音楽備忘録1370 リズム表現を手放しちゃうの?⓬
機械と人間の関係はストイックに追及すると、人側の慣れの問題の方が多い。
ので人に依っちゃ忍耐の問題と映る向きもありそうだが、音楽する為の道具と考えたらツールの不備でしかないんだ。
感性を具現化するには一定の理論等が付き纏うのは仕方無いが、なるべく直感のみで行けるのが相応しい。
あんまり手間取るとその間にイメージが薄れたり忘れたりして、でもそれを保存しとく機能が機械に現況備わってるとは言い難いじゃない。
強いて言やハンディレコーダ等メモ録りするのが↑に該当するが、それが果たされるのは一発で大体イメージ通りの音が出せたらだ。
けどそれが出来る時は最早音楽支援ツールは不要で、唯録れさえすりゃ良い。
ので俺言い「無駄な我慢」なんぞするのは百害あって一利無しで、何となく何があっても黙ってる方が格好良いを適用させちゃアカンよ。
幾ら寡黙が魅力的でも「必要な事も言わない」訳じゃ無く、それは単なるコミュ障の方に分別しませう。
それと昔みたいにスタジオミュージシャン(あまり人前に出ない録音専門の奏者)のニーズがあって、どんな非人間的なガイドでも何時も通り演奏出来たりしてたら良かったんだけどさ。
今や僅少な指定席は達人の生き残りで満席となって来ると、人力演奏にはより個性が無いと駄目になったんだよ。
と言っても個性が強過ぎりゃマッチするアンサンブルが減るし、逆に足りないと機械や打込みでも良いやとなっちまう。
そこで再考して欲しいのが個人の独自のノリ、リズム表現なんざます。
個性の基本3要素を音色・フレーズ・ノリとすると、今劣化本邦だとノリだけが弱まってないかい?。
本邦以外のだって機械化率が高いと少しは弱体化してるのもあるが、PCとそのソフトを主軸にしてても案外「音は人の生演奏」のが多い気がするのは俺だけか。
それを解析すると歴史経過に一寸違いを感じるんだが、人種・主義・宗教・習慣とかそう云うのは無関係。
個人的にアッと思ったのはシーケンス併用の有無で、こっちじゃいきなりオール人力からテクノの機械化率の高いのに移行してるじゃありませんか。
っても当初は機械のフリをして誰かが演ってるのが多かったんだけど、非人間的ノリを狙ったのは確か。
対極に振った方が思いっきり差別は図れただろうが、実際主流になるのは中間領域の方なんすよ。
例えばロボットの癖に悲しくて涙がこぼれたを表現するとして、基本は機械ノリも涙部分だけはちょっぴり人の匂いがする様にしたりするやん。
それが今式のだとこっちは涙を流したつもりでも、只の油漏れみたいに見えちゃうやんけ。
匂いを嗅げたり手で触れられれば違うのも分かるが、色だけだったらどっちも薄黄色っぽいから確定出来ないよ。
色→音色・流れ落ちる→フレーズで表現すると、涙と油の質感差をリズムで表現出来たら良いよね。
戻ってあちらの機械導入黎明期のは飛び道具としての登用は同じも、Bandに変な奴が入ったみたいな使われ方が殆どだったんだ。
映画やドラマで宇宙人サウンド!?のニーズが生じた頃まだ人力演奏しか無くて、そっちはそっちで既に一応方法論が確立しちゃってたし。
>つづく<
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