音楽備忘録1135 ネタ元⑧
毎度お馴染み前回補遺入りになるが、補記の内容は俺言い「正しい単純化」だ。
拙ブログでは以前繋ぎ不足だとか無理のあるコード進行への警鐘を鳴らしたが、それ等への感度を上げるのにも前回例示の脇役音楽は中々有効なのだ。
個人的には絶対視も価値観の多様化に対処すべく気持ちに無理に私的としとくが、米津玄師のパプリカの「スタート地点に戻って来られない展開」やレベッカの一部曲の「ら抜き言葉みたいなコード不足の進行」はプロの仕事としては完全アウト判定しとるがな。
そう断定した証拠の好例になりそうなんで蒸し返してんだが、○○さんの曲として聴いてればこそ辛うじてセーフだったりもしたんですよ。
上記前者ではリズムだけ残して強引に繋いでたが、脇役でその様な音楽的分断があると例えばCMだったらそこからもう次のCMに移行したと思われたりする可能性がある。
仮に繋ぎ前に商品名を繋ぎ後に価格を提示してたとして、それが同一商品のとは思われなくなったりしてな。
或は番組テーマで仮に開始時と終了時に同一曲を用いてたとして、最悪は無理繋ぎ部以降を次の番組が始まったと誤認してああ見逃しちゃったなんてさ。
要するに各部の基準が脇役用途のの方が厳しくなってい易いんで、やって良い事・悪い事を学ぶのに最適なんすよ。
主役の場合はこれがワイの芸術だとうそぶいときゃ、あまり好まれなかったとしても排除迄はされない。
だが脇役用途では作った方は芸術のつもりでも受け手側には唯の目印になったりすっから、万人が同じ様に受け止められる状態になってないと通用しないんだ。
確かに時間の短いのが多いから、その点で必要素数が少なく済む楽さはあるけどね。(主役用途時それでは足りない)
のでこの手のだけを教科書にしてるとエッセイは書けても小説だとどれも未完になんて危惧はあるが、体裁では無く内容へ目を向ければゴール前にリタイアすれば順位もへったくれも無いでしょ。
のでⅡで私的には末は大作をと思ってても、「手前から順に1つづつクリア」してくのがお勧めなんだ。
それじゃあ地道過ぎて飛躍が無くて面白くないかも知れないが、一度マスターしといたのが後で無効化するのを避けられるのはとても重要。
さて唐突に次へ進むが今本邦一般傾向としては、ネタは鮮度が命的傾向が強過ぎると感じている。
心情的には今流行ってるのを真似てあやかろうとするのは半ば自然だが、真似するこっちが習得し終る頃には少し時代遅れになってるのが常だ。
ならばとタイムラグを最小に圧縮しようとすれば表層の模倣程度しか不可能で、しかし本家だってそこに至れる迄には相当な時間が掛かってる筈だ。
そんな背景がどうせあるんで、ここでは少々カビ臭くても臆せず古いのを平気で例示しちゃってんだ。
あまりネタが古いと現代に適応させる苦労は増えてしまうが、よっぽど「今迄の誰にも似て無い新規の」でも想い付けない限り世間の扱いは飽く迄「後発」。
けれど残り物には福があるじゃねえが、後発には後発の強みってのもあるのだ。
それは多様性とか集大成的な部分で、その原因は先発の時より歴史の積み重ねでサンプルが断然多くなってる処。
ここへ着目すると、何処迄古いのを知ってて活用してるかが勝負の分かれ目ってなもんなのよ。
現行のなら誰でも知ってて当り前、大古のとなると一般人ではコアヲタでも無い限りわざわざそんな処迄掘ったりゃしないじゃん。
とは言え総量的には各自の好みの時代性が反映するんで、現行の9に対し古サンプルは1とかってなるかも知れないけどね。
それと仲間との共有面で何しろ今劣化本邦は同調圧力最優先だから、折角見つけても当分の間は独り淋しくってなっちゃうかも。
けれど古いとかフォーマットが違ったってだけで、ネタ候補から外すのだけは止めて欲しいわ。
歴が浅い内は実体験出来なくて分からなくても仕方無いが、現行フォーマットだってあとどれだけ持つか明確には分からないんだからね。
そう云や昨日たまたま目にした情報でジブリの宮崎駿って、ネタは1000用意してそこから100画を描いて実際にはその中の3つ位しか作品に使わないんだってね。
何も直に真似してとは思わないけどネタって切れると困るだけでなんで、合わなきゃ使わん迄で集められるなら集めといた方がって思うだよ。
<わをん>
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