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2023年2月

2023年2月28日 (火)

音楽備忘録1292 伴奏の重要性⑫

前回を承けて今日は番外編として、洋楽を聴かなくなった件に触れとこう。
勿論主題を忘れた訳じゃないんで、その中でも伴奏と関係の深い部分を中心にね。

さてこれは「起源は海外」なのだから、現地の人と我々では解釈が異なる可能性を考えなくてはならない。
っと言ってもそんなに難しい深い部分では無く、例えばRockだったらその直前のをどれだけ知ってるかとかよ。

否応なしに熟知してる向うの人は土台になるのから何を加え何を省いたとかすぐに気付くが、我々の多くは単に「そういう物」として捉えてしまう。
ので例えばその実態が「スイングしないJazz」であったとしても、それに気付き結び付きを認知するのにこっちは酷く時間が掛かったりする。

後発で輸入から始めたのだからある程度は仕方無いが、もし何時までも分からないままで居る様なら未来永劫追付けはしなくなる。
取敢えず仮定「スイングしないJazz」に沿って進めてくと、日本で一般的なClassic由来のネタはそのままじゃ上手く乗せられなさそうなのは分かるだろう。

だってCountryやBluesの源は、宮廷音楽なんかじゃなくもっと庶民派の民謡とかから来てっからねえ。
そりゃ凄く上手い事やりゃ全く乗らなかねえが、気楽に安易に持込んで無事なのは必然的に後者の方やろ。

ではRockを知りたきゃCountryやBluesから知らなきゃ駄目なのかってば、その方が良いけどさ。
少々狡賢く行かないと遅れは取り戻せないんで、部分的だが伝統がそのまま継承されてるのなんかを聴くと効率が良いのよ。

日本でもたまに演歌じゃなくても、歌の特定箇所にコブシが入ってるとかあったじゃん。
実はそれって意図的に取り入れるのより、自然とついウッカリそうなっちゃった方が大抵は先なのを知っとるけ?。

どんなジャンルでも出来立てホヤホヤの頃は、バンドメンバー全員が本職の人を集めるのは困難だ。
だからRockのつもりで1人演歌出身のが混入したりも良くあった事で、その1人が失敗した時に演歌要素が滲み出たりするっすよ。

なるべく早く馴染もうとはするんだけど、人間そう簡単に長年培ったのからは離れられないからね。
そんなのがあちらでも特に黎明期のには、寧ろ露骨に「まんまやんけ」がぎょうさん転がっとったん。

「Rockに必要なJazz・Country・Blues」のエッセンスを頂くには、バラバラに古いのをあたるよりその方が断然手っ取り早いんだ。
先にそれを知ってから各自が掘りたい処だけ掘れば良くて、けどそれをするのにはどんなに古くても日本のだけじゃ駄目なんだ。

例えば黒人教会でだけ演ってる音楽とかを、日本人の殆どは全然知らないやん。
白人が1人でも居たら不味いからと神経使われると地下化するんで、「黒人じゃない人」には縁遠くなり易い。

日本でだって外人が来たら最近は勇者以外、あっちの方がきっと馴染み易からとなかなか伝統の土着のなんか演らないじゃん。
ってか瀕死の民謡を地元民でも知らない方が多くなって、若い誰でもがとなるとせいぜい変なアレンジを加えたソーラン節程度が関の山だ。

っとつまり今の我々は自国のだって過去のには疎い訳で、その上向うのも聴かないとなるとガラパゴスここに極まれりなんだよ。
処で最近若者には和テイストが流行りみたいだけど、じーちゃんばーちゃん達なら誰でも知ってる民謡位全部抑えてからにしたらどうなんだいってな。(少しは居るだろうけど…by老害)

<つづく>

2023年2月27日 (月)

音楽備忘録1291 楽器Amp同士の組合せの話しⅡ⑧

今日はそれ自体にはほぼ罪は無いが、MarshallとCelestionの「ブーム」にディスり大会だ。
それなりの理由あっての流行ではあるが、選択肢を激減させてるのとLive環境にミスマッチを増やしてるのが大罪なんすよ。

日本でのブームには輸入代理店の某Y社が、自社のが昔より売れなくなったんで輸入販売に力を入れた疑念もあるが…。
実際過去にFenderが盛況だったのは扱い社の力も大きかったが、まあそんな黒い詮索はどっちでも良い。

最近再三に渡って「大舞台ほぼ専用」なのを吠えてるが、それを中舞台!?以下に流用すると次の様なデメリットがある。
それは致命的低域音量の不足と音量過多であるが、後者の方は使用者が真面目なら避けられる。

勿論近年はM君でもフルアップされない使われ方にも配慮する様にはなったが、ブランド的にもしどっちを優先するかったらフルアップはそれがアイデンティティみたいなもんだからね。
それで低域不足だとより困るBassのは他所のにして、Guitarでばっか採用してるけどさ。

BassはそれでセーフになってもGuitarの低域の弱さが余計強調され、強引に補填しようとすると中低域が盛り過ぎになれば全体が飽和して明瞭度を害すんだ。
飽和するのは中域に限った事じゃなく、低域では物理的に高域では一寸大袈裟に言や神経を麻痺させる。

けれど音楽では元々中域に音が集中し易いのと相まって、生成し易い点ではかなり注意が必要なんだ。
例えば単体では盛り過ぎかもと思ったBassの中高域も、アンサンブル内に入れると殆ど搔き消されたりするっしょ。

又それとは別に有効度の問題っつうのもあり、フルアップにしないのならM君で無くてもってのが出て来んだ。
他のでは例えばHIWATTなら最後迄潰れなさ過ぎるし、Fender他では完全に潰れちまう。

その点MESA Boogieなら程良いものの、最終局面で高域が減少してマイルドにしかならない。
ある程度以上の歪み度になってそこから最後迄変わらない、それもAmpで歪ませてそうなってくれるのはM君だけなんだ。

だからフルで無いにしても、少しはパワー段で歪ませられて初めてM君の真の姿が現れるんだ。
その領域を使えない・使わないんであれば、フル駆動じゃない領域で常用される想定のあるAmpの方が良い音がするんじゃないかな。

私的には球じゃないから圏外だが、石で唯一長く生き残ってるRoland Jazz Chorusとか。
但し主に石の全般に共通事項だがそれらの際は、最大出力の70%以下で音量が足りないと厳しい。

概述石でフルアップされても壊れない様にすると、オーディオAmpより大部歪み出すのを早くしなきゃなんない。
その歪みか僅かでも出だすとそれはもう普通は好ましくない石の癖なんで、前々回述のと同じく癖が最小になる領域を用いる。

処でM君にも結構昔から石のもあり、パッと聴きの印象はそんなに球のと変わらなかった。
けど耳に刺激的な硬い成分を高域を削る事で緩和してるんで、カーテンか何かの向こう側で鳴らした感が払拭し切れないんだ。

これは他の石のでも大体同様で、その俺言い「微籠り」(正確にはハイエンドがかなり頭打ちする)がLiveでの明瞭度確保に難があるんだ。
これも過去述の如く高域程目立ちはするが物理的エネルギーは少ないんで、聴取環境が悪化する程掻き消されちまうんだ。

>つづく<

2023年2月26日 (日)

音楽備忘録1290 音を柔らかくする方法➒

さて1回インターバルになっちまったが、僅かな歪みを許して柔らかくする方法へ徐々に進入しよう。
しかもその「歪みの質」が大人しく目立たないものであれば、透明感に優れる生音にさえも施した方が好結果になる場合もあるのだ。

早い話がそれは真空管や古典トランスの「飽和仕掛り領域!?」の活用で、何れも石みたいにいきなり歪まず徐々に歪んで行く性質を利用したもの。
通常のオーディオではチョイと苦しい歪み率も、楽器単体音でならまだまだ行ける範囲になるんだ。

PianoやDrumみたいに単体でも多数音が出せるのだと利用範囲は狭まるが、これ等の歪み感は楽器内の干渉でも少しは起きてんのよ。
例えば繊細なのの直後にワイルドなのを鳴らした時等に、直後の轟音で音波(実際には空気)が乱されてゆがめられたりするからね。

ゆがみは漢字変換で歪みと出るが如く、言わば歪みの親しい親戚なのでありんす。
つまり原音に含まれてる種類のなら多少の歪み増加は、基本音色にはほぼ無影響なのよ。

作品や志向性に依っては意図的にそれを増し盛りしてるのも多数ある位で、RINGOのFairchild 660,670を使ったのなんかはコンプリミッタより柔らか歪みの効能の方が遥かに絶大だ。
ってそれだけ「良く歪む」コンプリミッタだった訳だが、それでも当時は一番歪まなかったんだから隔世の感とは正によね。

今の感覚からしたら良く歪むったらテープやレコードもで、電子回路部が球から石に代わっても全然CDみたいにクリアにはならなかった。
だからデジタル化黎明期にはそれにあやかれると手放しで喜んでたんだが、予想に反して!?Beatlesみたいな音にはちっともなってくれない。

当時の予想ってのは業界一彼らがHi-Fiに聴こえてたから、歪みを減らせれば…と思ってたのは俺だけじゃないよ。
どうも彼等位の環境に居るとレコード化する前の音を聴いてたんで、闇雲に排除するより「歪みと上手に付合う」べきと考えてたらしい。

楽器についても最高峰のに触れられてたんで、生の音を熟知してたんだろう。
因みにかつての良い楽器って単体ではあまり真価を発揮せず、けれどアンサンブルに入れたら途端に雲泥の差が現れる性質があってね。

真の明瞭度ってぇのは何時必要なものかっつうと、多数の音に埋もれそうになった時なんだよね。
つまりいざって時に強ければ、普段はそれが感じられなくたって良いのよ。

そもそも一切の邪魔が入らなきゃ、比べる相手が居ないから良く分りゃしない。
又真の明瞭度の定義が最近は狂ってる様で、オーディオ的に明瞭でも音楽的に明瞭じゃないのは実戦じゃ役に立たんのよ。

例えば鳴ったかどうかはハッキリしても音程がロクに分らないとか、この点に限るとどんどん劣化してっててハーモニーも年々弱体化しとるで。
それには音楽を音として聴き過ぎるのも良くないんだが、そりは次回の講釈で。

>つづく<

2023年2月25日 (土)

音楽備忘録1289 伴奏の重要性⑪

だば一旦Bassから離れて、前回プチ触れのGuitarのコードについて。
俺の皮肉愚痴でそれを一言すると「間が無い!」の件で、単純に行って本来1~6音迄の組合せが満遍なくある筈なんだけどねえ。

まあ昔より歪ませる時ゃガッツリが増えたらしいんで、2音と6音が多目になるのも分かるんだけどさ。
けど2音の場合長短を指定出来ないか、それを鳴らすと大抵は後はルート位しか出せなくなる。

一方6音(ここでは4音以上の「フルコード」も含める)にすると、他楽器で他の音を追加する余地が狭隘になりがちだ。
Guitarは同時に鳴らすのが押さえるのに遠い音は無理だが、極端に近いのも意外と苦手なのだ。

ならばそれが殆ど苦にならない鍵盤等へ任せようとした時、音が当たって厳しかったり追加したのが目立たなくて効果を弱める事がある。
その解決策の1つとして’70年代にはKeith Richards等が普及させた、「ルート抜き3和音」ってのがある。

厳密には本家のはオクターヴ上のルートが入ってるのもそこそこあったが、少なくとも意識の上ではルートレスな考え方だった。
のでルートから外れても音が平気なら、同じフォームのまま移動したりしていた。

最初は失礼乍ら恐らく偶然に頼ったテンションノートだったが、兎に角従来の難しい押え方か普通の方法では無理な響き(コード)がそれに依って可能化した。
これはGuitaristが2人以上か鍵盤奏者が居た方が薄くならないが、難しいフォームに頼らない難しいコード実現するのには画期的だった。

ここから俺なんかでも知恵が発展したのは、「部分コード」なら時として単音と同じ様にも扱える事だった。
俺仮称「部分コード」とは単体で和音として成立してるがそんなに最低音が低くしてないんで、下にルートを足してやると所謂「分数コード」が形成されるってのだ。

それをルートが含まれる使い方の内は普通のコードだが、外すと色んなテンションノートになってくれる。
更にそれで和音のままメロを弾くと、よりテンションの強いハモりが付いたメロとなってくれたりする。

何処でも成立する訳じゃないし部分コードの一部種については、Chuck Berryやジミヘンだって既に活用してたんだけどね。
かなり限定的だったりすぐに他の方法へ移行してたんで、演ろうと思えばKeithみたいに1曲丸毎それで押通せるとは思えなかったんだ。

でこれ等を使うに際して裏メロを弾くなら2和音・オサレなコードにするなら4和音程度が使い手があるが、それ等を混在させたりニーズ次第で増減させたりしても一向に差し支えないんすよ。
ってか寧ろそうする方が曲ニーズには合致し易く、鍵盤を使った伴奏では古くから極当り前に行われてんだよね。

Guitarでは通常「片手だけで押える」が為に、ルート音を独立分割して考えるのが難かしくなってたんだな。
JazzやClassic系の独奏では困難を克服してそれを成してるのもあるが、アンサンブルではルートを出す拘りさえ捨てれば随分と自由になるんざんす。

のにそれが増えるより減少してるのは、もしかしたら鍵盤も演る人が減ったからなのかな。
或は邦楽では一般化迄は行かなかったので、洋楽を聴かなくなった弊害か。

<つづく>

2023年2月24日 (金)

音楽備忘録1288 楽器Amp同士の組合せの話しⅡ⑦

これ迄のだけだと少し曖昧なんで、今日はDrumsetとのバランス案件を深目に掘っとこう。
但しオーソドックスなJazzの様に、太鼓側で合せてくれるのは当然除外でね。

近年の特に日本ではPA常用の副作用で音量はまちまちになってそうだが、PAの有無に無関係で通用するから昔の標準を基準にするよ。
実は今だって完全に過去形になった訳じゃなく、多くの楽器やMicはその基準に基づいて作られてるからね。

なるべく余計な制約無しに演ろうと思えば、著しく基準から外れると色々不便するんでっせ。
その内容は普通に叩けない→普通の音色が出せないetcと多岐に渡るが、前置きはこの辺で具体的に進めよう。

先ず初期の段階では50W前後から始まってるが、その頃のスピーカは単発のか低能率のが多かった。
ので出力は30W程度しか無くてもスピーカが高能率で双発以上のはこの範疇に入り、VOX AC30等が現存する。(青いヤツのみ)

この時期太鼓はまだそれ以前の「合せるもの」意識の残ってる人が多かったからそれで足りてたんだが、歌中心のPops等では未だ通用してるっつうかそれ位に抑えた方がホントは好結果になるのが多いんだ。
その根拠が結構大切なんだが1つは「歌うDrummerの声量」もう1つは「爆声歌手の声量」で、前者は声量が非力な際その程度に抑えないとDrummerのMicに「太鼓の方が大きく」拾われる恐れがある。

後者は絶好調の和田アキ子が来ても負けない程度で、つまりその程度の音量があれば一部を除き大体何でも演れる音量って寸法。
その次に連なるのがHard系以降ので、ありったけの力で叩かれるとBassで最低双発100W位無いと足りなくなる。

現在はこちらの方がメジャーな基準値になってるが、元来は所謂生粋Rockを標榜してる人にだけに必要なものだ。
だからPops系の人が付合う事ぁねえんだが、下積み時代にLivehouseとかで対バンに負けたくなくて「悪い癖」が付いちゃってんのかな?。

して最後が爆音系(Metal含む)で、電気楽器と爆音競争した太鼓を思いっきり叩くから更なる上乗せが要る。
が体験からはBassで4発200Wにすると過剰で、だから元祖爆音DrummerのGinger Bakerが昔の前の2人に辛辣に愚痴った訳だ。

因みに彼はJazz畑出身なのでガラパゴス日本じゃあまりそう認識されてない様だが、普通じゃない音量のニーズに駆られてすぐには辞めなかった2番目の御仁だ。
では最初の1人目はってばRingo Starrで、彼等は個人のエゴとかと完全無関係に「そうしなきゃ聴こえなかった」んだからね。

ではそれ以上の出力のAmpは何用なのかったら、DrumがPA併用の大舞台用だ。
そもそもPAってのは必要に迫られて追設したもんだから、楽器側(Amp含む、舞台上のモニタも)で対処可能な内は「エレキをPAする」って発想が無かったんよ。

それからすると俺には垂涎の的のモンスターAmpは、今や無用の長物とも看做せるが…。
だがそれでしか得られない音色もあったりするんで、文化遺産!?的立場で消滅は逃れてんの。

なので3段積みMarshallに憧れてる方には悲報でしかないが、現実のLiveには音量面で非常に厄介者でしかないのだ。
それと共に苦言を呈させて頂くがその内一体何人がフルアップを試し、それに堪えられてアンダーコントロール出来たのかもさ。

<つづく>

2023年2月23日 (木)

音楽備忘録1287 音を柔らかくする方法➑

今日は遺憾乍ら次善策の対処法へ敢えて言及するが、場合に依っては録り直し不可で適した機材も無い事もあるからね。
音楽って基本はバランスの問題なんで、長所が短所を上回らせるのが最初の一歩。

ここでは主に硬いのと籠るののせめぎ合いになるが、該当音だけじゃなく周囲音も併せて考える必要があるんだ。
充分明瞭であれば単体では申し分ないけれど、その曲に果たしてそこ迄必要かがね。

こう云うのはパート毎の録音グレード差がある際等に顕著で、折角綺麗に録れた人には一寸悪いんだけどさ。
でも歌以外は興味度がバラけるだろうし、下手すりゃでっかく歌が入ってたって稀に演奏しか聴かない人も居るからねえ。

個別パートだけで考えたら少しでも良かったらそこを下げたく無いんだが、独り勝ちみたいなのは音楽にとっては最弱なんすよ。
ってもホントの独奏なら良いが、独奏の困難な楽器が問題なんだ。

それで中にはワンマンバンドの大将を忖度し捲るのなんかあるんだが、本人と取巻きは満足してても世間的にはみっともないのが…。
これ言うなれば殆ど打たれない投手と守備出来ない野手のチームみたいなもんで、たまたま失投したらそれで命とりになるパターンなんだ。

スポーツであれば力量差があれば何とかなっちゃう事もあるが、人が奏でる限りミスを根絶するのは不可能ざます。
いやいや普通プロだったら何処かのオッサンみたいに雑じゃないから…って、アンサンブルの助力があるから「程度問題」で済むんだよ。

聴いてる観客にもし分からなくても、思ったより僅かだけど弱くなっちゃったとか必ず1
つ位はあるんだ。
或はたまたま自身は完璧に行っても誰かに足引っ張られたとか、厳密に行けばほぼ無限ループになっちまう。

ので例えばあと2割籠っても曲的には大丈夫なら、それを許すと俄然他パートが楽になったりがあるんすよ。
特にどうしても硬く録れちゃったのがあったりすると、籠らせて誤魔化すしか術がない時あるから。

それから楽器種に依って「籠っても平気度」が違って、苦手なのは歌や金物類だ。
特別な意図無くば子音が聴き取り辛くなったり、金物が木物!?に変身したりするからね。

それを逆手に取ればそう云うの以外は、例えば籠ったからってBassがBassで無くなる様な心配は無い。
のでⅡで最悪は電気楽器の方が余裕があったりするんで、そうなると例えばDrumやPianoだけ遠く奥の方に居る感じに聴こえたりする。

この様に色々不備が伴うから質バランスの悪い録音には閉口するんだが、今では口うるさい御託を並べてる俺も初期には主にMic事情等で妥協を強いられたっス。
これ等を要約すると先ずは全体のクウォリティ最良を目指さんと、聴いて貰えんかも知れないって事っすよ。

でその中に硬過ぎれば疲労度が高くなる不利があり、どうだ凄いHi-Fiだろってもそれが無効化するんざます。
この点に限っては硬さの好き嫌いは関係無くなるんで、個人的にOKだからってほっとくと必ず損するでぇ。

<つづく>

2023年2月22日 (水)

音楽備忘録1286 伴奏の重要性⑩

Bassの2回目行っちゃいますが、俺が専門ってよりルート弾き以外のBass特有フレーズが最近お留守になってるからよん。
尤も少し掘らんと近年の人には分からなくなってそうで、「特有フレーズ」って今ここで初めて言ってる位だし。

Drumの基本Beatとか何か代表する呼称でもありゃまだ良かったんだろうが、かつてはあまりに当り前だったから名前が付かなかったのかな。
そうこうしてる内かなり急激に減退したんで、何時からBassを演り出した次第じゃピンと来なくなってるかも知れない。

だがピック弾きで基本テクが殆どGuitarと一緒でも、ここが大部違うから「Bass奏法」ってのがかつては確実に実在してたんだ。
俺はどっちかったら奇抜とか派手な口なのでサブメロもガンガン入れたりしてるけど、万人に受容れられるのは寧ろ明確なメロとかは含まれないヤツなんだ。

さりとて単なるルート弾きにはなって無いのがミソで、先ずルートにしても選べる時オクターヴ上か下かどっちを選ぶかから始まってんだ。
これで最も関係するのが「下5度」が出せるかどうかで、Aより低い時下ルートを選らんじまうと5弦とかじゃないともっと下は出せないだしょ。

尤もAより下がる時ゃ上に行って、AEAE,EBEBなんてわざと紛らわしくしたりもあるけどさ。
これって同時に鳴らす他楽器のコード展開形とも大いにリンクしてるんで、必要無くば下手に「入れ替わり」が無い方が周りは楽なんだ。

ってのもアンサンブル全体として「鳴ってる違う音程
の数」が重複箇所だけ減るんで、そこだけ小ぢんまりし過ぎる事があるんだ。
意図的に重複させるなら別だが、それ以外の際どちらか或はどれか一番目立つのの影になるからねえ。

小編成でワイドにしたい時にそうなったら勿体無い話しで、そう云や最近パワーコードとフルコードの間も使われなくなって久しいな。
ではその意図的とはどんなのったら、わざとBassのEを上(Guitarの一番下と一緒)にしてコンパクトにするのなんかだ。

後の展開でワイド感を強調する等の為に、それまでじっと我慢の子!?でミニマムにしとくんだ。
んまあそれが結果オーライで達成されても一向に構わねんだが、オクターヴの上下選択にも色々と意味があったりする訳よ。

自分では割と低い方をチョイスしとき乍ら何だけど、過去に比べて「使い分け」が減ってるのは確かだわ。
それで思い出した「プチ意外」は、米より欧の作品で案外オクターヴ上が使われてた処かな。

特に昔のになる程欧のは米よりシックで落着いた演出が好まれてたからさぞかし下かと思ってたら、音程は高い方が多用されてんのよね。
誰かさんのせいでメロディアスなのも多くなってそれを少しでも聴き取り易くするのもあったろうが、「何時でも何処でも5度下」を使おうとするとそう為らざるを得ない。

んで毎度の如く絶対では無いがBassを悪目立ちさせない一手段として、「ルートから動く時は必ず下」ってのは結構効果的だ。
それでいて他パートと下なら被り難いんで、案外埋没しない。

何れにしても長らく4弦ばかりで持ったのは、高い方を今より上手く使えたからなのは皆もっと知った方が良いんじゃないかな。
そりゃ俺にだって5弦は中々魅力的だけど、それで拡張出来るのは所詮たった5音に過ぎないんだよね。

<つづく>

2023年2月21日 (火)

音楽備忘録1285 楽器Amp同士の組合せの話しⅡ⑥

続いては求める音色次第で必要出力が増減する件で、今じゃレアケースになってるだろうがフル稼働させるかどうかなんてのが典型だ。
楽器Ampはオーディオに比べて徐々に歪み出すんで、生音に神経質に拘ると額面通りの出力が得られない場合が出て来んだ。

球のだったら比較的誰でもそれの予測がつくが、石のだって程度こそ大部軽くはなるが同傾向。
その為真に透明感に優れる音色等が欲しい時、大抵は「サバ」を読んでやらなきゃならない。

それで最も困るのが1台のAmpで純生もフルドライブも賄いたい際で、残念ですがハッキリ言ってそりゃ無理な相談ざます。
強いて例外を挙げる
なら、音量と歪みがリンクしてても良い場合。

大昔は周囲に生楽器が多かったから、それへそんなに疑問を持つ人も居なかったんだけどね。
近年では多重録音とかで作られた曲を演るのに、それが不都合になっちまった。

Liveと録音を全く分けて考えられればそれでも何とかなるんだが、99%は歪み音色がEffectorになる方で
我慢してるみたいだね。
日本みたいに狭隘だと舞台だって狭目になるんで、㊎様でも中々1つの楽器に複数Ampを用意出来ないよ。

それに複数使えたとして今度は出力音圧のバランスを取るのが又大変で、Amp-Aはフル駆動してBではスーパークリーンでと思っても意図した音量になってくれる事は少ない。
それでも何時か機会があればと少しは思ってるが、現実的にはどちらかを妥協するしか無いだろう。

その代わりと言っちゃ何だが、Live会場ではどうやったって家で聴く音にはどうせなってくれない。
只「間に一切メディア等が介在しない」点が特筆物なので、各自の最も象徴的であろう音色の方を優先するのがお勧めだ。

私的にはAmpの歪みを常用してるので、自分のAmpを持ってける時(滅多に無いが…過去には何回か😓)はそっちを優先したよ。
そもそもは「生耳」で聴いて気に入ったからそれで録ったんで、会場残響等の影響は入るにしても「生でお届け」出来る貴重な機会なんですよ。

そうして信者を増やして…と迄は言わないけど、そうしないとPAレスの意義も深まらないからね。
その逆に全面的にPAに依存するんなら、なるべくそれを阻害しないAmpが良か。

と言っても現実的には常設のを使うのが多いんで、なるべく最低限の音量にするしかない。
現代のEffctorはその時点で完結した音になってるのも多く、例えばその中のアンプシミュレーションなんかを活用するにはAmpで音が変わっちゃ駄目。

これはMarshallの音が欲しいのにFenderしか置いてなかった時等に該当し、Fenderの個性が最も「出ない」様にしないとさ。
その秘訣は殆どので唯一各ツマミをなるべく上げない事で、オーディオに比べるとニッチでヲタな作りでもそれが如何なく発揮されるのはフルアップの時が多いからだ。

そのニッチ・ヲタの内容は歪みが出ても使えるのを許容してる処で、オーディオには一切無い概念だ。
歪みの深さこそ様々たが、オーディオやPAでやったらツィータを飛ばしたなんてのが起こらんのがその証左。

>つづく<

2023年2月20日 (月)

音楽備忘録1284 音を柔らかくする方法➐

楽器の場合柔らかくするのに、籠るのと歪むののどっちがマシか?。
って現代ではどっちも願い下げだろうけど、その前に歪み率にいて予習しませう。

オーディオでも楽器でも意図的音色歪み以外は、なるべく歪まないに越した事ぁない。
けれど実用上問題となるのは「聴いた感じ」で、オーディオの低歪み率のは感覚的には歪み以外の要素でそれが少しは分かるんだ。

歪み自体は人耳検知レベルの圏外になっても、例えば透明感の差等となって現れる。
実際僅かでも「違った感じ」に聴こえるのであれば問題で、ひたすらローノイズに拘るのもその為なのだ。

が楽器でしかも単体音となると様相が異なって来て、例えば歪み5%と4%の聴き分けは先ず以てして人間様には不可能になる。
のは「聴いた感じの音色は何も変らない」からで、それ故楽器Ampの最大出力は歪み率5%の値とするのが多い。

オーディオだと1%を超えると多数が気付き始めるのに、何で電気楽器Amp等では5%でも殆ど誰も気付けないのかが今回のハイライトざます。
但し楽器種と生か録ってからのかで巾はあるので、ここではなるべく簡潔に触れて先進みさせませう。

生楽器って厳密には無歪みなものがほぼ存在せず、発音した時点で音響的には歪みを含有してるんですよ。
俺知りでそれが象徴的なのったら真っ先に3Ply ReinforcementのLudwigが思い当たり、他のはそこ迄露骨じゃないけどさ。

発音体の他に共鳴部を持つ物の殆どって、共鳴とか反響させる時点でそれなりの歪みが生じてんすよ。
因みにその段階で歪みゼロに出来るとしたら、共鳴率や反響率が100%の場合に限られる。

んがそんなの現実では到底無理な相談なんで、皆の耳には最初から「歪み込みでその楽器の音」と認識してるんすよ。
なので仮に歪み完全排除が出来たとしたら、却って弦や皮のメーカ差だけで何処のでも限りなく似た音になるんじゃないかな。

これ楽器だとそんな事あるかいって思う方が多いだろうけど、オーディオだったら理想が唯一点ならハイエンドなのだと誰でも納得出来るんじゃない?。
JBLの最高級ので聴こえてた音がAltecやTANNOYの同等品に、挿げ替えたら聴こえなくなるなんてあり得んでしょ。(聴こえ方は多少違うかも知れないがね)

その意味からすれば楽器って理論的完璧より、「欠点を堪能するもの」って位の性格があるんだ。
生程じゃないが電気楽器だってそうなのにどちらも欠点許容に厳しくした結果、案の定かつてみたいに個性豊かなのが出現し難くなっとるがね。

わ兎も角大体がそんななんで、楽器はオーディオに比べたらかなり歪みに鈍感と考えたらよろし。
但し生楽器の場合「電気的歪み」は一切含有されてないから、露骨に電気の仕業と分かる歪み付加はご法度だ。

それでMicの音響メカ迄の歪みなら許せるが、石のDistortionとかみたいなのはわざと以外苦しいん。
電子楽器に関しては現況その殆どがコンプリート音源なので、Lo-Fi目的等以外では原型死守が望ましい。

尤もその大多数は他の現物をサンプリングしたものなので、本来の電子合成音とかだったら真逆でホントに自由だ。
電気楽器では言わずもがなだが、その代り久々述「目立つ倍音」等だと変化に対して誰もが非常に敏感なんだ。

<つづく>

2023年2月19日 (日)

音楽備忘録1283 伴奏の重要性⑨

続いてはBass、こっちの方がDrumより低スキルでも演ろうと思えば出来るのになっと。
これには安易なスラップの導入も関与してるみたいで、「伴奏のスラップ」が分からなくなってんのかな。

スラップって特にプルは圧倒的に目立つんでそっちに気を取られがちだけど、発祥の経緯も含めるとメインはサムピングの方なんだ。
原典でシミュレートしたのはバスドラがサム・Snareがプルなので、伴奏で無制限に入れられるのはサムなのよ。

昔ZZ Topのにプルだけのがあったりゃしたけどそれはソロパートので、つまりDrumだったらSnare中心のソロって事った。
実は俺スラップは我流で行けちゃったんで長年真剣には聴かないでいたんだが、改めて聴いてみるとプルが殆ど出て来ない曲も結構多かったんだ。

それは後年のスッカリ確立してからとか白人の物真似!?のじゃなく、主に’70年代一杯迄の黒人系のに多々あった。
元が黒発祥だからそのプライドでってのもあったろうが、私分析に依ればもっと単純なニーズがあった様に伺える。

それはかつて黒人Bassistにピック弾きの人が僅少だった処で、その為に高域倍音を自由に増やせなかったんだ。
中には親指弾きでもピック弾きと聴き違える程の、The Mashall Tucker BandのTommy Caldwellみたいな例外も稀に居たがね。

因みにここでの高域盛りはもっとリズムを強調したいってもので、指弾きでのそれはミュートとの落差で得るものだ。
がミュートを気にせず盛りたいとなるとピックレスでは不利で、しかしピックでガリゴリ演るのは白人の方が早かったからねえ。

白いのに媚びへつらいは皆無と明確に表明するにも、当時は取入れ辛かったんじゃないかな。
と云う理由でスラップにしたんならプルは不要で、親指弾きもそうだけど「ピックを落したピック弾き!?」みたいにはなってた訳よね。

のからするとチト強引だがサムピングだけのがあったら伴奏として、派手なプルが一杯出て来たら半ソロ感覚で採用なんて見方も出来るんじゃないかな。
具体的にはThe Isley Brothersのスラップ導入期とか、Princeの初期のにそんなんが結構あった。

それとピック弾きでも最近の日本のは「ペラペラ」な音色のが多く…、ってEQで低域盛ったって「中高域が細い」のはアカンがな。
他のだって弾き方が悪いとある程度はなるけど、基本形がFender系のBassでは特に注意が必要なポイントなのよ。

サムピングではどんなに下手に演っても多少は補われるが、ピックではなるべく「垂直方向に弦を動かす」をしないとね。
アタック音の長さが短くなり過ぎて、「失敗したプル」みたいに音程感が乏しくなるねん。

コレ「音程の容易に認知出来る時間が短くなる」のはEQで補えないから、Bass→基礎パート→アンサンブルに低域を保つのには致命傷なんだ。
明瞭度と低域保持は相反する面もあるので葛藤が絶えないが、アンサンブル内で聴こえなきゃアタックだけ目立てた処で意味無いがね。

<つづく>

2023年2月18日 (土)

音楽備忘録1282 楽器Amp同士の組合せの話しⅡ⑤

純粋な続きになるが原型Marshall3段積みは、他と比べるとGuitar用とBass用の差が最小の部類だ。
それを上回るのは唯一原型HIWATTのみで、恐ろしい事にそもそも何々用の区別が無かった!。

M3君ではTone回路とスピーカユニットには相違があったが、低音を大胆に削いだ出力をGuitar用と同口径にくべてやっては幾らも低音は増えてくれない。
と文句を付ける奴には15や18inchのエンクロージャもあるにはあったが、巨大会場で常演する人達にはあまり選ばれとらんよ。

のは低域は会場の残響だけでお腹一杯で、兎に角高域だけが欲しかったからだ。
ので実際に両方共M3君を使っても、そう云う場ではしっかり普通のBassの音になってたんだ。

加えてその様な環境下では僅かな低音量の差が増し盛り拡大され、つまりは「Bassの方が大きく鳴る」状況だったんだ。
だから同一出力でもバランスが取れ、いや寧ろBeatlesなんかGuitar用のスピーカを多くしてた位だ。

彼等のGuitarの歪み許容は高域が完全には潰れない程度だったんで、下手すりゃGuitarの方がボリウム(当時は1個しか無いのが当り前)を上げられなかっただろう。
オマケにBrightな音色だと、会場残響の恩恵に一切預かれないからね。

のでⅡでそんな場所が殆ど無い日本で同じにしたらロクな事ぁねえんだが、日本の多くの会場も悪い事ばかりじゃ無いんだよ。
向こうのそう云うのに比べたら圧倒的にキレが良く明瞭で、強引に爆音出さなくても内容が全部伝わる。

つまりⅡでベーアンが小さいんじゃなくて、現行一般のはその殆どでGuitar Ampがデカ過ぎるのよ。
もしかしたらPA常用になったのすらこのせいで、BassのLine収音常用もね。

低域の響きが少ないとDrumはエレキみたいに増し盛り出来ないから、一寸それだけで不利かも知れんがね。
でもかつてデッドな環境下では盛大にミュートしたみたいに、充分聴こえてたら「余計な高音」を削りゃ良いんだから。

それを叩き手が向こう比で平均が若干ひ弱になるのに、Guitarがデカくて全面的に不足気味だから「ミュートよりPA」になったんじゃないかな?。
っとこう云う具合に百害あって一利しか無しなんで、Guitarの過大音量が及ぼす影響は広範なのだ。

その一利しかはナルシスGuitaristの自己満で、例えそれが厄介者とか面倒な人でも許す方も許す方だ。
私的にはそんな風に迷惑がられるのは御免なんで、殆どの場合でGuitarは音量控え目だ。

どうせ多少上げても球のフルアップは殆ど無理だし、同時に歌う機会も多いんで聴き取りが困難化しても仕方ないしさ。
エレキは歪みを深くしたり音量を大き目にすると隙間は出来難くなるけど、真の迫力にはあまり貢献しないよ。

リズム隊が屈強なのに比べりゃ…ってかあるべき音量バランスになってたら、所詮Guitarなんて喧しい子供みたいなもんすよ。
それですら凄い肉声の前には完全屈服で、「人間音」より他の音に興味を惹かれる様ならもしかしてアンタはアンドロイドなのかもよ…なんてな。

<つづく>

2023年2月17日 (金)

音楽備忘録1281 音を柔らかくする方法➏

ここいら辺で今一度何故硬くする方をスルーして、柔らかくする方法に執着するのか念押ししときまひょ。
一言で言えば柔らかくする方が断然困難だからで、もしそうじゃなかったらわざわざ語りはしないのだ。

硬くする方だって厳密には邪道なのが多いんだが、それでも明瞭度を損ねるとかが僅少だ。
が柔らかくを邪道でやるとかなり明瞭度その他が落ち、しかし正攻法と言うのが現状皆無なんすよ。

ので極力取込む段階で硬過ぎにならない様にするしか無いんだが、そうも行かない場合が多々あるのが実情だ。
そこで今回は気休めでもその色々な方法を綴ってくが、殆どの方法で劣化を伴う覚悟は受容れなければならない。

その劣化は主に明瞭度・歪み率・高域減少で、どれが劣化すると困るか次第で選択肢が限定傾向にある。
んで難度が高いのは生楽器等で、最も低いのが電気楽器だ。

元々普通は生楽器と比べると帯域の狭い電気楽器なので高域劣化は厳しいが、Line録り等で不要帯域も拾ってる場合はこの限りでない。
但し削れても良い・削れた方が良いっても以前述の通り急峻なCutが難しいので、事後処理し易いのは非煌びやかな音色が主体となる。

って事ぁBassのワイドレンジなスラップなんかが難易度高で、Preampの音色が硬過ぎないかどうかがほぼ全てなのだ。
Ampスピーカ収音に比べると経過プロセスが少なく、しかし下手に遠回りさせれば折角の鮮度を確実に損ねるからねえ。

無論Amp収音だって「最短シンプルコース」が最優位なんだけど、実用上SN比等の劣化が問題にならなければ少し回り道したって平気だ。
それに何たってMicとその距離を無限に選べるんだから、とても手間は掛るにしてもやり様がある。

処がLine様となると例えばコンプ1つとっても、出来ればPreampよりノイズの少ないのが必要になるから俄然厳しくなるんすよ。
かつてその音色で定評のあったOrange Squeezer(Bass用じゃないけど…😓)、今でもAmp収音のGuitarにならギリでセーフだがBassのLineにはとてもじゃないがシーシーシャーシャーで苦しい。

これが又個人の印象に過ぎんかも知れんけど、音色の美麗なのに限って音響的には劣るのが多いから厄介なんでやんすよ。
尤も音響機器と楽器の性格差を考えればやむを得ない傾向なんだけど、人間ってつい自分の都合の良い様に考えちゃうからさあ。

現実には不成立な組合せを、行けるだろうなんて思っちゃうんだ。
その挙句あまりに想像と現実のギャップが大きいと、アイデア自体を投げ出しちゃったりさ。

結局は無理は無理にしても「知っておく」をしてたら、絶望しないで済むし妥協するとしたら何処がマシかは見えて来る。
なんつうと何だよ途方も無いし大雑把過ぎると侮るなかれ、蓄積こそがこんなのには最大の力であり技なんどす。

ある程度まで体験してくと概述「球・古典トランス」が色んな中ではマシなのに気付かされるが、それ等に共通する弱点は歪み率ざんす。
勿論高域劣化等もある程度は覚悟が要るんだが、「硬さを目立たたせる成分」の高域を目立たなくなる迄削るよりは遥かに良い。

その例示としてエレキBassの時代に依る音質変化があり、予想に反し最初期のより石Ampの普及期の方が聴き込んでみると実は籠ったのが多いんだよ。
昔のFlat弦に太古のウーハでは幾らも高域なんか出せないけど、その後のウルサイからゴッソリ削ったのよりは閉塞感が無いぞ。

<つづく>

2023年2月16日 (木)

音楽備忘録1280 伴奏の重要性⑧

つう事から私的にはDrumとBassのこの方面での著しい劣化を覚えるが、これは奏法の習熟にも影響があるんで事態は思いの外深刻なのだ。
Drumのゴーストノートの方から綴ってくが、その中心はやはりSnareでのだろう。

何せ鳴り方が変わるのが特徴で音量が一定より低いと、響き線の音量が勝って胴鳴りが聴こえなくなるのがミソ。
その次が実はCymbalで、こちらは叩き方(主にバチを当てる角度)でやはりかなり別物な音が出せる。

つまりSnareは生楽器で叩き方を変えなくても(変えるのは強さだけ)、2つの異なる音色を出せる稀有な存在だからそれを使わん手は無いですぜ。
一方Cymbalの使い方については流行からの変遷もあろうが、ドラムマシンとモデルタイプからの弊害でよりこうなったと見てんだ。

恐らく過去に言及してると思うんだけど、Cymbalの種類って元は叩き方の違いだったん。
例えばCrashってなエッジ部だけを深目の角度で叩く「奏法の名前」で、Cymbalの種類ったら厚さと口径だけだったんだ。

’70年代中頃迄その伝統が一部に残っててPaisteの一部のモデルには径と厚さの他はHat以外の種類が無く、当時アホガキだった俺は大いに焦った位だ。😅
それをマシンに入れるに際し分かり難いのと数の制約があったからか、典型的なCrashやRideの音と表記ばかりにしちまったい。

実際にはあまり使わんとは言えRideで「Crash奏法」は可能だし、Crashで「Ride奏法」も可能なんだけどね。
因みにそれを半々位で使う用のが「Crash ride」の名で今も売られてて、尤もそこに位しか過去の柔軟な使い方の片鱗が残ってないんだけどさ。

何れにしても音色バリエーションは「違う太鼓」にばかりあるもんじゃなく、伴奏ではあちこちを叩くより本来はこれ等を使う方が多くなるんだ。
同様に単なる8BeatのHi-Hatにも叩き方にバリエーションがホントはあって、全部バチのチップだけで叩くのからショルダーで叩くの迄「その中間を含めて」あるんざんす。

それへペダルの締め具合迄加われば、同じパターンでも無限に近い位色んなニュアンスが出せるんだ。
その1つの典型がジョニー吉長で有名な「踏み叩き」で、機械や打込みでは偉い面倒だけど俺は時々シミュレートして使ってる。

別に無理して迄使う事ぁねえがこれが奇特なのは、フレーズは全くそのままで違ったニュアンスが出せる処。
で尚且つシンプルなパターンで程、それが演り易いのがミソなのよ。

何れにしてもⅡでそんな風に使い分け≒叩き分け出来るのが特権だったんだが、伴奏の省力化!?と共に皆で同じ1つのやり方をする様になって来てる。
日本以外の作品では意図的にマシンチックにしたくてわざと○曲では□しか演りませんはあるが、頻度こそ過去より減ってても海外の人だったら誰も演れなくなってなんかいないんだで。

もしそんなガラパゴスに陥ってるとしたら不幸のドン底で、幾ら練習しても半分も会得出来てない事になりまっせ。
国内でだけウケりゃ良いとしても、井の中の蛙の典型でみっともないやら恥ずかしいやら。

<つづく>

2023年2月15日 (水)

音楽備忘録1279 楽器Amp同士の組合せの話しⅡ④

今日は「Marshall3段積みの幻想」と副題を付けてお送りするが、俺は嫌いはおろかかなり好きな口なのを前置きして。
端的に言ってその能力を出し切れる場が僅少だからで、その使い方も年々本来のは忘れられてる様だ。

’70年代以降のイメージだと他より歪むのがあるかも知れないが、原典はフル稼働時に他のより「低音がダブつかない・高域が増し盛り出来る」だけだったんだ。
歪みだけなら’60年代はFenderやVoxの方が歪みは深く出来、高域についてもBright Inputが付いたのはVoxの方が全然早い。

それよりも巨大会場とフル稼働で常用するのに、特化した方に重きが置かれてたんだ。
ので少なくとも’70年代途中迄の「正しい使用方法」は、何を差し置いてもM君使うなら「フルアップ」が定石だったんだ。

近年のモデルではプリ部だけで歪ませてもまあまあ行ける音になったかも知れないが、それで他のと決定的に違うとしたらTone回路の定数程度だ。
何しろウリの1つだったスピーカがその廉価さと相まって、Celestionが1人勝ちの大流行しててあのFenderですら採用する始末だ。

それでも残る個性ったら欧州タイプ管と欧州トランス由来の音色の甘さになるが、それが最大に真価を発揮するのはフルドライブした時のみなんだ。
無歪み時だって全く同じではないんだけれど、フル時比で¼程度に減っちまう。

ので爆音系以外で正規の使用法をしてたのっつうと、元祖のEric Claptonがやってた「中出力ビルトインでフルアップ」迄遡るんざます。
それではメタラーさんには後面開放型の分が物足りないだろうが、ずっと12inch×2のエンクロージャもマイナーだけど売られ続けてるぞい。

のでⅡでMarshall正規特有の音が欲しかったら
①フルアップだけは絶対に譲っちゃダメ
②数を減らしても密閉箱
③出力容量は不問
にすべきなのよ。

きっと賛否両論喧々諤々になるんだろうが、①をしないなら他でも出せるか寧ろその方が良いかも位になるのだけは確かなん。
そんでそうしないと本人以外に大影響を及ぼし兼ねないのが、Guitarの過音量案件なんざます。

日本ではエレキはRockのはおろか最早ホピュラーでの王様になってるけど、それは存在だけで音量迄そうしちゃイカンですとばい。
単純な音量の王様はDrumであるべきだし、低音の音量だったらBassが王様じゃなきゃ。

それでも聴き取り易さと目立ち度では歌やエレキの独壇場のままで、割かし中域に集中してるのと平均音圧が高目だから絶対的音量では↑を下回っても無傷で済むんだ。
それが万一覆るとしたらリズム隊の中域過多等が疑われ、これは大ホールでM君3段積みを使ったGuitarとBassがちゃんと「別質の音」に聴こえるのが証拠になるよ。

>つづく<

2023年2月14日 (火)

音楽備忘録1278 音を柔らかくする方法➎

この観点に基づいて俺の「あっち向けホイ録り」の概念を説明しとくと、要は間接音と直接音の比率の問題なのだ。
ここでの間接音とは楽器から直接出たものではなく、何処か壁・床・天井等から最低1回は跳ね返って来たものの事だ。

現況の宅ではその向いてる壁が吸音層なのであまり跳ね返りを期待出来ないのは杜撰大王ならではだが、少しでも直接音を減らしてるには違わない。
あと宅では成功してないが反響板(つまりグランドなら蓋)へ敢えて向けるなんてのもあり、この方法は設置場所にあまり左右されない良さがある。

さてClassic系の正規の演奏会場の場合残響の多目なのがデフォで、名のあるホールなんかになれば直接音の比率がかなり少なくなっている。
それ故一部機種を除いては、最も良く響く場所を想定して設計されてるん。

昔のに比べりゃ直接音の比率が高目のも考慮されてるものの、ハイライトはデカいホールで奏でられる方だから未だそっちが優先される。
近年の様にClassic系でもデジピが容認され出せばメーカにとっては自慢になるので、以前よりゃそれすらもそっち寄りに作られてく。

のからすると一部機種を除いてPianoってな軸足が未だClassicにあり、Drumsetにしてもその開発経緯からJazz寄りに立ってる事が分かるんじゃないかな。
又近年の様にジャンルと録音音質が非リンクになって来ると、それでポピュラー系の人に聴かせたいClassic等でこの手は最早ほぼ無効化している。

一方オーディオの方でも必ずしも歓迎されるもんじゃないが、例えばニアフィールドモニタの使われ方に問題がある。
ニアフィールドモニタってなコントロールルームで、技師の至近に設置するのを想定した設計だ。

今は昔よりMixer卓が小型化したんで隅っこに載せるのとか殆ど無理になったが、そもそもは卓の巨大なメータブリッジの上なんかに載せてたんだ。
それと共にコントロールルームは大抵残響が少ないんで、それを普通の部屋に置いて普通の距離で聴いたらボヤける位で当然だったんだ。

が覆り出したのはソースの含有残響を確認するのに、スピーカ以降では一切残響を与えない設計にシフトした辺りだろう。
その典型が某Y社の激硬で有名な旧NS-10Mで、実はポピュラー系よりClassic系のミックスを意識してた物だったんだ。

その頃のポピュラー系ではデッドなのが流行ってたが、それは普通の部屋でチープなので再生されても明瞭度を確保するのが目的でさ。
デッドっても今よりゃまだ全体的にはMicの距離は遠かったし、何より録音も再生もアナログでの劣化があったからね。

だからそう云うポピュラー系には本来は不向きだったんだが、下手にあちこちで使うもんだから大多数は洗脳されちまいやがった。
人間味の希薄なその手の日本製も物理的にリニアではあるんで、雑音等の検出に重宝したのはヘッドホンも同じね。

只あちらとは違って凄い処以外には、こっちではTANNOYとか中々併設されて無かったんだよ。
何時の間にか本チャンミックスまでそんなのでやる様になって、洗脳されてるのを忘れてスッカリ麻痺しちゃったのよ。

本職でもそんななんだから一般の状況たるやで、以来この国には自然状態の音が分かる人が極一握りになってしもうた。
わ兎も角基本はその楽器に於いて最も一般的な環境時の音で、それより硬くして構わないのは後で軟化の保障がある場合のみなんですよ。

<つづく>

2023年2月13日 (月)

音楽備忘録1277 伴奏の重要性⑦

続いて伴奏固有の奏法について言及してくが、これ等には主に2つの要素がある。
1つは基本パターン自体の独創性でもう1つは小技の付加なんだが、どっちかってば後者の方ばかり考える人が多いから苦しくなるんだよ。

基本パターンなんだから弄れんと思うのは早計で、パターンに大きな影響が無い部分だってあるんだ。
その代表格が太鼓のゴーストノートとかカッティングの空ピックとかで、時には入れると不味いケースもあるけど1つも入れられないのは稀なのだ。

この時点で再考して欲しいのがパターンの複雑度で、実はシンプルなパターン程小細工の出来る余地がある処。
その典型がJazzのベーシックな4Beatパターンなんだが、印象としてはパターンで捉えるのが困難なのが多い。

だがそれは既に色々入ってるのが大多数だからなだけで、極論すればRideとフットHatだけありゃ曲リズムの再現には事足りてるんだ。
加えて今日本じゃJazzってばインスト物が主体に思うから複雑なのであって、歌物だと邪魔になるからインスト物程は入ってないし大抵は入れられない。

ポピュラー系でもし参考にするとしたらこっちがメインであるべきで、実際に黎明期の人はそうしていた。
そこから俺言い「Ringo革命」を経て細工は手より足中心に移行するが、昨今は是又俺言い「太鼓のドンパン節」が悪流行して文字通り手も足も出なくなってる。

と変なのが2つ出た処で解説するが、Ringo以前はアクセントを除きバスドラはずっと今で言うフットHatみたいな使われ方しかしてなかったんだ。
それを最初に意図的に覆したのはRingoだが、実践としてはAl Jackson Jr.の最初のが分り易い。

シンバルレガートの細かくなるヤツをバスドラへ持ってってて、Rideだけ聴くと4分音符だけになってっから一瞬退化したかと聴こえる。
私的にはパターンよりシンプル(に聴こえる)にするののバイブルと思ってるが、それだからバスドラをホントに単純化しちゃうとポピュラー系では駄目だと思うんだけどねえ。

音量こそアンサンブル内で大抵は最大だが、やっぱり上物の方が音程の関係で常時目立つやろ。
これはBassにも当然の如く適用され、Guitarやキーボードで演っちゃうとやっぱり目立ち過ぎる。

それをどうせ目立たないんだから省いたって…そりゃ全体としては動じないが、個性や独自性を損ねる元凶でんがな。
だからってあんまりドカドカボコボコ演られちゃウルサ…そりゃえろうスンマヘンなぁって、入れる場所と頻度に依るんですよ。

Bassの場合は「その音程」もとても重要で、ルートやオクターヴか5度の音を使えば変わるのはリズムだけに限定出来るんだ。
特に最近の日本で気になるのが「4,5度の少なさ」で、Bass特有の「フレーズ迄行かないフレーズ」を作るには必須なんだ。

太鼓からゴーストノートをBassから4,5度を排除しては、長所を喪失するも同然。
それは前者はワイドなダイナミックレンジを後者は単に音程の低いだけのGuitarに、夫々を「成り下げる」事を意味する。

<つづく>

2023年2月12日 (日)

音楽備忘録1276 楽器Amp同士の組合せの話しⅡ③

今回は過去述重複も厭わず再度広義のBass Ampの特殊性を綴るが、日本じゃこれを充分理解してる人が少ないから参っちゃうんだ。
特にBassist以外から、重低音の要望があった際なんかにね。

①普通より低音の量を求めると最大音圧が下がる
②歪みを嫌うと同じW数でもGuitar程音量が出せない
③スピーカの能率がGuitar用より低目になってる事が多い

いきなり要点を羅列してみるとざっとこんな感じで、基本的にどれも「低音を潰れずに出そう」とすると避けては通れないので御座居ま。
だば夫々を順にもちぃと掘ってくと、①は元々「音波の振幅」が大きいから。

オーディオ増幅の歪みって低い周波数程振幅が大きいから、そっちから歪み始めるもんなんだ。
Guitarが割と「上から歪み出す」様に感じるのは、それだけ思いっきり上を電気的にはブーストしてるからなんだ。

実はBassですら結構上を電気的には盛ってて、それだから一番下の弦だけ段違いに歪んだりしないで済んでるんだ。
けど低音量を増やして行くと、テンパるのがGuitarよりずっと早いぞ。

②も基本原理は同じだが「オクターヴ低い」ってのが鍵になって、Guitar同じ「音色バランス」にしても下の振幅が凡そ倍になるからその分歪み出しが早い。
で③はローエンドを出す困難さの影響で、スピーカって原理的に「下だけ増し盛りする」ってのが出来ないからなんだ。

サヴウーハ等では回路的にも中高域を減衰させてからスピーカに入れてるが、そこ迄行かなくても実際は低音増やす→中高域減らすで対処してるのよ。
これだってその根っこは振幅の大きさが災いしてて、同じ様な部品で振幅を広く取ると精細に作れなくなって能率が下がるんだ。

具体的にはボイスコイルと磁石の隙間を少し広げたり、エッジ部を大振幅に対応させる為に拡幅したりさ。
口径を変更せずエッジ部が拡幅されると、その分純粋に音を出すコーンの面積は減るさね。

それでいてセンタードーム部分も、大振幅させるのにコイル径は寧ろ大きくしなきゃなんないんだから。
ので小型ウーハなんかだと真ん中の丸の部分とコーンの部分が、同じ位になってるのもあるやん。

そして日本だけじゃ無いけど固有の環境問題として、欧米より低音が良く響く場所が殆ど無いのが致命的なんだ。
中域対して低域が倍響く様だったらAmpスピーカはGuitar用とほぼ同性質でも事足りるが、「環境にアシスト」して貰える可能性がこっちじゃ低いからね。

つまりこっちの環境じゃAmpやスピーカの方で最低「倍は低音を出さなきゃ」、向こうと同じ感じの音が出せない訳ですよ。
だからAmpのこのバランスに関しちゃ、欧米本国の常識(≒世界の常識)が通用しねんでやんす。

>つづく<

2023年2月11日 (土)

音楽備忘録1275 音を柔らかくする方法➍

今回はDrum以外の天然では不自然に硬過ぎる音色のについてだが、本来は使用弦や皮の種類等で先に少しでも和らげるべきものだ。
だが近年の打込みやOn Micに無理に対抗させたヤツは、その位じゃ焼け石に水で全然効きやしない。

と言ってもDrum程硬くしたのは先ず無いが、Classic用では近くで録ると無策ではいられない。
これは宅のGrand Pianoで経験済みで、普段はセレクト品なので気にならなかったが何分硬過ぎでは悪名高き某Y社のだから無事では居られなかった。

最近はClassic系でも現代一般人への親和性を考慮して、敢えてポピュラー系みたいな音質で録るのもプチ流行してる。
これに限っちゃネットピアニストの流行の弊害で、彼等は当初デジピで演ってる人も多かったからその頃のは致し方無い。

まあClassicでも末期(それが最新だった)の曲なら許容範囲かもだが、古典作品をそんな音質にしてはポピュラーの人が古典をたまたま弾いただけ様になる。
俺も最初の内は現代的明瞭さに魅了されてたんだけど、昔の名人のをいざ聴いちまったら音質だけでも聴き劣りをハッキリ感じまった。

確かにオーディオ的には今のの方が断然良いんだけど、まるで脱いではいけない場で裸になった様でどうもね。
処が日本は当時のあちらより大抵は何処でもかなり狭隘なんで、特に宅なんか残響も極小だから幾らMicを遠ざけてもちっとも変りゃしねえでやんの。

それで苦肉の策として「あっち向けホイ録り」を魔発明!?したんだが、大きかったり遠鳴りさせる楽器タイプになるとOff Micの距離が足らなくなり易い様だ。
通常生ガキもとい生楽器ってな空間残響込みで設計されてるんで、それが無くなればルーだけのカレーライスみたいになる。

尚且つ一定以上の聴取距離をメインターゲットにしてるので、「ある程度離れないと良く聴こえない要素」っつうのがあるんす。
その典型がDrumの胴鳴りとかで、それを少しでも拾わせるのにSnareの真横なんかにMicを追加したりがある。

普通Micは近い程明瞭度が上がるが、奏者の腕次第で実は度合いがかなり異なってんだ。
綺麗に鳴らす事に関して従兄は神レベルなので、OnとOffの差は過去俺とは正反対で僅少だった。

この件俺は「下手な期間」が長かったにも拘らず比較的早期から録ってたんで良く分かるんだが、その頃のは俺の超Onと従兄のOffがイーヴンな位だったよ。
なのでそこ迄酷い奴ぁ滅多に居ないだろうが、Offの音がボヤけるとしたら8割方は奏力のせいよん。

まあ生楽器を最普通はどう聴くかを考えりゃ至極当然なんだが、つまる処どうしようもない腕を硬過ぎ音色で誤魔化しとる訳ですよ。
これはPianoやGuitarでも同様で、硬過ぎ君は一見初心者に優しい仕様ってなもんだ。

だが何時迄もそんなので練習してると、奏力に依る明瞭度が全然上達しねえから美味しいのは極初期だけなんだ。
その点に限っちゃ従兄は太鼓のグレードアップを図るのが遅かったののお陰とも言え、只元々その方面に適性があったから遅くまでそれで持ったとも看做せるがね。

何れにしても硬過ぎ君達を俺が強硬に嫌うのは、上達の障害になり兼ねない副作用もあるからなんだ。
ちゃんと奏でられないとマトモな音が出ない楽器で頑張ったって、死ぬ迄に成就するかは分からないけどさ。

今盛り画像で人気を博すより、俺はまだ行ける可能性があるとしたらそっちに賭けたい。
もしかしたら一定時期になると進化が止まる人って、楽器のせいも大いにあるんじゃない?。

<つづく>

2023年2月10日 (金)

音楽備忘録1274 伴奏の重要性⑥

今回はシンプルなパターンの人力伴奏の重要性をテーマに掲げるが、一見一様なのが良きゃ打込みの方が良さそうだ。
それがバリバリのテクノだったらそうかも知れないが、「聴いた感じの安定度」となると必ずしもそうじゃないんだ。

物理的な安定では打込みの圧勝だが、例えLeadパートが機械でも裏方には案外「微調整」が必要になって来るんだ。
概述の如く「常にギリギリで聴こえる」様な状況が望ましいと、上物の数や音量の増減に対応させなきゃなんないからね。

ので逆に上が留守の時だけ出て
来るのとか、曲前半で楽器数の少ない時だけ登場するのだったら打込みで手に負えなくもない。
そんな処から最近は「全編通しで普遍的」なのの登場頻度が減ってる様だが、ある意味で必要最低限度派には厳しくなったと言える。

特に隙間だらけじゃ無く一応「間は結構埋まってる」のがそうで、音質が上がったら却って選択肢は減るって逆転現象が起きてるのは残念だ。
では聴こえない処が出来ても構わなければどうかっつうと、程度に依っては再編曲が必要って意味になる。

例えばサビで最強になる処だけだったりするならそのままでも良いが、奏でた半分以上が聴こえなくなるならその部分には入れなくても良いかも知れない。
5.1chとかが普通だったらまだ良かったが、音楽では未だ2chが主流だしねえ。

たった2つしかない入れ物だからなるべく少ない方が「渋滞」にならなくて済む訳で、どうせ聴こえないんだから入れといたって平気と考えるのは危険なのだ。
音楽的化学変化を起こす可能性は充分あるので、周囲の音に変容を来す可能性が高い。

だからブツ切アレンジがとなるが、そうするとLiveでの再現が一々面倒になる。
それでもBig Bandやイージーリスニングの全盛期と比べりゃ今のは多くないが、それ等は隠し味としての使用度が全然高い。

Classicのオケなんかもだが今より格段に音響性能が低かったりしたから、全部が入ってるままに聴こえるのは期待出来ない。
それは生の場合も同様なので例えばバスドラのゴーストノートみたいに、完全に裏方・隠し味としての使い方の方が多かったんだ。

以降のポピュラー系ではあまりそうは行かず、大して大変じゃ無いけど「手加減」でバランスを取ってたんだ。
ってかそこに「バラ録り」の難しさがあるんだが、黎明期にバラ録りした連中が優秀であまりそれを感じさせなかったから落し穴みたいになってんだわさ。

実際そうして熟練の技を駆使したって完璧には滅多にならないんだが、全員が音楽を熟知してる様な集団と只のAIみたいなのの隔たりは中々に大きい。
一番違うのは「どうしても共存が必要な箇所」で、人力なら聴こえる様になる迄あらゆる手段を駆使するだろう。

打込みでだって充分に余裕を持たしときゃ或は聴かせられるかもだが、それではそれ以外の部分が喧しくなってしまう。
しかも問題なのは本来はLeadパートのデカ過ぎが悪いのかも知れないが、リアルタイムで両方を変えて試せないのでそれを究明し難い。

拘れば打込みでだってどうにもならなくはないが、絶妙には遠い上恐ろしく手間が掛るので大抵は妥協してまう。
単体パートでならほぼ人力みたいな打込みも稀に耳にするが、アンサンブルでそんなのに迫るのは今ん処まだ
聴いた事が無いよ。

<つづく>

2023年2月 9日 (木)

音楽備忘録1273 楽器Amp同士の組合せの話しⅡ②

今回は凄く大雑把だが、スピーカの口径・数の相関関係を表に纏めてみた。
一応これでおぼろげな全体像は掴めると思うんだが、当て嵌まらないのも多数あるのでそこはご了承を。

Photo_20230115184901
何ともアッサリしてるが極ザックリ同音圧になるのがこんな感じで、口径差の割に能率差が拡大するのは振動板の面積のせいだ。(大抵は円錐ですので)
ここから明確に分かるのが大口径・少数の方が音圧には有利な事で、但し高域を出すのは大口径程苦手だ。

ので必要に応じて色々使い分けされるんだが、10inchでも4つ以上を1箱に収めると最大幅こそまあまあコンパクトになるものの重量等は運搬にはあまり貢献しなくなる。
Marshallでは12×4が王道だが、個人的には12×2×2に置き換えてみたい位だ。

最近は音色に拘らなきゃネオジウム磁石なんて軽いのも出て来てるが15inchの場合も同様で、1発の箱と2発の箱では運搬に大差が出る。
総重量や総体積では纏めた方が有利だし、映え的にも大抵はその方が良いんだけどね。

でもビルトインタイプじゃ無い利点を活かそうと思うなら、なるべくバラバラな方が色んな環境にも対応可能なんだ。
日本では本格的なのの個人所有が少ないし㊎様だと車はおろか下僕迄居るのか知らんが、車・道路・建物等全てが縮小版!?の環境にフィットするのはバラバラ君だ。

わさて置き占有体積だけで小さく出来るのはビルトインの方で、但しその場合はなるべく単発でも高出力のでないと小型のメリットが減る。
この点でGuitaristとBassistでは明暗が分かれ、特に俺みたいに真空管でなければとなるととても厳しい。

ここではクド吠えのBassの方が本来はパワーが要求されるなので、小音量系以外では単発100Wでは苦しい。
音色次第でBassはホントに丸々倍の出力が無いと拮抗せず、Guitar用が単発か10inch×2の50Wを超えるのが1つでもあったら↑ではもう危ない。

Guitarなら超爆音系以外は単発100Wあれば大抵は何とか賄え、3段積み100W Marshallを使ってても滅多にフルボリウムになんかしてねーよっと。
にも拘わらず球の100W超級のヘッドが、Bassのだと出てる数が種類共々極端に少ない。

尚且つ200W以上の球のAmpヘッドだと重量が30kg程度になって来るんで、ビルトインだと過去にFenderにStudio Bass(200Wだが50kg!!)ってのが辛うじてあった程度だ。
だから球以外で数百Wのヘッドなんかが沢山出てて、それでもコンパクトな単発で鳴らせば若干歪みっぽくなる上思った程の爆音にはならない事が多い。

この位高耐圧のスピーカになって来ると、普通より大きく動いても大丈夫な作りにしなきゃなんない。
その結果能率の為だけに精密な作りには出来ず、爆耐入力のになると理想程は能率を上げられなくなって来たりする。

加えてその大きな気圧変動に耐えねばならないんで、入れ物も普通よりガッチリさせなきゃなんない。
ので現況500W位を境に、それ以上のは案外能率を高く取れないんだ。

<つづく>

2023年2月 8日 (水)

音楽備忘録1272 音を柔らかくする方法➌

サクサク続きで御在居ますが知らない忘れた人も多くなってそうなんで、旧式ダイナミックMic+テープの音の実像に触れとこう。
俺は勿論実体験だってあったけど古物を聴く機会がメンバー中では多目なんで、少なくともポイントは全部覚えてられたのかも知れない。

ハッキリ言って今デジタルのと比べたらあちこちで劣ってるし、演った全部が聴こえるのも珍しい有様だ。
だが自分で現物を奏でてる時の感覚だけは、明らかに昔のの方が95%は近いんだ。

尚且つプチ自慢っつうか自信が持てるのは、今も旧式なチップ形状のバチで当時物の太鼓を叩いてるからね。
ついでに奏者だって過去の人(俺:ほっといてぇ😢
)なんだから、かなり違うのは録音関係だけになってる筈なんだ。

宅の環境でその中で一番マシだったのは、Micと太鼓が極力遠いヤツだった。
そうするとRingoのThe Endのソロ部みたいな音がして、本家のはMicは結構近かったとは思うんだけど。

要するに昔より遅延箇所が減ってるんで、その分遠くしないと駄目らしいんだ。
それとデジ・アナの相違として、遅れ方の違いがどうも大きいみたいでさ。

最初はデジタルの「高域が遅れない」性質のお陰で明瞭度の飛躍的向上に喜んでたんだけど、その頃は楽器が結構遅いヤツだったんだ。
昔は録り方で明瞭度をずっと稼いでたんだけど、素人さんは本式に録る機会が少なかったんで生耳で似た様な音を求めちゃったのかな。

そうこうしてる内生楽器がどんどん「Micを通した音」みたいになってって、って事ぁそう云う楽器はOn Micで録ったら新しいかも知れないけど言わば速度違反なんすよ。
それでか散々紆余曲折を経て従兄はMicの距離が遠くなったけど、宅で俺はそこ迄離す気にならなかったんだ。

求めてる音自体は未だ組んでる位だからそんなには違わないと思うんだけど、何分楽器が近代的なのと古代!?のとで正反対だからねえ。
それと宅の録りでは完成迄に必ず最低1回は、球を通らせてるのが違ってる。

ってな感じで球や古目のトランスでもある程度は軟化可能だが、Micの距離を少なくとも楽器から奏者耳程度には離すのが鉄則なのだ。
では何等の事情でOn Micじゃないと困るんだったら、せめて生で聴いた時に望みより柔らかい音の楽器を選ぶべきだよ。

過去には常に何でも遅れてたんでスピードアップ一辺倒だったが、それでもどんなにOn Micにしても全然追い越すとかあり得なかったからそうしてただけなんだ。
但しアナログMixer卓やテレコで盛大に遅れてた分を除けば、既に速過ぎになってた可能性は拭えんがね。

因みにアナログは複雑な回路になる程遅延は増えるが、デジタルはA/D,D/A変換の回数が一緒ならデジタル部分で経路が長く複雑になっても殆ど増加しないんだが…。
何れにしても現行デジタルはどうも遅延の度合いが不安定らしく、対策を難しくしてる様だ。

但しⅡで「充分に遅いソース」だと影響を受けない様なので、デジタル機器に入る前に処理しとくのが唯一の手段だ。
で充分に遅いソースってのは音源からMic迄一定以上の距離がある物の事で、現行システムの開発期にまさか今みたいな速い音を想定してなかったのかも知れない。

尤もその「速い音」ってのは自然界の法則に逆らった物なので、生真面目に考えりゃそんなの録れてもしょーがないとも看做せなくないんだけどね。
そんなのだが流行っちまったもんは仕方無い側面もあるんで、一寸悩ましくもある。

<つづく>

2023年2月 7日 (火)

音楽備忘録1271 伴奏の重要性➄

今日は録音での伴奏の重要性について述べるが、Liveでだって決してどうでも良かないけどね。
Liveでは客の動向次第じゃ何かをその場で追加も可能だが、一度録ってしまったら変えられなくずっとそれを聴かせ続けるんだから。

これの意味する処は人に依っちゃ物足りなくなる可能性のあるのを、予め少し盛り込んどくのから始まる。
それに何より熱さ・興奮…等諸々はやはり有観客と無観客では差を生じ易いんで、Liveでも録音でも同等な感覚が欲しい曲にはそれなりの工夫が要る。

場合に依っては別物扱いする事もあるが、更なる付加価値が必要となるのは大抵は録音の方だ。
先ずRock系で最も問題となるのは「再生音量の違い」で、小音量で聴かれても充分な迫力が出る様にしなければならない。

それで具体的に大差が出るのってば細かい部分の聴こえるか否かで、例えば充分な音量だと既に歪み始めてるのが分かるが小さくすると歪み成分が埋没する様な場合だ。
しかしだからって曲に対して歪ませ過ぎるのは問題で、深さを変えるより歪み成分を埋没し難く盛ってやった方が良い。

又全ジャンルに共通なのとして録音の方が数を多く入れとくのが多いが、個人的には度を越したのはあまり関心しない。
もしLiveでの再現性を無視出来ればその点自由にはなるものの、一貫性を欠くと最早同じ曲なのかが判然としなくなる。

自由に音色を切替えられる様になったエレキやシンセでも、その曲でベーシックになる1つ位は「土台」として動かさない方が良い。
これは又アンサンブル内に生楽器あった場合、それとの整合性を保つ意味もある。

ってそもそも生楽器だと基本的な音色は変えられず、奏で方でしか適応させられないんだよね。
今時ジミヘンみたいに随時微調整だけで曲に合せろと迄は申さぬが、それだってFuzzやワウペダルの入切りだけでも生よりゃ随分ワイドになってますから。

これ等を総合するとLiveで先ず演らないとか「普通には演らない」曲であればサウンドコラージュみたいなのもアリだが、それとはすぐに分からない別の楽器みたいなチェンジをするのは観客を迷走させない為にも僅かに留めるべきだろう。

但し全く楽器の音色自体は変えずにやるなら話しは別で、それが登場時はタッピングなんかだ。
楽と言うならストンプをポチリの方が楽だが、一度ネタバレしてしまえば誰にでも出来る。

だいいち気紛れでしたくなった時に繋いでなけりゃハイそれま〜でぇ~よぉで、その点奏法由来の変態!?サウンドは何時でもOKだ。
ギミック奏法に疎い内は厳しいかも知れないが、ギミック奏法には楽器毎の違いもあるからね。

どれででも出来はしない価値ってのもあって、軽視するのはどうかと思うな。
それが伴奏だと必ずしも音程を必要としない場合も増えるから、結構使い処が幾らでもあんのよ。

打込みでは苦手な分野だけに段々と廃れ気味だが、特にRock系では音程に関係無い刻みってかなり重要だと思うんだ。
そもそもパワーコードの台頭って、Folkみたいに全部鳴らすと「想像の余地」が減るからじゃんか。

<つづく>

2023年2月 6日 (月)

音楽備忘録1270 楽器Amp同士の組合せの話しⅡ①

お早いお帰りとなったが、今シリーズではPAの件を無視して進めませう。
その狙いはAmp毎の実出力音圧に、自由に言及出来るからなのだ。

過去述の如く同じW数でもスピーカの数や能率で随分な差があると述べたが、その程度を掴むのはとても困難だ。
能率って本来大変重要なスペックだからキチンと公表して貰いたいが、商売の都合でちっとも改善されやしない。

いや寧ろ悪化の一途を辿ってるみたいで、中価格帯迄のがほぼ非公表とこりゃひでえわ。
ってのも最大出力が中間層の程、実際の音量の過不足が問題になり易いのにさ。

ある意味それだけ知識の無い人が売り買いする様になったんだろうけど、栄養失調のDrummerやVocalistが増えてそんなでも足りなくならなくなったんだろうか?。
愚痴ばっか言ってても仕方無いんで自衛策を講じるとして、それには先ずスピーカ能率の相場を知るのが土台になる。

昔に比べりゃ10W以下のクラス以外法外に低いのは無くなった様で、又高能率の方でも一部のハイエンドやPA用を除き音色の方へ重心が移った様だから突出したのも減ったのだけが救いだ。
具体的には98dB(12~15inch)前後を中心に、後は口径と用途(Bass用とか)で増減がある。

口径との関係は大口径になる程上昇してくが、今は15inchでその傾向は頭打ちになった。
ってつまり昔は18inchだと15より高能率だった訳で、今はそれをローエンドの再生能力の方へ振り向けた様だ。

プチ余談だが昔の18inchで鳴らしたBassって、雄大さが素晴らしかった(半分想像…💦)から密かにチャンスを狙い続けてんだけどねえ。
わたいがいにして続けるが、大凡の目安が幾つかあるんでそれから行っとこう。

口径については10inch×2が12inch×1、12inch×2が15inch×1と大体イーヴンだ。
但しローエンド以外の性質が似てたらで、例えば10inchのが中高域専用だったら12や15inchの中域と遜色の無い位の能率になる。

ので帯域分割駆動のだと少し面倒になって来るが、楽器用Ampはフルレンジ(全部の帯域を1種類のスピーカで出す)が中心なのでオーディオ用よりは遥かに簡単だ。
因みに帯域分割させてるヤツの場合Bass用なら中低域が中心になるんで、高域の能率はそれに合せて調節されている。

のでⅡで通常ツィータの能率はこの目的の場合殆ど無視して平気で、ウーハの能率を基準に考えればOK。
余談だがこれはオーディオやPA用でも同じで、その共通の理由は大抵はスピーカシステム内で低域用が最も低能率だからだ。

のに楽器用で中低域では逆転現象が起こるのは、他のよりターゲット周波数がかなり低目だからだ。
音色の再現性に倍音は重要だが、それ以前に楽器だと音程が重要。

一般音楽で聴き取れる必要性のある音程は割と低目で、それが100Hz~1kHz位なのだ。
その為楽器用だとオーディオで言う各帯域からは低い方に1つづつズレてる感じで、オーディオでは中域は凡そ1kHzが中心なのに楽器だと高域と中域の境界域になっている。

因みにⅡで楽器だって1kHzより上の基音が出るのもそこそこあるが、そんなの単独で音程認知を迫るものは少ない。
必要な際は主にオクターヴ以下の音を併鳴させて、音程認知はそっちに委ねてるのが多いよ。

>つづく<

2023年2月 5日 (日)

音楽備忘録1269 音を柔らかくする方法➋

今日は音が不自然に硬くなると何故不味いかから行くが、少しでも空気のお世話になればそこで制限が掛る筈なのに…。
掛るには掛るんだが自由な加減速は出来なくて
、気温変動や気圧変化が無ければ変えられないから困るんだ。

厳密には部分的気圧変化は起きているが全空間迄は変えられないんで、前述ドップラー効果みたいなのが起きるんよ。
ドップラー効果って発音源では音程変化は無く、聴取点でだけ上がったり下がったりするでしょ。

もっと音楽寄りではこれも再出だがエレキBassで潤沢な低域量のを爆音で鳴らすと、時に実際より音程が高く聴こえたりとかさ。
最近では残響性能の関係から昔より体験し辛くなってっけど、概述’70年代半ば迄の一発録り作品等にはしょっちゅう出て来る。

今では誤解してる人が多いだろうから半擁護しとくが、多分あれで現場耳ではピッタリ合ってたんだ。
昔だからって大雑把・いい加減だとか、音痴のBassistが多かった訳やおまへんで。

唯奏者がヘッドホンを使用出来なかったから分からなかっただけで、困難だが録った環境と聴く環境を近似にすると現場ではそれで良かったのがきっと分かるよ。
ついでだからプチ掘りしとくと、ヘッドホンでも程度は軽くなるけどこの現象は起きるんだ。

被って録ってみてその時は大丈夫に聴こえたのにピッチが怪しかったら、大いにチェックする価値がありまっせ。
うおっといきなり脱線したがその様に色々環境等から影響を受け易く音は変質し易いんだが、音の硬軟に関しちゃ「現場との比較」が超困難な為に今でも見過ごされ易いんだ。

処で超後出しみたいでスマソだが硬くなる以外の変質については、色んな方法で修正可能だからここではスルーしてまっせ。
それと「硬くする」方なら「柔らかくする」より大部ハードルが低く、全く望んでないのに硬くなったのを戻すのだけがやたら大変なんですわ。

又巷にある多くの柔らかくする方法はその多くが次善策で、「音の硬さが目立つ成分」を削ってるだけなんだ。
って事って漸く具体内容へ入ってくが、最初は生楽器から。

生の場合は電気が介入する手前迄は一応セーフなので、録り方と記録・加工の仕方が問題だす。
その中で近年現代的にマシンドラムに張り合った硬さみたいなヤツは、録る段階で処置しない限りアウトでごんす。

実は従兄が近年TAMAをダイナミックタイプで拾うのにはホトホト弱ってて、けど最近OnとOffの中間距離にしてコンデンサタイプで拾う様になってから激的改善があってゴキゲンだす。
以前はダイナミックタイプでも旧式なのを使って俺に言わせりゃ誤魔化してたんだが、それが↑の通り「削れて弱まってただけ」だったからなんだ。

単体聴きでは許容範囲だったか知らんが、他パート(つまり俺)のを色々侵食してくれやがるから正直一寸迷惑だったん。
例えば生時よりアタックが速くなってたんで、何も変化してなきゃ拮抗するバランスにしても頭を喰われちゃってさ。

これの厄介なのは低音のアタック成分が、自然状態ではあり得ない速さになってた処。
そんでそれに対抗させようとするとこっちはわざと突っ込んで鳴らす事になるんだが、そうすると今度は「遅れてない高域アタック」が速くなり過ぎて金物類とズレちまう。

実際物理的には恐らく逆で太鼓の高域アタックに遅延が発生してたんだろうけど、デジタルでは昔のアナログテープみたいに高い方程遅くなってくれたりが無いからね。
だからテープ時代だったら旧式ダイナミックもそれなりにフィットしてたんだけど、その頃の音の印象だけ残ってて実像は記憶から消失してたんじゃないかな。

<つづく>

2023年2月 4日 (土)

音楽備忘録1268 伴奏の重要性④

…大した事にゃ滅多にならんし、何ともお地味だから軽視され易い。
けど独りで悦に入る位の価値は充分あるもんで、その真価が発揮されるのは早くて半年下手すりゃ数十年後だけど必ずあるのがミソなんだ。

っと振っといて打込みでの伴奏の難しさへすっ飛ぶが、やはり精緻な加減が困難なのが元凶だろう。
ここで唐突に持出すのは人力の強みを明確化する狙いだが、まあ兎に角一寸考えてみとくんなまし。

頭だけで考えると適切な音源さえありゃ却って安定して良さそうなもんだが、特にギリギリの小さ目にしたい時に一筋縄では行ってくれない。
自分の場合は問題箇所だけ修正するので今ん処賄ってるが、それやると単独パートで聴いた時中々変てこになるんだ。

限界に近い小音量ってのは耐性が弱く、一寸大き目な音が被って来るともう聴こえない。
それでも許容しちまえば済む話しではあるんだが、パート数が少なきゃ途端にアンサンブルに変調を来すのは確か。

聴いた感じが一定の秀逸な伴奏には不適格で、基本は音量上げで対処している。
のが場所に依って定量的な盛りでは対処し切れず、時には倍に上げても微かに聴こえるかなんて時もある。

そんな際はホントはLeadパートの大き過ぎが真因なんだが、打込みだと安易に下げる訳にも行かないんだ。
大きくしてるのはそれと分かる様にした為で、例え聴こえても主役らしさが足りなくてだったりした時だから。

こんな現象も元はと言えば音源の限定にあるんだが、ある程度向いてる用途を提示しといてもどう使われるか分からんから思いっ切り派手にも地味にもしとけない。
これの根が深いのは程度問題もあるからで、楽曲次第でかなり大巾な変動があるからだ。

そしてそうなるのは参考にした原典が、実は印象とかなりかけ離れた音色であったりしたのに起因する。
つまりその曲の中ではそこそこ目立ってたりした物が、他所へ持ってったら酷く地味なのだったりさ。

加えてそれが音量だけとか音色だけならまだ良いが、多くのの場合でほぼ全要素で成り立ってるから機械再現をとても困難にしてるのよ。
結果的に打込みでは最適音色の使用を諦めたり、或は最適バランスが分かっててもそれを放棄したりになる傾向が強い。

これが何ともアホらしいのは、人力ならほんの一寸変えるだけで済んだりする処。
生楽器や電気楽器でストンプ不使用又は弾く強さで音色も変わるのだったら、僅かに強さを控えるだけで全体が変ってくれるのにさ。

そんなのが俺の耳には実際は人力だったのに、YMOの方が純粋な打込みより機械様が演ってる様に聴こえたりしたんだ。
っても今の打込みにより慣れてる若者が聴いたらどうか分からんが、「打込みと相性が悪い曲」が廃れて表現の選択肢は確実に減っちゃってるんだよね。

夫々の時代で「都合の悪いの」は敬遠され気味になるけど、近年J-POPの程バリエーションが少ないのは珍しい。
特にテンポ「中速」で盛上がれる曲が少ないが、その領域って最も伴奏で本来は色んな技が使えるんだわ。

技抜きでは中速だからスピード感に乏しく、少々速めた程度で補えるもんじゃない。
試しに今の曲を歌が許せるテンポに落して考えてみそ、大抵は「歌限界」よりそこそこ速くしちゃってっから。

<つづく>

2023年2月 3日 (金)

音楽備忘録1267 過音圧ミュージックはもう沢山➓

何時迄ボヤくだけでも埒が明かないんでこの辺で本項閉店とするが、最後は副作用の乱れ打ちと行こう。
先ず表現巾が狭まるのは当然として、その中に予想外!?のもあるからそれから。

音圧を最高に上げてるんだから弱まる心配は皆無な筈が、随時頻吠「比較芸術」な為にそれが起きるのだ。
一寸冷静になれば色んな分野で当り前なんだが、強いだの速いだのにも絶対限界ってもんがある。

もし何回聴き返しても分からん程にすりゃ速いのだけ強いのだけは分かるが、内容が不明なので無効化する。
それで特にポピュラー系のなら2~3回目にはアウトライン位は分かる程度に抑えるんだが、今度はその程度にしとくと慣れで数回で威力が失せる。

それを避けるには作品内に一定以上のコントラストが必要で、つまり聴き手の感覚に依存せずダイナミクスを曲側で指定しちまうんですよ。
人間ってないい加減なもんで当初は一寸弱いかなと思っても、それが一定以上続くとそうでもないかなんて感じる処があってさ。

そうやって曲毎に必要な「普通」を構築してやると、そこからどの位強まるかを指定出来るん。
何故って普通よりこの曲だけ最大音を大きくするとか無理なんで、そりゃアルバム単位でだったら他の曲と差を付けとく位は可能だけどね。

けどシングルでは相手は「ほぼ全て味方に非ず」だから、余程の事でも無いと他のよりわざと小さくしとくなんて出来ない。
さあ困ったどうするったら、少し邪道だがこうするのだ。

曲の冒頭があんまり小さいと目立たず埋没したり何時始まったか分からなくなるので、取敢えず曲の理想とシングルの理想の間で適切な音量にしとく。
からの曲が始まったら気付かれ難い程度に、一旦曲の理想値まで徐々に下げればよろし。

そうすれば例えば強化したいサビとの落差が得られ、しかし強化ポイント迄の時間が短くて足りないと充分なだけ落差が得られない。
その際曲的に許せるなら思い切って1つ目のサビのインパクトは妥協し、2つ目のからに賭けてみる…。

等々少なくとも「その曲の中で解決すべき問題」で、他の曲や全部フルにしてはアテにならないんだ。
次に編曲の一手段として楽器の増減でダイナミクス表現の代用をする時があるが、その際も密度を上げ過ぎてると意味を為さなくなる。

これの趣旨は最大音量の変化を殆どせずに密度で表現するものなので、「隙間」の多少が無くてはならない。
そもそもOrgan系の音源が主体だとほぼ無効化するもんで、減衰音主体の時専用だ。

昔のタッチレスポンスの無いキーボードに無くてもHammondやエレクトーンにはエクスプレッションペダル常備なのはこのせいで、2段鍵盤+足鍵では「隙間」が出来難いからだ。
のでこの方法を用いる際はハードコンプで殆ど減衰しなくなってては駄目で、音楽の世界では残念乍らホントの「全部盛り」は不成立なのだ。

しかし「弱いと感じさせない弱さ」や「小さいと感じない小ささ」が結構沢山あるんで、そんなにムキにならなくたって平気なんすよ。
それよりコンプしようと何しようと、ニーズに一寸でも過不足のある音を出しちゃうといけないだけでね。

まあそれがド素人さんやそれに少し毛が生えた位の人には難しいかも知んないが、取敢えず生で弱過ぎか強過ぎを駆逐するのから始めりゃエエねん。
一度に両方は難易度高過ぎで、体質次第でどっちかは大抵そこそこ得意なんだ。

<幕>

2023年2月 2日 (木)

音楽備忘録1266 音を柔らかくする方法➊

過大・過密等現代本邦のは疲れる音楽ばかりになってるが、それと同じ位大問題なのが「硬さ」だ。
そらぁ物理的明瞭度の為には硬い程有利だが、3秒とかで終わってくれる曲なんて殆ど無いじゃん。

いきなりの因みにだが「硬っぽい」と「硬い」ってな別物で、人が入れる熱湯風呂と麺が入れる熱湯鍋の温度が全く違う様なもんなんざます。
って風呂と鍋なら誰でも分かるのに、音になった途端鈍感になるのは全く御免こうむりたいもんだ。

と言いつつもしかしたら既に耳が少しやられ出してて、毒硬がもう気付けなくなってる疑いは濃厚ですがね。
現代本邦ではそれに留まらず過刺激の懸案は幾らでもあるが、要するに継続的に浴び続けて副作用が一切出ない範囲が限界点なのよ。

理論的に攻めるなら自然界で出せる音で、災害等非常時の物は除いてね。
それが電気に関わる音でも長らく天然よりボケたのしか出せなかったもんだから、何時しか一線を越えちゃったんだろうけどさ。

又硬過ぎ君の副作用ってな過刺激のみならず、明瞭度には多少貢献するもそれより遥かに音程感を損ねたりがあるんだす。
これは初期のSyntheをある程度以上弄り倒したりしたら痛感させられるんだが、Attack音を大きくすりゃ必然的にDecay音が相対的に小さく目立たなくなるからね。

それもあって太鼓等アタック音の強烈なヤツは、しっかり音程があってもそれがとっても判り難いんだす。
んだば続いてここから音圧・密度との関係性へ進めるが、一般的に硬過ぎ君は両者の面で最も脆弱になるんすよ。

殆どアタックだけになるって事ぁ、デカいのは一瞬だけで平均音圧極小に。
瞬間バカデカいのを歪まない範囲に抑えるんで、後はスカスカホントは実に淋しいもんなのよ。

なので硬過ぎ君を叩き潰して平均音圧を稼ぐってな無駄×無駄=何もしなかったのと同然と、こんなに草臥れ儲けの骨折り損なのは他にねえんでやんす。
尤もその潰し方が秀逸だと一瞬勘違いし易いが、柔らかい音色のを硬く拾ったのには全く歯が立たんとです。

証拠は過去名作に幾らでも存在し、今より格段に録音が悪かったのに結構聴き取れたりするやんけ。
その秘密は絶対性能では遠く及ばないが、余計なプロセスを極力省いたからだ。

当時は録ればボケ弄れば更にボケるのが当たり前だったからそうせざるを得なかったんだが、それって柔らかいのを硬くになっとるがね。
これを細密に分析するなら「電気領域ではなるべく弄らない」事を意味し、それが例えるなら刺身の鮮度を落とさないのに繋がってた訳。

お刺身って食べる段で普通するのは醤油やワサビを加える程度で、冷凍でもしてなきゃ間違っても電子レンジでチンとかしちゃったら一巻の終わりでしょ。
って何時何処から昔の作品が刺身になったって変な話しだけど、素材が悪きゃ低加工じゃ食べられないからね。

ってⅡで必ずしも今の曲をディスる気は無いが、加工し捲りを前提で曲を作れば鮮度はあまり期待出来なくなるさね。
古い考えかもしれないけど何時でも良いネタが仕入れられるとは限らないんだから、必要の無い加工は避けたいよ。

だからこそ硬過ぎを平気で奏でたり録れちゃったら、始末に悪くて困るんだ。
ステーキで食べたくても、既に細かく切り刻まれててはどうしようもないんだから。

<つづく>

2023年2月 1日 (水)

音楽備忘録1265 伴奏の重要性③

伴奏を制する者ソロをも制す…と迄は行かないまでも、逆が絶対無理なのは確かでごんす。
を前回の続きを交え乍ら追記してくが、伴奏では物凄い速弾き等出て来ないのになしてそうなるかだ。

実際速いスケール等はそれ自体の研鑚を積まなきゃ無理だが、ソロだって常にハイテクを要すものばかりじゃ無い。
テクの絶対値は最高速に表れたりするが、それは必ずしも「音楽が上手」なのとは一致してくれない。

寧ろローテクな時こそ音楽性ひいては芸術性が全面に出てて、センスの良し悪しが決定しちゃうんだ。
そう云う時は例えばGuitarだったらチョーキングのニュアンスだとか、絶妙な強弱とかで全てが決まってしまう。

達人の真の凄さってウワーと弾いた時じゃなく、ほんの一寸些細な事をした時にもうその音が凡人とは全然違うってのが典型なんじゃないかな。
だから聴いて瞬時に分かる訳で、その為のテクは伴奏の方が習得し易いしネタの宝庫なんだ。

と云う事は伴奏が下手なソリストは良く聴くと、そのソロすら一辺倒のが多いんじゃないかな。
んっまソロにしか興味が無くったって全く生きる道が無くはないが、少なくとも歌物グループのパーマネントメンバーは無理だろう。

又極端な話し「伴奏は演りません」とか「決まったベーシックなのしか演りません」となると、小規模のアンサンブルも駄目だ。
だいいちGuitaristだからソロの場面にまあまあ頻繁にありつけるだけで、リズム隊なんかには滅多に訪れない。

そんな観点からするとソロのライバルは限られるが、伴奏のは全員になるからより過酷だ。
って戦争じゃ無いんだからそう敵視すべきじゃないが、ソロの成功って忖度あってのものだから案外脆弱だったり応用が効かないんだ。

その一方で伴奏は通常ライバルと「同居」してるんで、悪い意味で周囲に左右されない強みがあるんだ。
一方Ⅱで良い意味では楽曲や周囲に左右されるべきで、しかしその実は臨機応変な対応と前向きなもの。

その対応ってのが最も大事な部分で究めて行けば、どんな曲・編成に対しても「自分独自の回答」が出来る様になる。
その一端として各曲への対応・非対応を示すが、苦手なジャンルでもベーシックなリズムキープ位なら余程知らないのじゃなければ出来る。

只そうなると「他の誰が演っても同じ」のしか出来ず、かと言って非専門のだと本格的には演れない。
そんな際一寸でも独自の工夫を加えれると良く、寧ろそんなのがオリジナルな伴奏なのだ。

伝統の本格芸も出来ないよりゃなるべく出来た方が良いが、例えば本当の貴族の人が奏でる雅さは庶民には敵わない。
だから俺にとってのBluesみたいに境遇と合致してると結構行けるが、それだって昔の黒人のに比べたら所詮は嘘っぱちに過ぎない。

唯1つ刻むにしても過酷な労働を耐え抜いて来た手で奏でるのと、単に貧なだけ(俺!?)の奴が演るんじゃ何かしら何処かしらに違いが出ても当然だ。
だが夫々が自分にしか無い体験から持ち出すならそこの部分だけは無敵、ったって大した事には滅多にならんけどな。

<つづく>

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