音楽備忘録1103 不当低評価の是正❻
バスドラの踏んでて聴こえる聴こえないを論じるのに、奏者の意図っつうのをプチ予習してみよう。
典型的な4Beat等だと、隠し味として鳴らしてるのもあるからね。
Ringo Starrが定番化する以前はRock系でもJazz屋さんの叩いてるのが殆どだったし、RingoですらSnareのBackbeatは今みたいに常時全開とは限らなかったわな。
そこから又時間が経過すると過去の程隠し味では無いのが増えたが、必ずしも全部は聴き取れないのも出て来た。
個人的に好きだし尊敬もしてるけど例えば概述Jeff Porcaroの、裏拍16分音符(次小節寸前に入れるヤツ)に聴こえないのがそこそこあるのには一寸ストレスを覚える。
っつうのも速いSlide Doubleだと、平均比で「普段より弱くならない」のもあるからなんだろう。
BONZOは元が超爆音なんで聴こえなくなりゃしないけど、Accent時の単打よりは小さ目のが多いから呆けっとしてると時々聴き逃したりしてさ。
これってきっとヲタの我儘の典型だろうが、どうせならなるべく楽に聴こえてくれた方が嬉し。
この件以前述べた様にポピュラリティを気にするなら曖昧はご法度で、確かに単純だと深みや味が不足するんじゃと心配になるかも知れないけどね。
私的にはそう云うのって日本独特の逃げと感じてて、根源的には「勝負すべき箇所を間違え」てるんだと思うんだ。
俺自身は大してポピュラリティを求めて無いし取り立てて得意とも思ってないが、Pops好きな従兄の方が妙に玄人受けする様な部分でこれを実感しててさ。
最近では従兄も「Drummerのエゴ」を再認識したらしいんで、もう聴こえなくても構わない踏み方はしなくなってっかもだがね。
半分以上は偶然だったろうが中々Ringoが置かれてた程厳しい環境を、継続的に体験するって事は無いだろうから。
芸術性と今なら人力なのを尊重すれば豊富な強弱等はあった方が良いけど、超劣悪な環境下では殆ど有・無の2択に近い状況となっても珍しく無い。
それもDrumが主役だったらまだ良いが、歌が主役だと脇役に許される選択肢は極限られてしまう。
又パフォーマーのスタイル次第じゃ常に何時も通りとか録音に忠実にってのもあろうが、それで通用するのはマトモな環境が過半数の場合だろう。
幾ら演者が正直にこうだったんだって演った処で、その場に居る者にそう聴こえなければ意味が無くなる。
してこれは好環境下でも聴き手の負担は最も軽くなる行き方になってて、ポピュラー系では強弱や大小よりフレーズや音色変化等他の要素中心の表現を主体とするのに繋がってる訳。
故に好き嫌い良し悪しは別として悪環境を乗り越えてきた人程、鳴らしたのは全て聴こえ確実に聴き取れる保証が無いのは鳴らさん傾向が強くなるんじゃないかな。
これを僭越乍ら俺と従兄の比較に当て嵌めると、従兄の方が好環境に恵まれたかもと思うと妙に納得が行くのであぁる。😢
しかしそうして下手に優等生的に成り過ぎれば面白味が不足する懸念があるが、Ringoの場合は凡人が考えるより広い範囲の中から工夫してそれへ対処してるんだろう。
普通に叩いても左利きで右用セットを使うお陰でユニークさは自然と出るが、左用セットへ何時迄経ってもスイッチしないしたまにも披露しないのは本人の明確な意図があるからだろう。
で↑由来のオカズの個性よりも影響大なのが、曲の途中で譜割りを変えてしまう等の大胆な作戦だった。
リズム自体に興味の強い人にならば1回の珍オカズでも効果があるけど、かなり近似なのをしつこく繰り返さないとそうじゃ無い人には中々○○のオカズとは認知して貰えない。
だが例えば突然テンポが倍とか半分になった様に聴こえたら、どんな鈍感さんだって気付かずには居られんでしょ。
それがバスドラでは大流行したお陰でスッカリ「唯の定番」と化しちまったが、拍頭や強拍以外の箇所にパターン化させたのを初めて入れたなんてのだ。
コレってもう紛れも無い大革命だったんだが、日本ではRingo以前のを聴く機会と回数が少ないから実感に乏しいのかねえ。
んで本家のと下手模造との差が「劣悪環境下での耐性」有無にあると感じてて、余程こっちがハイエンドレベルに近付けないと全貌理解は厳しいんだけどさ。
<つづく>
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