音楽備忘録1264 過音圧ミュージックはもう沢山➒
だば前回の続きになるが、そもそも歪みの深さって一般的には「何処で感じてるか」が鍵なんよ。
もしかしたら全体とか最も歪んだ時って思うかも知れないが、一般聴者の多くは「一番歪まない処の浅さ」で判定を下す事が多いんだなぁ。
ってのは生音かそれに近いのの変化なら知ってるけど、「○○の深さだと□□音が△△に変化する」なんて専門じゃなきゃ知ったこっちゃないでしょ。
それで殆ど無意識の内に「歪まない方の度合い」で予測してて、歪み前コンプが掛ってると悪く云や騙されてた訳。
それを弱くなるのを嫌ってバカ正直に深歪みさせると、上記のとは時に違いが出るんだ。
端的に言や「和音が潰れ易くなる」で、併せて明瞭度も低目になるんす。
のを昔の達人達は人力で不要な処が弱まらない弾き方をするのから始まり、後に適宣「前コンプ」を利用して切り抜けて来たん。
そんじゃあ昔の人はシビアで大変…ってまあ事実ではあるんだが、Jazzとかで生音で演ってる人よりゃ大分楽。
今だって生太鼓や生ピの人は全然変わってないんだから、それに比べりゃ全くどうって事ぁねんだ。
んで何が言いたいかっつうと生楽器入りの音源では、エレキの強弱の粗なんか殆どあってもどうでも良いってね。
流石に「フルループ」にすると生楽器でもその強弱の種類が激減するけど、それって究極はマシンドラムと「地続き」だかんね。
現在のドラムマシンでも「生音」のは、1音単位に分解しただけだ。
アタックと余韻に迄分解したのは恐らくまだ無く、ってそれもヲタ性が強くて何だけどさ。
一般論で生身の人間が演ってそうな程度にすると、完全に同じ楽器が同じ音になっちゃ駄目なんだ。
それを敢えて逆手に取ってYMOなんかは「全部機械が演ってます…風」にしてたけど、今になってみれば「人が想像する機械の音」と実際は一寸違ってた。😃
機械でも他の音の状況次第でまるでムラがあるかの様に聴こえる時があって、初めて自分で打込んだ音を聴いた時ゃ何だこんなもんなのかいって思ったよ。
それを分析しみると物理的には確かに同じだったんだけど、他の音からの影響迄「考えて同じになる」様になんて全くなって無いからねえ。
音量差がある程度以上だったらあまり影響は無いが、拮抗したり大差無いと絶大な影響を受けてたんだ。
とどのつまりは生身の人が聴く以上は人耳感覚でフラットにするには、人間が調整しなきゃ駄目だとな。
要するに邪魔が入った時ゃ聴こえが同程度になる迄、「少し盛って」やらないと同じにゃ聴こえんのよ。
それが生身のアンサンブル内では殆ど意識せずに自然と調整してて、邪魔にはなりたくないが自分の存在も堅持したいって気持ちからそうなってんの。
差し詰めロクに打てない打者には少しセーブして投げる様なもんで、そうして強敵が現われた時負けない様に余力を残しとくみたいなさ。
人力では無いけど常にフルにしちゃうってなそういう対応力を剥奪するんで、音楽が自然に聴こえる余地を残そうとすると首尾一貫フルってのは滅多に使えないの。
だからか分かんないが忙しないテンポも含め、劣化近年本邦のJ-POPは多くが何だかみみっちく聴こえるんだよなぁ。
<つづく>
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