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2023年6月

2023年6月30日 (金)

音楽備忘録1414 歌のコーラス⑦

コーラスには歌部の充実以外にも色んな役割があるのを指摘して来たが、インストや諸事情でそれで出来ない場合も記しとこう。
それにはやはり楽器のコードやフォームに精通するしか無いが、比較的数を増やせる時は「Onコード」の発想に頼ると簡単になるんだ。

そもそも「数を増やせる」って歌声だって一緒で、但しコーラスと云う一塊にする事で数が増えた印象をあんまり与えてないだけだ。
その前に我々の情けない現状を参考に暴露しちまうと、歌唱力の顕著な衰えで俺は今は歌物を敬遠しててね。

ってのも歌物好きの従兄主導の自作曲、楽器はとっくに録り終ってるのにちっとも先進みしてなくてさ。
従兄は決してインスト嫌いでも無いんで、当座はインストメインで行こうと提案してんだがね。

わ兎も角体当たりコーラスでハモりのラインを策定する際って、大抵は自然と逆Onコード発想!?になってるんだ。
何せ1人あたり追加可能なのは1音きりなのと、
もし普通じゃない音(移動ドでドミソの和音基本構成音)にしようとすればその音はセヴンスとかテンションノートになるざんしょ。

↑で逆なんて付けたのは普通のOnコードはルート音が単音で、乗せる方が平均3音以上だからだ。
概述の如くOnコードって例えばルート音がAの時、上へCの3和音を乗せるとAm⁷になる。

これ実際かなり便利であちこちで多用されてるけど、普通のフォームで出来る物には限りがあるんだわ。
俺はコードについてもプチヲタってか独自性に拘ってるんで、実用になる範囲で奇特フォームになっても全然気にして無いがね。

それでも困るのが他人に弾いて貰う時で独自の変態フォームだと、ClassicやJazzのバカテク所持者ですら少し不安定になったりしちまう。
のでGuitarはコード弾きが自称神レベルであっても、賄い切れないのが出て来たら鍵盤と分担して再現してるん。

それでも出来ないよりゃマシだが、コーラスを使えたらつられたり惑わされたりしない限りは断然楽チンなんすわ。
無論同じ和声だって肉声で構築するのと楽器じゃ多少印象差もあるんだけど、俺は何であろうと先ず「そう云う響き」が得られるかどうかの方を重視してま。

小編成になってく程楽器で出来る事は減少してって、特にGuitarトリオではGuitaristのコードの腕ほぼ一択になってまう。
それですら上記の様に限界があり、俺でもそれを痛感させられたのがStevie Wonderの使ってたコードだ。

そいつには隣接音が入っててそうしないとその響きが得られないんだが、これはGuitar1本では先ず不可能だ。
なので鍵盤レスのGuitarバンドでコーラスを放棄したら、単細胞な曲しか演りませんと宣言してるも同然ったら言い過ぎだろうか。

それで近年の日本のGuitaristを蔑視してて(ホントは良くないですが😓)、仮に光る技があっても演れる曲が限定され過ぎるんじゃなぁ。
雨の日は絶対負ける剛速球投手ってなもんで、それでは名投手とは言えないじゃん。

-つづく-

2023年6月29日 (木)

50歳からのSpeedking(ペダルの話)㉜[1413]

今日は冒頭にスピキン話しと題しててその実Slide Doubleになってるのの理由だが、俺にとってはペダル側の調整箇所が僅少なのが再考・探求にに繋がったからなんだ。
自称その筋の大家になってみると他ペダルではここ迄演れないのも分かったが、かと言ってSlide奏法自体が不可な訳じゃないのだ。

急遽復活の前2回「椅子高さ」の件でも、他ペダルだとより誤認識する懸念があるんすよ。
従兄の場合は性急にペダルを弄り過ぎたりしなかったから良いけど、かつての俺みたいな奴だと自分や椅子よりペダルだけ弄り倒すのに執心する恐れがあるんだ。

何しろ今時ペダルは懇切丁寧に何処をどうとでも調節出来るのが多いから、つい自分は殆ど変えずにペダルの方で何とかしようと思ったりするじゃん。(多分に性格等に左右されるが)
万一そっちへやらかしてたって何れ先進みさせようとしたらその時思い知るだろうが、悪癖の修正は労が多いしSlide奏法自体を放棄しちゃう可能性だってある。

俺はバスドラヲタだったから危うく難を逃れられたが、ペダルを不要に調整するのはかなり徹底的にやらかしてたヨン。
今再考すれば体質由来以外に、それが足首主導のから遠ざかってた一因になってたかも知れないんだ。

ここで少々釘を刺しとくが杜撰大王ったらSlideなのは確かだが、スピキン購入以降はSlideと比べたら顕著な成果に乏しいだけで足首主導もかなり練習してんだよ。
そこで足首主導主体だったら椅子高さはどうかったら、Slideよりは低くたって障害にはなりまへん。

けれど発祥・発展の経緯を見ても明白な様に、各自の最適高さより椅子が低いと実はパワーが出せねんだ。
足踏みの時ゃまだ良いかもしれんが、足首踏み時に「脚の重さを載せ難く」なっちまうのよ。

近頃従兄がTwitterでBuddy Richのレギュラーグリップを論じたのと近似で、手足共々水平に近くなる程力を使わなきゃ重さが逃げちまうんだ。
達人級になるとレギュラーの方がパワーが出せるっつうのは、最近従兄経由で知ったのに依りゃ打面に対して斜めに力が加わるからだそうで。

コレ打面に水平に近くなりがちなマッチドの場合、腕を一瞬でも硬直させないと重さは掛らんよね。
だって滅多に肘が上へ曲げられない方向で叩く奴おらんし、そんな向きにして叩くのは至難だし。

で斜めになるのを気にしなきゃ硬直レスでも少しは重さが伝わっちゃうって寸法で、俺は音色的に面で当たったのが好きだからあんまり適用出来ないんだけどさ。(レギュラー習得が億劫な言い訳の恐れあり😅)

でⅡでどうやら脚でも近似現象が起きてる公算が高く、椅子を下げて無影響になるとしたら踵だけでフットボードを踏むケース一択になるんじゃないかな。(実際はほぼあり得ない状況だが感覚的に)
踵だったら足首の角度に殆ど左右されず、爪先みたいに勝手に上下しないもんね。

けれど爪先厳禁とするとどのDouble奏法も不可になるんで、発展性に乏しい踏み方となるんだな。
かつてCozy Powellが語ってた「パワー出したきゃ踵も使え」に嘘は無いが、「踵だけで踏め」とは言って無かったのを忘れちゃいけねえぜ。

あれは子供がふざけてドスドスするみたいに、踵が強打するのを容認すると脚を投げ出すのが楽になるってキッカケを多分言ったんだよ。
んでそのドスドスだってなるべく腰の位置が高い方が大きく鳴る訳で、履物の踵が分厚くて腿が水平になってすら距離が取れた方が良いみたいなんだ。

-つづく-

2023年6月28日 (水)

音楽備忘録1412 適切な音楽の評価方法⑮

今度は「低音が深い」を掘るとは益々細分化してくが、硬さ案件でもこれの失念がとても多いから重大なのだ。
中域の高い方以上で硬過ぎると露骨な過刺激を招くから誰でも分かるが、音楽的により問題となってるのは低域の過硬なんす。

それ故一部の球ヲタの間では真っ先にその可否が問われてて、例え全然うるさくなくても他部分の侵食程度に相違が出てるからなんだ。
因みにここでの過硬ってのは楽器音色のとは少々別で、生で聴いたらふにゃふにゃのが録ったり掛けたりしたら妙にカッチリする様なヤツよ。

この件でサンプルに最適なのが肉声で、どんなに硬い声色だって生で聴いたら硬い物体が衝突したみたいな程にはならないでしょ。
そんでBass等の低音楽器に硬さ成分があってもそれは「中高域で出てるだけ」で、低域迄硬くするのはほぼ不可能なんざます。

概述の如く低域≒空気の大波なんで、視覚的には巨大豪華客船の回頭を想像するがよろし。
図体がデカいんで向きを一寸変えるにも時間を要し、どんなに離れて眺めても小回りの利く乗物みたいに鋭角な動きは無理と。

それを悪く言や鈍いとかトロいとなるが、スケール比較が困難な際はその動きからある程度想像が付くんだよね。
物理的にはこれの一部がAmpやスピーカのダンピングファクターで表されてて、一般論ではこの数値が多い(大きい)程反応遅れが無くて良いとされて来た。

結果過去には3桁以上になるのが持て囃されてたが、冷静に全体俯瞰すると1かせいぜい10以下じゃ無きゃ変だったん。
過去にそれを半分誤った原因は聴取環境の劣悪さが原因で、マトモに音楽を聴けない程変に鳴り響く部屋とかも含めてたからだ。

そんなでも少しは聴き取れる様に頑張っちゃって、これがつまりは欠点消す為に長所を台無しにしてたんよ。
そもそも理論的に1以上っつうのはソースのより反応が高速になるとも取れ、3桁なんてのは巨大船が小型モーターボートのクイックターンみたいになるんだからおかしいって。

とこの辺で暴走を止めて本題に戻ると、低音1つとっても今の一般的な音響再生機器にはムード再現にこんな障害があるんだ。
と言ったって各自に様々な事情と状況があるだろうから、そうおいそれとは雰囲気に理想的には出来ないだろうけどさ。

私感では少なくとも’70年代中盤迄のは、そんなので聴かれる想定が大いに入っとん。
のでせめて近いので聴いてみる迄断定すべきでなく、劣化近年本邦の新作もスマホでインナーイヤーで極小音量で聴いてみないと真相はハッキリしないんだ。

尤も今の分の殆どは幾らそうしたって駄目なのが、俺には見えてるから安心して!?ディスってんだけどね。😵
今の日常に沿わせるったってそんな劣悪環境ばっかに忖度するのはやり過ぎで、種類にも依るが普通に音楽を聴くには「最低必要音量」ってのがあるだよ。

>つづく<

2023年6月27日 (火)

音楽備忘録1411 ノリを育む方法⓱

続いて軽い重いの具体的奏法へ突入するが、残念乍らここから先の達成度は才能や向き不向きに大きく左右されてしまう。
ってもどんなに苦手でも軽い重いとか跳ねる跳ねないの、どれもが全然駄目って事ぁ先ずあり得んのです。

稀にはRockのつもりが全部Countryになるとか、そう云う強烈な個性の持ち主だって居るだろうけんど。
もし演りたいのと持ち味が正反対だったら不幸だが、↑のケースなら何を演ってもCountryっぽくなら出来るって特技は既に持ってるんだ。

こればっかりは努力だけではどうにもならないが、しかしCountryに万能なら「らしくない」とかってのは修練次第で獲得可能な訳さ。
寧ろ厄介なのは何も特徴が無いケースで、正攻法でも裏技使っても近付けも遠のけもしないから大変よ。

ので良し悪し好き嫌いは別として持ち味は極力大切にした方が良かって処で、軽い重いの導入方法へ進ぬ。
向いてる人は意識すれば才能限界迄、どんどん軽くor重くが何れは出来る様になりま。

だが常に軽いのだけ重いのだけで済むのは極稀で、楽曲次第で加減が要るからそれが全然出来ないんじゃ誰でも困る。
そりゃわざと「軽薄な悲しいBlues」とか「チャラ男の曲なのに重苦しい」なんて、曲想に反した編曲を施すなら別だがね。

前者はライトなPopsよりは重くないと変だろうし、後者は極度に調子が悪いと全くモテない自称の奴なのかってなるだろう。
それで過去に俺が苦労させられた人が居て、1人は重いっつうか鈍い感じでもう1人はノリは良いがほぼ一種類しかないって奴に少々苦しめられたよ。

早い話し普通に考えてると編曲時の想定とかなり違うテイストになっちゃって、それで済みゃ良いが幾ら逆算しても正直な処「合わない曲」が出て来ちまってのぉ。
想像の域は出ないが前者はどうも1人だけ先に飛び出すのを極度に嫌ったらしく、GuitarやDrumを担当する事が多かったから必要時にも牽引力レスで参った。

そうなる5年位前迄は、「
らしいLead Guitarist」だったんだけどねえ。
後者は’70年代のIsley Brothersばりのノリで、個人趣味的には良かったんだけどさ。

当時’80年代で曲調が全く異なるのの方が多く、一応最新のを標榜してたからどうも懐かしさが前面に出ちまって新鮮さが後ろに回っちまう。
それでもアンサンブルするのに支障する程じゃなかったからまだ良いが、前者のはともすれば合奏者には完全遅れてる様にすら聴こえて弱ったんだよ。

それじゃあどうにもおかしいからってんで、こっちで意図して引っ張っても全く呼応してくれないしねえ。
それを今振り返ってみると前者には概念的に、グルーヴはあってもノリって意識が希薄だったのかな。

後者は演りたいものに対して癖が強すぎるのを気付いて無かった様で、こちらもやはりもう一寸論理的なノリと云う概念があったら違ってた気がするんだなぁ。
何も考えなくても上手く回ってる間は良いんだけど、事程左様に万人にノリの概念が必要になる時があるんすよ。

結局己の個性を活かすも殺すも必須と考えてて、興味のある人だけ取組めば済むってもんじゃないのよねぇ。
寧ろ興味の薄い人に程普段は意識しなくても良いけど、少しは考えてくれんと周りは困ったりさせられるんですなぁ。

<つづく>

2023年6月26日 (月)

音楽備忘録1410 歌のコーラス⑥

ジミヘンコードの件が舌足らずだったので、久々の補遺行ってみっべ。
理屈としてはそんなに難しくないんだが、どのパートがどう弾き分けてたかがややこしやの元凶でんねん。

近年ではCharフォロワー以外あまり使われなくなった様だし、元々フルコードで弾く人が少数派でね。
フルにしようと思うとどうもコードフォームが一寸変態的で、親指で6弦を押えられると楽なんだけどさ。

それ故一般多数派は下3度は他パートに委ねて略し、上3つだけを鳴らすケースが多い。
でDeep Purple-Highway Starのサビの場合もそうなってて、しかしそのままでは2番目の長3度がお留守になるんだわ。

尤も長調感を前面に出したくなかったらそれでもOKで、しかし結果的にマイナーセヴンスと全く同じになっちまうだよ。
それを大抵は歌等の主旋律とかで補うんだが、当該曲では当該箇所の歌メロに3度が入って無いんすよ。

パート責任からすればIan Gillanのコーラスに不足があったとも看做せ、或はRoger Gloverの独断だったかも知れないけどね。
でも私感としては完全なマイナーになるより、少し明るさもあった方が曲想に合致してる気がするんだ。

っつうのも後発の所謂AORなんかでマイナーセヴンスは多用されてて、そんなオサレ系ではジミヘンコードは毒気が強過ぎてあんまり使えないからねえ。
この調のメジャーかマイナーか判然としないのって、もしBluesルーツを標榜するなら相当重要素なんだ。

音程でのSwingに相当するのが所謂Bluenoteと私的には考えてて、骨格がシンプルな編曲だからこそ頻発可能なんすよ。
和声(コード)にテンションノートがあったり構成音が多かったりしたら、どれかと当たっちゃって使えないじゃん。

これは歌でも全く同様で、只それを迂闊にメロ(主旋律)でやると悪目立ちして困る際もあるん。
近年の歌曲で背景音同然のコーラスはかなり絶滅危惧品種で、昔のJazzのスキャットみたいにアンサンブルに溶け込ませられりゃそうでも無いんだがね。

それと¼音とかって余程意思が強くないとフラットしたのと勘違いされ易いし、人次第で得手不得手もあるしなぁ。
だどももしアナタが得意だったなら、そう云うのもあると頭の片隅には置いといた方がエエで。

コーラスには単にハーモニーの充実以外にこんな役目もあって、実際Beatlesの場合コード構成が楽器とコーラスの半々位だったな。
彼等はRock系での多重の元祖ではあったけれど、多様な曲の表現で多重録音に依存してた訳じゃないんだ。

Guitarでは変態コードはチラ見せ程度で常用して無かったのに、奇特なテンションの付いたのも難無く演れたのは充実したコーラスのお陰。
特にコーラスが2声デフォだった(メインVocalを入れれば3声)から、ジミヘンコードなら変態部分2つは楽器で弾かなくても出せたんだ。

-つづく-

2023年6月25日 (日)

50歳からのSpeedking(ペダルの話)㉛[1409]

本項前回を踏まえつつ各部の重要度の再考として、ってか天才!?の悪い癖で今迄は表現の強弱に問題があったかも知れないや。
だったらごめんよだが、人次第でネックになる箇所・要素は千差万別になるんすよ。

従兄のケースで椅子高への挑戦が遅れたのに、その頃腰痛ってハンデがあったんだ。
彼の場合予定が入ってる限りドラム講師を休めないし、次のレッスンで腰に不都合があって平気か殆どは未明。

尚且つDrummer自体としては俺より遥かにベテランなんで、杜撰大王にしては椅子高さの件を何時も程しつこく唱えられなかったんだ。
只Slide奏法の初歩段階としては、膝蹴り出し時に他部の無意識化は殆どの人に必要なんだす。

少し掘ってみると無意識っても動き出し時は「空中で膝蹴り」になるんで、爪先はほぼ自動的にだらっと下げてる人が滅多に居なくなる筈なんだ。
もしそうでなくても大抵当然途中で突っ掛るだろうから、次にやる時ゃ誰だって少しは爪先上げとくだろうさ。

だが「そのフォームを維持したまま」って付加条件が加われば、その分難度が上がっちゃうよね。
挙句に大変だからもう止めたとなるのを回避するには、椅子高さが「足りなかったら先ず上げとく」のが前提条件みたいになっとったん。

俺自身は分かっちゃ居るけどやめられ…じゃなく、大昔椅子極低だったのもあって全く出来なくなりゃしないからねえ。
と言っても唯のSlide Double以上はほぼ不可になるんだから大違いだが、Slide奏法[マスト]椅子高では無かったんだな。

言い訳覚悟で俺のSlide経緯を記しとくと、正直何時から出来る様になったか全く記憶が無いのさ。
バスドラのフレーズをああしたい等思った段階では、既にマスター遥か後でしてん。

確かにSlide奏法ので強く速くしようと躍起になったのは覚えてんだが、初期段階の通過が爆速だったのかそこは完全に空白なんすよ。
ほいで微かな記憶を追及してくと恐らくその段階当時、椅子高さは無知だったから比較的汎用標準に近かったと思うんだ。

つまり全くの偶然でSlideの基礎を習得してから、その頃椅子低の方がパワーが出るなんて噂されてたから低くしてったんじゃないかな。
只これも重心の安定(最重要)を無視に近く足脚ばっか気になってたんで、椅子低の方がグラ付き難くて良かとか誤認しちゃってたんだろう。

何れにしても改正メソッドとしては
 ①椅子高さがSlide奏法に不足だったら先ず必要最低限は高める
 ②ペダルフットボードに足裏全体が接触しないのに慣れる
 ③1打目後にも完全に着地しないのに慣れる
ってな感じでせうか。

因みに足首主体や足脚落下だけだって踏む瞬間は宙に離れるが、問題は鳴らした後で御在居。
続けて踏める予感がしたら少しは浮かす気にもなれ様が、例え兆しが見えなくても着地に固執してたら行き止まりになっちゃうんだ。

-つづく-

2023年6月24日 (土)

音楽備忘録1408 適切な音楽の評価方法⑭

ムードっつう事になると真空管のサウンドが外せなくなる…、って石のでも一部には独特の良さを持ってるのもあるんだけどさ。
どんな鈍感さんにでも一聴瞭然の差となると、原始的な回路方式の真空管のが分り易いん。

若い世代には大変スマナイが、’70年代以前の普及音響機器じゃないと↑の性質がハッキリしないんだ。
若い処か今に至っては還暦位の人ですら古物に無縁だと忘却の彼方となってそうで、たまたま俺は旧実家のを温存しといたから再確認が取れた位で…。

先にどの程度の差があったか記しとくと珍しく一切の誇張無しに、Guitar Ampなら現代玩具レベルのとリアルビンテージ以上でしたよ。
俺自身過去の印象に客観的自信が持ててなく、半分かそこらは憧憬かもと思ってたんだけどね。

実際何十年振りで耳にしてみたら、いや驚いた記憶を遥かに凌駕する違いがありやしたぜ。
それに比べたら近年現代はディテールの再現性とかだけで、音楽をこんなにも「非魅力的なもの」にしていたとはねえって。

具体的には実際聴いて貰うのが最善もブログじゃそうも行かないんで、言語化可能な範囲で綴らせてちょ。
全体と高域も然る事乍ら最大差は「低域の深さ」で、レンジはちっとも広くないがこれが楽曲にもたらしてる影響が絶大なんだ。

比喩るなら古典安球以外のは単なる発振音で、今回主役の座にあるヤツのは銘楽器の低音って位まるっきり違ったんだよ。
薄々はこれに気付いてたからこそ、Bassだって球じゃないととはずっと思ってたんだがね。

もう少しこの相違を掘っとくと2次元対3次元的な差があって、生耳でのリアル低音には残響成分が大抵は豊富になっちゃってるじゃん。
この残響っつな所謂エコーの類に非ず、スピーカは眼前にしかないのにそれ以外の方向からも少しは聴こえて来た様な感じがするってのだ。

深みの一部を立体感とすれば近年でも5.1chとかサラウンド等のがあるが、それ等とは根本的な質が違うのだ。
物理面からは意図的な位相操作の少ないのが原因で、これにはオーディオの進化にプチ間違いがあったからなんだけどね。

数学的解析では何でもかんでもリニアが至高となるが、実は実際の楽音の位相なんてちっともリニアじゃないのを失念してんだな。(電気・電子は見えないんで分からんでもないが…)
一寸ひねた表現をすればボタンが一列ズレて掛ってても、それが音楽さんって人のだったら弄っちゃ駄目なんだ。

もし修正するんなら製作側で世に出す前にすべきで、再生側でそれをすれば極端な話し厳密には改作に当るかも知れねんだから。
この際だから電気的専門領域になるも一応触れとくと、負帰還回路ってのが諸悪の根源なんだ。

今の盛り画像じゃ無いけど欠点を減らすにゃ避けて通れず、だけどそれしちまうと目立たずとも長所も道ずれになってんよ。
100人中99人がブスと言いたった1人だけ美人と思う顔があったとして、その1人が良いと思った部分が消えて無くなる…。

んでも被害が1人だけならまだ良いが、99人の方にも1人が良いと言った理由の片鱗迄が完全消失するってなもんで。
って凄く難解で済まねえが、実際にはあった何かの要素が完全に失われてる訳っすよ。

>つづく<

2023年6月23日 (金)

音楽備忘録1407 ノリを育む方法⓰

今回はデジタル楽器のディスり大会の様相を呈すが、それもこれも人が主体を堅持する為なのだ。
ってったって今時デジタルのお世話レスにするのは並大抵じゃ困難で、別に絶対使うなってんじゃないんだ。

只私的には主にレイテンシ案件がそれ以外では、「やってくれる範囲が多過ぎる」のがノリを育むのには芳しくないん。
その1例…とは必ずしも限らないけど、マトモなプロや達人がデジタルを頻繁に利用するのは主にLive。

年々機械の精度が上がってっても手作り食品が無くならないのと同じで、ノリも追求するにはボロが出ないのは良いがやれる範囲が狭いんすよ。
コレ本来は操る人間側の責任の方が多分多いんだけど、何もしなくても駄目ではない物を一々全部弄ろうと普通はしないっしょ。

それがリズム取るのも自分・ノリの加減も自分の際、意識はなくても全部自身で手加減してるのからすると怠けてる訳よ。
楽するのも安全策を取るのも悪かないんだけど、ある程度リズムが取れて個人のノリが確立してないと急遽↑みたいなのを要求されたら俄然弱体化しちゃったりするんだ。

ここで人にリズム的にどんな能力があるのか再確認と参るが、ちょっち黒い話し不整脈とかがある人じゃ無きゃまあまあ一定のリズムは必ずキープ出来るのよ。
ってか不整脈をほっといたらあちこちに悪影響して、マトモに生きてられまへんがな。

但し機械とは違うんで機械視点だと誤差大き目やけど、人視点つまり聴感を優先したら人の方が正確なんすよ。
ここでの人の正確さとは観客等の様子を瞬時にフィードバック可能な点で、その場に居る人には気持ち等の変動にその気になりゃ何処迄も着いて行けるからね。

ので更に黒っぽく語っちまうと、観客に無感動な曲だったら機械の安定感は最適だよ…なんちって。
又気候に依っても人の感覚って微妙な変化があったりするんで、状況・場面次第で同じ速さに感じられるのは物理的に同一テンポじゃねえんだわ。(音って空気振動なので実際気候変動の影響はモロに受けてる)

すっかり飼い慣らされると「機械だから無変化」の刷り込みで、今日日はあまり違和感を覚えない人だって少なかないだろうけど。
アホみたくテンポの初期設定を忙しなくしとかんと盛り上がり損ねるっつうのは、↑の人力の応用力が無いからですぜ。

薄々お気付きか分らんが杜撰大王は大のスピード狂(これも死語なのけ?)なんで、元気であるべきリズムがタルイのはどうにも我慢出来ない性分なんだ。
すると青二才の頃は何でもやたら速めたくなったが、当然無茶すりゃ追っつかなくなるわな。

それで七転八倒しつつ思い知ったのが、敢えてテンポ初期設定を各曲毎の最遅にしとく事だったん。
これリズムに於ける「寝たフリ作戦」みたいなもんで、内実は速められるマージンが最大化するんすよ。

今アホハイテンポをアホと断言するのは普段が無駄に慌ただしくなる他、上昇余地の少ないのが果たして有事に足りるか分かんないからなんだ。
陸上競技やカーレースみたいに目に見えて先頭だったとか、タイム計測を常にされる様なのだったら単純に最速にすれば勝てる。

けど音楽じゃ↑前者は見えない後者もタイムより「タイム」が優先されるんで、物理的に速いだけのはかなり無力なんすわ。
処が機械は「感」ってぇのが苦手ってか基本取り扱ってないんで、育成養成にその部分が特に向いてないんだ。

>つづく<

2023年6月22日 (木)

音楽備忘録1406 歌のコーラス➄

とかく音楽創作は感覚・感性が全てだが、才能が及ばない範囲は理論で補填しなきゃなんない。
そうで無くても近道をするのにコーラスも、基本理念は知ってた方が何かと楽だ。

っつう事って主軸は不動だが、少し知恵にも触れとこう。
才能ゼロ(先ず滅多に居ない)で無い限り感性に従っては行くものの、現実には難解な時とか不明瞭な場面も出て来る。

例えばバックコーラスで音量バランスがとっても控え目だと、箇所に依ってはその音で平気かどうかの聴き取り確認に難儀したりする。
そんな際に忌避事項だけでも知ってると、作為的なの以外大失策だけは避けられるんだ。

ほぼ誰でも概知だとは思うけど、その筆頭は短調・長調に関係する3度の扱いだ。
要するに移動ドで「ミ」の音が、半音下がるかそのままかってヤツね。

そんなの簡単分かってらぁと舐めてると、案外やらかしちゃう事があるん。
のは曲の長短が不明瞭若しくは無指定の際で、Rock系で伴奏がパワーコードしか無かったりするとそれだけじゃ絶対どっちとは言い切れないっしょ。

いやいや主旋律を聴いてりゃあって、それ必ず3度の音が入ってるとは限らんよ。
まあ確かにどっちかってばそんなのレアケースだろうが、これを逆手に取ってハモりの音程で調を操作するなんて技もあるんよ。

サビをずっと短調(マイナー)でハモっといて、最後の1回だけ平和!?幸せ!?に終らせる為に長調(メジャー)でハモるとかさ。
そんな場合調の選択がハモり手に任されてるなら良いが、そうじゃないなら事前の意思統一が必要なんだ。

既に色んな和声(コード)が使われてたらそれ等に当らない音を選びゃ良いけど、シンプルで自由な時程責任重大になるんんすよ。
その例歌じゃ無いんで非最適だが、杜撰大王に印象深いのは、しつこく再出Deep Purple-Highway StarのサビのBassフレーズだ。

ここでは他は皆短3度を出してるのに、Bassだけ長3度が出て来るん。
それが許されたのは時間が無かったとか寛容だった…とかじゃなく、曲のコードが一寸特殊だったからなんだ。

それは所謂ジミヘンコードの省略しないバージョンで、ド・ミ・ラ#・ミ♭と下のドから13度上に短調のミが付いてん。
でそれの2番目のミをBassだけ出してただけんなんだが、一瞬しか出さんもんだからややこしいったらありゃしねえ。

そんな風に目立たぬ一瞬だけ登場するのもあって、歌のハモりでは案外そう云うのがより多いんだ。
のでどっちでも良い時にコーラスを省いちゃうと、それだけで曲の再現性や編曲の選択肢がかなり限定されるんすよ。

処で概知の人にはクドいが「移動ド」の説明をしとくと、例えばキーコードがEの場合E(非移動ドではミ)をドとして扱う措置の事よん。
俺世代は大昔音楽の授業で結構みっちり仕込まれテストにもしっかり出たが、その後の授業ではどうなってんだろう。

-つづく-

2023年6月21日 (水)

50歳からのSpeedking(ペダルの話)㉚[1405]

唐突に先祖返り記事の続きを出すが、今回は従兄が理解に苦しんだ箇所の解明を受けてだす。
そう云う趣旨なので緊急と言いつつ、年寄りの反応の鈍さがタイムラグの酷さに繋がる杜撰大王であった…。

さて導入はたいがいにとっとと本題へ進めるが、それはズバリ「椅子の高さ」だ。
俺としては体感の演り易さ都合で、今の標準より自然と高目になっただけだったんだ。

しかも自宅では「面倒だから固定」してるものの従兄宅訪問時等は、その日その時の演り易さで結構変動があるんだ。
冒頭の通り自意識内では天然発祥でしか無いんだが、その更に源には「手が楽になる」のと「膝の蹴り出し動作の都合
」があったん。

これに纏わり今更想い出したのが大昔椅子低の当時、フットボードの傾斜をかなり気にしてたのを。
純Slide奏法ってのは演ってる間は足は空中にあるんで、傾斜が強い程し易いんよ。

ってったって30°とか45°以上にしたらどうか分からんが、先ずそこ迄急峻には出来ないからねえ。
で1行前の空中との関わりは、要するに「カカトがつっかえ」たらSlide出来なくなるからなんだ。

この変化はスピキン自体はフットボードの傾斜が強い方なので(だから初対面時からいきなりSlide奏法になったのかも)、凡そ30年のブランク中に足首の柔軟性が低下したのかも知れない。
のに加え昔は椅子の平均高さが今より高かったのもあろうが、色々試すと蹴り出し動作をするのに爪先を意識して下げとくのは一寸辛い。

只でさえ膝の蹴り出しには意識的な力が要るのに、その上クラシックバレエみたいに爪先をピンと伸ばしとくのは体操選手並の技術を要求されるがな。
蹴り出しとフットボードに接触するタイミングのみに集中したいと、足首その他はなるべく無意識下に置いときたい。

その延長に裸足デフォってぇのがあり自身足裏とフットボードの摩擦係数の他、何か履いてるとその都度カカトの厚みとか高さに左右されての調整が面倒臭くなったっつうのがあったん。
前者に対してはグリップ力の大巾な変動が、両者に対して一々角度その他が一定にさせられなくなるのを嫌ってたっつう訳。

これ等の諸問題が裸足は本業Drummerだったら相応しい履物を用意してて解消するとして、足首角度を各自のニュートラルにフィットさせるには大抵従前より椅子高さを高めるのが有効なんすわ。
そうなるのはDoubleでも足首主導のと単打系であれば、1打後はカカトがフットボードに着陸して何の問題も無いからね。

寧ろ人次第じゃそうなってくれた方が安定度が上がりそうで、だから単打踏みや足首主導に慣れてると敢えてその状態を崩さなきゃなんなくて当初は違和感が凄いでせう。
しかしかかし「その常識」が実は偏寄したものでして、実は「足に汎用な椅子高さ」ではなかったんすよ。

今劣化本邦じゃ自身のメインジャンルに合せたセッティングにするのが常識だが、他のジャンルに完全非対応な程そうしてるのが愚かなんすわ。
実際のアンサンブルで色んな曲を扱うと全体としてはRockのままでも、「DrumだけJazz」にするとかそう云うニーズが結構ひょっこり出て来るやんか。

各自のスタイルってのもあれど、わざわざ自ら対応ジャンル巾を狭める事は無いんじゃね。
ってったって慣れて来る迄は本当にこんな高くて大丈夫かよ、出来る様になるのかよとかなり不安に陥るのは分かりやすが。

-つづく-

2023年6月20日 (火)

音楽備忘録1404 適切な音楽の評価方法⑬

続いては最大の難関たるムードについてだが、雰囲気っつうのは主観に左右され易いから定義付けが困難だ。
だがこれこそが唯の音と音楽の最大相違点で、今は昔より軽視されてるのが真に遺憾で御座るよ。

昔ゃねえあんたジャンル名にムード歌謡なんてのを出現させた程…って何か老害臭が酷いが、音楽知識ゼロの人が音楽を堪能する時は必ずそんな状態なんだす。
そいで音楽表現の原点はそこにあって、苦労して様々な技を駆使するのだって源はそこにあるんだ。

その中で音響的高音質に依存してる部分もあるけど、だったら4k・8k画質のエロ動画が最も印象深いかったら必ずしもそうはならんでしょ。
女優自体・シチュエーション・表情・喘ぎ声その他諸々の、何かが心の琴線に触れたのが最も深く印象に残る。

これ若い人達にはもしかしたらあんまり分かんないかも知れないが、登場当時最高画質だったDVDだって今となっては全然大した事無くなってる。
恐らく3D等も何れはそうなる運命で、時間軸に左右される分は賞味期限がある様なもんだ。

んで過去物には当然の如く想い出は付いて来るものの、必ずしもノスタルジーだけで残存してる訳じゃないんすよ。
それが例えば現時点迄では表情が最高峰だったとかで、今でも通用するはおろか凌駕してるのもあったりするんだ。

そう云うのが内容で上回ってる作品で、メディア品質等の影響を殆ど受けない領域なのよ。
音楽の場合だと明らかにチープな音質なのに、妙にムーディーなのとかがそれに値する。

ってもそのムードには無限のバリエーションがあって、一般論で心地良い物ばかりとは限らないんだ。
私的に印象深いのは「ヤバい感」で、今からしたら昔は随分と恐いのが沢山あったもんだわさ。

あーそう言や子供向けアニメなんかでも今みたいな酷い残虐シーンは無かったけど、恐さに関しちゃ旧作は大胆だったなぁ。
視覚的にはマイルドでもストーリーが辛辣だったとかで、それだと視覚的なのより慣れられるもんじゃないから未だに残ってるんじゃないかな。

って何ゆうてんねんローテクだっただけやんかなアナタ、その拙い技術で十二分な雰囲気を創り出す方が遥かに難しいんでっせ。
確かに演奏力・Mix力では劣るけど、そっちを優先評価するのは結局製作側のエゴでしかない。

要するに木乃伊取りが木乃伊になってる現象で、特に顧客を特定ヲタに限定しないのだったら「雰囲気こそが全て」なんざます。
それ故「硬過ぎ警報」とか「過音圧警報」を拙ブログでは発令中で、それ等は雰囲気に対して8~9割方は負の作用しかしねんだ。

硬過ぎない≒柔らかい方が何故ムードが多様になるかは次回述として、特定目的のを除くと雰囲気に明瞭度は直接は貢献しないからなんだわさ。
要するにⅡであまり何かを断言されると想像の余地が減る様なもんで、リアルなのは良いが自由に夢見れなくなる訳よ。

>つづく<

2023年6月19日 (月)

音楽備忘録1403 ノリを育む方法⓯

ノリ獲得には機械の駄目な処にはしっかり駄目出しをしよう、なぁんつうとその方面から大批判を頂戴するかな?。
えーい慌てるでない、本質的には無い物ねだりをする人の方が悪いんだよ。

近年になる程どんどん高機能化してるけど、量産品に世界で唯1つのあなたの個性が最初から反映される訳ゃねーじゃんさ。
過去に別項で打込む人の質とかスキルがと綴ったが、機械の方に責任があるとしたらハッキリしてんのは小数点の付くテンポが扱えない位だよ。

あと少しあるとしたらインターフェースの出来栄えで、リアルタイムライトをもっと活用するには一寸物足りないかねえ。
最近ほぼ忘れ去られてるし俺にはあまり意義が無いからやってないが、レゾリューションの細かい打込みソフトやドラムマシンだったら録音機の代りと思ったってホントは良いんだ。(考え方次第じゃ現行デジタル録音が超細かい打込みみたいなもんだ)

録音機登場以前から今に至っても例えばPianoは¼音が出せない等、そもそも楽器自体が束縛ゼロでは無いからね。
で何を訴えたいかったらレゾリューションの間は出せないけど、必ずしもメトロノームを使ったりピアノロールの小節線等に「従わず」に打込んじゃったって全然構わないんすよ。

それで違和感の無い流麗なリズムにするのは少々手古摺るだろうが、リズムガイド抜きでリアル楽器を弾いてる時って実は常にそんな状態なんよ。
なになにそれじゃあそんなで打込んだのをガイドにして、他の楽器を録る時分り難くなって大変だって?。

んー「だろうね」ってオイオイおんどれは風見鶏かいって、違ぁ~う。
リアル合奏時にはある視覚が無いから分らなくなってて、意外かも知れないがタイミングをピッタリ揃えようとしたら視覚要素は元々必須なんすよ。

それが所謂アイコンタクトとかで、尤も俺の身内には自分が不要だとこっちが要ってもそっぽ向いてたりされる事も…。
わもしかしたら主導権取りたくてかも知れないから置いといて、それさえも今や動画全盛なんだから絵付きにしときゃ良いやんけ。

だがリモート合奏動画以外では殆ど活用されて居らず、それもリズムガイドが使えないClassic系が殆どだ。
ポピュラー系では使おうと思えば使えるのが多いし、使った方が大抵は楽だけどな。

でもテンポほぼ不変とかだからって、ノリを気にするなら余計な縛りはなるべく無い方が良いんだよ。
そこで敢えてClassic系奏者の状況を思い出してみると、ポピュラー系の人よかメトロノームを持ってる人が多いし「練習では」使ってる事が多いんじゃね?。

っつうのからするとジャンルが違うからってポピュラー系でだけ、何も考えずに何時も「本番で」リズムガイドを使うのが大間違いなんじゃないすかねえ。
殊ノリと云う点に焦点を当てると、百害あって一利なしと迄行かずとも数利位しか無いのよねえ。

現代奏者の標準をオラぁ全く知らねえからどうだか分らんが、イメージとしては練習で殆どメトロノーム使ってなくて本番だけリズムガイドありが多いんでないかい?。
もしそうだったらそりゃあべこべの典型ってもんで、よお考えてみておくんなまし。

>つづく<

2023年6月18日 (日)

音楽備忘録1402 歌のコーラス④

コーラスを実行するには和声の知識が必要だが、実践に居るのはそれより感覚だ。
っつうか広義の知識ではこれも含まれるが、理論より音自体とその感覚に明るくないと難しいんすよ。

和音とかコードってば先ずPianoでってのが一般的で、さわりを掴むのには取敢えずそれで良いよ。
んが完全なハモり状態のは純正律の和音なんで、普通平均律で調律されてるPianoのとは若干響きが違うんだ。

だからハモり状態を概知ならガイドとしてなら良いけれど、音的・響き的にどんな感じなのかを知るには最適じゃないんだ。
正規のハモりを体感しとくとハモりの精度を上げるにも役立つし、そればかりか感覚(実践)主導で音程選択したり決定したりも可能になるん。

手前味噌だがコーラスに関しちゃ俺は普段音程が何度かとか全く意識してなくって、歌ってみてその曲の最適解を探してるんだ。
無論今となってはさっきの何度と訊かれたら即答出来るが、上記純正律云々もあるんでアンサンブル内で実際に試さないと可否判定に至れないんだよ。

敢えて度数を持出してそれを掘ると、過去に自曲で下3度を付けて欲しかったのに5度を付けられた事があってねえ。
けど実際にはその方が良くて、ハモりが1人なのを失念してたんだ。

どうも脳内想定のは3声だったらしく、きっと下3度だけだったら曲想よりポップになってただろう。
こんなのも経験値が蓄積して来れば、ある程度予測は出来る様になって来るけどね。

ポピュラー系小編成の場合色々制約があって、例えば歌える人数だ。
純粋に歌えるかでは3人居たとしても、どの曲でも全員弾き乍ら歌えるとは限らない。

又各人の声域事情で上に追加したくても下しか無理とか出て来るしで、それ等を総合すると実際に試してみるのが最善なんすよ。
それもなるべく「自然発生」的なのが良く、そうする事でそのメンツの「組合せ個性」ではそうなるなんてのも含まれてるからだ。

今時分○グループ独特のコーラスなんてのがスッカリご無沙汰だが、A集団では3度主体・B集団では滅多に3度を使わないなんつうのもかなり重要なんですわ。
加えて楽器以上に人の声は音色差が大きいんで、同一の和声を使ってもかなり異なる印象になる事すらある。

この辺が共通認識のある楽器音色との差異で、余計にそのもので試す必要性があるんじゃないかな。
ほいで純正律の件に戻ると、私的推奨は単音楽器の方がハモりの響きサンプルには向いてるね。

一部例外を除きPianoを通常平均律で調律するのは、音域の広さと無限に近い和音の都合なんだ。
和声自体が完全に共鳴するのは純正律の方も、それだと数オクターヴ離れた音程に看過出来ないズレが生じる。

つまり汎用性の為の妥協の産物で、それ故それに縛られない楽器や歌は純正律になってんだ。
その各楽器等はどうやって平均律のPianoと整合性を持たせてるかったら、音域中心位の音程をPianoの該当音程に合せてんの。

歌の場合はそもそも伴奏音程を比較して合わせてて、更にハモりはその主旋律(歌)に合せないと仕方無い。
って語るととても難しくなっちまうが、だからこそ響きがピッタリになる様にの感覚だけでやった方が良いのよ。

-つづく-

2023年6月17日 (土)

音楽備忘録1401 一寸変な歌の練習方法⓯

さてこの項第2弾があるか不明も取敢えず総括して〆に入りたいが、声色については後回しにするのが基本だ。
例え喉を壊さなくても訓練途中で変容させると、求める声色と予定にズレが生じる恐れは残る。

運が良ければ一度の修正位で済むが、運が悪けりゃ無限ループに陥る可能性があるのが冷静に俯瞰すれば分る筈だ。
だから少なくとも伴奏が完全に歌忖度可能なの以外を演ろうと思うなら、知ったからには絶対守るべきポイントなのだ。

以前にも触れたが特に若い時はその我慢は壮絶で、昭和程酷くはなさそうだが早く大人になったもん勝ちな処があるからねえ。
スポーツの分野では研究成果がそれなりに浸透して来て、非合理や過負荷を強要されるのがだいふ減ったがね。

音楽でだって教育は全く進化して無かないが、過去の反動か慎重になり過ぎだ。
俺が執拗に問題視するのはルールが厳し過ぎると破る奴が増える点で、100:0思考に追詰めたりするからなんだ。

過去述「無訓練では最も高音が出そうな時期の女児に、全部裏声で歌わせる」件にしても、地声高域拡張の方法をスルーする訳だからさ。
そんな状態で童謡や唱歌じゃなくワイルドなRockなんかを演ろうとし出すのは、無免許で泥酔してるのに車のハンドルを握るも同然だ。

流行からかなり掛離れた例示曲しか扱わないのも↑に拍車を掛けるから、もし一言だけ触れたって聞く耳持たずになっても無理からぬ。
せめてほんの10分でもダイレクトに、授業のどっかで歌でシャウトしたいならこうしてってやってくれりゃ良い。

が、不完全な基礎知識+オプション全省略ではどうにもお話しにならん。
という様な背景があるので末端等では、信用ならない敵の言葉は全否定が既定路線になったりしちゃってるんだ。

がⅡで全ジャンル共通の基礎もあるんで、それだけは抑えない事には先へ進めないのよ。
それがアナウンスの発声やOperaの発声の根幹部分で、声の仕事に就きたいなら先にマスターしといた方がええねん。

これを別ので例えるなら人間の赤ちゃんの身長・体重で、幾ら個人差があっても110cm・25kgの子なんて先ずあり得ないっしょ。
非未熟児の普通の子だったら、大体が45cm・2500g~55cm・5000g程度の狭い範囲に収まってんじゃね。

大人になっても頭囲が30cmとか70cmなんつったら、99%は何かの病気にでも罹って無きゃ居ねえわ。
もっと言や何時か腹減るとか息するとか、そう云う次元のお約束なたいなのが歌唱にもあるんだよ。
但しポピュラー系を主軸にするなら肩肘張る事は無く、私感でスマンが最低でも習得率が半分を上回れてれば仮免取得って処だ。

運転免許同様何を操りたいか次第じゃもっと率は上がり、例えば黒人系のやたら太い声なんかを所望すると下手すりゃOpera歌手をも凌駕しなきゃならんがね。
殆ど喋り声と近似の声色で良いなら、↑で一応賄えるんだ。

頼むから喋り声にしか聴こえないからって、歌い手がバカデカい喋り声!?△×なんかで演らないどくれよ。
そんなで済むなら喧しいオバチャンとかは、皆偉大な歌手になっとるがね。(一部実例が見受けられますが…😓)

<閉じる…って何もリンクは貼ってませんが>

2023年6月16日 (金)

音楽備忘録1400 適切な音楽の評価方法⑫

おやおや又しても前回後部で一見矛盾ワードが出たまま終らせてるが、これは補遺しないと誤解のタネになるからそっから行っとこう。
「音質良過ぎて内容却って低評価しちゃう」ってのも、内容と非リンクで高音質になってるとあり得るんだ。

根本原因は過高音質ではなく「内容非リンク」で、要するに高音質が悪目立ちして却って仇になってる訳。
音楽を離れれば高音質な程心地良いけど、それは言うなれば2次元美なんすよ。

一般楽曲は3次元でして上記が活きるのは、サウンドコラージュ・一部アンビエント系・トランス系とか位なんだ。
その手のは背景環境は設定するが主役は飽く迄リスナー自身の位置付けで、視覚置換すれば敢えて風景美のみの提供に留めてるんだ。

用途自由なんで国破れて山河在りでも良いし、ただただまったりに利用しても構わないと。
それで想い出したのが、杜撰大王って初期には音楽よりサウンド自体の方に遥かに興味があったんだ。

そのなれの果てが音響屋なんだろうが、音楽だって入口は音への興味だけでも構わない。
但し何時迄もそのまま続いては音楽評価は出来ず、それはサウンド非ヲタの人も多数居る事に気付かなきゃいけないのよ。

文章でも単語若しくはワンセンテンスにグッと来るのも居れば、ストーリー性にしか感動を覚えない奴も居るっしょ。
そんな思考を引用すれば完全には程遠くても、サウンド派の人でも少しは内容評価が可能になるんだ。

寧ろ最も困難なのはサウンドと内容への興味が拮抗しちゃってる人で、両方を感知出来るのは良いがどっちが原因でそう思ったかが中々分かり難い。
究極的にはそれが理想だが、仕上がるのに時間が掛かるから我慢するのも大変だ。

俺は今では両面がそこそこ分かる様にはなれたが、地の興味はサウンドが強いまま。
内容を吟味するのにサウンドが邪魔な時は、わざと「良いと思ったサウンドが無かった仮定」をして聴いてるんだ。

それすら慣れは必要なものの例えばBand全員が一斉同時にチューニングしてる際等、意図的弁別能は色んな場面で必要とされてるし全く出来ない人はほぼ居ないんだ。
喧噪の中で親や我が子の声を聞き分けるとか、程度差こそあれ弁別能って誰でも既に少しは持ってるのよ。

この場合にだと母・父或は祖母・祖父等の誰か、人次第で敏感な相手が様々だったりする。
それと同様サウンドや音楽でも最初は自然と耳に止るのを基準にして、徐々に拡大・多様化させてきゃ良いん。

因みに人には無反応に近いケースだってあろうが、それでもペットの鳴き声・果てはラインの着信音とか何かには条件反射してるんじゃないかな。
音楽だと器楽音から遠ざかる程直接利用が出来ないから手間が掛るが、昔動物の鳴き声をエレキで徹底シミュレートした人なんかのには却って行けるかもよ。

何れにしても既存所持能力より「知る」のの方が重要で、何か1つだけテーマを掲げて聴き続けるのが一番だぬ。
情報量過多を避けさえすれば、1つ1つはそんなに無尽蔵じゃ無いんだ。

>つづく<

2023年6月15日 (木)

音楽備忘録1399 ノリを育む方法⓮

これ迄色々綴って来たのは全て感覚主導にするとか養う為で、ノリや微妙なリズムタイミングを制御するにはそれが最善だからなのだ。
定量化させられた方が明確で楽なんだが、随時変動を許容するにはこっちじゃないと苦しいんよ。

聴いた感じは一定のノリでも比較芸術の真髄だから先ず相手が居るし、フレーズ次第で少しフィットさせないと却ってズレて聴こえる事があるんだわ。
ので随時変動も内容的には即応性が必須で、要するに一々計算なんかしてたら間に合わないのよ。

これが秒単位のレゾリューションだったら大抵誰でも大体はカウント出来るが、そこから細かくなってったら不可能になるっしょ。
けど何か速い遅いは結構ハッキリ掴めて、特に「相手」が誰か居たらかなり微妙な差迄分かる。

競馬やカーレースの先頭争いみたいに視覚は無いんでそれよりは劣るが、さっきのと今のではサッパリでも2つのどっちがとなりゃ少しは分かるやん。
なので相手が機械だったら割と一定するものの、今度はそれだと機械君のがベストポイントを辿ってはくれなくなる。

ここが厄介な処でこっちのノリだけが良くても曲には今一とか、アンサンブル全体では今一になったりする原因だ。
では過去述「シーケンスと生合奏」ではどう処理してたのかってば、シーケンスとのズレを許容した上でそれをなるべく目立たない箇所でにしていた様だ。

久方ぶり生贄でも又再出The WhoのBaba O’Riley、今改めてそのシーケンスと人力のを聴き比べたら次の感じになっていた。
アクセントやキメ(全員が同時に鳴らす箇所)が比較的突っ込み気味で、そこでスピード感を稼いでるのかな。

この曲ではシーケンスの音量バランスが、人側がフォルテ以上になるとほぼ聴こえなくなるバランスにしてあった。
すると何か微妙に早い気はしても、露骨にズレてるかどうかはシーケンスが聴こえないから良く分らない。

あと曲の最後部ではアッチェレランド(だんだん速く)してるが、その箇所では盛り上がる所なので完全にシーケンスを無視している。
けど曲想の関係でそれが何等おかしくなく、寧ろわざと速めたのが強調されて好都合な位になってたよ。

って事ってこれは達人が演ってる上曲想にフレーズ・音色込みでシーケンスが「合った」からそうしたんだろうが、その後の全曲で何時もシーケンスを使う様な真似はしてはいない。
ガイドリズムが例え機械でもなるべく音楽的な方が良いってのはこういう事で、でも相手が達人みたいに何でもベストフィットされられてる訳じゃ無いんだ。

かと言って達人に何時も練習パートナーをお願いするなんて到底無理なんで、「機械らしくない機械」にするしかないん。
それより古典的だが既存の作品と合わせてみるんなら、邪魔は色々入るが出された作品なら無数にある。

これ等を総合すると部分的な鍛錬には機械らしくない機械を、1曲通しで合わせるには既存作品とするのが妥協点ですかね。
初期段階では例えばずっと足りるだけ跳ね続けられるか辺りからになるんで、単調でも良いから機械らしくない機械のお世話になりませう。

>つづく<

2023年6月14日 (水)

音楽備忘録1398 歌のコーラス③

今劣化本邦でのコーラスがマイナー化した理由を探ると、私的には歌の平均声量が落ちたのが大いに関係アリだと踏んでんだ。
それはこれから「ハモりのコツ」を記してくと多分氷解して、極度の音痴で無い限りはモニター状態に左右されるのが拭えないからなんだ。

杜撰大王は題ではコーラスと綴っとき乍らサッサと「ハモり」等と異語を用いてるが、ポピュラー系では純然たる和声グループ以外は大抵は主旋律に加えるのしか演らないからなんだ。
因みに厳密にはユニゾンもコーラスの一種だが、声色・音量等を添加するだけで音程は追加しないのでここでは扱わない。

さて意識・概念的にも実働状況にも相応しいからのハモりだが、ハモるには先ずメインVocalがちゃんと聴こえない事には始まらない。
それプラスハモり手が他にも居たらメインよりゃ同じから小さ目の方が良いが、全く聴こえないのではハモり手同士が上手くハモれないからそれも不味い。

で具体的にどんなのがハモれてる状態かっつうと、理想は複数の音程はあるが束になって響いて来るヤツなんだ。
プチ専門理論でも置換しとくと純正律で和音として「調和」してる状態を指し、所謂「相乗効果」が有効化して気持ち大き目に聴こえたり音の通りがかなり良くなったりするん。

歌い手の人数が増えた分歌パート全体の音量が上がるのも皆無じゃないけど、そんなのより「へこたれ難い音色」になるのが象徴的なのよ。
単独では大した存在感の無い声色でも、音的化学合成されると久々俺言い「目立つ倍音」が生成されるんだよね。

ハモらせようとすれば下手なりに声色の悪いなりにでも、目指す響きは一致してる。
すると歌の目立つ倍音は少ないなりでも歌う全員から出てて、それ以外の無駄な倍音!?は不一致に分散していたりになる。

その足し引きの結果一致してるのだけが残って協調・強調され、一般聴感的には恰も響きが良くなった感じになる訳っすよ。
でⅡでユニゾンも精緻に音程を揃えれば近似効果が発揮されるが、多数派はEffectorのChorusみたいに拡げる方が多いんでそうはならない。

若しくは狙える程の腕が無い場合、バラけるのもありだからねえ。
のがハモりでは最低限ハモらん事には気持ち悪い音になるので、そう云う不合格の以外のには程度差こそあれ必ず増強効果が期待出来るんだ。

でⅢで本当に美しい響きとなると各パートの音程もシビアになるけど、一応噛み合った状態で良けりゃ結構大雑把でも平気なのよ。
そうなるのは元から各パートの音程がほぼ別のだからで、直接比べられる相手が不在だからズレがバレ難いのね。

これはボロが出難いだけでなく実際共鳴が起こり易く、だから下手な人こそその面ではユニゾンって怖さもホントはあるんだす。
ある程度以上の声量がある者同士だと他人のは耳の外部、自身の声は少なくとも感覚的には耳の内部と別の場所から聴こえる感じになる。

それを比べて加減すりゃ良いんで、釣られないのに慣れさえすれば誰でも出来る様になれるん。
つまり過半数は声量以外の歌唱力より、聴き取りの良否のせいで可否が決まってんの。

-つづく-

2023年6月13日 (火)

音楽備忘録1397 一寸変な歌の練習方法⓮

今回は前出Ian Gillanの裏声シャウトを主軸に綴ってくが、残念乍ら当の本人は殆ど使え無くなってしまったらしく残念だ。
そこから派生した認識が最悪で、どうやら喉の負荷が高い唱法との致命的誤認に至った模様。

と言い乍ら杜撰大王ですから当初はとても危惧したもんで、どうして本人が不可化したか解析出来る迄は不安だった。
そこで今一度Ian Gillanの全唱法を整理しとくと、象徴的な裏声シャウトは高音部限定で他の方法のシャウトの方が頻度・量的にはかなり多かったんすよ。

昔の英国人なのでBlues色が強ったが、その唱法は米黒人みたいなコブシでは無かった。
では例のオーバードライブ唱法かってば、適正域より音程の低いのもあったのでそこを喉声シャウトで凌いでたらしい。

どうやらそれが喉のかすれを促進した様で、普段は秀逸な発声方法を使ってるから殆ど露呈しなかったのかな。
そんな状況って風邪の後で喉が完全復旧してない時と近似で、地声音域ではほぼ正常に戻ってるけど裏声が殆ど出せない。

要するにシャウトするかしないかはほぼ関係無く、裏声自体が出し難くなっちゃったらしい。
原因については外野の憶測だから、本当はアルコールや薬のせいかも分らんがね。

何れにしても裏声シャウトってな裏声が出せる限り、不能になる事ぁあり得ねえんですわ。
勿論正規の方法じゃないのでやっ
てると確約しかねるが、喉声オンリーで無くて裏声が出せるなら習得の暁には使えるのを保証致しますですぜ。

この方法ってほぼオーバードライブシャウトの裏声版で、昔従兄がクリーンな裏声から徐々に歪ませたりして種明かしをしてくれた。
後年太鼓講師になる様な人だったからかも知れんが、歪み度を増やしたり減らしたりまるでスティックトレーニングの加減速みたいにさ。

この唱法の成否はフル歪みから完全クリーンに何時でも戻せる処が要で、喉をなるべく使ってないから可能な技なんよ。
喉に過負荷が掛かると行きの1回目は無問題だが、帰る時に段々徐々に完全クリーンじゃなくなるんだ。

特に地声のは腹声オーバードライブシャウトでも沢山続けると少しは喉が荒れちゃうけど、裏声のは地声より脱力してる分かなり疲労の来るのが遅い。
因みにご存知とは思うけど裏声って、少なくとも地声の時よりゃ力を抜かないと出せないのよ。

この物理メカニズムについてはフルートが似てて、下手っぴが吹くと高音ばかりがドギツクて喧しい。
尤も低域は音量が出ない癖に息はやたらと要る始末で、それでいて僅かでも余計な力みが入ると裏返っちゃってオクターヴ上へ行っちゃう。(って杜撰大王は家族の中で唯独り鳴らせなかったんすが💦)

今迄考えた事も無かったがこの性質って肉声歌唱と近似で、バルブ自体に穴付きタイプのがあるのは口の開きの代りかな。
その他口笛(これ又幾ら練習しても未だロクに吹けない😢)等、どれも最もシンプルな音を出す手段
だ。

楽器と違って人には回復力が備わってるから油断してるか知らんが、良い音を維持するには壊したり荒したりするのはマイナスよ。
只この回復力って病損や間違って変な出し方した時用なんで歌唱で依存は厳禁、却って楽器みたいに即座に壊れた方が唱法の誤りを
認知し易い位だ。

>つづく<

2023年6月12日 (月)

音楽備忘録1396 適切な音楽の評価方法⑪

今回は俺言い楽器音響の観点から評価法を掘ってくが、これには積年の迷いがあってねぇ。
近年の高音質下で純粋音響の音質を優先させると、何故か音楽ツールとしては性能が低下するっつう…。

昔からどんな楽器ももっとローノイズ化・ワイドレンジ化等々、その意欲は人一倍強かった。
折角音響屋兼任なんでその知見を最大限に活かしたかったものの、音響的に単純に高性能化させるとどうも楽器っぽくなくなってイカンよと。

その過程で見えて来たのが俺言い「目立つ倍音」の存在と重要性で、比較的最近痛感させられたのが歪み率だ。
前者は僅かでも欠けたり含有率が低下すると、後者もそれ以外の部分での歪み率に拘るとどうも駄目だったんすよ。

これには幾つか原因があり筆頭はアンサンブルに入ると…で、単独と集団では聴こえに変化が起こるからだった。
各楽器には重要度の異なる要素が夫々大別して2つあるが、大事なのに小さいとかそうじゃないのに大き目な音量バランスになってるのがあった。

っても完全分別は不可能なんで程度問題になってて、そうなるのは音響耳と音楽耳では違う聴き方をしてるのが多いからなんじゃないかな。
音響耳では割と耳に入って来たままを受止めるのが多いが、音楽耳だとずっと1つのパートを追い続けたりがある。

純粋な音響耳なら例え音程感の喪失やバランス変容があっても高音質が堅持されてりゃスルーになったりもしてるが、音楽耳ではそんなの完全Outと判定が真っ2つに分れる。
っつう処から音楽評価には1つのパートを執拗に追ってみるのも1つの手で、例えばローエンド・ハイエンド欠落の有無のみに注聴したのとは違って来るんだ。

それに際しほぼ全員に気を付けて欲しいのが、旧作の音響的レベルのプアさだ。
稀に狭帯域・ナローダイナミックレンジの方が功を奏すケースもあれど、ロクでも無い音の中から別のロクでも無い音が結構聴き取れるって事実にね。

俺が執拗に今劣化本邦のJ-POPを中心にディスり、俺言い黄金期の洋楽を中心に崇め奉るのはこれが主因なのだ。
今の方が機器も演奏技術も明らかに向上してるのに、一番マシなのでせいぜい同等程度の聴き取りしか達成してないのは一体どういう了見かってね。

更に追及しちまうと今駄目作品に一定以上洗脳されるとこれが又不味く、純粋な音響音質等で大巾に内容に下駄履かせられてても分別不能になるからなんだ。(耳が悪慣れ)
いやぁまあ実際に唯楽しむのには原因成分比率なんてどうでも良いんだが、音楽に限ると保存料が多い程俺言い「ある賞味期限」が短くなるんだなぁ。

それ何ってば寝かしとく分には長寿命になってんだが、一旦耳にしちまうとそんなの程長持ちしないんですわ。
金とコネをフル駆使して大ヒットしたとして、そんなに流行ったんなら数年後でも後年も1回位はメジャーで流される筈よ。

実際平成の途中位迄はそうなってたのに、今劣化本邦じゃ何かとコラボったとか再ブームが来たとかじゃないと全然流れなくなって久しいぞっと。
わ兎も角音響音質と音楽内容の分別にはもう1つリスクがあり、音が良過ぎて曲の良さを捉え損ねたりする可能性だって時々あるんだ。

-つづく-

2023年6月11日 (日)

音楽備忘録1395 ノリを育む方法⓭

さて前回俺言い「一寸恥ずかしいかもな鼻歌!?」が登場した処で、ここではノリやリズムにとっての効能から行っちゃいまし。
この項で重大とも言うべき関係性があるのは、弾ける叩ける様になる前段階の時なんですよ。

理屈では楽器の操縦を最低限マスターしてから、ノリやリズムを調整するのも可能なんだ。
んが杜撰大王からすると寧ろ逆であるべきで、今一目的不明瞭のままで
マスターしたメカニクスが何処迄役立つか分からないからなんよ。

心情的にも一番好きなのとかどうしても獲得したいのの為だったら、俺みたいな面倒臭がりでもそれなりに頑張っちゃうだろうけどさ。
つまり上記のだと心技の両面で一部例外的に精神が頑強な者を除き、追及が甘くなる危惧がある手法なんすよ。

コレ語るのに少し力が入るのも、俺は先ず弾きたい叩きたいってなった人じゃないからなんだ。
楽器って一般論の演奏技術の為には少しでも早期から触れるのが良いが、シビアに言やそれって音楽をスポーツとかと混同した考え方なんだわさ。

特に個人独自の表現をしたい際に問題で、スポーツと比べると音楽には絶対的ルールが無いも同然。
なので従前の奏法が果たして各個人の個性にフィットしてるか全く不明で、最悪は全く無駄になる処かマイナスになったりする事すらあり得るんよ。

そこで対策を考えてみると「音だけは弾ける叩ける前に分かってる」のがほぼ唯一の道で、それを具体化すると鼻歌とか口Drumみたいなのになるんだな。
今感覚に換言すればエアー○○(楽器名)が視覚版とすれば、その音版があっても良いしある筈なんだよね。

その証拠に私感では口真似の人にノリやリズムの悪いとか、リズム面で全く印象に残らない人って居なく無いけ?。
何せ音自体は偽物なだけにサウンド以外の要素でも相当頑張らんと、中々それらしくならかったりするっしょ。

ってんで口でやれるのとやれないのを掘ってくと、音色や音程にはかなり厳しい制限が掛かるざます。
凄く首や喉の細い人だったら極太なサウンドは厳しいし、音程の方は声域が幾ら広くったって人間如きPianoにゃ必敗すらぁ。

そらぁリズムだってやたら細かいのとかだと苦しいが、ノリについてだったら全く無制限なんですよ。
ここへ着目しなかったら末代迄の恥ってなもんで、少なくともこれを読んで知っちゃったら利用しない手は無いですぜ旦那。

口で言えなきゃ弾けないは杜撰大王だから一々追求しないが、偶発以外で自分の中に無いとか理解が足りないのは何でやっても出せないのは確かだよん。
特別お口が不自由でも無い限り最も音を出すプロセスがローテクなんで、ノリやリズムタイミングへの集中度が高いと看做せるんじゃないかな。

なのでコレをなるべく最初に取組んで欲しいんだけど、それなりに楽器は操れるのにノリやタイミングがどうにも変えられない人にとって救いの道になる可能性を秘めてんじゃね。
やる必要のないのが居るとしたら、口より楽器の方が遥かに自由になる人位なんじゃないかな。

>つづく<

2023年6月10日 (土)

音楽備忘録1394 歌のコーラス②

さてもう少しコーラスの優位性を掘ってくが、単独時等と色々比べてってみませう。
何れも歌のバリエーションの点で使った方が大抵有利で、単独じゃないと合わない曲もあるからこそ考えて欲しいんだよね。

したら最初は存在感について比べてくが、単独でも全編ユニゾンのと比べたら若干コーラス付きの方が弱くなる可能性もある。
曲次第じゃずっとハモりが付け続けられるとは限らないから、所々がぼっちになってまう。

だが大抵は強弱のある曲が多く、例外としては軍歌や労働歌等が考えられる。
軍歌は未だしも今劣化本邦じゃ労働歌と言っても不明な人も居るだろうから、プチ脱線させて少し掘っときやしょう。

かつて機械化率が低かった頃は複数人じゃないと不可能な作業が多く、タイミングを合わせたり各人が均等に力を発揮する必要があってさ。
今でも極短い「せ~の」位はたまに耳にするけど、何時もそればかりじゃ重労働なんか続けてられない。

軍歌も戦意高揚とかもあるが、遠距離行進を堪えさせるのが主目的で始まった。(要するに気を逸らす稚拙な作戦💧)
んで「せ~の」みたいな掛け声は一時的若しくはピンポイントで力の要る際用で、基本コンスタントに延々の用途が軍歌や労働歌なんすよ。

だから普通のポピュラー系曲にマッチするケースなんて
僅少で、まあアイドルの不眠不休の激黒待遇だと本人達には軍歌や労働歌の方が合ってる気も…。
何だか俺の中の悪い虫が騒ぎたがっていけねえが、ユニゾンは大所帯になればなるほど全世界的には贔屓目に見てせいぜい校歌か何かと思われるのがオチだって。

仮にそこ迄行かなくても大人数ユニゾンは、多様な表現をするのには全く向いてないんだ。
だからⅡで某○KB系等本家筋!?ではソリストが育って来れば、終始ユニゾンばかりじゃなくソロパート位は挟んで来てたよね。

正直上手い奴が不在なのをコーラスで誤魔化してるのだってあるし、私的にコーラス好きな側面があるのも否定はしないけどな。
只当初からコーラスを全否定したかの様な姿勢とか、裏でも全くチャレンジを放棄みたいな真似はご遠慮願いたいんすよ。

これは編曲の基本部への冒涜でもあって、テンポ・リズムパターン・コード等と同じ位選択の余地があって然るべきものですぜ。
歌が主役の曲の場合王道アレンジでは、先ずコーラス等の有無も含めた処から始めないとね。

それ次第でどの位装飾や間持たせの過不足が出るか、全然アウトラインが定められまへん。
又慣れの問題ってのも無視出来なくて、普段から歌わされる可能性があるのと無いのが将来に長く響くんだ。

その点でも昔のエンタテイナーを誰でも学ぶべきで、歌物曲を演るったら何時掛け声やコーラス位担わされても至極当然ってのをさ。
んでそれは想像するよりゃ随分容易くて、TVドラマや映画のエキストラ程度でも構わないんよ。

勿論そうじゃない曲だってあるけど、そう云う際は非歌手の人に歌ってとは端から思わないって。
それこそ脆弱な歌唱力しかないアイドルに全員一緒に歌わせるのと発想は同じで、但しメインとはラインを隔離しとかないと主役の邪魔するが可能性があるん。

-つづく-

2023年6月 9日 (金)

音楽備忘録1393 一寸変な歌の練習方法⓭

シャウトは太鼓の腱鞘炎と同じ位「間違えると危ない」から、掘れるだけ掘っとこう。
中にはハスキーヴォイスに憧れて、わざと喉を1回潰してみようなんて危険思想もあるがねえ。

実際ハスキーな本人にしてみりゃ、俺なんか寧ろ非ハスキーのイケボに憧れてるんだ。
又々変な言い方だが同じハスキーでも天然のは嫌味が無く、人工のはそれがあるって感じで似て非なるものなのよ。

昔のSyntheみたく最初から人工物だったら「そう云う物」として容認もされ易いが、無加工の肉声は今時貴重な純粋な天然物。
それを中途半端な小細工をしては、最早多彩な声優等を聞き慣れてる以上通用せんて。

彼等彼女等は声自体を弄るより先ずは話し方を色々に変えて、それに付随した声色の違いをアピールしてるね。
ので声色よりもトータルの結果に主眼を置いてて、まるで元祖Fuzz Faceを高度に扱う様な事をしてるんすよ。

近年のストンプには安定性95%応用性5%みたいなのが多く、誰がどう繋いでどう弾こうとそれらしい音が出てくれたりする。
だが手加減等が幾らも反映してくれなくて、けど色んなのを沢山用意しときゃピンポイントで切替えれば忙しないがどうにか楽曲に対応出来る。

のが太古のは逆の性質のが多く一寸でも扱いに瑕疵がありゃ所望から外れるが、敢えて意図的にそれを利用すれば万能に近いと言わば諸刃の剣状態だった。
声優に戻るとセリフが少なく使用語が限られてりゃ別も、この先何を喋らされるかは大抵キャラ構築時点では未明。

のでⅡで例えばピカチュウの声みたいなのを除くと、何でも喋れる声色じゃないと実用にならないん。
歌唱では声優と比べれば応用性ではかなり楽になるものの、先に声色を設定してから応用性を広げてくのはやっぱりあべこべなんざます。

健康の他こんな面でも喉声オンリーはとっても不利で、早々に破綻するのが目に見えてんすよ。
ってのも腹声ですらシャウトの種類次第で、色々と使用制限がありましてね。

総体的傾向としては声域に対し低い方でどれでも無効化し易く、肉体的負荷は低くてもノーマルヴォイスでも低音域を拡張するのが最も高音域より高難度なのだ。
人って大声を出そうとすると音程がデフォより上がり、小声を出そうとすると自然と低目になる声質があるじゃん。

そんな中でJohnny Winter等で有名な、俺言い「Blues系特有のコブシ」がほぼ唯一の救いなんだ。
これは高い音程で無効化するがもしオーバードライブシャウトとかつての😓Ian Gillanで有名な裏声シャウトとの3つを併用すれば、声色こそ変化があるが一応全声域で歪ませられる。

これが喉の負荷を最も下げられる方法で、それ以外は負荷が上がるので頻度・継続時間・有効声域とも減少する。
でもそれじゃあ誰でも似たような感じに…案ずる無かれ、肉声にはかなり強烈な個性があるんでシャウトしてもそれが反映されるんだ。

寧ろ歪み系ストンプと同様何を繋いでもデスメタルになる様なのが、歌の場合喉で無理に「作った」シャウトの方だ。
確かに第一印象ではその方がインパクトのある気がするが、喉の器用な人ならすぐ模倣出来たりするからオリジナリティに欠けるんよ。

私体験ではこの事をよくは知らなくても、歌の上手い奴には自然とそんな傾向があったよ。
後は曲と自身の声質を考慮してキーを上手に選べば、ベストフィットにはならなくても「歌えない曲」が無くせるんじゃないかな。

<つづく>

2023年6月 8日 (木)

音楽備忘録1392 適切な音楽の評価方法⑩

前回は芸術肌には文系が多そうな気がしたので心理面を綴ったが、もし理系で少しアカデミックに攻められたならそれに越した事は無いのだ。
俺がこれに典型的に該当するんだが、しかしかと言って迂闊に心理面を軽視してるとロクな事ぁ無かったよ。

その失敗談たるや質も量も多過ぎて想い出すのも困難なんで後回しにするとして、少なくとも「音楽の音」関係では比率は兎も角文理両方の要素が不可欠らしいよ。
概知の如く俺は純粋な音響技師・Rockを中心とした音楽音響技師・音楽家の三つ巴で、この件では最強も適用を誤るととてつもないバカをやらかす危険がある。

こんなのを読む大多数は純粋な音響技師は滅多に居ないつもりで筆を進めてるが、万一音楽音響技師や音楽家の要素を持ってなかったら最低限俄かでも良いからどっちかになってね。
自身で真剣に考えた事が無いのがなんとも杜撰大王だが、機械音の一部にはそれ自体のヲタには良音でも音楽には殆ど使えないのがあるですよ。

心細い記憶から何とか辿ってみて確実に候補に上がるのは、近年の電車の所謂「VVVFインバータ制御」の回路とモータが出す音ね。
いやまあ又しても社会性の低いコアなのでスマンが、昔の以上に奇々怪々な不協和音を出しやがるんでねえ。(ホントは通勤・通学でかなりの多数が日常的に浴びてんですが…)

昔の電車だってモータから不協和音のするのは幾らでもあったんだけど、それ等はアナログだから不協和音にも人が馴染める法則性があったのよ。
それが今のと来たらかつて京急とJRの一部にあった、俗称「ドレミファインバータ」or「歌う電車」
以外は絵の具の筆を洗う水の交換直前みたいにゴタ混ぜだもん。

前衛にするなら却って好都合かも知れんが、それ以外の音楽だと良くてSEとしての他に使い道が思い付かない。
この手のは他にもあるだろうが非音楽の○○ヲタだと、そんなでも気に入れば良い音と認知してまう。

ので幾ら客観視するにしても、「音楽に結び付けそうにない」のは除外すべきなんすよ。
それには音響技師なだけでは困難で、一定以上音楽にも詳しくなれてないと厳しい。

結局両方に才能が無いとそのハードルを越えるのは難しいんで、一般大多数は良否を問わず好き嫌いに徹するのがお勧めなのだ。
それであれば他人と価値観が異なってもお互いの領域を侵食し合う事が無く、副産物として自分と違う人を許容出来る様になる。

その体験が積算してくと世間の主流派には今はこんなのが好まれるらしい等と、個人の価値観とは別のでも理解可能になって来る。
好みと上記みたいな価値観の分離が図れる様になれば、それが普遍性のある良否判断の入口になる訳ね。

これって音楽内容でも同様なんだけど、私的にはサウンドの方で影響が絶大だと思っててさ。
内容を仮にメロとすればドレミは平気でドレファは駄目とかになるが、その際ドレ迄の内はどっちでも無い。

だから3音は「聴いてから」判定が下るがサウンドの場合1発目が受付けないのだと、少なくともその後のを平常心で聴き続けられなくなったりするやんか。
処が極端なのだと散々ゴミを聴かせといて、最後に最高のを出して来るのなんかもたまにある。

のを偶然エンディングだけ聴くとかしかない限り、誤審してそれに気づけないで居ると逃しちゃうのよね。
判定は「聴き終ってから」の癖が付けばそれ等を避けられて、一度だけ我慢して未来永劫以降は拒否する作戦!?をも可能にするだわさ。

<つづく>

2023年6月 7日 (水)

音楽備忘録1391 ノリを育む方法⓬

筆者は数種の楽器を並行してやっては来てるが、Bassその他でリズムが大丈夫なのがDrumだと何かおかしくなるのがあった。
それが単に楽器の腕とか慣れのせいじゃ無い感じだったんで、暫くは自身の中では一寸した怪現象だったん。

んで仕方無いから探求してったら、演奏中の「聴こえ方」が違ったのが問題だったんだ。
今は「合せた時」の話しなんで何かの音がある前提で、現状宅では太鼓の時だけ再生音量とか隔離が不充分な感じでね。

他の誰かが叩いたり聴いたりしたら違うかも知れないが、自分用の太鼓モニタシステムが未完なのかなぁ。
わ兎も角自分の演れる他楽器と比べると、狙った音色を出した際聴き取りに劣るのは確かだった。

つまりは太鼓の音がデカくて他が聴こえ辛くなるんだが、どうやらその間にガイド音源とズレて
んだねえ。
これは短期間聴こえなくなるだけでこっちがコケるケースでは、その聴こえなくなる際だけ太鼓を思いっきりぶっ叩いてるのも悪いらしい。

っても音色等の都合で少なくとも自分の場合だとそうするしかなく、エレキより生楽器の体験が少ないのが露呈したのかな。
よくよく思い返してみりゃ各楽器夫々に、最初はアレっと感じる部分があった様な気もする。

リズムを取るとかノルにしても楽器毎に異なるハードルがある訳で、そう云う意図したのと現実との差は合せて録って聴く事での修正が必要だ。
因みに「思って」ってのは脳内では既に鳴ってる音で、それは大体合ってる筈なのに外へ出すとズレるのの修正は第2段階に相当するざます。

因みにⅡで俺が絶対音感をある程度得たのは才能のみじゃなく、幼少時にそのものの音を再現したい渇望から来てたらしいんだ。
当初そのターゲットは音楽じゃなく乗り物の出す音とかで、それ等の違いを誰かに説明したり自分で好きな時に浸って酔う為に何時の間にか始めちゃってたんだ。

ほれ子供の中で未来のヲタ候補生みたいなのが、ブィーンとかウィーンとか恥ずかし気も無くやってるのって居るやんか。
殆どの大人は唯微笑ましくて好きなんだねえで終わらせるけど、そうじゃないんだもっとホントはこうでしょなんて今でも時々ツッコミたくなる衝動が内心はあるかも
😵

わ兎も角Ⅱで所謂「好きこそものの上手」っつうのはこんなのから発生するもんで、そこ迄じゃなくても人知れず密かにチャレンジするのは意外と価値があるんじゃないかな。
スポーツや音楽のコーチに長嶋茂雄とかみたいに、音の口真似とかで説明する人も居るじゃない。

アレって生徒のタイプ次第で合う合わんはあるが、ゴールをたった一言で説明するには他にそれより優れた方法が中々無いんだよね。
到達出来るかは神のみぞ知るなんだけど、何時の間にかイメージがボヤけたりズレてったりするのは防げる。

スポーツでもアリな位だから音楽にはホントは必須で、恐らくある程度以上のレベルの人は他人に悟られない様に乍らも内部ではやってるに違いないよ。(俺はアホなので堂々と…って子供鉄ヲタの前科もあるし…)
それでか「口で言えないのは弾けない」なんてのが、業界内ではまことしやかに語られてるんやで。

>つづく<

2023年6月 6日 (火)

音楽備忘録1390 歌のコーラス①

平成中盤以降軍歌みたいな大人数ユニゾンが巾を利かせてて、親父がかつて学徒出陣で招聘されてたのもあってこう多いと嫌んなっちゃう。
なぁんつうと老害臭ふんぷんかも知れないが、歌える人が複数居るのに何と勿体無いと思っちゃうんだよねえ。

多重録音が可能化する迄だったら、ぼっちじゃ絶対ハモれないじゃないさ。
しかし歌の主旋律が脆弱だとVocalダブルトラックも必要で、それをリアルタイム化すればユニゾンになる。

ではコーラスは付属物なんだから弱くても平気かってば、本当に背景音の以外やっぱり脆弱だと駄目なんだ。
どうも典型的日本人はメロっつうとすぐ単音の固定観念が強いみたいだが、「最初からハーモニーのメロ」ってのもあるんざます。

スタイル的に独唱を選択する以外でユニゾンばっかにしちまうと、実はもうそれだけで演れる楽曲が限定されるんだぜ。
それで勿体無いのが大所帯のグループで、↑の弱点って「ハモりもユニゾン」に出来るのになぁ。

等との私感は程々にしてコーラスも、ほぼメインVocalと肩を並べられる位じゃないとの説明へ進もう。
楽器も演る人には伴奏だったら弱過ぎたら困らんかいと問うが、通常メインより音量が低目になるから結構強くてもそれが目立たないだけなんすよ。

何せ音量と云う最大のファクタで譲歩してんだから音色位より太くしときたいが、それも主役より悪目立ちすれば認めて貰えない。
以前伴奏の項でも記したが、脇役こそしっかりしてないと駄目なのは芝居と同じなんだ。

通常コーラスの付く範囲・時間・頻度がメインより少ないんで、盛り返せる機会も少なくなるのさ。
結果ポピュラー系での過去例を見ると、最低メインもたまに取れる位の集団がコーラスも良い感じなんだわ。

グループに依ってはメインの人が録音で重ね録りしたのを、Liveではゲストに歌わせるなんつうのもあるがね。
元のは同じ声だから、それこそ上質な影武者でも見つけられないと再現し切れない。

ではそんなにハードルが高いのかったら否で、少なくともポピュラー系では声質や発声を大して揃える必要が無いからそこはかなり楽なんだ。
声量差にしてもホントは揃ってた方が良いけれど、Micを個別にしたり感度を変えたり出来るしね。

のでまあまあ全員が「ちゃんと歌え」さえすりゃOKで、声色なんかは寧ろ全員違った方が良い位なんだ。
Classic系の声楽だって人次第で少しは声色が違うけど、ポピュラー系みたいに何でもござれでは無いよね。

個性的な和声にしようとして難易度の高さも然る事乍ら、ポピュラー系小編成ではパート数を限定される場合も多い。
がその代わり声色とその組合せの個性はほぼ自由で、簡単な和声でも様々な表情や味わいを創出出来る可能性があるんだ。

のでその人なりに一応ちゃんと歌える様になれれば、後は他パートに釣られない様になるだけで良い。
ほいで俺言い「ちゃんと」が出来てると、ある程度の声量は得られてる筈。

すると同時に歌ってて自分の声が全然聴こえなくはなり難いから、ハモりもより付け易くなるんすよ。
これは相手にとっても同じだから、まあまあ全員がの主軸は声量になるんだす。

処でそれってRock等器楽音が大きいと、どうせその位は声が出てないと単独でも歌い辛いんだな。
PAがショボいなんて今の日本じゃ滅多に無くなったけど、例えば不意にコロガシが逝っても変な音程とかにならずに済むのさ。

-つづく-

2023年6月 5日 (月)

音楽備忘録1389 一寸変な歌の練習方法⓬

お次はRock系では必須のシャウトについて、俺が知る限りを綴っとこう。
一言で言ったら正解は無く、唯ある程度以上の頻度と継続性があればOKだ。

がマージン込みで取捨選択してくと、喉を通常より狭めて出す類のは落選なんだ。
少なくとも歪みの為に細らせるのは考えもので、それは高音を出す方に回したいん。

高い音程を出すには「小さくする」のが必須で、喉に限らずスピーカや管楽器を見りゃ一目瞭然。
ので本人無自覚・無意識だったとしても高音程を出してる際、メカニズム的には誰でもその人の喉なりに必ずそうなってんの。

のでⅡで声量をかなりセーブしてるとか、頻度や連続発声時間が相当に短くないと直ちに喉をやっちまう。
だいいち至近で聴いた時以外喉だけのは脆弱で、腹声(腹筋その他を有効活用)のと並べたら負けちまう。

一寸出戻り重複になるが声を遠鳴りさせるって、部分的には空気銃みたいなもんなんだ。
銃の場合飛距離アップ魔改造にはバネ強化したりするけど、人間のは体の何処かの筋肉を使う事になる。

実は喉声だって喉に「空気を押出す筋肉」なんて付いて無いから、結局は腹や肺(間接的には胸や背で大角膜)を使ってるんだけどね。
だからせめて腹声比率が過半数位にならんとって吠えてんだが、もしあまり喉を使わずにシャウト出来たら一挙両得だよねえ。

それが本日主役の、オーバードライブなんすよ。
恣意的に喉等に小細工してシャウト音色を捏造!?するんじゃなく、供給空気量を必要量より増やしてまさしく「喉をオーバードライブ」させるんでやんす。

別観点では空気供給を量でなく過速度にするとも見做せ、決して楽チンでは無いけれど他の方法で発声するより鍛える余地が最大になりやす。
何せ喉は受動的に歪むだけで、大角膜を中心にインナーマッスルとか諸々を強化すりゃ良いんだからさ。

でその声色を文字で表すとしたら、漫画の擬音表記に相応しいのがおま。
「あ゛」「ゔ」とかがそれで、普通には実在しない音なんだけどね。

言語解析だと「ば」とか「が」より明らかに「あ」の方が近いんだが、かなり濁音成分(その正体はほぼ歪み)が強かったからそれが伝わる様にと国語ルールを意図的に逸脱させてるアレですよ。
この方法の利点は多岐に渡るも一番は喉の局所的負荷が軽い事で、それは発声メカニズムの範囲が広いのともリンクしてるんよ。

そんで実用上の他との差は高頻度や長継続時間が可能であり、且つノーマルに戻した時のノーマル度に大差があるんだ。
絶対にシャウト声色しか使わないんなら良いけど、大抵は落差演出の為にも「普通の声」の部分が何処かしら残るじゃん。

或は「耳休め」に次曲を大人しいのにするとか、その効果を最大化するには非シャウトのは極力綺麗な声が出せないと不味い。
けれど喉シャウトで酷使してたら例え持ったとしても、声色の回復にある程度のインターバルが無いとどうしようもないやん。

>つづく<

2023年6月 4日 (日)

音楽備忘録1388 適切な音楽の評価方法⑨

今日は分別を明確化する目的で、正しいサウンド評価の仕方について言及しときまひょう。
ここ迄杜撰大王の癖に妙に自信あり気に綴れたのは、音響技師としてこっちをしっかり把握してたからなのもあるんだ。

音と音楽内容の評価には重複してるのも少なくなく、実際には相乗効果で成り立ってるののほうが断然多い。
けれど鍵を握ってるのが両方なのは極少数なんで、作る側としてはキッカケを見つける必要がある。

例に依ってゲス比喩するなら美人には甘くなっちまうみたいなもんで、相殺すのるのこそ可能でも人に心がある限り避けては通れない現象だ。
ここでの相殺とはサウンドの魅力を正当評価する事で、それが分ってこそ無効化するのも可能になって来るんすよ。

この力は上手く応用すれば腹黒美人の裏の顔を炙り出すのにも使え、美人局に引っ掛かり難くもなれるかもね。
わさて置き上述の如く密接な関係にあるから完全にフレーズと切り離すのは困難だが、単音単位で聴くのが最初の一歩だ。

誰でも思い当たるのは「あそこの一発だけは良かったんだが」みたいなので、皮肉だが音楽的に稚拙なのの中に程そんなのは見つけ易い。
何しろ曲もフレーズも最低なんだから、内容に惑わされる心配が最小な訳っすよ。

普通そんなの聴きたくないから脳の分析・記憶回路をシャットダウンしちゃうんだけど、音響技師だとそうは行かなくなってさ。
純粋に修理屋として請われた際個人の音楽性なんか出せないから、曲が嫌いだからって「うわっ酷え音」なんて間違っても口にも表情にも出せない。

だいいちそんな気持ちになり過ぎてると、心にバイアス掛かっちゃってサウンド評価をも左右し兼ねないですから。
ので所詮は瘦せ我慢に近くとも、なるべく音だけ聴いて内容は聴かない様に頑張るんよ。

ここ迄はより影響が分り難いし大きそうな心理面を来た処で、本来は真髄である筈の音響的音質面へ進めよう。
音色良し悪しの内音質に左右されない要素は限定的で、内容評価の時と反対に極力高音質な方が良い。

只それでも純然音響と異なるのは、主に数値化出来ないされてない部分のスペックの重要さなのだ。
その典型が過去に別項等で綴った「硬さ」で、綺麗汚いと気持ち良い悪いは必ずしも同期しない処にある。

美しいからこそ極悪に感じたり、みすぼらしいからこそ清貧とつい思ったりするヤツね。
この場合外面と内面のコントラストが最大になる事でそうなってて、音質だと外面が一般論の高音質で内面が非一般の方になる。

のからすれば両方を公平に公表しといて欲しい処だが、前者は誰にでも関係あるが後者は基本的に音楽ファンにしか用が無いからねえ。
そいで又音楽好きには理論より感性重視の方が多いんで、唯でさえ難しいのに数値化の研究や公表が遅れるん。

そんなだから俺みたいな両刀使いは一種のトランスジェンダー扱いされて
、音響仲間からは感情的・音楽仲間からは非情と実際よりも思われる事が多かったよ。
音って他の何より「その人にはどう聴こえてるか」が分らなく、それ以上にどう解釈してるかが様々だから難しい。

のからするとなるべく聴き手が無意識な時のが相応しく、好き嫌いや興味の無いのが流れて来て聴こえたなんて時が最良かも知れない。
それですら生理的に受付けないなんて部分が少しは残っちまうんだから、せめてそれ以外はオフにしとかんとどうにもならんですとばい。

<つづく>

2023年6月 3日 (土)

音楽備忘録1387 ノリを育む方法⓫

さて自分の感覚主導をマスターしたらいよいよノリ自体へ進める事となるが、それには多くの場合で直接的に比べる対象が必要だ。
稀には単独でも分かるケースもあるが、是又随時頻吠えの如く音楽の真髄たる比較芸術の言わば典型だからなんよ。

それを実感し易い現象として従前は一番重かったのに、合奏メンバーが変わったら一番軽かったなんてのがある。
その際特段望んで無くて皆から重いと言われてた人なら、驚いたり戸惑ったりしそうだ。

或は最重を標榜してたとして狭隘な人的アンサンブル経験しか無いと、対応し切れなくなってこんな筈じゃなかったのにとかさ。
のでどんなノリを求めてるか以前に、少しはノリの制御力が先ず誰にでも必要なんざます。

アナタの俺言い「地ノリ」が偶然ニュートラルに近きゃ不要かも知れないが、癖が強めだったら他と足並みを揃えるのにはね。
その優先度は地ノリの強制矯正よりお勧め且つ遥かに上回ってて、癖強は不便な時も少なくないが重要な個性でもあるんですよ。

ニュートラルで良いんなら打込みで多くが代用可能で、問題なのはその個性を活かすスキルなんだわ。
それが個性次第で色々異なるから、今劣化本邦なんかじゃ同調圧力に負け易いのかな。

それと従前は取り立てて重いとか軽いと他人から言われて無くても、たまたま合奏者のノリに偏りがあったなんて事も少なくないん。
のでⅡで現状如何に関わらず、全く重くも軽くも出来ないんじゃ何かと困るん不便なのだ。

その訓練で要るのが何等かのリズムガイドと録音で、唯ひたすら奏で乍ら合せるだけじゃ幾らやったって駄目なん。
これはガイドを使う使わないを並行してやってくのと同様で、聴く方も奏で乍らと自分の演奏でも聴くだけの両方を同時進行させるのが良いん。

そうすれば奏者と聴き専の立場の差も少しは埋めてくれるし、我々奏者としては各自の「演り乍らだと○□に聴こえ易い」なんてな傾向が判明するんすよ。
その詳細は長くなるから次回送りにするとして、その前にもう1つコツみたいなのがあるねん。

それはリズムガイドにはなるべく「無機質じゃないの」を選ぶ事で、露骨に相手は機械だぞと意識しちゃうと人間と演る時とはこっち自身が知らん間に別人に化けちゃってたりするからだ。
いやらしい中間管理職の奴が上と下では評価が正反対…と迄は行かなくても、それでは個人練習するのに常時誰か練習相手が必要になったりしちまうで。

のでⅢで少々稚拙な発想だが今は△ちゃんと合奏してるとか、所詮は想い込みでもそれ位の心境になり得る環境が欲しいんよ。
無論究極的にはリアルじゃ無きゃ分かんない部分が残っちゃうが、だからって相手が完全固定と思っちゃえば対応力不足になっちまう。

>つづく<

2023年6月 2日 (金)

音楽備忘録1386 リズム表現を手放しちゃうの?⓰

この辺で閉店セールと銘打ってなるべく網羅してくとして、リズム表現には独自分類だと3要素があると考えて居りま。
ご機嫌なグルーヴは複合で成立してるのが多いのに、リズムタイミングに固執したのは最近では固定気味になってるのが多いからだ。

無条件だと打込みかClick常用が当り前では、本当は個別箇所最適化がほぼスルーされるでよ。
結果全容を示すのがこっからになっちゃったけど、タイミングの他に音色とフレーズがある。

但し音色とフレーズはリズムに大きく影響するもの限定で、無関係のはその良否の影響を殆ど受けまへん。
なら関係あるのはっつうと、音色なら例えばDrumsetのミュート加減なんかだ。

大きい音符ならほぼ無関係になるが細かいの特に休符の入らないのだと、出音が著しく音符より長いとスラーっぽくなっちまう。
近年のフル加工録音なら多少の「継ぎ目」は残るかも知れんが、ロール奏法との区別が曖昧化する。

これを逆手にとって古来よりロールが綺麗に連続する様に、Snareの響線は通常は締め過ぎ厳禁だったりする。
わ極端としても16分音符の連続では「刻み明瞭度」には、確実に差が出るんで向き不向きは出て来るんだな。

そんでフレーズにも向き不向きとかが出る他に、言うなれば「リズムの為だけのフレーズ」ってのがあるんだ。
これがプチギミック奏法ヲタとしては瀕死の危機感があって、有名なのだとGuitarカッティング等で自然と登場してる所謂「空ピッキング」の類ですねん。

俺に縁の無い最新高級音源とかだったらそのものが入ってるか知らんが、打込みでシミュレートしようとしたらエライ大変でしたがな。
リアルのギターだったら寧ろ左手の押えがいい加減でもオッケーな位、普通に弾くより簡単で楽なのにさ。

更にもっと危機に瀕してるのが鍵盤ので、この件に関してはエレクトーンの罪は万死に値するやも知れんよ。
ってのはいにしえのHammond Organでだったら可能だった、ジャンルに依っちゃ大変重要な「パーカッシブ奏法」が出来なくなってるやんけ。

んでそれはオルガン系の専売特許では無くて、クラビネットでもかなり行けたんだ。
拙ブログでは馬鹿の一つ覚え並のStevie Wonderの迷信が典型で、結構後年迄俺は何が出してる音なのかサッパリ分らなかったよ。(実音の分は最初からハープシコードみたいなのと分かってた)

これに加えこちらは今でも出せるけど、Bassスラップなんかには近似効果と用法のサムピングがあるよね。
鍵盤が最ローテクな俺からすると、鍵盤の技を何でも打込みで済ませたかったのに…。(虫が良過ぎるかもがそれこそが打込みのご利益じゃない)

これも広義ではリズム表現の放棄と見做せ、まるで何処でもマスクしてないと駄目より息苦しい感じだ。
マスクの方は以前から無理な人はしなくて良かったが、こっちは付けたくてもマスクが無い様なもんだから丸腰怖しだ。

もっと受身になりゃ可能な範囲で表現しろよもあるけれど、楽器演奏に自信の無い人から選択肢を取上げるのは立派な差別だから大嫌いー。
不自由にはなっても、せめてそう云う手もあったのよだけはお伝えしときたいのでし。

>おわり<

2023年6月 1日 (木)

音楽備忘録1385 一寸変な歌の練習方法⓫

今回は「喉声の限界」をサブタイトルにお送りするが、この現代に最もポピュラーな発声方法は声量より何より連続稼働に向いてなかったのら。
だから大して大声とか出してなくても声が枯れたりする訳で、本来断続的な会話とかの専用なのだ。

こないだも書いた通り人間って息しなきゃなんないじゃん、そうすっと自然体で居れば絶対に喋りには休符が入るん。
マシンガントークされると疲れるにしてもずっと休符抜きにするのはとても困難で、あれは音より内容分析が追い付かなくて疲れるんだ。

その様な状況下では一々腹筋を使って疲れる方が割が悪く、人の語りで皆が記憶してるのは殆どが喉声になるんだ。
それで紛らわしいのがアナウンサーやキャスターの発声方法で、一聴喉声にしか聴こえなくてもマトモな奴の正式なのは皆喉声じゃないのよ。

過酷な時は1日中喋らされるし、尺(制限時間)内に収める都合で自然体の時よりブレス回数を減らさなきゃなんない時とか出て来る。
大昔だとそもそもMicの低感度事情もあったろうし、今だって収録スタジオが騒々しかったら会話の声量じゃ足りなくなったりする。

そう云や俺は虫が好かんが台風の現地中継なんつうのは最後は絶叫するしかないが、正確なレポをするのに私情を排そうと極力普通の声色を出そうとしてるやろ。
その時のがポピュラー系Vocalのに最も近く、少しは腹声を使わないとそんなの絶対出せないんよ。

腹声は本来の目的以外だと太い声色になり易いとかそういうのもあるが、案外知られてないのが「歪むのを遅らせる」のが最大の効能でしてね。
喉声オンリーだとシャウトになっちゃう声量でも従前と殆ど同じ声色が出せるから、喉の過負荷を回避出来るん。

チト逆攻めになっちゃったが、それ故喉声ってな音量を出すのに不向きな発声方法なんだな。
全然声量を出さなくてもふざけて変な潰れたとかしゃがれた声なんか出そうとすると、咳込んじまったりオエってなったりする時があるやん。

自然体でなすがままならそんなに害悪は無いけど、大巾に声色が変えらたりする代わり喉への負担は最大級なん。
確かに一般体感からしたら喉しか使わんから楽と誤認しちまうが、実際には慣れの問題もあって決して低負荷じゃないのよ。

実際は足の小指をタンスの角にぶつけるのと同じ様なもんで、たまたま足指は敏感で喉は割かし鈍感だからそう感じないと。
これには理由があってアレルギーかなんかで過敏にならない限り、無意識な呼吸とか自然に食べ物を通過させるのにある程度鈍感じゃないと困るからさ。

もし呼吸10回迄は平気だが11回目から喉痛いとかだったらどないする?、食べ物を飲み込むのにも同じく11回目から急激に痛んだりしたらまだ満腹じゃなくてももういいやってゆくゆくは栄養失調になるがね。
この際畳み掛けりゃ普段の暮らしでしょっちゅう「心臓の疲れ」なんか感じた日にゃ、しんどくてたまらんわい。

っとつまり喉にはそんな特殊性があるんで、痛みやだるさだけで疲労度を感知しようとしたら無理があるねん。
例外があるとすれば風邪とかでダイレクトに炎症が起きてる時で、しかし大抵は全体に及んでるんで表面に限定すると痛さの割にはそんなに傷んでない場合があるんだ。

>つづく<

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