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2022年9月

2022年9月30日 (金)

音楽備忘録1141 楽器Amp同士の組合せの話し➄

どうにか理論偏寄から脱したは良いが、その反動か何時にも増して尻切れになったのでその補遺から。
バランスが考えられてても合わなくなるのは使い方の想定が違ったりするからで、それを最も安易に回避出来るのは例えばMetal系BandだったらAmpが全部壁Marshallの所を選ぶのも1つの手だろう。

けれどそればっかじゃ独自サウンドの構築にはマイナスで、しかし定番体験が充足する迄だったら必要性もある。
その点機材は既存のオーソドックスなので構わない人はお目出度く、一々変態的なのが必要になる人は一寸不幸と要らん差が付くのは残念だ。

只それは歴がそんなに深くない内の話しで、余程の幸運じゃ無い限り定番吊るしで何でも賄えてしまう事は滅多に無いのだ。
近年になる程○○仕様みたいなカスタマイズされたのが目立ってるが、実際は殆ど定番のしか無かった時代の方が独自小細工は多かったし当り前だったのよ。

その中で非電気屋の人でも少しの
学びと経験で、スキルの割に大き目な変化を得られるのがスピーカの交換だ。
交換って勿論文言通りスピーカユニットの取替えだって含まれるが、完成品のエンクロージャを繋ぎ替えるだけだって交換の内なのだ。

処かハコも変わる方が変化期待量は寧ろ増すし、もし戻したくなっても繋ぎ替えるだけで元通り。
尤も日本では不使用時の置き場所等が問題になり易いんで一般化しそうにないが、近似スペックのAmpを複数台所持してたりしたら組合せ変更だけで試すのは可能。

と何だか勧誘紛いの事言っといて俺自身は幾らもハコ替え体験してないが、ある特徴的な音色の生成の主因がHeadなのかスピーカなのか等間接的だが他へ応用性の高い知識が得られたりするよ。
わこの辺で今度こそ本当に具体例を提示してくが、体験上最も注意を要したBass Ampとそのエンクロージャ(一体型も含む)から始めよう。

私感では何が大変ってば使用場所の低域残響の影響が甚大な処で、低域がやたらと響く場所の方が最大音量を大きく出来る事が多かったりする。
近回概説の通り低いの程力仕事になるんで、その高負荷が減ってくれれば余裕が増すからね。

特に増幅回路で低域を盛大に盛って漸く普通の音になる様なのだと、Ampは下から歪み出すので差が大きくなる。
処で実感的には上から歪み出す印象しか無い人も居るだろうが、近年は希少になった歪ませて使う想定が無いAmpで生時のToneセッティングのままだったらちゃんと下から歪み始めるんだよ。

だが物理的にはリニア状態のそれは深く歪ませ様とすると潰れた低音が全体をゆがめ、最後は演奏内容が殆ど分からない様な状態になっちまう。
これがGuitarなら下を比較的削り易いが、Bassとなると楽曲次第ではそうは行かない。

多少の音色的歪みが許せても酷くなると他パートを侵害し出すんで、低音が響かない場所で使う時程パワー不足が深刻になったりもするん。
Bass用で15inch(38cm)以上を過去強引推奨したのにはこれもあってで、低音って削るのは簡単でも盛るのが大変から来とん。

俺自身狭隘にずっと居て空間捻出は全く楽じゃ無いが、補填困難な部分としてユニット口径が最後に残った次第。
因みに10inchでも4つにすりゃ振動総板面積はそこそこ稼げるが、15の1発より同等な低音を出したきゃエンクロージャは大部大きくしなきゃなんない。

能率面では4発駆動の方が少し有利になったりもあるが、音に妥協せずミニマム化を図ろうとすると高耐入力15単発+高出力Headの組合せが最も総容積を節約出来る。
と脱線し掛ったのを戻すと↑は本件に無関係じゃ無く、スピーカ単発Ampは同出力の2発物より大概は凡そ3,4割程度出音が小さい。

今に至る迄日本では数字(出力W)ばかりでロクな説明が為されて居らず、実用上はかなり根本レベルの問題なんだけどねぇ。
だからかつて練習スタジオで「どれも皆100Wで揃ってるから大丈夫」と言っといて、頻繁に散見されたGuitar用は2発・狭いからBass用は単発ってのは悪意ゼロだったとしてもいい迷惑だったわさ。

<つづく>

2022年9月29日 (木)

音楽備忘録1140 不当低評価の是正⓰

今深層では旧統一教会のやらかしが大問題となって壺案件等と一部で称せられてる様だが、無論騙す方が先ず悪いが何故比較的高学歴な連中がいとも簡単にコロッと逝っちまったかだ。
そんな人達の共通項を見てくと少し合点が行くんだが、要は世間が狭過ぎたって事だろう。

主に平成以降に頭角を現したお利口さんって、良く言えば勤勉と努力の賜物だが悪く言や俺言いハイパー背伸び君が大量に混入しとるん。
人並みの暮らしをしててそんな成績が取れたなら別だが、普通じゃ無い日々を送り過ぎれば「世の中の普通」の周知が不足しても至極当然。

特に日本では従前からの学問以外はあまり教育機関が扱わんから、様々な「体験の蓄積」が無いと学べないモノが多い。
んでそんなのが音楽の世界にもモロに反映してる様で、経済興味が弱く芸術興味の強い人達迄が「売れるが正義」になり過ぎとん。

俺は貧故の僻みだって巨大氷山の如くではあるが、名前と売上げで選ぶのはサルにだって出来る稚拙な判定なんよ。
それが聴くだけだったら値段の割に楽しめなくても自己責任でどうぞお好きにで構わないが、作ったり奏でたりするには最低の方法なんだわ。

近年になる程日本では音楽力のみで売れたのが影を潜め、過去の海外のだって劣化今本邦とは雲泥の差があるもそんなのは最大派閥では無い。
のでビジネスモデルとして参考にするなら別も、自身の資質に見合った音楽力向上目的にはある程度独自の資料が必要なのだ。

ってな事って今回は「レジェンド達の劣化」に焦点を当ててくが、最晩年以外は向上し続ける人だって居る。
一方徐々にではあるが新作を出す度に少しづつ凡庸になってくのもと複雑で、それ以上に注意すべきが無意識下の既成概念だ。

パーソナリティだけがお気に入りのファンなら被害は軽いだろうが、それでも興味が無いにしたってどうして他の人は全然分かってくれないんだろうなんてのはありそうだ。
本来嘆くべきは自分の神様が地上に降りちゃった処の筈なんだが、悪徳宗教やセールスの洗脳勧誘と近似な状態に陥っちまうと戻って来るのがエライ大変に。

んっ?これって低じゃ無く不当高評価になるが、それに依って上下が入れ替わる事があるからねえ。
したっけ本日の生贄は勇敢!?にもMichael Jacksonだが、俺の耳と感性に正直になると音楽面ではアルバムOff The Wallがピークでその後は落ちてってたとなる。

売れ行き・知名度・ダンスを含むショー的パフォーマンスは↑位からどんどん凄くなってったが、「純粋に音楽の部分で彼にしか出来ないモノ」は最晩年にはもう無くなってたな。
歌唱力についてもシビアだがJackson 5時代の方が上で、しかし優位点が移動してったとは言え常に何かで生涯秀でた状態を保ってたのは正にレジェンドなんだな。

因みに↑の5時代の方が上ってのには単純な力量のみならず、どの位個性とかでも突出してたかなんてのが評価点に入ってっからね。
で特に劣化本邦でThriller以降がやたら持て囃されて何が不味いってば、それ以前のの評価が相対的に誤低下
するからだ。

唯でさえ経過時間の長いヤツは時代とのズレで実際より低く見間違え易いのに、そんな余計なバイアスが掛っちゃったら一層悪化させちゃうじゃんか。
尤も時代の象徴的一大ブームを起こせたからこそ、本人亡き今でもその存在に辿り着き易いのは確かだけどね。

だからこそ作る携わる側が注目すべきは「全盛期より前」とか「その寸前」で、歴史経緯をちゃんと調べれば売上げと内容のピークが別々だった場合でもしっかり導き出せるから大切なのよ。
それとあともう1つ齢取ったからより実感してるのが、研究自体は超スローペースや暇時限定でも構わないから死ぬ迄放棄しない事。

レジェンド劣化でそれが一向に止まらない人って、幾ら大先生になれたからって完全に生徒の部分を止めちゃったからなんじゃないかな。
そうなってっと本人無意識でも一面で、「他人の採点結果を受容れる」のが無くなっちゃってたりするからねえ。

<つづく>

2022年9月28日 (水)

音楽備忘録1139 石のAmpディスり大会!?➊

是迄も事ある毎はおろか何も無くても石を卑下して来たが、今回は「勘違いからの容認疑惑」を追及したるでぇ。
過去比では爆音環境が折角随分改善したってのに、今度は蚊の鳴く声歌手が大量発生しやがった。

と攻撃的になるのは自分の主義と違うからじゃ無く、無自覚でそうなってる人がやたらに多いからだ。
人耳耐入力に余裕がある程俺言い「過刺激音」への耐性が上がって難聴にはならないし、それ以上に精神的な負荷が軽減する。(※無論生態的限度は越せないが)

のを何処かのオッサンみたいに日常的にギリギリになるのが多かったら、果たして普段そうじゃない皆が耐えられるのかが第1の疑問だ。
過去述だが特に単体では無くアンサンブル全体でそうなってる場合が重要で、自分が担当してない他パートの全ての音色迄100%満足出来るとしたらナルシスワンマンBandのリーダー位じゃないのかな。

等と云ったしがらみみたいなのだってあるんで、望みより誰かが刺激的な調整をしてても耳と精神の安全が保障されてるに越した事ぁ無いと思うのよ。
人次第で耐性限界に差もあるからどれ位痛感して貰えるか不明だけど、限界域未体験のまま石平気なんて表明すると将来訂正しなきゃなんなくなるかもよっと。

第2の疑惑はサンプルソースがかなり古いのほぼ限定となるが、電気楽器から完成音源に至る途中にホントに球が一切関与して無かったかどうかだ。
世間で石が主流化し出しても伝統ある録音スタジオ等では完全移行はかなり遅く、入念な作り込みの必要な機器は実用に供せる迄にはより時間が掛かるからねえ。

現代であれば球を避けるのは確実に行ける様になったが、是又過去述FM東京の管球式送信機みたいに特殊用途になると昔程選択肢がかなり限られてたんだ。
なのでお世話になった記憶が無くても良く調べ直したら、ありゃこんな処でってのが頻繁にあり得るのだ。

又近年実態しか知らない人にも最も分かり易いのっつうと、骨董Neumannを筆頭に球コンデンサMicの存在がある。
これ等は球ヲタだからでは無く唯性能が良い・音が良い・扱い易い等、別の理由で選択してるケースも多い。(ここでの扱い易さとは収音対象を選ばんとか音源との距離が自在って意味)

ほんならある程度以降のなら安心かってぇと、今度はEffector(特にストンプ)常用でそれの中に球が入ってたりする。
となると球アレルギーの人でも無い限り「排除し切って無い」場合も少なくなく、純粋な石の音にありつける率は案外低かったりしてるんだ。

第3はメジャー系音楽誌の釣り記事を盲信しなきゃ昔より調べ易くなった感もあるが、製造中止・販売僅少化した機材は表に出て来難い点だ。
再三の過去述重複でスマンが人前と裏ではプロだと違う機材を常用する人の方が多く、↑の様な事情から持ち出しリスクが高過ぎてそう出来ないなんてのも。

そんなだと記事にしても先ず誰も買えないから、唯の意地悪になるから掲載しなかった。
とか、人に依っちゃポジション死守の為に機密扱いにしてるかも。

尚且つその憧れ対象が前群に記した球アレルギーでも無かったら、入らないのも平気だか混じっても全く気にしなければ一々触れてないかも知れない。
と云う訳で毎度の殴ってから撫でる式みたいになってるが、現行の認識に現実との隔たりのある方が多いと思うのよ。

自称球絶対教教祖の俺でもここ迄拘る様になったのは比較的近年になってからで、石にだってそれなりの期待を抱いて散々自作も含め苦闘して割に合わないのを思い知ってからなんだ。
石の方なら体験機会が豊富なんでそんなに時間は要らないだろうが、ウッカリ玉石混交ならぬ球石混交のを石だけのと信じ込んじゃうと後で修正するのは意外と大変なのよ。

<つづく>

2022年9月27日 (火)

音楽備忘録1138 昔のRock系は大音量で聴くべきもの???➌

果てさて皆が気持ちはビッグでも実際は乏しい音量で聴いてた時代、今よりよっぽどソースには小音量対策が必要だった筈だがどうだったのか?。
ってえと日本ではアングラRock系だとほぼ皆無だったが、メジャー系ではある共通の↑に呼応した!?流儀みたいなのはあった。

それは歌物でより顕著だったが、伴奏に対して随分歌が大き目なバランスにされてたってのだ。
’70年代一杯は海外でも欧の一部のに類例が見られたが、中でもDrumが随分奥の方へ押込められた感じに小さくしてあったりした。

↑欧例で俺に印象深かったのがSylvie VartanのC’etait la Belle vie(悲しきジプシー)等で、強硬に仕分けすれば一応シャンソンだがこの曲に限ってはかなり激しく叩き捲ってたからなのかも知れない。
尤もRock系(っぽいポピュラーも含む)では流石にそこ迄小さくすると可笑しいんでほぼ無かったが、当時日本の一般庶民はそんな関係から歌の爆音はまあまあ平気でも器楽音の大きいのは駄目ってな傾向が結構強かった覚えがある。

その当時としては新人類若しくは未来人!?だった俺みたいなのは、私的には特にBassパート・それに付随してDrum系パートはデカきゃデカい程大喜びしては居たがね。
でも世間からの影響は圧倒的なんで、近年の一部迷惑ラップヲタみたいなお隣迄ズンズンには程遠かった。

そもそもそこ迄ローエンドを出せる機器が存在しなかったのもだが、同じ強い刺激でも音として求めてたのはマトモに聴き取れる範囲。
当時一般常識人からしたらキチガイ爆音でも、誰でも訳が分からなくなるレベルの爆音とは違う。

まあこの辺は他人に迷惑掛けず耳を壊さない範囲なら、後は個人のお好み次第ですがね。
只俺の場合単純な強烈刺激欲求だったら、火薬爆発系とか大型工事の振動みたいなのの方が面白かったよ。

わ兎も角そんな再生環境なのに今より断然無忖度音源しか無かった訳だが、それで迫力不足とかを感じるケースは一切無かった。(但しパフォーマンス自体が脆弱なのは除く)
俺頻提唱「音楽は比較芸術」論の通り、普段の平均音楽環境が今より全然大人しかったからそんなでも足りてた可能性も否定は出来ないけどね。

しかし特筆しとくべきがその後徐々に明瞭度が向上してった時期で、理屈だとその方が迫力だって増しそうなのがちっともそう感じられなかった処なのよ。
当時は小奇麗になって行く≒優等生化みたいなのだけ感じてたが、今再検証すると聴き取り易過ぎるのがどうも仇になってた節があんねん。

デカい音って突然だと、驚かされる方がどんな音だったかより勝ったりするよねえ。
それでか楽にハッキリ聴き取れる≒非爆音みたいに、脳内判定が勝手に下されちゃってたのかなぁ。

又現実の状況として異常爆音になった時って、音源以外の共鳴や振動による不要雑音も併鳴し易いもんじゃん。
ので共鳴レス≒他には影響を及ぼさない程度の音量、みたいなロジックで認識が歪められてるのかも。

何れにしても耳限界に到達する迄はひたすら巨大化させられるが、限界到達以降は物理音量以外の音楽的演出等で爆音を表現・再現してくしか無くなるよねえ。
それに対し劣化今本邦流の平均音圧固執はマイナス効果で、↑の「比べる相手」が居なくなるだけなのよ。

明瞭度についても上がると大きくなった認識出来るのは聴き取り必要音量に達する迄の範囲限定で、俺言い「余った音量」の分は自然状態なら明瞭度はスポイルされるもんなんだ。
だから昔のは偶然の方が多かったろうが今劣化本邦の様な誤った忖度処理をされた物の方が、ウルサさけたたましさには勝っても力感には劣って当然だったんだ。

強いてⅡで現況の擁護もしとくとそんだけ迷惑工事とかが無くなって、音の大小に昔より鈍感で居られる平和を獲得出来たのかも知れない。
但しそれは気付き難くなったとか認知に昔より時間が掛かる様になっただけで、原理・現象に刷新があった訳じゃ無いから本職さんは皆これを分かって無きゃ不味いんだよ。

<終い>

2022年9月26日 (月)

音楽備忘録1137 楽器Amp同士の組合せの話し④

いよいよ本項の核心スピーカユニットの数・エンクロージャのタイプへ突入するが、スマンけど正直コイツは中々ややこしい。
ので専門家が事前想定する以外は理論と計算より、実例や体験を優先した方が近道となり易いだろう。

ただ未体験規模の本番用等でレンタルする際等に、概算(ここでは費用じゃないよ)可能だと大外しを防止出来る。
さてユニット数での音圧増加割合は以前述も再掲しとくと、ユニット1個に対し2つになると能率は約1.5倍・4つになると約2倍ってのが目安だ。

但し単体時と同じユニットを増やした場合、
スピーカのトータルインピーダンスは倍増・半減等変化するケースが多い。
具体例として8Ωのを並列接続すれば4Ωに半減・直列接続すると16Ωになるが、4つの場合等特定の場合だけ直並列接続してやると元の8Ωが維持出来る。(この場合直列2群を並列と並列2群を直列のどちらでもトータルインピは同じになる)

尤も設計初期設定に含まれて無い組合せをする時以外は、予め考慮されてるのでそんなに心配は要らない。
んだがそれでもこっちが一々気にしなきゃなんないのが主に出力トランス非搭載のAmp Headで、載ってるのだと決まったスピーカしか繋がない独裁設計!?の以外は異なるインピーダンスのタップが大抵は用意されている。

これどうせ重く高価なトランスを付けるんなら出力側の巻線の途中に別線を付けとけば(これをタップと称す)、殆どコストアップせずに対応力が飛躍的に上がるからだ。
楽器用真空管電力増幅回路では先ず省略不可だった出力トランスが半導体回路だと可能化し、コスト・スペース・重量で有利になるから殆どが非搭載。

処がトランスレスの石のだと、繋ぐ相手のインピ次第で最大出力が変動しちまう。
尤もⅡでそれも上手く利用してやれば少ないユニット数で控え目音量、多いユニット数でフルパワーなんて事も出来るんだけどさ。

その典型例として前々回述Acoustic 320では4本入りの408(2Ω)を繋いだ時だけ最大出力の300Wになり、2本入りの406(4Ω)は繋いだだけで160Wに自動で低下してくれる。
Head側出力インピが2Ω設定なんで相手が同じならそのまま、インピ倍増すると流れる電流がほぼ半減するので他に何の操作もしないでそうなってくれる。

又半分は魔になるがトランスが間に挟まると緩衝作用が働くので、インピの倍から半分程度のミスマッチはトランスが忖度してくれてパワーに↑の様な増減は起らない。
但し負担が普段より掛かるので容量一杯で連続長時間稼働等させると、出力トランスの劣化や断線のリスクは高まる。

ここから漸く本題との関連性へ突入と相成るが、個人所持品だったり自分でこれから買うならどんな方法を使おうと目的が充足される様にするだろう。
元々オーバーパワーだったらある程度迄なら減っても却って良い位だし、ギリギリ足りるかだったら増える方に振っても減る様な真似はしないだろう。

しかし他所様のでこっちと実使用想定出力が違ってて一部のにだけ出力が余ってるのがあったりすると、プロが組み合わせた物にも拘わらずアンバランスを生じたりするんや。
元々日本ではGuitar忖度が激しくアンサンブルバランス的には相応しくないのが多かったが、最近ではGuitarはEffectorを使う方が多いから足りてさえいれば余ってても問題がより露呈し難くなった。

だがその様なセットアップのでAmp Overdriveさせたいとなると、Guitarの音量だけが大きくなってオーバーしてまう。
確かに最近はBassの方も滅多に球に巡り会えなくなった代わり、無駄に大出力の石のHeadが増えたからGuitarに対抗するだけなら行けるかも知れない。

けどPAやDrum等はハウリングマージンや奏者の肉体限界 の制約があるんで、Guitarに忖度しといたつもりが実は一部奏者(俺みたいなの)にとっちゃ大迷惑設定なんだ。😓
或は急な故障対応でスペック的には過大入力等で壊れる心配が無くても、出力音圧的には少し問題が残った臨時のになってる時とか。

<つづく>

2022年9月25日 (日)

音楽備忘録1136 不当低評価の是正⓯

今日は前回の流れから過去日本の、リズム隊の正しい評価について論じさせて頂きませう。
世代的にMetalやFusionの勃興期の渦中に居たんで、近年迄個人的には随分孤軍奮闘を強いられてずっと淋しい想いをさせられて来たから吠えたるでぇ。

その1:山下達郎の録音作品
一般認識だと青山純と伊藤広規だろうし誤りでは無いが、彼のスタイルの確立に貢献してたのは上原裕と田中章弘だった。
尤も杜撰大王やさかい比較的近年迄思い込み誤認をしてるは、今でも一々Wikiのお世話にならないとフルネームすら綴れない体たらくだが。😓

作品が最も売れた時期なら確かに青純・広規コンビのだったが、それはプロとしての存在が一応認知された後での事。
世代的にリアルタイムだったから耳には入ってたが、もっと聴きたいと思ったのの大部分は上記2人か本場米録音のだったんだ。

その2:オリジナルメンバー期の甲斐バンド
洋の東西問わず’70年代の内にデビューした人達はその後と比べると皆基礎が比較的しっかりしてたが、ここでは敢えて難度的には失礼乍ら最も低かった松藤英男+長岡和弘を取上げとこう。
最近頻吠えの如く所謂演奏技術はあるに越した事はないが、楽曲に対して有効なのはどんなに簡単でもどれだけフィットしてるかアシストになってるかだ。

ここに着目するとローテクなのに名演が出来てる程「音楽スキルは高い」訳で、演奏技術みたいに明確な判別が難しいだけにこんな捉え方もかなり重要なのよ。
そして次の例示ともリンクしてるがその差は俺言い「曲の寿命」に表れてて、かつてのハイテクが後の進化で普通になってから顕著になるんだ。

その3:日本での多弦Bass黎明期
ユーザーとしてはカシオペアの櫻井哲夫等が印象にあるが、正直米のNathan Eastの様にその拡大した音域を上手に使ってたとは俺には思えなかった。
これに関して日本は未だの感が強く、その根底には海外より弦楽器の調音は自由って発想が乏しいからなのかな。

所詮は大して広くも無い俺知り限定ではあるが、最低音弦の1音下げ(E→D)程度でも海外ではそこそこあったのに昔の日本の主流系ではお目に掛った記憶が殆ど無い。
確かに弦が増えれば可能性は広がるが、必然性が先に生じてから増やすのとではやはり違いが出ても仕方あるまい


その4:Drumサウンドの没個性な画一さ
これは何もDrumsetに限った話しじゃ無かったんだが、他パートと比べて大してHi-Fiでも無いのに特にバスドラが全部同じサウンドだったのは完全な汚点だわさ。
尤も少し掘るとそれはOn Micの限定で、私的には爆音耐入力を備えたStudio Condenserタイプが当時の国内には僅少だったのが不味かったのかな。

俺も後から知った事なんであまり上から語るとけしからんが、本家では時期的な関係もあってOn Mic黎明期はダイナミックタイプでやり始めちゃいなかったんだよ。
何でも録れちゃうStudio Condenserつまり当時だとほぼ球のNEUMANNのみだが、同じMicで様々な収録方法をあっちじゃ試せて聴けてた訳さ。

それを抜きでやっちまえば、要は「位置差だけの比較」が出来て無いからねえ。
その証拠ってのも何だがCongaとかは充分イケる音になってるのに、DrumsetのOn Micのだけがどうにもどれもパッとしくなっててよ。

これ杜撰流では「昭和の悪しき伝統」の一部で、音でも立場でも正にDrummer受難ってな感じだったよ。
日本じゃ長らく1に歌詞2にメロディが大忖度で、他は添え物って差別が根強いらしくてイケねえぜ。

只それも随時頻吠えの如く、だったら朗読とアカペラの方が邪魔が一切入らんからお得ずら。
「音楽にしか無い部分」って視点からすれば、実は伴奏やリズムこそが固有の存在なんだけどねえ。

ほんでそんな大忖度をして貰っても損するのが俺言い「声の弱っぽい歌手」で、控え目な伴奏しか許されないから激しいのとか強い曲を一切演れなくなってまう。
おまけに随時頻吠の比較芸術の真髄も利用不可になって、弱さをもっと強調しようにも比較対象(この場合は伴奏)との落差を大きく出来ないんだもん。

<つづく>

2022年9月24日 (土)

音楽備忘録1135 ネタ元⑧

毎度お馴染み前回補遺入りになるが、補記の内容は俺言い「正しい単純化」だ。
拙ブログでは以前繋ぎ不足だとか無理のあるコード進行への警鐘を鳴らしたが、それ等への感度を上げるのにも前回例示の脇役音楽は中々有効なのだ。

個人的には絶対視も価値観の多様化に対処すべく気持ちに無理に私的としとくが、米津玄師のパプリカの「スタート地点に戻って来られない展開」やレベッカの一部曲の「ら抜き言葉みたいなコード不足の進行」はプロの仕事としては完全アウト判定しとるがな。

そう断定した証拠の好例になりそうなんで蒸し返してんだが、○○さんの曲として聴いてればこそ辛うじてセーフだったりもしたんですよ。
上記前者ではリズムだけ残して強引に繋いでたが、脇役でその様な音楽的分断があると例えばCMだったらそこからもう次のCM
に移行したと思われたりする可能性がある。

仮に繋ぎ前に商品名を繋ぎ後に価格を提示してたとして、それが同一商品のとは思われなくなったりしてな。
或は番組テーマで仮に開始時と終了時に同一曲を用いてたとして、最悪は無理繋ぎ部以降を次の番組が始まったと誤認してああ見逃しちゃったなんてさ。

要するに各部の基準が脇役用途のの方が厳しくなってい易いんで、やって良い事・悪い事を学ぶのに最適なんすよ。
主役の場合はこれがワイの芸術だとうそぶいときゃ、あまり好まれなかったとしても排除迄はされない。

だが脇役用途では作った方は芸術のつもりでも受け手側には唯の目印になったりすっから、万人が同じ様に受け止められる状態になってないと通用しないんだ。
確かに時間の短いのが多いから、その点で必要素数が少なく済む楽さはあるけどね。(主役用途時それでは足りない)

のでこの手のだけを教科書にしてるとエッセイは書けても小説だとどれも未完になんて危惧はあるが、体裁では無く内容へ目を向ければゴール前にリタイアすれば順位もへったくれも無いでしょ。
のでⅡで私的には末は大作をと思ってても、「手前から順に1つづつクリア」してくのがお勧めなんだ。

それじゃあ地道過ぎて飛躍が無くて面白くないかも知れないが、一度マスターしといたのが後で無効化するのを避けられるのはとても重要。
さて唐突に次へ進むが今本邦一般傾向としては、ネタは鮮度が命的傾向が強過ぎると感じている。

心情的には今流行ってるのを真似てあやかろうとするのは半ば自然だが、真似するこっちが習得し終る頃には少し時代遅れになってるのが常だ。
ならばとタイムラグを最小に圧縮しようとすれば表層の模倣程度しか不可能で、しかし本家だってそこに至れる迄には相当な時間が掛かってる筈だ。

そんな背景がどうせあるんで、ここでは少々カビ臭くても臆せず古いのを平気で例示しちゃってんだ。
あまりネタが古いと現代に適応させる苦労は増えてしまうが、よっぽど「今迄の誰にも似て無い新規の」でも想い付けない限り世間の扱いは飽く迄「後発」。

けれど残り物には福があるじゃねえが、後発には後発の強みってのもあるのだ。
それは多様性とか集大成的な部分で、その原因は先発の時より歴史の積み重ねでサンプルが断然多くなってる処。

ここへ着目すると、何処迄古いのを知ってて活用してるかが勝負の分かれ目ってなもんなのよ。
現行のなら誰でも知ってて当り前、大古のとなると一般人ではコアヲタでも無い限りわざわざそんな処迄掘ったりゃしないじゃん。

とは言え総量的には各自の好みの時代性が反映するんで、現行の9に対し古サンプルは1とかってなるかも知れないけどね。
それと仲間との共有面で何しろ今劣化本邦は同調圧力最優先だから、折角見つけても当分の間は独り淋しくってなっちゃうかも。

けれど古いとかフォーマットが違ったってだけで、ネタ候補から外すのだけは止めて欲しいわ。
歴が浅い内は実体験出来なくて分からなくても仕方無いが、現行フォーマットだってあとどれだけ持つか明確には分からないんだからね。

そう云や昨日たまたま目にした情報でジブリの宮崎駿って、ネタは1000用意してそこから100画を描いて実際にはその中の3つ位しか作品に使わないんだってね。
何も直に真似してとは思わないけどネタって切れると困るだけでなんで、合わなきゃ使わん迄で集められるなら集めといた方がって思うだよ。

<わをん>

2022年9月23日 (金)

音楽備忘録1134 昔のRock系は大音量で聴くべきもの???➋

前回後部補遺に続き物理面の検証へ進むが、音楽の技師が音響に忖度するのはオーディオ技師への謁見行為でもある…なんちって。
いやさ俺みたいにその辺りが全部兼業だと、あんまり境界を曖昧にすると永遠に仕事が終わらなくなって困るだよ。

っつうかたまには少し真面目に言うと、音の問題解消や向上にも原因次第で何処でどう処理すべきかの適性がある程度決まってんだ。
もし1つの方法(例えばMixingだけ)しかやれないならそこで頑張るしか無いが、真因がMic選択ミスだったらそっちをやるべきだしじゃ無いと改善効果が足りんかも知れん。

なので今たまたま頼まれてやってるだけで私はオーディオ屋、ってんならバスレフスピーカの計算設計と製作位すぐやれるんだね!?。
その逆と言うなら(つまり音楽屋)機器製作は無理でも、楽器はそこそこ弾けるんだなっとな。

とかなり恫喝チックに吠えてるが、要は仕事の本質を甘く見てると最悪「全てがアマレベル止まり」になっちゃうんだ。
オマケにもしそんなのだけが集まっちゃってたらお互いを批難するばかりで、成果も上がらなきゃ延々嫌な思いをしつつ帰宅出来ないなんて事になる。

わこの辺で鞘に収めとくとして、昔の一般用再生装置の出力ってホントに今より一桁小さかったんだ。
以前術の通り一般各戸の電気容量が先ず少なくって例えばクーラー付けたくても、本体価格・工事費・運転費は未だしも電気使用契約の変更と配線やブレーカの交換工事だって必要な事が多かったんだ。

例えば1970当時の日本の普通の家と仮定して、中には新築ホヤホヤもあろうが平均を取れば築5~20年位経ってるのの方が多いでせう。
すると電気系統の設計は容量も含めその分「昔の」だし、特に高度成長期みたいに進歩が早いとそれだけ旧弊な設備になっとる訳ですよ。

更にそんな時代でも全ての機器更新サイクルが短く盛んだったんでもなく、まだ一応使えるのがあった家では旦那がオーディオヲタでても無い限りステレオ如きは継続使用があったり前。
俺の実家の新し物好き親父でもラジカセとかはすぐ買い込んだが、ステレオは遂に一度も更新せず一生を終えたわさ。

尤も親父はちっともHi-Fi趣味じゃ無かったんで、気楽に聴ける装置にしか興味が無くなって久しかったけどさ。
でこんな意外な真実みたいなのは今だってそこそこ隠れて存在してんだが、日本では1980年頃迄はある所には球機器って結構一杯残ってたんだ。

尤もⅡでそんな古臭いのが未更新ってのは普段殆ど使って無いからってのも大いにあったろうが、機器自体以上に使用者の常識はそれより更に遅れて後から着いて来る事となる。
なので俺の実家の球ステレオだったら7Wpeak/4Wrmsしか無かって、けど’65年当時だとそれで平均的なスペックどした。

まあ球のは高能率スピーカと抱き合わされてた分、1Wあたりの実効音圧は今の石のの2倍程度はあったけどね。
これプラス大変重要な今との相違はローエンドとかハイエンドなんて無きに等しかって、音色的には今よりふくよかでも中低域が豊富なのであって低域は今より全然出せて無かった処だ。

かなり以前述「音波は1オクターヴ下がると波高が2倍」の性質から、低音の出る装置程実効出力音圧は大きくなる。
のが↑みたいなのだとロクに出ねんだから、最大音量はその分更に抑えられちゃってたのよ。
そんな環境下で例外だったのはの喧しい食堂・工事現場等のTV・ラジオを除くと、大衆車内のカーステ位どす。

何の事は無い車内騒音が今のより10~20dBも大きかったから、自然発生的に大き目が許容されてたん。
さりとて近年のサブウーハ載せてて信号とかで横に並んで止まられるとこっちまで揺さぶられるなんてのは夢の又夢、唯でさえ喧しくて疲労が激しいんでお気に入りの1曲だけとかそんなで皆限界だったのよ。

故に当時リアルタイム人の感覚的記憶ではガンガン鳴らしてたっても、今平均と物理比較すると全然「大人しい音量」だったんだ。
強いて言い添えとくとすれば物理的不足を補う心理が働いたかは全く分からんが、気持ちの高揚は明らかに昔の方が高かったけどね。

<つづく>

2022年9月22日 (木)

音楽備忘録1133 楽器Amp同士の組合せの話し③

当記事の狙いからするとアカデミック偏寄気味なんで、これと次で理屈は一旦終止符を打って具体例へ進むべく奮闘中につきお赦しを
だばとっとと進めてくが、出力増幅素子差に依る実用上の音圧差の件だ。

同一出力値のでザックリ目安は、球に対し石のは70%前後。
但し歪みに対して一般よりシビアにすれば、80%前後と差は縮まる。(この場合球の最大音量が実質10%目減り)

尤も実際にはどっちの素子でも設計上の実用歪み率の解釈の違いの影響もあるので、出力数値より「増幅素子の容量と組合せ」から推測した方が当確率が高いんだ。
先により単純な石の方から行っとくと、こちらは無名劣悪品以外’80年代以降のであれば設計基準の差はほぼ無くなっている。

その由来はっつうと以前は今より、楽器Ampはすぐ歪む物みたいな通念があったからだろう。
これは球の方にだって影響を及ぼしちゃいるんだが、その方向性がどっちかったら逆に出たん。

このサンプルに過去定番のFender Twinreverbの変遷で例示してくと、原設計時点での公称平均出力は85Wだった。
のがバージョンアップ2で100W、3で135Wにアップしている。(後にver2に逆戻りさせてるが…)

でこの公表値物理的には一切盛りは無いんだが、Countryの主役等極限られた無歪みサウンド時以外実用上は出力面での差は無きに等しいん。
のは所謂6L6系パラレルプッシュプル構成ってのが、基本的には実用最大出力を支配してるからなんだ。

同等となる組合せは他にEL34系×4等で、どちらも本数の半分(唯のプッシュプルとなる)のは50Wクラスとなる。
では何故まるで盛り表示みたいな真似してたのかったら当然商売だからってのもあったろうが、当時米ではCountryの勢力が過半数を超えてたからだ。

その証拠ってんでもねえがAmpブランドのもう一方の雄たるMarshallの方は、この様な方向性のバージョンアップを一切していない。
実際にはTwin君が135W迄背伸びした処で、M君の100W 3段積みたいな音圧は稼げてねんだ。

それが前述エンクロージャの差に依るんだが他の面も含めると、回路側出力は90~135Wと45~75Wは夫々の該当クラスの100と50を実用上の容量と考えとくのが妥当なのだ。
又以前述だが50Wより小さい方ではその差が10W以上だと大体誰にでも感知出来るが、これを超えると「倍々ゲーム」にならないと専門家でも明確な判別が付かなくなる性質がある。

俺知りで印象にある例外ってぇと、上手く虚を突いた!?MESA/BOOGIEの6L6系×6位だ。
球の仕様上電気的には200Wにはギリギリ届かない位なんだが、歪む方が喜ばれるブランド!?の利を生かして200Wクラス扱いしちゃってやんの。

何れにしても4本の135Wや↑6本の200Wは用途限定がキツイんで、ドンズバ以外時は上出の「クラス」で扱う事になる。
因みにホントに球4本で実用出力200Wが稼げるのは6550とかKT88って形ので組まれたヤツで、Marshallの一部等回路全体は100Wのへ球だけ挿げ替えた様なのはそこ迄出せていない。

しかしディスる気は毛頭ないんで擁護しとくと、後者は出力では無く音色(特に歪みの質)の都合でそうしただけで主目的が違う例外的存在なのだ。
尤もそんな選択方法が楽器Ampでは少数派も、オーディオ用途では寧ろ王道なのだ。

オーディオでは素子的フル稼働はさせてないのが圧倒的多数派で、リライアビリティも勿論あるが根源は球の性質にある。
少しでもリニアに濁ったりくぐもったりせずにと思うと、「歪み率の増加が緩慢な領域」だけをなるべく利用したい。

そして楽器の方で重用される歪みの個性は無効化し、素子選択の優先事項が「歪んで無い時の音色の差」に取って代わってる訳。
歪み時の強烈な個性と比べると味差は薄くなるが、楽器をオカズとすればオーディオはご飯に値するから寧ろそれ位で丁度良いとな。

わ兎も角上記俺言い「50W超は倍々ゲーム」は球固有じゃ無く、トランジスタだろうとICだろうと果てはデジタルD級だろうと目安としては全てに適応ざんす。
それだからこそ電力出力無確認は流石にヤバイが、一応○○Wって表記を目にしてたなら後はスピーカがどうなってるかだけ気を付けりゃ大抵はオッケーなんだ。

<つづく>

2022年9月21日 (水)

音楽備忘録1132 不当低評価の是正⓮

近年の若い世代になる程自分達のルーツを正しく意識する様になってるのは立派だが、個人的には安易な和テイストに走ちゃうのが一寸残念だ。
ってのは現代日本の日常にはアニメやゲームに出て来る様な和装や刀なんてほぼレスで、象徴的ではあるが当該現役世代の固有性が無いからなんだ。

ってな事から今日は過去の日本の洋楽作品の、不当低評価にスポットを当ててみよう。
正直演奏・録音等の純粋な技術レベルは本家に負けてるのが多かったから、俺自身もその部分に関しては変なコンプレックスが結構最近迄続いてた。

けどここ10年間位で本家の過去作で良かったのでも、楽曲や作品の良いので技術水準が高いのって意外と少数派だったのを痛感させられちゃってね。
理想は常に曲も演奏も録音も全部良いのが良いが、熟考するとそうなり難いには訳があった。

特に俺みたいに全部自前でやってみれば嫌でも実感出来るんだが、100%迄なら未だしもどれかでそれ以上を狙えばどうしたって少しは他が疎かになるしせざるを得ない。
もしかもっと天才だったらこの難題もクリア出来るか分からんが、音として実在する名作とするには仮に各要素が200%の集合体でも未達になる場合が大いに考えられるのだ。

要は俺言い「不毛音圧競争」とかと同じで、常にどんな曲ででも全要素を世界一の美人とかイケメンで構成するなんて無理だし寧ろすべきじゃ無いんだ。
役回りを越えて良くしても曲に対しては負の作用となるだけで、水準さえ越せてれば丁度足りるだけあるの位が最適なんだろうね。

これを踏まえ本題を考察してくと、昔日本の拙録音でも実は本家のLo-Fiのよりゃ音響的音質は悪く無かった。
但しサウンドの個性では著しく凡庸なのが多いが必ずしも演奏や編曲はそうでも無いから、良い部分だけを参考にすれば良い。

一般的に耳に付くのはアクロバティックなのとか目立つヤツで、そのインパクトの強さからつい真似してみたくなったりする。
んが実際の楽曲の料理で迷ったりするのはそんなのじゃ無く、奇抜がもたらす効果はその範囲が結構狭いもんだ。

だいいちポピュラーでシンプルな売れそうなのとなれば奏法的離れ業はお邪魔となる事が多く、しかし誰でも弾けそうだが発案困難なバッキングフレーズには幾らでも改善の余地がホントはあるのだ。
自分が本職だからってのもあろうがこの点’70年代中頃迄のBassフレーズには目を見張るべきのが散見され、個人的に最も参考になったのは岸部一徳氏のポストGSプリ役者期の仕事だ。

当時自発的にはPYG請負い仕事では井上堯之バンド名義で色々携わってて、前者より後者のTVのテーマソング等に実に秀逸なのが盛り沢山だった。
Guitarに関しては洋楽系が基準になってると失礼乍らChar以前で印象深い人が俺には居ないが、コード使いやバッキングの仕方ではかまやつひろし氏の一部のに本国を凌ぐと感じられるのがあった。

何れにしても個人的に特に文化面で現代日本人はバカばっかと感じてて、教わった習ったものは忠実にこなせても応用力や柔軟性の乏しさが不当低評価の現況に繋がってると感じている。
奏者ってば高難度のが弾けるか等愚直な視点を持つのも間違いとは言い切れんが、劣化本邦じゃ音楽はスポーツ等とは違うってのが分って無い奴が多い。

スポーツ等なら新記録がキッカケで興味を持つのも意味があるが、音楽となると楽曲の良さ最優先で他は全て従となるのだ。
凄いイケメンでも演技が下手なら役者じゃ無くモデルの方が合ってるなんてのがあるが、音楽には残念だがサウンドだけ優れてりゃ良いってカテゴリーが無いんすよ。

なので如何に個別パートの優劣でも、飽く迄全体を聴いて判定しなきゃ無意味なんどす。
純粋なヲタとして高難度に強い興味を持ってもそれは無問題だけど、興味対象の異なる相手には一切通用しないのは忘れるべからず。

確かに高難度みたいなのはセンスレスでも明確に判別出来るけど、楽曲の必然性から生まれたの以外は実際に用いて効果が得られる場面が無いんどす。
なので評価ヲタさん達はもっと非ヲタの人と仲良くすべきで、それぞれが非リンクな劣化本邦はそれ故価値観もガラパゴス化しちゃっとんの。

<つづく>

2022年9月20日 (火)

音楽備忘録1131 ネタ元⑦

ここでの前述で番組テーマ曲も有力候補と書いたが、近年は低予算化の影響もあってかマイナー番組やB級アニメ等以外のクウォリティ低下が凄まじい。(普通に考えると変だがそれが実態)
ので昔より簡単に目立つ所から頂こうとすると失望し兼ねない面倒さが生じちまったが、ポピュラリティを追及する人にとってかなり重要な長所があるんだ。

音楽が主役の場合は、作者の都合で想定より多少小節が増えたり時間が伸びても構わない。
だが脇役の場合与えられた時間はほぼ絶対の存在なんで、例えば俺の文章みたいに説明に手間取ってたりする訳にはどうでも行かんのよ。😢

その点質的にはTVより期待出来る映画音楽も、TV映画(今はもう死語け?)の方が好材料が多かった。
尤も映画だってモノクロ時代のみたいなローテクのだと(半失礼)、恐ろしくアッという間に終わっちゃうのもあったわさ。

まっどれにせよそれ等は極力説明不要(ここでは音での説明)な纏め方を要し、そうしなきゃ曲の本編を流せる時間がどんどん減っちゃうかんね。
したっけどんな部分で一般用途!?の音楽と、違いがあるか列記しとこう。

その1:インスト若しくは歌より器楽の比重が重くなり目
番組の演出次第ではナレーションや挨拶が重なるケースもあり、歌が邪魔になる若しくは歌詞を全部聴き取れる状況では無くなる。
し下手に言葉に依る制約が付くと開始当初は良くても、後になって番組内容と合わなくなる事も。

その2:歌詞の量と使える言葉の制限が強い
テーマの趣旨縛りと時間枠からの語数制限もだが、それ以上に細かいのとか独特過ぎる表現がフィットしなくなる。
お客さんの興味対象は大抵は曲より番組自体へ向いてるから、聴く・考える労力ほぼレスの分しかその場では認知して貰えない。

その3:音の仕掛けでも一定以上の時間を要するものは全て使えなくなる
もしドラマチックとかワイドな表現をしたいなら、かなり次の展開を早くしなくてならない。
だがそれでいて如何にも急いた感じがしては駄目だし、聴ける頻度も少なくなるから例えば3回目で漸く理解出来る様なのは使えない。

これ等から必然的に受ける感覚が同等なら極力シンプルが求められ、秀逸なコピー(言葉)の様にたった一言で全てが伝わり意図した世界観に浸って貰えるようにしとかなきゃなんない。
んがそれってポピュラリティの根幹で、時間余裕があったり放送禁止用語不問の時だって無駄に難解にして得する事は先ず無いよね。

音楽が主役のでは番組テーマやCMの場合より大抵枠は緩く大きいけれど、例えば4小節のをホントは精製すりゃ2小節で表現可能となれば残り2小節には他の要素を入れられるっしょ。
ここでの精製とは必要度の低いのを省いて行くのが主で、必ずしも何でもかんでも最低容量に圧縮しなきゃなんない事ぁ無いけどさ。

けれど断捨離じゃねぇが音楽だって無駄・不必要にはかなり継続的に注意してないと、何時の間にか余計なのが溜ってっちゃってゴミ屋敷化したりするのよ。
なのでポピュラリティが少しでも気になる人にはほぼ絶対、コアヲタ道まっしぐらの人でも何か怪しさを感じたりしたら耳を傾けてみた方が良いんじゃないかな。

ニーズとは距離感が結構あったとしても、良い意味での極例は整理対象ポイントが最も分かり易いからねえ。
但しもっと奇抜にとか変態的にしたい際は、これ等のサンプルはあまり向いて無い。

つっうかそもそもそんな要望には音楽界内部から探そうってのが虫の良過ぎる話しで、なるべく無関係な処から引っ張って来ないとさ。
Jazz系での不協和音の活用は当時としては画期的だったけど、それ以上の発展を阻んだのは所詮は内輪ネタ(音楽理論限定)だったからだろう。

<つづく>

2022年9月19日 (月)

音楽備忘録1130 昔のRock系は大音量で聴くべきもの???➊

バカ丸出しをものともせずちゃっかりしたテーマを進むが、これでもその裏に誤認の解消って狙いはあるんだよん。
俺の記憶内にもRock系だと爆音で聴く人が多かった印象はあるが、その実は音量より音色や表現の影響の方が大きかったんだ。

歌の実再生で大きかったチャンピオンは演家系で、これには一寸した当時ならではの背景があった。
昭和の途中迄は家長が怒る場合は怒鳴るの容認だったりしたんで、特にオッサンの大声は皆が訊き慣れてたんだ。

又楽器の瞬間最大音と比べると流暢な歌だとピーク成分が少ないのと、息の関係で持続時間がブツ切りになるから堪え易い。😅
いや当時の子供(俺含む)にとっては例えばデカ過ぎる村田英雄とかって、ホントは拷問同然だったんだけどね。

不機嫌で一々細々叱られたり小突かれるよりゃ、暫くご機嫌で居て貰った方がマシなんてな調子でして。
それが自分がオヤジになった暁には最も家族忖度が強要されるなんて…、この理不尽どう落し前付けてくれるんや~あぁぁ…って最早叶わぬ夢同然か。

わ置いといて今よりもソースの内容次第で許容値にかなり差があったもんですから、アングラRock系だと極一部の人格者を除き米の黒人差別全盛期に勝るとも劣らない状況が御座居ました。
平成以降の日本しか知らなかったら眉唾と思うかも知れんが、エレキ=不良に始まりバイクを目の敵にした東関東中心の所謂「3無い運動」なんてのも今の壺案件並に理不尽でして…。

ぬぬっ今になってみりゃもしや↑の裏に既に壺力の働いた疑いもあるが、何れにしても当時の常識感覚と物理音量はソース次第で無茶苦茶ランダムで非リニアだったんす。
なので俺は強引な方だったけど子供が不良Rock(当時大人の主流派の勝手な決め付けだが)を聴こうとしたら、こっそりバレない様にが基本どした。

オマケに今と大違いなのが個人用再生装置なんてのは未普及も良い処で、オーディオ用のヘッドホンだって旦那がJazzファンででもないと一般家庭になんかありゃしない。
故に少なくとも小さくない音量で聴ける機会は極僅少で、耳の場所で計測したら平均値は恐らく今の通学生より遥かに蚊の鳴く様な状況だったのは間違い御座居ません。

そんなのもあったからか○○喫茶だのレコード屋の試聴室が大モテで、つまりこの方面での大音量って当時のは実質は適正音量なだけだったんよ。
これからすれば日常的には必要を下回る音量で、小音量忖度なんかしてないソースを聴いてたんだよねえ。

なので勿論時々残念感は覚えたけれど、今の違法・違憲国葬強行に対する腹の底からの恨みみたいなのはそこに一切存在しなかったなぁ。
結局今劣化本邦の不毛極小音量過忖度ってのは、闇雲にディテール掘りに執着した結果なんじゃないのかな。

確かにボケボケのを聴き取るのにそれなりの労力は使ってたが、劣化今本邦の聴き疲れ強要ソースよりは楽だった。
これ別観点では今の日本は音楽の楽しみ方がド下手になったとも考えられ、楽しむの基本は分析耳を最初から稼働させる様なもんじゃないんだよ。

確かにパフォーマー的には俺だって折角演ったのはなるべく聴き取り易い状態であって欲しいけど、曲全体やムードを犠牲にして迄そんなのは望んで無い。
これ俺が達観出来てるとかそんな高尚なのとは無縁で、先ず「良さげ」に感じて貰えないと聴こえる様にしてあったって聴いて貰えなくなるじゃん。

昔のは技術的限界からそもそも大体ですら全部聴き取れるが不可能だったから、黒観点では次善策で雰囲気だけでも尊守してた面も否定し切れないけどさ。
だが更に視点を変えると音響的には優秀で音楽的にはパーデンネンにしちゃうのって、制作スタッフの責任逃れにも見えなく無いぞ。

<つづく>

2022年9月18日 (日)

音楽備忘録1129 楽器Amp同士の組合せの話し②

初回は基本的な出力比の目安を述べたが、以前述の如くスピーカエンクロージャとその能率次第で実際に出て来る音圧にはかなりの差がある。
ので先ずは録音やAmpの最適設置が可能な状況限定で、スピーカの相違に依る影響を過去重複御免で綴ってこう。

これに際し条件を付けて限定した訳を先に話しとくと、指向性って別パラメータも影響力を持ってるからだ。
要するに設計次第で「音の拡がり方」が色々違うんで、同一距離・角度で聴いても実際に耳に届く音圧に相違があんねん。

せやけどオッサン正面で聴いとったら平気なんとちゃうなあんた、指向性の広いヤツになる程エネルギーが拡散するから狭いヤツより正面のは小さくなるん。
その代り指向性範囲内だったら音圧変化が僅少になり、これは狭い場所を最低数でカバーする目的のPAスピーカ等で既に採用されている。

残念だが宅のハコなんかが↑に見事合致してて、PAツィータの平均的指向角度30~90°に対し宅では100°もあるのを使ってるよ。
っても設置空間と予算がたった1つ分しか捻出出来ず、今時稀有なPAがモノラルって…。💦

それが楽器Ampでは構造と使用上の都合(隣接してる場合どっちからのか全然分からなくなったら大弱り)もあって、たまに店舖とかにある無指向性若しくは全指向性スピーカはおろか上述広角PAのみたいなのすら滅多に存在しない。
更に使用場所には無響室以外には様々な残響特性があって、これ次第でも最高だと天地が引っ繰り返る程の違い差が生じる。

のも後に筆者に余力が残ってたら掘ろうとは思うが、環境が千差万別過ぎるんで同時に扱っちゃうと訳分んなくなるだろうてのぉ。
そこで取り合えず音響スキルが無くても見分けられる箇所で行ってみるが、その1はスピーカの裏側が封鎖されてるかどうかだ。

空間的に開放されてても高域は後述の事情で裏面からだと得られないが、中域の拡散性はそうしとくと劇的に良くなる。
っても籠っちゃうんじゃしゃーないやんは確かだが、前面側でも高域は狭い指向軸から一寸でも外れれば忽ちその量が低下してるんでね。

観客優先時設置時の奏者耳への聴こえの平均は非指向軸上になる方が多く、それと比べてしまえば裏から音と大差無いのが実態なんだ。
ので観客のみならず合奏者にも配慮するには適した方法で、音響性能的には少し劣っても俺言い「音楽合奏性能」はかなり優秀となっとん。

尤も現代の録音水準だと録音時中低域の明瞭度やローエンドの性能に劣るんで、無観客でも後面開放型エンクロージャのは過去比だとあまり好かれなくなって来てる様だ。
只それも残響の極端に少ないハコやバラ録りも増えたからで、ほぼ単純に距離の遠近に応じた聴こえとなってくれる点で扱いは最も楽だ。

諸事情からBass用では絶滅し掛ってるので何だが、それ以外用途のでは後面開放型同士の組合せならスピーカの総合能率だけ気にしとけば大抵はバランスさせられる。
っても電力出力の値とそこの回路が球かそれ以外の素子かも無視出来んが、こちらの影響度はほぼ固定と考えて差し支えないから一度覚えてしまえば済む。

この件の内容は次回に譲るが、使用環境とスピーカエンクロージャの様々とその組合せはほぼ無限。
なのでこれへの対処の労に比すと、大雑把に覚えときゃ済むヤツなんて苦労の内には入んねんだ…と俺は思うんだけど。

<つづく>

2022年9月17日 (土)

音楽備忘録1128 不当低評価の是正⓭

今回は珍しく内輪ネタじゃ無いんだが、アニメの実写映画化の記事で違和感を覚えたのからの話しだ。
それはTake Me Home,Country Roads(曲)の件で、その記事としては必須じゃ無さそうもオリジナルが省かれてたのに引っ掛かったんよ。

当該曲が最初に世に出たのをリアルタイム体験してたからこそなのかもだが、恐らく海外でも有名なCountryの人John Denverの代表曲なのに一切触れられて無かったんだよ。
今劣化本邦ではジブリでの本名陽子さんのカバーの方が歌詞が日本語なのもあって馴染みがあるのも分からなくは無い。

が英語版でも日本ではしばしばOlivia Newton-Johnで止まっちゃう、ってのはどうにも頂けんがな。
この曲自体が出て直ぐにワールドスタンダードになってたし、本家John Denverに他にもそうなってる曲が幾つかあるのがそんなじゃきっと洩れちまう。

日本限定でも少なくとも当時の洋楽ファンには本家のイメージしか無く、尚且つそれでヒット歌謡曲と近似な捉え方がされてたんだけどねえ。
英詩ってもBeatlesとかと近似で外国人に最も親しみ易い部類で、近年なら英語圏の人にとってのBabymetalの日本語詞みたいな感じだったんだ。

それにOlivia Newton-Johnってったらなんてったって、そよ風の誘惑(Have You Never Been Mellow)の方が圧倒的に印象深い。
確かにDenver氏の様に程々の時点で早逝してると、本人不在なだけに多少なりとも存在感が薄れるのは仕方無いけどさ。

けどジブリアニメで「平成初期の団地住まいの庶民の娘」が関わって、全く違和感が無いものとして選曲された程スタンダードな訳っすよ。
尤もジブリので例え日本語詞で歌が変なリズムになったカバー(おっとスンズレイ)にせよ、それでリバイバルされなきゃ劣化本邦では曲自体が埋没してた可能性が否定出来んがね。

わ兎も角普段相当Rock系を標榜しといて何で持出したかっつうと、CountryがRockの直接のご先祖様だからなのだ。
無論Rhythm&Bluesと共にこれ等のみでは無いけれど、近年の日本人がRockを演ろうとして躓いた場合Countryに疎いのが原因多数派だからなん。

広義のRock内でもロカビリー系の人は大部マシだろうが、近年のサウンドやアンサンブルへ上手に取り込むには「Rock登場以降のCountry」の重要性は計り知れんのどす。
劣化近年本邦ではもしかCountry→田舎→長閑だけのイメージかもだが、暴れ馬や怒った牛を何とかするとか厳しい自然に対峙するなんてのも主要テーマになっとりゃあす。

静的とか非暴力的ってんなら心は激しくてもFolk系の方が上だしネタとしても向いてて、開拓時代の他人の迷惑顧みない粗野なカウボーイが馬でって今だと≒ルーレット族や暴走族同然だかんね。
ってJohn Denverにはそんな曲が殆ど無いのに語ってるのが、杜撰大王ならではになっちゃってっけどよ。😅

けどロカビリー黎明期って乗り物を馬からバイクや自動車に替えたも同然で、変な例えだが子供番組のヒーローで鞍馬天狗の後の月光仮面はとっちゃんバイク(ぉおっと失礼)ってのも同じ流れどした。
因みに’60年代当時は今のスポーツバイクみたいな容姿のはまだ無かったからそうなっただけで、然るに’70年代に入ると変身後のキカイダーのはレーシングタイプ・ワイルド7のは白バイと暴走族御用達魔改造の合の子みたいなのにちゃんと!?変化しとったよ。

とっとと戻ってスピードやパワー感ではこっちにはあまり参考にならんDenver氏のも、コード進行や伴奏の小技に関しちゃ結構秀逸なのが少なくない。
それとこれは彼に限定されないがChorus(歌)の音程間隔の取り方等で、Guitarのパワーコードみたくメジャーマイナー感を殺したのについてはCountryはその宝庫なのだ。

これでCountryがユニークなのは伴奏はメジャーマイナー感が明確にあって、Chorusのだけそれが無いのが頻出したりする処でさ。
強いて言うならこれに依ってFolkとの差別化を図ってるとも看做せ、RockでありながらPopさも併存させたいとかその逆にしたい時にとってもタメになるのよ。

<つづく>

2022年9月16日 (金)

音楽備忘録1127 ネタ元⑥

和音の次は面白進行へ言及するが、原典が古かったりある程度有名なパターンのでも構わないならClassic系はやはり宝庫だ。
ここでの進行とは純粋なコード進行よりメロとルート音の関係を主に考えてて、この手のは一般的なコード進行概念だと思い付け難い面がある。

無論どっちから攻めてったって最終的にはちゃんとコード進行はあるんだが、ルート側が頻繁に動く類いのはハーモニーを後回しにした方が行ける処へ行け易いと感じている。
無論Ⅱでこの手ので古臭くないのだとJazz系が中心にはなるが、主旋律の背後でとなると複雑過ぎたり奇抜過ぎて制約の強くなるのが少なくない。

劣化現代本邦での是又偏向の1つにJazzと言えばインスト物みたいな傾向を強く感じるが、その弊害がポピュラリティと汎用性に及んでいる様でね。
Jazzでだって一般的大ヒットになったのの多くはポピュラー系歌物が主軸で、それ等は後のProg系(プログレ)やFusion系程凝ったりひねたりなんかしてない。

のこの件との関係性が歌バックでの動きで、売れ線のは歌メロがジャジーでも奇特な音列になったりするのは少ない。
つまり他の一般的なポピュラーとの差が僅少なんで、典型的な変態進行が使える場所は主に歌の無い箇所に限定されちゃってたのよ。

ので普通のに変態を取入れるサンプルとしてならインスト物は良好も、変態迄行かないが基本が一風変わった進行等のネタにはあまり向かないん。
っても前述Smooth Jazzには一部好例が含まれててそれもあっての早期推奨だったが、付加ハーモニーの影響最小でとなると元祖はBachのみたいなシンプルなのの方が参考にし易いんだ。

尤も元々Classic系を習ったりしてた人なら半分常識みたいなもんで、最終的には求めてるのと既所持の知識事情でネタの場所は幾らでも変動するんだけどね。
けどそれにしたって本国でのとこっちのではベーシックの概念や定番にかなり差がある様で、しかしどちらさんにだって外面みたいなのはあってもおかしゅうなか。

例えば外人から日本の代表的Rock歌手はと問われたら、大多数は矢沢永吉とかって答えるだろうね。
が日本在住者にとってのって在住を足してやったら、俺は永ちゃんじゃ無く忌野清志郎だと思うんだ。

存在だけに限定すりゃ内田裕也の元祖の部分の方が重いだろうし、けど歌われてた一節を思い出せるのって方向で考えると清志郎の方が有力なんじゃないかな。
俺自身は清志郎ファン成分0%なのにこう語るのは、たとえば「昼間のパパぁわぁ~」なんてのがいとも簡単に出て来ちゃうからなんだ。

私分析に依ればRockポリシーの根幹「反骨精神」を頑なに守りつつ、あんなに多岐に渡る題材を歌ってた人って他に想い出せない。
ので完全無意識で知らん間に皆が参考にしてた可能性が高く、けど対外的には清志郎やサザンより永ちゃんの方がもっとカッコイイからそっちを提示したくなったりすら~ね。

なのでどうしてもそんな部分では内と外では扱いに差が出るのも半必然で、けれど「実際に作ろうとする」となるとこの余計な壁は取っ払ってやんないと実に都合が悪いんだ。
それが今は主流じゃ無くなったジャンルので海外のとなれば、こっちが先に↑みたいな注意を払ってないと辿り着け難い側面がある。

その到達困難な俺言い「一般人用Classic系」(今日本での定番の多くは上級民様専用)の代案はっつうと、私的には所謂イージーリスニングがかなり役立っている。
厳密にはこの目的では二番煎じ三番煎じだったりはするが、例えばBachとガチンコ対決するつもりでも無ければ方法論を学ぶのに大きな不足は無いずら。

<つづく>

2022年9月15日 (木)

音楽備忘録1126 今のRock系は小音量で聴くべきもの???➎

今回は前回のの倫理面中心で続きをやるが、これにはこの方面全兼業者の威信を賭けて臨ませて頂きやしょう。
な~ぁんてその実は極限弱小がもたらした偶然の産物でしか無いんだが、人に頼めないのって逃げ場が無いだけに客観的にならざるを得ないのは確かなんす。

それなりに色々な方向性で取り組んでみたけど、意外にもクウォリティを絶対視するのと最も楽しようとしたのが結構作業内容的には近かったんだ。
 ①その時の自分なりにちゃんと弾ける状態にする
 ②なるべく本質的には不要な後加工をしなくて済む収音方法を選ぶ
 ③演奏よりも編曲段階で問題になりそうな箇所を駆逐しとく

ざっと列挙すると上記の様な感じで、劣化今本邦大手作品は素人の第一印象に反し実際にはちっともそうなってない。
これにどんな負の作用があるかってぇと、先ず不毛な作業量の増加から各担当者の誰もがパフォーマンスの低下を招く。

それでいて無理に急かされるから雑になるし、特に聴き洩らし気付き洩らしと云うミスを頻発させている。
とは言え周りが皆カッチリハッキリしてる中へそうじゃ無いのを放り込むのはかなりの勇気を要すし、特に若い人だと意図的な懐古趣味系以外は全部をマイルドにするのもキツイかも知れない。

だが相変らずの暴論寸前だろうが全曲一様に最大の自信があるとか、全曲シングルカットして同程度に売れる自信や予算が無かったら却って露出度の強弱みたいなのがあった方が良いんじゃないかなあ。
まあ最近はあまりアルバム主体で売ろうとはしないみたいだからどっちらけかもだが、注目した或は評判になったの以外は大した事無い曲の癖に聴き疲れするなんてならない方が良いのは変わんないっしょ。

ほいでチョイと脱線させるが「昔の達人程仕事が早い」印象が、当時の体験がある俺には未だ印象深くてさ。
今しか知らない人からしたら単に昔の方が、何でも大雑把で構わなかったからすぐ出来ただけなんじゃって思うかもね。

実際そう云う部分だって少しあったのは認めますけど、多方面で録る時点での完成度が高ったからそう出来たってのが真相で御座居。
例えば沢山重ねたくたってトラック数は限られてるし、ボケアナログだから予定通りそれが分かる様に聴こえてくれる保証が全然無い。

そうすっと反ポピュラー系ですら狙った音世界の構築を、なるべく必要最低限で賄うしか無いからそっち方面へ思考中心が向いて行く。
結果半自動的でそんなに大層な思想等も無いが、仕事の方法論が単純化してい易いのだ。

今昔問わず必ずしもどれもがシンプルに行かなきゃならなくは無いが、録る際のパフォーマンスへ全集中するにはなるべくプロセス数も脳内課題も少ない程有利だしょ。
のでもし昔の達人何するものぞとかで行きたいなら、そんな部分で負けると分かってる方法なんか選んじゃったら勝負にならんのどす。

はたまた僕等そんなご大層なの夢にも思って無いですってんならどうせ大して売れやしないんだら(大失礼)、売る為に劣化世間に迎合してわざわざ作品生命を縮めたり将来の評価を下げるのはアホらしいでぇ。
なので困難な部分は一旦は諦めとくにしても、少なくとも録りの実験時と本番はもっと明確に区別しといた方が良いと思うんだ。

このテーマへ最後に駄目押ししとくとってホントは真っ先に記すべきだったろうが、幾ら極小音量に忖度しといたってもしそれ以下に落されたら忽ち無効化すんねん。
どうしても今の主流の手法でやってみたいならもう止めはしないけど、割の悪い方法だってのだけは覚えといて損は無いぜ。

<おしまい>

2022年9月14日 (水)

音楽備忘録1125 楽器Amp同士の組合せの話し①

連想ゲーム的に次のお題って最近少しパターン化し掛ってるが、意外と何処でもあまり語られて無い様なので不肖乍ら挑戦してみたいと思いやす。
私的にはかつてバブルの残り香で一時期Ampeg SVTが国内業界でスタンダード化したのに、この問題のシンプルな解決策も含まれてた気がすんのよね。

以前述の如く音波の理論に従うと、ある音程の1オクターヴ下のが同音量に聴こえるには倍のエネルギーが必要。
ってのは空気の波の事情で自然とそうなってるだけで、段階1:何かを大きく動かすと戻すのにその分時間が掛かる。

段階2:大きく動かした分勢いが付くから、更に振り巾が自然と拡大する。
↑の時間とは周波数(長さ)・振り巾とは音波の波の高さで、具体的には波高がも時間も倍になるって寸法ね。

但し単位時間あたりの密度は半減してるんで、平均音量は1オクターヴ上のと同じになる訳。
なんて言ってもどうも分かり難いんで実在現象から抜粋してみると、悪戯坊主が無茶吹きするリコーダーのピーとかって凄くウルサいよね。

けど音程が高いからクソガキの体力でも出せるんであって、躓いて転んだ時の音はデブオヤジ(俺か…😢)がよろけたときより遥かに軽く小さい音しかしないやろ。
身近な余談でウチって俺は普段下界に居て、食事とかで呼ばれた時だけ2Fへ昇ってっててね。

その時ついでで肩や首の凝りをほぐすのに変な動きしたりしてると、本人には完全無害なんだけど少しフラついたりする事があるん。
そんな際の足音が妙に大きく響くらしくて、家族から爺さん今凄い音と振動があったけど大丈夫か?って…。

きっと幾ら平気って言っても、その内の何回かは「今のは絶対転んだな」とか勝手に思われてんだ。😢😢
っと云った具合に低音出すのって多分一般イメージよりもっと大きなエネルギーを要すもんで、↑の場合重さの他にコケそうなのを踏ん張ったパワーで余計大きくなってるんだろう。

今の俺に芸人みたいに体を張って実験する勇気が無いから証明出来んが、脂の乗った体だと実は転んじゃった時の方が音と振動は小さくなる時もあるんじゃないかな。
踏ん張れないで逝った時はその分エネルギーは減ってるんで、もしお宅に年配者が居たら音や振動の大きさだけで無事と判断しない方が良いかも。

ってな事って条件無しで実質的にバランスの取れるAmp組合せ例としては、GuitarとBass用だったら最大出力音圧がBassのは倍居るんす。
’80年代に石でもAcousticが大いに巾を利かせてたのも↑に適ってたからで、全盛期に最もプロに使われてたのは320Headと15inch×4の408エンクロージャだった。

これでプチ付記の必要性を感じるのがスピーカユニットの特殊配置で、一見巨大ではあるがダブルユニットのバックロードホーン型か何かにしか見えなかった処。
では残り2つは何処へったら、正面真ん中にあるダクトの天地面へほぼ向かい合わせで付けてありやんの。

明るい場所で現物を上手に覗けたら少しは見えるかもしれないが、只でさえそっぽ向いてんだから保護ネットの張られたままの画像では分からないのも仕方無い。
杜撰日記:かなり後年になって4つが信じられる様になった挙句、ちゃんと調べて確認取れたのは何と今。

それでいて忘れてた型番を確認したのは中坊時代に買った本と、冷房付人力車と扇風機すら無い飛行機みたいな異常な状況。😓
俺自身は数回程使った覚えはあるが観察する時間が無くてこんなんなってるが、スペック程特別音が大きいとは感じなかったよ。

人に依ってはその頃の「トランジスタ歪み」のを好むらしいが、球のより歪むと音が潰れるからその分無理は利かなかった。
ので物理的には出力300Wなんだが、Guitar Ampが球のだと130W前後のとで大体バランスする感じだったね。

因みにその頃のGuitar Amp出力は、Fenderの100Wクラスので135W・Musicmanのだとビルトインの1つの例外を除くと130Wだったからピッタシカンカンか。
と言いつつそうなってくれるのはスピーカ総合能率がイーヴンの場合限定で、Bass用スピーカユニットはローエンドを出す為に音圧が犠牲になってるのが多いんだ。

<つづく>

2022年9月13日 (火)

音楽備忘録1124 不当低評価の是正⓬

さて近回は探索方法等へ偏り気味だったが、それが本件では露出の少なさ→認知度の低さが不当低評価とも大いに関係してると考えてるからだ。
これが又劣化本邦ともなると最悪に近い状況で、かつては美徳意識今は商業上の都合で実態隠蔽が甚だしい。

基本的に日本主導の国内録音作品は海外販売想定の無いのが多く、仮に売れたとしても世界規模観点では販量が桁違いに少ない。
のもあって元々追及要求が少ないにしても
、英米等と比べると職人集団の認知度は隠さなくても格段に低かった。

しかしだからってキーマンになる様な人が居なかった訳では無く、もっとそんな達人達へ良い意味での敬意を持ててたら海外稚拙パクリ依存から脱却出来てた可能性が拭えんから実に惜しいんすよ。
そう語っといて個人的には大して和のテイストを付加する気が無い杜撰大王だが、現況の狭い範囲からだけの引用が続くのはもう勘弁なんすよねえ。

では何故そうなるか私分析してみると、結局はネタがアニメやゲームを通じて知ったのしか無いからなんじゃないかな。
ではⅡでネタ元の作者達は何処から仕入れたか推察すると、古い文学や映画等もっと多岐に渡ってそうだ。

この面で一応私的としとくが激奨しときたいのがJohnny,Louis & Char(Pinkcloud)で、祭囃子その他歌物に執着せずエッセンスだけを巧妙に引用してるからなんだ。
前者つまり現行の和のは歌詞込みのが殆どで、それって実はとっくの昔から演家系では多用されてんだよね。

一方後者のは限られた一部の時代劇伴奏等に垣間見られただけで、歌詞に依るフォローが無い分音だけで成立させなきゃなんないから実際かなり難易度が低くない。
だが発展性へ目を向けるとかつてYMOがアジアンテイストで成功した様に、日本語で海外でも売れるとしたらBabymetalのみたいな流行り単語位で精一杯なんすよ。

そんな状況なんでほぼ誰の役に立ちそうに無くても以前記したThelma Houstonや、前回記載のJohnny Riversみたいなのをここでは今後忌憚無くジャンジャン書いて行きますわ。
処でここ迄は佳作が少数で低知名度とか作品名義が分散してて低知名度なのに触れて来たが、有名でもそれが仇になって不当低評価となってる人達も居たんだっけか。

今の日本じゃ想像すら困難化してるだろうがそもそもはあのBeatlesやStonesですら、登場は当初本国ですら一寸売れただけの若造扱いだったんだ。
誠に遺憾乍ら暗い現状に一筋の光明をってな感じで、拙日本にだって過去には幾つかは世界に誇れる「先見の明」になったのがあった。

それがQueen,Kiss,Deep Purple辺りで、前2つは残念乍ら見た目から入ったのではあったけどさ。
けどこの3つに共通してたのがLiveで観客がのっけからは乱知己騒ぎをしなかったってのがあって、結果的に皆の耳に音が聴こえてたのが大きかったんだろう。

Bandの通常のLiveって登場人物はほぼ固定とか映像作品より絵面の変更が少ないんで、幾ら見栄え最優先でも音でアシスト位しなきゃ瞬く間に夢の世界が醒めちまう。
特に昔のになればなる程レーザー光線も無きゃ巨大スクリーンも無いから尚更で、上記しんがりのはヲタアドリブ主体とは言え「サルにも分かる」のを中心にしてたのが功を奏したのかな。

当時でもPsyche・Progre・前衛等では誰にも訳が分からん程良ってのはあったが、分かる上で凄いってのは他ではBuddy Rich位だったかな。
この話しで俺が妙に自信が持てるのは、完全な偶然だが成長途上で出逢ったからでね。

自分の意思でRockを選択し出したのが小学校に上がる頃で、単細胞な杜撰大王様だから当時の選択基準に感性以外が入り込む余地は皆無だったん。
こんなのちっとも狙った訳じゃ無かったんだけど、今にしてみりゃ感性主体ってのがどんなもんなのかでこの過去体験は大いに役立ってるよ。

これ音楽じゃ無くても全然OKで、憧憬とか懐かしみ成分抜きで鮮明に残ってる印象のの出逢い時を思い出しても良い。
そんな感覚で選別してけば、少なくともその人自身にとっての不当評価は避けられるんじゃないかな。

<つづく>

2022年9月12日 (月)

音楽備忘録1123 ネタ元➄

って事って今日は面白和音のネタ元お勧めをテーマにするが、やはり取れ高としてはJazz系が圧倒的に有利だ。
掟を守った範囲での冒険って面でJazzは嚆矢で、ハーモニーに対する野心も凄かったからね。

だがそれをRock系やPops系へ持って来ようとすると、そのままじゃ複雑過ぎたり前後と上手く繋がらなくなる方が多い。
何せあちらは野心の為なら節操無くコードチェンジしたりするし、最初からそれ用の進行を苦心して編み出したりしてるからねえ。

それを杜撰流に換言すれば実音版コードブックってなもんで、どれ位どんな奇抜なのがあるか知るには博覧会状態は好都合。
けど楽曲自体を高める目的で引用するには、案外それ用の限られた進行じゃ無いと厳しいとか別面での制約がある。

ので妥協点っつうかこの目的に合いそうな頃合い加減をと探すと、Smooth JazzとかLatin Jazz等と少々冠を付けてやると結構行けそうなのが見つかり
易い。
実際全てでは無かったがあっち呼称Smooth Jazzのが、
昔の日本ではEasy ListeningとかAOR扱いされててね。

Fusionについて師匠はLatin Jazzの進化形と断言してて、その当時の俺はオッサン何言うとんねんと思ってたけどさ。
今になって使われてた和音・音列・リズムを少し真面目に検証してみると、確かに他のよりは被るのが多かった。

わ兎も角俺は今も基本杜撰大王らしくジャンルには鈍感!?なのを全く改める気が無いが、こう云うバリエーションって面では気に入りゃ何でもOKで助かってるのかな。
例えばどちらも時期限定ではあるが上記前者ならEarl Klughの初期、後者ではLarry CarltonのRoom 335(アルバム)は出現時からリアルタイムでお気に入りのままだ。

但し自分内部ではそうなった根拠ってのもちゃんとあって、どちらも意外とワイルドだったり大雑把な部分を残してあった感じでね。
それが当時本邦一般傾向でEarl KlughオッケーならGeorge Bensonも、 Larry CarltonオッケーならLee Ritenourもに俺は未だ全くなって無いのよ。

ここから自分にとってFusion系って特に嫌ってはいないが、そんなに趣味じゃ無いのの気付きにも繋がってるみたいだ。
この様な部分的にしか好めないのを探し出すのってあまり効率は良くないけど、好きと嫌いが同居してるからこそ自分の好みの絞り込みに意外と役に立つ部分はあるんだ。

とは言え限られた時間をそんなアテにならないのに浪費してもいられないんでどうするってば、こっちの意思に無関係に耳に入って来るものへも少しアンテナを立てとくのが最も現実的だろう。
俺の場合も↑例示前者はFM放送・後者は行き付けの喫茶店で流れてたのが出逢いで、前者は当時比較的頻繁に後者は音源がLPレコードだったから確認・認識する機会が充分にあったんだ。

現在は暮らしの変化からB級アニメのテーマ等がその座にあるが、短期的には効能僅かでも即実行可能な何気ない日常に流れる音をバカにしない方が良い。
勿論俺だって意識して調べる時は好みに近い所から始めるのが多いけど、音楽的ご近所情報なら時間経過さえ我慢しときゃ何れは大体勝手に揃って来る。

んが非専門且つ気になる箇所がピンポイント的なの程、ひたすら待ちの姿勢で居ると全然進展してくんないんだ。
とは言えそれなりに普段より労力を要す事が多いんで、取敢えずは書き留めるなり一部でも良いから記録に残しとくのがコツかな。

過去の俺の場合だと所謂断片エアチェックしたテープがそれに値し、最近は滅多に聴き返したりしなくなってるけどさ。
今に至る迄には何度も聴いてたお陰で何時でも即想い出せる位脳内に焼き付いてて、超低頻度だけど幸運な偶然に遭遇した際一瞬で「みぃ~けっ」になるんだわ

<つづく>

2022年9月11日 (日)

音楽備忘録1122 今のRock系は小音量で聴くべきもの???➍

ここからデジタルに依るエレキの薄細りの具体的な対策に進むが、かつてアナログテープ時代には逆の面での苦労も無くは無かったんだ。
本項前述の偶発聴き比べでも、実際に存在感は充分だが明瞭度に少々難の残る音になっててね。

若干弾き損じて痩せた箇所を補おうとしてEQで中域をちょい盛りしたのも不味かったんだろうが、該当箇所だけあまりに音程感が希薄化してたんでさ。
結果的に音列はそれで安定化したものの、和音の部分がメタボトーン化してて明瞭度がお留守に…。

只それでも全体としては音量の下がる所だけ高域が残る感じになってたんで、再生音量への対応力は割とある方だった。
のがデジタルの物理的正直さがこの面では仇となり、特別に配慮した処理が成功しないと音量の大きい所程明瞭度が高くなっている。

って本来原理的にはそれで真っ当なんだが、音楽でアンサンブルの場合は反原理に則して無いと聴き辛くなるもんなのよ。
その例として古くはステレオのLoudness・近年ならポータブルオーディオのBassboost機能等がそれで、音量次第で人耳の対周波数感度が変動→明瞭度が変化した様に感じるのの補正用だ。

尤も音楽の音源側のは人耳性質より、所謂マスキング効果対策の方が色濃いけどね。
要するに音量余裕があるか大き目の際は、過刺激回避も込みでさらに音量を上げられてもウルサくならない様にするのが要件。

で音量余裕が少ないとか無いヤツは明瞭度最優先、そんな風に変化してくれるのが好都合なんだ。
それを実現するのに現状では真空管の飽和領域の活用が一番で、具体的には随時吠えの耳音色的には歪みを感知し辛いが電気的には既にって領域ね。

只し辛いだけで無歪みでは無いからかつて全体の歪み率が悪かった頃だと、録る前は丁度良くしといても録ったら潰れちゃって駄目だったとか。
その後は歪ませ音色不使用音との比較で、どうも濁り感が気になるとかでコンプリミッタで賄う方向へ行ったのが多い。

但しこの用途ではコンプリミッタは普通の使い方では本当は足りず、しかし理解不足のままで居る人が今も昔も悲しくなる程多くてねえ。
確かに音量の変動が減るだけだって助力にはなるが、言うなれば上述Loudnessの逆特性を付与してやんなきゃアカンのよ。

それにはコンプリミッタのディテクタ(分析・制御)部に外部ループ(サイドチェイン)のあるヤツで、そこにドンシャリ特性のEQを挟んどくんだす。
そうしとくと低高域程敏感になって掛りが深くなるから、最大音量時はほぼ中域オンリーの性質を獲得出来る。

勿論その時に中域過多にならない様な補正EQも必要に応じ別途で適宣施しとくべきだが、手間や調整がかなり大事なのと概述「石の機械は一定の単純反応しかしてくれない」ので割がよろしくない。
ので私的には先ずは何でもなるべく球、その次は可能なら最低でも何処かの段階でわざと俺言い「アナログの洗礼」を受けさせるのがお勧めなんだけどさ。

必ずしも誰もがすぐに出来る方法じゃ無いんで何だけど、だからって無理矢理腐心して不毛音圧競争をする位なら上記手段の方が遥かにマシなんよ。
だって「音楽を殺さずに済む」んだからさ。

それと俺みたいに弾く人と録る人が同一だったら別だが、録音面での問題解消の為に余計に沢山弾かせてるとしたら技師としてはホントは資格剥奪ものなんですわ。
まさか悪政の手法がそのまま伝染しやしてないだろうが、偽宗教や黒経済に忖度偏向のある人だけが国の運営をやってる様なおぞましい状況でんがな。

<つづく>

2022年9月10日 (土)

音楽備忘録1121 お気楽に電気楽器を楽しむ方法⓱

もう1回だけ本筋からは逸れるが、ここでは少し希少なLive時の球関係の話しをお1つだうぞ。
主役の機器は以前述の国産初の真空管式ストンプで、そいつがたまたま殆ど歪まない音色も出せるのだったのに由来した。

のを唯の球プリの魔代用にしてた処迄記してたと思うが、歪ませる方へ特化させた多くの回路でそうすれば普通は雑音特性ではかなり劣ってしまう。
この際これの豆知識を披露しとくと、増幅回路の増幅率は必要最大に合せて設計されている。

つまり歪ませ不要のでは想定最大入力で歪まない程度に増幅率を控え目にしてあったのが、歪ませ用では素子の許す最大近く迄引き上げられているのだ。
ので当然歪ませ用のの方が所謂S/N比は大部落ちるんだが、多くの場合感度上昇に伴って増加した音量はその分下げて使われるからそんなに問題にならずに済んでんだ。

のでⅡでこの魔用方法だとわざわざ「小さく入れて大きく出してる」から最悪なんだが、単純な音色以上に過酷環境下での音の通りに大きな貢献があったから敢えてやってたんだ。
のでⅢでそんなだから録音にはほぼ使わなかって、しかも本来はGuitar用のなのにやったのはBassでね。

だから魔でも二乗と凄い事になってたが、当時のLive houseの平均的機材環境の関係もあったんだ。
近年は2流以下の店(スンズレイ)なら全部石ので統一されてたりするが、Guitar用はF社やM社のドンズバほんまもんでBassのだけ国産石のってな冷遇が平気でまかり通ってやがって…。

それで何より困らされたのが冷遇君の音の通りの悪さで、一部を除き物理的出力音圧不足のせいじゃないから大きくしたってロクな事にならない。(大抵は出力だって全然余裕は無かったが…😢)
その頃のハコっていや普通の部屋や乗り物もそうだったんだが、音環境の整備って思想が随分希薄だったからねえ。

だいいち迂闊に音量上げ過ぎりゃ変な共鳴や定在波のラッシュになって、グワングワンゴーみたいに地下鉄のトンネル内騒音みたいにしかならなくってさ。
そんな面で極限の1つ(当時お世話になった関係者さんごめんなさい)の典型と言え、あれもこれも駄目でもせめて○○だけマシだとみたいなのには格好のサンプルだと思うんだ。

因みにその時期ってアマからプロへ必死に登ろうとしてた頃なんで、杜撰野郎だってグライコやらコンプやら他の方法も一通り色々試してたんだ。
今からしてみると日本で使われるAmp類が過渡期っぽかって、そもそも組合せが変なのが多かったのにも苦しめられたがね。

ってな事ってもしストンプ1つ位なら買えそうって時、Guitaristや兼業だったら「無理すれば歪まない音色も出せる」球の歪み系ストンプって魔界基準では汎用でごわす。
実際の音を長期間聴かなけりゃ、球レスでも高機能・高性能のの方が魅力的に見えるだろうけどさ。

それと「パフォーマンス用の道具」は他の一般の道具とは違う面があって、試奏時に7割OKで後の3割は買ってから弄り倒せばなんて思わない方が良いんだ。
「音楽的な音」ってのは気紛れな変質者同然なんで、想定通りに向上・適化させるのが困難なのよ。

だから欠点よりも長所のたった1つでも満点と感じられる様なのを選ばないと、帯に短したすきに長しになり易いん。
人次第で拘り度に差があるから自分はこれ位でと思うのも浅はかで、普段妥協出来てても肝心な処で不足が出ちゃえばハイそれまでよだ。

なので万一間違いじゃ無く球の音が嫌いだったら珍し別だけど、そうじゃ無かったら特に電気楽器では球のにしとけば赤点に絶対ならないって感じなのよ。
本来のお題に沿って言うと、大失敗の危惧が無いからその分「選ぶのが楽」なんてな。

<つづく>

2022年9月 9日 (金)

音楽備忘録1120 不当低評価の是正⓫

本項数回前に「録音Studio」や「レーベル」からも昔のなら好みを手繰り寄せるられるのを記したが、前回提示のみたいに言うなれば「名のある伴奏プロ集団」の影響力も凄まじいものがあった。
っと振っといて最近迄幾らも気に留めて無かった杜撰大王様だが💦、単純に聴いて残った結果からも調べてみたら↑の傾向は想像以上に明確だったんだ。

所謂一発屋とは違うが良い作品が少ないアーティスト、っても所詮は私感に過ぎんがそんなのにもどうにも忘れられない程強く深く印象に残ってるのがそこそこあってね。
それ等に限れば劣化今本邦じゃ無くても評価は低目になりがちで、しかし人では無く音で優劣を付けるなら省いたら大変な存在だったりするん。

最近漸く入手出来たのにJohnny Riversって米の歌手件Guitaristが居るんだが、オリジナルヒットも僅かにはあるがカバーの方が圧倒的に多い人だ。
実はロカビリー系が根っこのPops系の人だったんだが、俺が気に入ってたのはFunkyなRockのでさ。

当初から分かってて探してた本命曲はRockin’ Pneumonia and the Boogie Woogie Fluってので、元は’50年代スキッフルのを’70年代Rockにアレンジしたヤツだ。
他に彼とは知らず昔からずっと知ってたのに自前売れのPoor Side of TownってのやMaybellineのカバーがあったが、前者はバリバリ’60年代米Pops・後者は俺言いアングラロカビリーってな感じで本命のとは全然違う。

そして上記2曲以外は駄目って程じゃないもあまり興味は持てず、俺本命路線では後はMemphis ’72っての位しか無かった。
んで同一人物でこんな極端な差が出た訳を探ってったら俺本命のには、Toto系以前にLAの録音界を牛耳ってた「The Wrecking Crew」って連中が絡んでたのが昨日判明。

聴き続けて丸々50年経たなきゃ調べないとは大したもんだが😓、敢えて言い訳すりゃホントに音を最優先で選んで無きゃ普通は起こり得ない事象であろ
う。
んでⅡで今更調べてから初めて知ったのが↑のWreckingは、他にも’70年代半ば頃迄の多数の名曲や好みのに携わっててさ。

私的近似例としてはKate Bushでは2枚目迄は伴奏も美味しかったのがそれ以降は一寸私的には落ちてて、その原因が英のPILOTってBandに居たDavid PatonってBassの参加の有無だった。
どうもKate Bush本人は3枚目以降のメンツ方がお気に入りらしいが、非ヲタの聴き易さの点や全体のバランスからすると私的には惜しく感じられる。

大失礼な比喩をするならJohn Lennonと一緒の時だけ辛うじて聴くに堪えるOno Yokoってなもんで、以前吠の奇抜と定番のコントラストは重要ですからねえ。
純粋に前衛とかに拘りゃ全部新規変態の方がピュアなんだが、誰にでも「どう変なのか」が分からんと折角編み出せて実行しても効果が薄いじゃん。

わ兎も角皆が皆常時固定メンバーで演る演れるとは限らないんで、こう云う着眼点も持って無いと俺言い「境界域の名演」が選外になっちゃったりするんですわ。
特にそんなのが目標のバイブルになりそうな場合なら死活問題も同然で、聴くだけだったら偶然見つかった都度喜んでりゃそれで良いんだけどね。

この件で今劣化本邦が致命的に駄目なのが「佳作でもほぼ放送しない」等で、同一人物の作品としてはタマが僅少なだけに出逢う機会が少ないと探してても見付けにくい点だ。
俺が知って興味を持てたのも当時リアルタイムでFMやFEN(AFN)で掛かってたからで、今よりずっと職人気質のディレクタやDJ氏が実際に聴いて選曲してたからだろう。

だが残念乍ら本邦では当分はマスコミに全く期待出来ないんで、そうなるとヲタ系Youtuberにでも期待するしかない。
んがそれすら本邦の著作権の誤った運用のせいで中々厳しいと、だから音楽関係者こそもっと盛大に政治に注文付けなきゃいけないんだけどね。

<つづく>

2022年9月 8日 (木)

音楽備忘録1119 ネタ元④

前回偶発した非効率をキーワードに据えると俺の実体験例の筆頭はコード(和声)で、初めてコードブックが手に入った時は大喜びで夢中になって一気に読破・試奏してみたんだ。
これでオイラもコードマスターなんて杜撰な事前想定してたっけ、確かに理屈は少しだけ進歩したが実用上はそれ以前とちっとも変りゃしねえでやんの。

ってこっちのその時の取組み方にも後から考えりゃ問題があったんだけど、俺にとっての難点は欲しい時に欲しい知識にはなってくれなかった処なんだ。
その問題とは特に経験値の少ない内は、好きな響きが何処にどうあってどうなってるかが未知に近い処。

今となれば結局はランダムに何にでも耳を通して、その中から地道に拾い集めるしか無いのが分かったけどさ。
その頃は少しでも早く掻き集めたかったもんだから、纏めて載ってる本って良いかと思ったんだ。

それが俺が手にした本が自分に合ってたかも疑わしいが、現実には楽器の音色や弾き方次第で各音の音量バランスとか色々変わるっしょ。
そうすると理論的には同じ和音でも響きはかなり多岐に渡り、つまり俺が求めてたのは「響き」(残響等は含まず)で理論的和声じゃ無かったんだ。

っても勿論音程の組合せでも響きは変わるんだが、要は優先順位が違ってたのよ。
この辺も無暗に譜面を嫌う!?一因で、そりゃ使用楽器やセッティングから各弦の弾く強さ迄完全に指定(つまりオタマジャクシが見えなくなる程書き込み)でもしときゃ少しはマシになるんだろうけど。

けどそんなんしたら幾ら初見が得意な人でも、流石に情報・パラメータ過多でリアルタイム処理は間に合わない。
それよりかあの曲の誰々の○○の処で鳴ってたヤツって、もし相手が知ってたらその方が遥かに簡単且つ近寄れる。

又この件で理論優先にすると問題になるのが、機材や各自の体格等だ。
その巾はかなりあるから狭隘な押えが要るのはデカいのが、広大なエリアを押えなきゃなんないのはチビには無理。

更に掘ると手の各指の長さ太さも千差万別なんで本人にすりゃ意外な盲点的に、微に入り細に入り適合・不適合がジャンジャン出て来る。
結果人に依って実用になるコードにかなり差が生じるんで、理論も不要じゃないけど実験の方が遥かに重要となっているのだ。

別面でって俺にとってより影響大だったのはこっちなんだが、○○な響き→□□コード→その和声の展開形は△△…ってプロセスの面倒さと当確率が。
音楽の他音響屋でもあるんで必要とあらば地道分析は辞さないけど、特に概知のじゃ無く新規の響きを探すのに理論主導だと遠回りになっていけねえ。

ってのもパート単体単位なら未だしも、実際の多くはアンサンブルでそう聴こえてるだからなのよ。
そんな体験からコードに関してはよりパート単体より編曲視点で考える様になったが、ミニマム編成での体験が多目だったのも影響してたかも知れない。

大体同じに聴こえたコードでも、構成人員が少ない程低ニーズの音が省かれてたりする。
それを逆手にとって考えれば仮にもっと人数が居る際に、普通だと付加し難い別の音を追加出来る可能性が上がる。

勿論無省略の良さってのもあるが、求める響きの中で最もシンプルに実現してるのを雛形にした方が応用範囲が断然広いんだ。
劣化近年本邦だと録音では昔よりかなり大した意味も無い「重ねとく」が増えてるが、独自の和声についてだと芳しくない状況とも言える。

録音音質の向上も1つの音の存在感に関しては現況負の作用の方が大きく、それで増えた隙間が気になって追加したくなるのは俺だって同じだよ。
けどそれって音響的には有効でも音楽的には殆ど無効なのと、ネタ元としては極力シンプルな方が分り易くて良いっしょ。

<つづく>

2022年9月 7日 (水)

音楽備忘録1118 今のRock系は小音量で聴くべきもの???➌

さあ困った今頃になってデジタル録音だとGuitar系(特にエレキ)が薄っぺらになると判然とした処で、環境全体がシフトしちゃってるから単純に戻せるもんでもない。
このデジタルに依る軽薄化案件、私的には太鼓や歌の方をもっと気にしてたのもあるんだけどさ。

実は太鼓では1に奏力2に楽器が俺の場合は主犯だったが、アナログテープ時代は明瞭度はおろか他パートを邪魔しない音にするのすらとっても困難だったんだ。
これが妙な話しだが要するに一面でそんな図々しい音だったから、存在感の弱体化を気にする必要が無かったんだろう。

歌にしても自分のじゃなく他人の図々しくない声質!?の場合限定で、こんな杜撰大王と組んでも平気な連中には弱体化の心配を要す人は少数派だった。
と色んな御託が一通り済んだ処で、個人的には今は大してGuitar音色に太さは求めて無いなんて言ったら大目玉喰らっちゃうかな?。

だが他人が聴いた際に自分の想定より存在感が弱過ぎたら色々副作用は少なく無さそうで、この手の問題にはやはりリアル合奏の日常的体験が不可欠だと思うんだ。
録音では一発録りじゃ無い限り、本来は音質の問題でも後からバランス補正で補えるでしょ。

それも箇所次第で増減させられるんだけど、リアル合奏で実用上許されるのは取り敢えず大体常時全部が聴こえる状態だよね。
それも観客(聴くだけの人)じゃ無く奏者同士の都合となるから、実音量よりも音楽的な過不足の方が絶対条件になる。

例えば大昔年長の知合いにやたらと無暗に超高域を盛りたがるGuitaristが居て、美しくないしウルサくて辛いしで周りは皆ホトホト参っててさ。
何がよりによって厳しいかって何せ中域すら極限迄削いじまうから、かなり大き目バランスを許さないと演奏内容(音程や和声)がサッパリ分からないんだ。

尤もかなり後になって熟考してみると当時彼は既にかなり難聴が進んでて、極端に劣化した本人の耳にはそうでもしないと全然聴こえなかった可能性が浮上したんだけどね。
これは相当特殊極例だがそんな風に、物理的音量と合奏適正音量ってかなり乖離するケースもままあるんすよ。

因みに↑極悪例では他パート侵食被害は最大級で、しかしLeadパートだったから辛うじて成立しただけでね。
そんでも元々アンサンブル限界を著しく超越してるから、例えばもっと音量を上げたいとかには全く非対応だった。

あな恐ろしや実際弾いてる最中のみギリギリセーフで、それ以外の時はハウリングしっ放しだったかんね。
技術面からの錯誤としては楽器倍音より高い帯域を盛大に盛ってたから、リズム的輪郭には多少貢献があっても真の明瞭度に効果が無いのも敗因だったろう。

って事ぁその逆を施せればもっと全然小音量でも良く聴こえる様になる筈で、それには俺言い「目立つ倍音」が鍵にはなるが周囲との連携はかなり流動的な面がある。
故にこの手の案件ではリアル合奏を連呼してるんだが、極小音量だけにフォーカスすると本来正しいバランスでは通用しなくなる。

しかし音楽自体が超ポピュラー系のでもある程度はダイナミックレンジの巾がある物なだけに、アナウンス等と違って適正より小音量で再生すれば聴こえない箇所が出て来るのは仕方無いもんなんすよ。
そのアナウンスですら俺言い「らしい米英語」だと実際には子音は殆ど聴こえて無かったりして、アクセントとの関係性で単語を想像してる事の方が多いって本国の人から訊いた事がある位だからねえ。

これも含めやはり悪環境対応にはシンプルなのが最適だが、デジタル由来の薄さ細さでこれが避けられちゃってんのかな。
いざちゃんとしようとしたら意外と困難だったからってのは分からなく無いが、ポピュラー系で聴き疲れするのを平気で作っちゃうなんて本末転倒だと思うんすがねえ。

<つづく>

2022年9月 6日 (火)

音楽備忘録1117 お気楽に電気楽器を楽しむ方法⓰

今日は専門の電気楽器と真空管の関係も含め大いに吠えるが、決して強制はしないが万人にゴリ押しはさせといて貰いま???。
他の項でも既に耳タコにしてるのに何で又っつうと、極限状態に置かれた時程その差が分からざるを得なかったからなんだ。

過去述の通り機材バランス的にかなり楽器Ampの導入だけ遅くなった原因でもあり、しかし魔代用当初は既に球ヲタだった俺ですら全く予想外の展開だったのよ。
勿論各個の好み次第で影響力に差があるだろうには気付いてるが、最近頻述の特に反応の面でどうにもカバーし切れない部分があったんだ。

近年のアクティブ回路内蔵タイプだと変化量は減るのの方が多いんだけど、電気楽器って音響的には所詮Lo-Fiな存在なんす。
確かに音響技術面だけなら今はもっとHi-Fi化も可能なんだが、現況ではそうしちまうと劣化版電子楽器みたいなのへ近付くだけにしかなんなくってさ。

楽器として認知され出した頃って周りは生楽器天国で、もしホントに「唯のLo-Fi」だったら普及しなかった筈なんだ。
実際私的ブランド趣味(Rickenbacker)で掘ってたら、第二次大戦前に既にViolin族のElectric化を実現してたんだそうな。

エレキViolin・エレキViola…と可能なのは何でもエレキのでオケ迄作って、ツアーとか演ってた時の写真なんてのが何処かに載っててね。
にも拘らず表舞台からは一旦姿を消したのは、初期のは今主流の圧電PU(ピエゾ)じゃ無く電磁誘導PU(エレキGuitarのと同じ)だったからと俺は見ている。(リッケンのなんてViolinやContrabassにも例の有名なHorseshoeタイプの付けてんでやんの)

發弦楽器より擦弦楽器は何せ普段は擦るんだから、生だったら高い周波数の成分が沢山出せる。
ってか下手が擦ると音程感僅少で油切れした蝶番い紛いのしか出せない位で、その象徴的な帯域が電磁誘導タイプじゃ原理的に拾い切るのが困難なのだ。

それがGuitar・Bass・Piano・Organとかだったら、生とは違うが捨てる程酷くはならなかったとな。
その原因は楽器の特徴的な音の出てる周波数帯域が、擦弦系より低い処にたまたまあったから。

但しそれで聴き続けるに堪え得る音色にするには仮称「艶」成分が最重要で、方向的にはオーディオとは真逆な奇特Hi-Fiが要求されるんですよ。
これ換言すりゃ音響的には明らかにチープなのに、それなりに「立派な楽器」に聴こえなきゃ駄目って中々無理難題紛いな話しだわさ。

その典型に近い状態を、前述魔代用球でたまたま実体験しちゃってたん。
ので体験中の当時は何の意識も方程式みたいな発想も無くて、唯単にまあまあそれっぽく聴こえるから良いかぁなんて杜撰の保守本流を地で行ってただけなんだ。

それからあちこちで色々石も含めの体験が蓄積し、今頃になって振り返ってみると思ったよりは悪く無かったな~なんてずっと後になってからそれなりに印象に残ってたのが分かってね。
残念乍ら今の日本では身近に余った球機器が転がってたりゃしてくれんが、その位球かどうかの影響って大きかったって事なのよ。

又この件で付記必須なのが効果がじわりな処で、相当長く体験しないと実感が難しそう。
一応その筋の専門の俺でこんなに掛ったんだから、未体験の人だと問題にすら感じないのも無理も無い。

しかしだからこそこんな所でもしつこく吠えてる訳で、崖から落ちそうになってるみたいなのを黙って見てられないんだ。
と言うか恐ろしい光景が目に入った際ニュートラルな心理状態だったら、何かしらの反応をしちまう方が自然じゃない。

<つづく>

2022年9月 5日 (月)

音楽備忘録1116 不当低評価の是正❿

ここから本邦マイナーの紹介も兼ねて広大に雑多に例示してくが、俺は正規の評論家とは程遠いから一応独断・偏見・その他諸々でとしておこう。
故に読者諸君には全く圏外のも顔を出すだろうが、好きだからブスが美人!?みたいなのは流石に掲載しないからそこは参考にして欲しい。

概述個人的に現在迄ではRock全盛期を1970年代と思ってるが、恐らく好み等の混入はあるにしても聴いて来た中で最も印象が深いし色褪せなかったのが原因なんだ。
その要素として録音音質の影響もかなり甚大で、明らかに現代より劣るのが多くても自然の範疇に収まってるのが殆どだからなんだ。

ここでの自然とは食品だったらレトルトや冷食じゃないみたいなもんで、一部Effectを除き生でも再現可能ってのがポイントだ。
少々クドくなるがその生ってのは純然たるLine収録等を除外した感じで、聴き手が聴き用アイテムほぼ不要って意味だ。

↑の純然たる…を実現するには聴取空間の響きが勝手に付加されたりしたら駄目で、楽器→メディア→ヘッドホンなんてのが実行出来た際Ampを使ったりスピーカから流したのと最大の差別化が図れるでしょ。
聴く時ヘッドホンを使ったって収録時がMicなら、その逆にLineで拾っててもスピーカ再生だと空間残響が必ず盛られちゃうじゃん。

尤も俺基準は全部がって程では無く多数派がそんなならまあOKで、しかし例えばSyntheとかBassだけでも露骨にLineのだったら圏外になり易いけどね。
でそう云う俺言い「普通の音」である方が、長く聴き続けた際の疲労や変なストレスが小さいからなん。

又その方が各自の個性や表現の反映率が高い様で、それは各音源の成立構成の関係が原因だ。
生楽器ならPhil Collinsみたいな手法となる以前は、奏者自身は電気系部分を直接は弄れなかった。

故に電気加工度が生のより高くなると、↑みたいな例外系以外奏者の個性は大抵薄れる方へ働く。
一方電気楽器等本体とAmpで成立してるのだと、Ampの調整等が奏者毎に微妙に違う方が多い。

その部分を省けばやはり薄まり方向へ行き易いのは至極当然で、これ等を鑑みると音質や面白味には劣っても「普通の方法」で作られた音の方が訴求力が強いと感じられたんだ。
俺自身俺にとっての普通じゃ無いのだって決して駄目じゃあ無いんだが、アブノーマルの個性はそれが日常的になったら損なわれるからねえ。

んで散々聴き続けて来たら「普通で面白い」とか「普通でも飽きない」のの方が、後々迄劣化せずにそのまま印象に残ってたんすよ。
それと聴き手の評価し易さとして、’70年代一杯迄のは「打込みで誤魔化し」が不可だったのも大きいのかな。

その後’90年代以降の俺言い「デジタル誤魔化し」が可能になると、音の素材さえ提供出来ればアルバムが作れる様になった。
のに対し’70年代は例えお飾りアイドルの宴会芸的歌唱だろうと、最低限の音程・リズム・合奏スキルが無ければ録れなかったからさぁ。

そんな状況だから伴奏の方ともなれば所謂職人が必要で、かと言ってRock系は当時まだ歴が浅かったから演れる人が少なく比較的「特定の集団」が担ったのが多かった。
特に少数派でも本業の自前グループなら未だしも、ポピュラー系やPops系でRockっぽいのなんてな境界線上のでそのニーズは甚大だったんよ。

↑の視点を変えると紛い物の入り込む余地がほぼ無かったとも看做せ、俺がその時期のの平均クウォリティが高いと感じる一因なんだろうね。
本業系の人達にしても今みたいにEffectorだけでそれらしい音色なんて作れなかったから、俺言い「素の音の逞しさ」の点でそれ以降のよりハズレが少なかった。

<つづく>

2022年9月 4日 (日)

音楽備忘録1115 ネタ元③

前回好みのネタにありつくには(全くその様な表現を使って無いが😓)、こっちの要件をなるべくハッキリさせとくのが大事なんて呟いた。
これって演る人より寧ろ聴き専の人にこそ重要なんだけど、誰だって最初から絞り込みなんて出来ないから何処から手を付けてくかですわねえ。

知人や専門家からの紹介はあると百人力だが、非リアル交流の比率が高まった今は昔よりは期待薄になったと感じてん。
相手の仕草・表情・その他諸々達人になる程そんな部分から、その人の波長みたいなのを察したりする方が高確率になり易いからなんだ。

今だって例えばドルヲタ系とかにだったら頭にうさ耳付けてる方へ興味が強くなったりするけど、当節何しろ変化球全盛で容姿と内容がストレートにリンクしてるのが少数派になっちゃったかんねえ。
いきなり飛躍比喩にはなるが昔より格段に「画付きニュース」が増えたにも拘らず、劣化今本邦の大多数は壺洗脳に引っ掛かっちゃってたじゃん。

けど視点を一寸変えてみれば情報が増えた分、受け手側の取捨選択スキルが昔より要求されてたのは自明の理なんすよ。
実際俺みたいな昭和生まれの大雑把なオッサンにとって、一々wiki通いするのは面倒だけどさ。

心理的には雰囲気伝わりゃ一寸位情報に錯誤があったってって気分になるが、確かめたい際はネットが24時間使えるのって有り難い事なんだよね。
尤もwikiって必ずしも本職や専門家が書いちゃいないから、昔からあった現物メディアに比べると若干粗相が多目だっりゃするがね。

それでも関係者の談話に辿り着くのにも多少の利はあるし、特に古目の洋楽の場合は英語のページへ行くのが有効なケースが多い。
俺自身英語は決して得意じゃ無いけど、録音に参加した人等の面で本家ページの方が大抵は詳しいんだ。

そんでこの差は単に本国の人の方が拘りが強そうだからってんじゃなく、どんな人・目的でWikiを見るのが多いかの違いがある様な気がするんだ。
日本では好きな人だと本人のは割と全て知りたがる傾向がある様だが、あっちじゃ唯のファンはそこ迄スペックに関心は無さそうで。

それが分析目的となると豹変して結果の可否は個人の完全自由な代わり、何時・誰が・何処でどうみたいなのには途端にウルサクなるらしい。
或は昔から近くに本屋やレコード屋・レンタル屋が無いからとかそんな環境差からも来てるのかも知れないが、類例を辿りたくなった時にそれ等の情報量の差は大きいんだ。

体験的にはかつてはレコードの山中で暮らしてた聴き専親友からしか、大体同じメンバーが録音に参加してたとかの情報は得られなかった。
ジャケットにメンバーが印刷されてたから、そりゃ少量なら買わないでも立ち読みで覚えて帰るのも不可能じゃ無かったけどさ。

手元に無いと随時確認は出来ないし、影響が低いと思ってた人が後からキーマンだったと判明したりしても非対応になるじゃん。
っとここ迄のは好みのを深掘りする際のプチ知恵みたいなもんだが、自分らしい個性の醸成にも好きを最優先するのは自然な事だろう。

けれど既にある物を既にある形で使う限り、既存品の劣化版の域を脱するのは困難だ。
そこで次回は普段あまり興味の無い中から好みのを抽出するのへ言及するが、私的にはアイデアより音楽技術面でその効果は絶大と考えている。

つまり好みへの影響率が低い部分でなら、その分こっちの個性への悪影響の心配も少ないからね。
その手のも完全網羅しときたいなら時間と労力を惜しまず専門的に学んだ方が良いけれど、欲しいのだけピックアップするにはあまりに非効率だ。

<つづく>

2022年9月 3日 (土)

音楽備忘録1114 今のRock系は小音量で聴くべきもの???➋

今日は前回出the peggiesの「君のせい」のギターサウンドを生贄に他のへも拡張してくが、全体のサウンドとしては俺も全く他人事では無かった件だ。
失礼乍らSolo部の演奏内容以外は申し分無く、重ねたののアイデアややり方自体は寧ろ秀逸な位だった。

だが聴く回数が重なってくと少なくとも俺の耳は意地悪な椀子そば状態に陥り、その原因を探る中でGuitarの音色の細かさってぇか薄さが不味かったのかと感じ出した。
そこへ俺の思考が到達するのに3つの段階があって、前回述の如くその1は今本邦のと自作過去作品の比較だった。

その段階では自分の方のにだけ何となく冷たい淋しさみたいなのが感じられ、しかしそれが無い方のは代わりに眠くなっても寝かして貰えないパーティーみたいな嫌味があった。
次のその2は自作のでもテープ録音時代のを聴いた時点で、残響はもうデジリバだったからそれ由来の淋しさはそのままだが各パート自体の音の存在感にかなりの相違が再確認されてね。

ここでのプチ私売りは奏者・場所・GuitarとそのAmp等が完全同一な処で、サウンドの差はほぼ録音方式だけのせいなのに確信が持てる処。(進歩が少ないと云う見方もあるが…😓)
トラック数の関係も手伝ってテープのの方がGuitarの本数も少ないが、空席感みたいなのはデジタル録りのの方が遥かに上だった。

そして駄目押しとなったその3が更に後で聴いた頭脳警察のハイエナとテープ自作との比較で、これなんかGuitarは殆ど重ねて無いのに器楽音の不足は全く感じられなくてさ。
残響だってVocal以外はほぼ無しなのに、淡泊とか退屈は多少あったとしても細い薄い頼り無いなんてのは全く無縁。

杜撰大王らしくGuitar1本についての存在感の差は今日迄殆ど気にして無かったけど、こうして聴き比べたら自作のだってデジタル化率の高いの程数入れてるじゃないのよ。
これを素直に受け入れると現行デジタル録音には、予想の遥かに上を行く弱点があった事になる。

実際俺みたいな古株(テープ時代体験者)には困りものではあるが、そもそもはテープ代の高騰でデジタルへ全面移行してんだよね。
その証拠に何時かテープが値下がりしたらと思って未だにオープン8トラは持ったまま、って一説には売り損ねただけって声もしなくはないが…。

でもこんなのは他の誰にも共通だし、深堀りすると録音機だけのせいするのはお門違いなんざんす。
それが収音方法のOn Micで全ての目的では無いが、元々はどうしてもボケるからってんで段々近付けてってたんだよね。

尤も他所様でだってウチのハコ同様録音場所の天然残響を使わない設定の所が多いから、そう簡単にOff Micにする訳にも行かないだろうけどね。
けどエレキ自体は今だって殆どのはOn Mic様専用になんてなってなく、現実より明瞭な音で収音する必要は最早とっくに消失してるのになんだわさ。

だがそれが少々面倒化してるのと、そんなのを必要最低を下回る音量で掛けられたらそりゃ内容が良くは聴き取れなくなる。
しかし必要最低を下回りゃ例え耳穴に突っ込んで聴いてても、軽い咳払いの1つでも途端に音楽の方は何も聴こえなくなるのよ。

それからすると俺自身も含め結局は提供側のエゴ、淋しい人じゃない・折角演ったのは全部聴かせたい等々が過剰なのかも知れない。
当初は一種の自衛策のつもりだったかも知れないが、平均音圧・明瞭度・音数諸々のどれも過剰にしちまっちゃお終めーよぉ。

どんな過酷な環境下でも全部聴こえますサービスと銘打っても、聴き方の自由を阻害すればマイナスの方が大きくなるねん。
わざわざ手間暇掛けて作品を駄目にするとは、ご苦労さんな事ったね。

<つづく>

2022年9月 2日 (金)

音楽備忘録1113 お気楽に電気楽器を楽しむ方法⓯

コロナ第7波の影響でPC師匠宅訪問を自粛中な為、新展開の見込みが暫く途絶えてしまった。
そこで過去述との重複も少なくないが、俺が今迄に実体験して来た代用の色々を前より多角観点で記してみたい。

それに際し体験実情から唯の演奏と録音時に分別するが、案外録りの方が実はハードルが低かったんだ。
そりゃ正規録音にだったら異形としてしか使えないけど、メモ録りとかだと録っとけないよりはかなり酷くったってマシだかんね。

俺の場合作曲時に特に昔程鍵盤よりGuitarの方が多かったのもあって、音程が同じでも何弦で弾いたかみたいな情報が結構必要だったんだ。(極最近はメモでも記録は打込みが増えたが)
ってのもそうしとかんと後で続きをって時に、最悪移動し切れない距離とか直後に繰り出すのが困難な指なんて問題が起きるからだ。

ので流石に今は頻度こそかなり減ったけど、どんなミスマッチ接続になろうとも忘れて困りそうならハイパー魔臨時でも躊躇わず録っちまうのよ。
それとは別に上記で正規には異形扱いって書いたけど、その扱いが実現したのは正規に堪え得る機器が揃ってからでさ。

俺の場合は単に懐事情だけだったが、初心者の内だと自分には最低何トラック必要か等色々未判明な処があったりすんじゃん。
人夫々で新規機材の導入方法は自由ではあるが、ある程度実際に試してからでないと自分に合った形とか中々分かんない。

って事もあるんで初期には手持ち機材の魔用主体で、道具を揃えるより魔でも録る方が先になってたんだ。
その時点で楽器Ampは未所持で…って、正確には当時としては小型のBass Ampは買った後だったんだけどさ。

そっそれが録りを始めるより前にブッ飛ばしちまったもんだから、兎に角無い訳さね。
そこへ持って来て当時の外での普段の担当はBassでGuitarはサブだった関係もあって、歪み系ストンプすら持って無かったん。

過去述の通り球のオープンリールテレコで一応の代用になってたのと、他所で試奏した石の拙さが自分には到底堪えられない位は気付いていた。
のが今と違ってその時点では球のストンプが未発売だったんで、結果的に電気楽器の音色生成をする機器がほぼレス状態になってたん。

で最初期にはMixerもEQも無かったが、幾らも弾けやしなかったんで魔代用多重録音機たるステレオカセットデッキ×2に搭載されてた左右別録音レベル調整ツマミだけでなんとかしちまったんだ。
但し再生レベル調節ツマミは2台とも付いて無かったんで、パッシブ型のバラックMixerだけは割とすぐに自作したけどね。

そこから必要に応じてストンプグライコとか徐々に増えてったんだが、Ampについてはその爆音が障害となってマトモなのを買ってからも中々本式には使えなくて。
加えてそんな日常では付随して本格的なMicだって無く、そうするとリアル収音では好みや所望の音色にするのがとっても困難でさ。

でインピーダンスのミスマッチングを無視して、特にBassはかなり後々迄Line収音にしてたんだ。
その音はってばそりゃ幾らも冴えないもんだったけど、Line正規のBuffer→DI→デジタル録音機のでも変になっちゃった時のよりゃマシだった。

そんなの音響的には明らかにプアなんだが、弦楽器の音じゃ無くなる事は決して無くて。
今再分析するとその原因は俺言い「ハイインピ反応」だけは堅持されてたらしいからなんだが、シビアに見れば低レベルの音だから細部なんてちっとも気にならなかったとも看做せなく無いがね。

只何れにしても音色の楽器らしさ不備に翻弄される事は無く、作品や内容に集中し易かったのは確かだった。
んまっ今更わざわざ変で劣った真似する事ぁねえが、オーディオと音楽では良い音の条件がかなり違うんだってのだけは誰にでも…。

<つづく>

2022年9月 1日 (木)

音楽備忘録1112 不当低評価の是正❾

従兄のケースみたいにちゃんと調べたのと違って、杜撰大王ですからそのチョイスは単に沢山聴き進めて行った結果なだけなんでありんす。
なのでDrummerに関してなら楽曲での貢献量が中心となってて、現時点でそれが多く無い人は従兄は○でも俺には評価対象から外れてたりする。

純粋に奏者レベルを評価するなら従兄式の方が良く、本人以外の原因で良い曲に恵まれて無い人も居るだろうからね。
それを作品レベルを主軸に評価するとなると、一奏者としては少なくとも表面的にはそんなに凄く無い人も入って来る。

だがDrumが主役とかそれだけの曲は多数派じゃ無いし、曲や歌よりDrumに注聴してくれるのは関係者だけだ。
それからすれば一般非専門の人が「聴いて気持ち良い」と感じるのが多い奏者程、評価して間違いの無い対象って事なんよ。

俺ですら音楽の造詣がそれなりに深まって来るとテクに見惚れたりもしてるけど、要は初心忘れるべからずとか木乃伊取りが木乃伊に…ってもんなんでしょうな。
但し非専門の皆さんに要注意なのがパーソナリティ等音以外に惑わされるなって点で、人気と実力の評価はどちらにとってもキッチリ線引きするべきなんだ。

実力より人気の人を上手とか凄いと看做すってな、その人のタレント力の凄さを軽視するも同然になるですよ。
もしそれが才能だけで成立してるなら未だしも、途方もない苦労の挙句だったらその努力を過小評価する事になる訳だから。

そしてどれにしても見抜くのに必要なのの1つに、時間の経過ってのがある。
稀に死ぬ迄幸運の続く者も居るやも知れんが、運だってそこ迄維持されるとなれば少なくとも別の外的要因位あるんじゃないかな。

相変らずの独毒比喩になるが、絶対に捕まらない泥棒ってどうすればなれるか?。
と突詰めてくと盗まれた人が誰1人死んでも遂に気付けなかったなんてので、無論実際にはあり得ん話しだがね。

こないだの選挙結果でも与党系候補だとド素人且つ過去のタレントなんかが多数当選してたが、敢えて人気投票観点で考えても異様だすわな。
無礼承知で毒語しちゃうけど幾ら全盛期は美人だった人でもそれから云十年、必ずしも本人だけのせいの劣化じゃなかったとしたってそれがアキバやブクロとかだったら暴動もん間違い無しだしょ。

俺言いだと「暗殺されて可哀想フィルタ」が作用して、入れた人の目には実際は10本入ってたシワが1本しか無い様にでも見えたんじゃね?。
まあ「思い込みの副作用」としては俺みたいなのが最も日常的にやらかしてるだろうが、対極に居るしっかりさんだって完全無検証にしちまったら頻度は少ない代わり時々デカいのをやらかすリスクは却って高いさね。

↑の「検証」で音楽等で最簡単な方法が時間を置いて再聴してみるなんてので、知識・理論等専門的なのは一切不要だし寧ろその方が良い位でね。
しかも理想は聴こうと思ってなかったのに「突然聴こえちゃった」なんてので、不意を突かれる程一切のバイアスの掛かり様が無いからなのよ。

物の本質を人の本性に置換えると例えば夢だって保証があったなら、よっぽどの堅物や成人君主じゃ無きゃ眼前の裸体美女には殆どの男が手位は伸ばす筈ね。
現実の過半数ではそんな欲塗れじゃどっかの劣化政治屋みたいで困るけど、心の内面を正確に把握するとかには必用な発想だと思うんだ。

等とあまりにも音楽等には不利な政情なので交えて書いちまったが、「時間が必要」には別の面でもそれがあるんだ。
聴こえて来て気に入ったのが全て誰の何かってその場で分かるとは限らず、特に昔のラジオ放送のだと大変だった。

実際つい昨晩漸く判明したのが1曲あって、それなんかあな恐ろしや何と50年越しでしたがな。
劣化近年本邦ではそもそもマイナーなのは耳にするのも調べるのもその機会が著しく僅少化してて厳しいが、ネットも無くレコードも簡単に買えない時代と比べりゃどっこいどっこいだ。

逆にあまりに億劫さが上回る様なら自分にとって大した存在じゃ無い可能性が考えられ、けど何年たっても耳から離れなかった様なヤツに対しては追及を放棄しない方が良いよ。
現時点で行き詰ってても、↑みたいに完全無期待時に遭遇する事だってあるんだから。

<つづく>

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