音楽備忘録1138 昔のRock系は大音量で聴くべきもの???➌
果てさて皆が気持ちはビッグでも実際は乏しい音量で聴いてた時代、今よりよっぽどソースには小音量対策が必要だった筈だがどうだったのか?。
ってえと日本ではアングラRock系だとほぼ皆無だったが、メジャー系ではある共通の↑に呼応した!?流儀みたいなのはあった。
それは歌物でより顕著だったが、伴奏に対して随分歌が大き目なバランスにされてたってのだ。
’70年代一杯は海外でも欧の一部のに類例が見られたが、中でもDrumが随分奥の方へ押込められた感じに小さくしてあったりした。
↑欧例で俺に印象深かったのがSylvie VartanのC’etait la Belle vie(悲しきジプシー)等で、強硬に仕分けすれば一応シャンソンだがこの曲に限ってはかなり激しく叩き捲ってたからなのかも知れない。
尤もRock系(っぽいポピュラーも含む)では流石にそこ迄小さくすると可笑しいんでほぼ無かったが、当時日本の一般庶民はそんな関係から歌の爆音はまあまあ平気でも器楽音の大きいのは駄目ってな傾向が結構強かった覚えがある。
その当時としては新人類若しくは未来人!?だった俺みたいなのは、私的には特にBassパート・それに付随してDrum系パートはデカきゃデカい程大喜びしては居たがね。
でも世間からの影響は圧倒的なんで、近年の一部迷惑ラップヲタみたいなお隣迄ズンズンには程遠かった。
そもそもそこ迄ローエンドを出せる機器が存在しなかったのもだが、同じ強い刺激でも音として求めてたのはマトモに聴き取れる範囲。
当時一般常識人からしたらキチガイ爆音でも、誰でも訳が分からなくなるレベルの爆音とは違う。
まあこの辺は他人に迷惑掛けず耳を壊さない範囲なら、後は個人のお好み次第ですがね。
只俺の場合単純な強烈刺激欲求だったら、火薬爆発系とか大型工事の振動みたいなのの方が面白かったよ。
わ兎も角そんな再生環境なのに今より断然無忖度音源しか無かった訳だが、それで迫力不足とかを感じるケースは一切無かった。(但しパフォーマンス自体が脆弱なのは除く)
俺頻提唱「音楽は比較芸術」論の通り、普段の平均音楽環境が今より全然大人しかったからそんなでも足りてた可能性も否定は出来ないけどね。
しかし特筆しとくべきがその後徐々に明瞭度が向上してった時期で、理屈だとその方が迫力だって増しそうなのがちっともそう感じられなかった処なのよ。
当時は小奇麗になって行く≒優等生化みたいなのだけ感じてたが、今再検証すると聴き取り易過ぎるのがどうも仇になってた節があんねん。
デカい音って突然だと、驚かされる方がどんな音だったかより勝ったりするよねえ。
それでか楽にハッキリ聴き取れる≒非爆音みたいに、脳内判定が勝手に下されちゃってたのかなぁ。
又現実の状況として異常爆音になった時って、音源以外の共鳴や振動による不要雑音も併鳴し易いもんじゃん。
ので共鳴レス≒他には影響を及ぼさない程度の音量、みたいなロジックで認識が歪められてるのかも。
何れにしても耳限界に到達する迄はひたすら巨大化させられるが、限界到達以降は物理音量以外の音楽的演出等で爆音を表現・再現してくしか無くなるよねえ。
それに対し劣化今本邦流の平均音圧固執はマイナス効果で、↑の「比べる相手」が居なくなるだけなのよ。
明瞭度についても上がると大きくなった認識出来るのは聴き取り必要音量に達する迄の範囲限定で、俺言い「余った音量」の分は自然状態なら明瞭度はスポイルされるもんなんだ。
だから昔のは偶然の方が多かったろうが今劣化本邦の様な誤った忖度処理をされた物の方が、ウルサさけたたましさには勝っても力感には劣って当然だったんだ。
強いてⅡで現況の擁護もしとくとそんだけ迷惑工事とかが無くなって、音の大小に昔より鈍感で居られる平和を獲得出来たのかも知れない。
但しそれは気付き難くなったとか認知に昔より時間が掛かる様になっただけで、原理・現象に刷新があった訳じゃ無いから本職さんは皆これを分かって無きゃ不味いんだよ。
<終い>
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