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2023年1月 8日 (日)

音楽備忘録1241 楽器Amp同士の組合せの話し㊲

恒例の前回後部補遺からになるが、楽器に手が届く距離で聴くのって生楽器なら一部例外以外では極当り前な状況だ。
非生楽器の「離れても聴ける」は一種の醍醐味ではあるが、私的には「離れなきゃなんない」を補う為のものと思ってんだ。

心底音楽とその楽器が好きだったらそれ等は恋人同然なんだから、常にせめて手を伸ばせば届く位の距離感で居たいと感じても自然なんじゃないかな。
情緒とか感情を殺して考えたって、Ampは調整するのにどうせ手が届く距離に置かなきゃなんないし。

からのプチ観察をするとJazz用等のコンパクトなのの一部には、ツマミ類等がAmp上面に付いてるのもあるよねえ。
座した奏者の足元とか横に置いて視覚的に邪魔にならないなら、座ったまま何時でも再調整可能にするにはその方が良い。

エレキでもそんなのを使えば向きのズレは兎も角、Amp-奏者間距離はDrumsetや生Piano等と近似になってる。
そこで基準としては非ノッポのならAmp前に胡坐で手が届く、人よりノッポの巨大なのだったら立ちはするがやはり手の届く距離にしてみては如何でせう。

それで継続的に耐えられるのを自身の最大音量とし、特別広かったりAmpから常時は遠ざかる時以外環境に応じて寧ろ必要なだけに下げるのがお勧めよ。
音って音色等次第で計測した通りには感じられない方が多く、下手に悪いのに飼い慣らされててもとっても気付け難い。

俺から見て身近でこれを最も具現化してるのが従兄で、騒々しいのが苦手な癖にDrumだけ喧しくても涼しい顔しててさ。
こっちだって最近はそこそこ日常的に鳴らしてるけど、楽器種に依ってウルサさが違ったりはあり得ない。

人一倍適正音量にも拘ってるしかも大ベテランの従兄でそんなな位、音量に対する正常な感覚(特に音楽趣味の無い一般平均の)を保つのは困難なんだ。
それでも生楽器の人は耳は平気でも妙に疲れるとかでまだチャンスが残ってるが、電気で音量が自由となると感覚だけに頼るのは無理がある。

それでいて今劣化本邦で解せないのが歌唱声量の極度な減少で、歌は小さくPAはデカくって完全にエコにも反する行為じゃい。
確かに声量に恵まれない人が人前で歌える機会は増えるけど、PAの音量過大で今度は爆音に弱い人を追い払っちまってるじゃん。

と一面でわざわざ客数減少を促す行為だが、これを無視しても表現者には過剰平均音圧と同様大きな損失がある。
平時が暴爆音だとPianissimo以下位に
下げた時しか、観客には強弱が認識出来なくなるのよ。

してこれはバランスを取り難くしたり明瞭度を悪化させたり、音楽にとっちゃ百害あって一利無しなんす。
目立ったもん勝ちの世間じゃ演者のエゴも増し盛り気味になるし、Drumsetに過大最大音量のがこうも増えるとつい「大きい方に合せ」その後バランスを取ろうとするけどさ。

基準になるヤツがバランスを取れる限界を超えてると、他のを全部食っちまうからそんなの絶対無理なの。
そんな最大音量のリミットは先ずは人耳だが、その他にハコの広さとその残響率ってのもある。

の一端が素人でも認識し易いのったらハウリングで、そりゃあ音源音量が不適切に小さ過ぎりゃこの限りじゃないがね。
マトモな楽器+奏者or歌手×適切なMicで僅かな変化でハウリングを頻発する様なら、その場所の俺言い「最大音量容量」を超過してるんだと思っとくれやす。

<つづく>

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