で、又随分とひねた真似するなあと感じてたんだけどさ。
今になってみると慣れてなかっただけで、実際は難解でも何でも無かったんだなあって。
興味が薄かったんで全く掘らなかって、けど良く考えてみたら「難解な印象」ってそれなりに分かってた証拠だったんだよ。
尤もノリやグルーヴだと直接感受性に訴えかける方が良いんで、上記とは逆に第一印象が良くないといけないけどね。
万一将来達人が減ったら生演奏は稀有になるかも知れないが、現況は単にコスト上の都合が中心だ。
そうなるのはマクロ観点では「フレーズの最適化」等があり、現在使われてるフレーズの大半は元が手弾きのものだからだ。
人がリアル楽器を奏でての最高峰なので、ノリやリズムタイミング込みで成立してるん。
雑音が入らず音質も良くヨレやミスの無いのは素晴らしいが、↑の最適化が困難なのが打込みの弱点。
たればこそ人力で奏でるなら、これをある程度以上負い込んどかないとしゃーないんじゃね。
っとオジサンは思うんだけど。
>つづく<
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