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2023年7月

2023年7月31日 (月)

音楽備忘録1445 ヘッドホンの音質について➋

さて音量次第で音質が変るについて、どんな場合があり得るのか今日は探ろう。
そんなの駆動音量とか能率が違うからってそれもあるが、見落とし易くそれでいて意外に影響の大きいのが他に盛り沢山なのだ。

先ず人側外的には個人差があって、耳の大きさ・形状・耳穴の口径・耳穴長…と1つ1つの差はあまり大きく無くても枚挙に暇がない。
そこへ輪を掛けて内的個人差が物理的には神経関係、情緒的には例えば緑も大枠では青と言う人言わない人等無限にあると言って良い。

そしてそれ等の相違を外部から確認可能なのってば、明確なのは年寄りにモスキート音が聴こえない等程度でしかない。
それって想像を絶する自己申告オンリーの世界ってなもんで、余程訓練を積まないとおぼろげな共通事項さえ深層では共有出来てねんだわよ。

っても分からないばっか言ってても埒が明かないから、どういう事象があり得るかを知る処からスタートするんざます。
その一端が↑比喩みたいな「緑も青」で、実際緑は赤よりは青の方がまだ近いでしょ。

そんなのが音量にもあって単に爆音つっても、実に色んな音量があるんですわ。
その極致は何も分からんがギリギリ堪えられるってので、限界に近付く程音色も音質もヘッタクレも無くなってく。

そこから幾らか小さくして僅かでも余裕が出て来ると、段々色々な情報が明るみになって来やす。
但しこの段階ではまだ正確に全貌を捉えるには遥かに至らず、けれど常音量では気にならなかったり堪えられた欠点が鋭敏化して耳を襲って来るので御座居ます。

慣れにも依るんだけどこの領域が、私体験では爆音の影に埋もれてる雑音や異音等は最も検知し易い。
非不純成分の方は一定時間以上ストレスレスで聴ける程度に、そこから更に音量低下させた位にしないと少なくとも心理的平静維持が難しい。

どちらの音量も非音楽者にとっちゃ俺言い暴力音なんで、簡単に慣れられるもんじゃないのが難点だ。
因みに私体験感では一般的に自担当楽器とか専門ジャンルのには強く、それ以外のには弱いって傾向がある。

音響屋・録音屋兼業の俺でさえ、強いて云や管楽器系統だけ若干耐性が弱い気がするな。
それが恐らくDrummerヘッドホンでも意見が割れる一因で、しかし私的にはアベレージ音量が最大級のを基準にしとくのがお勧めだ。

人間の特に芸術なんかを扱ってる奴は気紛れ度最高峰なんで、現況の最大音量で良かったからって将来何時それ以上の爆音を出すか分からんのだよ君ぃ。
それが近頃従兄がTwitterでベストチョイスをVic Firth SIH2から、概所持のDIRECT SOUNDのへ寝返った原因だ。

従兄は流石最初からなんて持上げて貰ってるが、本人にしてみりゃ唯単に他のだと聴こえない箇所が出ただけに過ぎない。
音色・外装その他大して好みじゃなかったが、聴こえなくなるんじゃどうしようもないからね。

+つづく+

2023年7月30日 (日)

音楽備忘録1444 音環境の変遷⑥

今劣化本邦の「敗因」は先の大戦に負けたのもあろうが、中途半端にリッチになってそこから衰退したからかも知れない。
特に上級国民様の文化程度が上がるはおろか低下したのが最悪で、政治・経済とともに世界から見れば真に不可解な中途半端になってるよ。

今回はそれを真空管の製造中止とささやかな再開で示してくが、かつてはそこそこ世界に通用したブランドが日本にはあったんだ。
今更それを持出すのは世界の何処にでもスキルがあった訳じゃなく、要するに当座の経済と云う「甘い言葉」に負けて技術流出と伝承に失敗したんすよ。

恐らくその移転先に中国があると思われ、年寄りタイムで少し昔だと中国にはそんな技術も商売も皆無だったん。
近年では当時の川崎重工が新幹線の件でやらかしたのも酷かったが、自分が不要になったからって拙速に他人にやっちゃうのはこの国の悪癖だな。

国内では条件面で合意に至らなかったか知らんが、未来永劫不要になるか迄そんなにすぐに分かるかってんでい。
狭い日本そんなに何でもとっとけやしないが、自然と生えて来る木とは違うんだからさ。

近年では半導体メーカやLCD迄売却の嵐で、それで最も被害を被るのが表現なんすよ。
日本って世界比だと「薄味の魅力」が売りだと思うんだが、それには繊細微妙な味付けが不可避だ。

にも拘わらずそれが可能な素子の自前が無くなれば、海外の大雑把なのでなんとかしなきゃならなくなる。
すると少なくとも「やり難くなった」のは確実で、初見では目立たないが地味系の魅力発揮に困窮するん。

今振り返ると高度成長期の国産自動車に、現行GTRみたいな世界最速称号を持つのなんて全然無かったよ。
なのに販量が多かったっつうのは、No.2以降のだけどどれも売れてたって事なんだ。

あのFerrari擁するイタリアは国としての経済は四苦八苦で、量が売れなくなったからせめてブランド価値だけでもってのも分ん無かないけどさ。
実際下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式オンリーってんじゃ一寸情けないが、それが概所持個性である以上大きくシフトするのは無理に等しかったんだよ。

結果値段の割には得なレクサス程度が関の山で、ハイエンドを猛指向した処で成果はGTRだけやんけ。
でそのイタリア経済では不評な反面、デザインやアパレルでは相変らず好調を維持してんのよね。

料理でも世界での席巻度は中華や和食に勝るとも劣らず、資本主義が主流だからってそう云う真の文化価値を見落しちゃ駄目なんだ。
そんな流れを反省したでも無かろうが、今頃になってNutubeなんてのを出す位なら球技術を手放さなきゃ良かったんじゃね。

↑は球でも蛍光表示管の派生形だが、亜流の球(かつては大本命)つまりTVのブラウン管技術とかも製造機器諸共全部売っぱらったかんね。
蛍光管表示のだけがたまたま残存してたのを魔用したのは秀逸だが、他の各1つづつだけでも残存してたら或はもう少し安く作れたんじゃないかな。

>つづく<

2023年7月29日 (土)

音楽備忘録1443 代用出来るか否か➍

続いては音楽での球機器の代用について…の前に、今シリーズ記事での代替基準を説明しときま。
って最初に言わんかいの体たらくでスマソだが、机上スペック的な話しなら知識オンリーで未体験の人でも書けるんだ。

今ではこんなな杜撰大王だって若かりし頃は、自身が無知なだけに↑みたいなのを参考にして色々酷い目に遭ってたんだ。
当時も本当に知りたかったのは「実際」なのに、理論的に可能かどうかじゃ役に立たない。

っと愚痴りつつ商売の出版物では感覚≒主観は載せ難いし、スポンサーとの関係もあるから核心には中々触れられる訳ゃ無かったんだけどさ。
けど楽器すら「音楽ツール」と捉えると所望イメージ(音の雰囲気)こそ全てなんで、そっちを軸足に展開しとりゃあす。

で球(真空管)でごんすが典型的なのが所望の際は、安易代替はハッキリ言って無理ざます。
強いて言やMarshallが欲しかったのにFenderとかならプチアリで、但し代替機はオールチューブに限りやす。

一般論だとそんなブランド違いの方が没判定だろうが、それは恐らくターゲット機種が石とのハイブリッドになってっからすよ。
M君がF君由来の発祥なのはここではスルーするとして、元々は球とスピーカユニットが米製か英製かの違いが主因で外装を除き回路その他はほぼデッドコピーだったんだから。

さてこっから一見屁理屈っぽいが他例を参考にしてくと、パッシブタイプのが欲しい時ゃ状況次第じゃ完全同一モデルでもアクティヴのは避けたりするよね。
パッシブ所望の理由が俺みたいに反応だったら、アクティヴだと言葉が全く通じない異国みたいに環境が激変しちまうからねぇ。

このシリーズで大いに考慮ポイントになるのが↑みたいな「所望の正体」で、そもそもの読みが外れてると頓珍漢な答えが導き出されたりするのよ。
何分大抵は「パーソナルな感性」で判定を下すから、状況次第では「その気になれる」なら確かにOKだ。

んが問題は本人だけ悦に入れても第3者にはサッパリが頻繁に起き得る処で、実際に音をどうにかしたい場合はそれ等は極度に弱体化するんだ。
奏者のご機嫌取れるだけで足りるなら少しは効果もあろうが、聴者にとっちゃ録音現場とかはどうでも良いんですわ。

そこで判断基準の基礎に相応しいのは、望まぬ機器で散々弄り回して駄目だったが先に要るんすよ。
幾ら球ヲタの俺でも最も資金力の無い口でっから、他で代用出来たなら一番助かる張本人なんだよね。

ので今でこそ気が遠くなる苦闘の歴史を経たんで球なら球と断言出来てるだけで、他人が訊いたら驚く様な代替手段だって試してきたんだ。
最終的な判断は個人に委ねられるが年寄りの愚痴も少しは覚えてると、期待大外ししてガッカリ位は防げるん。

兎に角球に関して杜撰大王が責任を持って通告出来るのは、音色等より「反応差」にご注意あれですな。
因みに部分限定シミュレーションなら抜きん出て秀逸なのはあの老舗VOXで、唯有難迷惑な独自テイストを何時も強烈に付加しちゃうんで世間に気付かれ難いみたいよ。

=つづく=

2023年7月28日 (金)

音楽備忘録1442 杜撰大王式バスドラ安定方法➋

さて初回の暴露に依れば当初はちっとも専用の練習方法では無かったんだが、結果的に効能はDrumに最大だったのが実際なのだ。
私的には爆音の為その大きさが他のより、感覚では測り難いせいだと考えている。

体験の量・頻度とも豊富だったらどうか分からんが、太鼓が本業でリアル合奏が高頻度な人以外には似たり寄ったりなんじゃないかな。
そしてこれは拡大してくと打込みにも適用され、数値的には絶対オッケーな筈のがアンサンブルになるとってのが少なくとも宅では頻発してるん。

音量他に音色の影響も中々大きいみたいで、バスドラ(若しくは類するの)がほぼ最低音程で瞬間発音っつうのが事を難しくしてる様だ。
熟考してみるとJazz時代迄は比較的バスドラは裏方に専念させてて、メインキャスト格に昇格したのはRingo辺り以降だ。

その中で最も注聴すべきがAl Jackson.Jrで、過去述シンバルレガートのフレーズをバスドラと入替えしたヤツね。
当該曲Green Onionsの初期Studio録音版ではCymbalもレガートさせてたっぽいが、その後のLive等のではほぼ4分音符のみとなっている。

この曲ってJazz解釈ではSwing・Rhythm & BluesやSoul解釈では16Beatになると思うが、その16分音符が1小節中「足の1回だけ」しか出て来んのどす。
のでBuddy Rich等の一部例外を除けば、それが聴こえなかったら従前のJazzのと全く同じになっちゃうんだよ。

を足で可能化した要因は常時従前のDrummerより、強く踏める様になったのが大きいねん。
今劣化本邦じゃさしものAl Jackson.Jrも単なる先駆者扱いだが、本国じゃ「バスドラ奏法の開拓者」として扱われてんねんで。

これで初めて手を8分音符より細かくしないで、16Beatの伴奏が可能になったんだからさ。
って事は彼等は足脚Double奏法でも、ほぼ均等に鳴らせるパイオニアだったんだ。

今比じゃ彼等のなんて全然大した速さじゃないが、適用範囲がほぼ全域に渡ってるのは見過すべきじゃないですわ。
でその具体的程度がポイントで、当時はLiveも録音も音環境が各段に劣る中で何とかしてたんだよね。

でⅡでその程度が私感では太鼓単独でまあまあ位じゃ全然不足で、PAレスLiveで最後列のお客さんにハッキリ聴き取れる位じゃないと足りそうにない。
のでⅡで擬似BandでもBass等をかなり大き目に鳴らしとかなきゃ、この目的には不充分なんだ。

それと私体験では過去のLiveでバスドラ自体が奏者にちゃんと聴こえた事が無く、けど客席にはそこそこってのが多かった。
そんな際はもう「足脚加減」を体感的に一定以上把握出来てないと、思った感じが中々出せない。

今はDrummer用のコロガシも高性能化しててそんなでも無いか知らんが、なるべく過酷な状況を体験しといた方が良いのは変わって無いだろう。
どの位しっかり踏めてないと危ういのか、実は音よりその感覚を掴む為の練習だったりも
する。

-つづく-

2023年7月27日 (木)

音楽備忘録1441 ヘッドホンの音質について➊

未だ我が国では周知が決定的に不足してる様を見て、再度緊急告知で御座居ます。
客観的「実出力音圧」を完全一致させとかないと、比較の半分以上は無効化するんでありんす。

人耳が受ける音圧に関係無く周波数毎の感度が不変なら良かったんだけど、かなり大胆に変化する上個人差もかなりあっちゃう。
但しDrum等爆音のを奏で乍らの聴き取りでは、能率であろうと音色であろうと聴こえりゃOK聴こえなきゃOUTなのは確かだす。

さて一応概念のおさらいから行っとくと、基本的に近年のヘッドホンは「少しでも小さい音で聴ける」のを目指しとりゃあす。
何しろ杜撰大王等の無駄爆音😢は疲れてしゃーない代物なんで、なるべく最大値を低く抑えたい。

って本当は所望音色の都合で下げられないのもあるんだけど、極端な小音量時以外は小さくなる程「他の音」が聴こえ出したり聴き取り易くなるのは不動の事実。
そもそも健康・騒音被害の点でも必要最小音量は下げられる程好ましく、楽器でも生を除けば今だと幾らでも小さく出来る様になりまつた。

が電気楽器はどっちらけ・生楽器は音色一切不変とすると下げられず、その意味で汎用ヘッドホンの潮流とは不一致が以前にも増して拡大してんだ。
個人的には一貫してヘッドホンにも「硬過ぎ警報」を頻発してるが、爆音環境下では何人たりともそれが全くスルー出来ない程拡大するんすよ。

特に周波数特性を無理して稼ごうとすると、ほぼ必ず「不自然な硬さ」が出てしまうんざんす。
これはAmpの方の負帰還回路と同様で、その内実はバーコードヘアとか七三ならぬ一九分けみたいなもんなんだ。

何しろ最近めっきり頭頂部が薄くなって来た俺だから、比喩の方でも当事者の悲痛な心の叫び…わいいとしてっと。
要するに杜撰大王に言わせりゃ現行品の殆どは、俺言い本爆音非対応設計なのよ。

Drummerヘッドホンと銘打ったVic Firth SIH2ですら、Kieth MoonやBONZO級の爆音は実質想定されてないとみて良い。
嘘つくないえ本当ってのも従兄の所で借りて叩いてみたら、聴こえない箇所の方が多かったんだ。

しかもこヤツ旧人類非対応サイズなんで、大頭の俺だとヘッドバンド長が足りない…のは別としてもなんだ。
もっと小さい音量で「普通に叩け」てヘッドホンも無歪み領域で使えたら、そこそこ良い品だとは思いますがね。

だとしてもで杜撰大王基準ではそれとてやや硬で、1日中使うには神経過労になるんじゃないかな。
って相変らずディスりでっかったちゃうねんで、価格帯からして本職業務用では無いですわな。

わ兎も角どの音量でどんな周波数特性に聴こえたかが、殆どのレビューで書かれて無いんだよなぁ。
ほいで現行主流系のは音量極小の方へ力が入ってて、低音や高音を聴きたいが為にの音量アップが不要にしてあるんだ。

これ自体には大いに意義があって、実際大昔のなんかバカウルサイのを我慢しないとちっとも聴こえないなんて事がありましたよ。
クソガキ当時の誰かさんケチなスピーカで重低音聴きたくて、親にどやされる程の当時としては爆音にして尚且つ耳をくっつけてなんてのがね。

+つづく+

2023年7月26日 (水)

音楽備忘録1440 音環境の変遷➄

前回のプチ補遺から次へ進めるとして、音色に拘れっても明瞭度忖度は含みませぬ。
当然音楽にだって明瞭度は不要じゃないけど、音響的それとはかなり別物なのを再確認願いたいある。

純然音響ではターゲットの詳細な周波数(音程)とか、他の音との分別等が厳密に含まれてる。
んで時と場合に依っちゃ心地悪くなったとしても、サウンド分析可能な方が優先される。

んが音楽となるとアウトライン不明じゃ困るが、究極はただ気持ち良いとか意図した雰囲気が再現の方が大事なんだ。
一見傲慢とすら思える程物に依っては顧客に不親切なのもアリで、それで不平等にならないのは聴かない自由が顧客には与えられてるからなんだ。

っつうとかなり尖った主張と思われるだろうが、雰囲気を作れないとか足りない方がよっぽどヤバイんだよ。
これが無くては唯の音で、音楽には成り切れないのだからね。

なので音響と音楽を兼業の身からすると、明瞭度過忖度は恰もオーディオメーカにだけやたら忖度した様なもんで気持ち悪いんだ。
飽く迄不要刺激を避けた上とかでの明瞭度向上であって、優先順位が引っ繰り返るのはご法度なんざます。

だば次へとっとと参るが、高音質や高明瞭度がターゲット聴き取りに仇になるケースを知ってまっか?。
例えば肉声再生で下手に低域が豊富だと、風や息吹き掛けでボコボコになったりが電気音響にはあるざんす。

これは現時点ではMicの構造上完全回避が不可能で、確かにイケボには豊かな低域がある程度欠かせないんだけどね。
独立ブースとかで肉声収録出来ない限り、風や吹き掛けはどうしても起きてしまう。

そこで低域を温存したいならMic真正面にせず、敢えて横向きにするとか何等かの対策を要す。(見た目や使用感の違いから失念され気味だが、所謂ポップガード使用でも同じ事が起きてま)
すると当然の如く子音等の高域は弱まるが、差し詰め背に腹は代えられないって処だろう。

結局どんなに音響的にのみ高音質化しても、用途や状況次第で付属する制約は幾らも緩和しないんですよ。
その点今劣化本邦の明瞭度忖度等はリアルであったとしても、バーチャル世界のサウンドってなもんだわさ。

この点では映像の方が数段進んでて、4kから8kへ至っても意図的に被写界深度をちゃんと利用してるね。
被写体が少なきゃそうしてなくてもなんとかなるものの、そうじゃないので全部並列の存在感を与えたらウォーリーを探せとかみたいな間違い探しの絵になっちまうからね。

音楽だってほぼ同じなのに、世間がごった煮を許すのが俺には一寸不思議でならないよ。
その背景に今劣化本邦の音楽離れの進展と、特に聴いても「歌詞だけ、言葉だけ」があるんだろうな。

それが仮にでも成立するのは単一言語化が著しく、それも方言さえ衰退させた俺言い「隠れ軍国教育」の賜物なんじゃね。
因みに言語に依って明瞭度忖度するにも違いがあるんで、多言語が日常的に飛び交う所では今の日本みたいな真似は元々不可能だ。

>つづく<

2023年7月25日 (火)

音楽備忘録1439 代用出来るか否か➌

今度は過去述重複も含むが、エレキボディのフルアコ vs ソリッドへ弦のRound or Flatを交えて代替の可否を綴ろう。
ってのはひたすらBrightな音色が欲しきゃ通常ソリッド+Round弦一択になるんで、現代でフルアコやFlat弦が欲しくなるのはマイルド化等したい時だと思うんだ。

さて現代ではフル君とフラ君の非汎用性並びに割高な部分に、残念乍ら言及しとかなきゃなんくなった。
フル・フラ君どちらもニーズが消滅しちゃいねんだが、過去比だと現況どんどん頻度が下がってってる。

結果杜撰大王みたいな貧老にはキープ意義が低下して、良さや必要性を熟知してても非所持化の憂き目を見てんだ。
但しエレキの胴違いに太鼓みたいな大きな期待を寄せるのは筋違いってもんで、再出だが師匠の会社でGibson ES-175Dをじっくり試奏させて貰ったら従前身勝手イメージはアッサリ覆されてん。

条件付きではあるが当時時点で概所持の中古SGと殆ど一緒で、音よりカッタウェイとボディサイズの差が印象に残った。
因みに条件ってのは既存概念を無視して、出せるだけハイエンドを出せる状態での試奏だった処。

ある程度以上の出力の球Amp接続ではFeedback限界等の差も
あるから、もう少し差を実感出来たとは思うんだけどね。
事後分析に依るとそうは言ってもエレキでボディ材や形状がもたらす影響は、太鼓のそれよりゃかなり小さくなるのは確かなんだ。

俺の永年の幻想で太鼓も「エレキ化」したら近似になる予定!?だが、要するに電磁Pickupの影響力は中々強大って訳だ。
って処で視覚的には段違いなフルアコ・ソリッドも音だけになれば姿が見えないのと相まって、最大相違点は単なる音色よりアタックやサスティン等反応差になるんじゃないかな。

ので乱暴に言やアタック部しか殆ど鳴らさんなら誤魔化しが利きそうで、隙間が多く且つロングトーンの頻出するの程代用ではボロが出易くなろう。
歪ませに関しても同等かそれ以上で、歪み≒アタック音が飽和となればそ
の特異性は矮小化されて行く。

のでⅡで生音や低加工になる程それ自体が要求されるが、私感ではBassを含め弦のRoundかFlatかの影響がボディ材や形状より差が大きくなると思うんだ。
是又過去体験述だが昔からのお気に入りJazz Guitarist、Joe Passの該当曲は後年の画像からフルアコとばかり誤って信じ込んでただす。(実際はバリバリソリッドのFender Jazzmasterだった💦)

ついでに失礼乍らヘアスタイル等にもその時期の実際と相違があり…は過去記事その他参照願うとして、杜撰大王なりに勘違い盲信した敗因は弦の違いの見落とし
が痛かったと思うんだ。
こっちこそ杜撰大王ならではってなもんで、近年迄弦仕様の違いを大して気にして無かったもんで…。

何となく薄々は予感がしてたんだが、今迄この件では響きにばかり偏重着聴してたんだろうねえ。
だが雰囲気だけに注聴すると、実際音を出す源なだけに弦の違いは地味だが到底無視出来んですわ。

=つづく=

2023年7月24日 (月)

音楽備忘録1438 杜撰大王式バスドラ安定方法➊

筆者がバスドラヲタなのはとっくにカミングアウトしてるが、強い速いは勿論だが私的に拘ってるのは「聴こえる様に踏んだのは必ず聴こえる」なのだ。
それがSpeedkingを常用する様になって暫くは揺らいじまって、ってのは他のペダルより格段に踏んだまんまの音が出てしまうからだ。(忖度されるペダルに慣れてたから…💦)

んがその解消の糸口になったのは前からやってた練習方法で、それが例の俺言い「擬似Band」だったのだ。
少々過去重複するが要点を再掲しとくと、なるべく本チャンに近い状況で全体がどんな感じになるか知りたくてやり始めたんだ。

そいで最初はSnareの不要に弱い処のあったのが気になったが、その次はバスドラ16分音符連打の片方が聴こえないってのだった。
是又相当以前述の通りフレーズ次第じゃ、16分音符の入って無い大嫌いな俺言い「ドンパン節」と同じになっちまうからだった。

特にド――‐ドドってフレーズでBassとユニゾンになってるとで、Bassの16分音符連弾にバスドラが付合って無いのだってあるからねえ。
いやさ曲全体としてはBassが入ってりゃそんなに大差は出ないんだが、折角踏んでて聴こえなくて構わんなら何で入れたのってつい思っちゃってね。(不必要は省く程アンサンブルがスッキリクリアになる)

でこれはBassist等に依っても16分連弾の強弱等に色々違いがあるんで、踏みが弱くても聴こえる事もあるんだけどね。
それが又自分的には嫌で仕方無くって、どうやらその根底にはMixや編曲も手掛けたりするのが多いからなのかな。

個人的に毎度Mix時に迷うのが「ハッキリ聴こえる様にするか」どうかで、曲の責任者に存置しろと言われない限りは盛る!?のに腐心する箇所だ。
Bassが何等かの事情で小さくなった際のバックアップに入れてる等でなけりゃ、Mixer担当としては最低限「入ってるのは万人に分かる」程度にしとくべきと思ってんの。

それともう一点気になったのがBONZOのバスドラで、録り方等もあろうが劣悪聴取状況下だとご自慢の頭抜き3連が聴こえなくなるケースが多い。
彼等の場合そこはJazz寄りな価値観で問題視して無いのかも知れんが、ほぼ足だけが売りの俺にとっては頻繁にどの曲もそうなっては厳しい。

少なくとも1リスナーとしてはBONZOのも自分のも、なるべく何時だって聴こえて欲しい。
っつう処が出発点になったが、問題はどの程度にしといたら聴こえるかなのである。

太鼓は通常最爆音なパートなので、意図的に小さく鳴らすゴーストノート等以外は埋もれ難い。
っと思いきや爆音中の最爆音のバスドラって低音程等のせいで、目立ち度は太鼓中では最低な方だからか結構聴こえなくなり易い。

この最爆音の癖に聴こえなくなり易いってのが曲者で、単独練習のみでは加減が正確には掴み辛いんすよ。
特にエレキBass等の居る居ないの影響が大きく、実際に同時吹鳴させて比べないとアテにならんのどす。

=つづく=

2023年7月23日 (日)

50歳からのSpeedking(ペダルの話)㊳[1437]

一旦喋繰り出したら中々収まらない様相を来してるが、慣れない親切心を奢るとこうなっちゃうのはご勘弁ね。
さて足首主導使用時の結論だが、最大踏力が最小のなんでSlide奏法以上に多分最適で御座居ま。

まあそもそも足首主導踏み全盛期の設計なんでフィットして当然でして、それからすると実はSlide奏法が不得手な人に程ご利益があるんじゃないかねえ。
なんて今は語ってるが俺は安価とおぼろげ記憶でSlideと好相性な気がしての購入だったんで、少し考えりゃ分かるのを考えもしないで居たのである。😓

けれど実際足首主導が大の苦手だった俺が克服出来たんだから、これは公的に断言して差し支え無いだろう。
さあてここ迄を要約すれば足首主導向きなのは明白になるも、Slide奏法の適性は足首主導と比べてどうかだ。

個人差千差万別故敢えてベスト迄言わんが、純Slideになるとリバウンド性能が良くないとどうにもなんねえんだ。
程々の高速迄は微かに足首動作を添加可能だが、それを超えると足首じゃもう追従仕切れなくなるのさ。

その訳はトゥヒール若しくはその逆も、1打につき何処かを必ず1回動かしてるべ。
確かに足首と脚に交互分担させてっから足脚君にとっちゃ半速にはなってるが、その限界は例えばベロ使ってレロレロと言える速さ限界とかと近似なのだ。

唇を震わせてブーよりは振動数(動作回数)で明らかに劣勢で、しかし振動数を確実に制御可能なのが利点と云った両者は関係にある。
つまり純Slideは口置換だとベロ不使用のブーに値し、1打目のキッカケだけ脚で出して2打目はペダルやビータにかなり任せちゃってんすよ。

それって1打目を万一失敗したら補填不能だし2打目の方が失敗が顕著に表れ易い、ワイルドっつうか一寸リスキーな奏法ではある。
なのでリバウンドがまんまな程良いし、あんまり少なかったら不可能な技なんだ。

っとここ迄だったら良い事尽くめ間違い無しやが、スピキン君何分昭和の昔の人(しかも戦前派)だから現代感覚ではお節介が過ぎるのだ。
スピ君のお節介とはちゃんと踏むのを結構強めに促す処で、失敗すれば大泣き・成功したらやたらと称賛みたいに反応がオーバーなんだ。

但し現代ペダルに慣れてるとそう感じるだけで、本当はスピキン君唯々正直なだけなんだけどねえ。
分かって知ってみたら現代のはアベシぺダルと云った体で、如何にも正論ぽいと思ってたっけ実は全然出鱈目だったって。(漆黒の闇並だが真実なので断じて謝罪致しませぬぞ)

現世で壺まみれ与党の支持者は未だかなり居て、色々事情もあってにしてもそれが悲しい現実だ。
と同様必ずしも実社会では正義が大勝ちしないのも常で、スピキンが評価されなくてもそれは認めざるを得ない。

但しⅡで足脚奏法の真の姿をもし知りたかったら、他にあまり選択肢が無いとだけは断言出来る。
現代踏めてスピ君踏めないは多々あるが逆は疲れるだけで踏めんは無いので、訓練用途なら誰にでも激奨なのである。

<また冬眠!?>

2023年7月22日 (土)

音楽備忘録1436 音環境の変遷④

さて雑音が低減すれば聴取必要最低音量も昔より小さくて済むが、それは単に聴き取れるならなんざます。
今劣化本邦では久々の鶏玉子話しで歌声すら平均値が小さくなってるから、伴奏だって音楽全体だって小音量で聴けるって?。

ってつい思い込んでる人も居るだろうけど、無駄爆音が不要になったとかPianissimoが聴き取れる為の静寂だった筈なんよ。
特殊用途やジャンルを除いては’70年頃の音圧で既に大体足りてて、けれどすぐに歪みっぽくなったり周囲が喧しくて一寸上げたら更に険しい音色になったりしてたからそれに困ってたんだ。

けれどリスニングと称する状況では昔の方が平均音量は高く、只音色が今みたいに不要にキツく無かったからあまり知られてない気付けない人が多いみたいだ。
今劣化本邦のポピュラー系では高密度が大流行中だが、昔の理想は真逆だったん。

何せ実音より遥かに狭隘なダイナミックレンジだったから、一部の強コンプはAMラジオのシミュレーションみたいなもんでしかなかったんだ。
今なら最低でもmp3が基準だから昔のFM放送位でも少しはLo-Fiが演出可能だが、AMラジオとかアマチュア無線や果ては電池駆動メガホン位迄落さないと当時は明確な差別化が図れなかったん。

だがオーディオ以外各システム毎の基本的音質に未だ大差は無く、要するに普段耳にする頻度が稀になったからあんなのでつい喜んじゃってんじゃね。
良い方が増えただけで依然悪い音質のも残存してるんで、わざとじゃない限り落すなんてアホちゃうかいっての。

これも残念な文化程度状況とリンクしてて機器性能は上がったが、庶民の耳レベルが向上しない処か下手すりゃ劣化してんだろうな。
その根源は幼児の音楽教育にあると思え、ガキだからこれ位で充分なんて舐め切った対応してっからだ。

その時期人は知能的には殆ど未開発でも感性的には大変豊かなんで、極力最高峰のモノホンを先ず聴かせてやらんとイカンのだ。(万人に必要な基礎的英才教育か)
それを原体験しとくと後で何か聴かされた際、「確かもっと○○な感じだった」等と少し違えば瞬時に察知可能になる。

一般的にはClassicオケの楽器よりかつては童謡が先だったろうが、それよりアニソンの音質等が大変重要な鍵を握ってるんよ。
上記前者は教育現場でのだが教育は何も幼稚園・保育園や学校に限らず、後者の場合「大人から勝手に与えられた物」では無く大抵は初期段階の「自分で選んだ物」だからね。

かつてポケモンで強く発光する画面だとかにはクレーム付けた癖に、行き過ぎた残虐シーンもだが音や音楽の方には無頓着って視覚だけしか気にして無いんだね。
それも表面的な見た目重視で、現代の大人にはマッチしてるか知らんけど。

幼児の初期段階には流行なんて無関係で、唯々興味の湧いた対象が全てなんざます。
何処に目を付けるか耳を向けるか全く決まって無いんだから、全体にそれ相当の配慮が必要なんだよなぁ。

かと言ってこの少子化では商業的に旨味に乏しいんで、直接的に要望するには難がある。
けれどそもそも世間全体が音色にもう少し拘りがあったなら、ある程度こんなのは自然と解消してるかも知れないんだよね。

>つづく<

2023年7月21日 (金)

音楽備忘録1435 代用出来るか否か➋

前回の流れから今日はDrum Head(皮)についてだが、唯一を除き殆どの物については厳密に拘らなけりゃ代用大いに可能だ。
その唯一とは垂涎の本革ので、ファイバースキン等はかなり頑張ってるが現状では代用は厳しい。

っつうのは構造的に大きな差異があるからで、本革は単材なのが実現出来てないからだ。
だば他のはなして全然行けるかったら、バリエーションタイプの発祥にその原因があるん。

今時はほぼ出そろった感のあるヘッドも、’80年代半ば迄は発展期真っ盛りでのぉ。
’60年代後半からミュート等の工夫が色々世に普及したが、その皮を張るだけで該当の音色が得られるってのが始まりだったんだ。

勿論本革のシミュレートも研究されてたんだけど、当時の解析・研究・製造技術等の事情からまだ全然無理だったの。
その証拠ってのにはチト大袈裟だが楽器自体の音色改変の権化たるRingo自身は、スタジオでは本革・ライブではベーシックなプラのをずっと使い続けてる。

我々世代は初心者時代にラインナップが未完成の頃だったんで大いに期待してたんだけど、まあ正直吐露すると夢はあったがほぼ夢だけだったって感じすかね。
それと太鼓皮を論ずるにあたってはバチ(特に先端チップ形状)と奏法を抜きにしちゃ駄目で、弦楽器比で俺考奏法自由度が高いからこりゃ問題よ。

音源(皮と弦)自体の振幅比は大した差が無いが、弦楽器の殆どのは指板(フレット)との狭い隙間で動きが制約されるからねえ。
但し出て来た音色ではスラップみたいな大胆な変化は、太鼓の方ではほぼ無いけどさ。

その代りっちゃ何だが胴材の影響は弦楽器より遥かに大きく、つまりそれだけ音色を後から弄れる領域は元々狭いんだ。
かつて譲受物の所望より小口径で軟らか過ぎる胴材の太鼓では、幾ら腐心してもそんなにヘビーな音色は出せなかっただよ。

そう云や補遺も兼ねて触れとくと、弦楽器の弦長バリエーションは太鼓比じゃ随分少ないね。
とは言え玄人耳には明らかな差異もあって、只それが音色より反応差に表れてるんで非専門家にはあまり感知されてない様だ。

サイズの件は先送りとして太鼓皮については、ミュートスキル次第でスタンダードなの以外の必要度が変動するっつうのが現実的な線かな。
杜撰大王みたいに金に余裕が無く時間に余裕のある人に、手間は膨大でも方法に選択肢があるのは救いだす。

これが弦だとFlatは買わなきゃ始まらないし、それでいて通常皮よりゃかなり短寿命だから今となっては上級国民専用になっちまったのかねぇ。
流行り廃りがあるから仕方無いが、大昔はRoundとFlatの価格差なんて無かったもんだからねえ。

何れにしても選択肢が条件(主に金銭面)で限られるのは望ましくなく、それに依って流行りも左右されるのは考えて欲しいな。
恐らくもし価格差が小さかったら普段と違う皮や弦を試す人はもっと多い筈で、せめてそん位は誰にでも好きにさせとくれよって思うのは俺だけかい?。

=つづく=

2023年7月20日 (木)

音楽備忘録1434 歌唱に纏わるあまり話題に出ない話し

コーラスの項をやってて想い出した音程の個人の癖、を出発点に一寸ニッチなのをお1つだうぞ。
と言いつつそこは杜撰大王真のニッチは知見に乏しいし、ニッチと言えど誰でも関係してる話題なのでごんす。

さて概述の如くズレるとしたら人次第で高目とか低目傾向があるって記したが、俺知りで高目群の有名人は中村雅俊氏が即座に出て来る。
他にも居るとは思うが低目群に比べると少数派な印象で、それ故慣れるまでの違和感はあるがその後は独創性の方が上回る傾向にある。

さてⅡで誤認予防線を張っとくとどっちの傾向も、音程のズレがポピュラー歌唱なら許容範囲内での話しですぜ。
だから無造作に耳にしてればズレ感知はほぼゼロで、しかしジャスト例を良く知ってると何か少し雰囲気が違うなとか感じるヤツだす。

そもそも歌手だったらドラえもんのジャイアンみたいなお客無視野郎以外、少なくとも苦痛を与えぬべくどんな体質だろうと訓練してから披露するからね。
平時からわざと以外露骨にズレてるのなんて居なく、あっ只最近の口パクとか修正デフォの連中はどうだか知らんがねっと。😵

わ兎も角突発的非常事態に見舞われたりすりゃちょっぴり顔を覗かせたりするもんで、その主因殆どは歌う方よりモニタ状況(聴く方)にある。
但し1人だけ例外が声色は美しく基本歌唱力はかなり高いのに、時間経過と共にどんどん「上り切れなく」なって行って未だ完全復活に至ってないのが…。

私感では主因は耳の方にあるとみてるが、何分耳は他人との比較もし辛いし本人に自覚が表れる迄は対策すら立てられない。
けれど今本人は昔から内包してた自己傾向が、顕在化したものだとは理解出来る様になった。

何れにせよ音痴じゃ無いのに音程が怪しくなるとかにはこれの公算が高いので、現状無問題でも把握出来てた方が何かと便利なんじゃないかな。
これに纏わる外伝として初期THE ALFEEのチョイ変コーラス、これに本日は生贄になって頂きませう。

粗雑な俺が上がり切れて無いと駄目出ししたのは気持ち悪く感じられたからで、ってそんな権限は全く持合せて無いが独特な風合いとの解釈も一応成り立つ。
そんな調子だから一体何人の同意が得られるか分からないけど、望んでないのにそうなった或は意図的に味としてそうしたい際には本件への理解と実践が不可欠なのだ。

その手始めは歌ったのを先ず録って聴くのから始まり、結果がどうであろうと一切の邪念を封印しつつ判断する事だ。
但しⅡでどんなに想像と違ってても卑屈になっては駄目で、飽く迄建設的見地に立っての分析が肝心なのだ。

不慣れだと精神的ダメージが結構ありそうだが、そこはまだあの大歌手の足元にも及べてないんだからと落込む前に自重すべし。
本当に危険で明日が来なくなるのは無頓着やシカトの方で、その証拠に何時の頃からか本家では何らかの改良がなされかつて俺が感じた気持ち悪さなんてスッカリ無くなってんぞ。

>完<

2023年7月19日 (水)

50歳からのSpeedking(ペダルの話)㊲[1433]

さてSpeedkingでの足首主導の続き、体感的には普通のとどう違うのか記しておこう。
現況中古で構わなきゃ¥1.5万程度から出品があるものの、プチグレードアップされた後継機の新品だと何と¥4万位とバカ高い。

そこで興味はあるが高額で尻込みしてる人をメインターゲットに、買って困らないかを主軸に進めたい。
体感を文章で伝えるんじゃ限界点が低いが、巷で具体的な体感の公表が僅少の様なので挑戦してみっべ。

最初はダイレクトドライブ由来の踏み心地についてだが、筆者が他のダイレクトドライブの体験皆無なので不明じゃ。
っていきなり杜撰だが、遊びがほぼ無い事で衝撃緩和が無いのは他のでも近似なんじゃないかな。

寧ろダイレクトドライブの中では今や恐らく動作自体が
最鷹揚なので、他のより気にならないと想像している。
で全体の作りが今平均のとは絶対的に低精度なんで、いい加減な踏み方をした際の異音・雑音の発症率は高い。

尤もこれは現行標準品でも俺言い初心者忖度設計ので無きゃ、何らかの無駄雑音を出す公算は高い。
でⅡで粗相踏みするとアンダープレートでヒール部が強固に固定されてるの以外、どれでも少し浮き上がってガチャるのは大体同じだ。(何故そんな事を知ってるかは追及禁止ね😅)

但し実用上は現行標準のの方が重量があるので、その分だけ浮き上がり難いってのは多少はあるだろう。
但しⅡで浮き上がらずとも入力ベクトルがズレてたら、他箇所に動作障害が出るか雑音を発する事暫しだよん。

そして過去述の通り最大相違点はバネ弱関連で、これは最強にしても今のどれよりも踏力不要な程軽い。
しかもどのペダルでも打撃点(最も踏み込んだ位置)がバネ力は最強になるが、そこの負荷が圧倒的に軽いのが大きく異なる。

その程度は間違って足が触れた際等に顕著に現われ、僅かに触った・一寸突っついただけで鳴ってしまうのがスピキンだ。(反面だからこそSlide奏法には絶品なのだ)
上記の如くバネ最強点のバネ力が弱いんで、鳴ってしまう前に止ってくれるのが殆ど期待出来ない。

個人的にはリバウンド以外の機械的反力は一定な程良いと思ってるが、今のに慣れてると「行きそうに無いのに行った」となるのも戸惑いの一因なんじゃないかな。
それでいてスピキンは踏む速度や強さにバカ正直に呼応するのが、反応が精密過ぎて「大体一緒、同じ位」にするのにとても神経質にさせられる様な感じを受けるだろう。

それじゃあ不便だろう→ええ不便…確かに単打(特に打面押付け)だったらそんな感じもあるが、高速になって来たり連打になって来るとリバウンドの差で俄然鮮明に「演った事」が分かるんだ。
達人が足と完全一体化する等と語ってたのは多分この感覚を指してて、足とペダルが別々に動いてくれた方が良い人には辛かろう。

って本来そんなの打楽器としては邪道で、南京玉すだれで正確なBeatで叩けって強要される様なもんすよ。
バチ自体は撓り以外は不動だから自在な手加減が可能な訳で、だからほれ見た事かブラシはぐにゃぐにゃする分操縦が大変じゃないさっとね。

<つづく>

2023年7月18日 (火)

音楽備忘録1432 音環境の変遷③

私感では快適さが段違いになった乗物へ進むと、やはり窓の開閉状態に最大の相違がある。
直近の数年はコロナの影響で隙間は作られたが、特に自家用車でのオールシーズン密閉・空調使用が目立ってるかな。

電車の場合これと併せて様々な騒音対策が進んでて、警笛の使用頻度から発車ベル(昔はメロじゃ無かった)に至る迄豹変した。
それで駅から走行中の内外殆どが言わば静音化してるが、一部他人の迷惑顧みない同乗者だけはちっとも静かになっていない。

そこへ格段に増えた自動放送ってのが私的には相性が今一と感じられ、非リアルが細かな状況変化に対応し切れない点では却ってうるさかったり聴き取りが悪くなったりしてる気がする。
こうなった発端の1つに大昔山手線の線路端に住んでた事があったが、その時の深夜保線工事はとても害悪だった。

何が酷いって照明も声も全く沿線民を無視した状態で、単に眩しいうるさいより配慮の無さに閉口させられたんだ。
ので本当はやたらビビりになる必要は無かったんだが、某王手鉄道会社みたいに統一の図れない組織で事なかれ主義に陥ったんだろう。

屋内の話しと同様コロナなんかが無くても俺には車内空気の鮮度が気になるが、一時期よりはマシになるも詰込み客室で開口部が少なきゃ期待出来なくて当り前だわさ。
それ以上に気になるのが「雑音の音色」で、音量が下がったからってどんなに気色悪い音色でも放置される様になったのは最悪だ。

駅の発車ベルやブザーがメロになったのや警笛に気付かせるのが追加されるは良かったが、制御装置(VVVFインバータ)の変態音には一時期存在した「歌う電車」以外は全く放置されている。
加えて某大手系では無駄に音の大きいモータが未だ使われてて、旧態依然な是又某メーカーのだけ何時迄経っても改善が見られない。

これ他メーカーでは60年以上前から静音化してるんだから、政治的悪意等しか採用を継続する理由が無いからひでえ。
そう云うやマイナカード関連で確定申告の官製PCソフトが似た感じで、土台が98SE時代のソフトなのが見え見えだったねえ。

車の方も一点を除いては静音化が進んだのは結構だが、ロードノイズ(タイヤと道路の接触音)は寧ろ増加した。
こっちはラジアルタイヤが主因なので今更グリップに劣るバイアスタイヤへ戻れないが、エンジン音が静になったから目立つって主張を何時までも繰り返すのは聞苦しい。

結局折角雑音量を低下出来ても音色調整を放棄しては不快度はあまり変わらず、何かしらの音が出ちまう以上は音色とセットで考えてかなきゃ意味が薄いと思うんだ。
そしてここ迄で済みゃまだ容認したかも知れないが、暫く雑音の音色を放置してると思わぬ副作用があったのよ。

それが一般人を音量には敏感になるも、「音色には鈍感」にしちまった処だ。
小ちゃくなって悪目立ちしなくなったから音色ばどうでも…って、確かに普段の平均値はそうなってるんだろうね。

でも無音にならない限り出てる物は何処かで聴こえたり、やたらと気になったりする事が排除出来ないんだよ。
こんなのこそ文化程度の問題で、日本の凋落が露呈してる部分なんじゃないかな。

俺は悲観論者じゃ無いんで悲嘆やディスりが目的じゃなく、強力にあらゆる物の音色を気にして良くしろって吠えたいんだ。

>つづく<

2023年7月17日 (月)

音楽備忘録1431 代用出来るか否か➊

この処気が重くなる様な政治色もふんだんのが多かったが、世情から意識せざるを得なかっただけで杜撰大王は政治に洗脳等一切されてはいないのだ。
その証拠ってんでも無いが、全く離れて軽さMaxで色んなのの代用の可否を綴るとしよう。

と思い付いたのも自身が過去にに逡巡した経緯があって、意外とその手の情報公表が今も少ないんだ。
例えばオーソドックスJazzにGuitarはソリッドでも使えるのかとかで、この類のは総じて条件付き適用のが多数派なん。

んでその条件っつうのが状況次第で変化するから紛らわしく、あまり積極的に語られない原因でもあるんだろう。
だが不完全でも少しでもインフォがあれば試さなかったのに、なんてのが随分沢山あったとよ。

ので相も変わらずニッチ路線まっしぐらだが、体験した限りの実際を皆にくれてしんぜようっとな。
さて最初は拙ブログでは随時述の、巻弦の種類RoundとFlatの話しから。

この件で先ず挙げときたいのが現行品の実態は分からんが、Half Roundって中間領域の存在があった処だ。
俺が過去に体験したそれは正に全てが中間の性質で、半端ってば半端も強いての利点は不要にギラついたり安っぽくならないRoundってとこだったよ。

してその経験が本題に繋がるんだが、この件ではほぼ代用は不可でごんす。
エレキには大抵Toneツマミは付いてるんだが、最籠り設定で構わない時に僅かな可能性がある位だった。

一般的にこのチョイス時気にするのは音色だと思うが、確かにそれも違うけどもっと違うのが鳴り方なんすよ。
意外かも知れんがFlatの方がアタックが大きく出て、余韻が短めな感じになるんだ。

一部リッケンやグレッチには調整可能なミュートが付いてて、それを巧妙に利用すれば少しはシミュレート出来っけどな。
現行主流機種にそんなのは付いて無いし、かつてより歪ませて使われるのが多いから一寸苦しい。

尤もFlat弦が最有効化するのはクリーン時で、例えCrunchにしてもその歪みが目立たせたく無い時にしかあまりご利益が無いがね。
しかしジャンルや楽曲次第で「延び過ぎ迷惑」な時は今でもたまにあり、近年では「サスティンの悪い楽器」が希少となったから存在価値は無くなってないのよ。

Drumの皮みたくもう一寸ミュートしても使える音が得易きゃ良いんだが、弦振動なんて皮のそれより脆弱だからそうも行かんとな。
因みにFlatにするとスラップやピック弾き程相違は出るが、Roundでそれをした典型の音色を求めて無い時は全然行けるのよ。

今じゃスラップってばRoundが常識っぽいけど、発祥の経緯からするとFlat弦で演られてたのも結構多かったん。
っつっても俺自身はスラップ挑戦の時期の関係で、これは極最近Steely DanのPegを真似ようとする迄は実感出来なかったけどね。

他方ピック弾きでは現状リッケン使用末期のPaul McCartney’80年代初頭のが、長年遂に彼もRoundを張ったかと思う程紛らわしかったよ。
こっちでは他にⅡ期当時のRoger Glover、録音聴くとRoundだがLiveのはFlatっぽいとか未だ良く分かんないや。😅

=つづく=

2023年7月16日 (日)

音楽備忘録1430 歌のコーラス⑪

さてハモりも突き詰めれば底無し同然だが、それには環境や果ては聴き手の耳精度迄問題になって来よう。
ので我々一般ポピュラー音楽ではそこ迄拘る必要は極稀で、許容範囲に収められてたら大丈夫なのだ。

それを紐解くには一般歌手の音程安定度が無視出来ず、安定してるに越した事ぁねえが極端に行き過ぎると人の声らしく無くなるからそれも又駄目だったりする。
これは踊りと体操の差と似てて、正確無比だけを尊重すると大抵は表現面がプアになっちまうんだ。

一寸前の従兄の意味も無く音程が震え続ける声だと、何だか寒いか恐がってるみたいで気持ち悪かったがね。(失礼)
さりとて完全に一定になったら発振器のピーみたくなって、凡そ人のっぽく無いし完全無機質になって表現もヘッタクレも逸失しちまうだろう。

尤もそんな声を出せる奇特な人が居るか知らんが、まっ要するに音程だけだとある程度不安定なのが肉声なんだ。
それでハモろうすりゃずっと絶え間無しに完全にハモる筈も無く、そこからある程度「ハモりの相性」とかが出て来るん。

手前味噌では従兄のかつては音程がズレる時は上傾向があり、俺は下がる傾向があった。
ここ暫くはちっともハモって無いんでどうなってるか不明も、多分基本傾向はほぼ体質みたいなもんだからあまり変わってないだろう。

でこの点だけで評価すると相性は良くないが、従兄が下・俺が上パートを担当するのが殆どではこっちとしては合せ易い方だ。
一見キツイ状況も各自の弱点が出ぬ様自然と注意力が上がるんで、物凄く楽ではないが全体の結果としては比較的良好だ。

一方同傾向を持った相手だと楽になる筈も歌だけ勝手にハモったって、伴奏から逸脱したりが起きるんで気分は良くても結果が中々ついて来ない。
差し詰め合唱版良薬は口に苦しってなもんで、そんなだからひたすら美和声を追及する様なジャンル以外ではそんなに精度にだけかまけてなんていられない。

プチ脱線して美和声追及の世界に触れとくと、その様な代物では美和声を犠牲にする様な伴奏は寸分たりとも許されない。
そこ迄してるから本当に美しいのは美しいが、世の中美しいだけでは生きて行けぬ様に音楽だってそれしか無かったら飽きちゃうのよ。

その手のだと美しいは表現可能も汚いが完全レスで、つまり実社会の最高で半分しか表現出来ないからね。
っつう関係からポピュラーでは平均律になってる楽器の伴奏とも酷くズレたら困るしで、完璧な純正律に届いて無くても平均律のよりハモってりゃ合格って感じになってんだ。

それも第一段階は発声してるのの過半がハモってりゃ取敢えずOKで、その状態で加点はあまり多くないが失点はゼロと考えといて大きな問題は無い。
加点が多くないってのは歌唱力等は無評価で、曲ハーモニーの充実のみ評価対象になるって事ね。

無論そこからハモりが向上してけばどんどん加点されてくが、あまり上手じゃなくてもハモれてさえいれば損しないのが着目点ざます。
因みにユニゾンも一部ヲタ等に評価される可能性はあるが、全般の扱いはハモりとは雲泥の差で御座居。

-おしまい-

2023年7月15日 (土)

50歳からのSpeedking(ペダルの話)㊱[1429]

椅子高さの件で足首主導にも高い方が有利と記したが、個人差もあるから必ずしもとは限らないかも知れない。
まあそれ以上にスピキンのご利益が大きいのは確かなので、その後のスピキンでの足首主導の実態にチョイと触れとこう。

筆者はなるべくスピキンの「素の姿」を知って欲しいから、扇情的な表現を使っても実はかなり冷徹な感想を綴ってんねんで。
その証拠に今回は足首主導時の弱点晒しから行くが、人次第じゃビータリバウンドが強過ぎと感じるのとスイベル奏法に恐らく不向きなのを指摘しときませう。

前者についてはタイミングを合わせる事を中心とすると助かるが、強引に演ろうとすると途端に牙を剥いて来るのだ。
スピキン最大利点たるバネ弱にすれば相対的にビータリバウンドがより顕在化するが、それが仇となるケースがある。

っと言ってもちゃんと演奏出来りゃほぼ無問題なんだが、技術的に発展途上だと実に不親切に感じる。
それが中速域迄は兆候を見せず高速域で突然現れるんで、意地悪っちゃ意地悪な印象だ。

又バネ弱の高速足首主導で連続時程それが強くなるので、パワフルには良いが繊細にはあまり向かなくなってまう。
但しこれが高速足首主導ではパワー最強となる理由なので、この点は他の追随は恐らく許さないと思われる。

次に後者はリンクの構造上斜めの入力が非対応だから、ガチャガチャと騒音を発症する。
私例では中速域迄は直線的に交互動作が出来る様になったから無問題も、自身の限界速域で足首が勝手に左右にブレると途端にガチャガチャだ。

って俺スイベルの動きはとっても苦手なんだけど、1打1打をなるべく強くイーヴンにとの拘りの強さがスイベルと相性が悪いだけなのかな。
太鼓って理屈では手も足もパワーを抑制すりゃより高速化可能な筈なんだが、歌唱の地声と裏声同様自分にはあまりそうするメリットが無いんすよ。

どうやら体質的に平均より拡張領域が狭いらしく、今では見る影も無かろうがかつては地声の高音域がかなり広かった。
本人意識では裏声だと歪ませんとどうしても地声より非力な声色になるんで、ひたすら地声の高音程域拡張に勤しんだんだ。

楽器ではそこ迄の差は大抵無いが、「速くなると必ず弱体化」を極力避けるには同じ傾向かあるんよ。
要するに俺の標榜する高速っつうのは、少しの坂等では低速化しない高速なんだな。

強さに関してならお好み次第だがそうして奏法に依る音の差が僅少だと、楽曲内での応用範囲が他のとほぼ同等化するんすわ。
それに依ってフレーズの自由度は格段に向上するので、フレーズ思案に専念も出来るって訳。

っと少々横道に逸れたが単純な性能としては功罪ほぼ半ばと言うべきだろうが、俺みたいなニーズだと他の選択肢がほぼ無いんすよ。
因みに半私感っすが最強に出せる人の弱いのと、それが限界で出てる弱い音って全然同列では無いと思いますぜ。

余裕度が対極に近いんで、前者のだと音量のみならずより繊細な音色に出来るんじゃないかな。
ってそもそも強弱のコントラストが不充分だと、雑なお客(おっつ失礼)には差がちっとも伝わんねえって。

<つづく>

2023年7月14日 (金)

音楽備忘録1428 音環境の変遷②

続いては屋内について綴ってくが、私的に過去との最大差は窓の開口率を指摘しときたい。
杜撰大王だって若かりし頃には怪しいプライバシー等の事情では閉め切ってたけど、隙間風が入り難くなった今では開放感の方が恋しくなってるよ。

訊く処に依れば未だ日本家屋は密閉度が世界標準より低目だそうだが、昭和40年以前と比べたらかなり変ったよ。
高湿度な関係から通気性の方が重視されて来てて、そうしとくと筒抜けと迄は行かなくても音の透過は随分自由だったさ。

但し遮音性が上がったっつっても何分狭小で隣との距離が大抵は幾らも取れてねえんで、多少静かにはなっても換気低下で空気が悪くなる方が問題だと思うんだけどな。
私的にⅡでそれが行き過ぎた嫌煙権とも密接な関係があると見てて、誰も吸わなくったって空気の鮮度は過去比だと低いままなんだがね。

尤も喫煙者の俺だって狭小閉塞空間で煙が充満してたら不快で、即換気をしちゃうんだけどね。
わ兎も角TV等を小音量で流しとくには今の静かな部屋の方が良いが、それ以外の場面で特に日中に過度な静寂を
求める気にはあまりなれない。

音に関しての諸問題は一般人には主観メインなんで、自分の出したのは不問で他人の出したのだけ問題視するのも仕方無いんだけどさ。
けど音圧に依る疲労は何が誰が出したのかなんて無関係で、自ら爆音を散々出し続けてるとそれが良く分かっちゃうん。

端的に言うと気持ちや心理状態がどうであれ、限界を越えれば言い知れない苦痛に襲われたりするんだ。
最初の内はこんなに疲れる程はまだ演ってないのにとか、原因不明で疲労感だけが分かる感じで。

わ兎も角Ⅱで一般人は一旦静かなのに慣れると前よりにぎやかなのが鬱陶しく感じられたりして、主観自体が変容するから少し難しい。
それでも1つだけ断言出来るのはうるさいよりゃ静かな方が良いってので、寝る時ゃうるさかったら辛いよね。

そんじゃあ賑々しかった昔は皆今より寝不足だったのかったら否で、一部特殊環境を除けば夜はずっと暗目で静かだったんだ。
メリハリって点では昔の方が良好で、まあ睡眠に関しては今より平均運動量が多かったから眠れてただけってのもあったんだろうがね。

昼夜の区別については街灯の普及率もあるが、やはり絶対的な生活雑音に差があった。
特にかつては夜中大好き人間で、静まり返った中で自分だけ起きてるのが如何にも人知れず感があってね。

尤も24時間化が進んで気楽になったら、かつてあったプレミアム感はスッカリ失せて普通になっちった。
わ兎も角Ⅲで1つだけ(と言い乍ら2つ目だが😅)是又断言出来るのは、音的動静にも明確なコントラストがあったのは良かったかなあ。

今みたいにコントラストが弱くなると俺言い「リセットタイム」が得難くなってて、「静かな方の基準」がかなり曖昧化してる気がするんだ。
誰もが活動してたらあんなに賑やかだったのが、大人しくしたらこんなにも静かになるんだみたいなのがさ。

>つづく<

2023年7月13日 (木)

音楽備忘録1427 ノリを育む方法㉑

何だか一回おきに愚痴紛いになってるのを反省しつつ、具体的な方法の方へ移行しませう。
最初は跳ねに慣れる強くなるのの一種で、知人Classic系の人がやってるのの応用だ。

その人は速いパッセージを滑らかにするのに、跳ねて無いフレーズをわざと跳ねて弾いてたりする。
その意図はClassic系ってRockとかより裏拍中心のは少なく、オンBeat(合奏者の一定のリズムに沿わせる)のも殆ど無く独奏なら言わずもがなだ。

結果特に裏拍のタイミングが曖昧になり易く、且つ難易度の高いのだと裏直後の表が遅延気味になってたりする。
これが独奏なら比較対象が無いし大合奏では完全にシンクロしてる・させてるのは先ず無いんで、ポピュラー系のよりはかなりそれがバレ難いし気付かれ難い。

けれど「不要なオフBeat」はやはりノリ難いので、音楽性が達人級の者はそんな弱点が無い。
これも俺は今劣化本邦の偏向教育に源があるとは見てるが、Classicらしさの為にはオンBeatよりリズムの変幻自在性の方が象徴的なのは確かだ。

とは言え低頻度でも2台Pianoや連弾時に癖強過ぎると困るんで、メトロノーム不使用での安定度向上位は必要。
その訓練方法として裏拍のタイングが悪いと跳ね損ねたり、直後の表拍迄の時間がより短くなるんでそんな事をしてた訳。

実はこれメトロノームの使用不使用に関わらず全ジャンルに関係してて、もしかしたら跳ねないのが通常無いJazzからの逆輸入なのかも知れない。
かなり速弾きに自信のある人でも結構勝手が違うと苦労させられ、故にリズムのキレに疑問が僅かでもあったらお勧めの練習方法だ。

続いては打って変わってRock系でしばしば焦点になる、シンコペーション(我々称「食い」)の改善方法な。
私的には例外を除きコレが遅れるのをご法度してて、望まぬ間延びやインパクトの弱体化を防ぎたいからだ。

近回述のIsleysではブレイクで使われる際が多いが、食いそのものはそれこそ食い気味に入りその後を長目に取って整合を取っている。
のがJohnny,Louis & Charの一部曲(具体的にはFinger)では、キメの2拍3連全体を食ったままにと何とも大胆だ。

そんなんすりゃ当然2拍3連の箇所全体で恰もテンポアップしたみたいになり、その後は元に戻るからかなり癖物になるけどさ。
キメの箇所だけ太鼓がアクセントしか叩いて無いんで、若干怪しげだか一応普通に聴けてしまう。

最初は俺はそうせずオンBeatを死守してたんだけど、それだと決してテンポ自体は速くは無いので落着きが出過ぎてつまらないかも知れない。
Johnny吉長って元来Funkの人なんで、普段からそんな傾向はあったんだけどね。

この曲に限ってはあとの2人もガッツリそれに乗ってるので、意図的に詰まっても構わないとBand全体で判断した様だ。
何れにせよ勢いを付加する目的のシンコペでは、その効果を最大限に発揮させたきゃ遅れると効果が弱まる。

ベタではあるが音楽で「人を食う」の、リズムorタイミングでのこれが典型例だ。
音色やフレーズでも意外な所に飛べば少しはイケるが、聴き手が慣れても効果が持続するのはリズムで処理する方なんだよね。

>つづく<

2023年7月12日 (水)

音楽備忘録1426 歌のコーラス⑩

さて前回とはうって変わって、今回は所謂「ハモり」の音程面をプチ深掘りしちゃいまし。
なんて実際は今頃になって平均律と純正律の説明不足が心配になっただけだが、是迄とは少し違う観点から説明させて頂きやしょう。

コーラスは理論は準備段階迄・実践は感覚でと吠えて来たが、譜面を見乍ら歌うClassic系のコーラスはどうなのよってなっちゃうわな。
先に回答を記すと彼彼女等も「ハモりは感覚」で演ってて、譜面は曲構成や音程ラインの補助としてしか使ってないん。(充分な練習後にはですが💦)

正味な話し出鱈目なポンコツ合唱団ではどうか知らんが、マトモなのだったらそうしなきゃあの美麗で調和の取れた響きは得られませんの

イメージ的に複雑な譜面を凝視したりしてるのがClassic系では際立つが、実際は見るよりどう巧く料理してやろうかと考え込んでるとかの姿なんだ。

所謂「初見が利く」って特殊才能の持ち主だと、その時点で70%以上とかの完成度が出せるけどね。
譜読みに対して凡才の人は訓練を幾ら積んでも、完全無記憶では完成度なんて到底目指せないんざます。

寧ろ自分の苦手箇所へ関するのに全集中したりする為に、一時的に記憶を譜面に預けるってな感じなんじゃないかな。
自身は正規に譜面を使って奏でた事は無い…って杜撰だけど、音楽って所詮は耳加減での手加減しか最適解は導き出せないんだ。

この辺りがとってもお利口!?なAI等の導入を阻んでる処で、大昔述「Bass等の低音程が場所や条件次第で実際高くとか低く聴こえる」が机上では無かったのが実際地上じゃ起きちゃうんだ。
それが例えば記録に残さないLiveだったら、観客席の平均値で最もハモる様にしないとお客さんガッカリあるね。

録ったのを売るのが主目的だと、邪道だが「録れた方の」へ忖度するケースもあるけどさ。
又俺自身は普段幾らも気にならんししてないが、通常の打込みでは純正律のハモりが出来ない分魅力を感じてない可能性はある。

ではその筋のヲタ氏はどうして凌いでるんだってば、何と1音毎に音程をマクロ調節してるんだってよ。
氏曰く「楽器が弾けないからの打込み」なんで、学びは全て人力の名演奏に絞ってるんだと。

楽曲はオリジナルなんで完全な再現と迄は言えないが、「弾けたらこう弾く」を限りなく追及してるんだそうだ。
現況ではボカロの性能に不満足か歌物は出て来て無い様だが、歌える人のリアルタイム感覚と同じ様にきっと微調整を延々やって追及するんだろうな。

っても↑は楽器でさえ気の遠くなる様な苦行なんで、肉体が感覚にリンクさせられたらそうしないと中々完成しませんがな。
因みにより商業チックな打込みフルオケでは一々全部は手を入れてられんが、マトモな作品のマトモな作者だったら正規音程で打込んどいてもどうにもならない箇所位は必ず修正を入れてるさね。

-つづく-

2023年7月11日 (火)

50歳からのSpeedking(ペダルの話)㉟[1425]

ドラムの足脚と椅子高さ案件の閉店セールと称して、元々はずっと激低派だった杜撰大王があっさりそれを覆した経緯をご参考に。
先ずはその俺言い激低を実現する為に払った多大な苦闘から参るが、その頃はそうまでしても頑なに激低が良かったんだ。

因みに激低とは足裏がフットボードに着地して太腿がほぼ水平になる位なんだが、決して絶対値の長くは無い脚の杜撰大王だと非常識に低く出来る椅子じゃないと駄目だったん。
そればかりかSnareスタンドだって併せて低く出来るかに用心深くしてないとあかんし、当時大流行中だった深胴も特にTomは高さ都合で苦手だった。

それでいてバスドラは大口径程喜々としてたんだから、凄い矛盾の塊でんがな。
で価格以外は上記条件を最優先で選ぶしかなく、他所で足りるだけ下げられない場合は普段通りのプレイが不可になって演り難かっただす。

当時は非本職・叩くのはほぼ自宅・使用セットはバスドラ20inchのと、少しアブノーマルな状況が続いたんで高さも長くそのままになったんだろう。
にしたって踵が突っかえない様にするにはかなり爪先ピンにしなきゃならんから、無自覚だったが負担も大ききゃフットボードの傾斜にも妙に神経質になったりしてたわよ。

只当時は今以上にSlideのパワーとスピードだけに執念を燃やしてたのと、若くてゴリ脚だったから過負担無感知で全然気にならなかったんだろう。
して色々あった筈の不都合の内今回は足脚だけに絞ると、足首主導の爪先上げが窮屈な体勢だったから余計に挑戦しなかったのかも知れない。

って本来はフレーズの精度や完成率でそれじゃヤバくなる筈だが、例の手下手のせいでニーズを感じなかったともう当時から杜撰道まっしぐらだったんだね。(今頃気付くなっ!)
記憶の隅をつつくと若干危うさはあった気もするが、兎に角SlideでDoubleは一応一通り出来るんだからと他の方法を試す気は起きなかってん。

それがいよいよの漸く揺らぎ出したのは、Drumsetの更新だった。(この時点でまだ副業だが歴約10年経過)
っつうか自分でちゃんと選んだのは後にも先にも現時点ではその時だけだが、兎に角それで標準サイズのセットに変更となったん。

そこ迄の間に自宅内は非土足なのと当時常用してたウエスタンブーツの踵の分、自然と激低姿勢は少し緩んでたんだけどね。
しかしそれでもまだ自覚皆無のままで真面目に椅子高さを検討したのは、Speedkingを買ってどうしても攻略したくなってからですよ。

この時点で何と歴40年弱が経過してた上、途中から副業では無くなってたのに酷い話しだ。
そんな今思えば全くどうしようもなかったのが、色々なニーズに目覚めたら突如ガラっと豹変しちゃったんだよ。

ほんで全く低く戻そうと思わなくなったのは、俺の場合「窮屈だと思いっ切り蹴られない」ってのが本音だす。
超高速3連打や連続Slideはその最中こそ脚はミニマムストロークになるが、勢いを付けようとすりゃ予備動作は普段より大きくなりがち。

椅子を上げた当初はそれだけが理由で、足首主導が演り易くなったのは俺内では副産物でしかなかったんよ。
実際は足首主導だって激低だと少し演り難いが、Slide奏法程大きな影響は出ない。

尚現行の椅子が旧標準高さにしてからは他のペダルでも少しは得意技が可能化したが、今迄色々試奏した限りでは他のだと差し詰めスピード一家来(いちけらい)!?って感じだ。
やはりビータのリバウンド性能が他では全然弱く、素直に速く踏む程速く返るが無いので厳しい。

処で従兄にそろそろスピキンでやってみたらとメールしたら、何だか返事が返って来なくなっちゃったよ。
良く考えたら普通のペダルで一応出来る様になったのは結構大変な事で、こちらとしては無駄に疲れないのを祈るばかりだ。

<つづく、か>

2023年7月10日 (月)

音楽備忘録1424 音環境の変遷①

手を変え品を変え音の硬過ぎ包囲網を忌避してるのは齢のせい?、幾らかはそれがあるのは否定出来まへん。
けど近年により頑強に抵抗心が芽生えたのは何故、ったら生活環境音が昔とは随分違ってるじゃないの。

どうやらそれに依っても音楽に求める物が変化したらしく、このシリーズでは外堀を徹底的に埋めてご覧に入れやしょう。
最近人生がハッキリ後半に入って、過去記憶の再確認がしたくなってね。

そんでYoutubeで色々古いのを漁ってんだけど、そしたら工事の騒音っつうのがまるっきり変ったのが印象に残った。
昔ってのは昭和の事でそれが’80年代以前なんだが、今みたいな騒音規制等が無かったからそらぁもう酷いもんだったんだ。

今より音量的にかなり大きかったのもだが、それ以上に音質が過酷だったのよ。
先ず典型が所謂「杭打機」で、巨大ハンマーでガツン カツンとやってたんだ。

今は恐らく油圧とかでじわじわ押込んでるんだろうが、当時のハンマーは当然人力なんかじゃ持上げられないから機械で引っ張り上げて。
で所定の高さ迄上がったら、後は引力で自然落下させてホントに杭を叩く。(しかも殆どカバーとかが無く剥き出し!)

から振動だって半端無いけど主に金属同士のぶつかり合いだから、そん時凄い衝撃音が爆音で出てたんだ。
他にも道路工事等で地面を叩く機械のが凄く、近付けば会話不能な爆音でそれ等の不快音が至る所でこだましてたん。

それをキッカケに少し拡げてってみると、花火以外で小学生とかが火薬の爆裂音に触れる機会が何時の間にか無くなってるな。
当時の世間の安全基準はバカやれば被害があっても当然ってな具合で、悪戯坊主は幾らも気にせずかなり危ない橋を渡ってた。

つまり耳の側で爆発させりゃ無事では済まず、俺自身も耳の安全回路が作動して数分位何も聴こえなくなった経験はあった。
そんな風に生活雑音で望まぬストレスに晒される日常だったから、幾らワイルドな爆音でもそれが楽しみ目的のだったら今みたいな硬いのは誰も欲しがらなかったんだよ。(技術的にも不可能ではあったけど…)

色んな再生機器でも音量の定義が今とは違うのが多く、どれも今比じゃすぐに歪み出して喧しくなるから歪む手前に留めるのが常識だったかな。
絶対的音量では工事騒音等以外は今よりかなり控え目も、音色が凄い事になって堪らんからそんなにしてたんだよ。

それも嫌でも音量不足から歪みに堪えなきゃならない場面が多数あり、そう云う意味では世間一般人が皆Metal Guitaristみたいな歪みの洗礼を受けてたんすわ。
この観点からしたら実は今の爆音マニアの方が、歪みを聴くトータル時間はきっと全然短いよ。

そんな世界が嫌で音響屋は出力余裕や歪み率低減に腐心して、折角クリーンな音世界が獲得出来たのにね。
したっけ一部の者が刺激不足を感じたか知らんが、わざわざ過硬音質や過圧縮音圧にするんだから馬鹿としか言い様が御座居ません。

-続-

2023年7月 9日 (日)

音楽備忘録1423 ノリを育む方法⓴

ノリの話しにしては大小だの挙句は観客がなんて随分な大風呂敷だが、なまじ感覚の問題なだけに文化的背景も多大な影響があるのだ。
現代ではダンスBandでも過去みたいな大スケールのノリはすっかり影を潜め、良く言やずっと洗練されたがせせこましいのしか居なくなって久しい。

音楽の楽しみ方が大昔のLive中心から、スマホで個人が普段になったからだわよ。
静かな電車内で独りで妙にエキサイトしてたら今時は通報もので、何せ周囲に迷惑が掛かって無かったら何聴いてるかは分ねんだから。

只私的にはいい加減で次のフェーズへ移行すべき時期と考えてて、個人で聴く機会が激増したからこそビッグスケールグルーヴも再興すべきだとね。
つまり「音に依るバーチャルイメージ」で、誰かと一緒に聴いてる感覚を提供してはってさ。

ってこれってゲーム音楽等の世界では既に浸透してて、しかし純粋な生演奏は内容との整合性もあって稀な様だ。
だいいち生でもデジタル楽器で代用してたり、Click常用じゃあわざわざ予算掛けても効果の程が知れてるもんなぁ。

そんな現況を無視しても困難化してるのが、実行には奏者にある程度実体験が必要な処なのだ。
年寄だったら大昔を想い出せば少しは糸口もあろうが、例え他人にあまり迷惑を掛けなくても成人式のフィーバー(おっと死語出た:集団興奮状態!?)すら許さないご時世だもの。

コレ若者で踊りやイベントに興味が薄く、でも音楽のグルーヴにだけ興味がある人にはかなり過酷ですがな。
大昔の俺が正にこのタイプでしかし当時は今以上に、何某かの祭り等盛り上げて欲しい場面でだけお呼びの掛かる事が多かった。

こっちとしては弾きたいだけでも大抵は興味薄の観客を、折角なら少しは盛り上げたくなって。
相手に目の前に居られると、無視する訳にも行かないからね。

変な発想だが「望まぬ出場機会」ってのも、こう云う案件だと奏者にとっちゃ結構貴重な体験なんですよ。
そんなのが実はポピュラー系の基本で、例え特定ヲタ対象にしたって少しでも分り易い方が良いに決まってるさ。

少し脱線するが当時リアルタイムで聴いたプログレは難解で、又随分とひねた真似するなあと感じてたんだけどさ。
今になってみると慣れてなかっただけで、実際は難解でも何でも無かったんだなあって。

興味が薄かったんで全く掘らなかって、けど良く考えてみたら「難解な印象」ってそれなりに分かってた証拠だったんだよ。
尤もノリやグルーヴだと直接感受性に訴えかける方が良いんで、上記とは逆に第一印象が良くないといけないけどね。

万一将来達人が減ったら生演奏は稀有になるかも知れないが、現況は単にコスト上の都合が中心だ。
そうなるのはマクロ観点では「フレーズの最適化」等があり、現在使われてるフレーズの大半は元が手弾きのものだからだ。

人がリアル楽器を奏でての最高峰なので、ノリやリズムタイミング込みで成立してるん。
雑音が入らず音質も良くヨレやミスの無いのは素晴らしいが、↑の最適化が困難なのが打込みの弱点。

たればこそ人力で奏でるなら、これをある程度以上負い込んどかないとしゃーないんじゃね。
っとオジサンは思うんだけど。

>つづく<

2023年7月 8日 (土)

音楽備忘録1422 歌のコーラス⑨

さて弾き乍ら歌えとかLead Vocalも取れる位とか、オッサンうるさい事いってんぞなアナタ。
確かに今劣化本邦の平均環境じゃ、大声で歌える機会が少ないから中々厳しいかもね。

けれど健全な音楽的成長!?つまり自分らしく己の個性を育むのに、既存の環境が適してる事はかなり少ないんだよ。
環境や経緯も個性の内ったらそれもアリだが、望まぬ変境のせいでゆがめられてても構わないのけってな。

これが又グループ全体にも及んでる可能性大で、本当に単一Vocalで良いのかも大いに疑ってみるべきなんすよ。
っつうのもBand系の人の初期段階にはLead Vocalの人だって、他ジャンルのそれと比べたら歌唱力に劣る者が多いんじゃね。

伴奏が他力本願でもいいジャンルでは純粋な歌手意識が高く専念出来るのもあって、もっと出来上がってからじゃないと他人様に披露する気にもならないんじゃないかな。
そんなのが今劣化本邦だと並べて掛る事が少ないが、歌物にカテゴライズされれば本来他のあらゆる歌物がライバルなんだぜ。

ひたすら練習してもリソースが分割する分分が悪いんだから、どうやって加点を増やしてくか最低限は考えんと。
相手がコーラスグループだったらお手上げも、歌専のコーラスグループってブーム時以外は少数派だ。

ま要するに下手な鉄砲数撃ちゃ当たる式で、こっちは束になって歌わないと最初から勝ち目が無いんだわさ。
他方弾き専の独奏者と比べたらたかが普通のBand如きじゃ、演奏力の絶対的な差は先ず埋めらんねって。

そんな中折角秀逸なアイデアを想い付いたとか、結構良い曲が出来たらどうにかしてレベルを充足させたいやんけ。
となればなるべく「皆で歌おうとしてみる」のが自然で、メインVocal・ハモり・演奏が夫々相互補完する形に近づく筈なんよ。

故に日本のBandはポストGS期以降、海外比だと成長の仕方がちょっとおかしくなってんじゃねっと思うだよ。
俺はグループサウンズと呼ばれた系列はかなり嫌いで、若い頃は悪ふざけ以外じゃ絶対そうならない様に頑張ってましたよ。

けど何時何処の誰がどう間違えたのか知らんが、コーラスレスにしちまえとは微塵も思わなったねえ。
あれはBand黎明期に今みたいにタレント性だけに忖度した結果に過ぎず、海の向こうじゃ日本のGS期の前も後も一環してハモり付いてたやんか。

素人耳にコーラスの有無はその存在が際立ってなきゃ気にならないが、演ろうとする側がそんなじゃそりゃ駄目だ。
割と日本って古来から1つ形が完成すると執着する傾向があるみたいだけど、大昔のは形は1つでも万能に近かった。

つまりは熟成された職人芸だからそれだけで持ったのであって、そう云うのは何時の時代だってとてもじゃないがインスタントにゃ行かない。
だからこそコーラスを無視するとか挑戦を放棄するのはアホな所業で、すぐには採用しないとしても来たるべき日に備えて密かに取組んどく位は皆しないとさ。

長年スポーツ等で外人コンプレックスみたいなのが払拭不能だったのと同じ様に、順風が吹いても海外で評価を得られないよ。
平成以降日本は一党独裁状態で経済が底触してるんで、国内の売上げだけで食べてくのはもう難しくなっちゃったんだ

-つづく-

2023年7月 7日 (金)

50歳からのSpeedking(ペダルの話)㉞[1421]

さあもう一寸だけDrumの高目椅子の話しを続けるが、今度は体感面と音的得失だ。
こんな事今は言ってる杜撰大王も、過去には違和感が払拭し切れなくて殆ど試さなかった時期があったんだ。

楽器演奏の特にその姿勢には理解を越えたのとか非合理なのがしばしばあるが、奏者本人だけにはそれなりに理由があったりするもんだ。
それを考慮に入れると変更タイミングにも各自に「適した時期」がある気がして、無理して性急に椅子高さを変更するのもどっちらけだ。

だが足脚の都合上は試すにも練習してみるにも適正高さはほぼ前提条件なんで、そんな際は足のお試しや練習時だけ高くしてみりゃ良いんすよ。
過去概述の如く近似な音を得るのに幾つかの技が存在する時は、大抵向き不向きってのが出て来ちゃってん。

不都合ってばYesなこんな現象も、反面得意を生み出す原動力であったりもするんだよね。
最不幸はどれで演ってもパッとしないってので、最高記録は伸びないし没個性で凡庸だとホントに困っちゃう。

のを逆手に取って椅子を低く維持したいを考えると、もしかしたらSlide奏法より足首主導奏法の方がマッチしてるって前兆なのかも知れない。
俺身近例ではゴリマッチョ系は割とSlideしてて、細マッチョ系は足首主導をメインにしてる人が多い。

コレ体質が柔軟系(一般的非パワー系)の人の方がリスト等が相対的に強い傾向がある様で、腕相撲で勝利寸前迄持ってけるのに最後の最後で勝ちきれない相手とか居ましたわ。
その人非力な癖に手首力だけやたら強靭で、幾ら体重迄乗せてもそこに居合わせた誰が挑戦しても落とせなかったよ。

但し色々な局面への対峙を重ねてくと余程得意な方の技でカバー出来ない限り、苦手な方のも少しは演れる様になってないと不遇を託つケースはあるん。
お馴染みの極端比喩れば一般セッティングのDrumsetでは、幾ら器用でも流石に足でSnare・手でバスドラは奏で難いっしょ。

そんな風にフレーズ次第じゃ奏法が半ばセットになってるのがあるんで、その系統のフレーズを放棄しない限りは完全に片方だけで行くのは難かしか。
あと上記とは別にもう1つ考慮点があり、万人に関係する疲労度の問題だ。

何をどう演った処で少しは疲労は蓄積するもんだが、この手の技はアクロバット寄りなんで身体負荷も軽いとは言い難い。
その為幾ら技術を高めても疲労問題から完全開放はされず、現実的にはどう上手に散りばめてくかになる。

その際に一応でも2刀流になれてると、使い分ける事で疲労箇所の分散化が図れるのだ。
それが若く元気な内は然程問題とならなくても、加齢劣化して来ると他人事じゃ居られなくなるんすよ。

体力・気力共余力が無くなってからでは、同じ位新技習得も困難になっちゃってるからねえ。
従兄の場合Slideも足首主導も連続のみ未達だっただけで、低速なりに老化前に一応一通り基礎程度はマスターしてたんだ。

-つづく-

2023年7月 6日 (木)

音楽備忘録1420 適切な音楽の評価方法⑰

この項最後は誤判断について綴らせて貰うが、当方は杜撰大王なんで自慢じゃ無いが間違いの宝庫だから何でもあるぞ。
って自分で言ってて少し悲しいが、誤判断にも許せるのと許せないのがあんねん。

っつうか後で挽回可能とか微笑ましい・気持ちは分かる類いのと、無責任とか偽広告紛いの一寸悪質なのとかに別れんだ。
その中で問題度が高そうなのを幾つか絞ってくと、調査の杜撰さの為に知らずに酷い頓珍漢な断定をするってのが先ずある。

私的には特に近年になる程酷いと感じるのが、過去作を無視して断定する奴な。
過去作に無興味な人にとっちゃ知った処で気持ちは変わらんのかも知れんけど、過去作が無かったら今日のも未来のも存在し得んのどす。

そう云う意識を常に少しは持っとくのもリスペクトの内で、俺は承認欲求が強い程他人の良い処は例え無興味・好きじゃなくても認めるべきだと思うでえ。
人には大なり小なり「贔屓」の心理が自然と湧くもんで、無意識な場合が多いだけに自らの偏寄に気付き難い。

冷徹な判定には邪魔だからそれを殺せば…は一理はあるが、好き嫌いを封殺すると道連れに感性の鈍化させる恐れがある。
ので「凄く好きだけどきっと大した事ねえわ」とか「下らんと感じるが完成度には一寸嫉妬」とか、嗜好を温存したまま分別出来ると良いよねえ。

お次は結果としては言語道断な所謂「盲信」で、一定期間以上自己催眠や自己洗脳状態が続くと無理が通れば道理が引っ込むに陥ってるヤツ。
これには当然外圧に依る洗脳だってあるが、個人内で完結してるとより気付け難いからねえ。

そしてコイツには近似でもっと緩やかな感性・思考硬直化っつうのがあって、その成れの果てのに所謂老害の1パターンが含まれてたりする。
営業上誰かの太鼓持ちの立場にあれば、当初は内心気付いててもひたすら推したりしてても仕方無い。

だがずっと2つの顔を維持して使い分けるのは楽じゃないんで、人次第じゃメンタル自己防衛本能が発動して不都合な真実を抹消させたりするんだわ。
その後周囲の境遇がもっと劣悪だったりすると、これ位の妥協で済むならマシと抹消したの自体を記憶からも消去。

今劣化本邦ではこれが最も多くあのジャニー氏の没後数年経って、やっと批判にも人権が認められ始める始末だ。
私的にその実態は性犯罪と爆売りしたのの評価割合だと考えてるが、最初から容認と否認の両意見があって当然だった筈なんだ。

少なくとも非公式な否定派位は居て当然なのに、本家が頑なに否定するのは仕方無いがそれを鵜呑みにして疑念すら持たないってのがなぁ。
それじゃあ人間なのにポンコツAIと一緒で、判断力を放棄してんだから何も正常な判定なんか出来なくなってるんだ。

音楽はあまねく自由なので歌詞だけ聴こうと何しようと構わんが、そんなんで知ったつもりになられるのだけは願い下げだ。
この国では少数派でも、音にしか興味の無い人にも居場所を与えろや。

>一旦幕<

2023年7月 5日 (水)

音楽備忘録1419 ノリを育む方法⓳

項が進むにつれ俺言いも溜って来たんで、それを順に掘り下げとこう。
最初はグルーヴのスケールについてで、仮に大きいとか小さいって一体何なんだから。

世の中には色んな分類・解析の仕方があるだろうが、俺は同一グルーヴの継続時間を1つの目安にしてるんだ。
実際の楽曲にベストな状況にしようとすると、前回述の如くずっと同じとか1種類だけでフィットさせられる事は少ない。

さしものIsleysだって継続時間が長く種類を最低限にはしてるが、最も得意なのが長く多く印象深くなってるだけで全く不変にはしてないんだ。
それが分り易いのがミディアムテンポのBalladeで、キメは重くしてあっても普通の歌バックの部分はニュートラルにタイミングになってんだ。

では大小に加減するニーズは何かってば、フレーズ次第で同テンポで奏でてもそう聴こえないのがままあるからだ。
それを逐一調整するとしかし全体の流れは今一落着きの足りないのになり、全く変えなきゃ無表情になる上部分的に緩慢な印象の箇所が出来てまう。

ので人力天然状態では上記の間の何某かで普通は演られてるが、グルーヴを最重視すると流れの変化は最小な程良い。
飽きない範囲で同じのが続くのが聴者には乗るのが一番楽で、要するに想定通りに次が来るから外した際復帰が簡単になるんだ。

なので人次第てばビッグスケールのグルーヴを重視したりするが、それを成すには不変リズムの上で幾らでも変化をリズム以外で与えてやる必要がある。
処が大きいノリを好む者に限って大抵は変化スキルに乏しく、言い訳に利用してるだけなのは困ったもんだ。

そもそもグルーヴとは踊れるとか
踊るのに好都合なものであるから、誰もちっとも踊りたくならない様な曲でやっても無意味なんすよ。
無論細か過ぎたり主軸がどれか分からない様じゃそれも駄目だが、上手くその曲のメイングルーヴを打ち出せてれば縛られる必要は全く無いん。

Isleysの例では言わば「俄かダンサー」に配慮して、適宣「休憩箇所」が設けられている。
バリバリのプロダンサーなら兎も角、一般人にはそんな体力や振り付けスキルなんて無いからね。

この面では演奏継続時間体験もかなりものを言い、演る方も観客の方もヘトヘトになる迄続けると自然と加減が身に付くんだけどね。
残念乍ら今劣化本邦では「ハコバン」なるものがほぼ死滅してるんで、自ら意図的に企てないとそんな経験を積めなくなっちまった。

因みにハコバンっつっても色んなのがあったけど、その嚆矢はやはりゴーゴー・ディスコ等お客を踊らせる店のだろう。
レコードやCDでは「一回り延長」が通常は曲単位でしか出来ないし、凄腕DJが居たって演奏内容は全く変えられない。

生演奏ならそれ迄入って無かったSyntheの白玉を追加する位なら誰にでもお安い御用なのに、機械だとリアルタイムで追加するのは酷く大変になるじゃない。
そうしてみると過去の黒人系のに大きいグルーヴが多かったのも納得で、それは主要顧客の体力とも関係してたんじゃないかな。(或は踊り慣れてるお客が多かった)

>つづく<

2023年7月 4日 (火)

音楽備忘録1418 歌のコーラス⑧

コーラスで難し目コードを克服してる例から参るが、その内で鍵盤等や楽器数を増やせるものは単に趣味の都合だろう。
だが多分一般的4人Bandでも1人がVocal専門だと、楽器パートは実質3人きゃ居ないんですよ。

っう事って一応5人未満のユニットを対象にするとして、かつては「コーラスグループ」とも呼ばれた存在にスポットを当ててみよう。
象徴的なのとしては歌専の人で成立してるので、所謂Folkや黒人系にかつては沢山居た奴等だろう。

それに対し基本アンサンブルは自前演奏群のもあり、Carpenters等はメインVocalistが楽器を離れて前に出て来たりするから是又ややこしい。
Isleys等はキャリア途中から演奏が自前化したりしてるが、その手の連中に共通なのは弾き乍らでも歌えるってのが重要ポイントだ。

これがポピュラー系曲には最も高効率な方法で、プログレのYesですら印象とは違って実際はこっちの口なんだ。
あのVan Halenですらコーラス頻度がかなり高く、それだからこそ変態Guitarで凝った曲を演ってもポピュラリティが維持出来てんのよ。

一口にコーラスグループっつっても上記みたいな種類違いがあって、自前演奏群の人達の中には和声充実の方へ主眼を置いてるのも居るんだわ。
とメリットが分った処で歌い乍ら弾けない事には始まらないが、良い意味で演奏を妥協すれば殆どの人が歌える筈なのさ。

弾き専で来ちゃってると当初暫くは、息苦しさとか違和感があるだろうがね。
俯瞰すればそれだけ常時余裕が無かった証しでもあって、演奏忖度視点では良くてもアンサンブルとか曲再現視点では必ずしも最適な状態だったとは言い難いんだ。

悪く言や絶対的必要性以上の小細工とかしてた疑いが濃厚で、結果的に曲には大して貢献しない単なるエゴでしかないっすよ。(盛り上げようと躍起になったつもりが俯瞰したらKYプレイヤ化してたとか)
演奏程度云々以前にコーラスの有無はパート数が変る訳で、正に多勢に無勢なんだわさ。

小編成になればなる程何種類の音が存在するかの影響は大きく、歌えても歌わず奏でるのに専念するってな独奏+伴奏に近いと看做せる。
その中でVan HalenやQueenはLiveでも演奏補助要員を使うのが少なく、録音では大抵多数重ねられたGuitarが1つだけになっていた。

後者は録音だとコーラスももっと多重化させてたのが多かったが、どっちももし生コーラスレスだったら酷く淋しいアンサンブルになってたろう。(Guitaristは独りっきゃ居ないんだから)
The Whoの場合は約1名狂人が居たので、コーラスレスになってもまだ少しはマシだったかも知れんがね。(っと言っても殆どのにコーラスが付いてたが…)

何れにしても4人編成で全員が奏で乍ら歌えると、パート数は8つと一気に倍増する事実は認めないとね。
まあ同時に2つの楽器を皆が演奏可能ってんなら別だけど、その場合今度は片手かそれプラス片足で演奏可能なのに限られて来るで。

-つづく-

2023年7月 3日 (月)

50歳からのSpeedking(ペダルの話)㉝[1417]

ってな事ってもしパワー懸念だったら椅子を少々高めたって大丈夫なのを綴ったが、その他に弊害は無いのだろうか。
を本日のお題にすげて、色々考察してみませう。

筆者の雑な性分から見落とし危惧は免れないが、差し当たり普通のプレイをするなら障害は見当たらない。
コレGuitarやBassのストラップ長さと同様で、腕の長さが極端な人以外特段困る事は無い。

太鼓の場合は椅子が高まる方が楽器との距離に余裕が出て来るが、強いて言えば凄く繊細な演奏をする際だけ一寸不利になるかも知れない。
老眼等を除き精緻な作業時は近付くのがデフォで、それはDrumだって一緒だ。

但しそれも胴体の硬直を堅持してたらで、そもそもは胴体に柔軟性を持たせとかなきゃいけないそうだけどね。
敢えてそこに眼を瞑ったとして、完全に胴体を固定しちまったら殆どの楽器は演奏出来んぜよ。

奏者本人には大抵は無意識なケースが多いが、楽器至近の演奏フォーム維持を優先すればそれより外部で調節しなきゃなりませぬ。
それよりも「水平方向の楽器が接近し過ぎる」事の方が問題となりそうで、大昔のRingoはSnareを少しバスドラの上へ被さるセッティングで対処してましたな。(つまり逃がして必要距離を確保)

椅子が高くなって変わるのは手足共角度は勿論だが、通常はそれに依って恰も短足化したのと同等になるんで併せて椅子を少しバスドラへ近付けるんだよね。
脚が伸び切り気味になっても平気だったら不要な措置だが、あまり遠のくと足脚のパワーにはマイナス作用が出ま。

ので近付けると水平方向で腕が従前よりゃ窮屈になるが、普通は上下方向が拡大して吸収されるん。
っつう事ぁ俺みたいな手長・胴短・肩低体形だと副作用が無くも無い筈だが、体形的に最も不利な者の代表としてへっちゃらと太鼓判を押しときませう。

初期段階の違和感の正体は恐らく90%位は、従前の姿勢が非最適だった結果なのよね。
そもそもDrumsetの存在自体がJazz由来の代物で…なんつうと出たな老害となりそうだが、多くの基礎演奏技術はJazz時代に育まれたのを未だ利用してっからねえ。

ってか柔らか思考すれば利用可能なのをわざわざ一からやり直すのは非合理の極みで、少なくともそうして損失が出ない物はそのまんまでもええやんか。
俺みたいに欲深いのになると、Rockを演ろうとしてJazzも少し出来る様になったら儲けもんとすら思うとりゃす。

わ兎も角既存のDrumsetを使う限り、Jazzを隔絶するのは無理筋だと思うよ。
しかも困った事にJazzはまだ絶滅してなくて、奴等はとっても好奇心旺盛で最新のもすぐ取込んじまうからな。

なので映え的に抵抗感のある人も居るかも知れんけど、完全に別物とするのはどだい無理がありまんがな。
それもDrumだから邪な気が持てるだけで、PianoなんかだったらClassicとすらほぼ一緒だかんね。

寧ろ目指すべきはJazzのセットにJazz座り(んなのあるのけ?)して、バッチリRockに見える様にしてくのこそがRock道じゃないのかな。
けど決して無理強いはしませんよ、唯叩いたり踏むのが非最適だと余計なご苦労さんがあるだけでんがな。

-つづく-

2023年7月 2日 (日)

音楽備忘録1416 適切な音楽の評価方法⑯

続いては柔らかさや音圧圧縮も込みの適正音量に言及するとして、本来特定用途に絞って無い作品は加工度なんて無視して聴いちゃって良いのだ。
意識しないと真価が判断出来ないのは身近な処では着メロ、徹底が必要なのは鉄道車両のミュージックホーンとかだ。

着メロ程度なら使用条件が割と一定してるし、目立ち度や拡散性に多少の不備があってもメロ自体の選択で解決可能。
だが特急電車のなんかは近年は騒音防止条例等との絡みもあるから、かなりシビアな条件をクリアさせなきゃなんない。

そう云う類のだったら目的用途に限りなく近い状態で、聴いてみる必要がある。
だが一般の音楽作品では最高環境時に最良にしとかないと、折角環境を整えて購入したら失望ではいけないもんね。

普段聴きに合せるのは↑に本来悪影響の無い範囲に限られ、やり過ぎれば単に作品の価値を自ら卑下するも同然になっちまうんだ。
そりゃ必ずしもキチンと作られたものばかりが良くはならないけど、顧客を選ばない作品では誰かに合わなかったらそれだけで選外になるからねえ。

又明瞭ディテールへの忖度が少しブームらしいが、そもそもそれが聴こえないと魅力が足りない出来映えとも考えられるのよ。
良い曲程全貌を知りたくなるもんではあるが、過度なディテール忖度は順番が逆なんじゃない?。

最低限のアウトラインしか聴こえなくても好まれるとか、曲自体の底力はそう云うもんでしょ。
仮に曲よりサウンドの美しさを優先するコンセプトだったとして、それだったら並の演奏力じゃ足りないよね。

達人かどうかの判断基準には実際より簡単そうに聴こえるっつうのがあって、無駄な音や雑音が少ないのと音量バランスが秀逸だからそうなっててさ。
全く聴こえないor全体に一切関与しない音を、彼等はほぼ絶対使わないんだ。

それ自体は聴き取り困難な微小音も入れる入れないで全体の感じにはかなり差が出る、そう云うのが起らないなら全体の明瞭度を悪化させる不要音は一切鳴らさない。
しそんな隠し味的な真似をするのも主題を撹乱しない為で、聴く人の音楽レベルに応じて大事な処から順番に聴こえる様にしてあるんだ。

つまり例えばド素人にはメインメロのみ、少し進んで趣味の人にはあと2つ余計に音が聴こえるみたいなね。
のでそんな連中にとっちゃディテール再現度なんてほぼ無関心で、それより俺様が弾いてやったのをロクに分かっても無い奴が勝手に弄るんじゃねえって常に思ってるさ。

それは硬軟についても同様で、仮に非現実でも過去に耳にした事の無い音の方が新鮮ではあるがね。
だが過去述の如く輪郭だけ持上げりゃ他の要素、音程感やら膨らみ・拡がり等はその分引っ込むんだ。

この件に関しMix専門家の立場から吠えときたいのは、その昔は「生耳よりボケてた」から補填してただけなんだってな。
何時迄も何でも目立たせりゃ良いとは考えてなかったし、魔用して遊ぶにしても他部にほぼ無影響な確認が取れた際のみだったんだよなあ。

だから杜撰大王的には近年の過忖度ソースこそ、露骨にボケる位ので聴いてみないと真価が測れないと思うですよ。
コレがMixの可否と曲評価の分離例で、まあMixも曲の内って解釈されたら身も蓋も御座居ませんがね。

>つづく<

2023年7月 1日 (土)

音楽備忘録1415 ノリを育む方法⓲

今回はプチ番外編として又研究資料として、前回例示した’70年代Isley Brothersのノリについて綴ろう。
以前に触れた通りBassに最大の原因があるんだが、今回はGuitarとDrumを録音では同一人物が演ってた件の方へスポットを当てて行こう。

敢えて先にネタバラししとくとそれはErnie Isleyなんだが、通常同じ人が演ると楽器が違っても大体同じノリになるのがそうじゃなくて珍しいんだ

っても流石に別人って程じゃないけれど、太鼓の時だけノリが凄く大きくなるんすわ。

Funkの権化みたいな人だからどっちでもかなり跳ねてるのは一緒なんだけど、Guitarの時だけ随分タイトなんだ。
のが所謂ルーズとは異なるが、太鼓になるとグルーヴの単位ってかスケールがとても雄大になるんざます。

Isleysが熱くノリノリで居て妙に落着きもある独特な感じは、Bassが鍵だがDrumもそれに次いで大いに貢献してるん。
でその太鼓のノリの特殊性ってのが全体の流れは黒人旧世代のそれなのに、キレとか小回りが断然利くのが稀有なんだ。

但し細かい音符は最低限しか用いてないので、自ら叩いてみよう位しないと中々気付かれない。
って俺だけじゃなさそうな気がするが、リズムでは細かいのも少しは入るのにオカズでは全く入らない。

わ兎も角ドゥウワップとか昔の黒人のって凄く余裕感があって、同時代の白人の切羽詰まったヤンキー!?っぽいのとは対照的でおもろい。
だったから安心感はあって良いんだが、もっとスピードだけ欲しくなる俺みたいなのにその手は少し飽きる時もあるんだ。

何せ延々同じグルーヴが続き過ぎるんで、あっでもグルーヴ自体は本来そう云うものなんだけどね。
けどトランスとかみたいに環境だけ提供出来りゃ構わないのは少数派なんで、何かプラスαが無いと同じ人の曲を続けて聴くにはチト厳しか。

それがその時期のIsleysだと勢いが凄いんで、決してテンポが速いとかじゃないのについつい引きずり込まれるん。
その勢いに最大の個性があって、調子は最高峰に良い訳じゃ無いんだがとてつもなく屈強なんだ。

普通のをスポーツカーとすれば巨大ダンプみたいなもんで、こりゃあ万一壁に激突しても平然と突き抜けそうってな具合でね。
そこから俺が感知したのがもしかしたらスピードキングなのではってので、テンポ・一般的な演奏タイミング等は全て速くない中でこんなグルーヴは先ず出せないよっと。

ほいで上記みたいに飽きないのは、勢いでターボブーストが掛かるみたいな効果があるからなんじゃないかな。
人間って最初は凄いと感じても、暫く浴びて慣れて来ると何時の間にかそんなのでも普通になっちゃうじゃん。

一般的にターボっつうのは特定状況の時だけ効く仕様で、エンジンの場合普段より力が欲しくて回転を上げた時だけ掛かるん。
Isleysのターボ!?はテンポやリズムタイミングは弄らないが、どうやら強弱の付け方に微妙な変化がある様で。

これってポピュラー系ではClassic系みたいに音量は増減させないが、音色の変化で代用してるのと似てる。
尤もこっちでは多少の音量変化はあるんで一見先祖返りとも看做せるが、ポピュラー系だからって極度に一様にしたらそりゃ機械にやらせても一緒だもんね。

それでRhythm & Bluesと言わず開祖とは異なるR&Bでは、マシンドラムとの相性が良いかどうかはワシゃ知らんが。
只人力で上手く黒っぽさが出せない時、機械に刻ませた方がまだマシになるケースはある様な…。

>つづく<

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