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2022年9月19日 (月)

音楽備忘録1130 昔のRock系は大音量で聴くべきもの???➊

バカ丸出しをものともせずちゃっかりしたテーマを進むが、これでもその裏に誤認の解消って狙いはあるんだよん。
俺の記憶内にもRock系だと爆音で聴く人が多かった印象はあるが、その実は音量より音色や表現の影響の方が大きかったんだ。

歌の実再生で大きかったチャンピオンは演家系で、これには一寸した当時ならではの背景があった。
昭和の途中迄は家長が怒る場合は怒鳴るの容認だったりしたんで、特にオッサンの大声は皆が訊き慣れてたんだ。

又楽器の瞬間最大音と比べると流暢な歌だとピーク成分が少ないのと、息の関係で持続時間がブツ切りになるから堪え易い。😅
いや当時の子供(俺含む)にとっては例えばデカ過ぎる村田英雄とかって、ホントは拷問同然だったんだけどね。

不機嫌で一々細々叱られたり小突かれるよりゃ、暫くご機嫌で居て貰った方がマシなんてな調子でして。
それが自分がオヤジになった暁には最も家族忖度が強要されるなんて…、この理不尽どう落し前付けてくれるんや~あぁぁ…って最早叶わぬ夢同然か。

わ置いといて今よりもソースの内容次第で許容値にかなり差があったもんですから、アングラRock系だと極一部の人格者を除き米の黒人差別全盛期に勝るとも劣らない状況が御座居ました。
平成以降の日本しか知らなかったら眉唾と思うかも知れんが、エレキ=不良に始まりバイクを目の敵にした東関東中心の所謂「3無い運動」なんてのも今の壺案件並に理不尽でして…。

ぬぬっ今になってみりゃもしや↑の裏に既に壺力の働いた疑いもあるが、何れにしても当時の常識感覚と物理音量はソース次第で無茶苦茶ランダムで非リニアだったんす。
なので俺は強引な方だったけど子供が不良Rock(当時大人の主流派の勝手な決め付けだが)を聴こうとしたら、こっそりバレない様にが基本どした。

オマケに今と大違いなのが個人用再生装置なんてのは未普及も良い処で、オーディオ用のヘッドホンだって旦那がJazzファンででもないと一般家庭になんかありゃしない。
故に少なくとも小さくない音量で聴ける機会は極僅少で、耳の場所で計測したら平均値は恐らく今の通学生より遥かに蚊の鳴く様な状況だったのは間違い御座居ません。

そんなのもあったからか○○喫茶だのレコード屋の試聴室が大モテで、つまりこの方面での大音量って当時のは実質は適正音量なだけだったんよ。
これからすれば日常的には必要を下回る音量で、小音量忖度なんかしてないソースを聴いてたんだよねえ。

なので勿論時々残念感は覚えたけれど、今の違法・違憲国葬強行に対する腹の底からの恨みみたいなのはそこに一切存在しなかったなぁ。
結局今劣化本邦の不毛極小音量過忖度ってのは、闇雲にディテール掘りに執着した結果なんじゃないのかな。

確かにボケボケのを聴き取るのにそれなりの労力は使ってたが、劣化今本邦の聴き疲れ強要ソースよりは楽だった。
これ別観点では今の日本は音楽の楽しみ方がド下手になったとも考えられ、楽しむの基本は分析耳を最初から稼働させる様なもんじゃないんだよ。

確かにパフォーマー的には俺だって折角演ったのはなるべく聴き取り易い状態であって欲しいけど、曲全体やムードを犠牲にして迄そんなのは望んで無い。
これ俺が達観出来てるとかそんな高尚なのとは無縁で、先ず「良さげ」に感じて貰えないと聴こえる様にしてあったって聴いて貰えなくなるじゃん。

昔のは技術的限界からそもそも大体ですら全部聴き取れるが不可能だったから、黒観点では次善策で雰囲気だけでも尊守してた面も否定し切れないけどさ。
だが更に視点を変えると音響的には優秀で音楽的にはパーデンネンにしちゃうのって、制作スタッフの責任逃れにも見えなく無いぞ。

<つづく>

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