音楽備忘録1353 一寸変な歌の練習方法➌
キチンと歌唱を学ぶなら声楽をかじれば…かつてはそうだったが、最近ではインスタントにやるならボイトレの方が有力候補だったりもする。
のは誤教育の影響が音大に迄及びだし、体裁を気にするからこそ唯の大声が余計嫌われる。
だが物には順番がありMicレスでオケやフルコンサートGrand Pianoと合奏するとか、Micがあっても至近に爆音が蔓延してたら先ず聴こえてナンボの話しなのだ。
やり方を誤れば力技には手痛い副作用もあるけれど、肉体が明確に下りに入る前の人達に小手先の技を授けるべきじゃ無いんだよ。
多少小奇麗に歌える様になった処で、偶然声量を獲得した人の迫力の前には何とも無力でやんす。
そして客目線で問題となって来るのが、「気楽に聴ける」かどうかなんだ。
目の前で怒鳴られりゃビックリさせられるが、演奏会場ではショボいLivehouseですらたちまち5mやそこらは距離が出る。
するとアンサンブルバランス自体は伴奏者が必死に抑えて確保出来ても、客席とのバランスは正規のとは掛離れちまう。
ごく軽く咳込んだとか一寸座り直した程度でもう全然歌が聴こえなくなるんじゃ、騒音の他姿勢を保つ緊張感を全く緩める事も出来ねえぞっと。
っつう訳で最近は騒音ばかりが取り沙汰されてるも、足りない方だって同じ位困らされるのよ。
そもそも騒音問題の発端は単に煩い他に、必要な音の聴き取りを阻害したからなんだ。
何でもカンでも静音仕様のが出来てるのにまだ問題になるのはコレで、今日本では酔っ払い等を除き「負の静音競争の無限ループ」に陥ってる傾向がある。
わさて置き音量を出すべき時は出し抑えるべき時引っ込めるのはそう簡単じゃないが、最初から放棄する様では最早音楽とは言えない。
少なくとも友達のいたずらに驚いて出す声よりゃ、Rock系等の歌声が小さいのはナシでやんすよ。
処が世間的にはそんなニーズが減ってるんでボイトレを受けるとしても、自ら目的を明確に伝えないと滅多に向こうからは指導して貰えなくなっちまった。
して俺がどんな用途でさえも声量に固執するのは大いに訳アリで、要するにオーディオのダイナミックレンジと同じだからなんだ。
細かいコントロールっつうのには余裕が大いに必要で、声量に余裕があるからこそ未だに矢沢の永ちゃんはあんな歌い方が維持出来るん。
確かに大声だけ出せてもそれ自体はコントロールとは別物だが、微調整を終えたまま声量だけ増すのは殆ど不可能なんだ。
又喉のスペックを少し超えた高音程等も小さく出す方が困難にはなってるが、それすら声量を制限しなければ出せると分かってからの話し。
俺知りで普段未体験の人が偶然出せたとしても発声方法がその時だけ異なってしまうので、大抵は音色が汚くなってすぐに実用にはならなかった。
それが普段よりその時だけ肉体的負荷が増えるもんだから、練習を続けるのを止めてしまう者多数だ。
だが声量を出すの自体は大して高負荷では無く、やっていて慣れていれば少なくとも精神的には簡単に諦める気にはなれないんだけどなぁ。
<つづく>
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