« 2022年9月 | トップページ | 2022年11月 »

2022年10月

2022年10月31日 (月)

音楽備忘録1172 楽器Amp同士の組合せの話し⑮

ストンプ主体でサウンドメイキングしててヘッドホンで聴いてると、Ampなんて音量さえ足りりゃ何でも平気なんて思うかも知れない。
だが電気楽器のAmpってかなりそこでも色々操作して音を作ってて、もし常にPAからしか出しませんとでもすれば話しは別だがね。

ので多分普通の皆が想像してたより実際は繋ぐ相手次第で随分変容があるんだけど、取敢えず最も簡単な安全策を挙げるならブランド統一ってのが楽かも。
他社のとの相性だって一通りは確かめるだろうけど、総合メーカだと自社のと一番フィットしない事には恰好が付かないからねえ。

ので例えばEffectorがYAMAHAのならYAMAHAのAmp、BOSSのだったらRolandとかにしとくと少なくとも大崩れは避けられる。
又これには別の利点もあって設計者の目指した「本来の音」が聴けるのと、最も弱点が出難いのも覚えとくと良いかも。

↑の弱点ってな例えば適用範囲の広さとかに表れ易く、生音で良かったChorusが歪ませたら駄目になるとかそう云うの。
体験での典型としてはBOSS CE-1を他社のへ繋いだのとRoland JC-120辺りで、回路的にはCE-1の方が高級!?なのに得られる音はJCの方が常に優勢な印象がある。

因みに時期に依り違う可能性もあるがJCのは回路図を見比べると、BOSSではコンパクト化&普及仕様になったCE-2のと同一だ。
CE-2ってばかつて持ってて初期の目的は果たしてたが、高くてデカくて買えなかった元祖のCE-1よりかなりショボい音だった。

その逆にJCでChorusを掛けない音ってのも地味で没個性で、組合せでそんなに豹変する事があるのを初めて思い知らされた感じだった。
技術的解析をすると出力のステレオ(JC:ジャッキーチェンじゃ無いからね)とモノラル(CE-2)以上に、残存原音の音質にかなりの差がある様だ。

Chorusって原音にそれを変調して僅かに遅らせた音を足して得られる効果なんで、理想的には純粋に足すだけだと良いんだけどね。
当時の時点ではサイズやコストの都合で「弄らずに足す」のが無理だった様で、一世代後のステレオアウト化されたCE-3でも未解決なままだった。

わこの辺にして今は高度化し過ぎて↑みたいな比較がし辛くなってるんで何だが、ストンプのAmpへの出力は①ス君で完成させてたらAmp特性の逆算を②複合技で行くならAmpでは無理な
部分だけ下ごしらえみたいな特性をわざわざ持たせてんだ。

それからするとAmp内蔵ってな確立したコンビネーションが絶対的に崩れない強みがあり、けど俺的には紛い物の石のAmpをより高価に沢山売る狡い作戦みたいにも…。
そらぁ常にChorus掛けっぱにしたい人には無問題かも知れんけど、差し詰めレンタル彼女でなら良くても結婚するには一寸みたいな…。

って変に食い下がるのはAmpを複数所持出来ない人にとって、意地悪な仕様だと思うからでさ。
ほいでもってそう云う中途半端な存在のがお題の組合せの中に含まれてると、幾らでも打てるけど全然守れない野球選手の居るチームみたいに戦い方が限定されちゃうんだ。

それでも野球の試合だったら隣の人が頑張りゃある程度カバー出来るが、Ampの場合はそんなの全く不可能だからねえ。
のでLive時も音色次第で複数Ampの切替えが可能なケースを除き、俺言い「特化型Amp」はバランスさせるのが面倒なのだ。

<つづく>

2022年10月30日 (日)

音楽備忘録1171 バスドラペダルの真実➓

Ludwig Speedkingの反応こそがバスドラ演奏の嘘偽りの無い体感なんだが、少なくとも日本では主流派になった事が無いから奏者側がアジャストするのは並大抵では無い。
ので今より飛躍的に上手くなりたいとは思わないとか、今更わざわざ挑戦なんてしたく無いと思ったっておかしくは無い。

だが1つだけとても重要な問題を述べとくと、現行一般ペダルでやんちゃキックバックの攻撃に晒されなかったからってちゃんと踏めてるとは限らないんざます。
正確には踏めるには踏めてても、音の方に致命的な欠陥が残ったりするのよ。

ペダル次第で同じビータを使ってもその動きに違いはあるが、ぶったら直後に反発力を受けるの自体には変わりが無い。
ので運良く強引に状況に逆らって動かせたとしても、反発力の分「差引かれた打撃力」しか発揮させられんのどす。

のでⅡで奏者としては「鳴らせた、セーフ」と感じても、実際には音量や音色に不備が多くて他者には聴こえなくなってたりするんすわ。
バスドラを鳴らすのって重たい脚を動かすんで、余程達人級じゃ無いと耳だけの感覚で判断を下せてなくてさ。

何しろ体にガツンとそれなりの衝撃が来るし、大抵はその音程の低さから聴いてるつもりで振動で感知したりしてるやろ。
それでいて意識は耳に集中してたりすっから、振動や衝撃の強弱程度は余計捉え難くなっとん。

に対しスピキンでは一定の強さで鳴らすのにかなり困難さを感じはするが、録ってみると思った程ムラが大きくは無かったりする。
この面で現代一般ペダルは外面・スピキンはあたかも内心と云った体で、僅かでも差があったら最も奏者に全部正直に伝えてるって感じなんだ。

なので俺様結構イケてると信じ込んでる様な奏者には少し残酷で、しかし大忖度してくれてる現代一般ペダルの方が実は恐ろしい裏があった訳だ。
半失敗しててもそれを奏者には隠蔽も、音に影響した分は隠し切れて無かったと。

故にある程度以上の演奏力が持ててる人程敬遠気味となり易く、けれどそんな人達こそ更に上を目指すには必須のだと思うんだよねえ。
もっとはないはやし…もとい早い話にするなら、生ピが上手になりたきゃデジピだけで練習してても無理ってのと同じやがな。

現況全く試せて無いんで何だが、って事ぁ反発の少ないのや電子Drumだったら状況に違いが出るかもしれないね。
日本の一般環境じゃ電子Drumにしたって無防音で演奏可能な場所は僅少だろうけど、ホンマモンの生太鼓やエレキBassと比べると必要な防音グレードはかなり下がるのも確かなんだぜ。

のからするとペダルで気付いて無くても妥協出来て、セットの方ではそれが嫌ってのも妙な了見で御座居ますよ。
まあそれもこれも前述音より振動等で体感してるのもあるからなんだろうが、海外の方が電ドラを積極的に活用してるのはかなり気になるぞい。(現状開発・製造では日本が先頭に立ってるのにねえ)

俺は全く望んで無くてもうこんな齢になっちゃったし惚れた音がどうせ古いから、開き直って古さで勝負でもしてやろうかと…。
って気持ちとしては本当だけど中身は焼き直しにするつもりは無く、でも一寸冷静に考えるとClassicやJazzなんかだったらそんなのが極当り前の手法だよね。

だからこそホントに新しいので固めたいならペダルとかだけじゃ無く、Drumset自体も是非電子化に挑んで頂きたい。
杜撰大王でも確信を持って断言出来るのが「半端は駄目よ」で、もし少し古いのが混じっても構わないなら癖がとうのなんて噂に惑わされてスピキンを敬遠するのだけは止めとくんなはれ。頼むでホンマ。

<おわり>

2022年10月29日 (土)

音楽備忘録1170 Rockと経済➌

この項のカテゴリ設定にずっと「趣味」を入れてるのは、実務者には仕事であっても趣味性が重要だと思うからだす。
演者がオリジナルで定評のあるの以外、今迄に無かった何か少し変とかが無いと価値が無くなるんだす。

別項のの再掲になるがthe peggiesに興味を持ったキッカケは、Guitarが何処か変な処をムギュッと押えたみたいな音を出してた処でさ。
それが私的には悪いがちっともカッコイイ音でも無く、けどかなり長く携わって来てるのに初めて耳にした音だったんだ。

チープなギミック奏法だからテキトーそのものではあったんだが、当事者の北澤ゆうほ氏がやるとその感じは何時も同じ調子だから誰にでも即座に分かる。
天然か当初は企図したのかはオラ知らんが、最終的には個人の手癖みたいなのに依存してるのかな。

だから技術的には出鱈目でテキトーでも何時もの音になるらしく、その様な癖を殺し過ぎないってのも趣味性の一部だと思うんよ。
これ誰が演ってるかより他人曲の再現が重要だったら、絶対避けて大人しくしてなきゃ不味いっしょ。

又打込みでだって頑張りゃ不可能では無いだろうが、個人特有の手癖で音を変えるのは無理だから思い付くのが大変そうだ。
ま何れにしても必要無いがオモロイから許してやるかみたいな遊び要素は、多方面に余裕が無いと演れないんだわさ。

貸スタジオ代が厳しくて予定してた練習を詰め込んだりしなきゃならなくなってっと、将来有望なトレードマークになり得るものでも違う時間にやっとくれよとか。
勿論極初期実験段階では個人的に処理すべきだが、ある程度以降の段階になったら本チャンテストをしないと可否判定には足りなくなる。

特に是又概述I Feel Fine-Beatlesのイントロみたいな緩やかで元は自然現象みたいなヤツだと、良くて本番のリハーサルでしか確定させらんない。
だから歌詞ではクソ政治屋野郎とか吠えられた処で、音に関する色々には費用をケチるにも限度ってもんがあんの。

それが普段平均的経済力の者にとっちゃ一寸の延長位造作ないのに限って、今みたいに景気ドン底だと露骨に影響が出るんすよ。
恐ろしい仮設だがもしか最近の若い世代は世相や経済状況から、一部の悪ノリ君以外最初から全然遊んでないのかな。

だとすると創造的な遊びは案外有益なのの体験が持てて無くて、この方面での経済の影響は機材だけとか感じてるかも知んない。
でこれ悪い大人が自分達の都合でそんな風な教育をしてたのに、気付く機会が中々訪れない為に…と若者は完全無罪なんだけどね。

尤も現状で困難なものだとこんなオヤジがホンマはもっとオモロイんやでぇ色々あるんやでぇと言った処で、気軽に試せないから申し訳無いんだけどさ。
けど幾ら面倒が嫌だからって悪いのは悪い・駄目な物は駄目を全く黙してると、威圧的な悪い大人はこれ幸いとより暴挙をエスカレートさせるんだ。

まあそもそもRock屋→音楽家の端くれ→大多数は個人事業主の立場からすると、ある程度は稼げてそれを適宣運用出来るスキルは要るんだけどさ。
株屋さん達と比べたらその経済力は雀の涙級なのは明白なんで、非専門を自力オンリーで解決しろってのは酷なんじゃないかな。

となると経済状況を左右してる政治も無視出来ず、興味が無くても最低限の監視とクレームは付けなきゃなんない。
その根底には金と縁遠いミュージシャンからでもあちらは税を搾取したり言う事訊かせたい(悪統制)らしいんで、放っといて欲しいと思っても相手は過干渉して来るのを分かっとかんと。

<変形してつづく>

2022年10月28日 (金)

音楽備忘録1169 楽器Amp同士の組合せの話し⑭

で実際はある程度以上の体験後になると、好みの音色・大きさ・出力音圧の不一致に悩まされるケースが多いんじゃないかな。
どう折り合いを付けてくかの最初は録音とLiveを分けて考えるのが基本で、俺みたいにAmpの歪みをフル活用したいとこりゃもう大胆な妥協が大抵は強いられたりする。

が必ずしもそんなに悲観するなかれで、環境が極端に違うと楽器やAmp・その調整だけで「同じ音」に聴こえる様にはどうせならないかんね。
今の時代は音色切替等の利便性からLiveではストンプ等に半ば頼らざるを得ないが、再三出スマソのDeep PurpleⅡ期メンバーのAmp使い分けが俺には未だ印象深い。

最も有名なアルバムMachineheadの写真ではMarshall使ってるのはRoger Gloverだけで、後の2人はVOX AC30だった様だ。
しかもかなり最近迄不明だったGlover氏のM君も、外見からすると例の1962 Bluesbraker Comboの模様。

紫さんもVOX使うを知ったのはClassicオケと合奏したヤツだったが、Ⅱ期再結成直後のアルバムジャケ内に何処かの田舎でLiveしてる写真のもVOXが映ってた。
それが本人達のか店の常設か何かのだったか迄は分からんが、環境とAmp選択に明らかな関係性は認められる。

普段はPAしない生楽器と合奏とか静かにしてたら普通の喋り声が届く程度迄はVOX、それより広いとか騒々しい場所ではMarshallって流儀みたいなのがあったのかな。
当初は全面的にHard路線に振った時点でてっきりVからMへ変えたんだと思ってたが、どうやらそうでは無かったらしい。

さてこのVとM印象ではかなり別物だが、使われてる部品等の面からだと当時のはかなり近しい親戚だ。
勿論ブランド固有のサウンドの違いだってあるにはあったんだが、少なくとも彼等の求める音色に対しては夫々の組合せでほぼ「何時もの感じ」が得られたからなんだろう。

但しDrumsetも当初一般的な22inchのだったのが大舞台では26inchになり、そうしてからも後年の録音では24inchと使い分けされている。
Paice氏に依ればスタジオではそうしないとピッチが低くなり過ぎるからだそうだが、俺だったら距離感が変るのが気になってそんな気になれないけどね。

けれどBuddy Ritchなんか普段縁の無いツーバス・メロタムズラズラの他人のセットでも、隅々迄くまなく叩き捲ったりしてたからねえ。
現場体験充分な人なら、状況にフィットさせるのなんて至極当然だったんだろうな。

とは言え経験値が上がる迄には時間が掛かるんで、未経験でも模索可能な部分はなるべく先に準備しといた方が良い。
それが本件だと好み音色と音量を個別に考えてみる等で、特に自分の好みのAmpが非汎用タイプのだったら必須だと思う。

基本的にストンプでしか音色生成をしない人でも、もし持ってるのが業務用途にも堪え得る様なのだったらよりAmpは無視出来ない。
少なくともAmp用のOutputが付いてたら、Ampと「セット」で狙った音色になる様に大抵は作られてるからね。

その対象は標準的なのを基本にはしてるだろうけど、こんなに多様化して来ると昔みたいにFender Twinに繋いだのが正規の音なんて訳には行かなくなってる。
Hard系様専用だったら相手基準はM君にしてたりするだろうが、M君自体のバリエーションだけでも今は凄い事になってるからねえ。

のでなるべく早期にベストのが環境に合わん時はアレ、みたいなの1つ位は前もって見つけとくと良いと思うな。
この流れで次回はストンプ主体で演ってる人の、Ampについて記してみたい。

<つづく>

2022年10月27日 (木)

音楽備忘録1168 バスドラペダルの真実➒

チェーンやベルトドライブだってビータが戻る時はフットボードだって引っ張り上げられるのに、何故ダイレクトドライブだとを考察してみよう。
バネ強さの影響だってかなりありそうだが、Speedkingのキックバックは他のと桁違いに凄かったんだよ。(っつうかそもそもキックバックと感じたのが俺にはお初だってん)

先ずはバネ主犯仮説から行ってみるが、私体験では「押せなくなった」のなら幾らでもあるが「全く抑えられなくなった」のが他に無いねん。
今迄述の如くどんなにバネを強くしといても、ニュートラルポジションではどちらかへ引っ張る力は一切発生しない。

強いて言えば動かし難くなるだけで、だから押せなくなるのは状況次第で幾らでもあり得る。
がニュートラルから反位(打撃の反対側)にフットボードがあるなら、全く抑えられなくなるなんて不可能なんだ。

何せ強バネ力が抑える(止める)方向に、ハイパーアシストしてくれてるんだから。
それが証拠にバネ強だと、動かしたビータが静止するのが早くねえけ?。

バネ弱とか輪ゴム魔代用とかにすると、かなり何時までも狸の○玉みたいにビータがブラブラ…あっこりゃ失敬。
っとここ迄で既にキックバックを抑制若しくは隠蔽してもおかしくない原因が、上記文章の中に自然と表れてますでしょ。

とは言え鎖や帯だってバネ弱だとアシストが弱体化するんだから、バネさえやたら弱くしといたら少しは似た感じになりそうな気もする…。
が従兄伝授の輪ゴム魔代用を手持ちYAMAHA FP-702で試した際、より小さい力で動いてくれるだけで他の印象は殆ど変わらんかったん。

少なくともやんちゃスピキンみたいな凶暴な反撃なんざ皆無で、強いて言やⅡでフットボードがビータ速度に着いて行けなくなった感はあったかな。
凶暴化しなくてもアクションが破綻すりゃ操縦不能に陥るのは一緒だが、こっちがどう工夫しても「収まるのを待つ」しか無かった処が違った。

スピキンだって力では制覇不可なんだが、ペダルの動きに規則性が残存してるからタイミングを合わせられれば直ちに終息させられる。(つまり成否が両極端)
変な例えだがリンクのに対して鎖や帯のはバチだったら、間に「1つ関節がある」かの様な感じがした。

関節手前側だけ止める様な力を加えても、関節から先はベクトル方向が違ったりするから止められない。
両方に都合の良い向きに上手く抑えられれば良いが、そのベクトルの向きが時々刻々と変化してるんで片方だけでも制御出来たら上等ってな調子でね。

又俺自身はヒンジより先にヒール部があるフットボードを特に欲してはいないが、上記の様な状況でビータとフットボードのベクトルが逆になったりしてる際はこれが少しは救いになる可能性がある。
にも拘らず主流プレイスタイルの影響とは言え、動作のバラける可能性のある鎖・帯式に限って↑タイプのがほぼ絶滅してるから質(たち)が悪いったらありゃしない。

リバウンドを使う人・上手く扱える人が減ったからそうしちまったか知らんが、不誠実な設計と言えばそうなんじゃないかな。
んでそれを俺が問題視するのは個人の工夫では対処出来ない部分だからで、制作側に一切悪意が無くとも使用者にとっちゃ意地悪でんがな。

憲法・法律を無視し国葬を強行したのと同然…ったら大袈裟過ぎるだろうが、絶対的な必然性でも無い限り道具が勝手に奏法に口出しするみたいなのは駄目でしょが。
このオッサンには現代鎖・帯式ペダルの偏向が、度が過ぎてるとしか思えねんだ。

因みに↑「ヒンジより先にヒール部」の体験的効能としては、リンク式だと理論上は可能なビータの強制帰還!?は雑音を出すから駄目だった。
んが爪先側の重さが不要な際(具体的には足首踏みの一部)には
、それをキャンセルする効果が明らかにある。

<つづく>

2022年10月26日 (水)

音楽備忘録1167 Rockと経済➋

ここから経費の特殊性と貧との関係を綴ってくが、Rockの相対的総費用は決して多くは無い。(ってもそれなりに結構掛かるが💦)
にも拘わらず何故不景気の悪影響をモロに受けるかったら、気軽で安い筈のものがそうではなくなったりするからだ。

毎度の比喩で行くが例えば自家用車、大金持ちならBenz等をメインに複数所持が多い。
そこ迄行かずとも国産でもレクサス等は元から良いお値段だからか、未だ大した値上がりはしていない。

GT-Rみたいなのになって来ると天井知らずで1千万を超えたりもあるが、量販高級車の¥5~600万程度ってのは変わってない。
に対しファミリーカーや軽の方は驚愕状態となってて、前者100万・後者50万位からだったのが急激に倍増しやがった。

この値段なら手が届くっつうのが無くなって響くのは、ギリギリの予算しか持てない俺みたいなのだ。
私的にはもし次を買うとしても新車は選択肢から完全に外れ、それでもたまたま中古嫌いじゃないからまだ救われてるがね。

次にアンサンブル人数の差ってのもあって、1人あたりの負担割合が多いジャンルではそれも深刻だ。
Classicオケであれば元々広さと音響性能が必要なんで、コンサート会場費は何時だって安くなんかならない。

が携わる人数が多いんで決して楽とは思わんが、クラウドファインディングみたいに目標額は達成し易いだろう。
だが数人だけで半額しか揃えられなかったりすると、1人あたりの残額割合が多いだけに頓挫し兼ねない。

音色都合での楽器購入にしてもClassic系だとStradivariusは下手すりゃ億越え、に対しRock系のなら垂涎ビンテージでも100万もくれてやりゃ充分だ。
から普段はClassic系の人の方が遥かに大変だが、特別な資金準備をしないで済んでた方が不況になると影響が即座に大きく出るんだよ。

アホノミクスみたいな大ボケ噛まさん限り、こんな事態は訪れなったんだからねえ。
そりゃ大災害その他景気を悪化させる原因は他にだってあるけれど、根本的な体力を継続的に弱体化させる様なもんじゃないずら。

今更乍ら誤認回避で強烈な念押しをさせて貰っとくが、杜撰大王は元来世間の経済に無興味では無かったが今だって極力関わりたくないと思ってるぞ。(正確には縁遠いだけかも😢)
何分低音ヲタでGuitarのスケール練習しなきゃと思ってても、ついBassのローエンドの研究に邁進しちゃったり。

太鼓でルーディメンツや手指の鍛錬しなきゃと思ってても、ついバスドラの打数と速さに没頭しちまったり。
そんな体質だから邪魔が入るのも嫌だしで、政治経済が出て来て許せるのはせいぜいその方面の作詞をする時位だ。

処が常用してるビータ(Ludwig L-1286)の価格が、一寸余所見してる間に突如倍増してるじゃないのさ。
幾ら為替が変動したってもそっちはまだ倍にはなってないのにこんなとは、明らかにレート以外の原因も含まれてるからなんだろうさ。

つまり折角こっちが大人しくしてやってても(ホントは違う理由でだが💦)この有様じゃ、このまま放っとく訳には行かない。
俺勝手言い「稼げる勇者」であれば先ずは収入増に専念するやも知れぬが、不当・不適正価格の為に時間と労力を余計に取られる分は誰も補っちゃくれない。(※壺消費税分、残りは低賃金)

知識や道具が比較的簡便で即座に挑戦出来るのもRockの特徴なのに、手間暇が掛り過ぎたんじゃパフォーマンスや作品にだって悪影響が及ぶのは必至。
元々貧だから楽器は無理延命させる位それなりに大切にはしてるが、かと言って寿命だけの為に縮こまった演奏なんてする様じゃRockじゃ無くなっちまうじゃん

<つづく>

2022年10月25日 (火)

音楽備忘録1166 楽器Amp同士の組合せの話し⑬

ここ迄でAmp同士の組合せを思案するのに、スピーカ能率と周波数特性への配慮が欠かせないのを提示して来た。
近年は業務用のじゃ無くても昔のみたいに怪しいのは減ったんで、上記後者の懸念はかなり薄まったとは思う。

だがそれでも例えば太鼓が普通のよりやたらに低音が出るのだったりすると、唯Bassの音程が辛うじて聴こえりゃ良い程度でも相違が出て来たりするんだ。
楽器Ampは設計思想次第で最優先事項に多少差はあるが、大抵は「出せる音圧は出せる」様に作られている。

例に依って出せる×2なんて変な日本語になってるが、この内前者には実は特異な制限が付いてんだ。
最もターゲットにした音色で額面通りの出力(音圧)が得られる様にするのが責務な代わり、非ターゲット音色にするとかなり実質出力が低下するのもあるんで御座居。

例えば中域限定忖度な作りのにはスピーカユニットだって能率最優先で、低域の出力量が少ないのが付けられてたりもする。
そのAmpで出力に充分余裕がある内はBassツマミを上げるか、外部ストンプやBoosterでもそこそこ補填が可能。

だがそれ以上の音量を欲しがると電子回路で飽和(音的には歪み)してまうんで、50W級のなのに実用では35Wしか出せなくなったりがあんねん。
この現象PAの方では今でも結構シビアな問題で、Synthe Bassを爆音で出そうにも少し下の方をEQで削らんと音量が不足になるなんてのがある。

Syntheもアナログのしか無かった頃は楽器Amp出しするのも普通だったんで、弦Bassと非併存な際はそのAmpを間借りしたりも出来たんだけどさ。
デジタルのワイドレンジとクリアさを活かすにはエレキAmpじゃ役不足で、どうしても常設PAで駄目だったらそれ用のの持ち込みが必要になる事すらある。

Synthe不使用のGuitar Bandだとそこ迄明確には表れないものの、充分かどうかってぇとちょっちねになってる場合が結構あるんすよ。
して惜しむらくもこの件が厄介なのは、搭載ユニットの能率が記載されないケースもあるからだ。

これがブランド品だったら製作サイドへ行けば大抵は調べられるが、作った処がマイナーな上にとっくの昔に消失したりしてると巷にはデータが残って無かったり。
それ以上に不明瞭なのが周波数特性で、そもそも正式には計測して無いのだってある。

オマケに分かった処で今度は奏でてる音の方のが、普通は一々計測・記録なんてしないっしょ。
更に聴こえた印象と物理的周波数特性が不一致な方が多いんで、実際音を色々出した経験値の方を頼る事が殆どになる。

但し↑は俺みたいに何時も苦し紛れで切り抜け様としてる様なシビアな状況下での話しで、最初から充分な余裕を持たせとけば災難に見舞われるのは稀になるん。
だからこそ口を酸っぱくもっと低音に忖度せよなんて吠えてて、実質は忖度ってよりゃ軽視すなって感じなんだけどね。

一般誤認識で根付いた印象からするとLead Guitarの俺様が50Wで我慢してるのに、裏方のBassだけ100Wだなんて生意気で贅沢だ…なんて心情を抱き易いらしいじゃん。
けど少なくともBassの音色をGuitarのオクターヴ下げただけみたいにしてたら、↑で実際大抵はやっとこイーヴンになってるだけなのよ。

<つづく>

2022年10月24日 (月)

音楽備忘録1165 バスドラペダルの真実➑

今回はペダルのダイレクトドライブにフォーカスしてくが、昔から興味はあったけどスピキン持てる迄俺のはささやかな憧憬みたいなのだったみたいだ。
レコード時代からのオーディオヲタには「憧れのフレーズ」で、プレイヤーのターンテーブルの方式からそれは来ている。

なぁんて嘘では無いけどメカ的には「リンク式」等と称す方が適してるし、昔だとか本国ではどんな呼称が代表的だったのかワシャ知らん。
の戯言はこの辺にして私的にイメージはとても良かったが、体験が積算する迄はリバウンドのリアル体感に於いてこんなに重大なものとは思ってなかったよ。

この件での俺の大いなる疑念は幾つかあるが、何たって最大のは不当な高価格じゃい。
スピキンも駄政府の失策からの為替レートのお陰で困ったお値段になってるが、今回吠えたいのは国産の等で特に偽差別化の酷い処でさ。

ってのも例えばベルトドライブのYAMAHA FP-720系のでも、対になってたHi-Hat Standの方はプラ製リンクだがダイレクトドライブになってたんだよ。
宅現用のYAMAHA HS-710ってのもそうで、中古買いしてから約30年経ったがリンク部の摩耗等の問題は出ていない。

’90年代以降のだとバスドラペダルの流行に合わせたか、Hat Standでもチェーンドライブのが増殖主流化した様だがね。
それがホントに耐久性等の都合での措置なら兎も角、↑の様に取り立てて問題にはならないんだから納得が行かない。

幾ら短くたって金属チェーンよりプラスチックの板・棒みたいなのに2つ穴を開けただけの部品の方が、どう考えたってローコストな筈なんだよ。(スピキンの先端折り曲げ鉄板も勿論!)
或は特許ライセンスの問題でもとも考えてはみたが、Ludwigがリンク式をやりだしたのが遅くとも1930年代で90年も経ってっからねえ。

故に廉価にこそならなくても、ベルトやチェーンのよりあんなに高額設定にするのは違法ものでんがな。
で何の為にこれへ執着してるかったら、色んな方式を試す機会を大いに妨害してるからだ。

実際に長年被害を受けたからディスる資格があると思って吠えてるが、スピキンに興味が無かったらダイレクトドライブを買う機会はもっと激減してただろうから俺なんかはまだ良い方かも知れない。
現況本邦ではダイレクトドライブを無料で一定以上の期間体験するのも至難なんで、最悪は実態を知れぬまま一生を終えたDrummerだって居たかもだかんね。

素直にシンプルに考えると何かをぶったらその反動は来るのが当り前なのに、バスドラペダルでだけ幾らも来ないのが普通になってるのは全く異常な事態だ。
人間って他抜きで長期継続体験しちゃうと、感覚的には異常事態ですらそっちしか普通と感じられなくなっても仕方無い。

だからこそせめて頭でだけでもホントは間違ってるかも、と思えないとお終いだと思うんだ。
特にもっと上達したいと願い日々鍛錬に励んでるなら、従前の誤感覚(現況の一般感覚)を改めないと努力の殆どが無効化しちまうぞ。

ので無理に改めろとか変えろと迄は申さぬが、アナタは既に崖ギリギリの所に立ってますよ位は伝えておきたいんだ。
それと今迄知ってたのと違うからって癖がみたいな表現、こっちは百害あって一利無しなので強硬に使用中止を訴えときたい。

ほぼ誰も他意は無いんだろうがそういうのが差別の始まりで、違いは分かっても違和感迄行ってない人に負の価値観を強要する事になるんだで。
好き嫌いと良し悪しはハッキリ分けるべきで、例えば「最悪なのは分かってるけど好きなんだよねぇ」みたいな方がどれだけ心酔してるかが却って分かり易かったりするしカッコ良いじゃん。

<つづく>

2022年10月23日 (日)

音楽備忘録1164 Rockと経済➊

本業でも副業でも稼ぎが悪く意欲も希薄なオッサンが語るのも何だけど、伝統的にはRockって貧困との闘いがテーマにあるもんなんだよ。
今となってはゴージャスRockとかリア充Rockとか何でもアリにゃなったけど、そんなのが輝くのも粗野で汚くてでも心に響く様なのもあってこそなんざます。

っつうか大富豪がもっと大勢Rockに肩入れしてくれてたら、俺言い自称Classic系みたいに既得権益だけで地位と生活が保障されとるだろがい。
わ兎も角幾らRockだって貧にも限界があり、実は世間がある程度リッチな中で恵まれない口ってのじゃないと成立しねんだ。

このオッサン昭和後半⅓はリアルタイムだったんで感じてるんだが、Rockに足りない経済状況だとFolkの方が隆盛になるらしいんだ。
高度成長期と言えど敗戦でスッカラカンになった処からの再興なんで、夢に満ちてはいたけど昭和50年代に入る迄は世界的にはまだ裕福なんかじゃ無かったんだ。

その前にエレキブーム(所謂テケテケね)があったっても、世間全体からしたら極一部の不良呼ばわりされても堪えられる奴等だけでさ。
医者や重役の子息の中でワイルド寄りってな身分ででもないと、道具が高価で買えやしなかったん。

その当時のご家庭用でTVならカラー・冷凍庫・クーラーは絶対的贅沢認定で、令和の酷暑程酷くはなかったが病で床に臥せったてりしたらホントはクーラーはちっとも贅沢じゃ無かったのにさ。
そんなご時勢では歌とアコギさえありゃ成立するFolkじゃ無いと、誰でもかじれはしなかったん。

それでか今の日本には俺の大っ嫌いなわ無関係か…のアリスみたいな、Folkの癖にやたら暑苦しいのなんて全然居らんくなっとるやろ。
或は↑より後のChar氏ですら歌謡界に属さないと市場が未形成だったんで意図的にそうしたとか、だから演るにも食ってくにも安定し出したのは平成になって以降だったん。

のがアベノミクスなる愚政でズタボロにされたお陰で、経済状況がやっと戦後と言えた当時位に出戻っちまってんだ。
故に歌詞や曲のコンセプトに直接反映させるかどうかは別としても、数多の音楽ジャンルの中でRock系の人なら本来
経済への関心は高目にならざるを得ないもんなんよ。

寧ろだからこそ表面的には「名誉?金?、そんなの知らねえ」みたいな振る舞いに至ったと言っても過言でなく、どう間違っても儲かりさえすりゃ構わん奴等との混同を嫌っての事。
ので経済を気にするったって極々一般庶民的感覚での話しなんだが、例えば消費税の実質的な負担が大きいのって成金君より庶民の方やんけ。

そこへ経費負担の特殊性が加わるんでお金に関して、気にしないのは可能でも無視するのは不可能なんどす。
その内容の内今回は社会性にだけ触れるが、先ず誰でもお世話になるのが当然の物程お手頃価格となり易い。

庶民レベルでそれが最も具現化してるのがカラオケで、黎明期は機材その他諸々今より遥かにショボかったがあんなに安くはなかったんだ。
と言っても数字上はずっと値上がりしなかっただけに近いが、平成初期頃迄は給料も物価も上がり続けてたからねえ。

それが劣化本邦では市場規模に対して音楽産業をメタボ化させ過ぎたせいか、単体ジャンルだけでは収入不足になって。
十把一絡げにJ-POPとしときゃギリギリ足りても、Rockっと銘打つとイカンらしい。

もし呼称だけで実害が無きゃ平気な人も居ようが、企業は収益効率を上げる為なら何でも強要させるご時勢。
俺知りだとthe peggiesはもしかしたら失礼乍ら齢のせいかも知れんが、Rock系ガールズバンド特有の楽しさを録音作品からはスッカリ失ってしまった。

それで別項で「メジャー系を目指すな!」なんてのも書き殴ってるが、↑の柔軟な遊びの面白味を損ねては大企業のコネでアニソンの仕事を取れてもかつての様な評判を得るのはもう無理だろう。
こんなオッサンがそもそも名前を知って覚えたのは、B級アニメの主題歌でも独特な面白さがあったからだったんだけどなぁ。

<つづく>

2022年10月22日 (土)

音楽備忘録1163 楽器Amp同士の組合せの話し⑫

今日は過去のMarshallとEric Clapton,Jimi Hedrix,Edward Van Halenの、考え様に依っては魔な使い方を。
どれも聞き古された話題だが、部分的には案外見落してる人が多いんだ。

私的にはかなり重要度が高いのにと感じてる見落とし共通項が、普通のM君のより「低音が出るスピーカユニット」としている点だ。
だが推論の域を完全には脱せないが、その主目的は3人バラバラ。

その手段だって皆違うにも拘らず、↑の「低音」が結果的に近似となった処にご注目頂きたい。
只手段に関しては後年になる程スキルアップ・パーツの増加と入手性の向上等があったんでそのせいかも知れないが、各自の個別事情への対応には今も参考になるんじゃないかな。

1.Eric Clapton:1962(Blusebraker Combo)
エレキAmpとしてはありふれた構成だが整流管仕様なのと、メーカ側の設計用途設定はBass & Lead Modelとなっている。
当時のカタログに依れば10inch×4の1961がLead Model(Guitar用)で、EricはBassには手を出さないので音の都合だけのチョイスと思って良いだろう。

ぶっちゃけそもそも原型M君の回路はFender Bassman(Tweed 10inch×4 Combo仕様)のほぼパクリで、本家原型の時点でGuitar用への魔用があった。
がEricさんの場合は美しく歪ませるのに回路部では低音控え目が必要になり、恐らくそれをスピーカユニットの性質差で補おうとしてたんだろう。

2.Jimi Hendrix:(12inch×4キャビで
Bass用ユニットに換装)
Jimiさんの場合渡英してEricの影響も勿論あっただろうが、イメージ的にはFuzzの使い魔でも案外生音も多用している。
又合せて所謂Crunchも同等に多く、その場合あのFuzz FaceはOffも少なくない。

となるとCrunch用のストンプが無いので、AmpセッティングはCrunchに最適化しといて生は楽器ボリウムを絞って得る算段になる。(当時は歪ませチャンネル等無かった)
その際トリオ編成で伴奏の責を逃れられないから、低音が普通の範囲に収まってくれないと不都合なのだ。

しかし回路側で足りるだけにしとくとCrunchが、低音から歪み始め潰れてFuzzっぽくなっちまう。
又ⅡでFuzzをOnにした際Fuzzって高域が目立つけど実際の特性はドンシャリなんで、更に電子回路側では低域控え目が強要されるとな。

3.Edward Van Halen:周波数特性がやたら「下寄り」なユニットへ換装
主目的は違うったって所詮は発展形ではあるが前2者の発想は下を盛るのだったのに対し、「上を控える」ってのが新規と見做せる。
あそこ迄Gainを上げると普段は量の少なかったローハイエンドの両方共感度充分となり、下は余計な分を回路セッティングで減らせるが上はM君には「削る機能」が付いて無い。

これ英では前回述の黒さん達はVOX AC-30のほぼ唯一無二の機能「Cut」つまみも活用してるが、もっと急峻な特性が欲しければ先頃俺杜撰大王様がぐうぜんはっけん開発した!?特殊回路でも用いない限り頭側では上手く削れない。
それがEddieさんの場合もっと歪みが深いんで、ハウリングマージンを取る為にも妥協が許されなかったと。

処で2.の件は昨日初めて知ったって杜撰さ健在の体たらくだが、過去傾向を総合するとGuitarでは低音をBassでは高音をもっと欲しがって色々な経緯が生れたのが分かる。
こり俺様お得意の最も単純な「原始人思考」で捉えると、人耳の性能はどっちを聴く時も変わらないんだから当り前っちゃ当り前の現象だったんだよねえ。

本項との関わりはこの事を加味しないでAmpを選んでると、後で機種変とかそれでバランスが合わなくなったとかありそうで取上げた次第。
特に前2者のは余ったらAmpの該当ツマミを下げりゃ良いんで、手戻りの心配が無くて良いんよ。

<つづく>

2022年10月21日 (金)

音楽備忘録1162 バスドラペダルの真実➐

Ludwig Speedkingの違和感や癖、この際だからもう少し細かく掘っといてみよう。
実際一言に集約すると前述の通りリバウンドの明確なダイレクト体感に違いないが、現代標準ペダルにだって全くリバウンドが含まれて無い訳じゃ無い。

のにあんなに違うのは大抵はリバウンドよりバネ反力の方が強かったりするからで、可動部のゴツイのとか弾力のあり過ぎるのだとそれに加えてリバウンドのフットボード到達時間にかなりの遅れが生じるからだ。
前者は所謂マスキングの類で、後者は巨大船が回頭するのに時間が掛かるのと似た様なもん。

ここでスピキンだけバネが特別弱く出来る秘密を(別にメーカはちっとも隠してないが)明かしとくが、そもそもバネ弱ってもそれは一番強く作用する地点での弱さなんだよね。
一般的な引きバネじゃ無く押しバネ式になってるのもあるが、それ以上に大きいのがバネの伸縮量の短さだ。

Photo_20220913162901
折角の超久々の概念図が過去作の部分改良(回転中心だけ黄緑に)でスマソが、本件で重要なのは左(スピキン)の赤と右(一般)の青部分の長さの差だ。(赤の直線部が殆ど見えなくてスマソⅡ)
詳細にはスピキンも旧型だと赤の形状がエンジンのバルブカムみたいに涙型って違いもあるが、私体験ではこの形状差は基本的な踏み心地や動作には影響が無い様だった。

わアレとしてたまたま何時もバネを最弱化したかったから気付いたんだが、伸縮量の多いヤツ程最弱になる作用点(ペダルニュートラル位置)での位置保持力が弱くなるんだよねえ。
要するにバネ力の変化量が多いと強くなる側に合せると弱い側(ニュートラルポジション)が曖昧グラグラ、ニュートラルで無駄にグラグラしない様にすると強い方側が強過ぎになりやがる。

のがスピ君ではニュートラル時にある程度バネ力を残しといても、伸縮量の少なさのお陰で最強ポジションでも大してバネ力が増えないで済むんすよ。
因みに杜撰大王ならではのアホ余談だが一般君で限界迄バネを弱めてたら、際限なく調整ネジが緩み続けたりバネが引っ掛けてある所から外れたりしやした。

スピ君では物次第じゃ調節ネジが底板から出っ張って不可なのもあるが、バネが支柱内蔵なだけにストロークの半分でしか効かない程緩めても何処か何かが外れる心配は当然乍ら皆無。
俺の現状ではどの位置でもバネ力がギリギリゼロにならない程度に調整してるが、外見上はビータの重さの分だけ少しニュートラルより後傾した位置に普段は静止してるよ。

わ兎も角上記「最強ポジでも大してバネ力が増えない」が、リバウンドの体感にはとてつもなく大きな影響があるんざんす。
そりゃだってアンタ「リバウンド力最大地点」って、実使用打撃時バネ最強地点と一致しちゃってっからねえ。

だからリバウンドの都合としてはバネ力が最高になる場所でだけ弱い程良いが、ニュートラル位置の安定保持事情で一般式だと構造的に余計そう出来ないのだよ。
尚且つ一般式のリバウンドの遅れ要素としては、バネ力に加え①非ダイレクトドライブ②可動部の重量過大がある。

①はリバウンドが最凶時には緩和されて助かるが、状況把握には明らかにマイナスでしかない。
何よりリバウンドをチェーンやベルトがその伸縮である程度吸収しちまうから、ありのままは体感出来る訳ゃねんでごんす。

結果踏み心地ではまだもっと行けそうな感触でも、実際は思った様には動いてくれないなんて形でそれが表れる。
②についてはリバウンドがフットボードに作用する頃にはもうフットボードが既に上がり切ってて、全く影響力を失っちゃ居なくても「動きで体感する」のは無理になっちゃってんだ。(超過重量をゴリバネ力で強制補填)

もしフットボードにだけバネが付いてたら①②の欠点が場合に依っちゃ緩和されそうだが、流石に出来ない相談すよね。
ではと両方にバネを付けるのも技術的には不可能じゃないが、コスト・重量・空間占有以上に調整が困難化しそう。

<つづく>

2022年10月20日 (木)

音楽備忘録1161 メジャー系を目指すな!➍

元々日本って孤高のリーダーの言う事には素直に従うが、それ以外の発言は軽視する風潮があった。
その半分以上は統治の都合で長年掛けて習慣化させたものだが、視点を変えると勧善懲悪の時代劇はそれ等への一種のアンチテーゼだったのかねえ。

俺言い唯一点同調主義の利点としてルールがたった1つだと覚えるのは楽だし、自らの行動について一々考えなくて済むから更に楽チンだ。
だがそれでずっと安泰で居られる為には完全無欠のリーダーが必要で、自分で苦労したくないからそんな人が居てくれたらと願うのは分からんでもない。

でも当然実際にはあり得へんから、せめて少しでも大規模な所へ所属出来りゃなんて都合の良い事を目指したがりやがる。
随時吠えだがアタシャ個人の主義には不介入と決めてるが、↑の大規模の定義に劣化今本邦のは大問題を感じるん。

先ず競争社会としては既に完全グローバル化してるんで、真の大規模となると英語圏の会社が有力だ。
並の日本人は普段英語なんてよう喋れんから不利だが、言語最大派閥間だとわざわざ外人雇わなくても全部話が通じるもんね。

わ一旦敢えて置いといて次に重要なのが、業種に依る「無理の無い最大規模」の把握でごんす。
それがカップヌードルみたいなのだと全く食べられない要らない人はこの星には殆ど居ないんで、単品の儲けは僅少だが工場や倉庫が世界各地にあっても困りゃしないだろう。(様々なアレルギー対応のもあるので)

では変態飛躍するが非合法認定国の多い麻薬やアダルト分野だと、駄目な所へ乗り込んで作ったら却って負債が増えるだけになる。(当然犯罪者としても色々…)
わⅡでコントラストを上げるのに両極を示したつもりだが、一口に大きいと言っても分野毎の最大値はかなり様々なんすよ。

例えば鉄道の「車両限界」ってのは自動車のと違って超厳密なもんで、レールで位置が決められてるから電柱に擦りそうだからそこだけ一寸除けてとか絶対無理やんか。
それが非必需産業となるとニーズ他殆どのパラメータが変動しちまうんで、適正サイズの見極めがとっても難しくなるん。

ではⅡでそう云う不詳なので確実なのはっつうと、過去例平均の一番小さい方を雛形とするのが確実なんだ。
具体的にはAKBでもAvexでもハロプロでもジャニーズでも、その隆盛期当時はどれ位の規模だったかを再確認して御覧なさい。

世間的には有名を馳せてても今よりかなり弱小で、けど小回りが利いたからこそ従前のと違う事が色々出来たのよ。
それ以前昭和当時にはバックに電機・音響メーカ或は映画会社の付いた、所謂レコード会社にかなり大きな力があったけどね。

何れにしてもレコード会社直属でないとすると、所謂プロダクションの類には一般での中企業すら皆無だったん。
ウケなきゃ駄目だが音楽産業では、独自性や個性が商品の土台。

それには超人親方とその一味なんて程度の集団が最適なんで、色んな人のマネジメントに手を広げ過ぎた吉本うんちゃらは電通(源流は壺)のお助けが無いとやってかれなくなってん。
のでどんなに大艦巨砲主義だったとしても、今ならせいぜいiTunes StoreとかAmazonプライムから売る位で精一杯なんじゃ。

シビアな言い方になるがもし音楽家擬きで、ある程度の知名度と暫くの間だけ安定収入が得られりゃ人格・主義その他一切不問なら劣化今本邦の大手へだうぞ。
でも生きてる限り機会があったら音楽家で居たい、と思うなら止しといた方が良いんじゃないかな。

<おわり>

2022年10月19日 (水)

音楽備忘録1160 楽器Amp同士の組合せの話し⑪

前回後部で再三に渡ってBass用はGuitar用の倍必要の未出理由を記したが、今は稀になっただろうが音域の広い鍵盤用でも同じ事が言える。
ここで幾ら吠えたって訴求力に乏しいのも確かだが、更に追打ちを掛ける懸念迄あるんだ。

「ローエンド忖度を要すると3dB位下がる」は紛れも無い事実だが、Bass用でも物に依ってはローエンドをあまり気にしてない機種もあったりする。
私的にはそんなのを勝手に残念な存在と思ってるが、中にはエレキBassの低音音色に大した魅力を感じて無い奏者も居るのかな。

その様なAmp(スピーカ)だと普通のGuitar用のと能率面で遜色は無いので、そんなの
を比較基準にしてると倍無いと足りない事実を感じられない可能性がある。
又過去述’70~’80年代のLAサウンドみたいに、極力全てのパートの低音を控え目にしとくと固有の利点があるのも確か。

中域主体になってれば再生装置の優劣に依る印象差が最小に抑えられ、私的には好みじゃ無いが今だってモバイル端末等でイヤホン不使用時は高域中心の音になるからねえ。
又Ⅱで見栄え都合から視覚的に大量ユニットが欲しくなったとして、エンクロージャの保護ネットで内部が全く見えないケースでは箱だけ大きゃ良か。

透けて見えたりネットじゃ無く金網だったりレスだったりした際も、スピーカコーンが動く様子を撮るでも無きゃ本物は1つで後はダミーでも行けちまう。
因みにサヴウーハみたいなの以外特に能率忖度のあるヤツは、元々そんなに明確にコーンは動いてくれない。

しダミーは故障品から磁石を取り除いて軽量化出来るし、ダミーの内1つを所謂ドロンコーンにしてやれば位相反転効果でバスレフの様に低域増し盛りも可能。(密閉型エンクロージャの場合)
コレ過去に黎明期のZepで、BONZOがそんな工作を実施したって一部では有名な逸話もある。

リアル音の壁を欲しがるのも個人の勝手で批判する気は特に無いが、音的に必須となる場合が滅多に無いのは知っといて欲しい。
この思想が他へ別な影響を与える可能性として、ユニットの口径より数を優先しちまう危惧がある。

幸運にも小さくしても足りてれば良いが、耐入力や能率と比べると原理的制約もあって低域再生限界の拡大はとても困難であまり進歩してねんだ。
↑で忘れると致命傷になるのは、EQやBooster等電子回路部分で補填し切れないから。

差し詰め改造すれば超非実用的でも軽にダンプのタイヤは付けられるが、その逆はジャッキを下した途端に耐荷重オーバーでパンクするから不可能ってな感じかね。
なのでどんな好み主義であろうと、少なくとも将来そのAmpでは求めないのが確定してない限り注意しといた方が良いと思うよ。

その一端として次回Marshallでの達人達の活用方法に触れてくが、売ってるままでは少し不満・でもスキル持ちがやる様な魔改造とかは出来ないなんてのには格好の例かも知れない。
具体的には↑以前にFender Bassman(10inch×4)を、敢えてGuitarに使うなんてのと近似だ。

がM君のの目的の殆どは低音の増量で、低域残響の多い大会場以外でも音色に常用したい部分があったかららしい。
尤も他にもそんな手間掛けるよりかつてのRitchie BlackmoreみたいにVOX AC30を併用するとか、その逆にBrian Mayの様に広さに応じて数増やすなんてのもあるんだけどね。

けど何れも音色を堅持して環境が合わなくなった時、それをフィットさせようと工夫してたのは一緒。
近年では道具の方がかなり進化したんで従わせようとする方が多いみたいだけど、スピーカユニットはレバーでガチャンと切替えりゃ別のコーン紙になんてのは不可能だからねえ。

<つづく>

2022年10月18日 (火)

音楽備忘録1159 バスドラペダルの真実➏

Drumの演奏ってホントに脱力が肝なのねを頭では漸く理解したが、体の方では未だ良くてきっと半分位しか分かって無い俺。
のは従兄と違ってリバウンド意識が低い処か、昔は概念すら頭に無かったからだろう。

けどそんなどアホウでもバチが何か反発力を受けてるのは薄々分かるもんで、それは腕が脚より全然軽いのと常に空中にあって支点が肩だからだろう。
処が足・脚の場合フットボードを介してだとしても支点が地面かドラムスローンなんで、相手が微動だにしない分揺すられたとしてもそれが把握し辛い。(抵抗しなくても大きく位置がズレたりしないから)

つまり手・指・腕に来る反動ならお利口になれば実感可能だが、足・脚の方は幾ら頭で頑張ってもそれだけじゃ捉え難い状況になってるのよ。
その代り脱力自体は手・指・腕と違って支点保持力不要なので、体で理解出来れば実行ハードルは低いらしいんだ。

更にバチを持ってりゃ幾ら脱力ったってそれを落さないだけの保持力も要って、肩に加え指は最低限でも少しは力を入れたままにしとかなきゃなんない。
その点足・脚はOpen踏みなら最後の段階では、単に全部力を抜くだけで良いから動作自体は全然単純なのだ。

からこそ杜撰で半分君な俺でも短期間で習得出来たんであって、但しそれにはペダルバネが無用な働きをしてると駄目なのだ。
Closed踏みの場合は押付け時に・Open踏み時はペダルの戻りに、皮の反動の他にバネの反力が多めに混入してまう。

更にⅡでバネが強い程「バネ反力の割合」がどんどん増加し、それでいてローピッチにしてたら皮反力は元々大きくないんでさ。
本来は皮と闘うべきがバネと不毛な喧嘩をする事となり、皮の反動も全然体感出来なくなってんですよ。

ほいで現時点での俺知りで皮反力を確実に体験出来るのはってぇと、バネ最弱にしたSpeedkingで「連続足首Double」にチャレンジするのがほぼ唯一でして。
で何故連続じゃ無きゃ駄目なのったら、余計な予備動作が一切出来なくなるからなんだ。

中途半端にスキルがある程万一リバウンド利用率が不足してても、無意識下でそれの補填動作をしちまったりするんでその余地を無くしときたい訳。
それは良いけどオッサンSlide奏法の方が反動がもっと要るんじゃ…、確かにその通りなんだけど瞬間的過ぎるし大抵は意識的に足を浮かしとかないといけないでしょ。

に対し特に足首踏みする方の寸前なら、爪先側が押上げられる感覚が短時間とは言え少しは継続するんでね。
又連打の間隔を急がなければペダルの振幅が最大でバランスするポイントが見つかり、動きが大きい分更に分かり易くなるん。(因みに超低速Slide奏法程難しいものはおまへんでぇ)

勿論足首脱力がある程度以上出来て無いと駄目なんだけど、これから爪先を下ろそうと(踏む為の予備動作中のみ)してると持上げないまでも普通はまだ押え付ける様な向きに力が入ったりしてないじゃん。
尚且つ脱力が不充分だったとしても、爪先が「下から上へ押される」のだけは体感出来ちゃうからねえ。

手の指だって感覚神経を研ぎ澄ませばバチに押し返されてんのが分かるんだが、バチを落すのを嫌うと成すがままにするのは結構勇気が要る。
のを持ってる必要が無い足なら自己防衛本能等が発動しないんで、未習得の時点では最も体感し易いかも知れない。

今の音楽状況的には連続足首Doubleのニーズは殆ど無いけど、私的には体感と訓練の為だけに手のルーディメンツに近い扱いをしても良い位だと思ってんだ。
海外のトレーニング事情に疎いので何だが毎度の鶏玉子話しよろしく、せめて国内でもペダルか足・脚の練習方法のどっちかだけでももう少し興味を持って貰えたら良いんだけどね。

<つづく>

2022年10月17日 (月)

音楽備忘録1158 メジャー系を目指すな!➌

Rockとメジャー系の相性があまり良くないのは事実も、本来ならメジャーと契約するメリットが無きゃいけないしおかしいんだけどね。
けどこんなに壺→電通→吉本興業を筆頭に俺言い破滅令が下ってんじゃ、自分達とその将来を守る為には安易に迎合したら恐いでぇ~ホンマ。

そもそも劣化近年本邦の大勢が釣られたのも、つい短期成果に固執して視野狭窄が過ぎたからなんじゃないかな。
短期間限定であればスポーツならドーピングを誤選択する奴が居るが、現役よりずっと長い引退後の何十年の副作用を甘く見過ぎだ。(過去に一部プロで容認されてたのが禁止となったのは公平性もだが何より健康に危険だから)

もっと身近な処ではこれも劣化近年本邦独特の、過・冒飲酒に対する致命的な甘さなんかもさ。
残念な実例として敢えて身内を生贄に捧げるが、「呑む習慣」のあった奴は見事な迄に皆倒れた経験があるんだよ。(道端で寝たとかじゃ無く入院加療を要す様な程度の)

俺自身まさかそんなに影響が大きいとは思ってなかったが、決して健康万全では無くても演ってと頼んで比較的即答可能な残党はたまには呑むけど習慣化して無かった俺と従兄位になっちまってんだ。
そんな風に先は読み切れないのが常だからこそ、真っ黒な契約なんかして終了後に後遺症が残ったりするとイカンのどす。

別例では現時点でロクに有効活用出来て無いが、このオッサンみたいに50過ぎてから突然連続Slideが出来る様になったり…。
する可能性は決して高か無いが、絶対あり得ないとは誰にも断言出来ねんだ。

創造性の必要な分野では何時思い付くかは全く不定で、ずっと凡才だと思っててもある日突然眠れる才能が目覚めるかも分かんない。
故にどんなに気持ちはとっととパァーッと売れたくても、実際の舞台裏は死ぬ迄ゴールに辿り着けない超長期戦でしかないのだよ。

プロになれるかどうかは運だって関与してるけど、それはせいぜい「晴れの日にどれ位陽を浴びられるか」程度だけ。
どんなにチャラい業界だって、仕事は約束を守れるかどうかが所詮は全てなんざます。

ほんじゃオッサンは才能否定派かったら正反対で、かなり影響はあるもののそれで職業が定まる訳じゃ御座りませぬ。
そしたら才能はどんな影響力があるのかってば、プロジェクト内の担当箇所には絶大なものがありんす。

今だと打込み系では見かけ上個人で完結してるのがあるけど、あれだってPCやアプリから自給自足してる奴は先ず居らんやろ。
音楽制作現場風景では登場しなくても、実際には機器類を始め末は電力会社からの供給が無かったら作れないじゃん。

つまりグループでも小規模以下のだとかなりプライベートな雰囲気だけど、実際には目に見えずともチームプレイでしか作れてないんよ。
只音楽ではその方法が恵まれてる方で、必ず同じ場所・時間に集まらなくても今は可能になった。

しかしその分独りでの作業時はその人の資質が問われるんで、適性の無い箇所には幾ら労を払っても結果が伴わない厳しさがハッキリ出ちまう。
そんな際に友人から指摘されるより大御所からだと納得し易かったりゃするだろうが、本質的には誰がよりも何がを精査すべき案件なのよ。

なのでイメージ的には大手に居た方が手厚いフォローをして貰えそうな感じかも知れないが、最も古き良き当時で実際メリットがあったとしたら視点が多目って位しか無い。
前回述Beatlesの場合でも独創的な視点の者が集ったのは偶然で、天下の大EMIですらGeorge Martinみたいな変人は近いのすら他にゃ居なかったんだから。

<つづく>

2022年10月16日 (日)

音楽備忘録1157 楽器Amp同士の組合せの話し⑩

この辺りでAmp出力とスピーカ組合せに依る音圧の纏め目安を記そうと思うが、劣化近年本邦では一段とこの件が希薄なのへオッサンは驚嘆と吠えとこう。
なんてかつて初心者の頃はちっとも分かって無かったんだから偉そうに言えないが、何時迄経っても平均認識がスキルアップせずそのままってのは一寸情け無さ過ぎじゃありませんか。

今殆どの人はスピーカだけじゃ絶対音は出ないと思ってる風で、確かに実用レベルではご名答だ。(当然乍らAmp内蔵のパワードタイプは除く)
だが本当にどう頑張っても絶対に出せないのは、増幅回路よりスピーカが無い場合なのだ。

恐らくとっくに伝説化してるであろう鉱石ラジオ、これは電池も電源も無くて機能してるんだ。
但し出力がおびただしく小さいんで、超高能率電音変換器たるクリスタルイヤホンってのでしか聞けない。

しかし考え方の優先順位としては大いに意義ありで、大昔だったらスピーカから先に選んで行かないと求めるだけの音圧は実現出来なかったんだ。
何せ低能率・低耐入力だったんで、でもそれが今では違うったって車ならタイヤに値する存在なんすよ。

にも拘らず後回しがちになるのは宅を筆頭に狭さの制約が厳しく、スピーカユニットは必要最低数が出発点だったりするからだろう。
だがそれにも考慮点があり耐入力の方は飛躍的に向上したが、能率の方はもうかなり長い間頭打ちに到達している。

それが現行スピーカの構造上の限界でもあるんで、必要な箇所には双発位迄は選択肢に入れといた方が良いだろう。
但し私的基準だとユニット口径がGuitar用で10inch以下、Bass用で12inch以下時限定とするのがお勧めだ。

これには必要再生帯域確保に纏わる能率の低下が関係してて、夫々上記より小さいとどう頑張っても能率100dBを超える物を中々作れないからだ。
仮に上記より大きいのが能率102dB・小さいのが99dBだったとすると、差が3dBあるので同一入力時に小さい方は実際出て来る音圧がなんと半分に減ってまう。

ので意図的に音圧を抑えたい等以外では、能率に3dB以上の差があったら数を増やす方が大抵はマシになる。
尤も悩ましいのは音色の都合で能率や耐入力を上げられない場合と、MarshallやAmpeg SVTみたいに「ユニット物量作戦で低音を稼いでる」タイプのだ。(当初は能率稼ぎが主だったかは今となっては鶏卵話し)

又俺みたいに並の音量で構わないが双発を単発にして同音圧を欲すると、現状では200W級の球のBass Headの選択肢が著しく僅少なのが難点だ。
本来は300Wも必要な場面は遥かに少なく、200であればスピーカユニット単発で並・双発にすれば倍増の方が遥かに使い手があるんだけどねえ。

単発にした時「双発の100W級」と同音量になって違いが分かり難くなるから、それを嫌がってこうなっちゃってんだろうか?。
何れにしても球Bassistには受難な時代になりやがって、全く困ったもんであるわいのワイと。

わ兎も角「世界基準で平均的な生Drumとバランスする音圧」は、スピーカユニットのトータル能率(単体含む)が100dB以上の場合その駆動出力はGuitarで50W・Bassは100Wが目安で御座居。
珍しく本格派さん向けにその計算式も挙げとくと出力音圧は、前者10log50/1≒117dB・後者10log100/1=120dBとなる。

↑で÷1って一見無駄そうな記述をしてるのは、能率測定の基準が稀に1W入力では無い事もあるからだ。
普通のスピーカとヘッドホンの境界域みたいな存在のトランスデューサだと実用時、ヘッドホン用の基準入力では小さ過ぎ・スピーカ用では大き過ぎて計算が大変になったりするから。

でⅡでDrumsetの平均音圧が大昔述の如くRock系では120dB程度で、尚且つ低い音程の程物理音量が大抵は大きくなる様に組まれている。(※人耳にはそれで丁度どんな音程のも同音量に聴こえる様になる)
と前回迄述の如く「音波の原理に従う」と、オクターヴ低い分Bassのは3dBつまり倍要る訳だ。

因みに又々面倒でスマンが(っても全く俺のせいじゃ無いからね)電圧では6dBで倍・半分なのが、電力では3dBになってるのでプチご注意。
但し下級国民(Bassist・我が国では…・嫌味自虐???)用のはローエンド忖度しなきゃなんないんで、Guitar用の高能率のと比べると凡そ3dB位ユニット自体で負けてんだ。😢

<つづく>

2022年10月15日 (土)

音楽備忘録1156 バスドラペダルの真実➎

純粋に続きになるが幾ら音の為でも、少なくとも後発のが従前のとどっこいどっこいじゃ売れないもんね。
加えて他楽器でも良くあるのが録音とLiveでの使い分けとかで、ある程度以上のプロになると使用中より移送時とか設置時の破損等が最も恐い。

前回再出の俺言い「支柱開き」では「丁寧なボウヤ」程、本番中に動いてはと念入りに締めちゃいそう。
それがそんなのしか無い時代だったら個人的なコツ習得もし易いが、昔の日本みたいに希少で為替レートのせいで高額になってると手が届きやしない。

更には初心者でもやたら体格の良い人にとっては、ある程度腕が上がる迄は忽ちに変形したり壊れたりされたんじゃ不便で仕方無い。
ので程々の処迄だったら音や速度性能が多少落ちたって、ゾウが踏んでも壊れない的なのもあると良い。

のが恐らく1980年頃だろうと思うんだけど、初心忘れて不毛屈強競争に入っちゃったんだろうな。
それとたまたま歩いて数分の所へあのカノウプスが移転して来てバーチャル体験になったんだが、欧米ではSpeedkingはかつてあんなに売れたからねえ。

親戚・知人で昔演ってた人にお願いしたりすれば、昭和から平成にかけての日本国内でのフォークギターみたいにそこここに眠ってただろうから。
でも↑な事情差を全く無視した結果、日本等一部の地域でだけ足・脚テクニックの習得に難が出ちゃってんじゃないかな。

私感ではウチの従兄辺りが世代的にモロに犠牲になってる気がして、彼の常用ペダルの変遷にそれが現われてんだ。
最安セット付属品からスタートしてステップアップ1でいきなりRogers SWIV-O-MATICってのは仰天ものだったけど、ヒール一体可動タイプの方にしたのが敗因だったか。

その次にYAMAHA FP-702にして…ってお気付きでしたらその通り、ちゃっかり譲って貰ってそれっきり。
わ置いといてそれ以降俺からすると中途半端な国産品を色々渡り歩き、ずっと後になって折角スピキンを入手するも長年で付いた悪い癖(by俺だけ言い!?)のせいか習得が継続しない。

珍しく「by俺だけ言い」なんて遠慮した表現にしといたが、今の日本の状況だと体感するのが少々困難だからそうしただけ。
で俺本人としては大雨と日本晴れって位歴然とした差を喰らったんだが、しかしたまたま杜撰さが功を奏してそれ迄踏むのに殆ど頭を使って無かったからいい齢してクリア出来たんだろうさ。

のが従兄だと極最近迄はSlide奏法以外は彼の方が圧倒的に上手だったから、悪い意味で高度な所持技術の自動補正が働いて差が縮小しちゃってんじゃないかな。
強いて他の原因があるとしたら俺なりに染み着いてたClosed踏みを一旦チャラにした辺りで、これは俺FP常用時代末期に取組んだ。

細かい事を気にしなけりゃゴリ脚のお陰で押付け止めは苦にならなかったが、ずっと止めが強過ぎてローエンドが出せて無かったんだ。
只それも恐らくバネも弱くしてたからで、普通は強引にやろうとし過ぎると却ってバウンドしてアタック音が昔のTVのゴーストみたいに不要分身複数化しやがる。

本来は力任せじゃ無く柔軟性でバウンドを吸収すべき奏法だったんだが、杜撰大王の真骨頂か全然分かって無かって…。
だが怪我の功名かあまりに従前が「無脱力」😅だったお陰で、脱力とのコントラストが極大になって止めるを一旦放棄してみたら違いがとっても分かり易かったんだ。

この点幾ら力んでも足・脚が完全硬直しない体質だと落差が縮小するし、なまじ「固まる事が無い」だけに真の脱力状態の感触が把握し辛いのかも知れないね。
特にゴツイペダルでバネが一定以に上強いと、俺言い「完全Open踏み」を許さん限り真脱力の体感が難しそう。

<つづく>

2022年10月14日 (金)

音楽備忘録1155 メジャー系を目指すな!➋

そない言うてもデカい方が何かと安心感あるしなアナタ、本当にそう云うのを求めるなら劣化今本邦内では演歌系J-POPに鞍替えせなアカンがな。
Rockなんざ本質が反抗的・批判的な代物なんで、そもそも日本如きじゃ真の意味でメジャーで成功した奴なんておらんのどす。

特にRockじゃ生まれ乍らに有名って事は極稀だし、それが生涯維持出来る保障なんて無いざます。
結果だけの偶然なら幾らか例はあるが、当初は会社からロクに期待されてないのがその人事に表れとりゃあ~す。

その2:BeatlesのEMIでの採用の実態
今からすれば満を持して感しか殆ど無いだろうが、そもそもはその前のデッカで落された後の事。
担当になった業界嚆矢のプロデューサGeorge Martinは社内で既に実績があったってもそれはClassic系だけで、Rockに関しちゃ全くの初心者どした。

しかもその配置転換は変わり者の左遷そのもので、最近若年層にプチ流行だから仕方無く一応採っとくかが見え見え。
要するに態度が悪く信用の無いRocker如きは非安全パイでしか無いんで、一時的小遣い稼ぎになる間だけの捨て駒扱いだったんすよ。

それが青天の霹靂で全ての努力と運がめでたく融合し、今ではそのお陰でポピュラー系の全てに影響が及んじゃいるけどさ。
最高峰ですらかなり昔とは言え与えられたスタッフはそんななんだから、仕事の種類も量も多い大手にRockの専門家を求めるの自体がホントはお門違いなんすよ。

一般大衆への知名度ひとつ取っても米ならCountry・日本なら歌謡歌手と比べると、Rock系はそこそこの地位の人じゃ田舎へ行ったら殆ど誰も知らない。
スポーツ界ではプロ野球のチームだったら言われても分からないなんてのは先ず無いが、F1レーサーだと数少ない日本人の全員を理解されるのすら厳しい。

故に内心はずっとバリバリRockオンリーでも、対外的には旧称歌謡の範疇に収めとかないとメジャーの利点が活かせないだろうな。
私的にはこんな状況は全く受け容れられないが、そんな認識は直接的な音楽界に留まらない。

その3:駅メロ等鉄道で使われる音楽
今は向谷実氏が自ら乗り出して企業化し普及しつつあるが、本来なら縁遠く疎いからこそ大御所に依頼してなきゃおかしかったんだ。
何しろ1日に掛る頻度からして膨大な上、それを毎日最低でも数年間は使い続けるんだからさ。

もし週単位で新曲にでも更新するなら未だしも、○曲だから今□駅かみたいなのには変更頻度が高いと役に立たない。
悲しいかなこんな部分にこそ一般の芸術意識の低さが露呈してて、しかしお客から文句が付かなくったってプロ(この場合は鉄道側)がそんなじゃダサ過ぎるわい。

それは又メロディだけじゃ無く音質や音色もで、最悪なのは「出来るのにやらない」だ。
ヒットしたからって普通はこの手の曲自体は売って無いから儲からんが、良い方に定着すれば会社や路線のイメージアップには絶大な効果がある。

これが不思議なもんで小田急がロマンスカーで名鉄がパノラマカーでやりだした当時、両社は今とは比べ物にならない程企業規模が脆弱だった処。
本来なら路線改良(高架・地下化で踏切除去)等で安全性の向上を図るべきだが、予算不足で全く無理だから次善策で何とかしようとしてただけで。

それで当初は走ってる間鳴らしっ放しとなると、よっぽど良くしとかんと長閑な昔だって騒音公害で叱られるっての。
一面で芸能界内のRockはそんな位置取りなんで、鉄道界に於ける向谷実氏の様な人が現れない限り所属が何処だろうと救いは無いと思っといた方が良い。

因みに日本でSir George Martin並の人が不在なのは、会社の文化に対する造詣の深度差もあるが彼の特殊性が根源にあった。
メインがClassic系でいてジャンルを選ばずに済んだ(当初は本人の意思に反してたが)からで、プロデュースやディレクトがメインだが本人自身がミュージシャンでもあったからねえ。

それですらたまたま大当たりを出したからEMIとの絆は保たれたが、早くも1965年には所属としては独立してやんの。(杜撰日記:さっき確認取る迄はBeatles解散迄は退社してないと思ってた😓)
つまり神のお導きレベルの出逢いだっただけで、メジャーと契約したからああなった訳じゃちっともないんすわ。

<つづく>

2022年10月13日 (木)

音楽備忘録1154 楽器Amp同士の組合せの話し⑨

今回は1つのエンクロージャ或はスピーカユニットにどれ位の音圧が求められてるかをテーマに、案外何処にも語られて無いAmpeg SVTのエンクロージャが何時の間にか2つから1つになったのを生贄に進めてこう。
確かに電気理論から考えればユニットの耐入力が上がったのもあろうが、使い方が変ったって方が真相と見て良いだろう。

元は楽器(特に電気武装の)PAレスで広大な舞台をターゲットに開発されたんで、どんなに爆音が出たってそれがたった1箇所じゃちっとも便利じゃなかったんよ。
Drumsetだってそれなりに所謂指向性はあるんだけど、後面密閉型エンクロージャの真裏では高域不在なんて程じゃ無い。

ので大体真ん中ら辺に置いときゃ遠近での音量増減はあるものの、舞台上上手で聴こえて下手で聴こえんなんて現象は怒らないじゃ無かった起こらない。
のが電気楽器Ampでは構造上等の都合で大会場用のは横には幾らも拡がってくれないんで、Bassみたいに全員に安定して聴こえた方が良いヤツはそもそも最低でも左右に1つづあった方が良かったんだ。

で原型SVTはそんな仕様となると、各エンクロージャ単体からの出力音圧は150W分しか出てなかった訳だよね。
私的にはここに最も注目していて1箱の前では、要するに一寸大き目だけどまあまあ普通の音量になってたとな。

それなら隣接した他楽器のAmpの音も「普通の」だと駆逐されたりせず、B聴こえるけど自分の聴こえん・自分の聴こえるけどB聴こえんって困った状態にならずに済む。
ってもAmp自体を同じの2つ用意してカスケード接続してやりゃ、別にどうでも1台で実現出来なくても構わなかったんだけどね。

戻って1箇所から普通以上の音圧が出るヤツって、バランス面からは制約が生じるって事なんだ。
最大の理由はコストや販量だったとしても、Marshall Major(200W Head)を比較的早期に撤退させたのに関係あったんじゃないかな。

私的にはBassの方は残しといて欲しかったんだが、ブランドの趣旨「低域残響大の大舞台」からすると仕方無いかもね。
近年では巨大出力のBass Headも余裕が主目的なのでそんなに頻繁に問題にはならないかも知れないが、興奮してエゴ全開になっても粗相となり難いのは適度な出力の方。

俺の場合常用楽器にステレオ出力が付いてたのもあってChorus効果以外でも並列駆動体験がそこそこあるが、身の周りの自分以外で電気楽器をステレオ駆動した人は未だ高校の同級生唯独りしか居ない。
のが勿体無くて不思議で、ハウリング回避にもかなり有効なんだけどねえ。

特に小編成のグループの場合演奏会場のAmpを借りるなら、大抵は数に余裕があるから色々とお得なんだ。
でBassでは音量より↑活用が主目的だったので一発録音時に、Guitarではトリオの海岸Liveで実施した。

後者時はBass用が双発100WなのにGuitar用は単発50Wだったのが発端だが、Guitarが「返し不要」となったご利益の方がより大きかった。
その時は海岸の駐車場でメインボーカルでもあって、ハモり付きの歌のモニタがより重要でさ。

1つのスピーカで複数のパートを扱うと混変調等で聴き取りが劣化するが、それを避けられるし歌わない時広範に自由に動いても聴こえ変動が少ないから絶好調だったよ。
尤も地方公演で普段は毎日飲んでる牛乳を丸一日以上飲まんで居たら、舞台設営途中でバテたなんて杜撰大王らしいエピソードが付いちゃった。

肉体的に万全じゃないのに↑になったのは、モニタの良好が一役買ってたのは間違いの無い処。
そんな体験もあっての不要PAご法度論で、けどそれには極力必須じゃ無い音源はそれ等だけでバランスさせられないと実現出来ない。

<つづく>

2022年10月12日 (水)

音楽備忘録1153 バスドラペダルの真実➍

続いて何故バネが段々弱く出来なくなってったかを掘ってみたいが、やはり1に丈夫さ2に見栄えなんだろうな。
でも踏み易さや楽さの他に音色にも、一般認識より髄分影響があったんだけどねえ。

拙ブログではその内Hi-Hat Standのクラッチとフェルトにフォーカスした記事を以前発表したが、前回の件同様「直接比較」をしないと幾らも違いが分んねんだ。
特にバスドラの様に爆音なのが当り前のとなると、別項にも記した様に単独音では「差の程度」ってのがロクすっぽ分かんない。

と脱線し掛かったんで後回しにして戻ると、実際スピキンを使い倒してみてペダルの一部に強度を
もう少し欲しいとは感じてるよ。
私的要望の強い順で行くと①ペダル底板部②分割ヒール部固定鉄板③フットボードで、①は大昔述ペダル固定ネジを締め過ぎると支柱頭部が左右に開いちゃったりするからだ。

一寸でも角度がズレるのを嫌がるとつい締めたくなるのは自然な行動で、これに関しては昔とは固定の観念が違ってるのかも知れない。
薄手のウッドリムだと下手に締め過ぎりゃリムの方が割損する危険もあるんで、割っちゃう位ならズレたり外れる方がマシだからかな。

只それならそんなに締められない様にしときゃ良い、とも思うんだけどね。
②は操作上は多少ガタつきが出たって大勢に影響は無いんだが、雑音源になるしそれに依る不要摩耗が心配だ。

して③については①②よりはそんなに弱か無いんだが、誰がどうやっても変形しない安心感には及んでない。
で対策としては①はリムと底板・締めカムのどっちも滑り易い金属剥き出しが不味そうなんで、ゴムを間に挟んでやったらそれなりに改善した様だ。

コレ復活版のL203では底板側は最初からゴムが貼ってあるし、カム側はリムへシールで貼り付ける式のゴム板がしっかり付属になってやんの。
②のは俺の場合丸いクロムメッキ薄鉄板を、ジャンクを漁ってもう少し厚い別のに交換後は完全に収まっている。

それで言うと③は元々個人では対処困難だがそれをより助長してるのは、少しでも重くなられると困るからだ。
②のだって厳密には重量増になってんだけど、場所がヒールヒンジ至近なのとサイズが大した事無いから俺には感触差は全く感じられていない。

だがフットボードの強化では真ん中ら辺に一番必要だし、長さも強さももっと必要だからねえ。
オマケにスピキンのフットボードって最軽量って程じゃ無さそうだが、軽い割に丈夫って点ではどうやら究極に到達しちゃってるらしくてさ。

実はL201からL203になるので↑が少し丈夫に改良されるのを密かに大いに期待してたんだが、型番変えといてその辺りが完全無変更なのは踏み心地や音色を維持する為だったんだろうね。(大昔に底板踏板共々ブレース(柱とか筋みたいなの)が倍増された実績あり)
この楽器の丈夫さってどちらさんでも永遠の懸案で、エレキだったらLes Paul等Gibson系のマホガニー製のネックなんかが典型例だ。

ヤワな材料使ってる癖に弦張力を付加しようとしてヘッドを斜め後ろに出っ張らせてるもんだから、一寸ウッカリ倒しただけですぐ首が骨折しちまう。
元々杢目が荒いってか材質的に筋がしっかり通っても居ないのに、それを斜めに削ったり貼り合わせたりしてるんだから構造的には酷いもんだ。

けどそうしとかないと「あの音」が得られないのも事実で、丈夫さより音を優先してるから工具とかじゃ無く楽器と言えるのかも知れない。
それがどうも西洋系の楽器ではこの傾向が強い様で、特徴を最大限に発揮させ様とするとどうしても少し貧弱にせざるを得ないみたいなんだ。

そう云やDrumハードウェアのゴリ化を推進したのって昔の日本が中心で、当時無知だった俺は海外本家の古く貧弱なのをみすぼらしく感じたりしてたっけ。
但しそれもちゃんと掘ると同じ貧弱組比較では日本のは子供でも簡単にやっちまえそうな程だったけど、本家のは実際手に取るとカタログ写真の印象よりはだいぶしっかりしてたな。

<つづく>

2022年10月11日 (火)

音楽備忘録1152 石のAmpディスり大会!?➌

今回は「ある程度以上高級な石の」の実体験談と参るが、第一印象だけなら中々結構行けそうな感じのしたヤツの話しだ。
のっけから何だか少し変な文章になってるが、内容に素直に従うと実際がそんな感じだったのよ。

1.Roland JC-120,160
Chorus自体の素晴らしさでは他の追随を全く許さないし、内蔵のDistortionも呼称よりは浅い歪みしか得られないがBOSSのストンプと同じだから悪くない。
だが耳過労を嫌うと実際はキラキラシャリシャリには出来ず、搭載されてるスピーカユニットも平均より籠った感じだ。

楽器用ってよりオーディオ用の方が近い様な音色で、それを少し華やかにしようとすると今度は目立たぬ割りにキツくなっちまった。
鍵盤で使った時はGuitarより気にならなかったがそれも電子楽器限定で、折角フラットな感じなのに聴感より再生帯域が意図的に狭くしてあったからだろう。

2.Marshall 2098
’70年代後半に出てた石の薄っぺらいHeadで、当時割と頻繁にお世話になってた大塚の某有名貸スタジオに何故か置いてあった。
スピーカエンクロージャは球のと同じのだったが、型番を覚えて無いんで割愛スマソ(っても多分ほぼ2択)。

流石に天下のM君だけあって基本的な音色や感触は球とかなり近似だったが、再生帯域の狭さではもしかしたらチャンピオンかも知れない位限定的だった。
楽器的意味合いで実用に足りる音色って点では上記1.と真逆に近い良さはあったんだけど、強いて言えばソロとかメロを弾くのにしか使えないってな調子でね。

元々M君のは球のだって歪み最忖度で再生レンジは犠牲になって狭目だったけど、ここまでローハイのエンドをバッサリカットしといて爆音だとマイルドさが足りて無いのは勿体無い感じがした。
案の定!?短命に終わった様で、その後2度とお目に掛って居ない。

3.SunnのBass用石の各種
全体的音色傾向としては↑のM君に似てるが、比較的キツくならずにもう少し籠り感が軽減された感じだった。
但しその高域を少々汚くジャリジャリ歪ませないと本領発揮にならない様で、完全無歪みにすると何処のAmpか正体不明に。

4.AcousticのBass業務用各種
登場初期にはローエンドがしっかり出せる点で希少だったが、ガタイやスペックの割には非力なのが否めなかった。
それでいて歪み始めると他の石のより全体が潰れてモヤるんで、余裕のある組合せになってないとじっと我慢の子を強いられる感じだった。

かなり間を置いて一度倒産する寸前のモデルでは、低高域分割駆動仕様になってるのに高域用エンクロージャの無い状態で置かれててね。
その時はスラップ必須の曲があったのもあって、どう頑張っても2kH以上が全く出せないのにはホトホト参りますたよ。

まあこれはメーカよりハコの機材チョイスに問題があっただろうが、1箱で全帯域対応のエンクロージャが用意されてたら憂き目に遭わずに済んだだろうからねえ。

5.その他ブランドの全体傾向
高域はキツくなるのを嫌うと削んなきゃなんないのは仕方無いが、球に対して石の強みになる筈のローエンドすら遠慮気味なのが多いのには辟易ざんす。
まあ黒く言えば大振幅のローエンドを正直に出せる様にするとその分早期に歪み始めるんで、商売上「石化によるコストやサイズの圧縮」の恩恵が減っちまうからねえ。

近年は出力回路がデジタルD級等も含め低廉になったんで、非力とローエンドの部分は大部解消された様だがね。
けどこれから買うなら石ので出来る範囲は最早PCやスマホでも全て得られるんで、Ampじゃ無くインターフェイスだけで充分だと私ゃ思いまっせ。(手間的には無料ソフト漁りが追加になるが)

<おわり>

2022年10月10日 (月)

音楽備忘録1151 楽器Amp同士の組合せの話し⑧

もうこうなったら平然と前回補遺プラスαから行っちまうが、同じGuitar Ampのバリエーションで12inchなら双発のが10inchだと4発が主流の訳から。
それは簡単に言えば前回迄述の如くスピーカユニットは口径と能率に正比例の性質があるからで、音圧はほぼ不変で音色だけ変えるのに必要な措置だからだ。

だが前回例示ので私的に困るのは、Bass用にQuad ReverbやSuper Six Reverbに正規対応するバージョンの不用意な処。
この傾向はAmpeg SVT以外昔or球のだとどちらさんも同傾向で、本国と日本の環境差に迄頭が回らなかった当時は又差別されたと悲嘆してたもんだ。

この件の氷解キッカケはMarshllの実物が想像より遥かに「低音出ない」を体験してからで、完全同一のAmpでどうしてあっちで録ったのは普通なのにこっちで鳴らすとと…。
原因は過去述「低域残響の量的相違」だったんだが、国内で(って海外体験ゼロですが💦)「低音全然要らんわ」となったのは長い歴でたったの一度だけだった。

けどそのたったの一度のお陰で欧では高域を遠く広く出すのに腐心してたのが実感出来、それ故欧のAmpコンビネーションを参考にこっちで取り入れるにはBass用は出力倍増させないと同じ感じにならなさそうなのを知った。
っと言っても平均会場規模からして実際は低い方を倍増するんじゃ無く、高い方を半減させるのが相応しい。

だがそうして新たな問題になるのがウチの休養君みたいにFeedback奏法を頻用するケースで、Marshallで低域量を稼ぎたくて3段積みにしといて頭を50Wにするとスピーカユニット単位の感度が不足しちまう処。
これを解決するにはあちらより低域が出て、高能率なユニットで最少数とするのがこっちの環境には合ってると看做せる。

この点Guitar用ではブランドの思想がFenderやAmpegより初期MESA/BOOGIE等の方が日本には合っていて、現在迄の体験からだと頭の出力は100W程度を維持しないと厳しい様だった。
それでか元はずっと4発を常用してた休養君も、今の最終段階!?ではSoldano SLO100杜撰大王の手に依る魔改+無名箱12inch×2エンクロージャに落ち着いた様だ。

処が従兄のレッスン室へ持ち込んで合奏してみたら、それでもオーバーパワーで具合が良くなかった。
処でここ迄ののはほぼ全て電気楽器はPAレスでバランスさせる思想で綴ってて、有名人でそうじゃない人達のはそのまま参考にしないどくれよ。

尤も個人的にはPAの有無に関わらず「楽器だけでバランスさせられる」のが鉄板と思ってて、PA屋の立場としても不可能じゃ無いのと元から良い感じなのは大違いなんだわさ。
先ず落差の大きいのが隣接すると個別Micへの回り込み対策等がシビアになるし、返し(奏者モニタ)でも最非力な人の分だけデカくガンガン鳴らしてやらなきゃなんない。

上記前者は非力君用だけより指向性の鋭い別のに挿げ替えなきゃなんなくなったりして、余計に他のより音質の孤立感が増えたりしてくれる。
後者のはコロガシの容量に余裕が無かったら是又非力君のだけ違うモニタが入用になるが、返しの別ルートが新設可能かから始まってPA屋はてんてこ舞いでんがな。

で今度はそうなると最非力の奏者には殆どPA返しからの音しか聴こえなくなって、それならLine接続でも良かったかor一緒やんけみたいになってまう。
そもそもそんなに何時も広大な舞台で演れるんだヘーエライネ…は兎も角、必要が無くても広大舞台の本番に合せてインカム無かったら声が届かない程離れて常に練習するってのもバカげた話しでしょ。

そりゃ電子楽器みたいにPAが無きゃ爆音合奏が無理なのだったら別だけど、PAレスで合奏可能なヤツはやっぱ「レスが基本」なんすよ。
現実には諸事情からレスでバランスが厳しい事だってあるだろうけど、わざわざバランスしないのを選んじゃアホっ
ちゅうもんやで。

<つづく>

2022年10月 9日 (日)

音楽備忘録1150 メジャー系を目指すな!➊

オッサン又愚痴っとるでと思わば思え、って程威勢の良い話しじゃ御座んせん。
只あまりにも壺等の悪影響もあって、本来の大手が全く機能しなくなっちまってるからの吠えでありんす。

劣化順位としては政治→マスコミ→芸能→大企業と云った感じで、これ等は結託しての隠蔽度が高いんでその内実はブラック中小なぞ全く目じゃ無い程酷い。
を色々例を交えて進めてくが唯の芸能だったら未だしも、音楽が絡むとどんな膨大な資金があっても長持ちさせるのが全く無理なんス。

その1:名ばかりの大手芸能事務所
俺自身は無縁でも知り合いの知合いには期待して所属してた人も居て、容姿に恵まれてるんでいよいよ有名化するのかと思ってた。
ら驚くべき事にマネージメント力がゼロはおろかマイナスで、或は壺生贄要員としての契約だったのかねえ。

音楽枠での契約でClassic系奏者の人達にも拘わらず、最初は無フォローのストリートパフォーマンスを命じられる。
それでも昨今の不況とあらば大手でも予算が割けないかもだから仕方無いとして、何時までも曲を与えないで居たりしたのは大疑問だった。

かつてなら演奏家志望には作曲家志望のと「卵同士の抱合せ」位は常識で、それが
色んな人を抱えてる大手ならではの特権だから使わん手は無いんすよ。
そんなその時代の若手だけの集団から「新しい価値観」は生まれ易く、そう云うのは異世代が混入すると難しくなるからねえ。

末端の俺だと事務所化すらしてないにせよ常時稼働可能なのは俺だけで、協力者はそれなりに居るが常に継続してってのは出来ない相談だす。
わさて置きここ迄だったらプラスが無いだけだから未だしも、大衆紙の袋とじにヌードと銘打って実際はランジェリー姿の撮影を強要したんだからドス黒もここに極まれりだ。

正直な処綺麗事だけで名を売れる程甘くない世界だが、足りるだけの見返り無く契約枠を逸脱した仕事をさせるのは流石に無しだろう。
しかも「看板に偽りあり」な行為をさせた為、本人は犠牲を払っても大衆には嘘つき女としか映らない。

社内の誰が取って来て誰がさせたとして、お客に必要性が無いからそいつ等の名前は一切表に出ない。
結果本人のみが泥を被り、程無くして本人が退社したからそれで済んだものの末恐ろしやだ。

その後自前で配信等を活用したらとっとと人気が出ちゃって、元々その方面のスキル持ちだったとは言え名のある大手が黒いだけでいとも簡単に力で負けると既にそこ迄無力化してたとは思わなかったよ。
完全に潰れて無い処を見ると権威ある稼ぎ頭とか壺人選にだったら少しは働いてるかも知れないが、そんなのは個人事務所でもこなせるかんね。

元々芸能界は過去述の如く第二次大戦後はヤクザと結びつきが強く、表出する黒さでは確かに昭和のは今の比じゃ無かったさ。
だが少々捻くれた思想だが、何故そんな真っ黒なのが容認され続けてたかが大事なポイントだ。

一言で言えば「黒いだけで終らなかった」からで、一般社会より正義が少なくても裏社会なりの厳然とした掟があったからなんだよ。
少なくとも大手や名の通ってる事務所はそれが芸能だろうとヤクザだろうと、今みたいな無責任な使い捨ては無かったん。

そんな下手を噛ましゃ忽ち看板が汚れ、培って来た信用を損ねるからねえ。
この部分本質的には今だって変わってないんだが、悪い意味で規模が大きくなり過ぎたのが不味かったか。

餅は餅屋であるべきが無節操で素人臭い何でも屋と、俺愚言い「何にも屋」に二分しやがって。
「何にも屋」とは下手に世間に迎合した挙句、特色を失った下請け依存の中小の事でんがな。

寄らば大樹の陰ってことわざがあるからって、それが常に絶対的なもんじゃ無いのにさ。
赤信号皆で渡れば怖くない迄は当たってても、時には全員轢かれて死んじゃっただってあるんだって。

<つづく>

2022年10月 8日 (土)

音楽備忘録1149 バスドラペダルの真実➌

久々で前回補遺から行っとくが、脚が軽目で足首力が他より一番強い人だと俺みたいには全然ならないかも知れない。
個人差が大き目な案件だからより真実を分かり難くしてそうで、そんな時に明確化させるには条件を厳しくしてみると良いのかも知れない。

取敢えずは脚踏みが爆音になってないケースを先に挙げとくと、脚が軽い・腿筋が非力・ペダルバネが強過ぎの3条件が揃えば最高速が落ちるのは当然だ。
只この時その人自身がどれ位「出せて無い」のが自覚出来てるかっつうと、Guitar等より人数少な目なDrummerでは案外難しい。

最も分かり易い比較条件としては同じメンバー・曲・楽器となる時で、BandにGuitarが2人居たりしたら自動的にそれが満たされている。
のが日本ではツインドラムのグループは僅少だし、Jazz全盛期は未だしもPops・Rock系が主流になって以降Drummer同士の合奏機会もね。

Drumって他楽器より瞬間音なんで直接比較しないと分かり難い部分が多く、それも体格と楽器が近似ので好みも近かったりしないと中々ピンと来ないんだ。
しかも爆音系は非力な人が叩いたって決して静かにはならないから、例えばSnareが強めと感じても他が弱いだけだったみたいなのも起こり易い。

元々一番音の大きいDrumの中で最大音量のバスドラムじゃ、少し位小さくなった処でアンサンブル全体のバランスは大して変わらなかったりする。
のでこの方面のヲタの俺だってハッキリ確認が取れるのは、従兄宅で太鼓合奏した時とか個人でなら例の「擬似Band」を演ってみた際だけだ。

っとこんな背景があるんで足首だろうと脚・膝だろうと、たまたまどれかが相当な剛力じゃ無い限り現実を認知するのが困難なん。
それだからこそ俺言い「奏法を勝手に限定する悪いペダル」の悪事が露呈し辛く、本来はニュートラルで潔白
なスピキンやPremier 250Sがやれ癖がどうのと身に覚えの無い嫌疑を掛けられてんだろうよ。

で漸くの本題だが足首Doubleをずっと連続で演ってみようとすれば、どんなペダルでもちゃんと正体がバレるんだ。
なるべくなら最低でも30秒以上続けようとしてみなはれ、ゴツ過ぎたりバネの強いヤツだと幾ら昭和根性全開にしたって必ず誰でもすぐバテて降参になるからよっと。

現状ではそんなニーズは少なさそうだから気付ける人が少ないんだろうが、連続不要なら何も影響が無いかってば全くそうじゃ無い。
唯その悪影響がとっても分り難く気付け難いだけで、そんな際はDrum単体では無く最低でもBassとセットで聴いてみると良か。

処でオマケとして足首連続Double習得後にスピキン以外ので試してどうだったか付記しとくと、現行標準的なペダルだとこれで連続と言えるのかって位しか続けられなかった。
その中でも惜しかったのが「フットボードの奥の方」(ヒール側じゃ無くビータ側)で踏めないデザインになってるヤツで、最残念だったのはチェーンホイールが邪魔になって爪先が突っ込めないのだった。

ドラムペダルのフットボードって梃子の原理そのもののが多いんで、ゴツくてバネ強でも凄く奥で踏めりゃある程度は負荷軽減が可能。
手持ちペダルに限定するとどれも最奥踏みは可能な形状だがスピキンを10とするとYAMAHA FP-702で3、Rogers SWIV-O-MATICだと2(これだけ調整次第で変化)って感じだった。(現行標準タイプはこれで言えば1~0.5)

<つづく>

2022年10月 7日 (金)

音楽備忘録1148 楽器Amp同士の組合せの話し⑦

今日は必要最大音量はそんなに変動しないのに何故色んな出力のAmpがあるのかから参るが、必ずしもLow Watts=プライベートor練習用では無いくだりから。
っつうこって一応本番用って枠を付けとくが、最大音圧の小さいのは爆音楽器レスアンサンブル用だとかってな誰でも想像が付き易いかな。

さてもうこの時点で最初は低出力って言ってたのに直後には低音圧だなんてなってるのは、スピーカ次第でかなり出せる音圧が変動するからなのだ。
これに敢えて逆らう様な大昔の俺の愚思考を敢えて晒すと、なるべく安く軽く小さくて大きな音が出てくれると助かるなからそれは始まったん。

それを1970年代頃のFender Ampカタログを眺めながらのボヤキ形式で進めてくが、今より救い様のない程アホだった俺でもビルトインとセパレートの違い位は何となく知って居た。
未だチビのままでももっと貧弱だった身にはTwinの重さは酷で、せめておっきいトランスとスピーカの磁石が別で運べればって。

そんなケチ思想が行き過ぎて学びをスポイルしたか、同一口径の4発仕様や6発仕様のラインナップには誰欲しがる?って安直に。
中でも理解に苦しんだのは4発では12inch(Quad Reverb)なのと10inchでも6発(Super Six Reverb)でどっちも一体型、それでいてセパレートのには4発以上のが無いって処だった。(理論的には外付けなら2箱にすりゃ同等以上に出来るが、出力タップのインピと箱のインピにそんな使い方に適した設定が無い😅)

幾ら屈強な黒人奴隷(けしからんが敢えて当時の腹黒白人の本音を勝手に想像させて頂きやした)に運ばせるにしたって、球と云うワレモノ付きのままでそんなの良い筈ないのに。
の上記後者は後で推定するとして、これでの数の倫理には今にしてみりゃ合成能率≒最大音圧の設定として多分ニーズがあったのでせう。

異論もあろうがやはり包括的観点に立つとエレキAmpの標準機ったら、少なくとも20世紀中はFender Twin君と思って瑕疵は無い。
その頃非力な廉価版国産のと同居してるとアメさん剛力みたいな感覚はあったが、最大音量だって程々だったから汎用性が高かった訳だ。

これを踏まえると普通よりやたら大声の歌手とか怪力Drummerの居る所では少々心許なく、倍もは要らんがもう一寸ってのには音圧的に好都合だったんだろう。
又重デカについても舞台上の占拠投影面積で考えると、箱を2つに分けるとその分大きくなっちゃうよね。

物量作戦本家だからかは知らんがClassicオケよりゃ少なくても大編成アンサンブルも凄く多かったとなると、奏者配列が横一列では並び切れないとか普通に起こる。
すると前列の人が使うには極力背が低い方が良く、4発も6発も「後面開放型」なのが証拠の代用位には思えるんだけどどうでせう。

尤も冷やかし入れちゃうとそこそこノッポの6発のってどうせ移動時は横倒しキャスター式にしてんだから、最初から巾は取っても横長で使える様にしときゃ良いのになんてね。
まあ昔らしいそんな大雑把な頓珍漢があったから後に消滅したんだろうが、コロガシ(奏者PAモニタ)非・常用の時代には「裏でも聴こえる本番用音圧」のAmpが無かったら不便で困ったろう。

処で裏でも聴こえるったって表より随分籠っちゃどうなのは確かだが、私的には傲慢or親切過ぎるコロガシよりゃその方がマシっだったよ。
チープでも奏者本人だけのとリッチでも他人の思惑が少しでも混じるのとでは、特に強弱等の部分では本人だけのの方が無添加純正の良さがあるやん。

まあ見方次第じゃそれだけ本当のアドリブが求められて無いとか、舞台効果や演出とズレたら面倒とか今はそっちの方が重視されてるのかも知れないけどね。
けどもしそんなのを演ろうとか演りたくなったりした時は、多分奏者モニタはリッチさよりまんまの方が演り易いと思うんだ。

<つづく>

2022年10月 6日 (木)

音楽備忘録1147 常用PCの強制清掃に遭遇

分かっちゃ居ても疎かになりがちなもんだが、ついこないだ初体験の事象が起きた。
サブ機の調子が何だか怪しいなと思ってたら、突如画面に「Parity Check 2_」と表れて固まっちまったんだ。

このエラーメッセージ自体はメイン機の方で調べ、Memory方面の不具合なのはすぐ分かった。
が元々普段から不安定な部分も幾つかあったんで、何時に無い恐怖感が走った。

何しろ経年が二桁越えてそうだしMemoryの使用状況も過酷な方なので、最初はいよいよお逝かれになったかもと覚悟した。
当該器は過去述の如く中古だがショップで部品の組換えもあった様なんで、Memory自体は本体より古いかも知れないし草臥れてたかも知れないんだ。

何れにしても先ずは開腹して様子伺い、それで大きな問題が無さそうなら清掃してみるしかないからそうした。
俺は喫煙者だしここは広い通りからも近いんで好環境には程遠いが、過去の実績から特別すぐ汚損する様な事は無かった。

但しMemoryカード自体とその接点はウチに来てから未清掃なんで或はと思ったが、確かにMemory本体はかなり汚れが積もってたが接点の方は視覚的には並の汚れだった。
兎に角駄目ってんだからそれなりに念入りにアルコール清掃してみたっけ、組上げたら何事も無かったように復活しやんの。

っと言っても多忙中に最低限しかやってないから完全復調してるか定かじゃないが、基本原因は汚損でも重要な役割を果たしたのは多分又もや「気温変化」だろう。
カード⇔スロット間の接続にはスロット側のバネ端子で密着・常時加圧されてるから、大きな振動でも受けない限り通常接点には汚れが入り込めない。

処が温度の上下に依る僅かな金属の伸縮でも、接触面積が狭いと今迄ずっと接触して無い場所へズレる事があるんよ。
それはもう視認不可能なレベルで、最近夜間は涼しくなったが昼間はまだ結構暑くなったりしてっからね。

行ったり来たり(実際は伸縮)してる内に段々汚れが間にも挟まってって、徐々に接触不良が酷くなってったんだろう。
これには今になってみると前兆だった反応があって、過去述のUSBキーボードの異常現象等が該当する。

その時点では全く思い当たらずカード追設してルート変更で凌いじゃったが、試しに清掃して元のUSBソケットへ繋いだら完全寛解しとりまつた。😅
この分だと他の不具合も関連性がありそうだが、グラフィックドライバが時々勝手に飛ぶのには残念乍ら関与して無かったらしい。

元々グラド飛び案件ではグラボとスロットの接触不良を疑い掃除したんだけど駄目で、しかしどうせ来年の新春にはWin8.1が期限切れになるからもう良いか。
因みに勝手グラド飛びはWeb上の一部の動画再生時にしか起きて無いんで、ネットに繋げなくなりゃ心配はいらなくならぁい。😢

と言いつつ色んなOS系のアプデもあったんでややこしくなってるが、起動が少し遅くなった様なので時間が取れればSATA接続部も掃除しようとは考えている。
接点が小さいだけにどうしてもう少しタイトにしないのか、PC内部の接続部のチャチさは前々から気にはなっている。

2迄のUSBもそうだが破損防止マージンが要るのは分かるが、デジタル系のは当初の作り手が博士過ぎたかどうも凡人が使用するにはいい加減な癖にナーバスで敵わんわい。
特に内部のは素人には掃除の難易度が高過ぎるんで全く考えもので、接触不良が発生しててもそれを感知し辛いのが又難点だ。

そう云や昔中古TV屋が掃除するとかなりの割で復調するのをTVで見た覚えがあるが、PCの方がもっとそうなのかも知れないや。
確かに掃除しても壊れてたりする事もあるが、半導体みたいに物理的動作部分の無い物は放熱さえ足りてればモータの付いてるのなんかよりゃ断然壊れ難い。

只普通の感覚では中々実施に漕ぎ付けるのは面倒だったり、忙しくしてる内にどうしても忘れちゃうんだよねえ。
理想は明らかな異常が出る前にお掃除だが、もし多少のスキル若しくは意欲があったら目視確認→捨てる前に掃除してみる価値はあると思うよ。

<珍しく単発終了>

2022年10月 5日 (水)

音楽備忘録1146 バスドラペダルの真実➋

そもそも現行バスドラペダルの発展は、調べてみるとJazzの進化と呉越同舟になってんだよね。
だからか’70年代中頃迄に原設計されたヤツなら、足首踏みが凄く演り難いのなんて無かった記憶がある。

いきなり過去述重複してそうだがそんな成行きだからか、Rock・Pops系でも昔は足首踏みしかしてない人がそこそこ居たらしい。
俺知りではPilot(Band)
のDrummerのStuart Toshは、Youtubeで見られる動画の大多数で殆ど足首踏みしかしてなくて驚いた。

日本人だと体格的に厳しい人の方が多くなりそうだが、昔の華奢なペダルの影響の方がより大きそうな気もする。
最大音量に関しては筋力や重さが大きいが、継続性の方はペダルの動作負荷次第なんでね。

自慢じゃねぇが俺は腰膝腿に比べると足首が非力だったからか、スピキンを買う迄は試しにでも足首で踏もうと思った事が無かったんだわ。
たまたまSlide奏法が極初期段階で出来ちゃったって裏も無くは無いが、それって手だったら絶対に手首も指も使わないのと一緒だかんね。

自頻称の手下手も正確には指下手で、腕と手首のダブル(過去称ロキュモーション)は当初から取り組んで割とすぐにモノにしてる。
っとどうやら手足の最末端の動作が苦手な体質らしいがバスドラフレーズに無興味だったら未だしも、最初から速く沢山珍しいのをガンガン演りたくてそんなだったんだから異常だよねえ。

個人的経緯としては是又過去述パワー差が大き過ぎたのもあるが、小音量時ですら重い分制御困難な筈の脚踏みで何とかしようとする始末でね。
手の指の方は相変らず苦手には違いないが更に細かく言えば継続させるのが駄目なだけで、数発だったら比較的早期から無意識では使ってたらしいんだ。

昔から金物で「チッチキ」って演るのが好きで、これの「チキ」の速さになると腕・手首じゃ間に合わないしオーバーパワーになり易いしね。
ほいでこれがどうもそもそも「タッタカ」ってリズムが性に合ってるのか、脚の方でも速目のSlide Doubleが出来る様になってすぐからしょっちゅうJeff Porcaroが時々使う様な「ドットトタ」なんて演って勝手に悦に入ってたり。

のでやはりどう考えても当時使ってたペダルが俺には足首踏みし難かったのが、ずっと遠ざけてた原因としか思えないんだ。
又バネ強さに関しては極初期はそこそこの強さがあった方が踏み易かったが、生来のスピード狂が目覚めてからは少しでも弱められる方がやっぱ最高速は上がるのを実感。

でスピキンに限らず以前からどんなペダルでもバネは最弱にしてたのに、スピキンを弄り倒す迄は足首で踏んでみる気が全然起らなかったんだよ。
もしJazzにも本気で取り組んでたらどうだったか分かんないけど、そんなだからRockで足首踏み主体なんてあり得ないと思い込んでたんだ。

確かにPilotって過去身内称だと「女子供ウケ」系だからそんなにパワーは要らんかもだが、コンプ以外低加工なバスドラの音に聴き耳立てて少なくとも軽いとか弱いって事ぁ全く無かった。
まあRingo Starrの足首Doubleもそんなに速く無いフレーズでも使ってて、そこでは足首時の音が幾らも小さいとか弱くは無かったしね。

そりゃ絶対値としては普通は足首の方が強くはならないだろうが、どうでもバスドラがほぼ常にフルってせいぜいAC/DCのPhil Rudd位で。
幾ら激し目のRockでもforteは要っても、常時fortissimoがフィットする曲は多くないかんね。

足首Doubleの「均一化」の為にもあまり露骨に足首踏みが小音量だと困るが、だからって脚踏みの方で弱く加減したりするのは邪道だし後で色々ボロ出そう。
となると根性と筋トレだけでってな非合理で、やっぱペダルの方も足首踏みに正規対応しててくれんと弱っちゃうんだ。

<つづく>

2022年10月 4日 (火)

音楽備忘録1145 楽器Amp同士の組合せの話し⑥

この処どうも尺の勘が鈍って又補遺入りで済まんこってすが、誤解や理解不足はなるべく避けたいのでよろしゅうお付合い下さいまし。
さて前回後部の双発対単発じゃあの嘆き節、確かに物に依っちゃユニット能率の差でバランスする事だってそりゃおます。

…で微かに思い出したのが保守事情や導入コストの関係か、過去日本でAmpの石のが普通化したのはBassの方が先だったなぁってね。
でその転換期にはBass Ampの方が設計世代の新しいスピーカユニットが載ってた訳で、昔のFenderの普及バージョンのクラシカルなJensenとかは能率面で当時でもおわっ古っだったのが蘇りましてな。

それをお調子者ニッポンの一般認識と掛け合わせると、ワイの嘆き節って最初期にはバランスしてた認知データの更新を皆が怠った結果だったのかなってさ。
加えて俺だって若い頃は「憧れは盲信」みたいな部分はあって、絵面優先でカスタマイズされてたのとかには最初は全く鈍感でねえ。

それへ疑念が湧いたのはモノホンに触れられる様になってからで、確信が持てたのは大昔述のあの達人はこんなの使ってました本を手にしてからだった。
今は有名人のでも巷のでも情報が豊富になったからなかり↑みたいなのは減っただろうが、それでも例えばVOX AC30なら搭載スピーカユニットが普通のCelestion(若しくはGreenback)かAlnico Blueなのかが裏を覗かないと一寸分かり難いなんてのがある。

これ音色だって少し違うけどここで再出させたのは能率が2dB違うからで、1.2~1.3倍程度でも実出力音圧が異なってるんだ。(現行緑:98・青:100dB)
現代平均からすると出力30Wは一般合奏用では小さい方の限界で、そう云う「ギリの時」だと僅かな差も一大問題化するからねえ。

因みに能率は一般傾向として口径が大きい程高くなるので、音色都合で小さいのが好きな場合最低双発なるべくなら4発以上にしないと音圧不足に悩まされ易い。
又Jensenの古典タイプ等では能率95dBに満たないのなんかもあり、100dB以上のが付いてるのと共存させたきゃ要注意だ。

これ等の性質を纏めて考えてくとAmp出力小さ目のにはスピーカ多数、オーバーパワー気味のには少数にするとバランスを取り易くなるとなる。
アンサンブルはジャンル・編成・志向性次第で全体音量の適性域に差はあるが、特例を除けば実はそんなに大きな差はあるべきじゃ無いと俺は考えている。

それは各楽器に適性音量範囲ってのがあるからで、滅多に機会が無くても万一他の誰かに出されたら追随出来ない程余裕が無い等としてると後で不便するからね。
その逆も然りで興奮したら自分のしか全く聴こえなくなる様な真似は、例えスーパーナルシス君でも仲間を失わない為にお止しになっといた方が良かろう。

但しずっとフルパワーでとかたった1曲の1箇所でしか最大音量を使わないとかは幾らでもあるんで、観客感覚の印象では大きな差があって当然・構わない様にしか感じられない事もある。
と言う訳で自由と言えば自由なアンサンブルにも汎用対応を考慮すれば、実は最大音量に思った程の自由は無かったりするんよ。

そんなん言うと変な新興宗教みたいな印象を受けるかも知れないが、例えば「人の声の大きさの範囲」を考えたら全く単純でしょ。
そりゃインスト物だったら歌手の声量には左右されないけど、一般人の耳の感度って普通の会話とかが基準になってるじゃん。

<つづく>

2022年10月 3日 (月)

音楽備忘録1144 不当低評価の是正⓱

再び屁理屈からは脱して例示のオンパレードを目指すが、概知のソースでも着眼点を変えるとおやびっくりなんてのもあるざんす。
それをここ数回続けてた過去の日本のを中心で参るが、最初はSHŌGUNから。

一般にはTVタイトル曲で有名だし実際その2曲の出来栄えが上回ってるが、今最も知名度のありそうなBad Cityは今日は敢えて脇に回って貰おう。
これだって最上級のFunk Jazzなんだが、組合せ的にはTower of Powerを始め他にも類例があるからさ。

それに対し男達のメロディーはCountry Discoってなもんで、Bandメンバーの構成もあろうが俺は曲以外の面でも価値を感じてんだ。
この曲が入ってるアルバムには他にResort Funkと呼びたくなる様なのも入ってて、聴き流すと唯心地良いだけだが似た様なのでも演ってみようとすると少しショッキングだったりする。

奏者自体の個性としては今だとDrummerの山木秀夫氏位かもだが、Fusion系とCountryの融合で上手く仕上がってるのってぇと他には思い当たらないんだよ。
彼等は元々がStudio Musicianだから玄人受け寄りなのは半ば必然だろうが、劣化本邦でのその方面の趣味者は殆どが難易度等ばかりに気が行っちゃってるからねえ。

続いてクリエイション(バンド名)のSpinning Toe Hold(曲名)を単曲例示とするが、グループの志向性がどんどん変化はしてったがずっと実力派ではあった。
にも拘らず絞ったのは当時としては貴重な欧米本国勢に全く引けを取らない若しくは凌駕してた部分で、私感で全く劣等感レスで聴けたのは他にChar位しか居なかってさ。

この辺は後発ならではの悩みってなもんで、曲・編曲・奏力・アイデアの全てを「間に合わせる」のがまだ大変だったんだ。
処で当時は他にももっと有名とか上手な人達が大勢居たのに、どうして一見偏狭な例示となってるかに触れとこう。

独自性とか他や後世に与える影響度と効果が近似ならなるべく低スキルで達成してるのを選んだ結果で、極論すれば大して上手くも無いのに気持ちを持って行かれたなんてのこそが芸術力の証しだからね。
一時はかなりブームになった本邦Fusion系のその後の凋落なんかも、Smooth Jazz等へ上手くシフト出来ないのが多かったからだと考えてんだ。

本日のトリはより古く今や全世代的にはドマイナーなシャープ・ファイブ(Band)を取上げるが、ここでの対象は’60年代後半期のインスト物限定とさせて頂く。
当時としては演奏技術自体はお釣りが来る職人レベルだったが、サウンド的にはThe Ventures等近似の所謂エレキインストなのでかなり綺麗ではあったものの特筆する程とは思っていない。

にも拘らず何で寺内タケシとかじゃ無く彼等かったら、守備範囲の異常な広さとそれ等の完成度の高さが飛び抜けてたからなのだ。
ジャンルもアンサンブル編成も無制限でありながら、本人達は至って「何時ものまま」ってのが又驚愕もんでさ。

尚且つ近年の和楽器バンドとは逆の手法でより日本的テイストを出してて、要は「音楽力」が格段に高度だったからそんな芸当が可能だったんでせう。
個人的な出逢いは幼少時俺のオヤジが買ったラジカセに付属してた、試聴用テープってのに入ってたんだがその件は長くなるから別項で。

兎に角Rockに目覚める前だったからそれがエレキRockかすら分かって無かったが、さくらさくらなんて超スタンダードとかが演られてたからそれなりに理解は出来たんだ。
けど単に覚えてるだけな状態が暫く続き、その後は悪くは無いけどちょっち古めかしくてダサっぽいかもなんてずっと感じてたんだが…。

最近の和テイストブームのどれもがちゃっちく感じられて、その原因を辿ったら彼等を先に聴いてたのが原因らしくってね。
一切合切がシャープファイブの方が深く巧妙だし、訴えはとても控え目だがかなり独自性にも富んでたのに今更気付かされたんだ。

<つづく>

2022年10月 2日 (日)

音楽備忘録1143 石のAmpディスり大会!?➋

例に依って逆説論法まっしぐらだが、体験した苦闘の内容へ話しを進めよう。
球信者ったって予算は無きに等しいし、関連部品の入手も厳しいのがある。

それでオールチューブの方が良さそうなのは分かってても、全部石よりマシだからってんでハイブリッドのでかなり長く実験を重ねててね。
実際回路の何処か1段だけでも球が入るとご機嫌なんで頑張ったんだが、楽器自体の音色や歪みへ石を関係させちゃうとどうも効果が半分以下になる様で。

その原因がハイインピーダンスを下げるのが不味いらしいのが最近分かったが、安価でコンパクトに自由に機能を追加するには石系の一択じゃないすか。
それで過去述手持ちの球の歪み系ストンプを、都合30年の長きに渡って弄り倒す事になっちゃって。

練りに練って各時点で今度こそこれで打ち止めと思っても、半年から数年経つと我慢出来ない部分が出て来たん。
俺の最も気にしてた部分のせいでそうなってたのはあるだろうが、やはり特徴の徹底度が足りないと誰にでも起こり得ると思うんだ。

個人的には電気楽器に石は合ってないとは思うがもしそれが好きだったとして、石の良さ「非曖昧」を尊守するには球は邪魔者でしかおまへん。
↑体験でも実感したが例えば周波数帯域やダイナミックレンジ等、球の方が石より狭い。

ので球主役・石脇役なら主役が変わらない分目立たないが、石主役だとより癖の強い球を脇役にすると石主観では悪影響を受け易くなるん。
又「リッチクリーンサウンド」(物理的にはとっくに歪み始めてるが音楽的聴感では歪みを感知しない)に於いて、歪みに依って生成された高調波をカットしてしまえばより感知し難くなる性質がある。

ので石のPoly ToneでもOld Style Jazz Toneだと欠点は目立ち難く済むが、高域は全く出せなくてもOK・歪ませる気なんて毛頭無いみたいな覚悟が必要だ。
この辺りの条件からもBassの方で一般的には容認が進んだ様だが、無響室並低残響の演奏会場なんて先ず無いのを失念してる人が多い様だ。

本当に演奏が上手な人のLine録りには一種独特の美しさがあり、それを最も気に入る人が居ても何も変じゃ無い。
だが大人数が同席可能な場所でそれを求めるとしたら、かつて稀に催されてた観客全員個別ヘッドホン鑑賞とかにしないと厳しい。

一方オーディオ的リニアさでは石に一歩譲る球のPreampでも、入念に設計された物を上手に使えると石と大差無いサウンドは得られる。
と斯様に音楽的にあらゆる使い方を想定すると、石の方が実用範囲が案外狭いのだ。

更に私的にもう1つとても気になるのは、道具の制限が表現の無意味な制限に繋がらないかって懸念でね。
何しろ人間様ってな中々気紛れに出来てるんで、先々どう心変わりするかしないか全く分からない。

他人と合奏する分はそうは行かないがプライベートの音楽観だったら、何時どう変わっても誰にも迷惑が掛からないのが特権みたいなもんだからね。
ので石で間に合うと分かってから活用するなら良いが、全く未定(つまり足りるか分からない
)の時に石しか使えない状況にするのは危険だと思うのよ。

私的困窮一例を提示しとくと、歪み以上に気を使わされるのが「高域の出し具合」。
特にGuitarでシャリシャリにしたい時、瞬間的にはこれ位欲しいにしといていざ演奏継続してくと耳が辛くなって来て耐えられなくなって来る。

仕方無く本来の望みより抑えて過刺激から開放されたは良いが、今度は太鼓にフルCrushとかされると完全に影に埋もれるとか…。
この点だけならコンプ等を適宣掛けてやればどうにか出来るが、そうすると今度は強弱が不足したりその反応の遅れが問題になったり…。

<つづく>

2022年10月 1日 (土)

音楽備忘録1142 バスドラペダルの真実➊

Ludwig Speedkingヲタになって約8年経過し、それに関連して色々悟らされた事があるので暫し。
まあ俺の場合は一応ヲタとしてるだけで昔から好きだったし興味はあったけど、正味な処は「使う都合」でなっただけなんだけどね。

だから貧と相まって折角復活したL203は、試奏すら未だって体たらくが続いてる。
うっかり試奏を願い出て買うのを断る勇気が足りないってんで、あちこちの体験レポートには目を皿にしてんだけどさ。

そこでの評判が相変らず癖があるだのと、まるで宇宙人扱いされてるのに腹が立って許せなくなっての執筆で御座居。
確かに今の多数派からすれば完全野党で、まだ生きてるDrummerからしたら外様感が凄くても仕方無いすよ。

けど歴史を正しく学ぶとそれは錯誤で、どんなに馴染みが無かろうと「どっちが先祖か親分か」を間違えて得する処は1つたりとも無いんざます。
では何故こんな世間認識と真逆なのを吠え出したかってば、「色々踏もうとしてどうなったか」が全てでね。

この件唯一の進歩としては一部で「バネ最弱」にすると楽とか踏み易くなるのに気付いた人が増え出した処で、過去にも吠えたが「ペダルバネの存在意義」を掘ってけば何れは誰でも必ず行き着くんす。
又々再出になる下らない質問だがペダルにバネ付けて良いなら、何故「バネ付きのバチ」は無いのかって。

手下手君の杜撰大王としては手の方が脚よりアシストの欲しいのが実情で、世の中の半分位はそう感じてもホントはおかしくない筈なんだ。
幾ら変態的お便利グッズだとしても何処かで1つ位出しても良さそうなのがそうならないのは、恐らく「手は地面からは浮いて離れたまま」だからなんだろうね。

わ兎も角バチよりペダル可動部が重いとか指で掴んだままで居られないとかが発端なんだろうが、「踏みながら考える」と本当に必要そうなのは「初動時」だけなんだ。
それを実感するにはダイレクトドライブで最弱かバネ無しが適してて、打った皮の反動→ビータの反動が最も多く残るからだ。

この点チェーンやベルトドライブってなもしそれがバチだったら完全な犯罪者級の変態で、リバウンドが普通には帰って来なくなる訳やから。
太鼓って楽器固有の利点としての反動利用を尊守すれば、今時のチューニングでは他よりかなり少な目でも脚のだけ無視するってな妙な了見じゃないすか。

わ兎も角Ⅱで可動部が軽量なダイレクトドライブペダルじゃないと実感困難で、他の方法で微かに可能性があるとしたらやたらと硬いベルトのベルトドライブ位かな。
だからこそ現代では一定以上の腕(本件では脚・足だが)とスピキンか同等品の持ち主しか得られん情報で、尚且つバネを強くしてるとその反動が皮のかバネのかが良くは分からなくなる。

そこで今更だが今回の副題を「スピキン違和感の正体」とするが、他の殆どのでは↑の様に不明瞭な「皮の反動」が正解なので御座居ます。
その中でも最も実感し易いのはバネ最弱・フットボードヒールヒンジ近くで連打しようとした際で、このゴリ脚絶対自慢の杜撰大王様が実にアッサリ完全敗北致しまつたから。

もうねえ強烈に爪先が弾き飛ばされちゃって、よっぽどタイミングだけに最新の注意を払ってお上品に演らないと全然駄目でね。
その上踏み位置がそんなだと「意識的ストローク制限」が全く掛けられなくなり、無駄にオーバーストロークしちゃうから望む程短間隔(速く)にも出来ない。

但し速さ不要なら爪先の動かす範囲はとても僅かで済むんで、相当な習熟が要求される代わり最も楽して爆音連打が可能になりそう。
ってな事って次回は何故これが分からなくなってったかを掘ってくが、多分強く無くても良いからずっと連打のニーズが消失してったからなんじゃないかな。

<つづく>

« 2022年9月 | トップページ | 2022年11月 »

フォト
2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ