音楽備忘録1114 今のRock系は小音量で聴くべきもの???➋
今日は前回出the peggiesの「君のせい」のギターサウンドを生贄に他のへも拡張してくが、全体のサウンドとしては俺も全く他人事では無かった件だ。
失礼乍らSolo部の演奏内容以外は申し分無く、重ねたののアイデアややり方自体は寧ろ秀逸な位だった。
だが聴く回数が重なってくと少なくとも俺の耳は意地悪な椀子そば状態に陥り、その原因を探る中でGuitarの音色の細かさってぇか薄さが不味かったのかと感じ出した。
そこへ俺の思考が到達するのに3つの段階があって、前回述の如くその1は今本邦のと自作過去作品の比較だった。
その段階では自分の方のにだけ何となく冷たい淋しさみたいなのが感じられ、しかしそれが無い方のは代わりに眠くなっても寝かして貰えないパーティーみたいな嫌味があった。
次のその2は自作のでもテープ録音時代のを聴いた時点で、残響はもうデジリバだったからそれ由来の淋しさはそのままだが各パート自体の音の存在感にかなりの相違が再確認されてね。
ここでのプチ私売りは奏者・場所・GuitarとそのAmp等が完全同一な処で、サウンドの差はほぼ録音方式だけのせいなのに確信が持てる処。(進歩が少ないと云う見方もあるが…😓)
トラック数の関係も手伝ってテープのの方がGuitarの本数も少ないが、空席感みたいなのはデジタル録りのの方が遥かに上だった。
そして駄目押しとなったその3が更に後で聴いた頭脳警察のハイエナとテープ自作との比較で、これなんかGuitarは殆ど重ねて無いのに器楽音の不足は全く感じられなくてさ。
残響だってVocal以外はほぼ無しなのに、淡泊とか退屈は多少あったとしても細い薄い頼り無いなんてのは全く無縁。
杜撰大王らしくGuitar1本についての存在感の差は今日迄殆ど気にして無かったけど、こうして聴き比べたら自作のだってデジタル化率の高いの程数入れてるじゃないのよ。
これを素直に受け入れると現行デジタル録音には、予想の遥かに上を行く弱点があった事になる。
実際俺みたいな古株(テープ時代体験者)には困りものではあるが、そもそもはテープ代の高騰でデジタルへ全面移行してんだよね。
その証拠に何時かテープが値下がりしたらと思って未だにオープン8トラは持ったまま、って一説には売り損ねただけって声もしなくはないが…。
でもこんなのは他の誰にも共通だし、深堀りすると録音機だけのせいするのはお門違いなんざんす。
それが収音方法のOn Micで全ての目的では無いが、元々はどうしてもボケるからってんで段々近付けてってたんだよね。
尤も他所様でだってウチのハコ同様録音場所の天然残響を使わない設定の所が多いから、そう簡単にOff Micにする訳にも行かないだろうけどね。
けどエレキ自体は今だって殆どのはOn Mic様専用になんてなってなく、現実より明瞭な音で収音する必要は最早とっくに消失してるのになんだわさ。
だがそれが少々面倒化してるのと、そんなのを必要最低を下回る音量で掛けられたらそりゃ内容が良くは聴き取れなくなる。
しかし必要最低を下回りゃ例え耳穴に突っ込んで聴いてても、軽い咳払いの1つでも途端に音楽の方は何も聴こえなくなるのよ。
それからすると俺自身も含め結局は提供側のエゴ、淋しい人じゃない・折角演ったのは全部聴かせたい等々が過剰なのかも知れない。
当初は一種の自衛策のつもりだったかも知れないが、平均音圧・明瞭度・音数諸々のどれも過剰にしちまっちゃお終めーよぉ。
どんな過酷な環境下でも全部聴こえますサービスと銘打っても、聴き方の自由を阻害すればマイナスの方が大きくなるねん。
わざわざ手間暇掛けて作品を駄目にするとは、ご苦労さんな事ったね。
<つづく>
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