音楽備忘録1259 伴奏の重要性①
承認欲求が大手を振って歩き回ってる今、伴奏の重要性に気付いてない人が多い。
ソロパートは自己責任な上目立つけど、そこが来る迄聴いて貰えたらなんだよね。
例えばグループが5人だったら必ず曲冒頭にソロを演るとして、残りの4/5はじっと我慢の子。
って現実にはそれすら困難なので、長い事指を咥えて待つばかりだ。
でももし伴奏でも好印象を与える事が出来たら常にチャンスがあるし、ソロの無い歌曲でも存在感を示せるのよ。
だからこそグループのメンバーとして有名になった奴等は、どんなにソロが上手そうでも実は「伴奏の方が上手い」連中なんすよ。
具体的にはJazzよりFusion・FusionよりRock系に多く、それはパーマネントグループの割合とリンクしとりま。
更にLeadパートよりRhythmパートの人に多く、Donald ”duck” Dunn等がその典型だ。
最近じゃその殆どが死んじゃったけど彼の他にも多数居て、特に’80年代に当時はよりマイナーだった日本人と数多く演った人達がその典型だ。
中でもJeff Porcaroなんて凄まじく、当時自らのTotoも売れてたし本国で並み居る大御所のバックもしてたのにね。
Porcaroが重用された理由に流行もあったのは事実だが、自分のスタイルを維持し乍らもかなり色んなスタイルに応用が利いたのも大きい。
普通はカッチリとかルーズな感じの人だとそこは変われないもんだが、リズムの正確さだけ残してシックにも派手にも行けたのが特筆すべき点だ。
その秘密が良い意味で曲に依存してたからと考えてて、組立ての上手い投手はお任せで球だけ良い投手にはリードに専念する捕手みたいな側面があったんじゃないかな。
それでこれが「駄曲は叩かない」→「マイナー・メジャー問わず参加の是非を決定」に繋がり、ギャラが良く知名度があっても下らない作品には不参加→良い曲ばかり参加にも繋がってた気がする。
それが一般論でのテクレベルが大した事無いのに、つまり凄いソロがあった訳じゃないのに数多の名曲で叩けたんだろう。
例えば当時同じ位有名だったVinnie Colaiuta等より、オファーが多くなった理由じゃないかな。
そんでまた後年Ian Paiceが参加したPaul McCartneyのアルバムなんかと比べると良く分かるが、絶対にDrummerが彼じゃ無かたっら駄目という感じがしないとかと違ってる。
端的に言や誰が演るかで曲が違って聴こえるか否かみたいな差があって、MG’sじゃ無いとStaxの曲じゃないみたいな現象が起きてるかどうかだ。
そうやって考えてくとバカテクソロはそれ自体は大変だが、状況が許せば何時でも大体同じのでも構わない楽さがあるかも知れない。
のが伴奏となると曲毎に微妙でも毎回変えなきゃなんないし、使える技も逐一限定が厳しいからそっちの方が実は音楽的に高級なんだ。
んで何が高級なのってば、楽器を奏でる以前に音楽に詳しい事が必要な処だ。
単独パートに詳しいのを「音楽の一部に詳しい」とするなら、自分のパート以外に一定以上の理解が要るのが違う。
ってホントは何処を受持とうと音楽するなら、少しでも詳しく分かってた方が良いんだけどね。
興味の範囲がこれより狭くても仕方無いんだが、それならそう云う人は譜面を貰って弾く方が向いてるよ。
<つづく>
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