音楽備忘録1400 適切な音楽の評価方法⑫
おやおや又しても前回後部で一見矛盾ワードが出たまま終らせてるが、これは補遺しないと誤解のタネになるからそっから行っとこう。
「音質良過ぎて内容却って低評価しちゃう」ってのも、内容と非リンクで高音質になってるとあり得るんだ。
根本原因は過高音質ではなく「内容非リンク」で、要するに高音質が悪目立ちして却って仇になってる訳。
音楽を離れれば高音質な程心地良いけど、それは言うなれば2次元美なんすよ。
一般楽曲は3次元でして上記が活きるのは、サウンドコラージュ・一部アンビエント系・トランス系とか位なんだ。
その手のは背景環境は設定するが主役は飽く迄リスナー自身の位置付けで、視覚置換すれば敢えて風景美のみの提供に留めてるんだ。
用途自由なんで国破れて山河在りでも良いし、ただただまったりに利用しても構わないと。
それで想い出したのが、杜撰大王って初期には音楽よりサウンド自体の方に遥かに興味があったんだ。
そのなれの果てが音響屋なんだろうが、音楽だって入口は音への興味だけでも構わない。
但し何時迄もそのまま続いては音楽評価は出来ず、それはサウンド非ヲタの人も多数居る事に気付かなきゃいけないのよ。
文章でも単語若しくはワンセンテンスにグッと来るのも居れば、ストーリー性にしか感動を覚えない奴も居るっしょ。
そんな思考を引用すれば完全には程遠くても、サウンド派の人でも少しは内容評価が可能になるんだ。
寧ろ最も困難なのはサウンドと内容への興味が拮抗しちゃってる人で、両方を感知出来るのは良いがどっちが原因でそう思ったかが中々分かり難い。
究極的にはそれが理想だが、仕上がるのに時間が掛かるから我慢するのも大変だ。
俺は今では両面がそこそこ分かる様にはなれたが、地の興味はサウンドが強いまま。
内容を吟味するのにサウンドが邪魔な時は、わざと「良いと思ったサウンドが無かった仮定」をして聴いてるんだ。
それすら慣れは必要なものの例えばBand全員が一斉同時にチューニングしてる際等、意図的弁別能は色んな場面で必要とされてるし全く出来ない人はほぼ居ないんだ。
喧噪の中で親や我が子の声を聞き分けるとか、程度差こそあれ弁別能って誰でも既に少しは持ってるのよ。
この場合にだと母・父或は祖母・祖父等の誰か、人次第で敏感な相手が様々だったりする。
それと同様サウンドや音楽でも最初は自然と耳に止るのを基準にして、徐々に拡大・多様化させてきゃ良いん。
因みに人には無反応に近いケースだってあろうが、それでもペットの鳴き声・果てはラインの着信音とか何かには条件反射してるんじゃないかな。
音楽だと器楽音から遠ざかる程直接利用が出来ないから手間が掛るが、昔動物の鳴き声をエレキで徹底シミュレートした人なんかのには却って行けるかもよ。
何れにしても既存所持能力より「知る」のの方が重要で、何か1つだけテーマを掲げて聴き続けるのが一番だぬ。
情報量過多を避けさえすれば、1つ1つはそんなに無尽蔵じゃ無いんだ。
>つづく<
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