音楽備忘録1124 不当低評価の是正⓬
さて近回は探索方法等へ偏り気味だったが、それが本件では露出の少なさ→認知度の低さが不当低評価とも大いに関係してると考えてるからだ。
これが又劣化本邦ともなると最悪に近い状況で、かつては美徳意識今は商業上の都合で実態隠蔽が甚だしい。
基本的に日本主導の国内録音作品は海外販売想定の無いのが多く、仮に売れたとしても世界規模観点では販量が桁違いに少ない。
のもあって元々追及要求が少ないにしても、英米等と比べると職人集団の認知度は隠さなくても格段に低かった。
しかしだからってキーマンになる様な人が居なかった訳では無く、もっとそんな達人達へ良い意味での敬意を持ててたら海外稚拙パクリ依存から脱却出来てた可能性が拭えんから実に惜しいんすよ。
そう語っといて個人的には大して和のテイストを付加する気が無い杜撰大王だが、現況の狭い範囲からだけの引用が続くのはもう勘弁なんすよねえ。
では何故そうなるか私分析してみると、結局はネタがアニメやゲームを通じて知ったのしか無いからなんじゃないかな。
ではⅡでネタ元の作者達は何処から仕入れたか推察すると、古い文学や映画等もっと多岐に渡ってそうだ。
この面で一応私的としとくが激奨しときたいのがJohnny,Louis & Char(Pinkcloud)で、祭囃子その他歌物に執着せずエッセンスだけを巧妙に引用してるからなんだ。
前者つまり現行の和のは歌詞込みのが殆どで、それって実はとっくの昔から演家系では多用されてんだよね。
一方後者のは限られた一部の時代劇伴奏等に垣間見られただけで、歌詞に依るフォローが無い分音だけで成立させなきゃなんないから実際かなり難易度が低くない。
だが発展性へ目を向けるとかつてYMOがアジアンテイストで成功した様に、日本語で海外でも売れるとしたらBabymetalのみたいな流行り単語位で精一杯なんすよ。
そんな状況なんでほぼ誰の役に立ちそうに無くても以前記したThelma Houstonや、前回記載のJohnny Riversみたいなのをここでは今後忌憚無くジャンジャン書いて行きますわ。
処でここ迄は佳作が少数で低知名度とか作品名義が分散してて低知名度なのに触れて来たが、有名でもそれが仇になって不当低評価となってる人達も居たんだっけか。
今の日本じゃ想像すら困難化してるだろうがそもそもはあのBeatlesやStonesですら、登場は当初本国ですら一寸売れただけの若造扱いだったんだ。
誠に遺憾乍ら暗い現状に一筋の光明をってな感じで、拙日本にだって過去には幾つかは世界に誇れる「先見の明」になったのがあった。
それがQueen,Kiss,Deep Purple辺りで、前2つは残念乍ら見た目から入ったのではあったけどさ。
けどこの3つに共通してたのがLiveで観客がのっけからは乱知己騒ぎをしなかったってのがあって、結果的に皆の耳に音が聴こえてたのが大きかったんだろう。
Bandの通常のLiveって登場人物はほぼ固定とか映像作品より絵面の変更が少ないんで、幾ら見栄え最優先でも音でアシスト位しなきゃ瞬く間に夢の世界が醒めちまう。
特に昔のになればなる程レーザー光線も無きゃ巨大スクリーンも無いから尚更で、上記しんがりのはヲタアドリブ主体とは言え「サルにも分かる」のを中心にしてたのが功を奏したのかな。
当時でもPsyche・Progre・前衛等では誰にも訳が分からん程良ってのはあったが、分かる上で凄いってのは他ではBuddy Rich位だったかな。
この話しで俺が妙に自信が持てるのは、完全な偶然だが成長途上で出逢ったからでね。
自分の意思でRockを選択し出したのが小学校に上がる頃で、単細胞な杜撰大王様だから当時の選択基準に感性以外が入り込む余地は皆無だったん。
こんなのちっとも狙った訳じゃ無かったんだけど、今にしてみりゃ感性主体ってのがどんなもんなのかでこの過去体験は大いに役立ってるよ。
これ音楽じゃ無くても全然OKで、憧憬とか懐かしみ成分抜きで鮮明に残ってる印象のの出逢い時を思い出しても良い。
そんな感覚で選別してけば、少なくともその人自身にとっての不当評価は避けられるんじゃないかな。
<つづく>
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