音楽備忘録1085 定番と奇抜⓬
さて音楽でのスタイルとは一般的な日本語若しくは訳とは少々異なり、例えば流儀等としときゃホントは良かったんだろう。
ちゃんと考えりゃ音自体には視覚的な形って存在せず、確かに絵面を想像させ易いの程優れてはいるがね。
英語に関して現行劣化本邦の教育では、内容的意味合いの合致度より文言の正確さを追及しがち。
受験や偏差値の都合も勿論あろうが、大元はこっちののほうが表現等の単語数が格段に多いのもあったからなのかな。
何れにしてもかつての俺を筆頭に勘違いだけで済みゃまだ良いが、真の意味の探求がそれで疎かになるのが不味いんだ。
ここ迄数回に渡って散吠えして来た如く譜割り等では無く、実際に「合奏が可能か」で判断してきゃかなり簡単な話しだったんだ。
一方技術面からは誰にでも○○な感じを出し易い・得やすいやり方ってのはあって、定番となると珍しい方法のは含まれない事が多い。
だが出し易い・得やすいであれば方法だけ真似れば、何時でも誰でもそれだけで足りてるとは限らないんですよ。
では「キレの良い8Beatの刻み」の具体例を幾つか提示してくが、この場合ポイントとなるのはアタック音と余韻音のバランスだ。
8分音符連打が演られる様になった頃エレキGuitarは幾らも歪ませて無く、エレキよりウッドが主流だったBassも楽器としての余韻長さは今より短かった。
ので一々全部Staccatoにしたりとか細かい神経を使わなくても問題無かったのが、次のフェーズへ進むと一工夫しないと歯切れが不足する様になった。
奏者意識ではダダダのつもりが楽器余韻部が長く音量も大き目になって来っと、ダーダーダーみたいにLegatoさせたのかみたいにさ。
そこから「1音を鳴らす最適な長さ」意識が高まって行き、BassではPaul McCartney辺りを筆頭に鳴らす方だけじゃなく止める方のタイミングも色んな表現をする際の手段として常用され出した。
エレキGuitarの方ではハンドミュートでアタック強調・余韻弱体化等の方策が取られ出したが、中にはそれをしないで何とか凌いでしまってたのも幾つかあった。
ここでは再三出且つお馴染みDeep Purple-Highway Starのバッキングに例外があり、少なくとも俺の杜撰感性では聴感上はノンハンドミュート・ノンスタッカートには感じられなかった。
一寸真面目に聴けば直にそんなの間違いだと分かるんで、ギター奏法だけ意識して聴いてたら起らない失態だろう。
けれどアンサンブル全体を鼻歌化しろってなったら、先ず以てジャンジャンジャンとかじゃ無くダーダーダーなんて歌う奴は居ないと思うんだ。
その原因を全体の方から行くと全員リズムがノリも正確さでもハイレベルだったのと、Hammond OrganのStaccatoが特に秀逸だったからだろう。
当時としては前代未聞の深歪ませも使ってたから、今になってみりゃ絶対スルー出来なかっただけかも知れないけどね。
でGuitarの方も古典的Single Coilのを古典的歪ませをしていたお陰で、Larry Carlton以降の滑らかで良く伸びるのとは正反対の音色でね。
これ等を総括するとこの曲の演奏ではキレの主役はHammond・エキストラがGuitarって配役となってて、後の脇役は主役よりゃ貢献度は低くてもプラス作用をしてたからアンサンブルとしては↑の印象になったんだと思うんだ。
因みに歪ませ以前のでもChuck Berryが歌バックでダラダラ演ったのなんかはキレ無縁に近く(おひゃっと失礼)、テキトーこいただけなのか歌のリズムを前面に出したくてわざとそうしたのか不明だが。
只そんな調子でも楽曲的に何等の不足は全く無く、一面でこんな処にも8Beat開発者の目的や意図が強く滲み出てると思うんだ。
要するにアンサンブル全体の印象がジャージャージャーとかじゃ無く、ジャジャジャとかジャンジャンジャンとかって聴こえる様にしろってな。
<つづく>
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