音楽備忘録1388 適切な音楽の評価方法⑨
今日は分別を明確化する目的で、正しいサウンド評価の仕方について言及しときまひょう。
ここ迄杜撰大王の癖に妙に自信あり気に綴れたのは、音響技師としてこっちをしっかり把握してたからなのもあるんだ。
音と音楽内容の評価には重複してるのも少なくなく、実際には相乗効果で成り立ってるののほうが断然多い。
けれど鍵を握ってるのが両方なのは極少数なんで、作る側としてはキッカケを見つける必要がある。
例に依ってゲス比喩するなら美人には甘くなっちまうみたいなもんで、相殺すのるのこそ可能でも人に心がある限り避けては通れない現象だ。
ここでの相殺とはサウンドの魅力を正当評価する事で、それが分ってこそ無効化するのも可能になって来るんすよ。
この力は上手く応用すれば腹黒美人の裏の顔を炙り出すのにも使え、美人局に引っ掛かり難くもなれるかもね。
わさて置き上述の如く密接な関係にあるから完全にフレーズと切り離すのは困難だが、単音単位で聴くのが最初の一歩だ。
誰でも思い当たるのは「あそこの一発だけは良かったんだが」みたいなので、皮肉だが音楽的に稚拙なのの中に程そんなのは見つけ易い。
何しろ曲もフレーズも最低なんだから、内容に惑わされる心配が最小な訳っすよ。
普通そんなの聴きたくないから脳の分析・記憶回路をシャットダウンしちゃうんだけど、音響技師だとそうは行かなくなってさ。
純粋に修理屋として請われた際個人の音楽性なんか出せないから、曲が嫌いだからって「うわっ酷え音」なんて間違っても口にも表情にも出せない。
だいいちそんな気持ちになり過ぎてると、心にバイアス掛かっちゃってサウンド評価をも左右し兼ねないですから。
ので所詮は瘦せ我慢に近くとも、なるべく音だけ聴いて内容は聴かない様に頑張るんよ。
ここ迄はより影響が分り難いし大きそうな心理面を来た処で、本来は真髄である筈の音響的音質面へ進めよう。
音色良し悪しの内音質に左右されない要素は限定的で、内容評価の時と反対に極力高音質な方が良い。
只それでも純然音響と異なるのは、主に数値化出来ないされてない部分のスペックの重要さなのだ。
その典型が過去に別項等で綴った「硬さ」で、綺麗汚いと気持ち良い悪いは必ずしも同期しない処にある。
美しいからこそ極悪に感じたり、みすぼらしいからこそ清貧とつい思ったりするヤツね。
この場合外面と内面のコントラストが最大になる事でそうなってて、音質だと外面が一般論の高音質で内面が非一般の方になる。
のからすれば両方を公平に公表しといて欲しい処だが、前者は誰にでも関係あるが後者は基本的に音楽ファンにしか用が無いからねえ。
そいで又音楽好きには理論より感性重視の方が多いんで、唯でさえ難しいのに数値化の研究や公表が遅れるん。
そんなだから俺みたいな両刀使いは一種のトランスジェンダー扱いされて、音響仲間からは感情的・音楽仲間からは非情と実際よりも思われる事が多かったよ。
音って他の何より「その人にはどう聴こえてるか」が分らなく、それ以上にどう解釈してるかが様々だから難しい。
のからするとなるべく聴き手が無意識な時のが相応しく、好き嫌いや興味の無いのが流れて来て聴こえたなんて時が最良かも知れない。
それですら生理的に受付けないなんて部分が少しは残っちまうんだから、せめてそれ以外はオフにしとかんとどうにもならんですとばい。
<つづく>
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